昨日、車で移動中のこと。横断歩道のところに高齢の女性が立っていた。横断歩道を認識し、この女性の姿が見えた時点で減速、横断歩道の前で停まったのだけれど。
横断歩道に近づき減速しながら(おや)と思った。反対車線にはクロネコヤマトの2トン車が停止している。女性が見えた時点からず~っと停止してるわけで。つまりこのクロネコヤマトの2トン車は、この女性が横断するまでじっと待っていたのだな、と理解。
わたしの前方には車はいなかった。つまり、完全に停まる車がこの女性の前に現れるまで、この女性は横断歩道を渡れなかった、反対車線に車を停めさせた状態にしていても。
わたしが完全に停止したのを見て、そして運転席のわたしをうかがうようにこの女性は見る。わたしはゆっくりと左手を横に流すように動かし、会釈をする。やっと安心したようにこの女性は横断歩道を渡り始める。渡り始めてわかる、ゆっくりとしか歩けない。
女性がやっと渡り終えてから、対向車のクロネコヤマトの車の運転手に手で合図を送る。相手はにっこりと笑顔で合図を返してくれる。ごめんなさいね、待たせてしまっていたのでしょうね、こっち側の車が停まらなかったから。そして停まる車が現れるまで、あの女性に安心感を与えることを担ったのだな、と思うこの人。商用車、仕事中、なんてことはあるだろうと思う。そのことに関してのマイナスを主張する人はいると思う。それでも社の看板を背負った車、この車が一人の女性に安心感を与えたこと、そしてそのことに対して協力という感を対向車にも与えたこと。これは企業イメージとしては大きいんじゃないか、とも思う。宅配便の会社の車って、「横断歩道で停まります」なんて車の後ろに書かれてたりするしね。有言実行ってイメージを与える方が、この場の数分なんてことより大きいんじゃないか、とも思う。
横断歩道で停まること、そんなに難しいことかねえ、とはいつも思う。横断歩道がある、ってことを予測できる道路は多いと思う。その予測できる道において、視界に入るはずの横断歩道のそばにいる歩行者を、意識して視界に入れてないんじゃないか、自分の動きの判断材料にする気がはなから無い運転者の方が多いんじゃないか、と思う。それが多分、現実。
それが多分現実、と思うこと。娘の通う養護学校のそばの横断歩道、そこを車で通る時に思うこと。横断歩道の前ではっきりと停止しても、車がそこに存在するだけで「絶対に渡らない層」というものが、養護学校の学生には存在する。多分、自閉関連の障害なんだろうと思う。彼らの認識する社会に対しての法則には「横断歩道で停まる車」というのは存在しないんだろう。
*関連リンク
人命は尊いと言うけれど /ぽんすブログ
「横断歩道と哲学と私」/お互い気持ち良く走るための豆知識 ~運転マナー特集~
横断歩道
横断歩道に近づき減速しながら(おや)と思った。反対車線にはクロネコヤマトの2トン車が停止している。女性が見えた時点からず~っと停止してるわけで。つまりこのクロネコヤマトの2トン車は、この女性が横断するまでじっと待っていたのだな、と理解。
わたしの前方には車はいなかった。つまり、完全に停まる車がこの女性の前に現れるまで、この女性は横断歩道を渡れなかった、反対車線に車を停めさせた状態にしていても。
わたしが完全に停止したのを見て、そして運転席のわたしをうかがうようにこの女性は見る。わたしはゆっくりと左手を横に流すように動かし、会釈をする。やっと安心したようにこの女性は横断歩道を渡り始める。渡り始めてわかる、ゆっくりとしか歩けない。
女性がやっと渡り終えてから、対向車のクロネコヤマトの車の運転手に手で合図を送る。相手はにっこりと笑顔で合図を返してくれる。ごめんなさいね、待たせてしまっていたのでしょうね、こっち側の車が停まらなかったから。そして停まる車が現れるまで、あの女性に安心感を与えることを担ったのだな、と思うこの人。商用車、仕事中、なんてことはあるだろうと思う。そのことに関してのマイナスを主張する人はいると思う。それでも社の看板を背負った車、この車が一人の女性に安心感を与えたこと、そしてそのことに対して協力という感を対向車にも与えたこと。これは企業イメージとしては大きいんじゃないか、とも思う。宅配便の会社の車って、「横断歩道で停まります」なんて車の後ろに書かれてたりするしね。有言実行ってイメージを与える方が、この場の数分なんてことより大きいんじゃないか、とも思う。
横断歩道で停まること、そんなに難しいことかねえ、とはいつも思う。横断歩道がある、ってことを予測できる道路は多いと思う。その予測できる道において、視界に入るはずの横断歩道のそばにいる歩行者を、意識して視界に入れてないんじゃないか、自分の動きの判断材料にする気がはなから無い運転者の方が多いんじゃないか、と思う。それが多分、現実。
それが多分現実、と思うこと。娘の通う養護学校のそばの横断歩道、そこを車で通る時に思うこと。横断歩道の前ではっきりと停止しても、車がそこに存在するだけで「絶対に渡らない層」というものが、養護学校の学生には存在する。多分、自閉関連の障害なんだろうと思う。彼らの認識する社会に対しての法則には「横断歩道で停まる車」というのは存在しないんだろう。
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横断歩道
ただ、別に対向車が来ているわけでもないのに、渡りだすのに少し戸惑う人が多い気がします。基本的に車ってのはあんま止まんないものだからなのかなぁといつも思います。
ちなみに、いまロンドンにいるのですが、こっちの歩行者はたくましいです。車が猛スピードで突っ込んでこようが、確信犯で悠々とわたり始めます。
「気分いい」なんてことと、そして「戸惑う人」ってのと。
あのね、地域的なとこ多いと思うんだけど、「朝の旗持ち当番」ってのがあるのよ、小学校の保護者活動というか。
通学路の横断歩道箇所に、交替で黄色い旗持って立つ。
学校によって、そして同じ学区でも立つ日が違うみたいだけど、うちの学区の小学校、うちの地域は、まず4月は毎日。
これは新一年生のため。
そしてそこを過ぎると、月・金ですね、旗持ちかーちゃんが旗持って立つ日。
ホント、止まらないよ。
通学路、通学時間帯、なのに。
ひどいのになると、旗で止めて横断させていて、その停まってる車を追い越して出てくる車さえいる。
こういうのは、タクシーに多い。
あと、リンクの過去記事に出したけど、亭主を駅まで送る主婦ドライバーも止まらない車、多い。
まあそういう環境で、旗持ちなんてののいない日に、子どもたちは「庇護されすぎない現実の交通ルールを学ぶ」ってことでもあるんでしょう。
まあ、がちゃがちゃ言ったって、思い通りになんてならないのが社会だしね。
ロンドン、ね。
お~い。
インターネットって、ステキね。
つまり同じ注意ではスピードの差の分足りないということ。
車が止まるのは当然。
同じ時間で車は歩行者よりより長く距離を走れるのだから。
逆に言うと、車が止まる時間とおなじ程度の時間では、歩行者は避けれない。
重ねて言うが、車が止まるのと注意するのは必要。
しかも最低限の必要で。でないと事故起こるからね。
歩行者に避けろと強いても避けれない速度しか出ないんだから。
運転者が生活の中で、どれだけ「歩行者としての時間」を確保しているか、ってこともあるかもしれないですね。
歩くことが減れば、自ずと歩行者視点も減るかもしれない。
車中心の思考の運転になりやすいかもしれない。
歩くことが増えれば、自ずと歩行者視点で車を見ることも増えますから、運転も変化するって要素はあるかもしれないな、と。
移動の手段、車だけに頼ってはいけない、って、こんなとこにも影響してくるのかもしれないです。
絶対に渡らない彼らは、
ある意味正しいのかもしれない、
この世の中では。
と思いました。
そして、
タクシーの運転手や亭主を駅まで送る主婦ドライバー
は、
余裕がないんでしょうね。。。
わかる気がいたしますが(笑)
そういう「自分」というのは
なるべく避けたいですね。
そのための
努力
というのは、
オトナとして
必要なのかな~と思います。
時には
通勤途中でも
雑草の花に目を向けるくらいの
余裕を必ず確保できる。ように日々努力することが
力量かなー
と(笑)
どんなことも、
余裕が持てないと
良くないですね^^
なんか、
話が変な方向にいっちゃった!^^;
みんながそこを走り去るから、と、いう「ムード」を作っていく方に回るか、そうではない方に回るか。
ってことだと思う。
「通勤途中で雑草に花」と同じものではないと思う。
あえていえば、誰かがどうだから、ってことよりも、自分はこうだ、って。
そういうことが試されているかのようなとこ、たくさんあると思う、車の運転って。
「駐車禁止除外指定車」ってプレートをいただくことができるんだけどね、うちの車、娘の障害の関係で。
警察署で更新の手続きしたときに言われたの。
取りにくるときにテストするから、交通法規を復習してこい、って。
そう、アレもね、駐禁のキップ切られないからって、どこにでも停めていいわけじゃないんだよね。
そして交通法規関わらず、はた迷惑なとこだって、停めちゃいかん。
車を扱うってことはさ、いろいろな面で、人が問われる、って要素、大きいんだと思うんだよね。
コレを簡単なことのように思っちゃいけないと思うんだよね、車って。
だってさ、ちょっとした油断で、大きく人を傷つけることができる物体なんだものね。
それは、わかります。
私は、ちょっと、
S嬢さんの言いたいことを
踏み越えていたような気がいたします。
ごめんなさい。
以下、どうしてこういう発言をしたか、
です。(自己レス)
自分はこうだ!
ルールを守って正しいことをするんだ!
と思っていても、
極端な話、
いざ、
生きるか死ぬかの状況になったとき、
自分がどちらを選択するか。。。
(本当のところ、私には、自分がどうするのかわからない)
そういう状況にならないよう、
日々、努力することが大切かなーと。
交通ルールを守らない。
この位ならいいだろう、
というのは、ヒトの感覚です。
その感覚は甘えの中に存在するものだとも感じてます。
ちなみに、
私は、車の運転が怖かったので
交通ルールを異常に
守ってました。
それが、迷惑なことも知っていたので
なるべく、邪魔にならないよう、
運転していました。
でも、疲れると、だめみたいで、
まったく、同じ状況で事故を2回起こしました。
その事故は、
誰にも迷惑がかからない場所で、
自爆です。
(駐車場内で壁に激突(笑))
以来、
車の運転だけでなく、
全ての物事に対して、
疲れないよう、
気を配ってます。
(車の運転はやめました)
ルールの問題もありますが、
ルールを守ったからといって、
事故がおきないわけではなく、
それを、
悦脱しない状況に身をおくことが
まずは大切かと。
もちろん、
そうしていたからといって、
問題が起きないわけがないということも
承知しています。
S嬢さんが言うとおり、
モラルは
大切だと思います。
そのモラルは
全て、自己管理から
きている気がしている
ということです。
それが、
私にとっての
通勤途中の花です(笑)
交通ルール、っていうかね。
「横断歩道」の問題ってのは、強者対弱者、ってとこで、自分が「強者のカード」を持つときにどう思うか、ってことなんだと思う。
ルールを超えて、ココなんだと思う。
だから、余裕があるからどう、無いからどう、ってことを、わたしは言いたくないとこがあるの。
これは理解して欲しい。
そして、そういう思考全て引っくるめての「余裕」ってのは、確かにあると思う。
whiteさん、車の運転、やめたんだ…。
いや、なんのかんのってことではないけど、必要度がもしも低いのなら、それはそれでいいのかも、とも思う。
理由は、ガソリン代。たけ~~よ~~、と叫びたい。
あと、車ってのは、維持費もバカにならんしね。
whiteさんがどんな風にぶつけたのかわからないけれど、どーしてここでこういう風にぶつけるんだ?ってのを数回やる女性、って、確かに存在する。
車両感覚ってのが、身につきにくいのかも、とは思う。
わたしは自動車保険の割引率ってのが、今、最高の状態になってるんですわ。
保険屋の担当者から、くれぐれも近所でシートベルトをするのを忘れないように、と言われております。
駐禁は切られない、スピード違反ってのをするタイプじゃない(スピード違反のキップ切られるようなとこ、あまり行かない)、だからシートベルトくらいしか無いだろ、と。
そんなもんでゴールド免許じゃなくなったら、もったいないだろ、と。
だよなあ、とか思いつつ、ちょこっとあっちくらいでベルトめんどくさいよ。
ああ、これも「ルール」だよね。
道も狭いし、歩道もないところが多いし、自転車がよく走っているところなので、自然と運転が慎重になります。近所に小学校と中学校があり、危険ゾーンなので、ゆっくり走るのですが、クラクションを鳴らされることは、ほとんどありません。
県民性なのかなあと思うのですが、運転の仕方になんとなく余裕があるのです。他県から来た方は、最初はいらいらするかもしれませんが。そういう「経験」が、ぐるぐる回っていくのかな、なんてことを思いました。何となく運転者と歩行者の心理的な距離が近いような気がします。目線で会話することが多いというか…。