S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

WEB素材配布サイトから見えること

2004年10月17日 | インターネットと子どもたち
この実にかわいらしいハロウィンのイラストは、
"LITTLE HOUSE"というサイトの素材です。

素材を配布しているサイトは、ほとんどのところにおいて、
使用規定というものが、
かなりのスペースを割いて記述されています。
これは、著作権を無視した素材の悪用が絶えないという
現実からなのだと思います。

さて、この"LITTLE HOUSE"というサイトですが。
こちらは使用規定の記述の中で、

「小学生のみなさまとその保護者の方へおしらせ」

というページが用意されています。
(残念なことに、ちょっとこのページの入り口がわかりにくい)

私がいただいた「ホームページへの感想メール」で、
最年少の方は小学3年生です。
そのためこのページは小学生のお子さま向けに作りました。

(本文から引用)

小学生にネット上で配布される素材の使用に関してのルールを
直接子どもが読める形で教える、
子どもとインターネットの現状はここまで来ているのだという
現実がここにはあるような気がします。

子どもとインターネットという関わりの中で、
様々なルールやマナー等の問題があるのだと思いますが、
インターネットと関わる以前に、
家庭の中で、
どのくらい「ありがとう」の心が育てられている子どもなのか、
そのことが、いろいろな局面で、
キーになっているような気がします。
この「素材使用に関しての記述」も、
「使う素材の作成者にありがとうの気持ちを持つ」
ということが、素直に理解できる子どもなら、
問題なく理解できることではないかと思うからです。

また、インターネットは、
人との関わりということが常に出てきますし、
見えない相手に対しても、
人を大切に思うという気持ちが自然に持てるかどうか、
そういうことがいろいろな局面の中で、
重要な働きをするような気がします。

問われているのは、機械ではなく、
インターネット自体でもなく、
人間が育つ原点のあり方かもしれないと。
そこが薄い人は、大人であっても、
インターネット上で、トラブルを起こすことがあるでしょうし、
そこが充実して育っている人間は、
トラブルに際しても、
きっと乗り越える力を持っていくのではないかとも
思うのです。
コメント

インターネットの中の「大人」たち

2004年09月12日 | インターネットと子どもたち
さて、「インターネットと子ども」というカテゴリーの中で
インターネットで出会った4人の「子ども」を見てきたのですが。
この4人の「子ども」の行動、
4人に関して、全て読んでくださった方には、
見えてくるものがあるのではないかと。

そう、
表現方法は違うかもしれないけれど、
この4人の子どもたちと同じような「大人」が
インターネットの中にはたくさんいるということです。

明確な目的を持って、インターネットを媒体として使っている人がいる。
その場合、その世界はどんどん成長していきますが、
成長していくと共に、荒らし行為を受ける危険性は高まります。
交流をメインの目的にしている人がいる。
その場合、自分は「交流」と思っていても、
相手にとっては、バランスが取れていない「交流」という場合も
あると思います。

「子ども」だから、
その育成と保護のために必要なことを考察しなければ、
そんな観点が出てきますが、
そのためにはまず、
インターネットの中での「大人」を考えなければならないところも
あるんではないかと。
実感を伴わないマニュアルに対して、
意識と関心が薄れるというのは、
大人も子どもも同じなのではないかと。

インターネットの中には、「大人」がたくさんいます。
その「大人」たちは、
最初から、「インターネット上のルールとマナー」を
知っていたわけではないと思います。
知らないとしか思えない人も、たくさんいます。
うすうすわかっていても、
そこから踏み出す行動を取る人もたくさんいます。

理解し、わかっているんじゃないかと自分で思うという人の大半は、
そのことで「苦い思い」や「痛い思い」を経験したから。
だから知っている、という部分はないでしょうか。

その「苦い思い」や「痛い思い」ですが。
自分が経験していなくても、
「見て感じる」ことができるサイトはたくさんあります。

「著作権に対しての横暴な感覚」に関しては、
素材屋さんのサイトをちょっと回れば、
たいがい、その「被害」を受けた人の実感を目にすることができます。

基本的な「礼儀」に関しては、
PCやHP作成法の伝授等、
「教えてあげる」的なことを中心にしているサイトをちょっと回れば、
匿名性というものを持ったときに、人が持ち始める
「礼儀」に対しての無神経さを垣間見ることができます。

「交流」に関しては、
双方が楽しんでいることがはっきりしている場合はいいのですが、
価値観の相違、論点の違い、表現の形としての相性、
こうしたことから、ちょっとしたことがきっかけになって、
インターネットでは、時々「事故」が起こります。

わたしは過去、実に手痛い「事故」を経験しています。
小さな「事故」や「苦い思い」は、いくつもあると思います。
自分が悪かったと思うこともある、
自分の読みが甘かったと思うこともある、
仕方のないことだったと思うこともある、

ただ、そこで拾ったことというのは、
その後にとっては大きかったと思います。
それは、
インターネットというのは、文字が中心になることで、
自分が気がつきにくい「効果装置」にあふれているということです。

まず「過信」。
出していくものに対して、言葉より文字の方が、
それを出した自分の目にきちんとふれます。
そこで自分が相手に出したと思っていることを、
相手が全て受け取る、または受け取れると思う、
そういう「過信」が生まれ始めるのではないかと。
それは、実はそもそもまちがいなのではないかと。
言ったことの半分か、それ以下くらいだと思う方が
実は妥当なのではないかと。

そして、文字が与える印象の「増殖効果」。
出した方はそう思っていなくても、
「苦い」や「痛い」と受け取る側にとっては
何度も何度も言われてる感情の状態になってしまう。
実生活でのやり取りより、
その関係の緊張感は高度で持続する場合があるのではないかと。

また、話題の緊張感から引きおこされて、
短い「タイムラグ」で会話が連続していくと、
場の緊張感はさらに増し、
マイナスの方向に向かって動き出すことも少なくない。
その「場の緊張感」が生み出す刺激から、
参加者がどんどん増えていくこともある。

インターネットと関わる中で、
他者の経験を垣間見たり、自分の経験でわかることが大きいのなら、
子どもがインターネットに出ていくときに、
背後でその経験の意味を、本人がわかるようにフォローする。
そうした存在は、
子どもがインターネットに出ていくときに大きいのではないかと思います。
「子ども」と「大人」との決定的な違いは、その人生経験の差にありますから、
子どもがひとりでこれをこなそうとしても難しいことがあるのではないかと。

「インターネットと子どもたち」、
マニュアルよりも彼らに必要なのは、
「後見人」の存在なのかもしれません。
コメント (2)

インターネットで出会った子どもたち:その4

2004年09月10日 | インターネットと子どもたち
「インターネットで出会った子ども」の4番目は
まりなちゃんです。

まりなちゃんは、ごく一部では有名な
「困ったちゃん」でした。
「大人」が管理する掲示板にやってきて、
「誰かいないの?」と連呼し、
好き勝手な投稿を入れ、人の話は耳に入れず、
反応しないと、駄々をこねる。
まりなちゃんは、そんな「子ども」でした。

このまりなちゃん、
わたしが出入りする掲示板で暴れてました。
わたしはそこの掲示板の投稿で
HPのアドレスを入れていたのですが、
ある方からメールで忠告を受けました。
「リンクをはずした方がいい」と。
「あの子が来ると、とんでもないことになる」と。

さて、まりなちゃんは、
わたしのところにやってきました。
それを見た方から、またメールが入りました。
「あの子には気をつけろ」と。
「自分のところは、あの子の言動で、
 掲示板を一時閉鎖せざるを得なくなった」と。
「まりなちゃんに
『おかあさんとお話がしたい』と言っても、
『メールアドレスを人に教えちゃいけないって言われてる』
の一点張りで、
親が不在のままの彼女のインターネットの一人歩き、
そして暴れ回りには、
ほとほと手を焼いた」と。
で、「あの子には気をつけてください」と。

まりなちゃんは、どこのHPに行っても、
いつも一直線で掲示板に向かいました。
そのHPがどんなHPだなんてことは
いつもおかまいなしでした。

わたしはある種の緊張を持って、
まりなちゃんを迎えたのでした。

ところが。
話題をふっていって、ちゃんと話をさせてみると、
まりなちゃんは実に素直な女の子でした。
そして、驚いたことに、
まりなちゃんは、
まだ、たったの8歳でした。

この辺は、
どうぞこちら、わたしのHP
「掲示板」というコンテンツにお進みください。
こちらの「36」、そして「41」というのが、
まりなちゃんの全貌です。

わたしはこのまりなちゃんとの対話での
自分の投稿をお見せするのは、
かなり恥ずかしいです。
ただ、彼女の「素直な顔」というのを見ることを
ある種、実に楽しんでいました。

このまりなちゃんとの対話の時期に、
わたしの娘は肺炎で入院しました。
車で10分ほどの近くの病院ではありましたが、
病院と自宅との往復の日々に、
息子にもずいぶん我慢をさせたと思います。
退院後、娘と息子に対しての
「実生活での対応」に追われ、
まりなちゃんの相手をすることが難しくなりました。

でも、気持ちのどこかで思っていました。
あの子はもう、だいじょうぶなんではないかと。

わたしが彼女に対して「放置」したにも関わらず、
もう、まりなちゃんは
相手にされないことに駄々をこねたりもしませんでしたし。
他の掲示板で姿を見ることもなくなっていました。

インターネットでの誰かとの出会いも
おもしろいかもしれないけれど、
でもまりなちゃん、
あなたの年齢は、
まだまだ実生活が大事なのよと。
そのことを伝えたい思いはたくさんあったのだけれど、
彼女に無事に伝わったでしょうか。

まりなちゃんは今、
4年生になっているはずです。
元気で笑っていて欲しいと思います。

彼女の保護者の方に対しては、
たった8歳の子に対して、
ここまでの一人歩きを放置するのは、
もう、「言語道断」という思いです。
『メールアドレスを出しちゃ行けない』
この子の母親が言ったことは、そりゃもっともなことだと思います。
でも、ここまで8歳の子に
インターネットの一人歩きをさせるのなら、
フリーのアドレスでもなんでもいいから、
親と話ができる受け皿も必要なんではないかと。
そう、逆に、
必要なアドレス持たせておいてよ、と思うところはありますね。
コメント

インターネットで出会った子どもたち:その3

2004年09月09日 | インターネットと子どもたち
さて、「インターネットで出会った子ども」の
女の子の場合なのですが。

まず、りぃさんという10歳の女の子のお話です。
彼女はわたしのHPに現れました。
メールフォームからメールを入れ、
掲示板に投稿を入れてきました。
2年前のことです。

わたしの娘はダウン症です。
これをHPで、どう記述するかなのですが。
まあ、ダウン症の、というのは簡単なのですが、
娘はその人生の中で、いちいちコレがついてくるわけです。
もちろん説明をするのについてくるのは当然なのですが、
ダウン症=娘、というわけではなく、
彼女は彼女として、まず一個の個性を持った人間なわけでして。
そこで、HPの説明文として、娘の記述に関して
「ダウン症という肩書きをもった」と入れてあります。

りぃさんがまず、メールフォームから入れてきたメールは、
この表現が「かわいそうだ」と
わたしを非難するものでした。

そして、掲示板に入れられた投稿が次のものです。

「感想が・・・。
 なんともいえないです。
 かわいそう。けど頑張って!
 ちぃちゃんは普通の子とお~んなじ。
 う~ん・・・・。
 ちぃちゃんへ手紙作ってみました。
 メール送ります。」


なお、この女の子の掲示板の投稿は、
サーバー故障による一部過去ログ消失により、
現在は閲覧することができません。

そして、約束通り
「ちぃちゃんへのお手紙」がメールで送られてきました。
メールは以下の通りです。
本来、私信の公開は避けるべきものとは思いますが、
要約が難しいことや、
この子自身を考える上で
解釈が様々なものになるだろうということもあり、
10歳の女の子という、
本来保護者の保護下におかれるべき年齢の子の
インターネット上の行動を考える上で、
そのまま出すことにしました。

「掲示板に書いたようにちぃちゃんへお手紙です。
 ちぃちゃんへ
 初めまして。りぃです。ちぃちゃんこんばんは。
 私も同じ10歳の女の子です。
 ある日のことを読んでちぃちゃんにメールしたくなりました。
 ちぃちゃん、私はいろ~んな病気の子とお友達だよ。
 顔半分が黒っぽい子もお友達としています。
 足が不自由な子。なかなか上手く話せない子。
耳が聞こえない子。心の病気の子。
お母さんのお仕事場はいろんな不自由なお友達がいます。
 私はたまにお母さんのお仕事場へ行って
いろんな子とお友達になったり遊んだりしています。
 楽しいです。
 もちろん普通の子ともお友達です。
ある日のことを読んでちぃちゃんのことを知りました。
 私はちぃちゃんみたいな子もいるんだなぁって思ったよ。
 ちぃちゃんははっきりいって普通の子だ思うよ^^
 普通にみんなから恵まれているんだから。
 世の中には恵まれない子もいるし恵まれている子もいる。
 不自由だからって気にしなくてもいいの。
 恵まれていればみんなとお~んなじ。
 私も恵まれているよ。
 1人の人に恵まれていればもう充分。
 恵まれていない子は例としてアフガニスタンで
両親をなくした子や、働かされている子だよ。
 その市長さん?はその子供たちを恵んでくれないの。
だからかわいそうにおもうでしょう?
 恵まれている子は一番幸せなんだよ。

 ・・・・・・・・・・

 ごめんね。意味わからなくなってきちゃったね。
 このくらいにしておこうか。

 とにかくまとめは
『恵まれている子は幸せ。特別でもなんでもない。
 不自由だってみ~んな一緒』
 ってことかなぁ。意味わからないんだけど・・・。
(自分でも・・・。)
 むずかしい説明でごめんね~。
 ちぃちゃん、これからも頑張ろうね^^
 みんな恵まれている子同士み~んなお友達だよ^▽^

 バイバ~イ

             りぃちゃんより」


感想は、お任せします。
ここで、わたしが引っかかることなのですが。

10歳の女の子の背後に、保護者が見えないのです。
文中に「お母さんの仕事場」と出てきますので、
それなりに障害を理解する経験は多いのかもしれません。

しかし、もし自分の子がこうした行動を取ったとしたら、
その子の年齢が10歳だったとしたら、
わたしは保護者として、先方に対して、
ご挨拶のメールを入れさせていただくと思います。

10歳の子に対して、
インターネットでここまで一人歩きをさせることを
先方の保護者がどう考えているのか、
非常に気になるところです。
メールアドレスはHotmail、姓名がしっかり表示されていました。

最後に、彼女から
「肩書きという言い方はかわいそうだ」と言われたことに対して、
わたしが入れた返信を出しておきます。

「肩書きね、
 そう言ってしまうのは、かわいそうかもしれない。
 でも、ちぃは、ダウン症の子どもっていう前に
 ちぃちゃんっていう女の子で。
 でも、ちぃちゃんが生きていく中で、
 『ダウン症の』っていうのは、いつも、くっついている。
 HPでは、
 この、いつもくっついてくる部分で、
 いろんなことを考えてみたい。

 それで、ずいぶん、考えたんです。
 どう、言おうかな、ダウン症ってことを。
 そんなこんなで、「肩書き」って言い方をしてみました。
 りぃさんの感想を読んで、このこと
 もういちど、考えてみようかなって思いました。
 これは、ちぃちゃんにきいても、
 あの子がこたえるには、むずかしいことなんです。
 だから、りぃさんの思ったこと、
 ちぃがどう思うか、ちょっと考えてみるヒントに
 なりました。
 どうもありがとう。感謝します。」


*追記*
この記事で、娘に対して「かわいそう」という記述が出てきますが。
彼女はけして軽いとはいえない知的障害を持っていますが、
自己をはっきりと持ち、誰に媚びることもなく、
堂々とした態度で自分の世界を切り開いていく、
ファンを多く持つ、むっちゃくちゃかっこいい女の子です。
わたしは我が子という範疇を越え、
この子の個性がとても好きです。
コメント

インターネットで出会った子どもたち:その2

2004年09月08日 | インターネットと子どもたち
インターネットで出会った子ども、
「その2」は、トリック君です。
http://plaza.rakuten.co.jp/dadada/

彼と出会ったきっかけですが。
わたしが出入りする掲示板に、ある日彼が現れて、
そこの管理人に「ヘルプ」を頼みました。
管理人はこれに応えられる状態でも、
すぐにレスを出せる状態でもなかったので、
わたしが代役をかって出て、
彼のお願いを聞いた、と。

まあ、そんなことがあって、
彼の存在と、彼のページを知ったわけです。

このとき、彼は12歳。
小学校の卒業式が終わり、中学の入学式はまだ、
という時期です。

実は、わたしは、この「お願い」の投稿と、
その後の「お礼」等の会話の中で、
彼が子どもだとは、ちっとも気づきませんでした。
実にきちんとした態度で会話をする方でした。
彼に自分のページの存在を教えられ、行ってみて初めて、
彼の年齢を知り、驚きました。
当時の彼のページには、
国立大学の付属中学に合格し、そこに進学する喜びにあふれていました。

さて、彼のページはゲーム関連のコンテンツにあふれ、
アクセス数もかなり多いようです。
ということで、「荒らし行為」も数々経験しています。
彼はこの「荒らし行為」に関して、
きちんと対処しながら、育っていっているのが
彼のページと彼の行動とを見ていると、よくわかる。

保護者の介入というのは、
彼のページや、彼との出会いの中で
ほとんど見ることはありませんでした。

しかし、彼のきちんとした対応や、行動を見る限り、
彼の主体性を持った行動の背後に
すばらしい「相談相手」として
存在しているのではないかと思われます。

また、彼のページのリンク欄には出てこないのですが、
彼がよく出入りするのだと言っていたページがこちらです。
http://www.nurs.or.jp/~gatoo777/index.html
彼はここから、自ら「育つもの」を見つけていった、
そういう部分があるのかもしれません。
コメント

インターネットで出会った子どもたち:その1

2004年09月07日 | インターネットと子どもたち
インターネット上で、
わたしが実際に出会った「子どもたち」について、
紹介していきます。

まず、こちらの「ユウト」さん。
http://gatecity.gaiax.com/home/yuuto/main

これは、彼が14歳の時に開設されたページです。
その後、何度も改良をされて、現在の形に至っています。
尚、このページは、
ガイアックスというコミュニティサイトのサービス終了と共に、
消えてゆくことが決まっているページです。
彼の経験・経緯に関しては、
このページのプロフィール部分に詳しく書かれています。

わたしが彼に出会ったのは、4年前。
何も知らないままに、コミュニティサイトでHPを開いたばかりの頃です。
出会いのきっかけは
彼のサイトの人気コンテンツの一つであった「初心者の館」を
わたしが見るために訪問したことです。
この「初心者の館」というコンテンツは、
今はもう、見ることはできませんが、
4年たった今でも、その中心とする内容ははっきり覚えています。

・いいHPとは、伝えようとするものがしっかりと存在しているもの。
・悪いHPとは、閲覧する人間を考えない、自己満足のテクを並べ立てているもの。

そして、「悪いHP」の例を実際に作って見せ、
どう悪いのか、論じていました。

その明確な主張に、
15歳という年齢に対して、正直なところ、かなり半信半疑でした。
でも、わたしにとっては、実はそんなことはどうでもよく、
こちらの「初心者の館」で素直に頭を下げ、必要なテクを学び、
一度だけ、掲示板にそのお礼を伝えたことがあります。

彼は、すぐにわたしのページを訪問し、
「いいHPですね」で始まる、数行の言葉を残していきました。
その時点で、わたしは、彼の年齢など、本当にどうでもよかった。
この言葉で始まるコメントというのは、
彼の「初心者の館」を読んだものならすぐわかる、
彼からの賞賛でした。
わたしは彼が彼のHPで提言するものに共感し、彼から学び、
そして「師からほめられた」喜びでいっぱいでした。

彼が自分のHPのテーマにした「創世者の集うところ」。
彼はこのことを少しずつ形にしていき、
このページは彼にとって、「過去のもの」になっていきました。

もうすぐ、このページは消える。
わたしはこのコミュニティサイトの終了のニュースから、
このページとの別れを思い、
彼のこのページを数年ぶりに訪れ、
改めて、彼に「出会えた喜びとお礼」の言葉をメールで伝えました。
現在の自分のHPのアドレスを載せて。

お返事はすぐに返ってきました。
彼の年齢らしい文章で、過去を回想し、
そして、わたしの現在のHPに訪問した報告と共に、
「いいHPですね」と、
「4年前と同じ感想を持ちました」と。
「伝えたい想いや目的があるサイトというのは
 心に響くものだし、記憶にも残るものなんですね」と、
そしてそういうものが本当に「良い」サイトなんだと思うと述べられ、
わたしはまた、「師からほめられた喜び」に、
胸がいっぱいになりました。

彼は彼のHPにおいて、
「HPというものは、伝えるものがはっきり存在するべきだ」
と、一貫して主張していました。
これは、何よりも、彼自身が、インターネットに対して、
はっきりと目的を持った行動を取るための媒体と、
確実に認識していたからなのではないかと思います。
それは、本人が「作る」前に、
これから作るページのテーマをきちんと構想していたことからも
うかがえます。
また、彼はネット上で自分が積み重ねる経験の中で、
常に前向きに新しいことを見つけ、
そして育っていったのだと思います。

HPというものを開く前から、
彼はインターネットというものに対して、
目的を持った行動を取っていたのでしょう。
また、彼が育っていく中で、彼の家庭というものが
彼にきちんと「思考する力」を育てていたのではないかとも
思われる出会いでした。
コメント (3)

インターネットと親の現況

2004年09月06日 | インターネットと子どもたち
子どもとインターネットというカテゴリーを作ってしまいました。
なんだか、奧が深いというか。

保護者がわかりやすい「子どものためのインターネットのマナーとルール」ブック。
これは必要だと思うのですが。
さて、実際に、わかりやすいと思われるものを作ったときに、
「それがどう保護者にわかるか」、ということで考えてみると、です。

さて、わたしが感じる、
インターネット使用の、
現在の小中学生の親の状況ということで。

去年、6年生の保護者の懇親会に出たときのことです。
現在の中学1年の親ということになりますね。
その日は、卒業行事の話し合いがされる予定だったので、
通常の懇親会より、出席率が高かったのですが。

その場で、本題に加えて
あるクラスの懇談会で話題になったことを、
学年の親が集まっている懇親会で、
問題定義された方が再度話されるという機会がありました。

インターネットに常時接続している家庭が増えている。
子どもが友達同士でメールの交換を始めた。
ある子どもが、複数の人間にメールを送った。
その時に、アドレスをBCCにしなかったので、
アドレスが全員の子どもに公開されてしまった。
そのことでトラブルになった。
子どもにPCを扱わせる前に、そうしたことを
各家庭できちんと事前に教育することが必要なのではないか。


はい、ごもっともでございます。
その通りで、ございます。

わたしが座っていた場所の周囲の反応ですが。

「お宅、パソコン、買った?」
「まだよ、お宅は?」
「うちはあるけど、パパだけよ、使ってるの。」
「アタシ、ウィルス開いちゃって、パパに怒られたことあるのよね。
 それ以来、さわっちゃいけないことになっちゃったわ。」
「メールってパソコンでやってんの? 子ども。」
「やってる子? 女の子じゃない?」
「びーしーしーって何?」
「おにーちゃんが使ってるんだけど、アタシはわかんないわ。」
「ウチの子が使いたがったら、おにーちゃんが嫌がるだろうし、
 二台買わなきゃならないのかしらねえ。」

なんか、もう、大騒ぎで、
話してる人の声は、ほとんど聞こえない状態になりました。

つくづく必要だと思いましたねえ、
親のためのインターネット実践講座。
この小学校は、学校が光回線を引いていて、
パソコンルームでは、子どもが「検索」機能を使い始めてるんですけどね。

子どもに対して各家庭が教育といっても、
インターネットでのマナーや使い方というのは、
自分が使ってこそわかるということが多く、
大半の母親は、「使う」ということの動機付けが無い。
使ってこそわかるという土壌になること自体が
難しいのかもしれないと思ったり。

母親という立場の人間の携帯のメールの使用率は、
ここ数年で、飛躍的に増えたというか。
それで済んでしまってるところも多いのだろうなあと。

学校で教育と言っても、
教師がどこまで、実践的にインターネットを使っているのか
疑問でもあります。
やはり、百科事典の域を超えていないのではないかと。

わたしを含め、
障害児の親というのは、一般的に、
普通の子どもの親よりは、インターネットの活用率は高いと思います。
それは情報収集のための「検索」や「メーリングリストへの参加」、
「同じ立場の人間との交流」等、
目的と需要が高いからではないかと。
周囲の普通の子の親に、
「どんな時にインターネットを使うか」と聞くと、
父親ではなく母親が使う家庭というのは本当に少なく、
母親一人で使うというケースの場合でも、
メール使用以外は
CD情報の検索、映画館の時間の検索、ショッピング等、
それから、テレビでURLが紹介された番組の詳細情報、
せいぜいがそんなモンなんですよね。
メールを使用している人でも、
BCC等の機能を知っていて、使いこなすなんて人は、
希少価値という状態なんですよね。

もっと下の学年の、親が若い世代に入ると、
もう少し、違うのかもわかりませんが。

そんな環境の中で、
子どもが2ちゃんねるに接続していたりします。
無料登録のコミュニティサイトにHPを作っていたりします。
上の子がいる家庭で、上の子が下の子に教えることが
子どもの間で伝達されていくというか。
大半の親が、多分ついていけていないのではないかと。

難しいなあと思いますね。
コメント (26)

インターネットと子どもたち

2004年09月05日 | インターネットと子どもたち

BLOGはじめますた
さんのところで「めざせクールなブロガー」という記事を読みまして、
子どもの教育ということで思ったことなのですが。

インターネットの世界で、わたしはよく小学生を見かけます。
大人の管理する掲示板に入ってきて、
勝手な言動をくり返す子も少なくありません。
また、そうした子どもの言動から、
ネット上の子ども同士でのトラブルも垣間見ることができます。
親の存在と指導が全く見えないまま、
ネットサーフィンをくり返している様子がよくわかる。

目に余る行動をする子どもに、丁寧に言い聞かせたことは一度や二度じゃない。
「インターネットを利用する子供のためのルールとマナー集」を読めと言ったこともあります。
わたしの遭遇した子どもたちは、このページの存在を知らずに徘徊していました。
このページが最良というわけでもないけれど、
保護者は何らかの指導をした上で、ネット環境に送り出して欲しい。
PCにさわっているのが日中の時間帯だとしても、
夜の盛り場に子どもを一人で送り込んでいるようなものだ
という認識くらい持って欲しいです。

そこで出てくる、事前に必要な教育なのですが。
「インターネットを利用する子供のためのルールとマナー集」では、
「掲示板には参加するな」「参加するときは保護者と一緒に」という記述になっています。
しかし、これは非現実的で、難しい。
ダメと言っても、ネット上には、何年も前からこちらのサイトのような、
小中学生を主としたサイトがいくつかあります。
無料のコミュニティサイトで自分のHPを作る子もたくさんいます。
そこで「掲示板には参加するな」と言っても、
それはまるで「廊下を走るな」と同様なのではないかと。

保護者の自分の子どもに対しての教育を、
と言っても、OEすらきちんと扱えない母親はたくさんいます。
そのことが、子どもをどんどん単独行動に向かわせていく。
保護者にわかりやすい、子どものためのルール集が
今、必要とされているのだと思います。

さて、子どものためのルール集の内容ですが。
マナーの記述に関しては、たいがいが子どもの中の「善意が前提」になっており、

実はそこに盲点があるのではないかと。
小学校の高学年から中学生、
この年代は、「悪意を持つ危険の高い年代」と
そう思ってとらえた方が現実的なのではないかと、

そう、わたしは思うところがあるのです。

「相手に思いやりを持った行動を」ということが中心的になり過ぎるのは、
現状から考えて、教科書的過ぎて、非現実的な気がします。
「お友だちと仲良くしましょう」と何度叫んでもイジメは存在する。
それを考えれば、
「悪意を持つ危険の高い年代」と認識した上で
ネットというものを教えることの方が現実的なんではないかと。

身近で起きたことですが。
簡単に作れるコミュニティサイトのHPの掲示板で、
「○○中の○年○組の○○(実名)が気に入らない」
そうした記載と共に、顔写真を載せました。
親は気づかず、子どもたちはコトの重大性に気づかず、
削除の処理が遅れました。

これはそんなに特別なこととは思えません。
長崎の事件の後で、
同じようなことで、思い当たることがあると言った親は
わたしの周囲には何人もいました。
ネットを陰口の場所に使う、
特定の人間をこき下ろす場所として使う、
親が目が届きにくい場所で、
自分の子どもがインターネットに関してそうした使い方をしていることを、
あの事件の後で、自分の子どもに対して、知ったと。

みな、特別な子どもではない。
「普通の子ども」と言われる子どもばかりです。

悪意を悪意と認識してやっている行動でした。
そして、最初は小さな悪意だったものが、
集団になっていく中で、悪意の認識が薄くなっていく。
そして、その攻撃の武器の危険性に関してはうとい。
これが周囲の大人の感想でした。

「善意が前提」という教育も大事でしょう。
でも、悲しいことに、
「悪意が前提」という教育も必要なのが現状なのではないかと。

インターネット上で使われる文字や言動は、
「伝える道具」ではあるけれど、「攻撃の武器」になることがある。
この「攻撃の武器」という面の危険性を具体的にしっかり教えることも、
とても重要なのではないかと思います。
コメント (8)