S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

見えてくる人の姿:その2

2007年04月01日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
ぼくらの発達障害者支援法

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 ブログの動きから生まれたこの書籍は、ブログの動きにそった内容だけではなく、書籍のために用意された内容も掲載されています。そうした内容の中に、著者による特別インタビューがあります。
 ブログという言葉に惹かれて作ったブログが生み出していった動きと人々の力というものを実感として体験し、発達障害者支援法の立役者であるお二人に直接お話を聞く機会を得ていく。
こうした著者の姿がまず、ここで見えてくる一人の人間の姿だと思います。

 インタビューの対象となっているのはお二人。お一人は衆議院議員 福島豊氏、そしてもうお一人は厚生労働省福祉専門官 大塚晃氏です。

 福島豊氏に関しては、ウィキペディアでこんな風に紹介されています。
発達障害の子を持つ親として「発達障害の支援を考える議員連盟」事務局長を勤め、2006年施行の発達障害者支援法制定に尽力した。
福島 豊(ふくしま ゆたか)/フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(発達障害者支援法の施行は2005年)
 このインタビューの中で、発達障害者支援法に関しての話だけでなく、著者と福島氏との間で障害をもつ子の父親同士としての会話が交わされています。そしてこの「発達障害の支援を考える議員連盟」ができる発端やその動きについて、とても具体的に語られています。どこか遠くでなにやら話し合われているように思われること、でも実は人間が人間の思いをもって対しているのだということがよくわかる。

 また、もうお一人。大塚晃氏。まず冒頭でご自身のお子さんに関して「軽い肢体不自由を伴った重度の知的障害」という言葉を使って説明されています。
 厚生労働省に入られる前のお仕事は、知的障害者施設の指導員をされていたと。そしてその中で行動障害について関心をもち、考察を続けられていたこと。そのことが厚生労働省に入られてから、どんどん具体的な思考につながっていっていることがお話の中に見えてきます。

 このお二方のインタビュー。いわゆる「議員さん」や「お役人」ではなく、その方の人生の背景が見えてくるような、そんなインタビューになっています。

見えてくる人の姿:その1

2007年03月30日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
ぼくらの発達障害者支援法

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「祝杯にはまだ早い:発達障害者支援法の出発点を確認する」 (カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル2004年11月21日)

 このエントリ、申し訳ないのだけれど、web上ではとても読みにくいものになっています。これはリアルタイムでどんどん状況が動いていった証拠。ここからわかりやすく抜き出すと以下のようになります
【意見募集】
「なぜ、発達障害者のための支援法が必要なのか?」
 みなさんの声をコメント欄にお寄せください! 
「自分はこういうことで困っている。支援を必要としている」という本音でお書きください。
※お立場を必ずご記入ください(例)「5歳自閉症児の保護者」「保育士」など
 期限は(短いですが)、11月23日(火)夜10時まで。
 日本自閉症協会を通じて、国会議員の先生方にお届けしたいと思います。
 ご協力よろしくお願いします。
 このエントリのコメント欄の数。たったの3日間でのコメント数100越えはいわゆるアラしじゃないですよ、主旨に賛同した重要な「声」。
 この声は「意見書」として以下の方々に郵送されます。(2004年11月25日参照)
 (1)衆議院内閣委員会の委員 全員 
 (2)参議院内閣委員会の委員 全員 
 (3)発達障害を支援する議員連盟 全員 

 この辺の経過が書籍では非常に整理されて掲載されています。意見書に関しては、ライフステージに沿った抜粋版が書籍には掲載されています。
 ここには人が見える、様々な姿で人が見えてくる。この人の姿を見たときに、以下のエントリがとてもよくわかってくるわけです。

すべての涙が乾くとき~発達障害者支援法成立


 このエントリの本文中の「シートベルト」という文章。これが書籍ではきれいに見やすい形で記載されている。そしてこの文章の存在がとても生きている。これも書籍の強みでしょうね。
 そしてこの「シートベルト」という文中にある「『うっかり死んだりしない』と、ゆびきりゲンマン♪ 『続き』を一緒に見ていこう。」という約束が、ブログでも書籍でも生きていくこと。このことの意味はとても大きいと思いますし、書籍ではさらに時を越えてこの約束の力の意味が生き続けると、わたしは思います。

ブログの力:その2

2007年03月28日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
ぼくらの発達障害者支援法

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発達障害者支援法成立までに動いたブログの力

1.発端

 ・自閉症などの早期発見や支援、政府・与党が総合対策を検討
 ・復活~発達障害者支援法の成立キャンペーンを開始!

 これがスタートの動きです。この後、「キャンペーン」と銘打った「みんなで動こうよ」という提案が幾度となくこのブログから発信されていきます。
必要なのだ、みんなに必要なのだ、わたしたちはひとりじゃないんだ、と、そうした声が人に力を与え、そしてその力は雪だるま式に大きくなっていきます、このブログを媒体として。

2.具体的な動き

 「発達障害の支援を考える議員連盟」に声を届けようと呼びかけます。これがこのブログが発信した最初のキャンペーン。そのひな形を作って提示もしていきます。
返事も来る、手応えもある、しかし未だ法の成立には届かない。
 ここまででも、ブログを媒体として動いた力は感じるのですが、ここから、ですね、ドラマの展開は。さらにどんどん加速するかのごとく、雪だるま式の「これをやろう」の提案がこのブログから発信されていきます。机上の論理ではなく、具体的な活動を背景にしながら。
そしてこのエントリに行き着くわけです。

「すべての涙が乾くとき~発達障害者支援法成立」 / カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

書籍という媒体の利点

 このブログを発信をスタートとして動いていった人の力。これは実に重要なドキュメントだと思います。目の前のことをあきらめない、希望をもっていく、希望をもつ力を生んでいく、ひとりではなくみんなで。というひとつの壮大なストーリーとなっています。

 そこでこのカテゴリなのですが。

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル:「発達障害者支援法」の軌跡

 これ、スタートから全文、時系列を追って読もうとすると。
ものすごい量とそしてパワーがありますからね、この「発達障害者支援法」に直接関わりの無い多くの人が読むとは言い難い。またインターネットで文章を読むという習慣の薄い人は、この時点でこの内容を「知る」という機会を得るのは難しくなる可能性というものもある。
 
 ここ、なんですよね、わたしがもったいないと思うのは。
この具体的な動き、人の力が雪だるま式に増えていくということ、このこと自体が「発達障害者支援法」に直接関わりのある人、またこの動きに参加した人のものだけになるのはもったいない。人間のもつ力として、ひとつの事例としてもっと多くの人が知っていいんではないかと思うわけです。

 だからこそ、書籍なんですよね。書籍という媒体が生きる。インターネットで文章を読むという習慣のあるわたしでも、書籍で読む方が全貌を理解しやすいし、楽なんですよね全貌を知ることが。
 
 そして重要なポイントとして、ブログ自体が書籍の資料集になっていくわけです。書籍で提示されるアドレスを開けてみる。そこにそこでリアルに動くパワーをさらに感じたりすることもできる。ブログが書籍の裏付けとして機能する。
 書籍によって、書籍とブログの両輪が生きる。このことも大きいと思います。

ブログの力:その1

2007年03月27日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
ぼくらの発達障害者支援法

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カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルから生まれる本

 この書籍は、ブログから生まれました。しかしいわゆるブログの書籍化ではない。
この書籍はweb上で展開された、このブログに関わった人たちも含めたブログの力というものが人に希望と力を与えていった軌跡です。その力が集大成となって書籍として読める本です。

ブログってなーに?

 これはカイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルというブログが生まれた月、2003年11月に書かれたものです。
 書籍の中ではさらに整理されて、こんな風に記述されています。(「ぼくらの発達障害者支援法」p.9より)
・だれかとだれかがカンタンにつながる(リンク)
・まるごとアイディアや情報を一緒に分けあい、考えられる(シェア)
・社会的な地位や知名度は関係ない(フラット)
・ネットにつながればそのまま時間と空間を越えられる(グローバル)
 書籍本文中でも、ブログ開始当時の文章でも読める「ブログのもつもの」に対して感じた魅力。まず始めてみた、という行動が、その後の展開によって、一冊の書籍を生み出していくことになるわけです。

 さらに、というか。
このブログは現在進行形ですから、書籍出版後というものが現在流れているわけで。
以下の記載も、ブログと書籍とという中での個人のドキュメントの姿なのではないかとも思います。

ブログ依存症からの脱却

はじめに

2007年03月25日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
 ニュース番組の特集、ドキュメンタリー番組、実話を取り上げたドラマや映画。
こうした媒体を通してある人の人生の一面やその出来事を知る、ということがある、現在の自分に直接関係の無いことでも。そしてそこから何かを見いだしたり、また、何かが残り続ける、ということはあると思う。
 
ぼくらの発達障害者支援法

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 この一冊の書籍。この書籍から見えるものがある。
「発達障害者支援法」というひとつの法律とは関連の薄い人にとっても、見えるものがある書籍だとわたしは認識しました。

 たとえばですが。
この書籍の「はじめまして」というところには、以下の記載があります。(「ぼくらの発達障害者支援法」p.9より)
私が願ったこと
 ・信頼できる仲間と出会いたい
 ・人生の長丁場で、自閉症をめぐる状況を変えていくための継続的な勇気と知恵を与えてくれる場が欲しい
 この「自閉症」という言葉の部分を「○○○」と何か別の文字に変えてみたら。
これが私がこの本が、「発達障害者支援法」に直接関わりの無い人にも価値がある書籍だと思う理由のひとつです。そこに見えてくるのは、一人の人間の姿と、そして動いていった動かされていった周囲の姿ということではないかと

 しかし書籍というものは、その中心の話題となるものとは直接関連の薄い人にはどうしても手に取られにくい。そのことからこの書籍が、「発達障害者支援法」という法律に関連のある人だけの本になってしまうのは、わたしはもったいないと思う。

 と、いうことで、しばらくこの書籍に関してのシリーズ連載を開始します。
この書籍を買う買わない読む読まないということだけにとらわれず、この書籍が存在するということの意味を考察しようと思っています。