S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

獄窓記

2006年12月11日 | 書籍紹介
 Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2004.6.21-2004.7.4号) 山本譲司 さん

 獄窓記の著者インタビュー。出版時にあちこちで紹介されていたが、保存できるウェブ上のインタビューは貴重だと思う。

 著者が刑務所生活を送る中での生活が記載された内容で、障害に関しての話が多々、多種多様に出てくる。
受刑者の中にいる障害者の話というものもあるのだけれど、このインタビューに紹介されていない話で印象に残っていること。

 受刑者の中にいるダウン症児の父親。ダウン症児のご子息は、養護学校卒業後、施設利用。入所か通所かは書いてないのだけれど、職員が利用者に暴力をふるっていたとのこと。
ここでこの受刑者が他の親とも相談の上「話をつける」と施設に乗り込み、結局大喧嘩になり、暴力をふるったということで追い返される。
福祉事務所に相談に行くが、埒があかず、また大喧嘩になり、職員を刺して受刑生活。

 ダウン症の青年は二十歳になるということで、「障害児」に支給されていた手当は打ち切られる。
「障害者」に対しての福祉的支援はあるのだけれど、残された妻は夫の犯罪により「敷居が高くなり」、福祉事務所にも行けず親のグループにも行けず、情報が入らない。

 福祉的支援というものは自分で申告しないと得られないものばかりで、受けられるはずの福祉的支援というものを「知らない」状態で生活している、この方のご子息のダウン症の青年の「母親」。
「父親」の犯罪と受刑と。そのことに犠牲になるダウン症の青年。
著者に、受けられる福祉的支援の概要を説明され、獄中から妻に手紙でそのことを知らせる。

 この親子に関わったことのある人間で、この母子がこういう状況に陥ることを予測できなかった人は少ないんじゃないか、と思う。そのことが、歯がゆい。
獄中にいる父親の方が幸運にも情報を入手できたという、皮肉。

イケイケ、パニッカー

2006年11月26日 | 書籍紹介
 障害を知る、ということ。教科書のような本ではなく、感動がどうのという押しつけがなく、ああそういうものなのか、そうなのか、と自然に思えるような本。

イケイケ、パニッカー―自閉症の子育てマンガ&エッセイ

クリエイツかもがわ
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 長々とは語られない。ひとつの出来事、ひとつのテーマに見開き2ページで語られる本文が続く、いわば短編集。そのひとつひとつの文章の冒頭に4コマ漫画で描かれる、その話のさわりのようなもの。その4コマは、たった4コマの中に、そうなのか、という思いを持たされる。
ああそうなのか。これが重すぎず軽すぎない。そしてこの(ああそうなのか)を95回ほど積み重ねたときに、あるイメージができあがってくる。
それはここに描かれているひとりの自閉症児の個性であり、その原点になる自閉症の傾向であり、それを日常としていく、日常の中で発見を見いだしていく母親の姿であり、そこには自閉症という障害の一種類を越えて知的障害をもつ子の親に共感を持たせる内容がある。

 おもしろいな、と思うこと。冒頭の4コマ漫画を読んでから本文を読むために、本文を読むときには本文に書かれている内容に関しての見通しができあがっている。
この本がもしも本文だけで構成されていた場合、読後の感想は少し変わってくるかもしれないと思う。内容の中のシリアスさ、重さ。こういったイメージが強くなるかもしれない、とも思う。
しかし4コマ漫画で構成されたエピソードは、その絵が語るものは日常の匂いがする。日常の匂いがする上に、くすっと微笑みをもつものもある。日常というものはそういうものなんじゃないか、とも思えてくる。

 そうなんだよね。障害をもつ子どもがいるということ。それなりの困難や不便というものはあるし、迷いもある。でも、家族であるということは、それが日常なんだということ。それがイメージとして見えてくる一冊。

 AC公共広告機構が「自閉症の認知・理解促進」をテーマに、2006年度の支援キャンペーンに「自閉症に生まれてきただけ」という広告を作った。
自閉症は「なる」ものではなく、先天性の障害である。ということ、この事実を知らない人はまだまだ多く、「自閉症になっちゃう」的な発言が自閉症児の家族を悲しませることを知らない人はまだまだ多い。
この広告キャンペーンだけでなく、「僕の歩く道」という実によくできたテレビドラマも、自閉症というものを全く知らない人に手渡すものがあるという意味は大きいものだと思う。
 
 「イケイケ、パニッカー」は、「僕の歩く道」を見て、少しでも自閉症に関してもう少し知りたくなった自閉症と縁が無い人に、わたしはとてもすすめたい本だと思う。
こうした類の障害児の母親のいわば手記本で、再販を重ねられるものは少ないのだけれど、この本は五版まで出ていると聞く。生き続けていく本になってほしいな、と思う。

「障害を知る」書籍紹介

2005年11月07日 | 書籍紹介
 障害のある子どもの家族のブログなどを見ていると、気になることがある。それは「健常」という言葉。「健常児」「健常の子」という語彙というもの、使うのは専門家か障害児の家族くらいだと思う。はっきり言って日常的に使うのは、その語彙、変よ。そのことに障害児の親が気づくのは、子どもが学齢期に入ってからが一般的かもしれない。バリアフリーを望みながら、不安がバリアを自分の中に作ってしまう一例かもしれない。
 バリアフリーを望むなら、障害を知ることが方法論としてひとつだとわたしは思う。自分と関係のある「障害」ではなく、「障害」と呼ばれる全般全てを見通してこそ、「障害」は理解できる。バリアフリーだのノーマライゼーションだのという言葉を使うときに、「障害」と「健常」の対立構造ばかり追いかけるのはとても不自然。実は「障害種別のバリア」を作っていること自体、「障害をもつもたない」のバリアを着々と構築していることかもしれない、と、わたしは思う。

 と、いうことで、「障害を知る」書籍紹介。

 障害をもつ子のいる暮らし
 様々な障害について、丁寧に語られている事典的な使い方ができるこの本は、障害種別を問わず「障害をもつ子」の理解の助けになる良書。

魔法の手の子どもたち―「先天異常」を生きる
 先天性四肢障害を中心に、障害を受け入れる、障害を受け入れられるという原点が見える良書。

 はだかのいのち―障害児のこころ、人間のこころ
 重度心身障害児を取り巻く世界、彼らの「はだかのいのち」を通して、命の力が見えてくる良書。


 自閉症の人たちのらいふステージ
 自閉症を単なる知識としてだけでなく、その「生きる」ということをライフステージを通して知ることができる良書。

障害者―FOR BEGINNERS イラスト版オリジナル
 脳性麻痺が原因の身体障害者である著者による「障害を知る入門書」。
 この本一冊で、「障害者」について、概念からその立場におかれた人の現状、日本の障害者運動のおおまかな流れ等把握することができる。障害種別に関して網羅しようとしている努力も大きい。

神さまに質問―筋ジストロフィーを生きたぼくの19年
 筋ジストロフィーの少年が、自分を知ってもらうために作った新聞の紹介と、その人生。進行性の障害と家族の介護、そして本人の成長等、追いながら読める貴重な記録。
 
 どんぐりの家
 聾と知的障害を併せもった子どもたちの現状と、親たちの生きる姿を描いたもので、実話を元にしており、映画にもなった名作。
 聴覚障害児が野球に打ち込む姿と立ちはだかる壁を描いた「遥かなる甲子園」も、同じ作家の名作。

癒しのセクシー・トリップ―わたしは車イスの私が好き!
 骨形成不全による障害をもち、日本の障害者たちに当事者としての力を与えてきた「安積遊歩」の代表的著書。
「障害」というワードを超え、パワフルでチャーミングな彼女のファンは多い。そのファン層は「障害」に直接関係の無い人にも広がっている。

*番外
『ステージ』
 知的障害者にわかりやすいものを、という目的のために作られた「新聞」。記者には知的障害者本人も参加していて、世の中の動きが理解できるように作られているもの。
 単純に一言、おもしろいです。バックナンバーはウェブ上で読めるので関心のある方は是非ご一読を。

自費/半自費出版本から

2005年10月19日 | 書籍紹介
家には何冊かの自費出版、もしくは半自費出版本がある。
親戚の人間が出版したものを年始回りの時に置いていった本があるが、笑顔とありきたりの社交辞令で受け取っても大半の人がただ受け取るだけだと思う。実際数冊手渡されたその書籍を実際に読了したのは、多分親戚中でわたしだけだと思われる。
半自費出版本とは、一定の部数の本の出版に関して、自費出版を手がける出版社と共同出資で出版され、書店にも配本されるシステムらしい。たいがいは与えられるのはチャンスだけで、残るのは行き場のない本の山と、経費に対しての請求書という展開のようだ。
個人が本を出版したい、個人の書籍を購入して読みたい、この両者にはかなりの距離があり、販売される形での出版に至らせる本を作るのは、結局百万円単位の金を使う「道楽」というものらしい。
ウェブ上に「書きたい人」が山ほど存在する中で、書籍が商品として成立し、「読まれる本」となるのは、ほんの一握りだと思う。

そうした「個人の書籍」に類するもので、わたしにとって大事な書籍として本棚に並んでいる代表作はこちら。

 あの子の笑顔は永遠に
 笹井 裕子 著
 (ホームページ自費出版図書館より借出可能) 
 ウェブ上で閲覧できる書評
 *「あの子の笑顔は永遠に」書評/特定非営利法人(NPO)日本せきずい基金
 *「ある頸損者のベンチレータ事故死」 /"WORKING QUADS" HomePage 働く四肢まひ者たち(ワーキング・クォーズ)
 
 夢を持って体操に取り組んでいた少年が、ある日突然、事故に遭う。それは練習中の事故、体操クラブの指導ミス。そして頸椎損傷者としての人生が始るが、19歳でその生涯は終わる。原因は命をつなぎ止めるはずの医療機器の突然の故障。この突然の故障に、不幸な状況も重なっている。24時間介護にあたっていた母親が救急車を呼ばなければならないほどの大量の鼻血、そしてその後の耳鼻科受診時。母の留守中に徹夜明けで介護にあたっていた兄が、その故障の時に居合わせており、自分を責める弟の最期という展開。事故が発生したことに関しての裁判にも至る問題、命をつなぎ止めるはずの医療機器の突然の故障、家族による24時間介護の過酷さの問題等、個人の体験談を超える貴重な手記と認識している一冊。新聞紹介により、直接著者に電話を入れ、購入。多数の反響の中、丁寧な応対と内容のお話を直接お聞きすることもでき、著者の人柄にふれられたこと、丁寧なメッセージを書かれた手書きの紙がそえられていたこと等も含め、わたしにとっては貴重な一冊。

 詩集 ふうか
 脇坂 安郎 著
 赤ん坊が生まれた。その赤ん坊はダウン症だと父親は聞かされる、母親はまだ知らない。出生後すぐに集中治療が必要になり別の病院に搬送された我が子に、父親は母親が搾乳した母乳を届ける日々が始まる。そして母親への告知。
 個人の体験が美しい旋律のように記された一冊。心象風景が見えてくるような内容の高さだけでなく、装丁や行間、本の大きさ等、書籍ならではの価値は高いと思う。アマゾンにて、元価格より高いユーズド価格で出品されていることも注目に値する。入手は購入ではなく、著者から直接いただいたのだが、プレゼントとして使いたくて改めて購入させていただいた経緯がある。
以下、母親が赤ん坊がダウン症だと告知された日を綴った一編の一部を引用。
君を抱いてお乳を与える妻も
いつのまにかうつらうつら
その頬に涙の跡が幾すじも
陽にひからびている

ああ 今日は小春日和だ
(「小春日和の母子」より)
 
(所蔵用とは別に「貸出用」があるので、関心ある方は左メニューのメールフォームからご連絡下さい)

伊藤比呂美の育児本

2005年09月06日 | 書籍紹介
おなか ほっぺ おしり
伊藤比呂美
集英社

先日古本屋のワゴンで、100円で売られているこの本を見つけた。
ああ、懐かしいと、思わず購入。
この本から始まった「おなかほっぺおしりシリーズ」の一連の「伊藤比呂美の育児エッセイ」は、わたしの二人の子どもが幼児の時代に、わたしにとって重要なアイテムだった。
わたしの子育ての教科書であり、友達だった。
乳児と幼児とでぐちゃぐちゃな生活を(いいのか?おい)というほど赤裸々に語り、おおらかに愚痴り、吐き出し、考察していて、その考察の感性はなんともすばらしく、いろんな思考を与えてくれた。
繰り返し繰り返し読んだ伊藤比呂美の育児エッセイの数々は、転居の時に全て地域の児童館の図書コーナーに寄付してきた。
所持していたのは全て文庫版ではなく単行本だったので、家の本棚の場所を取るよりも、その方がふさわしいと思ったから。
今もどこかの迷える母親を笑わせながら助けているのだろうか。

伊藤比呂美の「育児本」との出会いのスタートは、やはりコレ。

良いおっぱい悪いおっぱい
伊藤比呂美
集英社

映画にもなったこの本は妊娠中に図書館で借り、ものすごいインパクトでわたしの中におさまった。
わたしの母は、わたしにこの本を読まされて「自分の時代にこんな本があったなら、どんなに気持ちが楽だったかもしれない」とつぶやいた。
この本は、著者の第一子の妊娠中のことが語られていて、その中に、妊娠した子どもに異常があったらと、そんな文章があった。
具体的なフレーズは忘れたけれど「うりこ姫も鉢かぶり姫も一寸法師も桃太郎も、みんなみんな奇形だった。わたしは自分の生む子が奇形だったとしても、おおらかに受けとめたい」というようなことが書いてあった。
このフレーズだけで表現するのは難しいのだけれど、わたしはなんと言うか、言葉に言えないどーんと「おおらかさ」の影響なようなものを受け、腹の中で育っている子に対して、「わたしもおおらかに受けとめる」と、思っていた。
その章を、なんともにっこりと読んでいた覚えがある。
このときに腹の中にいた子がダウン症だったとわかり、少したって、母がわたしをうかがうようにこう聞いた。
「あの本のあの文章を読んでいたときに、本当は知っていたの? お腹の中の子に異常があるって。」
「知っていて、言わなかったの?」

いやいや、それ、偶然。
一応、それなりに、衝撃。

でも、やっぱり年数たってみれば、あのときそんな風に思っていたことに、助けられたかもね。

宇宙遊星間旅行

2005年08月20日 | 書籍紹介
復刊ドットコムというサイトをご存知でしょうか。
「絶版、品切れ」のため、手に入らなかった書籍を投票により復刊させよう、というサイトです。
わたしは投票を入れるために登録しています。

この復刊ドットコムからメールが来ました。
『上野紀子』 復刊特集ページの案内です。

この中に、わたしが復刊リクエストを出しているものがあります。
それが宇宙遊星間旅行です。
この本が、1981年の初版本のみで絶版になったのは、日本の文化のひとつの損失ではないかとさえ思っています。

初版本のみで絶版になったのは、おそらく絵本でありながら「大人向け」の要素が強いことと、絵本でありながら高価であることではないかと思っています。

この絵本のすばらしいところですが。

1.芸術性の高い「絵」
絵本というより、「画集」です。
ネタバレといえばネタバレなのですが「花が咲く土星」の絵は圧巻です。

2.ストーリー性の高さ
主人公のチコは斜視であることを気に病み、そのことを人に見せないようにするためにいつも望遠鏡をのぞいていました。
ある日、望遠鏡はチコの目に張り付き、離れようとせず、チコに次々と光景を見せていきます。
そしてチコは、ある「星」と出会います。
「星」はチコに大切なことを教え、そして宇宙のひとつの法則と共に去っていきます。
「星」が最期にチコに伝えた一言は「見うしなわないように」というものでした。

3.「星」が伝える言葉の「哲学性」
「星」はチコに、「光速より速いもの」という存在を教えます。
光速より速いものとは、誰もが持っている力です。
それは「思考速」というもの。
星 :思考速というのは知ることではなく 思いをめぐらす速さのことです。想像する力 これは光速でも追いつくことができません。
チコ:思うことに速さがあるの?
星 :あります。たとえば 太陽の光があなたの眼にはいるまでに何分か かかります。でもあなたが太陽と思い浮かべるのに一秒もかからないでしょう。
(本文より引用)
4.ページの合間に解説がさりげなくおかれている
本文中で出てくる語句に関して、科学的な説明が記載されています。

ああ。
本文引用しても、全然ダメだ。
全然、伝わらない、伝えきれない。
わたしの「解釈」を入れたくないばっかりに、よくわからん説明になってないか?
だって、だ~って、この本は、
「読む人が感じる本」なんだもの、変な解説は入れられない。
でも、でも、これじゃ伝わらないじゃないか。
この本が絶版のままって、絶対に、日本の文化の一つの損失なんだってば。
見せたい人、読ませたい人はたくさんいるのに、
でも、そう簡単に貸したくないんだもの、「指紋つくとヤ!」だから。。。
用紙が黒いんですよ、それでもって「汚れがつく」のが「ヤ!」って感じなんですよ、「画集」なんだから。
だって、一冊しか持ってないんだもの。
もう買えないんだもの。

『上野紀子』 復刊特集ページ の 「宇宙遊星間旅行」 に、あなたの一票を。。。
もしも復刊された暁には、わたしは「秘蔵の一冊」に加えて、もう一冊買うつもりです。

「発達に遅れのある子の親になる」

2005年06月29日 | 書籍紹介
先日、出先で時間があったので、本屋へ。
なんだかとても久しぶりに障害関連の書籍を二冊購入。
その二冊のうちの一冊。


発達に遅れのある子の親になる―子どもの「生きる力」を育むために
日本評論社


いや~~、いいサブタイトルですよ。わたしは好きですね。
以下、「はじめに」から引用。
順番からいえば先に死んでゆく親たちが、「発達の遅れのある子ども」に残すことができる最高のプレゼント-それは「生きる力」です。子どもたちの「生きる力」を育む手がかりが少しでも見いだせるように、この本を書きすすめていきたいと思います。

そうだ、そうだ、と怒濤の拍手だったのですが。

いや~~、この本、文章が硬いというかこ難しいというか。
実際、いい本なんですよ、いろんな方向性からいろんな人に取材して書かれていますし。
取材の相手の選択もよくこれだけ網羅したと敬意を持つ。
発達に遅れのある子どもを授かった1人の親が、自分が知りたいことを調べて書いて、本にしたいと思い立ったということが出発点だと。
その出版理由を読むと、たいしたものだと思うし、実際、よくやったと思う。

でも、この本、普通の「発達に遅れのある子の親」になり始めの人には、多分、ついていけない。
「こういう『壁』がある、それをこう乗り越える、乗り越えなければならない」
読み進めながら、そういう印象が強く与えられて、途中で本を閉じてしまうような気がする。
内容はすごくいいんですよ。
でも、この本が、堂々と完読できるような人って、すでにその人としての「発達の遅れのある子の親」という姿勢が完成されているような気もするんですよね。
「親」を対象というより、「発達に遅れのある子」に接する方で、親以外の専門家に姿勢を正していただくという意味では、ものすごく使える本ではないかと思った。
要するに、ある程度の「研究姿勢」が無いと、ついていけないような印象を持つ。

インタビューの事例に「失敗例」が多いこと、これも気になる。
そこから学ぶ視点を持つこと、これはわかる。
ただ、「発達に遅れのある子」の「親」を模索しようとしている人には、多分、失敗例の印象ばかりが残るような気もするんですよね。
教育に関しての「統合」と「分離」に関しても、「統合の失敗例」が続く。
「統合」を望む親に、しっかりと現実を考え、相応の覚悟と姿勢をということなんでしょうが。
その上で、「分離の成功例」がはっきり出てくるわけでもない。
また、インタビューで出てくる意見の文体が「断言」的な表現があるのも、とても気になる。

いや、わたしが何を言いたいかというと。
この本はよくできている本だと思う。
書籍自体にケチをつけるつもりではない。
でもね。
「発達に遅れのある子」の「親」になったばかりでこの本を読み始めた方に言いたい。
嘆くなかれ。
悲観するなかれ。
今は、あなたの印象で作った「壁」に周囲を張り巡らされるような気持ちになるかもしれない。
完読できずにほうり出してしまうことは、けして「負け」でない。
この本を完読するには、自分としての視点を持てる経験とゆとりがいるということ。
ただそれだけのこと。
このタイトルを持つ本を手に取り、読もうと思った自分の意志を評価してやることを忘れないで欲しいこと。
「発達に遅れののある子の親」としての「生きる力」も育まれるべきもので、とても必要なものであること。
「生きる力」というものは、まずありのままで受容されることが出発点であること。
そのことを、子どもに対してだけではなく、自分にも認めてやって、「発達に遅れののある子の親」としての「生きる力」を自分自身にも育んでやって欲しいこと。

そんなことを思った本でありました。

女の名セリフ

2005年04月08日 | 書籍紹介
書籍紹介」のカテゴリで、書籍として出版されていない「書籍」のご紹介。

 ライターを職業とされている方のサイトのコンテンツで、「単行本として企画したものの書籍化されていない」という原稿がアップロードされているものがあります。

フリーライター、前原政之のウェブサイト の 「女の名セリフ
 本書は、軽い雑学エッセイ集にはちがいないが、けっしてそんなふうにお手軽に作られたものではない。なにしろ、本書に収めた名言を集めるために、私は10年以上を費やしている。本や新聞などを読んでいて、あるいはテレビを見ていて女性の名言に出合うたび、メモを取ったり付箋を貼ったりして、こつこつと、守銭奴が1円玉を貯めるようにして集めたのだ。そして、原稿にまとめる段階でその半分以上は捨てた。だから、集めた名言のクオリティには自信があるし、エッセイとして読者を楽しませる工夫も十分凝らしたつもりだ。

 名言集の多くは、もっぱら実用目的のために編まれている。集めた名言から読者がなんらかの教訓を得たり、手紙や冠婚葬祭でのスピーチに引用したりするために、である。しかし、本書はちがう。収めた名言の中には重要な教訓を含むものもあるし、スピーチに使えるものもないではないが、著者の眼目はそこにはない。実用性よりは、取り上げた名セリフの言葉としての輝き、おもしろさを重視した。登場する女性たちの生きざまと個性が、名言というフィルターを通すことによって短い文章で浮き彫りにできれば、と願った。(まえがき より引用)
 「書きかけ」ということになっていて、時々更新があるもののまだ項目だけのところもありますが、ちょっと数分でさらさらと読めるような量ではありません。
内容がとても充実していて、読破完了しても、時々思い出したように、読みにいったりします。
まえがきにあるように、個々の女性たちの個性が浮き彫りにされていて、生きた人間として記憶の中に残ります。
いろいろな女性達が存在するのですが、印象としてまっすぐ堂々と立っているという人が多い。
ここに存在する女性たちに励まされるような気持ちがすることもあります。

「女たちよ、女の残した名言を知っておくのも悪くないぞ」

ってな感覚で、「書籍化されてはいない」書籍の紹介です。

「自分自身を愛する」

2005年04月04日 | 書籍紹介
「自分自身を愛する」

’85年の出版です。
著者はルター派教会牧師のドイツ人。
翻訳者は東京江戸川の教会牧師と記されています。
キリスト教の教えに基づいた書籍です。
わたし自身はキリスト教とは、特に縁がありません。
そうした、「キリスト教とはほとんど無縁」と言っていいわたしがこの本を購入したのは、本屋でそのタイトルにちょっとした興味を持ち、ぱらぱらと立ち読みして、「自分のものにしたい」と思ったためです。

「自分のものにしたい」と思ったその理由は、まず前書きの文中にある記載がありまして。
この本を見つけるずっとずっと前、記憶では確か中2の時だと思うのですが。
「エゴイズムって、悪い言葉なの? 自分を大事にしなきゃ全て始まらないんじゃないの?」と思ったことがありまして。
このはるか前に持った疑問の答が、この本の前書き部分に簡単な語句で、すぱーんと書かれていたからです。
自己愛と利己愛(主義)のちがい、自己受容と自己中心のちがい
そして、本文第一章冒頭に「自分を愛する -loving myself- 」という詩が載っていて、これにとても関心を持ったからです。
以下、この書籍の冒頭にあるこの詩の部分だけ、引用。
自分を愛する -loving myself-

ぼくがきみを
自分よりも愛するなら
ほんとは、きみなんか、愛してないんだよ
きみより自分を愛するくらいでないと
ぼくは自分で きみに 愛してもらうことを
むずかしくしてしまうのだ
きみのぼくへの愛は
ぼくが自分を愛するかどうかに
おおきく左右されてしまう
それに
ぼくのきみへの愛も
きみが ぼくのことを愛してくれるように 自分のことを愛しているときに
ずっと ずっと 強くなるんだよ
ウーリッチ・シェイファー
わたしにとって購入の二つの理由になった「語句と詩」、あなたはどう感じるのでしょうか。
以上、「ブログを使った新しい情報コミュニケーション」の一例 のコメント欄からの発展記事です。

ダウン症児の親のための「初めての書籍」紹介

2005年03月23日 | 書籍紹介
生まれた子どもが「ダウン症です」と告知を受けたときに、関連する書籍を読みたいと思う人は多いと思います。
ところが、最初に手に取る「第一冊目」の選択に失敗すると、その衝撃を引きずることも多い。
この最初の「第一冊目」の選択に関しては、その方がそれまで生きてきた中での「個性」により、どんな本が選びたいかが決まると思います。

さて、「選びたい本」の傾向別に、一挙紹介。

ダウン症って、よくわからない。どういうこと? どんな子なの?
「ダウン症の子どもたち」子どものためのバリアフリーブック―障害を知る本

ダウン症の子って不幸なんじゃないの? そんな子を持って、不幸なんじゃないの?
ようこそダウン症の赤ちゃん

ダウン症って何? 少し怖いけれど、わかりやすく説明して欲しい。
ダウン症は病気じゃない―正しい理解と保育・療育のために

ダウン症について知りたいことはいっぱいだけど、なかなか本が読めない。
今、聞きたいことだけ、手っ取り早く、わかりやすく知りたい。
Q&A ダウン症児の療育相談―専門医からのアドバイス

ダウン症ってどういう風に育てればいいの?
前向きな気持ちで、ちょっと勉強したい、療育とかも。
新版ダウン症児の育ち方・育て方

「しょうがいじ」を育てるって、どういうこと?
障害をもつ子のいる暮らし

「普通に育てる」ってどういうこと? どうやって育てればいいの?
子育て―みんな好きなようにやればいい

ここにあげた本は、わざわざ買わなくても、たいがい大きめの図書館においてあることが多いです。
まず、図書館で調べて借りてみて、気に入ったのがあったら、買うのはそれからでもいいと思います。
図書館で借りて読んだ方が、選択をまちがえたときの「衝撃の引きずり」は少なくて済みます。

最初の一冊目として、あまりすすめられない本。
これは個人の手記本です。
読む方と書き手の個性が合わない場合、衝撃をけっこう引きずってしまう可能性があります。
ダウン症児の親になったばかりの頃に手記本を選ぶ場合は、その手記本が出版されることになったその本のテーマの背景を、本の帯や解説等でチェックし、自分に「合う」ものかどうかの視点は必要かもしれません。
個人の手記本は、いろいろな経験を乗り越えた上で書かれてあることが多いので、経験が未知数の場合、その経験自体に衝撃を受けてしまう場合もあります。

書店に積み上げられた、評判の「感動の手記本」でも、そこに出てくる子どもが亡くなってしまうケースの場合は、「我が子がダウン症児」という受け入れに関して、まだまだ時間が必要な時期には、「亡くなったことによって美化された事実」に憧れを抱いて、子どもが生きていることを生き続けていくことを心から望めなくなってしまう場合すらあります。

また、「ダウン症の親になったばかり」という立場になったことが無い人にとってどんなに「良書」でも、同じ書籍が「ダウン症児の親になったばかり」という人にとっての「良書」とは限りません。
「ダウン症児の親」というよりは、「ダウン症児の親になったばかり」、ということの方が重要なのです。
その人にとっての「時期」の見きわめがとても重要で、そしてその「時期」に対して、けして査定するような視線・視点を持たないこと。
この辺は、周囲の方々に、気をつけていただきたいことかな、と思います。

フォー・ビギナーズ・シリーズ 「障害者」

2005年01月30日 | 書籍紹介
1995年11月15日第一版発行

わたしの所持する「障害者」という本の後ろには、そう書いてあります。
この本は、発売後すぐに買った覚えがあります。
上の日付を見ながら、娘が4歳のころだったのだなあ、などと思ったりしました。

脳性麻痺による身体障害者である著者が、「障害者のことを全く知らない人が読んでもわかるような本」を目的に書かれた本です。
ものすごく読みやすく、日本の障害者がどんな立場におかれてきたか、どんなことを思って生きてきたか、どんなことを考えようとしているかが、一冊でほぼ網羅されているような本です。
ふれられている障害種別も、多種多様です。

この本の表紙のイラストの中心には、著者を模して書かれた人物がいます。
車椅子に乗った男性が、大きく両手を広げています。
後方には鳥の絵があり、その脇に、手書きの文字で「白鳥でもアヒルでもない オラァ 翔ぶ鳥だ」と書かれています。

内容に、こんな記述があります。

アンデルセンの数ある童話の中でとりわけ名作のひとつである「みにくアヒルの子」は、福川弓彦氏の少年時代には、「障害者のあるべき姿の目標」とされていたぐらいだったが、現在の障害者たちのあいだでは必ずしも評判はよくない。
姿形が異なるためにアヒルの仲間では疎外され、兄弟からも疎まれていた主人公の水鳥が、最後には白鳥の子どもだったことがわかり、白い大きな翼を広げて飛び立っていく。
 なぜ白鳥にならなければならないのか。
 醜いなら醜いままで幸せになれないのか。
 そもそも「醜い」というのは、自分たちが「醜くない」と思っている側の偏見に過ぎないのではないか。
この物語に対する障害者やその周辺の人たちの反発のおもな理由はだいたいそんなところにある。


わたしはこの本に、大きく影響を受けたなあと思います。
特に、この「みにくアヒルの子論」は、機会があるごとにふり返って考えることは多かったなあと思います。
「障害者」と呼ばれる人たちは、どこか「頑張り」や、「マイナス部分の巻き返し」ばかり要求されているのではないかと、そんなことも思ったりもしました。

結局のところ、わたしの感覚はこの記事の記述のように落ち着いていきました。
あなたが飛びたければ、飛べばいい。
わたしに与えられた仕事は、飛べるようになるために無理に腕を引っぱることではない。
飛びたければ、飛べばいい。
飛びたくなければ、それでいい。
娘の人生は娘のものと、そこに主眼を堂々と持ちながら、
普通の子どもを育てるのと同じように、誰のためでもなく自分自身のために「飛びたい気持ち」を育てるような育て方をすることなんではないかと。
そのためには、そのままの本人を受け入れていくことが一番必要なのではないかと。

この本を読んだ時に、娘は4歳だった。
そして今は13歳。
人に賞賛されるような大仰なことができるわけでもないし、人を感動させるような健気な頑張りがあるわけではないけれど。
でも、充分に、「自分の人生を謳歌する」子に育っています。
とても、満足。
とても、しあわせ。

PTA管理図書

2004年12月02日 | 書籍紹介
今年度から通い始めた娘の養護学校は、PTA室という場所に、本棚があります。
貸出可、ということで。
「障害」関連本も多いですが、購入年の話題作も多いです。

今までにここから借りて読んだ本ですが。

「少年A」この子を生んで…―悔恨の手記
かげろうの家 女子高生監禁殺人事件
蹴りたい背中
エ・アロール-それがどうしたの
娘心にブルースを

PTAの書籍購入予算が、年間一万円。
わたしが今年役員として所属する委員会は、この書籍購入の係でありまして。
会員にアンケートを取り、さて何を買うかということで。
結局購入したのが次の図書。

「障害児なんだ、うちの子」って言えた、おやじたち
記述式 心の処方せん
いのち輝く日―ダウン症児ナーヤとその家族の旅路
光とともに 二巻と三巻(一巻はすでに所蔵)
相模原自閉症講座 TAKAMURA‘S2000篁一誠氏の講演記録
全23冊のうち、3冊購入
みじかい命を抱きしめて

結局、「障害関連」以外は、一冊。
しかも、今年の話題作ではありませんでした。
ハリーポッターの新作や、「死の壁」などもアンケートの要望に出てはいたのですが、「光とともに」以外は、再版の可能性が低い本を重視しました。
出版年度を逃すと買いにくくなるだろうという予測のもとで。

「たったひとつのたからもの
この書籍購入のアンケートを取った時点で、本屋で山積みになってましたし、有名な書籍ではありましたが、アンケートで、購入希望は出ませんでしたねえ。
まあ、CM自体も書籍も有名ではありましたが、書籍の内容や、それがよく売れるということ、逆にその辺からくる関心の低さが、一般と、「障害が当たり前」の養護学校との違いかもしれません。
まあ、買う案として出してもいいかなあと、わたし自身は思いましたが、
自分ちがダウン症児の親ですからねえ、ちと、言いにくいとこはありましたねえ。
ちなみにこの係になる役員は小学部3名中学部3名高等部3名の全部で9名。
うち自閉症児の保護者が3名、
ダウン症児の保護者は、わたしだけです。
ダウン症というのは、極めて出生率の高い症候群だと思いますが、ダウン症の知的障害は中・軽度が多いことや、社会性に優れ適応力が高く行動障害がほとんど無いということで、小学部や中学部からの養護学校進学者が少ないということがあると思います。
まあ、ドラマで話題沸騰という形になった今では、今年度の話題作として大きな一冊になりそうですから、もしかしたら買ってもよかったのかもしれませんが。
ただ、この本を買えばよかったのに、という言葉は今のところ、聞いていません。

「ダウン症」がキーワードになってくる本としては、わたしは「いのち輝く日-ダウン症児ナーヤとその家族の旅路」の方を重視、そしてこの担当の係の一人として選択する意見を出しました。
以下、その主たる理由です。

・出生前診断で人工妊娠中絶が可能な時期に、胎児がダウン症と判明しており、意志と決意を持ってなされた出産であること
・黒人男性と白人女性の夫婦であり、「混血」と「ダウン症」という二種の差別が予測される出産であったこと
・このルポルタージュで、著者は米国新聞編集者協会の2000年度優秀記事賞を受賞
・著者にピュリツァー賞候補歴があること


購入した書籍が全て揃ったのが9月で、この本はまだ借り出していないのですが、借りるの、楽しみです、とても。

さて、わたしが「担当役員」ではなく、PTA会員の一人として「購入希望」を出した本ですが。
「障害関連」として「障害児なんだ、うちの子」って言えた、おやじたち
これは、障害関連の書籍が多い出版社の「ぶどう社」の本。
「ぶどう社」の本は、とてもいい本が多いのですが、残念ながら障害に焦点を置くことで、逆に読者が制限されているようで、たいがいにおいて、再版がされません。
それで、「今買わなきゃ」という感覚で。

それと、実は「障害関連以外」の「今年の話題作」として、もう一冊、希望を出したのですが、却下されました。
はっはっは、まあ、よいのですが。
さて、その書籍ですが。
バトル・ロワイアル、でした。

「ぼくのお姉さん」

2004年11月22日 | 書籍紹介
子どもの本の世界に「障害」を語られているものは多いと思う。

中でもわたしが好きなのはこちら

「障害」を語る6つの短編をまとめたもので、
ダウン症が語られているものが表題作の「ぼくのお姉さん」
ダウン症の姉を持つ「弟」が、
「姉」に対しての差別的視線を自らも浴びながらも、
結局は「善」で終わるストーリーで、
作者の意図かそうでないのかわからないけれど、
「ダウン症」にまつわる話が「善」で終わりやすいことを
象徴しているような気もするというか。

「ダウン症児の母親」でありながら、
わたしはこの本の6つの短編の中で、
実は、この「ダウン症」にふれた表題作よりも、
後の5つの短編の方が
もっともっと「読むに価する」と思っています。

それは、自分の奥底に住む、
「ごく普通の人間が、障害児・者に持つ差別や偏見」を
えぐり出されるような気がするからです。

後の5つの短編には、
障害児・者に対しての「攻撃」が、赤裸々に出てくる。
特に「歯形」という短編では強烈です。
また「こおろぎ」という短編の中に出てくる、
「都合の悪いことを、障害児の責任にしてしまってやり過ごす」
という部分が、
本当に自分の中にかけらもないだろうかとさえ、思う。

自分の中に住む「偏見や差別」を直視しないで理想論が語れるか

とも思うのだけれど、
自分の中に棲息しかねない「差別や偏見」の直視は
実はちょっと怖いです。

「首かざり」の中に出てくる、
障害を持つ友達への優しさが、
新たな差別や偏見につながっていくことも悲しいし、
「あざ」に出てくる、
いじめを受けた少女が、攻撃を障害児に向ける行為も、悲しい。
でも、「あざ」に出てくるような、
ことの本質をちゃんと見つけられるおかあさんになりたいな、と思う。

坪田譲治文学賞
新美南吉児童文学賞
児童文学者協会新人賞
赤い鳥さし絵賞

という4つの賞を受賞しているこの本は、
子どもの本を置いてあるちょっと大きめの本屋なら、
たいがい置いてあるし、
古本屋で、見つけることもある。
探すのも買うのも、たいして困難の無い本だから、
多くの人に読んで欲しいなあと思う本ですね。
児童文学ではあるけれど、
大人にこそ、読んで欲しいと思う本ですね。

文庫版もあります。