S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

フォー・ビギナーズ・シリーズ 「障害者」

2005年01月30日 | 書籍紹介
1995年11月15日第一版発行

わたしの所持する「障害者」という本の後ろには、そう書いてあります。
この本は、発売後すぐに買った覚えがあります。
上の日付を見ながら、娘が4歳のころだったのだなあ、などと思ったりしました。

脳性麻痺による身体障害者である著者が、「障害者のことを全く知らない人が読んでもわかるような本」を目的に書かれた本です。
ものすごく読みやすく、日本の障害者がどんな立場におかれてきたか、どんなことを思って生きてきたか、どんなことを考えようとしているかが、一冊でほぼ網羅されているような本です。
ふれられている障害種別も、多種多様です。

この本の表紙のイラストの中心には、著者を模して書かれた人物がいます。
車椅子に乗った男性が、大きく両手を広げています。
後方には鳥の絵があり、その脇に、手書きの文字で「白鳥でもアヒルでもない オラァ 翔ぶ鳥だ」と書かれています。

内容に、こんな記述があります。

アンデルセンの数ある童話の中でとりわけ名作のひとつである「みにくアヒルの子」は、福川弓彦氏の少年時代には、「障害者のあるべき姿の目標」とされていたぐらいだったが、現在の障害者たちのあいだでは必ずしも評判はよくない。
姿形が異なるためにアヒルの仲間では疎外され、兄弟からも疎まれていた主人公の水鳥が、最後には白鳥の子どもだったことがわかり、白い大きな翼を広げて飛び立っていく。
 なぜ白鳥にならなければならないのか。
 醜いなら醜いままで幸せになれないのか。
 そもそも「醜い」というのは、自分たちが「醜くない」と思っている側の偏見に過ぎないのではないか。
この物語に対する障害者やその周辺の人たちの反発のおもな理由はだいたいそんなところにある。


わたしはこの本に、大きく影響を受けたなあと思います。
特に、この「みにくアヒルの子論」は、機会があるごとにふり返って考えることは多かったなあと思います。
「障害者」と呼ばれる人たちは、どこか「頑張り」や、「マイナス部分の巻き返し」ばかり要求されているのではないかと、そんなことも思ったりもしました。

結局のところ、わたしの感覚はこの記事の記述のように落ち着いていきました。
あなたが飛びたければ、飛べばいい。
わたしに与えられた仕事は、飛べるようになるために無理に腕を引っぱることではない。
飛びたければ、飛べばいい。
飛びたくなければ、それでいい。
娘の人生は娘のものと、そこに主眼を堂々と持ちながら、
普通の子どもを育てるのと同じように、誰のためでもなく自分自身のために「飛びたい気持ち」を育てるような育て方をすることなんではないかと。
そのためには、そのままの本人を受け入れていくことが一番必要なのではないかと。

この本を読んだ時に、娘は4歳だった。
そして今は13歳。
人に賞賛されるような大仰なことができるわけでもないし、人を感動させるような健気な頑張りがあるわけではないけれど。
でも、充分に、「自分の人生を謳歌する」子に育っています。
とても、満足。
とても、しあわせ。

インターネット上の「新語」

2005年01月30日 | ○○さんにトラックバック!
最近、トラックバックが入ると、妙な警戒心や猜疑心が生まれるようになってしまいました。
関連する用語があるという「発端」だけで、相手の「トラックバック欄」に自ブログへのリンクを貼り付けるという「押し付け広告」的なのものなのか、貼り付けた相手との「意見交換を求める」的なものなのか、判断する目線が厳しくなってきたところがあります。
トラックバック記事を読みに行くときに、読む素直さが欠け、相手の自己顕示に利用されているのでは、という猜疑心を持って見に行くという部分が、正直なところ自分にはあります。
コメント欄に「トラックバックありがとうございます」というコメントがずらずらと並んでいて、そしてそのコメントが「トラックバックありがとうございます」以上の内容が薄い場合は、黙ってそこで立ち去り、削除の対象にするケースがあるのも事実です。
自分が認められないものは、自分のブログからリンクを貼りたくありませんから。

さて。
過去記事にトラックバックが入りました。
トラックバックは、もっとコンピュータが好きになるblog「ネット新語なお話」です。
こちらの記事に関しては、トラックバックが打たれた記事中の「インターネットの新語がよくわからない」という内容に応えてくれたところがある、と、好意的に解釈させていただくことにしました。
ただ、この「好意的な解釈」が、時に「トンマなお人好し」的部分になってしまうことがおきかねないと思ってしまうのが、最近増えた「相手の記事を読まずに送る押し付け広告的トラックバック」の増加の弊害なのだと思います。

この、もっとコンピュータが好きになるblog「ネット新語なお話」ですが。
内容として、興味深い記事だと思いました。
特に、資料としてあげられたリンク先が非常に興味深かったです。
「もうだめぽ」の語源に関しては、初めて知ったということもあり、知るきっかけとしてのトラックバックには感謝したいと素直に思いました。
さらなる興味を喚起されたところがあり、検索でインターネットスラング集なるところを見つけて、楽しんだりもすることになりました。

この、インターネットスラング集もっとコンピュータが好きになるblog「ネット新語なお話」の両者を読んで思ったことですが。
新語というのは、ある「群れ」によって生まれ、派生する「群れ」で使われることで育つ言葉で、特にインターネットで生まれる新語に関しては、この「群れ」で使われる用語という要素が強いように思いました。
わたし自身がインターネットで使われる新語に対して、自分が使用することに対して、心理的に強い抵抗感を感じるのは、きっとこの部分なのだろうとも思いました。
わたしはダメ、なんですよね、どこかの「集団」に群れているという感じの中に自分が入ることというのが。
どうも心理的に、ダメ、です。
「集団に帰属する楽しさや安心感」を感じる人も多いのだろうと思いますし、人それぞれの感覚で、他者否定ということとはちょっと違うのですけどね。

実を言えば、「ブロガー」という言葉も、わたし、どうもダメです。
自ブログを持っているからということで、「ブロガー」という集団に自動的に組み込まれてしまうようで、感覚的に、「きゃー」なんですよね。
「わたしたちブロガーは」とか「われわれブロガーは」なんて表現が出てくると、ホントに「ひー」とか「きゃー」とか思ってしまうのです。
トラックバックを送られた過去記事に出したように、やはり根本のとこで、かなり強力な「個人主義者」なんでしょうね、きっと。

もっとコンピュータが好きになるblog「ネット新語なお話」にトラックバックです。

みにくいアヒルの子

2005年01月28日 | たったひとつのたからもの
生まれて来たときに。
周囲と違う容貌。
周囲と違う能力。
孤立する命。

アンデルセンの「みにくいアヒルの子」はやがて白鳥になり、白鳥たちといっしょに大空へ飛び立つ。
大空に向かって飛び立つときに、「みにくいアヒルの子」はアヒルたちの中で育った「自分」をどう思うんだろう。
「みにくいアヒルの子」は、アヒルたちの前で「大空を羽ばたいて見せる」ことよりも、本当はもっと欲しいことがあったんじゃないだろうか。

その「欲しいこと」とは。
生まれてきたときに、周囲と違う部分を持った「自分」を、そのままに受け入れてもらうこと。
もし、それがかなったとしたら。
白鳥が大空へ飛び立ったときに、それを見送る「アヒルたち」の表情は、全く違うものになるだろうに。

一羽の「みにくいアヒルの子」が大空に飛び立つ。
その経験を知ったアヒルたちの中に、再度、「みにくいアヒルの子」が紛れ込んだらどうなんだろう。
最初から、「みにくいアヒルの子」が「大空に飛び立つ白鳥」だと知っていたら、その態度はどんなものになるんだろう。
二羽目の「みにくいアヒルの子」は、「将来あなたは大空を飛ぶことができるのだ」と聞かされるよりも、本当はもっと欲しいことがあるんじゃないだろうか。

二羽目の「みにくいアヒルの子」が「望むもの」とは。
生まれてきたときに、周囲と違う部分を持った「自分」を、そのままに受け入れてもらうこと。

21番染色体が2つが当たり前の人間たちの中に、時々まぎれこむ21番染色体が3つの子。
わたしのところに娘としてやってきた、大切な命。
あなたの全てを、そのままに。

笹瀬健児弁護士を尊敬します

2005年01月27日 | つぶやき
今日、知的障害児の保護者を対象とした勉強会に参加してきました。
講演会という形で、講師の方は、知的障害児・者を支援する弁護士さんでした。

知的障害があることが、事件・事故の原因ではない。
知的障害があることからくるコミュニケーション不足が「出来事」を「紛争」化させる。
知的障害を持つが故にコミュニケーションがうまくいかないことが原因なのである。


こうしたお話の主旨を元に、コミュニケーションの事後的修復をはかるという「解決法」に関して、簡単な事例を上げて話されました。
また、弁護士に相談という必要性が高い事例も話されました。

特に時間をさかれたのは、自閉症者に関してのことでした。
自閉症を少しでも知っている人なら理解できる行動が、誤解によって事件化されかねないことがあること。
警察で調書を取られるときに、質問に対して自閉症者特有の「オウム返し」の返答をすることで、「自白した調書」ができあがってしまうことの怖さなども話されました。
不起訴にするための迅速な弁護士介入の話もあげられました。

そうしたことが起きたときのために、ご自身の事務所に加え、各種相談機関の連絡先の紹介がありました。
資料として配られたこの方の事務所のパンフには、細かく弁護士費用に関して数字を紹介されていました。
その報酬額は「日本弁護士連合会報酬基準」を元にして算定されていると明記されていました。

質疑応答の中で。
これらの相談機関があるが、あなたがいつもいらっしゃる場所はどこなのか、という質問がありました。

この「回答」として。
ごく普通の、常識的な、当たり前の返答だったら、「事務所に連絡を」という回答で終わると思います。
この弁護士の方、
なんと、二百名以上の聴衆に対して、ご自分の携帯電話の番号をメモさせました。

わたしは、ものすごく、驚きました。
「緊急性を伴うSOSを確実にキャッチする意志があります」と表明されたように感じました。
そのことが、「二百名以上の聴衆に携帯番号をメモさせることの弊害」より優位に立つものだという、毅然とした姿勢も感じました。
どんな言葉を駆使するよりも、この「行動」には、大きな説得力がありました。
人間に対しての基本的信頼感というものを、この方の態度に感じたようにも思いました。

誤解を招くと困りますので、この方の名誉のために「自閉症の方の問題に関して、相談を聞くためのお金はいただきません」とおっしゃったことを付け加えておきます。

わたしは、この講師の方に、大きく尊敬の念を抱きました。
そのことだけでも、今日、この勉強会に出席した意義があったように思います。

「悪い人」

2005年01月26日 | つぶやき
小学生(五年生)のときに、教頭が朝会でしたお話。

悪い人ばかり住んでいるという有名な家がありました。
その悪い人ばかりが住んでいる家に、遊びに行きました。
悪い人ばかりだという話だから、どんな怖そうな人が住んでいるのだろうと思いました。
でも、その家の人は皆、とてもにこにこと、楽しそうでした。

おかあさんがお茶を出してくれました。
そこで、そこの家の男の子が、そのお茶をこぼしてしまいました。
すぐにその男の子が言いました。
「ボクが悪い。おかあさん、ごめんなさい」。
おかあさんは、すぐに男の子に言いました。
「いえ、こんなところに置いたおかあさんが悪い。ごめんなさいね。」
そしてお父さんが言いました。
「お父さんが気をつけてやれなかった、お父さんが悪い、ごめんよ。」
おばあちゃんが言いました。
「わたしがお茶を出せばよかったんだよ、だからおばあちゃんが悪い、ごめんなさいね。」

そう、本当に、その評判通りに、みんな悪い人ばかりだったんです、この家は。
でも、みんなとてもしあわせそうにニコニコしていたんですよ。


終始、穏やかな笑顔で話されたこのお話は、ここでオシマイ。
事実の原因を引き受けて「大切な人を守る」ということを教えてくれたお話を、おすそ分け。

日常的な「敬語」

2005年01月25日 | つぶやき
言葉を使う中で、わたしの中で、ちょっと「憧れ」的使い方というものがありました。
コレが、年齢を重ねないと、きれいに使えないもので。
つまり、ガキには使えない。
しかし、年齢を重ねたからといって、そう簡単に使えるものでもない。
その人自身が「ババくさく」なってると、きれいに使えないもの、なんですね、コレが。
いわゆる「アンチエイジング」が伴っていないと、使うのはかなり恥ずかしいんじゃない?という感じがする。
実は「人が問われる」表現じゃないか、とも思う。

それは、人との会話の中で使う、「敬語を伴う、ですますはずし」です。

例文としては、こんな感じ。

「~してくださる?」(依頼)
「いただく」(欲しいかどうか聞かれた質問に答える形で)
「いらしたのは、いつ?」(「来る」という動詞に関しての敬語)


日本語の「丁寧語」や「敬語」というものは、丁寧や尊敬、謙譲という使い方に加え、「関係の距離性」も表します。
相手との親しさの中でこの「関係の距離性」をはずしつつ、相手に対しての敬意を言葉に表すと、「敬語を伴う、ですますはずし」になる。

こうした「敬語を伴う、ですますはずし」表現は、関西から西の方でみられる方言の「動詞+はる」が代表的ですよね。
この「動詞+はる」は、言語研究上、敬語表現に加え、「人に対しての親しみを表す」という説もあります。
人との距離感を表す意味もある「敬語表現」の、いわば逆転現象のようなもので。
こういう、日常的なところで、おおげさではない敬語表現が生活の中に密着しているのはいいなあと思う。
これは年齢層関係なく、子どもでもすんなり使っているという感覚がある。
九州に住む姪や甥が会話の中でこの「動詞+はる」を使っているのを聞くと、なんか思わず微笑んでしまいます、わたしは。

この「動詞+はる」には、ちょっと興味があることがありまして。
こうした日常会話の中に自然なさりげなさで相手に親しみを持つような敬語文化を持った人と持たない人と、潜在的な意識というレベルで違いがあるのか。
あるとしたらどんな違いがあるのか。
どんなモンでしょうね。

ありがとう

2005年01月23日 | つぶやき
小学生のときのこと。
一年生だったか、二年生だったか、記憶は定かではないのですが。
わたしは「ありがとう」という言葉の意味を強烈に記憶したことがあります。

道徳の授業だった。
NHK教育の道徳番組を見ていました。
人形劇、でした。

クマだのタヌキだのウサギだの、キャラはなんだか忘れた。
そんな「森の子どもたち」が登場人物でした。
主人公キャラが、仲間の中で、決定的なあやまちを犯します。
それはあまりにも決定的なあやまちで、主人公キャラは仲間に謝り続けるのですが、誰も相手にしない。
そっぽを向きます。

決定的なあやまちが何だったかも、忘れました。
ただ、この主人公キャラが悲痛にくり返すセリフは覚えています。
「ごめんしてね」「ごめんしてね」と言うもの。
このフレーズ自体、自分が使ったことが無かったので新鮮でした。
要するに「勘弁してください」「許してください」と悲痛に訴え続けていました。
でも、誰も相手にしてくれない。

その時に、たったひとり「いいよ」と許すキャラが現れる。
そこで番組は終わりました。

そして、授業。
「この主人公が最後に感じた気持ちはなんでしょうか?」と言いながら、先生は黒板に「    い」と書きました。
つまり、形容詞で答えろ、というわけです。

「うれしい」が、最初に出ました。
先生は、微笑みつつ、首を振る。
子どもたちは、苦しみつつ、「楽しい」を始めとして、思いつく限りの形容詞を列挙しました。
先生は、首を振り続けました。
そして、子どもたちが迷宮に入ったのを助けるように、黒板にこう書きました。

「ありがたい」

そしてゆっくりと、子どもたちにわかるように「ありがたい」という言葉について、話し始めました。
「ありがたい」ということは、「有り難い」、つまり「ある」ことが「難しい」ことなのだと説いていきました。
その難しいことを誰かが自分のためにしてくれたときに、人は「ありがとう」というものなのだ、と。
誰かに何かをしてもらうときに、自分のために人が動いてくれるということ、そのことに当たり前になるな。
感謝を持って生きろというような意味のことを、ゆっくりと伝え、その授業は終わりました。

わたしは知的に「早熟な」子どもでした。
小学校で行われる勉強で、特に低学年のときはなおさらだったのですが、学校で行われる勉強で、わからないことなど何も無かった。
発言に関しては、誰かのために「待機」させられることばかりでした。
多分、学校というものに入って、「わからない」という迷宮に入った最初の経験がこの日の「ありがたい」だったと思います。
この日、わたしは「わからない」という迷宮に入ったことが、逆に自分にとって大きな収穫につながったのだと思います。
なんというか、自分の人間的な「未熟さ」というものを、思い知ったような気もしたなあと思います。
この日のこの授業は、思春期の思考の中でも、何度か思い返すことになりました。

強烈な記憶として残った、この日の「道徳」。
人生の一つの指針として、今もわたしの中に息づいています。

この授業を行ってくださった「中村摩耶先生」、ありがとうございました。
(この頃、50代くらいでいらしたと思うので、今はご存命か、わかりません)

「プレイやん」購入申し込み手続き完了!

2005年01月22日 | 使用機器/ソフト
わーい、わーい、わーい。
どうしようか迷ってたけど、買っちゃったですよ、プレイやん
MP3プレイヤーとして、酷使する予定です。

SPは、息子に「ちょうだい」と交渉済み。
「あげない」「でも、ずっと貸してあげる」とのお返事。
去年お年玉で買った、トイザらス限定カラーのゴールドのSP。
12月にDSをゲットして、このSPは、すでにしまいこまれてる状態です。
DSは、アドバンスのソフトも使えますから。
しまいこまれたSPも、プレイやんの発売で、一気に地位向上。

思えば数年前。
息子の希望に根負けして、任天堂64を購入。
購入後、あっという間に、キューブが発売になった。
それから母は、「任天堂のハードの戦略は早い」と判断。
キューブが欲しいとわめく息子に、
「任天堂は絶対にアドバンスの後継機をすぐに出す。
 SPは、ソフトが同じだから、違うソフトを使うヤツを絶対にすぐ出すはず。
 キューブが欲しいか、SPの次のがすぐ欲しいか、考えてごらん」
と、ほぼ、脅迫。
DSの開発ニュースは、いちいち息子に見せておりました。
DSを発売と共に購入するために「おばあちゃんからのお誕生日のプレゼント」を我慢させました。
ソフトは、サンタさんにお願いしました。

ったく、最近の子どものおもちゃは高価ですよ。
入手する金額にマヒする子になったら困ります。
モノを手に入れる喜びのための我慢も必要。
そして、開発ニュースを知り、発売を待つという盛り上がりも必要。

それにしても、SPをゲットして、嬉々として喜んでいたのも結局は一年の寿命。
アドバンスの運命も、こんなモンだった。
早いよ、早すぎるよ。
まあ、充分元をとったと言えるほど、使い込んだかもしれないけど。
欲しくて欲しくてたまらなかったSPも、DSが出てしまえばしまわれてしまう運命。

いや、うれしいですよ。
機器を生かす機会が来たぞという感じのプレイやんの発売。
今度はわたしがかわいがってやろうではないか、SP。

モノを大事にするということで言えば、
「あげない」「でも、ずっと貸してあげる」というリアクションはうれしい。
うれしいのですが。
「もらえない」ので、ポケモンのシールをべったりと貼り付けたまま、使用することになりそうです。

あー、商品到着の「2月22日」が、心の底から待ち遠しいです。。。

姑の入院

2005年01月21日 | つぶやき
うちは、夫の両親が所有する土地に家を建てて住んでいます。
だから、舅姑の住む家は、隣ではないけれど、すぐそばです。

姑。
まあ、世間的に言う程度には、めんどくさいものがありました。
「嫁と姑」ということ以外にも、わたしは姑のする世間話や他人の噂話というものが苦手でした。
聞くのが苦痛だったというか。
「これから食事」というタイミングで、それを伝えているのにもかかわらず、電話で延々としゃべるのを聞かされてうんざりしたこともありました。

その姑。
数年前に、老年性のうつを発症しました。
全く表情の無い顔で、誰に呼ばれても全く無反応になりました。
誰もがこのまま呆けてしまうことを覚悟しました。
生気が無く、動作にも覇気が無く、そのためよく転びました。
そのために怪我もずいぶんしました。
手や顔を打ったときに、腫れ上がった顔を見ながら、
「家族のため、家のため、誰かのためにずっと自分を殺して生きてきた人生の結果がコレなのか」と、ものすごく悲しかったです。
腫れ上がった顔を見ながら手を握り、ただはらはらと泣けて泣けて仕方がなかった日を、多分わたしは一生忘れないと思う。

少し好転して、小さいながらも反応が出始め、返事らしきものもほんの少し出始めたときに、わたしはひとつのことを決めました。
この姑に、「自分が必要だ」と思わせることを、ひとつがんばってやってみること。
畑を作って野菜を植えることが習慣になっていた姑に「教えて、教えて」と頼るためだけに、わたしは庭の隅を掘り起こして小さな畑を作りました。
そして、毎日、毎日、姑を引っぱって、指示を仰ぎました。

なぜか。
姑、高齢なのにもかかわらず、「完全復活」をいたしました。
うつ状態は2年くらいだったと思います。
今では、まさに「完全復活」。
あれは誰だっただろうというくらい、元通りの姑になりました。

つまんない世間話や聞いてるのも面倒な噂話も復活しました。
ただ、以前と違うのは、どんな話を姑がしても、わたしは姑が表情を持ってしゃべること自体がうれしくてうれしくてたまらないことです。
苦労して作ったわたしの「小さな畑」は、今は見る影もありません。
だって、もう、必要なくなったしー。

現在。
姑、入院してます。
ウィルス性の腸炎で発熱したのですが、その影響があってか肝臓の状態がよくない。
一通りの検査をして、とりあえず心配なことはないことがわかったのですが、肝臓の数値がよくなるまでは入院生活です。

義妹が同居してることもあり、普段は、けっこう自分勝手にご無沙汰してたりする「勝手な嫁」です、わたしは。
だから、そんなにしょっちゅう会ってますってほどでもないんだけど。
でも、すぐそこにある家に、今は姑が不在なのだと思うと、淋しいんですよ、とても。

入院している姑に「会いにいく」こと、今、ちょっとした生活の中の「楽しみ」になっています。
明日は洗濯モノの交換とともに、新しい寝間着をプレゼントする予定です。

アンチエイジング:3

2005年01月19日 | つぶやき
あるご夫婦のお話。

上のお子さんが高校生で、いわゆる「学級委員やってましたぁ」みたいなイメージの堅めの印象の奥様。

ご主人がね、入院されたときのことです。
かねてから、「ベッドが開き次第」ってことになってたもので、まあ、大変というほどのものではない。
でも、術後二週間は安静、二ヶ月の入院が必要というものでした。

数人で話してたときに、彼女の携帯にメールが入った。
彼女、イキイキと、返信してるんですよ、病院のご主人にね。
「しっかりとした、非の打ち所のない母親」みたいな普段の顔と違う。
「彼氏にメール打ってる」顔なんですよね。

「入院ね、暇だからって、ノートPC持ってってるのよ」
ってね、うれしそうにおっしゃる。

ここのご主人とは、会う機会があると気軽におしゃべりしたりしてる。
だからね、何の気なしに、つい言っちゃったんですわ。

「あら、暇なら、わたしもメール送ってあげるよ」

ヤバかったです~。
「女の顔」で、一瞥食らいました。
そ、そ、そんなつもりじゃないです~~。

その後ね、二人になったときに、聞いたんですよ。

「子どもを間に挟まない関係ってのを、ご主人の入院で改めて感じてるのかな。」
ってね。

彼女、ぱっと咲いたような顔をして言いました。

「そうなの。
 二人で話すってのが、とっても新鮮なの。
 面会もね、お見舞いとか世話に行くって感じじゃなくて会いに行くって感じなの。」

なんかね、いい感じでした。
とってもね。

退院後、うかない顔をしてらして。
自宅療養で、職場に出られないご主人が、いろいろと「ウルサい」と。
「彼氏」が「亭主」に変わってしまったという感じでした。

後日、このご亭主と、お話しする機会がありました。
「ニョーボにナイショだよ」と前置きして、彼女の「恋する表情とその後」の話をしました。

「アンタ、愛されてるのよ。
 そのことを忘れないでね。」と言いました。

ご亭主、なんだか、ちょっとはっとしたような顔をして。
それから、わたしに言いました。

「ありがとう」

恋する心を忘れない。
これも「アンチエイジング」のひとつかな。

アンチエイジング:2

2005年01月18日 | つぶやき
「アンチエイジング」で思い出して、数年前書いた文章を掘り起こしてきました。
2001年の11月に、友人の結婚式に出席した時の話です。

先日行った、友人の結婚式。
とてもステキな女性に出会いました。

新郎側の出席者に、彼を支援してきた50代後半の方が3名いらっしゃった。
3人とも、「社長さん」という立場だったのですが。
そのうちの一人が、女性だった。
58歳だとおっしゃって、確かにぱっと見は、お年を召した方でいらっしゃったのだけれど。
話し始めると、大輪の花が咲いたようで。
聡明で、自己に対してのプライドが、とても美しい。
この3名、長年の仲のよいお友達でいらして、わたしも混ぜていただいて、お話していました。
まあ、普通、男性は「若い方に向く」みたいな傾向があるとは思うのだけれど、彼女のその大輪の美しさの前では、彼女より年が若いなんてことは未熟さでしかないという感じがした。

細かいことを言えば、実にきついところのあるマダムで、結婚式の式場側の段取りの悪さに、数回ブツブツ言ってらっしゃった。
いや、実に式場側の段取り、悪かったんですよ、ホント。
そんな中で、わたしはマダムに「お気持ちはわかりますけれど、のんびり、お客様、していましょうよ」なんて言いながら、彼女がちょこちょこと従業員の方にちらっと一言いうのがまあ小気味よくて、わたしはそばできゃっきゃと笑っていました。
わたしは、自分がだらしないので、他人に対してもまあいいかまあいいかってのは多いのですが、その実「気がついてしまう」ってところもある。
だから、彼女の押さえたいポイントってのが、実によくわかる。
で、二人でぼそぼそと、まあ、細かいことを「報告し合って」二人でウケまくってました。

お行儀に厳しそうな方で、目上の方に対してきちんと相手を立てないとすぱっと叱られそうなのだけれど、それさえ気をつければ彼女の魅力がどんどん伝わってくるという感じで、わたしはすっかり魅入られていました。
自己に対してのあり方が、とても美しい。
そして、とても優しい。
わたしが段差のあるところでちょっとよろけそうになったときに、思いがけないほど素早くさっと手が出て、わたしの手を握って助けてくださった。
それは、とても暖かいものでした。

広告代理店のお仕事をなさってるとかで、お仕事のお話もおもしろかった。
女性を部下として使うときには、現在の能力がどうかということよりも、個人の資質として「気が付く子かそうでない子か」ってのが重要なんだっておっしゃってました。
その資質さえあれば、どんどん伸びるのだというお話でした。

「ごめんなさい、ちょっと手を貸してくださる?」って言われて、ちょっとしたお手伝いをした。
実は、このマダム、ポリオにかかったことがある方だった。
ポリオとは急性灰白髄炎のことで、今、日本では一応、根絶したと言われる、その昔「小児麻痺」と言われた病気です。
経口感染のウィルスで、発熱後、麻痺が残る。
彼女は、左手の指に麻痺が残っていました。
軽い麻痺で済んだ、珍しい例だとおっしゃってました。
通常は、下肢に麻痺が残る。
それで、ご自身のお仕事の合間にポリオの後遺症で車椅子使用者の方の支援をなさってるのだそうです。

「40になったら、顔と首、きちんと手入れしなさいよ。
 そこだけは手入れで何とかなるわよ。」

「そこだけは」っていうのに爆笑しながら「はい、しっかり覚えておきます」と、「大先輩」のお言葉をいただきました。
マダムのお顔、まあ、年齢が刻んだしわというものは確かにあるが、キラキラとしてる感じでシミひとつない。
そして年齢が重ねる皮膚の老化という「マイナス部分」よりも、個人の持つ魅力の勢いの方が勝っていた感じもしました。

「年取るのって、いいわよ~~」って言われて、大輪の花の美しさに魅せられながら、なんかこの先が楽しくなってきた気がしました。


自分が残した文章見ながら、「人生、きれいにがんばろうっと」と改めて。

アンチエイジング

2005年01月17日 | つぶやき
暮れにユニクロに行ったときのことです。
期間限定の、リバーシブルのフリースが欲しくて。
色と柄がきれいだったんですよね。
冬休みに入っていたので、ガキ二人も連れていきました。
最寄りのユニクロは、駐車場が広く、店舗も広い店でした。

広い店内を行き来しながら、ふと、60代半ばくらいのご婦人が、視界に入りました。
着ていたコートを脱いで、この期間限定のリバーシブルのフリースを、鏡の前で何着か着てみていらっしゃいました。
わたしがふと、そちらの方向を見たときに、こんな感じのを着てみていらっしゃった。
柄はちょっと違うのだけれど、色がこんな感じで。

すっごい、似合ってたんですよね、コレが。
ユニクロのフリースが、こんなにきれいに着られるんだ、この人は、って思った。
姿勢のいい方だったんだけれど。

それを鏡の前で着ながら、かなり迷っている様子でした。
わたし、思わず、走り寄って、声、かけてしまいました。
「ものすごくお似合いですよ、とてもとてもステキ」って。

ここで、このご婦人、よくあるセリフを、自信無さそうにおっしゃいました。
「でも、赤過ぎないかしら」って。

な~にをおっしゃる。
この「赤」が似合うんではないか。
薄くナチュラルにしかされてないお化粧で、すっと口紅だけひいてらして。
それが、とても上品で感じよく、そして着ている「赤」が、顔の感じもぱっと明るくさせてるし。

「わたし、あそこにいたんですよ。
 あそこから、なんてお似合いなんだろうって思ったんですよ。
 絶対、それ、とてもよく似合うのに。。。」

「でも、赤過ぎやしないかと・・・。」

何を、こうやって、あきらめなきゃいけないんだろう。
実際、とてもステキなのに。
自分だって、自分からそれを手に取って、着てみたんじゃないか。

そう思っても、もうわたしには何も言えませんでした。
この方の「周囲の方が何を言うか」まで、わたしには責任が取れませんから。

その後、この方が、もっと地味な色調のものを着てみているのを見ました。
全然、ダメでした。
息子のフリースを借りて着ているような感じだった。
さっきはあれほど華やいで見えた顔の感じも、ただ、年齢を推測させるだけのものになった。
わたしは、二人の子どもたちへの対応に気を取られて気づかないフリをして、通りすぎました。

わたしはこの先、どんなに年齢を重ねようとも、自分が選びたいものを選ぶ。
そのことは、実は、大変なことなのかもしれない。
このご婦人が、結局、自分の選択を通せなかったように。

でも、わたしはこの先、どんなに年齢を重ねようとも、自分が選びたいものを選ぶ。
それがわたしの「アンチエイジング」です。

「夜明けのスキャット」

2005年01月16日 | 音楽
歌番組が好きな子どもでした。
歌謡曲にまみれて育ちました。
わたしが育った当時、歌番組っていうのは、ジャンルなんでもあれで、「大人の歌詞」を子どもが聞いてたとこ、ありました。
小学生、それも低学年頃に流行っていた曲で、「あなたが噛んだ小指が痛い」なんてのを、ガキが無邪気に口ずさんでいたりしてましたね。
で、今も「歌えて」しまうものも多い。

「あなたが噛んだ小指が痛い」(伊東ゆかり:小指の思い出
「あなたと逢ったその日から、恋の奴隷になりました」(奥村チヨ:恋の奴隷
「顔も見たくないほどあなたに嫌われるなんて」(弘田三枝子:人形の家
「追いかけて、追いかけて、すがりつきたいの」(ザ・ピーナッツ:恋のフーガ
「やめて。愛してないなら」(辺見マリ:経験

ははは、この辺は、ホント、歌詞カード無しでワンコーラス、歌えてしまいます。
なんだか、すっげー「女」の歌詞ばかりですが、当時は当たり前ですが、意味がよくわかってなかった。
「小指の思い出」なんてのは、まあ、あっけにとられるほど「やらしい」歌詞だなあと、今となっては思う。
小指を噛もうがまあなんでもいいんですが、要するに「行為の反芻の象徴」としての「小指」の歌ですからね、コレ。
この辺の「行為の反芻」と「せつなさ」なんてのに関しては、山田詠美作品によく出てくる世界だなあと思ったり。

と。
全て、これは、いわば、「前置き」。

THE YELLOWMONKEYが、原曲を忠実に再現した「夜明けのスキャット」が、すごく好きです、わたしは。
由紀さおりがこの曲を歌っていた昭和44年当時、な~んにもわかってなかったことが、実によくわかる。
(小学生がこんなこと、わかってたら、困る)
「童謡歌手が女の歌で歌謡界にデビュー」と、かなり話題作だったことは覚えてます。
その話題作が、なんか「るるる」だの「ららら」だのばっかりで、あとは「時計は止まるの」ってのも、意味がよくわからなかった。
なんだか、時計の故障というイメージと、不思議な不可解さは、とても覚えてる。
ガキが何を感じたんだか、ただ、妙に好きな曲ではありましたが。

それがですね。
すっかり忘却の彼方だったこの曲。
イエモンによって、よみがえる記憶。
「るるる」だの「ららら」だのがくり返される「意味」や「時計の故障」の本当の意味が、イエモンの「夜明けのスキャット」を聞いて、やっとわかった。
この曲を男声で歌う「色気」も好きです。
「女」で、よかったと、しみじみと、思います、この曲聞くと。

五輪真弓が出産後の復帰のときに、「子ども生んだからって、恋の歌から『仲間はずれ』にしないでくださいね」と言った言葉が印象的でした。
五輪真弓がこれを言った当時、まだわたしは既婚者ではありませんでした。
この言葉、今はとてもよくわかるなあと思う。

昨日、CD店で、サザンのDVDのデモを見ていて思ったんですが。
原由子って、子ども生んでからの方が、きれいですね。
そのこと気づいて、なんかちょっと、うれしかった。

「知的障害」というもの

2005年01月15日 | たったひとつのたからもの
先日、娘の通う養護学校に用事があって行ったときのこと。
高等部の廊下に、書き初めがたくさん貼ってありました。
階段を上がって正面だったので、自然と目に入ってきたものです。

いろいろな言葉が書かれていました。
正月らしい言葉もありましたし、好きな言葉を書いたものもありました。
その中で、一段と印象に残ったものがありました。

非常に力強い文字で、

「あんまん」

と書いてありました。

理屈ではなく、ゾクゾクっとするほど「いいなあ」と思うのは、こういう時です。
この文字を書くときのこの方の脳裏はどんなものだったのか、のぞきたくなる。
近づきたくてたまらなくなるのだけれど、どこかきっぱりと、
「わからないヤツは入ってくるな」みたいな感じを持ってしまってみたりもします。
何か、こう、強烈な片思いのような気持ちになるのは、こんな時です。

さて、うちの知的障害児13歳♀は、今日はプラスチックのバットを背中に入れて、家の中を走り回っています。
走りながら、時々立ち止まり、決意に充ちた表情で、時々バットを背中から抜いて振り下ろしてみたりします。
振ったら、後ろに飛びます。
時々、クローゼットの扉を開けて、したり顔でうなづいてみたりしています。

要するに、彼女は「冒険」をしているのです。
黙々と、真剣な表情で。
彼女の視界には、息子がやっているドラクエの画面の中の世界が広がっています。

その様子は、おかしくてたまらないのですが、実に細かい部分も吸収しているのがよくわかる。
イメージを無限に広げられるという意味で、まさに「名優」です。

「修正」か、「整形」か

2005年01月14日 | つぶやき
今日、銀行で、ちょっとした手続きをするときに、本人確認のために自動車免許を提示。
女性行員、免許証を見ながら。

「まあ、おきれいですね」

免許証の写真を見ながら。
本人ではなく。

思わず、「わはは」。
いや、笑うのみ、ですよ。
だって「おきれい」なの、写真、ですから。

ゴールド免許、ですから。
5年も、使うわけ、ですから。
写りのいいの、「きれいな」の、貼るに決まってますよね? 普通。
最寄りの警察署に申請のヤツですから、写真、自分で持っていったの、貼れるし。

(コレの前の免許の写真の方が、もっときれいよ。
 まあ
今より10歳、若いけど。。。)

春になれば、免許の更新の時期が来る。
ゴールドで「5年」ですからね、気合い入れて、いい写真、持ってきますよ。
当然、当然。

違反で捕まることがあったら、いつか、言われるんだろうか。。。

「この写真、修正してます?」

いや、さすがにそれは恥だから、やらないと思うけれど。
(でも、写真の明るさ調整すると、アラが見えなくなるかしら。。。)

ま、そんな風に言われたら、元気に答えたいと思います。

「整形しました!」

(写真より「ひどくなる整形」なんて、しないって。。。)