
「たったひとつのたからもの」
高視聴率を記録したようですが。
ブログ内で山ほどあるこのドラマの感想、
なかなか読み切れません。
限られた時間の中で、コツコツ読んでいます。
TBをいただいたお揃いの思い出♪「たったひとつのたからもの」に飛び、
TB表記に並んでいたところに飛びました。
以下、thinking,singing「たったひとつのたからもの」を読んで思うのですが。
この方の感想には、
ドラマの中の主人公がひとりで信号のある交差点を渡るシーンに関しての記載がありました。
ああ、印象に残ったんだな、と思った。
あのドラマの中で、あのシーンがあったこと、これはとても貴重なことだと思った。
いろいろな経験を積ませながら、
少しずつ少しずつ、本人の「生活力」を上げていく上で、
慣れた道の一人歩きを完成させていくことは、
そのこと自体の獲得に加えて、
本人に自信を持たせていくという上で大きなこと。
それを「見せて」いるという意味で、大きいと思った。
娘が小学校に通う上で、
入学からしばらくは学校まで送迎をしていました。
それから、少しずつ、行き帰りの道で、「途中まで」のポイントを作り、
本人に気づかれずに陰から見守る時間を経て、
本人だけの行動に結びつけていました。
そうやって、頑張っている親は多い。
隠れる場所は、よそのお宅の玄関先の電信柱だったり、
駐車場の車の陰だったり、
見ようによっては、思いっきり「不審者」になります。
学校に連絡が行くこともあります。
「お宅の障害児学級の子どもが親無しで歩いていた、
危険ではないのか」と。
もちろん、こうした行動は、常に担任と相談しつつ進めることでもあり、
学校側はきちんと説明をしてくれていたようです。
事故に遭う危険という問題もあります。
充分にその場の能力を確認した上で、親の手をはなし、陰から見守る。
間近でばかり見てられませんから、事故に遭う危険もあるでしょう。
それでも、例えば、こういう場合、
どちらに保護者への非難が集中するでしょうか。
「普通の子が友達とふざけながら道路を横断して事故に遭う」
「ダウン症の子が安全確認をしながら渡り、
スピードを上げて走ってきた車の行動に瞬時に対応できず事故に遭う」
少しずつ少しずつ、慎重に進めながらも、
こうした事故に遭う可能性はいつでもあると思う。
その場合に、
「こういう子を一人で歩かせたから事故に遭うのだ」
と運転者側に言われる可能性を、いつもどこか覚悟しているのが現実です。
娘は今、電車を乗りかえ、養護学校の中学部に通っています。
家の近くに来るスクールバスを使うという選択もありましたが、
社会経験と、本人に自信をつけさせる目的で電車通学を選びました。
一人で歩き、定期券を使い、電車に乗って行動する。
たくさんの人たちの目にふれながら。
「たったひとつのたからもの」の放送の翌日、
駅の柱の陰で、電車に乗っていく娘を見守りながら、
(昨日、テレビであの番組を見た人は、
こうやって大きくなっていくのだなあと思ってくれるのだろうか)
そんなことを思っていました。
*写真は、登校中の「隠し撮り」です。
トラックバック
thinking,singing「たったひとつのたからもの」
高視聴率を記録したようですが。
ブログ内で山ほどあるこのドラマの感想、
なかなか読み切れません。
限られた時間の中で、コツコツ読んでいます。
TBをいただいたお揃いの思い出♪「たったひとつのたからもの」に飛び、
TB表記に並んでいたところに飛びました。
以下、thinking,singing「たったひとつのたからもの」を読んで思うのですが。
この方の感想には、
ドラマの中の主人公がひとりで信号のある交差点を渡るシーンに関しての記載がありました。
ああ、印象に残ったんだな、と思った。
あのドラマの中で、あのシーンがあったこと、これはとても貴重なことだと思った。
いろいろな経験を積ませながら、
少しずつ少しずつ、本人の「生活力」を上げていく上で、
慣れた道の一人歩きを完成させていくことは、
そのこと自体の獲得に加えて、
本人に自信を持たせていくという上で大きなこと。
それを「見せて」いるという意味で、大きいと思った。
娘が小学校に通う上で、
入学からしばらくは学校まで送迎をしていました。
それから、少しずつ、行き帰りの道で、「途中まで」のポイントを作り、
本人に気づかれずに陰から見守る時間を経て、
本人だけの行動に結びつけていました。
そうやって、頑張っている親は多い。
隠れる場所は、よそのお宅の玄関先の電信柱だったり、
駐車場の車の陰だったり、
見ようによっては、思いっきり「不審者」になります。
学校に連絡が行くこともあります。
「お宅の障害児学級の子どもが親無しで歩いていた、
危険ではないのか」と。
もちろん、こうした行動は、常に担任と相談しつつ進めることでもあり、
学校側はきちんと説明をしてくれていたようです。
事故に遭う危険という問題もあります。
充分にその場の能力を確認した上で、親の手をはなし、陰から見守る。
間近でばかり見てられませんから、事故に遭う危険もあるでしょう。
それでも、例えば、こういう場合、
どちらに保護者への非難が集中するでしょうか。
「普通の子が友達とふざけながら道路を横断して事故に遭う」
「ダウン症の子が安全確認をしながら渡り、
スピードを上げて走ってきた車の行動に瞬時に対応できず事故に遭う」
少しずつ少しずつ、慎重に進めながらも、
こうした事故に遭う可能性はいつでもあると思う。
その場合に、
「こういう子を一人で歩かせたから事故に遭うのだ」
と運転者側に言われる可能性を、いつもどこか覚悟しているのが現実です。
娘は今、電車を乗りかえ、養護学校の中学部に通っています。
家の近くに来るスクールバスを使うという選択もありましたが、
社会経験と、本人に自信をつけさせる目的で電車通学を選びました。
一人で歩き、定期券を使い、電車に乗って行動する。
たくさんの人たちの目にふれながら。
「たったひとつのたからもの」の放送の翌日、
駅の柱の陰で、電車に乗っていく娘を見守りながら、
(昨日、テレビであの番組を見た人は、
こうやって大きくなっていくのだなあと思ってくれるのだろうか)
そんなことを思っていました。
*写真は、登校中の「隠し撮り」です。
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thinking,singing「たったひとつのたからもの」
TBありがとうございます。そして、S嬢さんのブログ読ませていただきました。
ドラマの中で、「それはない」と思ったことなど、あの中で自分が気付かなかった多くの事に目を向けることができました。
一人で街中を歩くことのコメントからは、今を大切にする価値観と将来を見据えた長期的視野での価値観のバランスが難しいのだな、と感じました。それらは、時には相反するものになるのだろうなぁ…と。。
また、立ち寄らせていただきますね。
ありがとうございました!!
一人で行動をさせるという経験を積ませること、
これは、親によって、かなり感覚が変わる部分です。
慎重な人もいますし、大胆な人もいます。
ただ、考えなくてはいけないのは、
普通の子よりも、親の目が常に張り付いているということを
本人自身が感じながら育つということです。
知的には遅れがあっても、
心というものは、ちゃんと年齢分育っている。
普通の子が、親がそろそろ手をはなし始めるときに、
ダウン症の子も、その精神的準備はできているわけで。
そこで、その気持ち自体をきちんと育ててやることが、
「大人にしていく」ことだと、わたしは思っています。
「立派な、知的障害のある大人」にするということが
大切なのではないかとも、思います。
それでも、ダウン症の子の親といっても、
本当に、人それぞれです。
いろんな人がいる、いろんな考え方がある。
わたしはわたしの考え方というよりは、
娘の性格傾向に従っているような気がします。
子どもの個性も、いろいろですね。
腕引っぱって、おつきあいさせていただきまして。
そして、おつきあいいただけたこと、感謝です。
ありがとう。
ドラマを見て、感動した、
それで終わらせたくない。
この気持ちを忘れずにいたいです。
リンクさせていただきました。
これからもお話してくださいね。
「たったひとつのたからもの」をワードを入れてブログ検索、
29日夜、322件でした。
昨日の夜は、360位、あったらしい。
そして現在、389件ですわ。
なんだか、どこをどう読んだのか、わからなくなってくるくらいの数字だけれども、
まあ、一般の素直な感想を垣間見られる好機ということで、
コツコツと読んでますわ。
その中で、コレ、ばんと言われたら、
「わあ、かっこいい!」と素直に拍手しちゃいましたよ。
ありがとう。
あり、私のブログにもこのドラマの記事への
アクセスが今でも沢山あります。
S嬢さまが何か感じる記事などありましたら
またTBかコメントを飛ばしてくださいね。
「教えてgoo」にも、ちょっと回答したいものがあって、
はは、なんか忙しいですわ。
明日から、ちょっと、時間取れなくなるので、
また、コツコツ行きます。
とにかく、なんらかの収穫を得る「チャンス」にしていくつもりです。
ありがとう。