S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

ニュースサイトを「読む」

2005年07月31日 | インターネット雑記
まずリンク。

最近ブログで思うこと★記事書くよりコメント???私の場合 (じゅん吉ブログ)

この記事、どんな感想を持ちますか?
そしてあなたがもし、この記事を誰かに紹介しようと思ったら、どう紹介しますか?

一軒家@メモ帳
最近ブログで思うこと★記事書くよりコメント???[じゅん吉ブログ!!] 09:02
ほんとに、巡回リストとか作ってるけど、なかなか隅々までいかないよ。

ほわいとぷれいす。
記事書くよりコメント???私の場合 >(ネタ元@一軒家@メモ帳@様)
面白そうなので取り上げてみたw
<オレの場合~ブログ以外も含む~>
1.阪神ブログ更新
2.メールチェック
3.コメント返信
4.mixi
5.ネタ探し
6.ネタ上げ
7.コメント巡回
8.仕事
だから仕事ミスるんだよオレ('A`)

黒板ぽ
【サイト論】よく読むために最高のコメンテーターを目指す(b-logより)
読み方で大切なのは、まず指針を決めることだと思う。指針というのは、なにかを念頭に置くこと。ふつう「なにか」の中身が悩みの種になりがちだけれど、「あるか、ないか。それが問題だ」。
ちなみに「よく読むため(←目的)に最高のコメンテーターを目指す(←指針)」という見出しは、目的と指針がリンク先の文意とは逆だと思いますが、これは僕の趣味です。僕にとっての目的は、よく読むことなのです。

おもしろいでしょ? これ全部同じ記事についての記載です。
おもしろいなあと思うんですよ、わたしは。
情報を紹介するときに、単なる紹介ではなく「個性」が出る。
そしてニュースサイトからニュースサイトへ情報が回るときに「思考の伝達」もされている例が各所で見られることがある。

ほわいとぷれいす。の場合は、こうした紹介コメントの中に、ぼそっとという感じの一言が入る。
このぼそっとという感じの一言がわたしはとても好きで、これを読むのが楽しみで、更新を待っていたりする。
これもサイトの個性なんだろうなあと思う。

ニュースサイトを見たときに、そのURLに実際飛ぶかどうか。
これもそのニュースサイトの個性に左右されると思うのです。

まなめはうすを閲覧するときに、わたしは彼がこういうコメントをつけているときは絶対行きますね、リンク先。
感度の高い人は優れた人だと思います。
感度の低い人でも何か思わせる文章を書ける人はもっとすごいと思ってます。
それが、アルファブロガーなんだと私は思っているのです。
(★感度の高さ http://hhashiguchi.jugem.jp/?eid=251(情報元:一軒家@メモ帳)
それは、わたしがまなめはうすというニュースサイトの指針のようなものに対して持っている「信頼性」なんだと思う。
で、この「信頼性」に基づき、コメントがたった一言「これ、いい!」というものには絶対行く。
そしてそれがこの記事のことで、あははと思ったりする楽しさがあるわけです。

「信頼性」といえば、独自抽出ネタが多い 一軒家@メモ帳
「その場でおもしろけりゃいい」という類の娯楽性の高いサイトの掲載は無く、こつこつと積み上げていく姿勢自体に、信頼を感じる部分は高いなあと思う。
以前、彼女が出した、自分のサイトに対しての言葉「新しい発見の蓄積?」というもの。
この蓄積が、彼女の今後の人生の中で、どんな発展をとげていくのか、ふと思ったりするんですよね。
これは同性だからなのかな。

最近、ニュースサイトがわたしはとてもおもしろい。
こんな楽しみ方は変則的なのかもしれない。
しかし、こうしたニュースサイトに操られて、気づくと今まで訪問していなかった分野のサイトの履歴がたくさん増えている最近です。
ニュースサイトを閲覧したことが無いという方。
わたしもほんの4ヶ月前はそうでした。
でも、おもしろいからおすすめ、だな。
楽しく読めるポイントは、連続して読み続けることだと思います。

わたしはあなたを忘れない

2005年07月30日 | ○○さんにトラックバック!
テレビの特番等で、「あの人は今」とか、過去の音楽史とか出てきますが。
そういうものに出てこないものでも、時代を彩るものってあったよね。

と、My☆Room「宝物☆」を読みながら思い出しました。

以下、ついてこられない若造、いやお若い方には申し訳ないですが、暴走します。

わたしはジャニーズ系には全く興味を示さない方でした。
しかし、『JJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)』は、おおおおお、と言いたくなるくらい懐かしい。
でも、なぜかジャニーズの歴史には出ない彼等。
なんでだー!!?
激しく同意。
当然、出てきてよくないですか?
アイドル商戦として、失敗してたんですか? 彼らは。
メンバーの「としちゃん」が、その後アイドルとしてジャニーズ事務所が出した「田原俊彦」の「としちゃん」と呼び名がかぶったからですか?

アイドルというものは、時代が人間をおもちゃにするものかもしれない。
アイドルらしい明るい笑顔に人は飽き足らなくなるのか、アイドル量産時代に「不幸を売りにした」、いや「させられた」人がいた。
「伝説」ともてはやされている山口百恵だって、内縁関係の子ども、非嫡出子の立場をずいぶんネタにされたものだった。
正妻が乗り込んできて文句を言ったという場にいたという彼女の生育歴の話は、ずいぶんと明星だの平凡だのといった芸能誌にゴシップではなく、ストーリーとして掲載された記憶がある。
「まるやま~、花街~、かあさんの~」と、「丸山花街母の街」という歌を歌ったのか歌わされたのかの「芸者の子」の三善英史もしかり。
そしてジャニーズ事務所といえば、孤児院育ちを売りにさせられた「かわいそうな星めぐり~」と、歌ったのか歌わされたのかの豊川誕。
豊川誕に関しては、特に検索で見つけたこの文章など読みながら、その哀愁を思う。
同じ時代に「よろしく哀愁」という郷ひろみの歌があったけれど、体育座りで冷えた視線で撮られる写真で「哀愁」を売りにさせられた当時の豊川誕の本当の哀愁なんてものは、ただ時代におもちゃにされただけだったんだろうかと思う。

そんなことを思いつつ、My☆Room「宝物☆」のような文章を読むのは、わたしはやっぱりかなりうれしい。
ジャニーズの歴史に出てこようが出てこまいが、彼らは確実に「時代にいた」し、ファンであることを忘れずにいる人が存在するのはなんかうれしい。
ファンというほどでもなかったけれど、わたしは「としちゃん」が好きでしたよ。
あの、なんか、ジャニーズ系というにはちょっと大人の顔を持った彼が出てくると、妙に視線がはずせないような、そんな感じでテレビ見てたなあと。

自分にとっての「時代の思い出」を彩る、存在した彼ら全てに感謝をこめて。
そして思い出を続々とよみがえらせてくれたMy☆Room「宝物☆」に感謝を込めてトラックバックです。

クリックしてね:ネタ版

2005年07月30日 | インターネット雑記
ランキングに参加しています。
登場以来、ベスト10以内に入っています。
この状態、多分、期間限定です。
日に日にランクが下がっています。
このランク入りに愛着を持ち、なんだか固執している自分がいます。

ランキングに参加しています ←クリックしてね

はい、クリックされた方。
「で、何?」と思われた方。
このサイトのこのサイトの左メニューの下の方に「ランキング」があります。
「で、何?」
すみません、ごめんなさい、それだけです。

みんな大好き冷たいおっぱい

2005年07月29日 | つぶやき
いろんなニュースサイトで取り上げられていたコレ。

みんな大好き冷たいおっぱい

この情報紹介には、余計な説明はどこも省いてあり、わたしはスルー。
スルー、スルー、ときて、あんまりどこにでも出てくるもんだから、しつこさに負けてクリック。

わあ、豆腐だ。

この話を読みながら、ふと思い出す10年以上前のこと。
娘を連れて、母子通園の障害児療育施設の集団指導の中で。
ある日、小麦粉粘土あそびをやったんですよね。
小麦粉をこねて粘土状にする。
障害児の「感触遊び」としては、まあよくある教材なわけです、小麦粉粘土。
乳幼児期を対象にしたクラスで、対象は肢体不自由と中度から重度の知的障害。
運動機能の発達のいい子で座位がやっとの状態で、もちろん言葉を持たない状態ですから、口を開いているのは指導員と保育士と、母子通園でくっついてきている母親。
大人が大人同士で「子どものために話している」、まあ、日常的にはちょっと不思議な光景ではあります。

そのときにある指導員(女性)が、とても楽しそうに小麦粉をこね、その粘土状のものを子どもにさわらせてやりながら言いました。

「ほうら、おっぱいみたいね」

なんか、わたし、ぎょっとしてテレてしまって。

最初の子どもである娘は、生後まもなく状態が悪くなり入院。
退院まで手術を含めて、半年以上かかりました。
当初は病院の指示通り、母乳を絞って届けていましたが、すぐに「心臓腎臓疾患児用低塩分ミルク」に切り替えられ、用のなくなった「乳」は簡単に枯渇。
箱の中の呼吸器をつけられて昏睡する娘を眺めるだけの面会、病室の窓から機器につながれた娘を眺めるだけの面会。
そんな日々も長かったので、母子関係の中で「ふわふわおっぱい」などという記憶は何も持っていませんでした。
退院後も、再入院させたくない気持ちから「病院からの預かりもの」のように感じて、必死に薬飲ませたり、状態を観察したりという日々が続き、なんだか「ふわふわ」どころじゃなかった。
マイ聴診器も持ってましたし。

だから、なんというか、「おっぱい」は「おっぱい」などと発語されるだけで、ぎょっとしてしまうような、母親以前の状態のような母親であったんですよね、当時。

「ほうら、おっぱいみたいね」

いや~、なんというか、そのとても自然なしあわせに充ちたような言い方を聞きながら、思った。
母乳だのミルクだのってこととは関係なく、母子がいっしょにいることが原点の、当たり前に赤ん坊が母親に抱かれて、その顔のそばにおっぱいがあるというか。
そんな母子関係というものの成立の原点を語るフレーズなんだなあと。
そんなことを思いながら、第二子妊娠・出産は、「絶対このフレーズのしあわせ感を体感してやる!」みたいに思っていたなあと。

みんな大好き冷たいおっぱい 、食べてみたいです。

豆腐といえば、開発秘話のあるこんなものもあります、ご参考までに。

ひかるKunの”ちょうどのおとうふ”

インターネット上に「自分の基地」を持つということ

2005年07月28日 | インターネット雑記
ブログの中のひとつの記事がどこかのニュースサイトに掲載されると、時として、その記事は「情報」として複数のニュースサイトを駆け回る。
ニュースサイトには「記事名○○:情報元××(ニュースサイト名)」と記載され、情報が複数のニュースサイトを駆け回ることでこの「情報元××(ニュースサイト名)」という部分もころころとその記載される名前が変化していき、元記事を書いた人間の情報は、もはや、そのリンクをクリックするときに動くURLのみとなっていく。
そして、この記事の執筆者はくるくると回るカウンタ、記録されるアクセス数の異常な多さに呆然とする。
アクセス解析やリンク検索でその「原因」がわかれば元をたどれるが、そのどちらの手段も持たない人間は、ただ「海」の中で起きた「津波」に心を奪われる。

こうした「津波」を経験した人間は気づくべきだ。
その「津波」は一時的な流れが持つエネルギーで、けして自分に対しての「評価」ではないことに。
「評価」はその情報を見つけて流した人間に与えられ、その記事が誰かに有意義である、または情報性がある、または意外性があることだと認められることは、すなわちそれを掲載したニュースサイトが有意義だと認められることである。

ニュースサイトに掲載されようがされまいが、インターネット上でHPやブログといった「自分の基地」を持つこと、持ち続けることで一番重要なことは、一過性のアクセス数ではない。
一番重要なのは、自分が生んだ自分の基地、インターネット上に展開される自分の人格といったものへの「信頼性」を閲覧者から獲得することだと思う。
それは流動性のある100だの200だのといったアクセス数で築くことはできない。
インターネット上に「自分の基地」を持つことで起きてくる数種の出来事に対して、一貫した線を持ち続けることではないかとわたしは思う。
そのときに得ることのできた「1」だの「2」だのといった「信頼性」の方が、一過性の数百よりも、広がりと深まりといった明日への可能性をはらんでいるのではないかとわたしは思う。
そしてその「1」だの「2」だのといった「信頼性」をニュースサイトの管理者から得ることができたときに、また新しい可能性が始まっていく。
そもそもニュースサイトの管理者も、ニュースサイトという「自分の基地」をもった「個人」であるのだから。

さらに言えば、ニュースサイトに掲載されることにどこまでの価値があるのかという部分もある。
ニュースサイトの関心の傾向というのは、ある意味限定されているところもあり、個人がインターネット上に「基地」を持つ上で、ニュースサイトの関心の傾向と一致するところもあれば一致しないところもあるというのがごく自然なことだと思う。
本来、自分が何故「基地」を持つのか。
そのことの自分にとっての意義の方が、ニュースサイトでの掲載によって揺れ動くアクセス数より、よほど大事なことかもしれない。

以上、引用も言及もしていないし、記事の主要なテーマともはずれるけれど、送信側としての理由をもって BLOG STATIONの「個人ニュースサイト」の曲がり角 にトラックバック。

「個人ニュースサイト」をいじって遊ぼう

2005年07月27日 | インターネット雑記
黒板ぽ さま
明らかに読んだ覚えがある見出しだけれど、内容をあまり思い出せずかといって再読するほどのものでないと漠然と思うために、まあ(黒板ほ゜の)過去ログにあるからいつかまとめればいいだろ、みたいな、明日から宿題をはじめよう、と同レベルの発想でクリックをためらい、個人ニュースサイトの運営で何を得ているのだろうかとごく軽く苦悩しますので、やはり自分で見出しをつけるというのは、読むのにも身が入りますし、リンク先に述べられた主張、疑問、テーマなんかを自分なりに書き出すことで、コメントが容易になったり、こう読んでください、というメッセージを暗に読み手に伝えられたりというのは、個人ニュースサイトらしい謙虚な、しかしやや危険な手法でもあるのですが、思想を啓蒙したいわけでなく、ただ深くあるいはおもしろく伝わればいいと思うので、考えるのです25日。
呼吸困難になりそうな文章を、ぜいぜい言いながら読解し、次に続くリンクの「黒板ぽ」オリジナルのタイトルに拍手。
「思考」の実現。
【サイト論】言及やリンクだけで繋がりを読み取ろうとしていませんか?[S嬢のPC日記]

一軒家@メモ帳 さま
2005-7-6更新分
個人ニュースサイト」が「個人ニュースサイト」であること[S嬢のPC日記]
このタイトル、元々の記事タイトルは”「個人ニュースサイト」に返信”。
一軒家のてとさんは、このタイトルを被リンク時に変更して紹介したかったと推測。
ところがアップの時点では、ちょっと不思議な状態になってた。
個人ニュースサイト」が「個人ニュースサイト」
うふふふふ。
その後、”個人ニュースサイト」が「個人ニュースサイト」であること”と、彼女の作ったタイトルが「完成」するのだけれど。
でも、彼女のニュース性を信じる他の複数のニュースサイトが、これをこのまんま、被リンク。
個人ニュースサイト」が「個人ニュースサイト」 情報元:一軒家メモ帳
こう掲載されたニュースサイトをいくつか見つけて、うふふふふ、とワタクシ。
でもね、てとさん、修正したタイトルにはまだ「ついていないカギカッコ」に「閉じるカギカッコ」は存在してるよん。

まなめはうす さま
2005-07-26 (Tue) 19:49更新分
そんなことしたらおにーさんおねーさんの視線が痛そうなのでパスしましたw
ったく、やんちゃさんだ、この管理者は。
このやんちゃさんが喜ぶようなネタが以下の分。

ほわいとぷれいす。 さま
7・15(age)ニュースサイトとネタ元様。
この記事にコメント入れ。
↑のやんちゃさんが喜びそうなのは、そのコメントに入れられたレス。
・・・恐縮して、叫ばれちゃいました。。。
この「ニュースサイト」、おもしろいので、いまや常連。

ニュースサイトではないが、

はてなブックマーク
はてなブックマーク > S嬢のPC日記:「個人ニュースサイト」に返信 についたコメント
2005年07月06日 kanimaster 『[blog] うれしそうです。』
うれしい。
ブログを紹介しているニュースサイトをネタにするのって、おもしろいから。

はい、
皆様、失礼ぶっこき、ご容赦を。

最後にニュースサイトのまねごと。

映画「タイタニック」を3行で表現 【Partygirl
すばらしい。
的確さに感涙。

トラックバックの一例

2005年07月25日 | インターネット雑記
トラックバック送信する記事中に、送信先に関しての「言及の無いトラックバック、リンクの無いトラックバック」は、読んでいて、つながりがよくわからないものが多い。
トラックバック送信する記事を「読んで欲しい」という行動ばかりが理解され、内容に説得力があるものに、わたし個人は滅多にお目にかかれない。

巡回先に「言及の無いトラックバック、リンクの無いトラックバック」を見つける。
コレ、すごい。
言及だの、リンクだのと、もうどうでもいいような気がする。
「閲覧者」にとっての「トラックバック」の利益、というものをとても感じたような気がした。

トラックバックが送られた記事は OUTER HEAVEN:10月26日 特別視
トラックバック記事は 日々是自己主張:「解夏」と「ジョゼと虎と魚たち」 

すごいわ、すごいわ、このトラックバック。
二つの記事に結ばれる「共感」の要素がよくわかる。
ねえ、fox、わたしはアンタがうらやましい。

「薬」と「アメ」と

2005年07月24日 | つぶやき
現在、娘が体調を崩しています。
日中は元気なのだけれど、夕刻から発熱という状態が再び復活。
6月から数週間おきに、この状態をくり返しています。
単に、体力が低下しているために、風邪をひきやすくなっているということのようですが、どうも落ち着かない。

その「生活」の中でのことですが。
薬を錠剤で飲ませておりまして。
昨日、薬を飲んだ後に、咳がひどく苦しそうだったので、
「アメをなめると楽になるからね」
と言いながら、本人の目の前でアメの小さな袋をやぶって口に入れてやりました。
そうしたら、ごっくんと、コレを飲み込んでしまいました。
おいおい、それ飲み込むには大きいぞ、と思って、コップに水を入れて渡してやったのですが。
なんせ、直径1.5センチほどの球形ですから、このアメ。

今日、食後に薬を飲ませまして。
そうしたら、本人、したり顔で、アメを取り出しまして。
小さな袋を破いて、口に入れて、
そしてごっくんと飲み込んで、コップに水を入れて飲んでいました。
にっこりと、誇らしげな顔で。

おいおいおいおい。
それは違うよ。

知的障害のレベルとして「重度」の判定をされる我が子。
そして、その「重度」の判定を超えた生活能力を持っているのは、本人の個性として持っている以下の力が作用しているわけで。
・シチュエーションから学ぶ能力
・行動に見通しを立てる力
・自己を持とうとする意志力
「知的障害」というもののメカニズムのようなもの、
本人の個性を生かしていくという要素、
全て引っくるめてわたしにはまだまだ興味がつきないなあと思うような出来事でした、「アメごっくん」。

「『で、何?』トラックバック」が及ぼす影響

2005年07月23日 | インターネット雑記
リンクの無いトラックバック、言及の無いトラックバック」 に、USHIZOさんから「毎度毎度のトラバ論」という記事のトラックバックを受信しました。
その感想、コメントでは長文になりそうなので、トラックバック。

毎度毎度のトラバ論」の文中のこの部分ですが。
あ、もちろん「リトルスプーン行ってきました~」とか、
「カレー食堂 心に行ってきました」とか正直
「で、何?」
と思うトラバはたびたび来ます。それらは元記事を拝見してから大抵
ざっくり削除してしまいます。
この赤文字太字の「で、何?」。
この手の「検索における共通ワードのみのトラックバック」に対しての、わたしの常日ごろの印象は「だから、何?」であります。
なんというか、自記事の広告を貼り付けに来られた以上の感想を持てないんですよね。
対応としてはUSHIZOさんと同じく「元記事を拝見してから大抵ざっくり削除」です。

「トラックバック送信にはコメントでの挨拶がマナー」
とおっしゃる方々がいらっしゃいますよね。
わたしはトラックバックに関しての事前挨拶コメントは原則不要派です。
原則不要派ということで、したいときにはします。
でも、しなくてはならないからする、ということではありません。

この「事前挨拶マナー派」のそもそもの発生は、「で、何?」トラックバックの存在が影響している要素もあるような気もするんですよね。
「で、何?」トラックバックは、いきなり送られてきて、読ませられて、「で、何?」という印象があるので、不躾という印象を持たせられることから来てるのかな、と。
それで「挨拶くらいしろよ、マナーだろ」というところに結びついていく要素があるのかもしれないと。

トラックバックの「事前挨拶はマナーである派」「事前コメント不要派」。
一見、相反するように見えるこの二つの考え方も、その源としてのきっかけは、案外同じところにあるのかもしれないな、というのが素朴な感想。
「で、何?」トラックバックに対して感じる「失礼さ」に対して「挨拶を要求する」か。
あくまでもトラックバックの内容に「納得性」を求めて、「挨拶などいらんから、納得できる内容を」とするか。

どちらにしても、トラックバック送信は、そこに相手が存在するということを考えることが、必要不可欠な「原点」なんだろうとは思うんですけどね。
その相手が「自記事の存在の広報活動のために存在する」のか、「相互のつながりのために存在するのか」。
まあ、ここが結局は「読みがいのあるトラックバック」になるかどうかの境目かもしれません。

リンクの無いトラックバック、言及の無いトラックバック

2005年07月22日 | インターネット雑記
リンクの無いトラックバック、言及の無いトラックバックですが。

それをどう考えるかということは、まあ人それぞれの感覚があるのだろうと思います。
ただ、トラックバックに関して出てくることは、受信した場合、受信側のブログのメニュー部分にそれが表示されるということなんですよね。
その表示件数は、gooブログの場合「最新のトラックバック10件」です。
そのリンクアドレスに関して、受信したトラックバックから選ぶことはできません。
「最新」の「10件」というものが表示されるわけです。
自分のブログに「10件」のリンクアドレスが載るのなら、そのリンク先に関して、自分のメニュー部分に載せるということで、わたしはその内容に関して「吟味させていただきたい」と思います。

そのトラックバックにおいて、いかに「送信先に触発されて」と書かれてあったとしても、それがどこのサイトでどんな内容なのか本文中でわからなければ、判断は難しい。
要するに、「誰彼かまわず口説き文句を言っている相手」なのかどうなのか、リンクや言及が無ければはっきり言ってわからないわけです。

トラックバック送信先に行ってみて、コメント欄に「トラックバックありがとうございます」というものがあれば、さらに混乱します。
それはひとつの記事から複数のブログにトラックバックを送っているということなわけで、トラックバック送信の記事中にリンクが無ければ、「トラックバックありがとうございます」というコメント者の記事がどういう内容を持っていたかということもわからない。

個人の主張をするならば、その主張自体がわかりやすく、ということは文章としての原則なのではないかと思います。
リンクの無いトラックバック、言及の無いトラックバックは、記事の主張自体がわかりにくい。
あからさまな「宣伝TB」ならとっとと削除しますが、「自己主張宣伝TB」というものは、常に判断の迷いを強いられる。
相手に「読んで欲しい」という意志を伝えるという行為としてトラックバックを選ぶならば、やはり「わかりやすく」を目指した方が建設的なんではないかと、わたしは思います。

以上、ひとつのTBを削除するのに葛藤したという出来事からの記事上げでした。
削除はさせていただきますが、特にTB等のこちらからのご連絡は控えさせていただきます。

データに見る「痴漢被害」の実態

2005年07月20日 | つぶやき
警視庁ホームページ:痴漢相談所「電車内における痴漢犯罪の実態」より、考察。

場所別発生状況
卑猥行為というものの大半が「電車内」で行われているという結果になっています。
被害を確認し、訴え出るという件数は氷山の一角と思われる中で、卑猥行為ではなく「犯行がエスカレートした場合に適用される『強制わいせつ罪』」の、平成16年中の電車内における認知件数は、304件。
つまり盆暮れや土日祭日等を除いた平日において、おおよそ一日に1人以上は都内において、なんらかの「エスカレートした行動」の被害に遭っているということです。
これが「表に出てくる数字として」です。

電車内における痴漢犯罪発生件数の推移
調査において、被害に遭う数字は年々増加しており、特筆すべきことは「暗数は、この数十倍に上ると見込まれる」とされていることです。
つまり警視庁において把握している数字というものは「氷山の一角」であると、警視庁が認識しているということです。

被害発生時間帯
大半が朝のラッシュ時に起きており、これは駅員の迅速な対応が望めない時間に起きているということでもあると思われます。
駅員の迅速な対応が望めない時間帯に起きているということは、「暗数」の存在の大きさも推測できることなのではないかと思います。

被害者の年齢層
被害者の大半が10代から20代であるということが特徴的です。
10歳から15歳までの数値は16歳~18歳までよりも下がりますが、通常学区の小中学校に進学する場合は電車を使いませんので、この層の全体数を下げていることも関係していると思います。
つまり、実際の「人数」というより、私学に通う中学生の被害の経験率の大きさが、このデータから推測されると思います。

路線別被害状況
わたしが通学に使っていたのは、京王線、山手線、丸の内線の3本です。
いずれもワースト記録の中に入っていることが、ここでわかります。
わたしの経験の中では、エスカレートした行為の多かったのは「山手線」、性器の押しつけが多かったのは「丸の内線」でした。

電車に乗る上で、痴漢被害に対しての「自衛策」としては、同じサイトの許すな痴漢!というコンテンツの内容がよくできているという印象を持ちました。

*関連記事 「電車の中で

続々「電車の中で」

2005年07月15日 | つぶやき
どんな風に出て、どんな風にアドレスが出されてるのかわたしにはわからないのですが、2ちゃんねるにアドレスが二つほど出ているようです。
そのひとつの「電車の中で」のアドレスに向かってのアクセスが昨日134ありました。
そしてそのことによるコメントが最新記事に投稿されたようで。

まあ、どこか覚悟していたことですから、削除せずに受け入れることにします。
これがまあ、世の中というものの縮図のひとつでしょう。
連打でこなかったことと、早い段階でストッパーになってくださった方がいらしたこと、感謝します。

以前、ある学校の社会福祉に関しての授業という場で、時間をいただいてお話をさせていただいたことがあるのですが。
「社会福祉」というのは興味をお持ちになる方もいらっしゃるし、選挙では公約の一つとしてよく出てくる。
しかし社会福祉施策というのは、「どこかで誰かがやっといてくれる」ということには、誰も反対意見は述べませんし、「いいこと」と判断する方も多いようですが、「福祉を成立させるために、あなたも少し我慢をしてください」ということになると、途端に福祉の対象になる人間に攻撃がやってくるものだと。
それは社会福祉を受ける立場にいる人間は、経験の中で知っていることが多いのだと。
そのことを心に留めておいていただきたい、などとお話ししたのですが。

女性専用車両というもの、様々な意見が飛び交うものだと思いますが、是だの非だのと言っているわけではないわたしのところに、なぜ攻撃が来るのでしょう。
こういう被害の経験があるということに対して、なぜ、「男性差別者」と言われなければならないのでしょう。

ひとつの施策の実現という鉄道各社の選択に対しての異論反論はあるのでしょう。
でも、性被害というものは犯罪なのだということにはかわりはない。
そうした犯罪が、被害者の泣き寝入りの中で、今も続いているだろうと思うということ。
そうしたことを、少しでも具体的に知っている人が増えることは、もしかしたら何かのきっかけになるのではないか。
そんなことを思った上での記事上げでした。

「コンテンツに力のある個人サイト」:商用サイト版

2005年07月14日 | おすすめ個人HP
個人HPというより、商用サイトでしょう。
でも、わたしは、商用サイトでもあるけれど、「個人HP」として力のあるサイトだと思っています。

小さなお花屋さんフローラルミント

このサイトに訪れようと思われた方、是非メニューから「プロフィール」というコンテンツに飛んでいただきたい。
そうすれば多分、わたしがこの商用サイトを「個人HPとして力のあるサイト」だと思う理由がわかるのではないかと思います。

「大きくなったら何になりたい?」
こんな質問は幼児のころから繰り替えされたものかもしれない。
たいがいの人はその内容はころころ変わり、何を答えたのかも忘れてしまう。
でも、このプロフィールの最後に書かれた文章は、そんな小さかった頃のことを、ふと思い出させます。
他のコンテンツのひとつひとつにも、このプロフィールというコンテンツに流れる思いが形になって記載されています。

写真は、このお花屋さんに注文を出したときのものです。
発送の報告時にいろいろな角度から3枚の写真が添付されてきた、そのうちの一枚です。
「開業祝いに。お花の種類はお任せしたい」というオーダーに、「門出」と「祝福」という花言葉を使って、季節のお花を選んでくれました。
オーダーを出したやり取りですから事務的なものでしたが、わたしはこのサイト主と直接やり取りができることに新鮮な喜びを感じていました。

自分にとっての大切な思いを大切にする。
そんなことを思い出させてくれるHPです。

「コンテンツに力のある個人サイト」:個人ニュースサイト版

2005年07月13日 | おすすめ個人HP
個人ニュースサイトとは、ウィキペディアでは こんな風に 、はてなでは こんな風に紹介されています。

まなめはうす という個人ニュースサイトの存在を知ったのは4月1日。
gooブログのアクセス解析の被リンク元であがったそのURLに飛んだのがきっかけです。
わたしはそれまで、個人ニュースサイトというものの存在を知りませんでした。

個人で作っているものならば、そこに「個人」があるはずです。
そのサイトの存在を支える「個人の思考」というものがあるはずだと、わたしはこのサイトをチェックしました。
そして好感を持つことになります。

この個人ニュースサイト、ただのクリッピングサイトではありません。
そこに流れる「個人の思考」というものの存在がある。
これはまずこのサイトのコンテンツの 「いいひと。 」というものに代表されると思います。
このコンテンツ、「いいひと。」という漫画を知っている人ならばすぐにわかる。
そして、わたしは「いいひと。」を「知らない人」ではないのでよくわからないのですが、「知らない人」にもメッセージ性があるのではないかと推測しました。
この「いいひと。 」というコンテンツ、すでに何年も前に作ったこの文章群をリンクさせていることに、わたしは意義を見出しました。
「自分」というものの探求。
人と関わるということ。
成長していくということ。
この「生きていく」という上での主要なテーマを、「いいひと。」という漫画を紹介するコンテンツの中で、彼が探求し続けていっているのがよくわかる。
この文章群は、最後に更新された時点でも彼が学生時代のもので、文章としては過去のものかもしれない。
でも、そこから続く、続いている「思考」というものは、まぎれもなく現在も進行形のものだと、わたしは解釈しています。

実際、このサイトのコンテンツとしてリンクされている 304 Not Modified という彼のブログの中には、その思考を裏付けていくような文章がさまざまなテーマで展開されています。
その中のひとつの「私が自分のサイトを持つ理由。 」という文章に触発されて、わたしは 「宛名の無い手紙」 という、自分にとっても大事な記事を書き上げるわけです。

個人ニュースサイトというコンテンツ、ここにもこのことに関しての探求が、見える。
それは 304 Not Modified をていねいに繰っていけばわかることで、またまなめはうすでの「行動」自体にも、実はそれが見える。
「自分」というものの探求。
人と関わるということ。
成長していくということ。
彼がこの思考に支えられながら更新を続ける限り、そのコンテンツには力を持ち続けることができるでしょう、と、わたしは思う。
それは、「いいひと。」という漫画に出会い、思考し、育てられていった思いが彼の中に生き続けているということかもしれません。

*「個人の要素」を4月の段階で見まくっていたという上記の内容、 「個人ニュースサイト」に返信 という記事と矛盾してないかとおっしゃるあなた。
あの記事はね、彼が仕掛けてきた「w」に対抗するネタよ、ネタ。

個人ニュースサイトとブログの関係

2005年07月13日 | ○○さんにトラックバック!
まずリンク。
304 Not Modified「ニュースサイトがブログを殺す」

以下、この記事に関して考察。
太字部分が引用部分です。

ニュースサイトはブログを殺すか。

殺すニュースサイトもあるでしょう。
殺されるブログもあるでしょう。

ニュースサイトからの被リンクは、一時的なアクセス数を増やします。
それは「影響」であって、「評価」ではない。
「評価」につながる出会いを、もしかしたら作るかもしれないきっかけに過ぎません。
被リンクは、「ヲチャー」を増やします。
その弊害も、あるでしょう。

殺すニュースサイトになるか。
それはニュースサイトの管理者のあり方で左右されることでしょう。
なぜその記事をピックアップしたか。
この理由が常に自分の中で明確である管理者は、「殺すニュースサイト」の管理者にはならないのではないだろうかと、わたしは思う。
自らクリップした記事に対して、揶揄するようなコメントをつける管理者は、クリップすることで起きる影響力の方に気持ちが惹かれるのかもしれません。
チョイスすることで、連鎖的に、そうした揶揄するコメントをつけるニュースサイトに情報が流れていく可能性もある。
でもね、それを気にしていたら、何も行動ができなくなってしまう。
大事なことは、なぜ自分がニュースサイトの管理者であることを選んだか、その初心に立ち戻ること、忘れないことなんではないかと思う。

殺されるブログになるか。
これは被リンク後の管理者自身のあり方で左右されることでしょう。
興味をもたれたものを、すぐに「評価」だと思い込み、ニュースサイトの影響力に足下をすくわれては長続きはしない。
そうした他者に踊らされること、それは管理者自身の問題なんではないかと思う。
こうした「影響」を、チョイスするニュースサイトの管理者が防ごうと思ったら、被リンク側がその記事をチョイスされた理由がわかりやすいコメントを付け続けることなんではないかと思う。

自らの経験としては、ニュースサイトの中で情報が伝わっていって、揶揄するコメントをつけるニュースサイトに被リンクでアドレスが出たこともある。
批判ということではない、揶揄するコメントを見て、正直いい気はしないです。
でも、この不快感も、最初にリンクしたニュースサイトの動機と良心を感じられているならば、充分耐えられることなわけです、わたしはね。

ひとつの思考、ひとつの思いというものが、全ての人に理解されるわけではない。
結局はそこに戻るのではないかな、と思う。

ブログは記事だけ奪われる。

いいえ、記事のみのピックアップが可能だということです。
ひとつのブログの中の全ての文章が誰にでも価値があるわけではないです。
でも、その中のひとつが誰かにとって、ピックアップが有効ならば、わたしは記事だけを提供します。
記事のみの独立した存在という構成がブログのシステムならば、そのシステムを利用するということは、記事だけの被リンクを受け入れるということでしょう。

ニュースサイトは、記事のみが評価対象だが
ニュースサイトの管理人は、ブログを評価対象とすることがある。
自分のサイトで取り上げるために。
そんな人をアナタはどう受け止める。


まなめはうすで「行動」として、すでにこの思考で動いていたこと、わたしは気づいていました。
6月から、誰かのクリッピングからの波及ではなく、ブログから直接ピックアップしたときに「情報元」の項にリンクタグを付けてブログ名を記載するようになりましたよね。
閲覧者は一度や二度の閲覧では、気がつかないことかもしれない。
ピックアップされた記事アドレスしか見てないかもしれない。
でも、閲覧者の印象に残りやすいコメントを付ける努力を続ければ、必ずこのことに気づく人は増えるでしょう。

そのときに、
「ニュースサイトがブログを殺す」のではなく、
「ニュースサイトがブログを育てる」という可能性がきっと見えてくるはずです。

7月10日にアップした 「個人HP」と「個人のブログ」 という記事ですが。
まなめはうす:2005-07-10 (Sun) 20:56 にピックアップされてから、数々のニュースサイトを巡り巡っているようで。
なんというか、やってみたかったことの「序章」でしかなかったことがここまで被リンク対象になるものかと、本人「へ?」というのが正直な感想でありまして。
このニュースサイトの影響力をご覧になりたければ、特に影響の強かった今日、gooのアクセスランキングに行ってみれば一目瞭然の状態です。
これは被リンクというより被リンク群であり、その影響は「3日」ではなく、多分一日限りの「大津波」でしょう。

その上で、こんなサイトがありました。
Target capture
このサイトの(05/7/12)のところにある、わたしの記事の紹介の仕方とそのコメント文。
このコメントを書いてくださった方に感謝しつつ、このコメントが生まれる発端になったのは、波及の出発点のまなめはうすです。

以上、304 Not Modified「ニュースサイトがブログを殺す」にトラックバックです。

実はですね、「コンテンツに力のある個人サイト」:個人ニュースサイト版として、まなめはうすをターゲットに草稿中。
まったく、
とんだ寄り道だわ。
「情報元にブログ名」のネタも先に出しちゃったし。。。