S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

.「知的障害」と「QOL」と「先端技術」

2006年05月15日 | 障害児の教育
 積み上げていく「力」のネコバスさまのコメントに対してのレス的エントリです。

 知的障害は、特に乳幼児期に、そして学齢期においては、予測される範囲ということはあるけれど、まだまだ固定障害としていくには、発達という要素が存在するわけで。
ここで、適切な判断による「中・長期目標」というものが重要になってくると思います。
その適切な判断とは、「親の障害に対しての心理的抵抗感」で左右されることであってはならないと思うところもありますので、療育や教育の専門家との話し合いは意味を持つことだと思われます。
そして、この「中・長期目標」というのは、本人の「QOL」に逆行するものであってはならず、本人の「QOL」に対しての感覚を、むしろ育てるものであって欲しいと、わたしは思います。

 ネコバスさんのコメントの中で出てくる「ボタンかけ」の練習と、「好きな服を選ぶ力」というお話。
わたしはこれが相反するものだとは思えないんですよね。
これが相反するものになるかどうかは、「ボタンかけ」という能力の習得が、現在はできなくても中・長期目標として設定できるものかどうか、ここに関わってくるものなのではないかと思います。
中・長期目標として設定するのが困難な障害であれば、そこに使っている時間を「好きな服を選ぶ」気持ちや力に持っていく方が現実的でしょう。
ただし、中・長期目標として設定できるのならば、「好きな服を選びたくても、ボタンのあるものを避けなければならない」ということを回避できるわけです。
また、ボタンかけができない状態のときでも、四六時中ボタンかけに格闘させるのであれば、それは洋服を選ぶ楽しさが育つ可能性を大きく含む時代をつまらないものに変えてしまう。
わたしは中・長期目標にボタンかけを設定できる状態と時代であっても、日常の服ではなくパジャマ程度、しかも必死の格闘ではなく機会として存在させるくらいの気楽さで臨めばいいんじゃないか、と思います。

 また、「教育の場」と「家庭」とのメリハリということもある。
「教育の場」は、本人が中・長期目標に対して向かい合う場であって欲しいと思うし、「家庭」は気持ちを育てていくことを主体とする場、なんていう思考もあります。
「教育の場」で許されすぎたり、「家庭」で追い込まれたりするようなことは、本人の成長・発達に関してマイナスの要素を与えかねないのでは、と思うところもあります。
どちらの場に関しても、本人に自信や自尊、達成感の積み重ね、そうした心の成長にプラスの材料を与えていくものであって欲しいし、そのために必要になることは、適切な無理のない、小さな小さなステップでの提示という工夫。
それが求められているところだと思います。
知的障害に対しての養育、療育、教育、支援。こうした場でいつも求められているのは、問われているのは、「関わる側の知的能力」なのではないかと思います。

 「先端技術」は、上手に利用したいと思う。これが基本です。
利用する、ということは、頼る、頼り過ぎるということではないと思う。
そして同じ先端技術でも、その存在が有効なものかどうかは、やはりその障害や本人によって違うだろうな、と。
たとえば電動歯ブラシですが。
これは、わたしは使わせていません。
試してみたことはあるのですが、ただ口の中に突っこんで満足するので、歯ブラシの方向はいつもあさってで、意味のないものだと判断したからです。
同じ「あさっての方向」でも、普通の歯ブラシを使って鏡を持たせた方が、まあそれなりに歯に対してブラシはあたる、と。
そして本人にとって「自分で歯ブラシ」の満足感は、後者の方が高そうだ、と判断したためです。
でも、これは、完全な個人のパターンであり、電動歯ブラシを使うということが利点になるタイプの子であれば、それはもう、とても感謝すればいいことなんだと思うんですよね、電動歯ブラシというものが存在することに。
ここでも問われているのは、関わる側の判断力なのかもしれない。

 知的障害児を育てる、ということは、知的障害をもった、心豊かな「大人」にしていく、ということ。
それはやっぱり「心を育てる」ということで、このことに関して言えば、実は障害のある子も無い子も同じなんではないかな、と思うのが結局の結論かもしれない。
大人になっていく、ということは、精神的に親から離れ、社会に向かって巣立っていくということ。
そこで手を振って見送るためには、そのときに持たせてやれる「自尊心」という名のきびだんごを、せっせせっせと仕込む工夫をする毎日。
それが「育てる」ってことなんじゃないかな、なんぞと思っています。
まあ、行きつ戻りつ迷いつつ、そして適当に楽をしつつ、なんてとこなんですけどね。生活ですから。

積み上げていく「力」

2006年05月13日 | 障害児の教育
 娘がまだ赤ん坊のときに読んだ障害児教育の本に、こんな一節がありました。
知的な障害が中度の子と重度の子という「二人」。宿泊学習において、一人は脱いだ服の始末をきちんとし、翌日着る服の準備をスムーズにこなす。そしてもう一人は、脱いだ服をぐちゃぐちゃのままカバンに突っこみ、翌日着る服の準備に支援が必要。就労に関しての現場実習において、この二人のうち一人は「使えない」と判断され、もう一人は「仕事に時間はかかるが、そのペースが半人前なら半人前なりに確実に人員としての人数計算はできる」と判断され、雇用という立場を獲得した、と。さて、この「二人」、どっちがどっちだったでしょう。

 はい、結果は「きちんと生活面に関しての指導が通って、習慣化されている重度の子」が、社会から通用すると判断を受けたというお話でした。

 もう一つの話。
重度の子と軽度の子。重度の子は言語の使用ができず、軽度の子は会話に関してある程度の力がある。この「二人」において、重度の子は、言語の使用はできないが、他者とのコミュニケーション能力を持ち、行動に積極的。軽度の子は引っ込み思案で対人間関係において、行動に困難があるケースが多々見られる。
 この二人がペアを組んで、農作業で収穫したじゃがいもを、学校の近隣の家庭に「売りに行く」ことになった。このペアはこの活動において、真っ先に全てを売り尽くしたというお話。
 なぜ、驚く早さで完売に持っていったかというと、この重度の子が「売りに行く」という行動の目的を理解したときに、その行動の見通しを立て、躊躇せずに近隣の家庭に対してどんどん訪問していったと。訪問し、頭を下げる。じゃがいもの袋を見せる。そしてペアの子に指さし、ペアの人間が説明をすると「伝える」。訪問先の人間は、その行動の流れを理解し、ペアの子に対して説明を促す。ペアの子は値段を伝え、お金を受け取り、販売が完了する、というもの。

 知的な障害をもって「生きていく」という上で、何を教え、何を身につけていくことが「生きる力」に結びついていくのか。わたしが娘を育てていく上で、この二つの話は、ずっと生き続けていることだな、と思う。
この二つの話の根底は家庭にあり、そしてこの二つの話の根底は、幼児期から小学生の時期につける力、だと解釈した。そして障害の程度が重度なら、このことはなおさら重要になる。
重度を「可能性の薄い重度」にしてしまうか、「発展的な素養をもつ重度」にするか。それは養育者がカギを握ることだと思う。

 何ができる何ができない、ではなく、できるできないを含めて、行動に見通しを立てていく力。これは一朝一夕には備わらないものだと思う。できないことでも、本人ができることをほんの小さなステップで与え、あとはその行動の「完成する姿」を見せていく。

 たとえば洋服のボタン。知的な障害が重い場合、手指の巧緻性に問題がある。親指と人差し指をつかった「つまむ」動作の獲得に、とても時間がかかる。このことは洋服のボタンを扱うことに、とても影響をしていく。
 幼児期、パジャマのボタンを全て、バカでかいものにつけかえた。ボタンの直径が2センチを超えるもの、ひらたくつまみやすいものをさがす。一番上のひとつを半分だけボタン穴をくぐらせて、その後の動作を促す。その、ほんの小さな動作に対しての「できた」という達成感を与える。そして他のボタンに関して、ゆっくりと、その行動の完成の姿を「見せていく」。このことで「今はできない」、でも、この行動はどういう風に完成されていくのか、ということを見て覚えていく。本人の習熟度に合わせて、ゆっくりと、本人にさせる動作を増やしていく。ある程度増やしてやったなら、あとは「行動に見通しを立て」て、自分でその到達点を目指して行動していく。手指の巧緻性がゆっくりと向上していき、その力が備わったとき、小さいボタンをスムーズに扱っていく娘がいる。

 見通しを立てた行動、その応用力。この応用力を伴わなければ、本当の「生きる力」には結びつかない。本人の社会を広げていくことから遠くなる。
ここで重要になること、そのタブーとは「うちはこうだからこれでいいの」ということ。
この感覚というものは、本人の社会的な力を広げていくことから遠い。

 普通の寿命の順番から言って、親は先に死ぬ。何を子どもに残してやれるか。
これは支援を受けて生きるということが決定している「知的障害者」に対して、応用力を備えた「生きる力」だとわたしは思う。
どんな部分に支援を受ければ、その行動が完成されていくのか。見通しを立てる力、その「場を限定されずに行える応用力」というものは、本人に自尊心も与えられると思う。
「ここを手伝ってもらえば自分はだいじょうぶなのだ」と、本人が、本人の知的能力なりに理解すること。これは自信、自尊につながるとわたしは思う。

 幼児期、小学生の時期において重要になるこうした視点。知的障害児における「教育」に関して、小学生の時期に、こうした視点を理解する教師に出会えるか、ということも大きいと思う。
 娘が小学生の時期に出会った担任で、すごいな、と思った方の話。
ある日眼科受診の必要があり、遅刻。二時間目の途中に学校に行く。二時間目は体育。体育をやっている場にそのまま連れていく。二時間目はすでに過ぎていて、体操着に着替えなくても体育に参加できるような服装で来たことを担任に告げる。
 驚いたことに、担任は着替えさせる、という。着替えさせて授業に参加させれば、参加時間はほんの10分程度。
困惑するわたしに担任は言う。今、脱いだ服の後始末を課題として教えている。この機会を逃さないということ、それは授業時間に参加させる時間の長さより重要だ。
 娘を教室に連れて行く。娘が服を脱ぐ。「ちぃちゃん、ぐるぐるぽんよ」と担任は声をかける。
「ぐるぐるぽん」、これは脱ぎっぱなしでは裏返しになっている服、その腕の部分に手を突っこんでいく動作を「ぐるぐる」、引っぱって元に戻す動作を「ぽん」と名付けたもの。担任が「ぐるぐるぽん」と言いながらこの行動が完成していく姿を見せ続け、この声かけと共に、小さなステップから本人にさせていく「教育」。やがて担任の支援無く「ぐるぐるぽん」の声かけだけで娘はその動作を完成させるようになり、そして最終的には「ぐるぐるぽん」の声かけすら必要としなくなった。
この担任の「機会を失わないことの方が、授業時間に参加する時間の長さよりも重要」とする基本姿勢が大きく影響したと、わたしは理解している。

 今、娘は養護学校の中学部において、「作業学習」という時間を経験している。一年の時の選択は「陶芸」、二年の時の選択は「手芸」、三年の現在は「紙工芸」。
 入学後、作業学習を経験するようになってすぐに言われたことは「行動に見通しをたてる力」。できるできないということを超えて工程を理解し、覚え、確実に自分から理解して臨んでいくという姿。
 これは一朝一夕に備わるものではなく、10年以上かけて、本人の経験の中に積み上げられた視点だと思う。こうした力はIQでは判定できない。

 以下、「ゆうくんちの日常」のある過去記事より引用。娘が生まれて初めて見た「吸引」という処置に関して見せた行動。
裕母が吸引をしているのを、見ているような見ていないような感じで傍にいたちぃちゃんだけど。驚くなかれ。
数十分後、ちぃちゃんはひとつも間違うことなく、吸引のシミュレーションをしていたのだ!
これはどこかで見た光景…。財前教授(by.白い巨塔)?!←テレビ見過ぎだから。
ちぃちゃん、たった一度見ただけなのに何て才能なの?つ、使えるかも?!(笑)
しかも、ピンセットは指で表現し、チューブをつまんで「キューッ」と完璧。ブラボー!
 娘がまだ赤ん坊の時に読んだ本、そして自分の中に残り続けた視点。
この視点に沿った育ち方が見えてきた現在にわたしは満足しているし、その視点を持って教育に臨んだ担任にも、とても感謝していると思う。