不熟ということ

2009年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 前の車との車間距離をビックリするほど極端に詰めて運転している車を見かけました。私もよく経験させられます。そんなときは、すぐにウインカーを左に出して、「どうぞお先に」と道を譲ります。いつまでも後ろにくっつかれていては落ち着かないし、気分が悪い。いや、第一、危険です。

そういうあおり行為を楽しんでいる輩もいるのでしょう。しかし、一体に、人が嫌がると分かっている行為をするのは精神の未熟です。いや未熟というより不熟かもしれません。未熟はこれから熟す、成熟する可能性がいささかなりともあるでしょうが、不熟となればもうこの先どんなことになろうが熟すことはありません。そこでは熟すことなく成長や発達が終わってしまっているのです。

 翻って、我が方を顧みますと、未熟な福祉環境を成熟させるべく、利用者の笑顔と保護者の愛情と職員の素直さとに支えられて、見えない汗や時には血を流しながらも闘っている日々の連続です。しかし大変だからといって、私たちはまかり間違っても福祉を不熟のまま朽ち果てさせて後世に残していくわけにはいかないのです。

 出張の帰り、車間を詰める運転を見かけて「不熟」という言葉に思い至り、「福祉の未熟」「福祉の不熟」に思いを馳せた次第です。

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