S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

閉鎖を選んだあなたへ

2005年11月30日 | つぶやき
 はてなダイアリー、閉鎖されてしまったんですね。はてなのRSSはまだ動かしていらっしゃるようなので、お手紙です。

 あなたのところは、はてなブックマークで見つけました。一度、トラックバックを送らせていただきました。反応はしていただかなかったけれど、その後、わたしのところをRSSに入れていただいたのを知って、あのトラックバックをどんな風に受け取られたのか、などと思っていました。

 あなたのところを見つけるきっかけになったはてなブックマークですが、わたしはあなたの上げるものに関してのはてなブックマークを、ひとつひとつ特に見ることが無かったので、あなたのエントリーに寄せられたコメントの数々の存在に気づきませんでした。わたしはもともと、はてなブックマークをそんなに見る方ではないんですよね。それでも、時々、熱心なブックマークユーザーのブックマークなど眺める。また、話題になっていることに関して、はてなブックマークで検索をかけたりする。そんな「時々」の折りに、わたしはあなたのところをはてなブックマークで見つけた。これもご縁なんでしょう。

 今回、閉鎖を知り、思うところあって、あなたのブログ名を入れてはてなブックマークを検索しました。そこに記載されている「このエントリーを含む日記」を、ひとつひとつ閲覧しています。あなたが書かれたものによって生まれ、残されていったものを、跡をたどるように読んでいます。

 あなたは、あなたの思うところと決心で、閉鎖されたのだと思う。でも、わたしは、再読したいものが消えてしまったこと、とても残念です。それでも仕方のないことと、あなたの判断に沿おうと思います。
 閉鎖によって、ひとつのブログと別れを告げる。さようなら、お元気でね。

危機の記憶

2005年11月27日 | つぶやき
 ’70年代前半の頃のこと。わたしは6年生だった。私学の中学受験のために通う塾の帰り、夜の8時過ぎ頃だったか。場所は京王線の新宿からすぐ近くの急行停車駅の駅前。急激に開け始めていたそこは、駅前に大きなテナントを持つマンションが建っていた。建物にエレベーターが設置されること自体まだ珍しい頃で、無人のエレベーターを子どもがおもしろがって乗り、そのことが問題になるような頃だった。そのビルには当時全盛期だった渡辺プロダクションの事務所が入っていて、駅前でタレントがうろうろしていた。通りを隔てた反対側にも大きなテナントビルが建ち、その一階には紀伊国屋書店が入っていた。その二つの大きな建物をはさんだ通りには、平日の夜にも常時、ホットドッグ屋の車がいて、焼きたてのホットドッグを売っていた。

 いつものように塾からの帰りを急ぐ。駅から近くに自宅があったわたしにとって、明るい駅前と、人気のある商店街を通れば危険は何もないはずだった。前述の二つの大きな建物をはさんだ道を歩く。「道」というよりも駅周辺という場所だった。

 突然、知らない男がわたしの腕をつかんだ。何事かと瞬間体が固まる、つかんだ腕は、わたしの手を強い力で握りなおした。そして手を握って、わたしをどこかに連れていこうとした。

 体全体が恐怖で叫ぶ。しかし不思議なことに声は全く出ない。声帯から喉にかけて固まってしまったようだった。叫ぼうとしても声を出そうとしても、息の音すら出ない。足を踏ん張ろうとしても、強い力で握られている手の力と、男の動きの勢いの方が強い。その男の足で二三歩程度、わたしは引きずられたような気がする。

「何をやってるんだ!」
ホットドッグを売っていた男の人が、ホットドッグを売る車の中から叫んでいた。
わたしの手をつかんでいた男が半ば笑いながら「妹だよ、連れて帰る」と答える。そしてわたしに言った。「おにいちゃんだよな?」

 アンタなんか知らない。その手を放して欲しい。でも、わたしの喉は固まり続けている。男はわたしが了解しない作り話を続けている。ホットドッグを売っていた人はそれを聞こうともせず、わたしに問いかける。
「そうなのか? おにいちゃんなのか?」
 固まり続けるわたしの喉をたたき起こそうとするかのような勢いで、ホットドッグ屋の男性がわたしに向かってまっすぐにそう叫ぶ。それでもわたしの喉は恐怖に固まっていて、その固まりはいっこうに解けない。気持ちはどれだけ叫んでいるのかわからないのに。

「ちゃんと言え! 自分の身は自分で守れ!」
 そんな感じのことを、この男性が怒鳴った。魔法が解けたかのようにわたしは叫んだ。
「こんな人、知らない! 放して!」

 強い記憶として残っているにもかかわらず、わたしには深い後悔がある。わたしはこのことを親にうまく話せなかった。いや、話したという記憶も怪しい。話すということで事実を再認識してしまうことを怖れて、口をつぐんだような気がする。記憶ということにも、長い間蓋をしたような気がする。時間が流れるという距離をおかなければ、自分でも認識できないような記憶だった。わたしを連れていこうとしたこの男の顔も風体もよく思い出せないのは、多分自己防衛のひとつなのだろうと思う。でもそれは全て後になっての解釈、言い訳のようなもので、本来は、すぐに親といっしょにわたしを助けてくださったこの方にきちんとお礼にうかがわなければならなかったのに。失礼をごめんなさい。本当に本当に、ありがとうございました。

 小学生が殺される事件がまた起きた。わたしは子どもたちに教えた護身の方法を、子どもたちに再度教える。この方法を小学生だったわたしが知っていたら、もう少しなんとかなったかもしれない。でも最後には「運」も左右するんだろう。報道を見ながら小さな命の冥福を祈る。

CD購入

2005年11月26日 | 音楽
 BUMP OF CHICKEN ですよ。
 11/23発売の新曲、買っちまいましたよ。
 supernova / カルマ

 前作の「プラネタリウム」で、レンタルで借りてきてからその後に購入というまだるっこしいことをしたので、今回は発売日購入。自分だけのジャケット、自分だけの歌詞カードという当たり前の幸福感。お金を出して買うのは曲だけじゃない。

 ネット上で紹介されている、この新曲のインタビュー動画なんぞを見る。
Yahoo!ミュージック ミュージックマガジン コメント映像
BARKS アーティスト特集 メッセージ映像
ORICON STYLE インタビュー&コメント
 このインタビュー、どれも笑える。この人たち、自分たちでも言っているけど、「曲について」言葉で話せない。曲と全然関係のない自分語りなんぞに笑いながら、受け取るのはこの言葉。
「僕らはあなたに手渡した。そこで始まるのはあなたの物語。」
新曲を繰り返し聞き、今までのを引っ張り出してきて聞き。
またしばらくBUMP漬けになりそう。

回想

2005年11月24日 | つぶやき
 姑が入院する病院に行く。車で行く。
 病院は、駅からバスを使わなければならない場所にあり、バスで多分30分近くかかると思う場所にある。
バス停までも10分ちょっとは歩かなければならない。
時折、疲れた顔で病院を出て、バス停を目指して歩こうとする方に声をかける。
「駅までお送りしましょうか。」

 10年以上前、娘が半年以上に渡る入院をしていたときに、わたしは免許は持っているが全くのペーパーで、免許を持たない人間と同じ状態だった。
車で行けばすぐ近くの病院に、電車とバスを乗り継いでいく。
幸い、病院の敷地内にバス停があったのだけれど、多分疲れた顔で帰宅のためのバス停に立っていると、同じような面会帰りの方に、時々声をかけていただいた。
「駅まで送りますよ」
バスを待つ時間以上に、気持ちがやわらかに助けられたことを、よく思う。

「駅までお送りしましょうか。」
 不審がられたことも、断られたこともなく、同乗していただく。面会という共通の体験が結ぶものかもしれない。
わたしは自分がそうして、他者の車に乗せていただいて、助けられた日々のことを簡単に話す。
話しながら、こみあげてきそうになるものを、気づかれないように、ぐっと抑え込む。
仕方のないことを仕方のないことと認識し、今やるべきことを優先しながら淡々と暮らしたはずのあの日々。
しかし実は、本当には淡々としていたものではなく、自分を助けるためにそう思い込もうとしていただけなのだったのではないだろうか。
10年以上の月日が流れてから、こうした小さなきっかけでふと気づかされる。

「障害」を受け入れる

2005年11月23日 | 「障害」に関わること
 現在入院中の姑が、どうやら「障害者」という立場になる模様。退院時には車椅子生活を余儀なくされるだろうという話が月曜に出る。
 同居する義妹は動揺しつつ、動揺していない。姑本人も動揺しつつ動揺していない。「障害」という事実に対して、「こういうことに関してはSちゃんに任せておけば問題無い」と、姑も義妹も当たり前のように微笑む。
 すごいなあ、と思う。娘の出生と告知から14年。姑も義妹も、年数の流れの中でゆっくりと「障害児の家族」として「障害」を日常としてきたのだなあ、と思う。そのことは、新たにやってくる事実に対しても、不必要な怖れを抱かせない。
 確かにこの姑にやってくる「障害」を聞いたときに、わたしの頭を駆け巡ったのは、利用できる制度と自分が相談できる既知の人間関係にある専門家の顔だった。建築関係を職種とする夫はこの話を聞いた時点で、すでに家のリフォームの青写真を描き始めている。頭は事実に対しての動揺を飛び越えて、「次にどうする」のステップを確実に踏み始めている。
 何を言わなくてもそのことが、姑と義妹に対して安心感を与えているのだなあと、穏やかな顔で横たわる姑と笑顔で話す義妹を見ながら実感として思う。
 「障害」に伴い発生する可能性のある「不便」を解決する思考と、特別視せずに受け入れようとする日常があれば、「障害」はけして怖くはない。

「タミフル報道」に思う

2005年11月21日 | つぶやき
 ここのところ、インフルエンザなんぞについて考えている。きっかけはタミフルに関しての過去記事 へのアクセスの多さ。これはタミフルに関しての副作用の報道が関係しているのだと思う。
 この報道の副作用に関しては、今年の2月末だったかに、人に聞いて タミフル服用後に・・・ /カンガエールネット を読んで知っていたので、なぜ今さら報道だったのだろうと漠然と思っていた。このときにスレッドをたてられた方が副作用例として認められたのだなと思いつつ、新型ウィルス流行の可能性を論じられているときにこの報道が出てきた意味などを考える。単なる報道としてではなく、不安を煽る報道なのか、という意味で インフルエンザ薬:タミフルで異常行動死 少年2人」どの薬にも「重大な副作用」がある。/JIROの独断的日記ココログ版 は正論だと思う。
 薬の副作用というものは、確率の問題というものがあって、メリットとデメリットを天秤にかけて選択する。これが流行性の感染症に関しての場合は、個体のメリットとデメリットに加えて、集団のメリットとデメリットというものが発生する。前者の場合はデメリットに関しての意味が大きく、後者に関してはメリットに関しての意味が大きい。このあたりが個人が考える上で難しくなるポイントなのではないかと思う。 そして最近の動向に関しては、新型ウィルスの発生の可能性というものが関与してくる。「飲まないという個人の選択は、集団のデメリットを引き起こす」という要素が発生する。
 ただ、ここでひっかかってくるのは「飲むか飲まないか」ではなく、「飲ませるか飲ませないか」ということ。つまり子どもに対してのこと。これは自分自身が「飲むか飲まないか」というよりも、はるかに難しいところがある。子どもに飲ませて重大な副作用が発生した場合、誰が何を言おうとも、飲ませた保護者は孤独を抱えていく。
 どんな確率であろうと、「1」が発生すれば、それは「1」なのだと思う。「0」ではなく、そこには事実がある。しかし「安心」は「1」を「0」と同等に扱うことで得ることができ、集団のメリットは「1」を「0」と同等に扱うことを前提に動く。
 確率という運命の犠牲。医学の進歩は人に平等には作用しない。新しい試みで救われる命もあれば、そのはざまで失われる命もある。それだけのことと言ってしまえばしまえるのだけれど、そう言ってしまうにはひとつの命の存在は、その周囲の人間にとっては大きすぎる。このことは簡単に忘れられるものでもない。せめて命が伝えるメッセージをと思うだろうと思う。そのことが単に恐怖をあおるものになるのでは救われない。「薬というものは常に万能ではなく、メリットとデメリットとを天秤にかけることで存在しているということを忘れない」ということにつながっていくものになることを、個人的には望みたい。 

*参考リンク
 S:今日の一言 2005-11-18

トラックバックにお返事

2005年11月11日 | インターネット雑記
 大胆な表現をちりばめた記事「無断リンク論争の余波」に、早々にトラックバック受信。
特に記載は無いのだけれど、文中からご本人と判断。
以下、そう判断させていただいた上で。

失敬な表現を書き連ねた記事に対しての、丁寧な対応に感謝。
 また、あのサイトだけはわからない背景も、理解。願わくば、インターネットという大海に出していく上で、この背景と主旨も書き連ねて欲しかったです、方法論に関しては別としても。
■[etc]それはもう2ヶ月も前に/quintia essentia
もう2ヶ月も前に、教育委員会のサイトにある問い合わせフォームから「そのような運用規定で運用できているんですか? 見直しをするべきではないですか?」という内容で問い合わせをしているのに返事無し、変化無し

 それならば、さらに「上へ」です。市に意見書という形を持っていく方法を、わたしなら取ります。該当の学校HPを丹念に閲覧、あれは無断リンクに関しての記載以外にも問題があります。ごめんなさい、わたしはこのことを、記事上げ後に気づきました。このことは閲覧されてお気づきだと思います。わたしがあの学校に子どもを通わせる保護者ならば、だからこそ、こういう形でのリンクはして欲しくなかったとも思いました。
こんな回答をする学校にネットリテラシーの教育をまかせていいんですか? という問題提起を併せてして欲しかった、というのが正直な感想。
 この考察を提言するのなら、そういう反応を引き出せるような記載というのも必要だったと思います。わたしは「おもしろがっているように」見受けられました。
 
 さて、行動です。
自治体に対しての行動は、「こうした方が」「これがおかしい」という「一市民の意見」に関しては、流される場合が多いです。流されないための行動は、具体的に提言が達成されている他の自治体の「実例」を持っていくことです。
「ここの自治体はこうである、これはこのことについて実現されている、しかしうちの自治体はどうなのか見解を疑う」
これをひとつの自治体の、複数の窓口に持ち込むことが、効果を持つ可能性が高いです。

 ご参考までに。
横浜市教育情報ネットワーク【Y・Y NET】

以上、■[etc]それはもう2ヶ月も前に/quintia essentiaに、トラックバックです。

「無断リンク論争」の余波

2005年11月11日 | インターネット雑記
 ネット上のあちこちで、今、「無断リンクは是か非か」論争が起きているようですが。

 ちょっと腹立ってます、ワタクシ。
◆W3C/br2xuY
無断リンクは是か非か
許可してください
メールで聞いた
 この 「メールで聞いた」 というものに、腹、立ててるわけです。

 あのね。学校って何をするとこか知ってる?
 公立の学校の職員は全て、税金で雇用しているって知ってる?
 無断リンクについて考えるのはいいよ。考察もいいよ。個人の自由。
 でもね、学校本来の業務とは違うことで、公立の学校職員の時間を使うってのは、税金の使われ方としてどうよ。

 いや、言い直すよ。
 学校本来の業務とは違うことで、公立の学校職員の時間を「奪う」ってのは、税金の使われ方としてどうよ。
 
 本当にリンクしたいうんぬんってことじゃなくて、「実験」に、義務教育の場である「公立の小中学校」を対象にするって、どうよ。

 無断リンクうんぬんの前に、その行動って、どうよ。

 わたしの知っている風景として、「学校にこのメールが届いたら」と考える。メールを開いた人間が校長に報告する。校長は教頭や教務主任等、管理職と相談する。メールを開いた人間は、同僚の教師とこの話をする。校長は教育委員会と話をする、管理職として自治体の職員と話をする。学校のサイトは自治体のサイトのコンテンツなのだし、校長は「中間管理職」だ。

 この全ての時間に関して、この迷惑行為って、どうよ。

 そしてPTAの主要な役員が集合する実行委員会でも、学校からの報告としてこのことが案件になるだろう。無報酬の多忙な人間の時間を、そんなことの報告を聞くために集まっているわけではない人間の時間を、そうやって「奪う」って、どうよ。
 そして集まった保護者たちは、この突然の「不可解なリンク依頼」が、子どもの安全を脅かすことにつながるものかどうか、警戒姿勢を持つだろう。
 わけわからん人間が次々に出現する中、突然の集団下校や、保護者送迎の必要性が出現、なんていうニュースは、しょっちゅう報道されているじゃないか。

 無断リンクうんぬんの前に、「愉快犯」ではないのか、あなたの行為は。

 学校は、児童・生徒の教育のために動いているもので、児童・生徒の存在がある以上、慎重になるのは当たり前のこと。
 その慎重さを逆手に取るって、どうよ。

 自治体の公式サイトが無断リンクに関してどういう見解を持つのか、そういう「研究」をしたいのなら、自治体に行って聞いてこい。

「変」なのは、ダメですか?

2005年11月10日 | 自力通学
 娘の自力通学ですが、最近、驚くほど安定しています。
自力通学カテゴリ に上げたような数々の「冒険歴」への挑戦も、すっかりなりをひそめました。最後の自主的な「冒険」は、「ご褒美」の記事に出した「未知の駅で降り、自分の意志で反対方向の電車に乗り換えてルート修正をし、30分遅れで登校」になっています。
 昨日、学校からの連絡帳に、娘の電車の中での「行動」に対しての「指導の必要」が書かれてきました。娘の通学中の電車の中での様子が、「電車の中を歩き回る」ということで。
 はいはい、これはわたしは「既知」なんですよね、気づいていないわけじゃなく。なんでだか、あの方は、登校中の電車の中で、車両の中を歩き回る。ある程度歩き回ると、ちゃんと一箇所にとどまったりするのですが、乗ってしばらくの間は、なんでかわからんが、ずんずんと歩き回る。
 わたしはこれを「情報収集活動」と容認。本人が本人なりに「情報収集活動」を行い、そして「あれがこの行動の成果だったのか」ということは、これまでにたくさんあった。この「情報収集活動」は、活動中においては「わたしの理解を超える行動」であることは、よくあるんですよね。だから、もう、「情報収集活動中」に関しては容認傾向が強くなってきているわけです。
 実際、電車通学を始めてから、突然の遅延や電車事故でのストップもあった。先月にも一度、あったんですよね。でも、何の問題もなく対処してる。これは日常の電車通学の中で、本人が「情報収集活動」を行ってきた結果であると、わたしは解釈しているんですよね。実際、誰の支援も受けずに、単独で対処しているんですから。
 登校中の電車の中で、「普通の人が一箇所にとどまり、静かに立っているのが普通」であるところを「歩き回るのは変だ」ということがある。これは当たり前のことなんだと思う。
 でもね、
多少「変」でも、いいじゃないか、とも思うんですよね。本人にとって「動機」がある行動なら、その「動機」自体が満足すれば止まるだろ、と思う。実際、やたらに動いてから「止まる」んですよね。
わかっていることは、わたしにはその「動機」がわからない、ってことなんですよね。でも、本人にはわかってるんだろ、と思う。
わたしが娘本人だったら、わたしの「動機」もわかんないくせに、行動の結果だけでごちゃごちゃ言わんで欲しい、と思うと思う。だからもしも「親」がその行動を注意しても、「親」がそばにいなきゃ、やる、でしょうね。
 だから、わたしは容認する。この程度の「容認」くらい受け入れる社会であって欲しいと思うんですが、ダメなんでしょうかねえ。
 わたしは娘に、別に「普通」にならなくったって、いいと思うんですよね。「変」なら「変」でいいじゃないか。「『変』だから止める」ってのは、娘の判断と意志に基づいた行動であって欲しいと思うんですよね。
 電車通学をさせるようになってから、スカートをはいた状態での「お行儀」が、格段に良くなった。これは「電車の中の社会」での女性をよく見ていることからきているものだと、わたしは解釈しています。だからそのうち気づくだろって思うんですよね、電車の中じゃ、誰も歩き回ったりしないってことに。
 わたし自身、娘と共通理解が可能な言語で、娘に「歩き回ったらいけない」という「理由」を説明することができないんですよね。言葉で伝えるとしたら、実際の現場で「ダメ」「動かないでそこに立っていなさい」くらいしか言えない。「おかあさんがいない時でも一緒」って言葉自体、もう理解できない知的レベルなんだから、どうにもお手上げなわけです。
 だからさ、「変」でいいじゃないか、って思うんだけど。車両の中に居合わせる人が全て顔をしかめるって感じの混雑時ならわかるが、実際座れるほどすいてるんだから、車内。
 「指導」は「指導」で、確かに「指導」は大切なんですけどね。でも、「本人の行動に対して、本人の意志・目的重視」ってことが、わたしには「変な行動」よりも優先されるんですよね。
 社会もさ、こういう些細な『変』の存在に、慣れて欲しい。まあ、特にたいしたことでもないが、ちょっとわけわかんない行動をする人がいるぞ、と。そうした程度の『変』を、受けとめる社会であって欲しいと思う。これは知的障害児の親の我が儘なんでしょうかね。

「障害」と「支援」と「自尊心」と

2005年11月08日 | 「障害」に関わること
 娘がまだ幼児期の頃のことだったと思う、息子がまだ生まれてなかったので1歳か2歳かそこらの時のことでしょう。抱いていなかった記憶があるので、恐らく2歳は過ぎていたかもしれません。
 娘のリハのために定期的に通っていた、自治体の就学前の障害児の通所施設の近くに、大きな郵便局があった。そこの窓口から何かを送ったときのことだったと思う。
 わたしの前に高齢の方がいらした。小包を出そうとされていた。手に抱えられるくらいの小さめの箱をきちんと紙でくるんで、麻紐で十字に縛り、マジックで住所が書かれてた。ゆうパックが出始めの頃だったと思う、ゆうパックが無い時代はみんなそうやって、十字に紐でしばってマジックで住所を書いていたなあと何気なく見ていた。

 郵便局の局員が、ゆうパックの伝票を出してその方に、視線も合わせず早口で何か言う。この方は身を乗り出して聞き返す。また局員が何か言う。またこの方は聞き返す。そしてこの郵便局の局員は乱暴にその小包を突き返し、ゆうパックの伝票を半ば乱暴に投げて寄越す。困惑したこの方は、また弱々しげに局員に聞く。局員はそれを無視し、「次の方」と言う。この方は突き返された箱を抱えて、呆然と下を向き、立ちつくす。
 ふつふつふつふつふつ、どっか~~~ん。と、わたしはキレました。
 当惑しながらこの箱を持ち呆然とするこの方ににっこりと笑顔を向け、「ちょっとこれ貸してくださいます?」と聞き、それを奪い、局員に乱暴にそれを示し「何が問題だ!」と声を荒げる。局員は当惑しながら、「ゆうパックの伝票を書いて貼って欲しい」と言う。「あなたはこの方がおわかりになるように説明なさったのかしら。どう見たってそうは見えませんでしたけど」
「この局は、こういう方に門前払いをする郵便局ですか!」
場は騒然としていました。

 件の方の腕のあたりをそっと取り、声を届けるような話し方で話しかける。
「箱に住所を書くのではなく、この伝票に書いて貼って欲しいんだそうです」
「ああ、そういうことだったんですか」と言いながら、この方が、やっと納得したように息を吐く。
「ここではなく、あちらでゆっくり書きましょう」、と、わたしたちは、振込やらなんやらを書く台のそばに行く。
 この方、何度も何度もわたしに繰り返し繰り返し、言っていました。自分は耳が悪い。年を取ってすっかり耳が聞こえなくなった。

 それの何が悪い。
 なんであんな、役立たずみたいな扱いを受けなきゃいけない。

 小包の箱には、丁寧に、太いマジックで几帳面な字できちんと住所が書かれていました。それは役に立たない、認められない、伝票に書き直さなければいけない。
 伝票の小さい枠を慣れない様子で見ながら、「どこに書けばいいのか」と聞く。「ここに郵便番号を、ここに住所を」とゆっくりとお伝えする。
 「わたしは耳が遠い」とまた、くり返す。繰り返しながら「あなたの声はよく聞こえるねえ」と少し微笑む。
くすくすっと笑いながらわたしは何も答えず、でも心の中では(伝えようとしているからだ)、と、思う。

 2人で窓口に再度向かう。局員は立ち上がり、わたしに頭を下げ「申し訳ありませんでした」と言う。なぜでしょう、当のご本人ではなく、わたしに頭を下げる。
「頭を下げる相手が違う」と答える。

 所用を済ませ、郵便局を出て、思った。
あの、「わたしは耳が悪い」とくり返す高齢の方は、きっと若い頃、障害をもつ人間を役立たずと決めつける生活をしていたのだろうな、と。
「耳が悪い」と、堂々と支援を要求できない姿は、それが悪いことだと思っているからだろうな、と。
あの、聞こえない人間に伝えようとする思考を持たず、聞こえない人間にいらつくだけだった局員は、障害をもつ人間を役立たずと決めつける生活をしていくのだろうな、と。
娘を見ながら、この子が育っていく中で、ああいう人たちの言動や視線をたくさん浴びていかなければならないんだろうな、と、そう思った。

 あれから、10年ちょっと、ですかねえ。
10年の中で思ったことは、あの視線は「障害」というレベルに達するかどうかのボーダーの方が常に浴びていることなんだろな、と思うこと。
「障害」というものは、「障害」というカテゴリ分けをされることで守られている部分があるのかもしれないなあと思うこと。
そして娘本人、どう思っているか知らんが、かなり堂々と生きているなあ、と思う。
支援を受けることは悪いことではない、恥ずべきことではない。
わたしにとっては、これはずっと変わらんでしょうね。

「障害を知る」書籍紹介

2005年11月07日 | 書籍紹介
 障害のある子どもの家族のブログなどを見ていると、気になることがある。それは「健常」という言葉。「健常児」「健常の子」という語彙というもの、使うのは専門家か障害児の家族くらいだと思う。はっきり言って日常的に使うのは、その語彙、変よ。そのことに障害児の親が気づくのは、子どもが学齢期に入ってからが一般的かもしれない。バリアフリーを望みながら、不安がバリアを自分の中に作ってしまう一例かもしれない。
 バリアフリーを望むなら、障害を知ることが方法論としてひとつだとわたしは思う。自分と関係のある「障害」ではなく、「障害」と呼ばれる全般全てを見通してこそ、「障害」は理解できる。バリアフリーだのノーマライゼーションだのという言葉を使うときに、「障害」と「健常」の対立構造ばかり追いかけるのはとても不自然。実は「障害種別のバリア」を作っていること自体、「障害をもつもたない」のバリアを着々と構築していることかもしれない、と、わたしは思う。

 と、いうことで、「障害を知る」書籍紹介。

 障害をもつ子のいる暮らし
 様々な障害について、丁寧に語られている事典的な使い方ができるこの本は、障害種別を問わず「障害をもつ子」の理解の助けになる良書。

魔法の手の子どもたち―「先天異常」を生きる
 先天性四肢障害を中心に、障害を受け入れる、障害を受け入れられるという原点が見える良書。

 はだかのいのち―障害児のこころ、人間のこころ
 重度心身障害児を取り巻く世界、彼らの「はだかのいのち」を通して、命の力が見えてくる良書。


 自閉症の人たちのらいふステージ
 自閉症を単なる知識としてだけでなく、その「生きる」ということをライフステージを通して知ることができる良書。

障害者―FOR BEGINNERS イラスト版オリジナル
 脳性麻痺が原因の身体障害者である著者による「障害を知る入門書」。
 この本一冊で、「障害者」について、概念からその立場におかれた人の現状、日本の障害者運動のおおまかな流れ等把握することができる。障害種別に関して網羅しようとしている努力も大きい。

神さまに質問―筋ジストロフィーを生きたぼくの19年
 筋ジストロフィーの少年が、自分を知ってもらうために作った新聞の紹介と、その人生。進行性の障害と家族の介護、そして本人の成長等、追いながら読める貴重な記録。
 
 どんぐりの家
 聾と知的障害を併せもった子どもたちの現状と、親たちの生きる姿を描いたもので、実話を元にしており、映画にもなった名作。
 聴覚障害児が野球に打ち込む姿と立ちはだかる壁を描いた「遥かなる甲子園」も、同じ作家の名作。

癒しのセクシー・トリップ―わたしは車イスの私が好き!
 骨形成不全による障害をもち、日本の障害者たちに当事者としての力を与えてきた「安積遊歩」の代表的著書。
「障害」というワードを超え、パワフルでチャーミングな彼女のファンは多い。そのファン層は「障害」に直接関係の無い人にも広がっている。

*番外
『ステージ』
 知的障害者にわかりやすいものを、という目的のために作られた「新聞」。記者には知的障害者本人も参加していて、世の中の動きが理解できるように作られているもの。
 単純に一言、おもしろいです。バックナンバーはウェブ上で読めるので関心のある方は是非ご一読を。

形容と真実と

2005年11月05日 | 「障害」に関わること
 ダウン症候群というグループに属する人は、およそ千人に1人の割合で生まれてくると言われている。人種を問わず、一定の割合で生まれてくる症候群。
なぜ生まれるか。それは、妊娠とは、一定の割合で染色体異常が起きるものだから。

 自然流産の3分の1ないし2分の1は染色体異常をもつ胎児に起きる。自然流産する確率は、全ての妊娠のうちおよそ15%。ヒトの妊娠にとって染色体異常は、それほどまれなことでもない。
そしてその染色体異常の中で、21番染色体に異常があるダウン症候群は、生まれてくる染色体異常児の中でもっとも数が多い。妊娠における染色体異常の中で、もっとも生命力が高いと言える。染色体異常という、妊娠における命の発生上の「事故」の中で、21トリソミーはもっとも進化した形と言えるかもしれない。人種を問わず、一定の割合で発生するダウン症人口は、とても多い。

 そうした「確率」の中で、つまり、わたしの染色体が正常であったことも運、娘の染色体が異常であったことも運。ダウン症児の親にならなかった人は、それがその人の運。わたしがダウン症児の親になったことも、また運。全ては確率の問題だと、わたしは思う。

 ダウン症の告知があると、誰もが「なぜ?」という思いに気持ちを揺らされる。「家の家系にはいない」と、配偶者の親に責められるケースもたくさんある。妊娠中の飲酒・喫煙、妊娠時期の仕事の過密なスケジュールや無理な旅行等、すねに傷持つヒトは、わなわなと後悔に震える。望まない妊娠や不用意な妊娠で、出産に踏み切った結果、というケースにも、ダウン症児は生まれてくる。
すねに傷無い人でも、妊娠期間を思わずふり返ることも少なくないし、また「姑」に妊娠期間の生活を査定されるような言動を浴びせられる場合もある。

 いや、なに、同じことやったって、当たらん人には当たらんものよ。それよりも、流産の確率が高い妊娠が、出産までこぎつけたってことがすごいこと。
「生まれる」って、すごいことよ。生まれなきゃ始まらないってことは、当たり前だけど山ほどある。
そしてそのうち気づく。人種を問わず、一定の割合で発生するダウン症人口はとても多い。

 娘に対して差別的な視線を感じたりすると、ちょっと意地悪く思うこともある。
(あなたの家族にダウン症というご縁が無いのって、たまたまよ)
必要以上に好意的な視線を浴びたりするときに、同様の思いを持つこともある。
必要以上に好意的な視線ってのは、時と場合によっちゃ、とてもめんどくさい。
相手には「非日常のストーリー」でもこちらは「日常」。
そんなギャップを感じながらも、相手に罪はないので曖昧に微笑む。
相手の善意は相手を気持ちよくし、そしてこちらはギャップの中で、善を受けきれない毒を飲み込む。
取りたてて褒め称えることって、実は別種の差別ではないのか。

 ダウン症児のことを「天使の子」という言い方がある。エンジェルベビーというこの言われ方を好む人もいるのだと思う。でもわたしはこの言葉を投げかけられると曖昧に微笑みつつ、(なんだそら)と内心思う。子どもに対して「天使」という言葉を使うなら、それは子どもという存在全てに言えることじゃないのか、と思う。
 「愛」や「愛情」という言葉を、その形容にやたらにつけられる場合もある。「愛される子ども」だのなんだのと言われると、やはりわたしは曖昧に微笑む。「愛」だのなんだのという形容をつけられなければ認められない子どもなのかと、逆に思う。
 ただ、そうした言葉に「助けられる」親の層というものも、確実に存在する。その層を傷つけないために、わたしは黙って曖昧に微笑む。でも、何かがとてもめんどくさい。

 「真」という名前のダウン症の子。告知後の周囲の喧噪の中、母親が思ったそうだ。「目の前にいるこの子が真実だ」と。だから「真」。わたしはこの話がとても好き。
 娘と知り合って、関係が成立した人は、娘のことを「ちぃちゃん」と呼ぶ。天使の子だの愛がどうのだなんて言いはしない。ダウン症児であることやその特徴は、娘を知る単なる材料としてだけ存在していく。わたしはそれが真実だと思う。

*参考リンク
 『「弱者」とはだれか』/天竺堂通信

明日に向かって

2005年11月03日 | つぶやき
若いときに、どんな格好をして、どんなことをしていたか。
これは、年齢を重ねたときに、どんな風に出ていくのだろう。

歌番組を見ていてよく思うのは、お若い方は髪型が汚いなあということ。
汚い、というか、だらしがない。
顔の半分にばさばさと前髪がかかっていたり、カットがばさばさと不揃いだったりする。
「社会人として生きる普通の人」があの髪型で職場に行ったら、ただの寝癖扱いをされかねない、と思ったりする。
それを見ながら、思う。
これが「若さ」というものだ、と。
人生の中で不安定な時代にいる立場だからこそ、できるスタイルがあるのだ、と。
汚いのは髪の形で、その髪の形をもって「表現体」として存在する姿は、汚らしくないのだから。

若いときは、その個性なりのやり方で、形のあるものを「崩す」ことに挑戦すべきだ、と、わたしは思う。
特に、何かに所属するという場に行き着いていない時代は、その挑戦を楽しむべきだと、わたしは思う。

その上で。
既製の形を崩しても崩しても、崩れてしまわない何かを身につけている「若さ」は、美しい。
それは、例えていうなら、色褪せたジーンズに白いTシャツにダイヤのピアスのようなものだと、わたしは思う。
この「ダイヤのピアスのようなもの」は、例えば物事に対しての姿勢だったり、考え方だったり、そして若さゆえの見栄だったり、自分の身の丈にそぐわない、がんばった背伸びのようなものだったりする。
少なくとも、20歳くらいの僕は、そういうシチュエーションに置かれたら、「すぐに読めて、面白いであろう椎名誠」よりも「たぶん本棚の飾りにしかならないが、持っていると文学青年っぽくて、自分にとって読むべき本だと思っているプルースト」を買っていたのだ。
若さの中で、わたしは例えば「プルースト」という選択は、とても好きだ。
こうしたアイテムにどんどん手を出し、自分の身の丈に背伸びをし。
それは年輪を重ねて、身の丈がわかるゆとりを手に入れたときに、うまい具合に発酵し、上等な酒になるだろう。
年輪を重ねて楽なものを手にしたときに、この上等な酒を身につけているかそうでないかは、確実な差となって現れるような気がする。
既製の概念にとらわれない本物を、見分ける目というものも身につけられるだろう。

過去の若さをひとつひとつ失ってはきたが、この先の人生の中では、わたしは今が一番若い。
失った向こう見ずや、過去の自分の無理な背伸びに微笑みながら、この先の人生に上等な酒を用意するために背筋をぴんと張り、わたしはまだまだ自分にできる背伸びをしたい。

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半自費出版の考察まとめ

2005年11月02日 | つぶやき

「自費/半自費出版本」をテーマに上げた自記事一覧
S嬢のPC日記
 自費/半自費出版本から
S:今日の一言
 ■[雑記]新記事:「自費/半自費出版本から」記事上げの動機
 ■[雑記]新記事:自費/半自費出版本から 記事上げのために調べたサイト
 ■[雑記]続「共同出版/協力出版」というもの
 ■[雑記]「商品」としての文章

 まず言いたいことは、わたしは自費/半自費出版本を「一刀両断でつまらん」という気は無いのだということ。それを証拠に、というか、一番最初に出した記事上げは、そうした自費/半自費出版本で「大切なもの」を出している。(自費/半自費出版本から)。
またそれに続く記事上げでも、自費/半自費出版本の成功例も出している。(■[雑記]新記事:「自費/半自費出版本から」記事上げの動機

 その上で言いたいのは、著者を直接知らず、単に書籍としての評価というレベルに達しない領域に類する質の本が、こうした自費/半自費出版本にはとても多いということ。それは■[雑記]続「共同出版/協力出版」というものにも一部ふれている「わたしが見たことがある公立図書館の廃棄本の存在」、そして今はあるのかどうかわからないが池袋のリブロに自費出版コーナーがあり、何度か手に取って中身を一部読んでみたことがあることなどが、そのわたしの感覚の根拠となっている要素だと思う。

 今回、こうした出版物の背景にある「出版ビジネス」を調べながら思ったことは、出版社に「共同出版」「協力出版」という言葉で、「書籍の流通ルートにあなたの作品はのせるべきだ」と言われた人は、同じ会社、同じ人がそういった「同様の提言」をもって出版された過去作品をどこまで「読んでみよう」と思ったかという「疑問」。
こうした「共同出版」「協力出版」と呼ばれる「半自費出版」というものに欠けているのは、わたしは「読者」つまり「購買層」に関してのマーケティング的視点だと思う。そのことをどうとらえるのか、という意味で、自分の作品に出版をすすめる同じ人が、過去どういう作品を出版する傍らにいたのか、そのことは重要なんではないかと思う。
つまり、「審査」というものがあるのなら、その「審査のレベル」を知る、「同様の審査の実際の結果を知る」ということは重要だと思う。
例えば明窓出版なら、分野別にすでに出版されている「立ち読みページ」が用意されているし、また他の出版社でも見積もり時に出される「見本」や、実際にその出版社から出されている同じ企画本を買ってみることも、その「調査」のひとつの方法だと思う。買ってみること、というのは、ビジネスには調査としての投資がいるという、資本主義社会では当たり前のことなんではないかと思う。
 
 そうした本を読んでみて、どう思うか。
この程度なら、自分にも出せる
この程度の本に出版を薦める人なら、自分の位置というものも自ずとわかる
 前者に動く場合は、こうした出版は「夢を売るビジネス」と解釈し、「夢を買う立場」としての利用ということになるだろうし、後者ならば、現実というものが自ずとわかるのだと思う。
この「協力出版」「共同出版」と呼ばれる形式の半自費出版は、巧妙に「誰が客なのか」ということが隠されているような気がする。
「夢を買う立場」というものが、この形態の出版の利用者にはっきりしているのならば、何の問題も無い。

 今回、■[雑記]「商品」としての文章 にトラックバックを二件受信。

それは「自信」ではなく「可能性」なのだと思うのです。/日々是自己主張
2005-11-01 年輪/どうしてブログやHPだけでは、満足できないのか?/琥珀色の戯言

両者とも、■[雑記]「商品」としての文章 に出した「なぜこの人たちはブログなりHPなりだけでは満足できないんだろうということ」に反応していただいたもの。
前者では、その経験と共に、「可能性」というものを持つ、そしてその「可能性」のイメージを出版社によってふくらませられる、という経緯を語り、後者では「誰かに、お金を払っても読みたい、というほどの価値があると認めてほしいのだと思う」と結論づける。

それはそうなのだと思う。
その上で、この二件のトラックバック記事を読んで思ったことは、これは「沈黙のオーディエンス」に関係していることなんだろうということ。

 何らかの形で文章を書く。その結果のフィードバックが欲しい。
このことに対して、まず「形」として製本した「自分の本」を手に入れることができ、そしてお金を払ってその本を「購入する人」が発生する可能性を持つ道を開くという、ひとつの方法という選択なのだと思う。
ただし、このフィードバックに対して、一般的な商品の流通ルートを使って観客からの金銭の動きを発生させる以上、儲けたいか否かの意識は関係なく、ビジネスとしての意識が求められるのだと、わたしは思う。

*トラックバック
それは「自信」ではなく「可能性」なのだと思うのです。/日々是自己主張
2005-11-01 年輪/どうしてブログやHPだけでは、満足できないのか?/琥珀色の戯言

両輪として動く、二つのブログ

2005年11月01日 | インターネット雑記
gooブログ「S嬢のPC日記」と、はてなダイアリー「S:今日の一言」。

今まで複数のブログを動かしている人を見ると、正直「大変だなあ」程度の関心しかなかった。
その上で、はてなダイアリーを動かし始めたのは、単純に言ってしまえば「単なる気まぐれ」。
わたしは記事上げのときに、けっこうたくさんの「裏付け情報や関連情報のサイト」を閲覧したりして、またそれを好きでやっていることなのだけれど、それは全ては表に出さない。
そうした情報は、直接的にからむものばかりではなく、自分にとってのヒントとなるものでもあるので、全部出すと、逆に記事内容がわかりにくくもなると思う。だから表には全ては出さない。
その中で、そこまで調べたり、裏付けを求めたりと、そんなことをしなくていい、気軽に自分の「声」を出してしまう領域というものを作ってみたかったことが関係してると思う。

そんな中で、動き出させてみて、最近、この「はてなで別ブログ」ということの利点を発見しています。

わたしのはてなダイアリーの使い方として、最近定着してきているのが、「メイキングオブ新記事」的使い方。
出した結果としてのgooブログの新記事に関しての、メイキング的情報がはてなダイアリーに入る。
これは自分の記録を目的として残している使い方であるのだけれど、閲覧者から見たら「メイキングオブ新記事」になる。
閲覧者全てにここまで追いかけてきて欲しいと要求するような気持ちはさらさら無いが、「関心があれば閲覧可能」な状態。

そしてそのことが結果として出てくるのが、例えば、最近の記事で言えば、コレ。
はてなブックマーク > S嬢のPC日記:障害をもつ赤ん坊と「祖母」
はてなブックマークでピックアップされたときに、同じページに、その記事に対しての「メイキングオブ新記事」情報が自動的にリンクされる。

また、はてなブックマークでのピックアップにコメントが入った場合、「はてブコメントにレス」として、はてなダイアリーに新記事をたてる。
これはコメントをつけた相手に対して返答を渡す、というよりも、出されたコメントに対してレスをつけるという自分の行動を自由に展開させる場として機能していると思う。
渡されたコメントに対しての、自分にとっての「落としどころ」のようなものかもしれないとも思う。

この「メイキングオブ新記事」と、「はてなブックマークのコメントにレス」。
二つとも、gooブログ上で行ったら、ブログがぐちゃぐちゃになるようで、個人的な好みとして、ちょっと好かん。
解決どころとして、とても便利、gooブログとはてなダイアリーの「両輪」。