S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

位置検索サービス、あれこれ

2006年02月28日 | 使用機器/ソフト
 ふうむ、と考え込みながら、いろいろなワードで検索。
 何かいい機器、いい方法は無いものか、と。

 ドコモから通知が来ました。
 「PHSサービスの終了に関するお知らせ

 以前から、「PHSを携帯に変えてください、機器購入を優待価格で」というお知らせが、せっせせっせと来ていたのですが。とうとう終了ですか。
 いや、困った。
 ドコモのPHS回線を使った位置検索サービスである「いまどこサービス」を、専用機購入で使い続けてきたわけですから。
携帯に変更してくれと言われても、そりゃ「電話」であって、位置検索機ではないわけです。
ドコモったら、PHS回線を使った位置検索サービスを続けてきたにもかかわらず、この件に関しては全くの知らん顔。電話機能の無い専用機を販売していたのはいったいどこのどなたさんですか、と聞いてみたいよ。一万円以上したんだから、コレ。使用歴はまだ2年もたってない。

 ドコモのPHSサービス終了予定は19年度第三四半期。それまでに別の機器、別のサービスを考えなければ。
ドコモ、使うならコレ。→ it's-mo Niavi 位置検索サービス
au、使うならコレ。→ 安心ナビ
利用する携帯会社に関係無いのはコレ。→ ココセコム
 とりあえず、自分のためのリンクリスト。現在使用の携帯はボーダフォンなので、ココセコム以外は、電話会社の選択、から始めなきゃいけない。しかも検索機、被検索機の二台が必要、機器代だって安くない。割引制度使っても、二台の基本使用料が発生する、ちょっとサービスを使ってみるってわけにはいかない。この自治体のこの制度、うらやましい。→ 中央区知的障害者位置情報サービス費用助成。ず~っと助成してくれとは言わない。機器をモニターできる3ヶ月くらいでいいのに。

 サービスの選択、本人が電話が使えれば、何も悩む必要が無い、携帯利用のサービスにすればいい。しかし、うちの娘は電話というものが使えない。「もしも~」構文の意味内容が理解できない。機器使用に対しての理解困難と手指の巧緻性の問題から、携帯電話の小さいボタンが操作できない。
 そんな状態の知的能力の子を自力で通学させるなよ、ってのが、一般的な感覚だということになるんだろう。でもそれができるわけで、しかも本人やりたいわけで、なんとかして機器で助けてやりたいと思う。

 電話が使えなくても、電話が使えるようにする、という「手」もある。つまり本人が電話機を差し出して、誰かに支援を頼む能力を身につけられればいい。「電話をかけてください」というコミュニケーションカードを使って、ロールプレイングを何度か積み重ねれば、使い方を覚えていくかもしれない。これは本人の知的能力をどうにかするという非現実的な考えではなく、本人の知的能力でも習得可能なレベルだろう。

 知的能力は3歳児未満。しかし自力で電車通学が可能。天才児と呼んで欲しいよね。この天才児の意欲と自信を育てるために、機器検索の旅はまだまだ続くのです。

*追記
 さらに検索を重ねていて、ドコモのイマドコサーチを、このページから→関連記事(ドコモのキッズケータイ)に飛んで発見。
なぜ、ドコモはこの新サービスを、既存の「いまどこサービス」のユーザーに通知してくれないんでしょう。ちょっとショック。

「ブログ論」に関して

2006年02月23日 | インターネット雑記
 ブログ論というもの、ブログに関して書いてみる、ということなら、わたしもいくつかアップしてきた。何故書くか、それはブログという媒体を使っていたら、自ずと向かい合わなきゃいけないことが出てくる。そのことについて考察していくということはおもしろいからだ。

 ブログという媒体を使っていたら、トラックバックについて考えなきゃならなくなる。「送信」に関してもそうだけれど、突然入ってくるトラックバックに対してどう向き合うか、ということを考えなきゃならなくなること。これがブログという媒体を使っていれば自ずと起きてくることだからだと思う。

 興味深いもの、受信をありがたいと思うもの、これに関しては迷うこともない。ただ、「何故、これがこの記事に入るのか」という、発信者以外には理由がわからないトラックバックというものも入ってくるものだ。

 どう考えても、誰が見ても「スパム」というものだったら特に迷うこともなく削除すればいい。ただし、自分には関係ないと思えても、第三者が見て共通項を見出すものか、そのトラックバックは妥当であると思えるものか、こうした考察が必要になってくるほど、一度入ったものを削除するのは神経を使う。

 そんなときに知りたいのは、第三者の感覚だ。トラックバックというものをどういう風に位置づけているのか。そんな文章を読むと、その文章の中に共感と異論とを自分の中に見つけることができる。その見つけたものを材料に、自分にとっての価値観を見つけ、自分のところに入ったトラックバックに関して再度向かい合うことができる。指針ができれば対応は楽になる。

 そこで、そのまま「一件落着」にするか、そこで得た指針を書き残すか。書き残した場合、そこで「自分のブログ論」ができあがる。それをまた誰かが閲覧したときに、その人にとっての「ブログ論」が始まる。

 ブログという媒体を使わない人に「ブログ論閲覧フリーク」が存在するのか、それはわからない。ただ、ブログという媒体を使っている人には、誰かが書いた「ブログ論」は何かしら必要になってくるものだと思う。それはトラックバックという機能だけに限ったことではない。書きたい、書き残したい、書き残したものに反応が欲しい、読みやすいブログとは、読みやすいブログのデザインとは、など、あげていけばキリがない。そうしたことに対して出てくる思いや疑問に対して、「ブログ論」はある種の発見を与えてくれることは多いと思う。

 「ブログ論」を中心に書き続けている人の存在は、ある意味ありがたい。ひとつのテーマというのは書けば書くほど、その視野や質が向上していくのが自然だと思うからだ。この人のブログ論とあの人のブログ論とどちらの指針を選択するか。そんな選択が生まれていくほど材料が増えていくのも読み手にとってはありがたい。

 アクセス解析から見えるもの  では以下のように記載。
更新時点でやたらにアクセス数を稼ぐ「ブログ論」的なものは、日がたってしまえばほとんど入ってこないのはおもしろいといえばおもしろい。瞬発的な力、というものなんでしょう。わたしとしては「ブログ論を語る」というよりは、ブログという媒体にふれることに関しての「思いつき日記」のようなものなので、この現象に対しては特に異論無し。
 これは「ブログ論とはそんなもの」というよりは、「わたしの『思いつき日記』程度のものはそんなもの」という位置づけ。変な言い方だが、ブログという媒体を使っている人なら、ブログ論は誰でも書ける。ブログ論を書き続けている人のブログのブログ論は、思考に実績が伴っていき、ある意味「ブランド化」されていく。そうした人のブログ論の過去記事は、アクセス数が少なくなっても生き続けるものだとわたしは思う。鮮度の高い更新がされていくことは、その文章が、またブログという媒体を使うことで出てくる誰かの迷いに対応する機会が生まれていくことでもあると思う。
  
 ただ、ブログ論のアクセス数にだけモチベーションを持つのならば、それは危険だとも思う。書きたいことを書き、そこに自分を記し続けていくのは自分の発見につながる。アクセスが欲しい自分だけが見えていくのは少し虚しい。短いスパンでアクセス数が山になることだけを追い求めるのならば、自分にとって大切な「読まれない文章」の方が価値がある。後者は短いスパンで読まれなくても、書く意義があるものならば、検索によっていつか誰かに発見される。たった1人に発見されて、たった1人にその文章の存在意義を見出されること。このことはアクセス数に関わらない価値があるものだと、わたしは思う。わたし個人は、実は、こうした「短期では読まれないが、実は価値のあるもの」が好きだったりもするのだけれど。
 
 そうしたことを前提の上で、ブログ論を書きたい、という方には、どんどん書いていただきたいとわたしは思う。それはブログという媒体を使い始めたときに、「ブログ論」という文章が存在することがわたしはありがたいと思ったからであり、また今日明日、そのブログ論から発見が生まれる人が存在すると思うからだ。意義があるものが公開されることはネット上の財産になる。

 以上、ブログ論は読まれる?/Blog向上委員会 で投げかけられた疑問に対して、わたしが思ったわたしからの返答です。疑問に対しての返答としては多少とんちんかんかもしれないが、受け取っていただければ幸いと、トラックバック送信します。

「害」について

2006年02月21日 | 「障害」に関わること
 障害・障碍・しょうがい で、「障害」という表記の「害」という文字は、けして障害をもつ人に対してかかっているものではない、という視点で表記の問題にふれました。
 
 では、なぜ、「害」という文字が、障害をもつ人にかかると変更される動きがあるのか。
 これは、言葉がどうの、ということではなく、障害をもつ人が日常の生活の中で他者から向けられている「視線」がキーになっているのではないかと思います。

 娘を連れて歩いていると、とても日常的に「じろじろ見られる」ことが多いです。いわゆる大人の中では「ダウン症とその外見」はすでに常識化しているところがあるのではないかと思います。それでも大人の中にも存在する。
具体例をひとつ挙げますが。駅のベンチに座っているときに、隣に座った20代の女性が異質なものを見る目つきで、すぐそばにいるにも関わらず、娘を眺め回した。どうすりゃいいんだ、という感覚を当然持たされます。「ダウン症児・者を見たことがないんですか」と言ってやろうかとさえ思いました。
 無遠慮な子どもの視線は時々痛烈です。異質なものを見る目つきで上から下まで眺め回すように見る子どもは少なくありません。その子どもの視線におたおたする保護者には、正直同情します。対応は難しいだろうと思う。しかし、子どもと一緒に同じ視線を向けてくることもあります。そんなとき、こちらから見える景色は、「複数の人間に同様の視線を一斉に投げられる状態」になります。これはもう、慣れるしかないことです。 
 この、異質なものを見る目つきで眺め回されること、このことは「わたしは害ですか?」と問う感覚が生まれる一つの要素かもしれない、とも思うのです。
 
 ある友人が言ってたことですが。
交通事故で脊椎損傷者になり、下半身の機能の障害が決定したときに、その事実は衝撃だったけれど、リハビリセンターで車椅子を自在に扱う人たちの自由な姿に影響され、車椅子を駆使するということに慣れていったと。
そしてそのことで得た「自由」と共に外出、デパートに行ったときに、混んでいるところで、中年の女性にある視線を投げられたと。
「なんでこんなところに来るんだ」「邪魔だ」と、そうその視線は自分にその感情を放っていた、と言います。そのときに自分にとっての「障害」が決定されたような気がした、と。
脊椎損傷者になったら、気味が悪いほど、自分のまわりに「いい人」が増えた。しかしその「いい人」たちは、その人たちの自由であるテリトリーを自分が侵さない範囲でしか「いい人」として存在しないのではないか、と。そんな感覚を持つようになってしまった、と。

 個人の談、なのかもしれない。でも、とても示唆に充ちている、と、わたしは位置づけています。実際「その人たちの自由であるテリトリーを自分たちが侵さない範囲」というのは、わたしも感じたことがあります。
こうした問題は、障害をもつ人の「日常的な慣れと、感覚の耐性」に押しつけられているのが現実です。

 「害」という文字が与えるもの。それは文字表記の問題ではない。社会を構成する人々のひとりひとりがカギを握っているんではないだろうか。
 表記の問題は、それを抜いては考えられないことであるし、「害」という文字表記を変更しようという動きは、文字表記に関してこだわっているのではなく、人に再考を求めているものなのだと、わたしは思いたい。

 ただ、それは、文字表記の変更に頼ってはいけないんだ。そうわたしは思うのですよね。
また、「障害」という表記をすることに対して、責めるものであってもおかしいと思う。
その上で、もしも文字表記の変更というものが、こうしたことに影響していく力をもつのだという説得力をわたしが感じることがあったならば、わたしは文字表記を変更していくことに対して吝かではありません。

障害・障碍・しょうがい

2006年02月18日 | 「障害」に関わること
「障害」という言葉について、ですが。
 わたし自身は、次のサイトのこの文章を支持し、「障害」という語に関しては、「障害」という漢字を使用しますし、今後も変更の意志は無いと思います。

「“差別用語”と呼ばないで」
  『障害 伝統的には「障礙」「障碍」と書くのが正しい』 より引用

 しかし、いつから日本語の「障害者」は「障害となる者」という意味にすり替わったのだろう。「障害者」を「障害物」に似た言葉だから「障害となる者」という意味だというのは、飽くまでも彼らの勝手な解釈であり、妄想であることに、気を付けていただきたい。そもそも、前提からして間違っているのだ。
障害物=(人や物の通行に)障害(を与える)物
障害者=(自己に)障害(を持つ、与えられている)者
 つまり「障害者」の「障害」とは「障害物」とは違い、受け身である。障害者自身が他人に障害を与えているという意味では決してないのは、日本語として常識である。
(赤文字は原文のまま)

 ただし、この文章にもふれられていますが、「障碍」という漢字が伝統的に使われていた、という事実に基づき、「障害」という表記を「障碍」という表記に戻すことには、特に異論はありません。
 また、わたしが「障害」と表記するものを「障碍」「しょうがい」と表記される方に関して、異論を持つ立場ということでもありません。
その理由としては、以下の通りになります。
・「特定の言葉を使用するということ=他者にマイナスのレッテルを与える材料にする」といった意志を持たない
・ある考えのもとに使用する言語を選ぶということならば、その考えを持つこと自体を尊重する
・自分の使用する言語に関して、他者に他者の考える理由で禁止されたくない、と自分が思うから
 ということで、一応、意志表明を。

*追記
 引用した文中での「勝手な解釈」「妄想」という言葉は、行きすぎ感がある、とは思います。「勝手な解釈」「妄想」というよりは、持たされてしまった感覚というものの存在がある。しかしその「持たされてしまった感覚」に関して、それで言葉の使用うんぬんに広義に持っていくのは違和感を持つ、というところです。

「『駄文にゅうす』From Eさんインタビュー」の感想

2006年02月14日 | インターネット雑記
「面白いサイトが多過ぎる!」『駄文にゅうす』From Eさんインタビュー /【Parallels 2】

 駄文にゅうすをちょこちょこと閲覧にいくわたしは、とても楽しませていただきました、このインタビュー。
 以下、文中から引用。
From E:更新間隔が最短でも三日おきなのは、全ての人が毎日サイトを訪れるわけでも無い事と、紹介するなら少しでも長い方がその記事がより人目や検索エンジンに引っ掛かりやすくなるからです。
 ここ、ですね、わたしが駄文にゅうすを閲覧する上で、ここの長所、と位置づけているところは。他のニュースサイトは更新が早い。数日チェックしないと情報はどんどん過去に飛んでいく。過去ログを見ようかな、と思っても、思っているそばから更新されていく、という感じがする。リンクを見て、「ああ、これ後で読もうかなあ」とそのときリンク先に飛ばずに、数日経つと、ニュースサイト上のどこにリンクされていたかよくわからなくなる。ま、いっか、で終わることもある。
 駄文にゅうすは毎日更新ではないので、そうした閲覧のタイミングを「待ってて」くれる。またジャンル別に話題が分かれ、関連性のある話題に関してはまとめておいてくれる。この項目を「なんとなく」記憶していれば、後読みの意志がある場合、数日経っても、場合によっては一週間くらい経過していてもたいがい難なく探し出せる。
From E:記事をジャンル別に紹介しているのは、自分が後から目的の記事を探しやすくする為に。
 うーん、これはどうなんだろう、と思う。わたしがやり方がわからないのかなあ、と。駄文にゅうすで紹介されたものを読む。あとでなんとなく思い出して、ああ駄文にゅうすの過去ログにあったはずだ、と思う。この場合、2ヶ月くらい経過するとそれがもうどこだかわからなくなる。○月の××のジャンル、って感じに過去ログが検索できればいいなあと思う。駄文にゅうすで紹介されているジャンルの一部にしか興味がないって場合、他のジャンルを「かきわける」って作業になるからこうした「後読み」ってことにしてしまう場合、後が大変なんですよね。
まあ、これは閲覧した時点で、後読みなら後読みと、自分でURLを保存すべきってことなんでしょう。頼ってすみません。そしてわたしがやり方がわからないというお粗末な展開だったらごめんなさい。
From E:、駄文日記から駄文にゅうすへ移行しました。
 移行する前を知らないという前提のもとで、わたしはこの「分離」が楽しい閲覧をマニアックに呼んでいるところだと思う。少なくともわたしは、頻繁にってほどではないけれど、時々はっぴい!ぱらだいす!を読む、だっておもしろいから。何がおもしろいって、これだけのニュースを把握し、整理し、まとめ、ウェブ上に出していく「中の人」が、けっこう平和な日常に暮らしているって光景がおもしろいわけです。なんかね、こう、のたーっとして味があるわけだ。
 もちろん「日記」を人に読ませるってことで、「2005.7/19更新分」って要素はあるかもしれない。でも駄文にゅうすの「中の人」の場合は、駄文にゅうすがあるからこそ、「中の人」の、のたーっとした味が楽しいわけです。わたしの中で、ベスト1は今のところ「2005.7/1更新分」です。今後、またベスト1の位置づけは変わっていくかもしれません。まだ完読してないので。なんというか、のたーっと行きたい、この日記の読破は。
From E:晒しの場合を除いては、個人ニュースサイトに取り上げられることによって必ずしもプラス方向とは限らない色々と弊害も有るけど、少なくとも『最初にその記事を読んで面白いと思ってくれた誰かが居る』は実感できるかと。
 ウェブ上に出されていくものに関心を持ってピックアップしようという意志がある人が、自分が出したものをピックアップする。このことはわたしにとっては実に単純な喜びにつながる。自分が出したものが、自分が評価するニュースサイトの小さなコンテンツとして存在する。こういう要素もけっこううれしい。

 なんて感想を述べつつ、このインタビューを実施された個人ニュースサイトリンク集「Parallels 2」さんに感謝です。とてもおもしろかったです。楽しい企画のアップ、ありがとうございました。

ひっそりと、本音

2006年02月12日 | 「障害」に関わること
 日本という国に住む人が注目する家族の次男一家に、また新しい命が誕生するようで、そのニュースがいろいろなものを内在しながら報道され始めた。イヤだな、と思う。もううんざりだ、あそこの家族の赤ん坊がいちいち報道に載ってくる日々がまた始まるんだろう。政治的なことも、あの家族の位置づけや扱いなんてことが関係するわけじゃない。この感覚は非常に非常に個人的なものだ。

 あの家族の次男一家の最初の子どもは、わたしの娘と生年が同じで、しかも誕生日が数日しか違わない。何日違ったか、誕生日が何月何日かなんてことはもう忘れた、そんなこと記憶したくもない。

 娘が生まれた、先天性の心疾患がある、染色体に異常がある、「知的障害児」という肩書きがついていく人生であることは決定だ、心疾患からくる状態がよくない、完全看護の小児病院に入院だ、退院は見えない、肺炎になる、命が危なくなる、持ち直す、安全な状態とは言えないが命を守るために緊急手術だ、集中治療室からいつまでたっても出られない。
 この間、いちいち同時期に生まれた赤ん坊の報道がある、その姿、写真は何度も何度もテレビの画面に映し出される。

 半年以上の入院から、やっと手元に戻る。知的障害児という現実と向かい合う日々が始まる。知的障害児という行く先が決定されている子どもを持つ親なら誰でも通る道筋のように、普通の子どもの発達の流れとその差は意識するし、意識からはずそうとしてもなかなかはずせるものではない。
 それでも第一子の強みから、自分の子とだけ向かい合うという視点を持っていれば、穏やかな心を保つことができる。
 その穏やかさを、報道は何度も何度もぶち壊す。
 やれ何ができるようになった、やれ這った、やれ歩いた、やれしゃべったのなんのと、はいはい、わかりましたよわかりました、そうですか、はいはいという心境を何度か経験するうちに、それなりに慣れてはいったけれど。

 未就学の障害児の療育機関というものに、通園で通い始める。個別指導と集団指導のある中で、同じ年に生まれた障害のある子どもと出会う。その集団で出会った子ども達の中で、娘と同じ月に生まれた子どもは、娘と合わせて3人いた。そしてその1人は、当の注目される子どもと同じ生年月日だった。

 知的な障害としても肢体の障害としても「重度」、ということが早くから決定していたその子は、生まれてから何度か命の危険にさらされていた。その命の危険の中で、その子の祖母が何度もこんなことを口にしたという。
「○子さまと同じ誕生日に生まれた子だから、きっとだいじょうぶ」

 これを聞いたときに、勝手な感想ながら(冗談じゃない)と思った。こんなことを言われるということは、常に比較しながらの悲嘆だって浴びてるんだろうと思う。この子はこの子じゃないか、ほっといてくれよ、と。

 この子とはある日、別れがやってきた。北海道に転居するという。別れの日に「抱かせてくれ」と言って抱いた。障害やら治療やらで頭が固定されていた日々が長く、すっかり変形をしている頭、ぐにゃぐにゃとして抱きにくい、高カロリーミルクで大きな体、気管切開をしている状態のその子を抱きながら(この子をこの手に抱けるのはきっとこの日が最後だ)と思った。北海道という遠い場所になんぞ、会いに行けるということは簡単なことじゃない。なんだかその、この子とこれが本当に最後なんだと思う実感で泣けてきそうな心境の中で、下を向いてその子の匂いを忘れないようにする顔の向きなんぞに助けられながら、必死に泣くのを我慢した。ここで泣いちゃいけないんだ、この子の家族はこの子の家族の価値観と事情の中で、北海道の入所施設にこの子を入れることを決めたのだから。ここで泣いたら、そのことを責めていると勘違いされてしまう。
 結局、本当にこの日がこの子との「最後」になった。北海道に行って間もなく、この子は死んだ。

 わたしの二回目の妊娠が発覚し、間もなく、また報道が。娘と同じ生年の同じ月に生まれた第一子を持つ注目の一家に、第二子の妊娠。またかよ、と思った。でも、さんざん報道に揺らされた経験の中で、すっかりどうでもいいことになった自分はそこにいたのだけれど。

 この、日本が注目する家族に生まれる新しい命の成長の報道に、わたしは慣れた。でも、あの家族に新しい命の誕生がある度に、また、どうでもいいことまで大騒ぎで報道される日が始まる。同時期に生まれた赤ん坊の親たちの中で、ひっそりと、ああした報道に傷つく人がいるんだろうと、その度に思う。そのことを思うと、胸の奥がちょっと痛い。

アクセス解析から見えるもの

2006年02月09日 | インターネット雑記
 gooの編集画面を開き、アクセス解析を見る。gooのアクセス解析は日々の「閲覧数」「訪問者数」が時刻ごとに表示され、「ページごとアクセス数」「アクセス元URL」「検索ワード」「プラウザ」のそれぞれ上位20件が表示される。解析として欲しい機能はこれで充分、あえて言えば「プラウザ」はわたしにとってはたいして必要が無い。
 更新を滞らせているときに、「ページごとアクセス数」と「検索ワード」の存在の価値はけっこう大きい。過去記事となっているもので「生き続ける」ものが一目でわかる。

 この「上位20件」の中で、更新しようが更新を滞らせようが、常に入ってくるのが「V602SH」関連。すでに過去機種となっているこの携帯に関しての情報が欲しい人が日々、こんなにいることに驚かされる。まあ時間と共に必要の無くなっていく記事群の代表的なものだろうと思う。

 他に、常時入ってくるのは以下のもの。
「たったひとつのたからもの」:感想
「たったひとつのたからもの」:障害児が一人で歩く光景
宛名の無い手紙
 どれも「伝えたい」という主旨がわたしにとってははっきりしているものばかりなので、常時アクセスがあるのは光栄。

 常時、ではないが、時々、この「20件」に入ってくるものは、やはり「障害系」の記事が多い。更新時点でやたらにアクセス数を稼ぐ「ブログ論」的なものは、日がたってしまえばほとんど入ってこないのはおもしろいといえばおもしろい。瞬発的な力、というものなんでしょう。わたしとしては「ブログ論を語る」というよりは、ブログという媒体にふれることに関しての「思いつき日記」のようなものなので、この現象に対しては特に異論無し。

 ニュースサイトに取り上げられたものでアクセスされるものとして生き続けるのは「駄文にゅうす」に取り上げられたもの。このニュースサイトの過去ログをチェックする層の厚さのようなものを感じる現象。

 「ページごとアクセス数」、この欄にあがってくる過去記事を、時々再読。
知的に障害をもつ子を「育てる」ということ
 この記事は、毎日ではないが、かなり高い頻度でこの「上位20件」に上がる。
 これは「いい記事」です。なぜ「いい記事」と呼ぶか。それは毎年毎年、秋から暮れにかけて、そして5月の連休前後に、必ず誰かから持ち込まれる「相談」に、常に答え続けている内容だからです。
毎年毎年、聞く相手は変わる、それでもわたしの答え、意図する内容はずっと同じ。相手の個性、子どもの個性によって細かな内容は変わりますが、ずっと変わらない一貫した主旨がこの記事にはあります。
わたしにとって、大きな意味のある「いい記事」です。

「死別」と「日常」と

2006年02月06日 | つぶやき
 誰かと「死別する」、ということは生きていく上で避けられない。人間関係というものは、相手が生きている限り、何らかの発展の機会を持つ可能性がある。それがたとえトラブルであったとしても。
しかし「死別」というものは、相手の存在を「失う」ということを認識していく過程が始まるということ。

 「失う」ということがつらい相手と「死別する」ということは、深い悲しみを伴うことだと思う。それに加え、死別する相手が自分の日常に組み込まれた相手である場合は、相手の死、という事実は、自分に「事後の日常」を形成していかなくてはならない必要性が生まれるということ。

 2006年1月25日、午前7時40分、姑逝去。

 義母を失って明日で二週間になる。忌引きで欠勤していた夫は今日から職場に復帰し、家は日常のモードになる。
夫を送り出し、子どもたちを送り出し、わたしは自分の一日の予定を考える「さあ、今日は病院には何時に行こうか」。

 病院に行っても、もうそこには義母の病室は無い。病院に行くのではなく、すでにわたしの日常は、すぐそこにある夫の実家の和室の祭壇におかれた義母の「骨」に向かい、線香をあげることになっているはずなのに、わたしの潜在的な思考はそれを認めようとしない。
義母はもういないのに、義母の病室のあったフロアに行ってみたい気さえする。
これは、存命であった頃の日常に対しての未練なんだろう。

 容態が急変し、持ち直し、悪化し、逝去。この流れの中の強く記憶に残るシーンを、いちいち反芻する時間が毎日存在する。その反芻に痛みを伴うことがわかっていても。
これは「やがて記憶が薄れていく」ことに対しての抵抗なんだろう。

 「姑の入院」という過去記事を読む。このときの入院は一週間で終わったなあと思い出しながら、更新日付を見て愕然とする。ちょうど一年後の同じ日に、容態が急変したことに気づく。

 この過去記事に出てくる「小さな畑」の跡地を整地する、春の花をそこに咲かせるために。
この場所に花が咲き乱れる頃、去年衝撃を受けたこの記事から、一年が経過する。