この「ゆりかご」というもの、これは支援のひとつの形なのだと思う。支援には様々なものがあり、その究極の形なのだ、と。
ウェブ魚拓:『赤ちゃんポスト』渦巻く賛否/東京新聞
赤ちゃんポスト考/天竺堂通信
実際に設置した病院がそうとらえていることが重要なのだと思う。生まれた子どもを遺棄したい、ということが、心理的制度的支援があれば解決が可能なケースというものはあるだろうということ。病院が設置するのであれば、今まで以上に「困難のある妊娠」に関してのフォローは必要になってくると思う。
妊娠した子どもは、生まれていきなり養育を放棄せざるを得なくなるわけじゃない。妊娠中にその要因の芽は必ず発生しているはずだと思う。
上記リンクの天竺堂さんは「火事」と称したけれど、火事には出火の元になる火がある。その火事以前の小さな火種の存在を認識する可能性があるのは、もしもその妊娠が妊婦検診を経過しているのならば、その妊娠に関わる産院だと思う。
この「ゆりかご」の使用される頻度が高くなるということがあれば、それは産院のフォロー態勢が疑われるということだとも思う。
また、遺棄の理由が支援可能なものかどうかということ。これを判断する前に赤ちゃんだけが移動するということも危険だと思う。
衝動的行動、気持ちが弱くなっているときの突発的判断。そうしたことに関して、赤ちゃんの移動後にどれだけフォローできるのか。物わかりがいいということは、けして相手を助けることばかりじゃない。
しかしウェブ魚拓にとってリンクした東京新聞の報道は、このことに関しての取材をきちんと載せている。「秘密は必ず守る。とにかく病院を信じてまず相談を」という手紙を扉の前に置き、一時預かりの意味をも持たせ、「赤ちゃんさえ無事なら、母親にも冷静に考える時間ができる」としている。
つまり、通常危険であると思われるタイミングというものに関して、それを支援的配慮として認識し、活用させようとしていること。
また従来のこの病院の試みである「妊娠かっとう相談窓口」に関しても記載。その他、あらゆる試みの末の設置なのだということが、この東京新聞の報道からはよくわかる。
この病院が作ろうとしているのは、けして単なる「捨て子場所」ではない。何をするか、ということよりも、誰がするか、ということが意味をもつことというものは多い。
この件に関してこうしたことを報道に入れるかどうか。ここを省く報道は、この病院だからこその試み、ということが抜け落ち、単に捨て子場所ができるということだけが印象的にクローズアップされる。そのクローズアップの弊害は、いったい誰に向かっていくのか。そんなことを思う。