S嬢のPC日記

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「赤ちゃんポスト」と報道

2006年12月27日 | つぶやき

ウェブ魚拓:『赤ちゃんポスト』渦巻く賛否/東京新聞
赤ちゃんポスト考/天竺堂通信
 この「ゆりかご」というもの、これは支援のひとつの形なのだと思う。支援には様々なものがあり、その究極の形なのだ、と。
実際に設置した病院がそうとらえていることが重要なのだと思う。生まれた子どもを遺棄したい、ということが、心理的制度的支援があれば解決が可能なケースというものはあるだろうということ。病院が設置するのであれば、今まで以上に「困難のある妊娠」に関してのフォローは必要になってくると思う。

 妊娠した子どもは、生まれていきなり養育を放棄せざるを得なくなるわけじゃない。妊娠中にその要因の芽は必ず発生しているはずだと思う。
上記リンクの天竺堂さんは「火事」と称したけれど、火事には出火の元になる火がある。その火事以前の小さな火種の存在を認識する可能性があるのは、もしもその妊娠が妊婦検診を経過しているのならば、その妊娠に関わる産院だと思う。
この「ゆりかご」の使用される頻度が高くなるということがあれば、それは産院のフォロー態勢が疑われるということだとも思う。

 また、遺棄の理由が支援可能なものかどうかということ。これを判断する前に赤ちゃんだけが移動するということも危険だと思う。
衝動的行動、気持ちが弱くなっているときの突発的判断。そうしたことに関して、赤ちゃんの移動後にどれだけフォローできるのか。物わかりがいいということは、けして相手を助けることばかりじゃない。

 しかしウェブ魚拓にとってリンクした東京新聞の報道は、このことに関しての取材をきちんと載せている。「秘密は必ず守る。とにかく病院を信じてまず相談を」という手紙を扉の前に置き、一時預かりの意味をも持たせ、「赤ちゃんさえ無事なら、母親にも冷静に考える時間ができる」としている。
つまり、通常危険であると思われるタイミングというものに関して、それを支援的配慮として認識し、活用させようとしていること。
また従来のこの病院の試みである「妊娠かっとう相談窓口」に関しても記載。その他、あらゆる試みの末の設置なのだということが、この東京新聞の報道からはよくわかる。
この病院が作ろうとしているのは、けして単なる「捨て子場所」ではない。何をするか、ということよりも、誰がするか、ということが意味をもつことというものは多い。
 
 この件に関してこうしたことを報道に入れるかどうか。ここを省く報道は、この病院だからこその試み、ということが抜け落ち、単に捨て子場所ができるということだけが印象的にクローズアップされる。そのクローズアップの弊害は、いったい誰に向かっていくのか。そんなことを思う。

「僕の歩く道」最終回

2006年12月22日 | 「障害」に関わること
 書こうかどうしようかな~、と迷ってたけど、とりあえず自分のために忘れないうちに感想を書き留めておこうかな、と思う。

 「僕の歩く道」最終回、始まってすぐに(ああ…)と思った。なんというか、もう流れが読めちゃった、って感じで。

 主人公が動物園の中で鳥を見る、飛ばない鳥飛べる鳥、なんぞのことをちらっと言う。高く飛べる鳥として鳶のことが出てくる。要するにコレ、障害者自身の自己決定を語るための伏線だな、と。で、ロードレース中に見かけた鳶の姿を自分の目で確認に行くためにコースをはずれる主人公。鳶を見つける、飛ぶ鳶を眺める。そしてコースに戻ってゴールし、ゴール後に「グループホームに行く」と自分の口で告げる主人公。高く飛ぶ鳶がキーってことで。

 コースをはずれた主人公に対して「待ちましょう」という決断をした母親は、「グループホームに行く」という主人公に、「はい」と一言で応える。自己決定の重要性をわかっていながら…、って気持ちの母親とその決意というものをよく表した「はい」だと思った。これを一発で表現って感じの「はい」には、さすが長山藍子と思った。

 グループホームに関しては、最近数がどんどん増えていると思う。少なくともわたしの身近には増えている。入居したい人の数に見合うかどうかはわからないけれど。長野オリンピックのときに、パラリンピックに知的障害者が出場した。そのインタビューなんぞで「グループホームに住んでいる」という20代の若者ってのもいた、あの時点でね。ただ一般的にはまだまだ認知度は低いのではないかと思う。抵抗をもつ親も多いとも思う。わたし自身は、障害の程度に関しての支援度というものが関係してくることは前提の上で、障害があっても「親から離れたいと思う」という心の成長をもつことが「大人になる」ということであり、自分自身のこととしては、「親から離れたい」気持ちを元にする自己決定の芽をもつことが、いわゆる娘を育てる目標になっているところはあるなあとも思う。そのときが来たら淋しくてたまらないとは思うだろうけれど。

 で、最終回ですが。まあ、つまり、落ち着くとこに落ち着かせるために、って線が早くに見えてしまった感じがした。ってことで、どこかお話のまとめです的流れがどうしても見えてしまった。11回全ての中で、わたしは一番コレというのは、やはり第10回の特にきょうだい児の心理が中心になるシーンだと思う。それはそこに至るまでにこつこつと積み重ねたきょうだい児の心理のシーンがなくてはもちろん語れない。

 主人公の兄の妻。夫の弟が障害者であるという事実からどこか目を避けるような他人事を決め込みたいような、まあ、ドラマ前半中盤部では悪役的存在。な~るほど、と思うこと。つまりそういう彼女だからこそ、この兄は好きになったのかも、とドラマを観ながらふと思った。

 兄だから否定できる立場に無い、兄だから手を貸さなきゃいけない、兄だから我慢しなきゃいけない。そういう、どこか見えない「べき」に縛られたような気持ちをたくさん経験した背景を感じさせた第10回放映分の兄と母親との会話。

 その兄は、「配偶者の弟だからって言ったって、そんなに簡単に認められるもんじゃないわ」って気持ちを堂々と持つっていう、そういう女性だからこそ惹かれたんじゃないかと思うこと。自分の中に巣くう「べき」に対しての反乱のようなものも無意識下にちらっとあった、いやあるという設定で構成されたのではないかと思うこと。

 障害者を主人公にもってくるドラマ。その主人公の状態や持っているハンディと社会との軋轢なんてものは、現実に存在するものからみれば、やっぱりどうしても希釈したものになるし、そうしなければ表現自体が難しくなるものもあると思う。

 ただ、きょうだい児の心理に関しては、どういう設定であったとしてもリアルに描こうとすれば描けるものだ。また、障害の受容に困難を抱えた親の気持ちってのものもそうだと思う。今回の主人公の職場に存在させた「もう一人の自閉症児の父親」の存在は大きかった。この、障害児をとりまく周囲の人間の要素とドラマというものが、今回のドラマではよく出ていたとも思う。

「僕の歩く道」に見るきょうだい児の心理

2006年12月13日 | 「障害」に関わること
 昨日の「僕の歩く道」第10回放送。
障害をもつ子のきょうだい児の心理にどば~んとスポットをあててましたね。
特に妹が、自分の生育歴の中で、母親が障害をもつ子どもに集中し、自分が甘えられなかったという話を医師にするところ。「あなたの話を聞きましょうか」と言われるまで、自分主体の話ができない、できなくなっている事実。話しながら、本当は母親に甘えたかったのだと声をあげて泣くシーン。
その後に母親の肩をもみながら、母親に手を握られることで後ろから母親に抱きつくシーン。
このひとつひとつのシーンを見ながら、障害をもつ子のきょうだい児って立場の息子と一緒に見ながら、泣けてねえ。もう泣けて泣けてたまらんかったですよ、わたしは。

 うちの息子は、障害をもつ子のきょうだい児としては、サインをよく出す子だった。そういう意味ではわかりやすく、問題の先送りということをしにくい子だったと思う。
 サインは多かった、応えてきたつもりだった、でもでもでも。それでもあなたにはわたしに言えてないことがあるだろう。黙って我慢したこともあるんだろう。そしてその問題はこれからまた複雑化していくのか、していくのかもしれない。僕の声が聞こえる? わたしが気づいていない彼の心ってのは、まだまだあるんだろうと思う。

 昨夜の「僕の歩く道」、特に、母親にそっと後ろから抱きつく妹のシーン。
このドラマがよくできていると思うのは、たとえばこの「後ろから抱きつく」というところ。前から正面から素直に抱きつけなかったということを象徴させたかったのかなと思う。

 きょうだい児の心理をクローズアップしたシーンを見ながら、黙ったままたらたらと涙をこぼすわたし。そのわたしの長い髪の端にすっと手をやり、指で髪の毛の先を静かにくるくると弄ぶ息子。
ああそうかそうだったのかもしれないと思う。髪の毛を切らないでと、そんな風に息子に言われるままにのばし続け、ずいぶん長くなった髪の毛。そういえば彼は自分の気持ちをうまく言えないときに、こうやって髪の端をそっと指にからめていたっけ。これはそっと後ろから抱きつくってことと似てる動作なのかもしれないと、ふと思った。

 正面から抱いてやらなかったのか。そうじゃない。このドラマの母親だってそうじゃないと思う。
ただ、そうして欲しいタイミングが見えなかった。そういうことなんだと思う。
そういうタイミングってのが、障害をもつ子のきょうだい児にはある。わかっていながら見過ごしてしまうときがある。そういうことなんじゃないかと思う。

*関連リンク:福祉ネットワーク - 難病児のきょうだい(2)お兄さんの心の傷
 「お前はママではなくて、ママロボットだ」

「レインマン」と「ギルバート・グレイプ」

2006年12月12日 | 「障害」に関わること
 「僕の歩く道」を毎週観ていて思い出すのは「レインマン」。
ということで、先日のTSUTAYAの半額日に、「レインマン」を借りる。
公開当時観ていて、ずいぶん久しぶりに再見。

 「レインマン」を借りるときに、ふと思い立って「ギルバート・グレイプ」も借りる。
借りた動機は、ディカプリオの知的障害児役を観たかったから。

 「レインマン」と「ギルバート・グレイプ」。これは両者共に、障害児のきょうだい児が主人公。
「レインマン」は自閉症の特性である行動障害に対する嫌悪から始まって、愛情の場面が後から来る。
「ギルバート・グレイプ」は、知的障害のある弟に対して冒頭の紹介部のナレーションで「時々嫌気が」と出てくるが、愛情の場面でつないでいき、後半で衝動的な怒りが来る。

 「レインマン」は、弟が、最初は存在さえ知らなかった兄と旅をすることになり、兄を知り、いっしょに暮らしたがるが、その思いを断念させられる。
「ギルバート・グレイプ」は、兄は、父が自殺をし長男は家を出てしまったという状況の中で、その肩に常に知的障害をもつ弟を背負い、弟から離れる選択肢を持っていない。最後のシーンでも「We can go anywhere.」と言う。その主語は一人称では語られない。
両者に共通しているのは、きょうだいが知的障害をもつ兄や弟に向かい合うときに、親がそのきょうだいを助ける立場にいない、ということ。

 知的障害児のきょうだい児としては、その相手役との恋愛面からだけ見れば、両者共にいわゆる「シンデレラストーリー」。
きょうだい児がきょうだいのもつ知的障害に対しての、混乱、嫌悪、ため息等のマイナスな心情、また衝動的行動をとっても、その恋人は受け入れる。恋の相手にも、知的障害をもつきょうだいに対しても。そしてそのことは、主人公を助けていく。
通常はこんなシンデレラストーリーだけではないと思う。

 ダスティン・ホフマンの自閉症役の演技に関しては、語るに及ばず。
初見は自閉症と診断名がつく障害児・者に身近で出会ったことが無い時代。無い時代だからこそ、素直にダスティン・ホフマンが創り出す世界にはまる。

 ギルバート・グレイプは、障害というものに出会ってから観た、ということになる。
ディカプリオの知的障害児役には、もう、脱帽。
天才子役だったというエピソードには強くうなづくが、全ての動きの細部に表現としての緻密な計算があり、天才である前に努力家なのだとも思う。
ただ、その努力すべきポイントに気づく、構築する、形にしていくセンスという意味では、やはり天才なんだろうとも思う。

 知的障害児をドラマに出すというと、すぐにピュアだの感動だのってことに結びつけていくという短絡的な思考のものは数多くあるとは思うけれど、ギルバート・グレイプに登場する知的障害児は、狡くて汚くて自分勝手。
「わかって欲しいこと」がいつまでたってもわからない。わかろうとしないことも含めて。

 そのことを感じてしまうことにマヒしていくか、気長に気長にわかってもらえる日を待つか。
今日蒔いた種の実が結ばれるのが一年後か十年後かそれよりもっと後なのかわからない。
そういうことがあるということ。それが知的障害児の生の姿でもあると思う。
その生の姿と接しながら、様々な感情を織り交ぜて、葛藤し、そのことに左右されても、その根底の「愛情」が導き出される。
それが知的障害児の家族の生の姿でもあると思う。
「レインマン」は、兄を見つけた話ではあるが、その障害に対して起こる衝動的思いは、障害自体たとえば自閉症特性に関しての無知から来るかんしゃくのようなものであり、障害というものを知った上での葛藤の方が、ずっとやっかいだと思う。

*「ギルバート・グレイプ」:2007年2月6日まで、ヤフー動画にて無料で視聴できます。
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00154/v00584/

獄窓記

2006年12月11日 | 書籍紹介
 Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2004.6.21-2004.7.4号) 山本譲司 さん

 獄窓記の著者インタビュー。出版時にあちこちで紹介されていたが、保存できるウェブ上のインタビューは貴重だと思う。

 著者が刑務所生活を送る中での生活が記載された内容で、障害に関しての話が多々、多種多様に出てくる。
受刑者の中にいる障害者の話というものもあるのだけれど、このインタビューに紹介されていない話で印象に残っていること。

 受刑者の中にいるダウン症児の父親。ダウン症児のご子息は、養護学校卒業後、施設利用。入所か通所かは書いてないのだけれど、職員が利用者に暴力をふるっていたとのこと。
ここでこの受刑者が他の親とも相談の上「話をつける」と施設に乗り込み、結局大喧嘩になり、暴力をふるったということで追い返される。
福祉事務所に相談に行くが、埒があかず、また大喧嘩になり、職員を刺して受刑生活。

 ダウン症の青年は二十歳になるということで、「障害児」に支給されていた手当は打ち切られる。
「障害者」に対しての福祉的支援はあるのだけれど、残された妻は夫の犯罪により「敷居が高くなり」、福祉事務所にも行けず親のグループにも行けず、情報が入らない。

 福祉的支援というものは自分で申告しないと得られないものばかりで、受けられるはずの福祉的支援というものを「知らない」状態で生活している、この方のご子息のダウン症の青年の「母親」。
「父親」の犯罪と受刑と。そのことに犠牲になるダウン症の青年。
著者に、受けられる福祉的支援の概要を説明され、獄中から妻に手紙でそのことを知らせる。

 この親子に関わったことのある人間で、この母子がこういう状況に陥ることを予測できなかった人は少ないんじゃないか、と思う。そのことが、歯がゆい。
獄中にいる父親の方が幸運にも情報を入手できたという、皮肉。