S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

文字サイズの指定

2004年11月30日 | インターネット雑記
インターネット上には、年齢の壁ができにくい。
世代を越えて、同じページを見ていることがよくあります。

ただ。

30代の人間と、40代の人間との間にある、大きな「壁」がある。

はい、加齢による視力の衰えが出てくる現象、
老眼です。

早い人では、38~9から、こうしたことを言い始めます。

新聞読むのに、ピントを合わせる時間が出てきた
見えないことはない、
「離して見る」ほど、まだ顕著じゃない
でも、ピント合わせに、「よいしょ」という数秒がある


そして、だんだん見えなくなる。
40代の人間が集まると、老眼の兆しの話が、ごく当たり前に出て来はじめます。

わたしは現在、43歳。
ずっと両眼1,5だった視力が、2年ほど前から、両眼0.9になりました。
老眼の感覚を持つ前です。
知人の眼科医に聞くと、これも老視のひとつだと。
30代後半からの視力の変化は、老視の現れということなのだと。
そしてわたしの場合は、加齢によるピント調節機能の低下が、こうした形で現れているのだそうです。
ごく最近ですが、入浴剤のパッケージの小さな文字を読むのが困難になりました。
ネット上では、文字表示を今まで「小」に設定していたのが、ページによっては「中」が、目に楽になってきています。

以前、40代の方に相談されたことがあります。
文字の大きさが指定されていて、PCの表示の文字サイズの調整をしても、読むのがきついページがある、と。
その場合は、ということで答えたのが以下の通りです。

Windows版Internet Explorerの場合は
「ツール→インターネットオプション」メニューを選択し、
「全般」タブの右下にある「ユーザー補助」で、
「webページで指定されたフォントサイズを使用しない」にチェックを入れ、ページの文字サイズ設定を解除し、プラウザの「表示」で自分の好むレベルの文字サイズを選ぶ。


または、

ワードパッドを開いておき、「書式」でフォントのサイズを自分の読みやすいサイズに設定しておき、読みたいサイトの読みたい部分を適宜、このワードパッドにコピペで貼り付けて読む。

老眼といっても、老眼の傾向の開始という時期から、実際に眼鏡を使用する段階になるまでは、「年数」と言っていいほどかなりの時間があります。
その間に、どう「読みにくい目」をうまく使うか。
そんな工夫が、実は40代の人間が持たなくてはいけないことかもしれません。
そして、このことを知らないでページ設定をしている人も多いのだと思います。

さて、gooブログでもCSSの編集機能が始まりました。
むだづかい日記「CSSで遊んでます」

文字のサイズは絶対サイズではなく、相対サイズで指定したいものです。

に大きく賛同し、トラックバックです。

*追記*
上記の「二つのやり方」ですが、IEのユーザー補助の設定に関しては、こちらのページがわかりやすいです。
「Internet Explorerの設定」
ワードパッドを使ったやり方に関しては、暗い色地にわかりにくい文字色で、文字の大きさが固定という時に便利なようです。
こうした「読めない」「読みにくい」は、ブログ台頭以前に、よくカスタマイズできる掲示板において、起きていた話題です。
「加齢の兆候を感じ始める世代」は、自分の加齢の兆候に対してもまだまだ心理的に素直にはなりにくい。
その少し前の世代の人間に対して、「そのことが他人事にしか思えない世代」と思って、「黙って我慢」する傾向があるようで、なかなか表に出にくい話題でした。
インターネットが盛んになってきたのは、ここ数年のことですから、あと数年経てば、開始時期に30代だった人間に同様の感覚を持つ人間が出始めるので、少し傾向が変わるかもしれません。

パソコン、壊れたぜ。。。

2004年11月29日 | 使用機器/ソフト
パソコン、壊れたぜ。
ソーテックのPC STATION M360
朝、電源入れたら、
ピピピピって警告音が鳴って、
それでオシマイ。
あらら。

すでに5年近くたつからねえ、
ハードな使用状況で。
「いつ寿命が来るか」と思いながら
使っている状態。

CD-RWのドライブはすでに壊れて、交換済みだし、
DVDの再生ドライブは、
ちょっと前に、データCDの認識しかできなくなった。

大事なデータは、いつも外付けHDD。

で、ピピピ。

あら困った。
買うんですかねえ、新品。
キーボードとマウスはコレ使ってるし、
本体だけでいいかなあ。
もっとちゃんとDELL、見ておけばよかった、
などと思いつつ。

でも、とにかく、どうにかしなきゃ。
データは外付けHDDに入ってるけど、
メール関連が、バックアップ取ってないし。

ってことで、
自宅近くの、PCレスキュー会社へ。
この会社は、
壊れたPCのハードディスクから、
データを取り出してCDに焼いてくれるので、
その相談もしなくちゃ、だわ。

治ったぜ!
午前中に修理始めて、午前中内に。

以下、サポート伝票
・PC内部清掃-変化無し
・2枚差しのメモリを入れ替えてみる-変化無し
・グラフィックカード交換-解消

部品代一万円の技術料7千円でした。
部品はASUS AGP-V7100/32M というもの。

修理中に、
事務所の中のPCで、
お茶いただきながらネット三昧、
そんなことやってる間に、直していただきました。

マンション事務所で、
社長は気のいいオッサンだったし、
サポートはかっこいいオニイチャンだったし、
かなりゴキゲン。

ただ、事務所に何台もあるPCをさわって、実感。
うちのディスプレイ、ダメだ。。。
実は、gooブログのメタルテンプレ、
メニューで文字、よく見えない部分あるし。。。
一番明るい状態にしても、
写真が暗い。

ディスプレイ買い替えたいなあ。
でも、買った途端に、
本体壊れるのかしら。
そろそろ寿命なんだろうし。。。
我慢、しますか。。。

携帯電話の「オトモ」

2004年11月28日 | 時々プロフ
*地域限定「原宿キティ」ピンクのビーズ付きストラップ
*キティのファスナーマスコット
 「工事現場バージョン」(職人服を着用)
*「Roots」ミニボトル
 (携帯電話の電波に反応して光るストラップ)
*トンボ玉付きビーズストラップ

そして、銀のハートに「S」

「同窓会」

2004年11月27日 | 時々プロフ
中高一貫教育の私学のお嬢さん学校、というヤツの出身なのですが。
なんでも7月頃に、学年会という大きな同窓会をやるそうで、そのための名簿再編に、何人かが尽力しているらしい。

自分、薄情か?
と思うほど、興味が無い。
会ってない人間は、18から会ってないわけで。
20年以上コンタクトを取ってない人というのは、「知らない人」に近くないか?と思う。

娘が生まれる前、妊娠中に、
だから、14年前になるだろうか、
当時の友人の一人と会って、ものすごく有意義な時間を過ごしたことがある。
在学中に亡くなった彼女の母親の話、そして、生と死の話、子どもだった自分たちにはできなかった話が、年齢が上がったことで有意義にできる充実感があったというか。
この時の彼女との会話は、その後に自分が出会っていく「死」の経験の中で、少なからずの影響は、あったと思う。
在学中に、個人的にそんなには密接に親しかったわけではない相手なのだけれど、当時、いっしょにいて、その生活の中で「相手を知っている」ことを元に、構築された会話を楽しんだ。
発見を伴う、いい機会だったと思う。
「知り合い直す」というか。

ここで、また、長い間、彼女との接点は無くなっていくのだけれど、
この、会っていたときにいた「お腹の中の子ども」が実はダウン症児であり、そして、生後すぐに死の危険にさらされたということ、そんな話は年賀状のやり取りという中で行われていくわけで。

先日、この彼女とまた電話で話す機会があり、このときの「会話」の話を、再度して。
14年前と、それからの経験の中で、また、その影響を感じたという話などをして。

そうね、
やっぱり「会って話したくない」わけではないんだな。
ただ、「会話」というものが成立するための、
「元気~~?」
「なつかし~~~~」
とか言う「前戯」を集団でやらなくちゃいけないのが、わずらわしいんだろうな、きっと。
そのための「着飾り合い」に参加するのもどこか面倒だし。
で、「誰」が「あのとき、ああだった」の「その先」の「現在の会話が成立する相手」なのか。
「集団」の中では「迷路」にはまり、結局、「笑顔」と「過去の話題」でお茶を濁して終わる。
そんな気がするんだろうな。

あとは、この20余年の間に、
「つるむということが苦手」という自分の個性に磨きがかかったってことなのかもしれないな。

「朝の母」

2004年11月26日 | 時々プロフ
朝、歩く道でございます。
13歳知的障害児の通学を送った帰りに、
歩く道でございます。

自宅から最寄り駅まで、徒歩25分でございます。
バス停は遠いので、もっぱら歩いております。
自宅-駅間で、使うルートはいろいろありますが、
子どもを連れず、単独歩行の場合は、
もっぱら、この道を使っております。
(箱根駅伝の復路です)

理由は、
「人がいないから」でございます。
耳には必ず、音楽でございます。
MP3プレイヤーで、がんがん、でございます。

で、
「歩きながら、音楽に合わせてステップ踏む」には、
最適の、「ほぼ無人」の道でございます。
耳に響く音楽に合わせて、
「ショー的歩行」をしたくなるのを、ぐっと押さえております。
前、前、前、後ろ、後ろ、前、前、とか、
右斜め前ツーステップ、左斜め前ツーステップ、
後ろ、後ろ、前、前、とかね。

やりませんよ、やりません。
人がいなくても、車がね、いますから、
車からね、見えますから。
だから、ちょびっと
跳ね気味に歩く、程度でございますな。

つまりね、
踊りたくなりますな。
でも、自分、
「うまいヤツ」ではありませんわな、
好きだけど。

たいしてうまくもないけれど、
自分の世代の感覚では、
若者にとって、「踊り」というものが、
ずっと長いこと「遊び」の大切な要素では
ありましたな。

自分の前の世代には「ゴーゴークラブ」がありましたし、
’70年代、’80年代と、
ディスコというのは、「普通の若者」にとっても、
ポピュラーな遊びではありましたな。
学祭でディスコってのも、
よくあったのではないかと思いますな。

そういえば、
友達の両親で、
「大学のダンパで知り合った」なんてのが、
何組か、いたなあと。
’70年代に’50年代が流行って、
フィフティーズ・ファッションってヤツで、
「母親が昔ダンパで着た服を着て、ディスコに行く」
なんてのもあったなあと。
東京在住のちょっと裕福な昭和一ケタ世代ってのの青春の話、
って思ったなあと。
映画の世界みたい。

’70年代後半から’80年代というものは、
カラオケは、
「おねえちゃんのいるスナック」でやるのが一般的でしたな。
’80年代半ばくらいから、
若者向けの「ステージパブ」も増えましたが、
いわゆる「酒とセット」のものでありましたな。

カラオケルームを見ていると、

いい若いモンが椅子に座り込んで、
 マイク持って歌ってるのは、
 なんか、娯楽がオヤジ的だ


とも、思うのは、
多分、世代感を引きずってるんでしょう。

なんというか、

若きゃ、踊れよ

と思うのは、
もう、年輩者のタワゴトなんでございましょうか。

ディスコ・ミュージックで踊り出す、
ウチのガキ二人連れて、ディスコ行きて~~~~。
「クラブ」ってのは、なんか敷居が高いし。
懐かしいなあ、若い庶民の娯楽のディスコ。。。

で、
ウチでは、時々、
思い出したように、ダンレボ。
もちろん、母も、跳ねまくり。
10歳息子、メチャうま。

「朝の出会い」

2004年11月25日 | たったひとつのたからもの
今朝のこと。
通学中の娘が、駅の階段を下りていくときのこと。
階段を上る、ある男性が娘に向かって、
「やあ、おはよう」と。

男性は階段を上り、
階段の上の隅に隠れて、娘を見守るわたしを発見。
わたしを見、ふり返って娘を見、一言。
「毎日、がんばってるね、あの子」
「はい、ありがとう」とわたし。
そして、男性は改札へ。

わざわざ言わないけれど、思ったこと。
ありがとう。
今日だけではないのですね、出会っているのは。
「毎日」という言葉で、それがわかる。
娘、知らん顔して、ごめんなさいね。
それをそのままにしているわたしを、あなたはどう思うのかしら。
ダメなのよ、
まだ、あなたはあの子に「知ってる人」と認知されていない。
もう少し、「おはよう」を続けたときに、
認知するかどうかは、あの子が決めるでしょう。

ごめんなさいね、
あの子が自分自身で「知っている人」と認知しなければ、
わたしはあの子に、あなたにあいさつをして欲しくない。
なついて欲しくないのですよ、
だって、あなたは「知らない人」だから。
あの子は女の子なのですよ、そしてあなたは男の人。
あの子は女の子で、そして女性の体を持ち始めている。
あいさつしてくれる人全てに愛想よくしていたら、
わたしはあの子に、一人歩きをさせられない。
あっという間に、お腹が大きくなってしまうかもしれない。

あなたがあの子に関心を持って、あいさつしてくれるのは、
あの子が「ダウン症児」だと、
「知的障害児」だとわかるからかしら。
だから関心を持って、あいさつをしてくれるのだと思う。
でも、あの子にとっては、
あなたに関心を持つ理由が無い。

わたしはあの子の、その「無関心」を、
成長の証と、喜ぶのですよ。
幼児のときは、自分への「関心」を
素直に喜ぶだけで、
子どもらしく、笑みを浮かべてあいさつに応える、
それだけでよかった。
わたしはそれを、微笑みながら見ているだけで、
それだけでよかった。

でも、今は違う。
わたしはあの子を「大人」にしていかなければ。

「やあ、おはよう」
もしもあなたがそのおつもりなら、
あの子を朝、同じ場所で見かけたときに、
今と同じように、そう言ってやってください。
あの子にとって、「知らない男性」が、
「朝、見かける男性」として、
あの子自身が選ぶかどうか、
その判断を、あの子に任せてやってください。
危険ばかりの世の中だけれど、
あの子の「知らない人」を「知っている人」にしていく自由までもを、
奪いたいとは思っていない。

心配だけれど、
実はそんなに心配でも無い。
あの子が人を見る目があることは、
わたしがよく知っていると思っているから。

だから、
もしもあなたが今のままのさりげないあいさつを続けてくれれば
あの子があなたを、
「朝、見かける男性」として、きっと認知すると思うから。

知的障害児の位置検索

2004年11月24日 | 使用機器/ソフト
ウチの13歳知的障害児「一人歩き」のお供、「P-doco?mini」です。
ドコモの携帯や、PC、FAX使用で、位置検索が可能です。
困ったことに、家の中で紛失しました。

「位置検索サービス」で探す?
無理です。
5センチ×3センチ程度の手のひらサイズです。
そんな小さいものが家の中のどこにあるかまで、わかりません。
だいたい、おおむね100mと広告されていますが、
それはPHSアンテナがあちこちに立ってる町中で、という条件で、
ってことなんだろうと思うくらい、
通常の状態では、200~300メートルくらいの誤差が軽く生じてます。
だから、現実的なとこで、ウチの環境では、
近所の公園で落としても、家の中で紛失しても、
位置検索では、同じ範囲の場所を示します。
要するに、機器から一番近くのPHSのアンテナの圏内ということで。
(と、言いつつも、とりあえず、位置検索はかけた自分)

まあ、無事、家の中で発見しましたが。
「おお、こんなところに落ちてたぞ」
こんな小さくでも、一応はPHS端末で、
電話番号があるんだから、
電話かけたら、鳴ればいいのに。。。
遠隔操作で防犯ブザー機能、とか。
(そんな機能があったら、機能に甘えて簡単になくしそうだけど・・・)

この小さい機器には、
べったりと、ドコモの携帯の電話番号が貼り付けてあります。
このドコモの携帯は、「外出時位置検索用専用機」です。
娘の名義で契約、ハーティ割引を利用、
機器はコレです。

この機器購入時に迷ったのが、ココセコム
ココセコムの位置検索の正確さを取るか、
P-doco?miniの「機器の小ささ」と検索料のお手軽さを取るか、
悩んだ末に、P-doco?mini。
ちなみに、ココセコムは位置検索料が一回100円、
P-doco?miniは一回10円です。
もう少し成長して、行動半径がバラエティに富むようになったら、
必要に応じてココセコムに移行の予定ではあります。

しかし、ねえ。
先日の小学一年生の殺人事件。
7歳の子に携帯電話を持たせていたんだなあと、
妙な感想がありましたが。
携帯電話持たせても、本人がかけられる状態でなければ、
もう無いと一緒なんだなとも思いました。

ウチの13歳知的障害児は、電話というものが使えません。
もしも使える能力があるならば、
迷わず、コチラなんですけどね。

*追記*
この位置検索機、購入理由は、養護学校への「自力通学」です。
最寄り駅まで徒歩25分、JRにて一度乗り替え、
二種の電車を使い、着駅から徒歩15分で学校です。
この4月から「送られて」通学を始め、
5月から「一部単独行動」を開始、
6月から「機器による位置検索」に支援され、通学しています。
エライ!(親バカ)。。。
母は、腰にミッキーマウスをつけ途中まで尾行です。
最寄り駅までの経路に、近くの小学校の通学路を一部通らせるという、
安全なルートを選び、そこを教え込み、
「いってらっしゃい」と何食わぬ顔で送り出し、
10分後に、母は別ルートをダッシュして「尾行」です。
探偵並。。。

たったひとつのたからもの:生と死

2004年11月23日 | たったひとつのたからもの
「たったひとつのたからもの」の中で好きだと思うシーンに、
母親が、亡くなった子どもを抱いて立っているシーンがある。
「生」というもの、「死」というもの、
それを抱えて、まっすぐに立っている姿は
凛としていて、静かで、美しかった。
生きていた命、生きてきた自分たち、
そんなことを思わせられる。
生きていくということは
「生」に出会い、「死」と遭遇し、
それを繰り返しながら進んでいくことなのではないかと思う。

人というものは、いつ、
何歳にして、「死」というものを実感するのだろうか。

わたしが初めて出会った「死」は、
小学生の時の祖父の「死」だった。
一年に一度かそこらしか会わない「祖父」だったので、
「死」の意味よりも、「死の儀式」の方が印象に深い。

次に出会った「死」は、16のときの、
クラブの先輩の病死だった。
脳腫瘍で、発病がわかってから数ヶ月で、
あっという間に逝ってしまった。
「死」が実は「生」の隣り合わせにあることを、
どこか実感で知った最初かもしれない。

22のときに、友人が死んだ。
長野のデパートの屋上から飛び降りた。
小さな箱に入った彼と別れるために、
東京駅の片隅で、彼のおかあさまと会った。
姿を変えた彼を、東北に連れて帰るおかあさまに会った。
小さな小さな姿がたまらなかった。
この数日後、もうひとつの遺体があるアパートから発見される。
絞殺されたその遺体に手をかけた犯人は、
長野のデパートの屋上から飛び降りてすでに自殺していたと
報道される。
「死ぬなよ」に「殺すなよ」がプラスされて、
しばらく、苦しい思いが抜けなかった。

我が子の死ということ、
第一子で、二度、疑似体験をした。
一度目は稽留流産という、誤診。
掻爬の日も決まっていて、そこから逃げ出して救った命。
二度目は、ダウン症を原因とする心疾患と、
それによって悪化した肺炎。
「我が子の死」というのは、疑似体験だけでたくさんだと思う。
二度と経験したくない。

31のときに、とてもとても大切な友達が死んだ。
その後に生まれた二番目の子がもう10歳になるのに、
まだ、どこか、その死の悲しみを引きずっている自分がいる。

今、10歳の息子、
あと5年経ったら、
イラク邦人人質殺害の動画と同様のものを、
友人とアドレスを流し合ったりするんだろうか。
理屈抜きに、鳥肌が立つ。

生にも尊厳があるように、死にも尊厳があるのではないかと思う。

息子が4年前に体験した「友達の死」。
棺の中に眠るその子に最後のお別れの献花をするとき、
母に習って、そっと頬に手を触れた息子。
彼は、冷たくなった友達の頬に触れても、
けして、「異質なものを見る」目をせず、
悲しみの混じった柔らかな笑みで、花を置いた。
後で、小さな声で、「冷たかった」と言った。

彼は「生の尊厳」はもちろんのこと、
「死の尊厳」というものも、理解してくれているだろうか。
特に何ができなくてもいい。
大事なことを知っている人間になってほしい。

「ぼくのお姉さん」

2004年11月22日 | 書籍紹介
子どもの本の世界に「障害」を語られているものは多いと思う。

中でもわたしが好きなのはこちら

「障害」を語る6つの短編をまとめたもので、
ダウン症が語られているものが表題作の「ぼくのお姉さん」
ダウン症の姉を持つ「弟」が、
「姉」に対しての差別的視線を自らも浴びながらも、
結局は「善」で終わるストーリーで、
作者の意図かそうでないのかわからないけれど、
「ダウン症」にまつわる話が「善」で終わりやすいことを
象徴しているような気もするというか。

「ダウン症児の母親」でありながら、
わたしはこの本の6つの短編の中で、
実は、この「ダウン症」にふれた表題作よりも、
後の5つの短編の方が
もっともっと「読むに価する」と思っています。

それは、自分の奥底に住む、
「ごく普通の人間が、障害児・者に持つ差別や偏見」を
えぐり出されるような気がするからです。

後の5つの短編には、
障害児・者に対しての「攻撃」が、赤裸々に出てくる。
特に「歯形」という短編では強烈です。
また「こおろぎ」という短編の中に出てくる、
「都合の悪いことを、障害児の責任にしてしまってやり過ごす」
という部分が、
本当に自分の中にかけらもないだろうかとさえ、思う。

自分の中に住む「偏見や差別」を直視しないで理想論が語れるか

とも思うのだけれど、
自分の中に棲息しかねない「差別や偏見」の直視は
実はちょっと怖いです。

「首かざり」の中に出てくる、
障害を持つ友達への優しさが、
新たな差別や偏見につながっていくことも悲しいし、
「あざ」に出てくる、
いじめを受けた少女が、攻撃を障害児に向ける行為も、悲しい。
でも、「あざ」に出てくるような、
ことの本質をちゃんと見つけられるおかあさんになりたいな、と思う。

坪田譲治文学賞
新美南吉児童文学賞
児童文学者協会新人賞
赤い鳥さし絵賞

という4つの賞を受賞しているこの本は、
子どもの本を置いてあるちょっと大きめの本屋なら、
たいがい置いてあるし、
古本屋で、見つけることもある。
探すのも買うのも、たいして困難の無い本だから、
多くの人に読んで欲しいなあと思う本ですね。
児童文学ではあるけれど、
大人にこそ、読んで欲しいと思う本ですね。

文庫版もあります。

「たったひとつのたからもの」:”わたしのたからもの”

2004年11月19日 | たったひとつのたからもの
実は。

わたしは子どもたちに対して、
「たからもの」という言葉をよく使うのでした。
何年も何年も前から。

息子に言うんですわ。

「わたしは、どこにも行かない、
 入院してしまわない赤ちゃんが欲しかった。
 あなたはずっとわたしのそばにいてくれた。
 それだけでどんなにうれしかったか、わからない。
 ありがとう。」

息子が生まれるまで、わたしは「病気」でした。
3~4ヶ月の月齢の赤ちゃんが、抱けませんでした。
ふっと抱くと、体がだんだんと緊張を始め、
胸の奥からこみあげるものがあり、
体が震え出すのがわかりました。
入院によって、娘を手元から手放したことの
精神的な衝撃の「後遺症」だったのだと思います。
抱くこともできず、
昏睡した姿を見ることしかできなかった頃。
心電図のモニター音が響き、管や機械に囲まれた姿の、日々。
抱きたかったのに、抱けなかった。
さわることすらできなかった日々もあった。
遠くの窓越しに見つめるしか無い日々もあった。
そんな時期のことを、体が、思い出してしまう。
息子を生んでから、やっと治った「病気」でした。

生後一ヶ月で入院し、
生死の境をさまよい、
半年以上も戻ってこられなかった第一子。
子どもを生んだばかりの「母親」という動物的な感覚が、
「赤ん坊が入院した」とはとらえずに、
「赤ん坊を取り上げられた」と動いていました。
娘が回復しても、退院しても、
何事も無かったかのように、育っていっても、
3~4ヶ月の月齢の赤ちゃんを、ふっと手に抱いたときに、
この時の「取り上げられた悲しみ」が、
体の中から呼び覚まされるようでした。

退院という形で、やっと「取り返した」わたしの赤ちゃん。
でも、そこからまだ数ヶ月の間、
「病院からの預かりモノ」という意識が消えませんでした。
「これ以上の回復は、入院していても望めない」
「今後、何度も入院する可能性を覚悟していてください」
そう言われての、やっとの退院でした。
(ここでヘマしたら、また取り上げられる)
病院からの指示の投薬の時刻と薬の種類を壁に貼り、
病院からの指示通り、強心剤を飲ませる前に、
病院から購入した聴診器で慎重に娘の一分間の心音を数え、
そうやって、なんとか、
自分の手元に置くことを必死に維持しているような状態でした。
強心剤、利尿剤、抗生剤、気管支拡張剤、
数種の薬の投薬の時刻もばらばらだった。
ミルクは病院の売店で購入した「腎臓心臓疾患児用低塩分ミルク」でした。

「よくここまで回復させましたね、まるで別の赤ちゃんみたいだ」
そう主治医に検診でいわれたときに、
やっと、「取り返した」ような気がしたものでした。
結局、宣告されていた「再度の入院」はありませんでした。
術後の検査のための入院以外は。

「やっと、取り返した、わたしの、たからもの」

これが、今、13歳の上の子。
先天性心疾患を持って生まれた、ダウン症と告知を受けた上の子。

そして、生まれてから、どこにも行かなかった、今、10歳の下の子。

「ずっと、そばにいてくれた、わたしの、たからもの」

このフレーズは、息子にとって、
どこか聞き慣れていたものでした。
そんなに「安く」言ってたわけではないけれど、
それでも、言ったことがあるのは、一度や二度じゃなかったと思う。

「たったひとつのたからもの」を見ていて、
心疾患とダウン症の告知を受けるシーンがある。
ご両親の心痛は、いかばかりかと思う。

でも、わたしは、嫉妬しました。

「それでも、連れて帰れたじゃない。
 わたしはその日、赤ん坊と引き替えに、
 入院のための書類を渡され、
 自分と赤ん坊を引き離すための書類にサインをし、
 なま暖かい、まだ体のぬくもりが消えない服を手渡されて、
 それを抱えて、とぼとぼと、ひとりで、帰った」

身勝手な嫉妬なんですけどね。
所詮、根治手術が可能な、健康を手に入れられる心疾患なんですけどね。
こんな嫉妬は、お門違いなのは、
じゅうじゅうわかっているんですけどね。

でも、わたしは、嫉妬しました。

一度目に見たときは、思っただけだたんですけどね。
ドラマの途中で寝た息子が「見たい」と言って、
「ちゃんと最初から見る」と言って、ビデオを流し、
そのシーンに来たときに、
わたしは思わず、口に出してしまいました。
一度目は、客観的に見ていることができた。
でも、二度目はこのシーンで来ましたね、
フラッシュバック。
震える声でね、口に出してしまった、息子の前で。

「でも、連れて帰れたじゃない」

息子が、はっとしたような顔をしました。
今まで、自分に向けられていた言葉の意味を、
どこか理解したような顔をして、
黙ったまま、すっと、涙をこぼしました。

そうね、
息子にとっても大きかったんでしょうね、
今回の「たったひとつのたからもの」は。

娘の入院の間、ベッドを並べ、
娘の一週間後に手術を受けた宗史くんは、
再び生きておうちに帰れることなく、旅立ちました。
手術から数週間後のことでした。
「娘が新しいものを見るときは、いっしょに見ようね」
そう、彼の遺影の前で、約束、したこと、
いつか、ゆっくり、話してあげようね、
と、息子を見ながら思いました。

「たったひとつのたからもの:特別版」放送から、「その先」へ

2004年11月17日 | たったひとつのたからもの
昨日、11月16日、
「たったひとつのたからもの:特別版」が放送されました。
感想は、ご覧になった、それぞれの方の胸にということで。

わたしが一貫して望むのは、
ドラマの、ドキュメンタリーの、放映の「その先」です。
本を閉じて、テレビを消して、
そこで終わらない人が一人でも生まれることを
わたしは望んでいます。

以下、
ここから始まる「その先」に関して、
「思考の扉」になっていくのではないかと思われるリンク先です。

(財)日本ダウン症協会

全国心臓病の子どもを守る会
キッズエナジー
(財)ドナルド・マクドナルドハウス・チャリティーズジャパン デン・フジタ財団
あそぼっくる
小児病棟ボランティア「ふしぎなポケット」
ダスキン「広げよう愛の輪運動基金」

被災障害児・者支援

2004年11月16日 | ○○さんにトラックバック!
新潟県中越地震の義捐金の募集が娘の通う養護学校でありました。
震災のあった地域の養護学校に向けて支援するものです。

もちろん、お金を送るのに異論はありません。
5千円を封筒に入れました。

封筒にお金を入れ、
表に「新潟県中越地震義捐金」と書き、
個人名を書かず、封をして、
連絡帳を持たせるファイルに入れ、
担任を通して届ける


という指示だったのですが。

わたしは中身の見えない白い封筒ではなく、
中身が透けて見える茶封筒を選びました。

偽善者ですねえ。
中間でそれを受け取る人に、
中身の金額がはっきり見える方を選択しました。
いや~ね~、「小市民」な自分。
なら、万札入れろよ、万札、自分!

・・・だって、もっとあちこち、送らなきゃ。。。


参考リンク:
*(社)全国肢体不自由児・者父母の会連合会「新潟県中越地震」義援金取りまとめについて義援金送金報告並びにご協力のお願い
*社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会「新潟中越地震」救援募金について(お願い)
特定非営利活動法人 ゆめ風十億円基金
阪神・淡路大震災における在宅障害児家族の問題とその対応策に関する検討

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ゆうくんちの日常 「新潟県中越地震 障害者たちは今」

「オフラインの人間関係に自ブログが晒せるか?」

2004年11月15日 | ○○さんにトラックバック!
「オフラインの人間関係に自ブログが晒せるか?」
難しいっす。
なんというか、こう、恥ずかしいです。

文字というものは、人が出る。
一部分ではあるけれど、出る。
どこか、こう、精神のストリップのような気が、ちょっとする。

HPを作って早4年ですが、
作って半年程度経過する頃、
「ぐゎお!」と、叫びたくなってくる感覚がありまして。
HPに、そしてHPの掲示板に出てくる自分は、
思慮深く、優しく、きっぱりとしている。
「一部分」ではあるけれど、それも自分なのだけれど、
なんか、こう、「アンタ、誰?」的な気分にもなりまして。

一部を全部だと思われたくないっ!

みたいな変な気分にもなって、
コミュニティサイトで、出会う、
「障害無関係人物」と、やたらにネット上で遊んでました。
この頃、ちょうどISDNからケーブルに変えたのだけれど、

バニーのかっこうで、庭にシャベルで穴掘って、
無理やりケーブルを引いてきた


ということになってました。

年齢は強引に「18歳」を主張

HPで見える姿、
どこか確定されていってしまうようなネット上の人格に
自ら反抗的な態度を取ってました。

まあ、そのうち、
そうやって、遊んでくれる仲間に助けられ、
ネット上でできあがる「実像を含んだ虚像」「虚像を含んだ実像」
みたいなものから自由になり始め、
ある種の達観も得たりしました。

でも、やっぱり、
オフラインの人間関係にネット上の自分が見られるのは、
単純に「恥ずかしい」です。

「恥ずかしさ」の種類もいろいろあるけど、
ブログに関しては、ものすごく単純な恥ずかしさで、
特に、オンライン人間関係というものの経験の少ない人

「男とばっかしゃべってる人妻」

みたいに、思われる?
ってとこがあります。

しょーーーーーーがないでしょ、
いつもいつもそうなんだけど、
「障害ネタ」はずすとそうなっちゃうんだから、結局のとこ。

ま、その実体は、
ずばずば」だったり、「ばっさり、ばっさり」だったり、
するんですけどね。

以上、じゅん吉さんとこの
「オフラインでブログを紹介しています。」にトラックバックです。

「海の向こう」と「こんにちは」

2004年11月14日 | インターネット雑記
これはオランダ製の、「赤ちゃんお誕生記念」の壁掛けタイルです。
一番上に、子どもの名前が入ります。
後ろの壁の時計に、生まれた時間が入ります。
コウノトリが加えた赤ん坊の下に、
生まれた時の体重が入ります。
下の部分に、生まれた場所の名前が入ります。
木枠にセットされ、壁掛けになります。
サイズはだいたいですが、25センチ四方くらいです。

うちには、これが二枚、あります。
子どもが生まれた頃に住んでいたところの近所に
輸入雑貨の店があって、そこで注文しました。
取引のあるイギリスのお店に注文し、
そのお店がオランダの窯元に注文を出すということでした。
一枚、一万円でした。

おととし、友人のところに赤ちゃんが生まれることになって。
「お祝いに何が欲しい?」と尋ねると、
その友人が答えました。
「あのタイルが欲しい」と。

さあ、大変。
わたしが購入したお店は、すでに閉店していました。
(これはオランダのもの)
(そうだ、インターネットというものがあるじゃないか)

はい、探し出しました。
オランダにいらっしゃる日本の方が、
注文を受けて、販売されてました。
探し出したときは、事情があって、
販売休止状態になっていたのですが、
わたしの注文を皮切りに、また受注を再開されました。
(画像はこの時にいただいた、商品見本画像です)

「世界中から探し出してくれた」

と、友人はとても喜んでくれました。
インターネットに感謝です。
お値段は、商品価格、裏に贈り主の名前を入れる手数料、
そして送料含め、9千円でおつりがくる額でした。

商品受注のメールのやり取りの中で、
「子どもが生まれた喜びをずっと感じられる品」
というキーワードから、
母親でもあるその方と、
「生まれた喜び」に関してのお話を交換したりしました。
お話を交わす中で出てきた、
「クロッカス休暇」という言葉に、
オランダを感じたりもしました。

5月に行われた第28回日本ホビーショー
これに、この方は、
オランダのヒンダーローペンの作品紹介で出展されました。
招待券をいただき、家族でこのイベントに出向き、
うちの二つの「生まれた喜び」の生きた姿を前にして、
会話を交わす機会にも恵まれました。
とても楽しかった。

海を越えて、世界をつなぐインターネット、
無限の可能性があると改めて思うことの一つです。

~商品宣伝ということではなく、
単に興味を持たれた方のために~
オランダ製手描きタイル

女性専用ソフトです

2004年11月13日 | 使用機器/ソフト
フリーソフトです。
女性専用ソフトです。
作者のサイトは休止中ですが、
ソフトのダウンロードは行えます。

Aruru's Birth Controller

「総合家族計画ソフト」です。
「生む」のにも「生まない」のにも使えますが、
「オノレの体を知る」という意味で充実のソフトです。

基礎体温を入力すると、グラフ化してくれます。
基礎体温表をつけなくても、
簡単に「自分の周期」が記録できます。
カレンダー表示で「自分の体のいろいろなスケジュール」を
数日単位で「色分け」して「予測」してくれます。
「周期」に微妙な日数のズレがあっても、
年間統計で平均値を割り出してくれます。

「周期」以外の「女性特有の体の変化」に関して、
メモとしての記録をつけていくことができます。
女性の体の基礎知識に関しての簡単な検索窓がついていて、
ちょっとした不安や疑問は解決することができます。
PC慣れしていない女性にも
かなり簡単に扱えるソフトだと思います。
デザインがきれいです。

使用歴2年です。