S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

姑の入院 つれづれ

2005年12月29日 | つぶやき
 子どもたちは冬休みに入り、ちょこちょこと姑のいる病院に連れていっています。

小児病院や小児病棟での入院で「きょうだい児及び子どもの面会禁止」に慣れていたわたしは、姑の入院後、子どもを面会に連れて行くという発想が全然無かった。
いや、普通の病院なんだからいいんではないかと思い、とりあえず1人ずつ連れていった冬休み前。そしてどうやら騒いだりしなければ、長居しなければ問題は無さそうだと判断。

 息子は、すっかり病人の様相を見せる姑に対して見せたショックが、姑に悟られてしまいました。また面会という時間の持ち方に手持ちぶさたになる。わたしには「いつ退院できるのか」と聞く。姑の現在を飲み込んでいく成熟を、彼はまだ持ち合わせていないんでしょう。
それでも姑にとっては大事な孫。旧家に嫁ぎ、跡取りという思考が強い姑にとっては、息子は大事な跡取りで、かわいさもひとしおのようで、顔を見せれば喜ぶので息子に言い聞かせて連れていく。

 何の配慮もいらず、安心して連れて行けるのが、娘の方。病人の様相を見せる姑に対して、こちらは全く動じず、また違和感無しに、療養前と変わらない日常のテンションで「おばあちゃん」と声をかける。
「おば あ ちゃん、 だ い じょうぶ?」
療養前とちっとも変わらない稚拙な言い回しに、聞いているわたしでさえも、日常を取り戻すかのようにほっとする。
看護師さんが来ると、彼女の意識がすっと前に出るのを感じる。そうそう、これはこのとき感じたことと全く同じ。
ベッドのそばの小さな丸椅子にちょこんと座る。意識はまっすぐ姑に向いていて、「アタシが看病しています」という真剣な顔つきになっている。

 療養と、少しずつ始まったリハビリ。退院、在宅まではまだ数ヶ月かかるだろうし、退院すれば介護という状態にもなると思う。姑は今までのように自分ひとりで出歩くことはもうできない。家を出ない日は多くなるだろうと思う。
 それでも、わたしには、小さな安心状態がひとつ生まれたような気がする。姑が、体が思い通りにならないという状態ならば、娘はきっと活躍してくれるだろう。まっすぐに、必要な優しさだけを持ち、自分が役に立つのだという意志と自負とをきっと持つだろう娘の存在に、姑はきっと心が助けられるんではないかと推測。

 病院に娘を連れて行くこと。病院で出会う医療従事者たちは、娘を見るだけでみな、14歳の女の子と思うよりも「ダウン症児だ」と思うだろう。
何度も連れていってから、ふとそのことに気づく。ふと気づくというほどに、そんな視点の感覚はすっかり忘れてしまっていた。
年数が経つというのは、そんなものかもしれない。

サンタの存在

2005年12月25日 | つぶやき
 サンタ考/S嬢のPC日記
 カウントダウン/S:今日の一言
 サンタさん/S:今日の一言
 上記の経緯をもって、Xデー、つまり25日の朝を迎えた我が家であります。
サンタに夢を持つ、というよりサンタを信じる5年生11歳♂の「結果」が今日。
 
 その「結果」の重要な経緯となるのがこちらになります。
姉が子ども連れて一時帰国/S:今日の一言
おもちゃ発祥の国ジャパン/S:今日の一言
 22日午後、彼はわたしの実家に泊まりに行き、彼の仲良しのイトコと共に、わたしの姉と二泊三日を過ごしました。そして息子は「サンタは実在する」という強化を受けて帰ってきました。

 姉は、小学生のときにサンタを「見た」そうです。誰がプレゼントを買うかなんてことは、その存在に関係無いそうです。「だって、見たもん」と言います。感激と共に最初にうち明けた妹には一笑に付されたこの話、自分の一人息子にさえも相手にされなかったそうです。
 しかし、11歳の甥は、目を輝かせて聞いてくれる。姉がサンタの話を聞かせるのではなく、姉と彼がサンタの話を共有したようです。

 クリスマスが近づくにつれて増えていった彼の「サンタ」に関しての質問を、わたしは「いない」ことに対して背中を押されたいのかと思っていました。しかし、実は違いました。彼が背中を押して欲しかったのは「いる」ということに対してだったようです。姉の「だって、わたしは見たもん」という一言が、彼には一番重要だったようです。
自分が見るか見ないかということではなく、「見た」と、「いる」と、そう言ってくれる人が欲しかったのだと感じました。

 息子は、姉が見たサンタの話をしてくれました。わたしは姉の、小さかった姉の最初の話の切り出しをろくに聞かずに否定した。姉の息子も同じようなものだったそうです。姉はやっと、わたしの息子に対してその話を克明にすることができ、そして息子の心にはその情景が焼き付いたようです。
だから自分が見たいとは言わない。言わないのだけれど、サンタクロースはいるのか?/ko-ko-sei nikki や、サンタ・クロースは実在した!?/ぽんすブログの「光」の話は、きっと目を輝かせて聞くことでしょう。

 24日の夕刻、オーストラリアに戻る姉を、新宿の成田行きのリムジンバスの停留所で送り、そのまま新宿で24日の夜を過ごしました。画像はそのときの一枚。キラキラと輝くクリスマスムードの中、彼のクリスマスはおおいに盛り上がっていました。

 家に帰る道を歩くときに、息子が姉が見たサンタの話をしてくれました。
 玄関に立っていた、というその話。とても大きな人だったそうです。もちろん父親の変装なんぞではありません。わたしはこの話をちゃんと聞くのに、何十年もかかってしまった。

「そう。同じおうちにいたのに、おかあさんには見られなかったわ。」と、少し淋しい思いで言うと、「どうしてかなあ」と彼は言う。
「おかあさんは、あんまりいい子じゃなかったんじゃないかな」と、口をついて出ました。サンタに説教を持ち込むことが嫌いなわたし。それでもこのときは、なんというか寂寞感と共に、このフレーズが口をついて出てしまった。

 息子は立ち止まり、まっすぐにわたしを見て言った。
「そんなことないよ!」
 ああ、これが、この子がサンタを信じ続ける素養なのかと、ふと思った。

 今日、25日の朝は、彼のクリスマスツリーに向かって走る物音と、叫び声で始まりました。その叫び声は「来た!」というもの。「おかあさん、来たよ!」が、二度目の叫び声でした。
 
 さあて、来年はどうしましょう。彼の心の進む道は、きっと彼が決めることでしょう。

 彼の父親である夫の弁は、「来年もツリーはきちんと飾らなきゃな」というもの。
うちのクリスマスツリーは、150センチという大きなものです。出して飾り付けをするのも片づけるのもけっこうな作業です。サンタの存在にとって重要なアイテムである我が家のクリスマスツリーは、今年も立派に効力を発揮してくれました。

「あの子は、きっといいサンタになるよ」
この夫の一言が今年のクリスマスを象徴したような、そんな結末です。

See you again.

2005年12月22日 | ○○さんにトラックバック!
 「障害者の“きょうだい”のつぶやき」が、閉鎖です。さようならの挨拶をする「冬眠」を読み、万感の思い。

 このブログ、メニューのトラックバック欄にずらずら~っとわたしのところから入れたトラックバック記事の記載が並ぶ。触発という要素、大きかったですね。
そのまっすぐな視点で書かれた文章は、表に出ない形での触発も生まれたと思う。あなたの知らないあなたのファンは、たくさん存在するとわたしは思うわ。

 触発ということ以上に、コメント欄で、トラックバック送受信で、楽しかったですよ、やり取りは。たくさん話さなくても共感を覚えるということも多かったと思う。
冬眠」という形で入れたさようならの挨拶に、どう反応しようか数日悩み、トラックバックという形を取ります。

 一時期、存在していてくれてありがとう。さようなら。お元気でね。
とは言っても、ブログが消えても、完全にさようならをする気はさらさら無いのですわ。まだまだ当分、わたしはここにいるわ。また会いにきてください。
いつか飯でも食おうね。

被リンクの収穫

2005年12月19日 | つぶやき
 サンタ考 が、被リンクでぐるぐる回りました。以下、回った順に。
■[コラム・エッセイ]サンタ考 [S嬢のPC日記]/明日は明日の風が吹く
2005年12月13日寒すぎる/ネタサイド
2005-12-14■[テキスト]サンタ考 (fromネタサイド)/酔拳の王 だんげの方
 今回の被リンク、最大の収穫は「一日のアクセス数が4ケタを記録」とか、そのことにより一時的にランキングで高位置とかではなく、2005-12-14■[テキスト]サンタ考 (fromネタサイド)/酔拳の王 だんげの方で紹介されていた「この人の考え方が好き」というサイトを知ったこと。
これはすごい。思わず拍手。このURLを記載したフレーズ「この人の考え方が好き」に大きく共感。
 
 わたしが嫌いなのは、「サンタのプレゼントを有償にする」こと。つまり「いい子にはサンタが来る」的な言い方。わたしはこういう類の事は一度も言わなかった。
いや、悪いけど、ウチのガキ共は未熟ではあるが、過ちも行うし欠点ももちろんあるが、「いい子」ですから。「いい子にしてれば」なんていうことは必要ない。もちろん始終「いい子にしている」なんてことはあるはずが無い。そんな状態だったら、むしろ不自然だ。子どもが悪いことをすりゃもちろん叱るが、悪いことをするにはするなりの理由なんてものもあるだろ。その理由を解明しつつ、違うことは違うと言う。サンタのプレゼントでつらなきゃならんほど、こっちの姿勢だってちゃちじゃないぜ、とも思うんですよね。

 いい子にしてたらサンタが来る、なんていう、そんな小さいとこで完結させるものじゃなくて、「ワクワクをもらう」ということ。「ワクワクをもらう」ということが、誰かにイメージを作ってもらうことだったのだとわかったら、次は「ワクワクを誰かに贈れる人間になれよ」。
このメッセージ、使わせていただきます。ここに行き着く流れを作ってくださった3つのサイトの管理者の方々に感謝です、ありがとうございました。

「危険」の可能性への対応

2005年12月14日 | つぶやき
 ここのところ、小学生の下校時を狙った凶悪犯罪が増えていて、学校からお便りが来ました。子ども自身に安全を考えさせる、親と子で作るドリル形式のもの。親と子どもで、通学路上で何かあったときに助けを求められる場所を記述する防犯マップを作れるようになっています。

 この中で、「知らない人に連れて行かれそうになったときの対応は『いかのおすし』と覚える」という説明がありました。「いかのおすし」とは、いかない、らない、おごえで助けを呼ぶ、ぐ逃げる、らせる、というもの。これは警視庁が考えた標語だそうです。(広報けいしちょう臨時号
この標語をもとに、歌も作られているようです。(防犯ソング「イカのおすし」試聴

 いや、もちろんこれを子どもが認識しておくことは、自分の身を守るという意識で大切だと思う。話しかけられて、巧妙に誘い出されるときには有効かもしれません。
でもその上で、わたし自身の経験である「危機の記憶」では、これ全部、無理でしたね。
 やはり防犯ブザーの携帯が有効なのだろうと思う、声は出ませんから。ただ、人のいない場所、防犯ブザーの音が他者に聞こえにくい場所で防犯ブザーを鳴らしたときに、大きな音に相手が動揺してとっさに子どもに大胆な行動を取られたら終わりだ、という要素もあると思う。難しいところです。
 
 以下、わたしが考える護身の一部です。全部は出しません、誰が見るかわからないウェブ上になんてそう簡単には出せません。
自分の安全を確保できる距離感を体で覚えさせる
自分と相手との間に、相手の腕の長さ分以上の距離を常に確保する。この長さの距離が相手との間に確保されていれば、体に手をかけられることがありません。つかまれたり押さえこまれたりされなくても、親しげに肩に手をおかれるといったことから生まれてしまう心の隙も防ぐことができます。相手が一歩踏み出してきたら、一歩下がってこの距離感を常に確保すること、このことは重要なことだと思います。
しかし、とっさのときにこの距離感を思い出そうとしても難しいと思います。だからこの感覚を体で覚えさせる。つまり「鬼ごっこ」です。親と、大人と、大人の体を持った人間と「鬼ごっこ」をすること。思考ではなく、ボディイメージでつかんでおく感覚だと思います。危機を感じた時点で、思考は止まりそのことで行動が不能になる。いざというときにここから脱するために助けとなるのは、言い聞かせられて理解している「思考」ではなく、体で覚える「行動」だと思う。

腕や体をつかまれたら、足踏みをする
逃げる、抵抗するといった、意味のある行動ではなく、「おさえられたら足踏み、できたらモモ上げ」。逃げようと思うから体が固まる。要するに、モモ上げをしようと思ってモモ上げをするんです、逃げようではなく。これを体で覚えておくこと。
ここで生まれる効果は、まず時間稼ぎです。相手が次の行動に出るまでの時間が稼げます。理由がはっきりしない行動は、相手を不可解な気持ちにさせ、相手に隙を生む可能性も生まれます。相手が自分の体の一部をおさえていて、その力に隙を感じたら、すぐに逃げる。逃げられる体の準備はしてあります、モモ上げしてますから。
相手にとっては、単なる足踏みやモモ上げは、抵抗という「攻撃」には見えにくいですから、足踏みを始めたからといって、即座に子どもに対しての攻撃が強くなるわけでもない。しかし足踏みを開始することで子どもの体はかたまらず、次の行動へのウォーミングアップが準備されるわけです。
また、この状態を第三者に目撃されたときに、この状態は明らかに「変」です。第三者の視点は止まりますし、注目されればそこで相手があきらめてくれる可能性もあります。相手は体の一部をつかむ以上のことはこの時点ではしていませんから、ここで手を放しやすいという要素もあると思います。「変」は「見られる」という原則の有効利用です。
 コンセプトは「体で覚えること」。一般的なマニュアルの理解だけでは、逆にシチュエーションに対しての恐怖だけを刷り込んでしまうことにもなりかねず、そのことが、逆にとっさの危機に「体が固まってしまう」危険を呼ぶものでもあるとの認識も必要なんではないかとわたしは思います。

サンタ考

2005年12月12日 | つぶやき
 子どもにサンタクロースの話をすること。この動機はいったいどんなものなのでしょうか。
 
 わたしが子どもたちにサンタの話を初めてしたのは、子どもを寝かしつけるために絵本を読んでいた時期だったと思う。サンタが出てくる絵本を読んで、サンタがやってくるシーンを想像させた。12月のその夜の盛り上がりはわたしにも楽しいものだった。町はクリスマス、家にはクリスマスツリー、そして空想する喜び。季節の中でワクワクを育てることは楽しかったし、現実を次々に認識して大人になっていくためには、現実に立ち向かっていくためのエネルギーにもなるような「ワクワクすることを自分で創造していく力」というものも必要で、それは「生きる力」につながっていくことでもあると、わたしは思う。

 娘にとって、サンタがどういうもので、どういう風に理解し、認識しているのかは、残念ながら彼女の言語能力での説明は不可能で、わたしにはわからない。ただ、「クリスマス」という単語を発するときの娘の表情はきらきらと明るい。
 息子はとても素直な性格で、ずっとサンタを信じ続けてきている。周囲の友人たちの中にはとうにクリスマスプレゼントはどこから来るかなんてことは知っているのだけれど、どうも息子に対してクリスマスの会話をするときには「そっとしておいて」いるとしか思えない。去年は(そろそろサンタはクリスマスのいわゆる装飾のひとつと認識しただろう)と薄々思っていたのだが、25日の朝、ツリーの前に飛んでいってプレゼントを発見したときに「サンタさんありがとう」と叫んだとき、ちょっと動揺してしまった、まだ信じていたのかと。

 今年は息子は、クリスマスが近づくにつれて、サンタのことを聞いてくる。どうもサンタの話を聞かせてやった本人から回答が欲しいらしい。
 単に「あれはお話」で済ませてしまうのはなんとももったいないところがあり、それは「ワクワクする気持ちを持つ」ことが、「生きる力」につながっていくと、わたし自身が思っていることからくるのかもしれない。

 サンタクロース研究所というサイトを検索で出す。トップページの以下の部分におおいに共感。
でも、目に見えないものを信じるって、とってもステキな事。
見えないものも信じる事ができたら、子供はもちろん、大人だって自分の夢や希望が広がると思いませんか?
 ただし、このサイトのコンテンツの「クリスマスストーリー」の【プレゼントをもらえる子と、もらえない子】の記述には違和感。もともとわたしは「サンタさんからプレゼントをもらえる」ということに、短いスパンでの教育的感覚なんていうものを持ち込んだことは無い。「見えないものを信じる気持ち」に説教が導入されることにはおおいに違和感を持つ。ついでに持ち込まれるような説教的教育をサンタに持ち込むのは、なんというか、貧乏くさい。「見えないものを信じる気持ち」というものを育てるということは、もっときらきらに豊かであって欲しい。

 今年の25日の朝は、息子に対してサンタの話をしてやろうと思う。「大切なことは目に見えないんだよ」と。そのことを教えてそういう心を育てるために、わたしはサンタに力を借りたのだよと。もうあなたは大きくなった、これからはあなたが「大切なことは目に見えない」といううことを、自分で考えて、そしてそういう気持ちを自分で育てていって欲しい。それが大きくなるっていうことなんだよ、と。

*関連記事: 「生きる」ということ

日劇ミュージックホールの思い出

2005年12月08日 | つぶやき
 「子どもに見せちゃいけないの?」
この記事上げをしてから、しばし、思いは過去に飛んでおりました、「子どもに見せちゃいけないもの」に。テレビでお茶の間に登場するものではなく、そこに行って観る、という文化のひとつを「観た」というお話。
 
 銀座に、日劇ミュージックホールという場所がありました。
設立したのは劇作家の丸尾長顕氏(1902?-1986.2.28)氏で、東宝の小林一三
社長から「大人の見るショーを日本にも」と言われて創設したものだそうで
す。彼の美学は「女性が見てもいやらしいと思わない芸術的エロチシズム」
ということでした。
日劇ミュージックホール開場(1952)

 ’84年に閉館されるということがニュースになっていたので、なくなってしまう前に日劇ミュージックホールのダンサーを生で観ておきたいという友人に誘われ、最後のレビューを観にいきました。
 日劇の当時の写真は、こちらのサイトで紹介されています。このサイトの説明文には日劇ミュージックホールは「ストリップ小屋」とされています。質の高いレビューではあるが、カテゴリ分けをすればストリップ。20代女性3人連れのわたしたちは、それなりにけっこう緊張して出かけました。

 一時は有楽町の顔として一世を風靡したはずの日劇ですが、建物自体は老朽化して、すでにぼろぼろでした。しかし日劇ミュージックホールに入るための専用のぼろぼろのエレベーターに乗り、足を踏み入れてびっくり。ここ、日本ですか?というようなゴージャスな劇場ロビーでした。そこは大人の文化を楽しむための大人の空間だった。そして中は規模は小さいけれど、立派な「劇場」でした。

 ここでのレビューの様子は、このサイトに画像がたくさんあります。わたしはかなり満喫しました。ゴージャスな衣裳、鍛え抜かれた体と肌、そしてプロ意識。かっこよかったです、とても。こういう文化がひとつ消えていくのだなあと思いました。時代はもっと直接的なエロチシズムを求めていったということ、つまり「ストリップ」で直接的に連想されるもの、そちらに動いていったためにこうした文化が消えていくのだということだったのですが、ゴージャスに楽しむという発想は無いのかねえ、本当になくなってしまうんだねえ、などと、その日初めて観たにも関わらず、とても残念に思った記憶があります。

 次々に繰り広げられる豪華なレビューの中で、ウケまくったものがありました。ステージ中央前に、下から出てくる舞台装置があって、音楽と共に1人の小柄な女性が出てくる。宝塚ばりの豪華な衣裳をまとったとても小柄な女性。ただしこの女性はその豪華な衣裳のスカートをたくしあげてお尻を見せ、上半身はかがんでいるし、たくしあげたスカートで完全に隠れてしまっているので客席からはお尻しか見えない。またこれがなんともゴージャスなお尻なわけです。腰に手をあてて音楽に合わせて、そのゴージャスなお尻を揺らしながら、ステージが上がっていくわけです。
 そのステージが完全に上がりきると、その女性はたくしあげていたスカートをさっと下ろし、こちらを向きます。あっと驚くその姿、この女性、ものすごい童顔で、その衣裳は首まできっちりとしまって裾は足下まである、全身を包み込んだ「清楚なドレス」だったんですよね。まるでその姿は小さなレースの白いパラソルを持っているのが似合いそうな、ヨーロッパの絵画の少女のような感じそのままだった。あ、あ、あ、あのゴージャスなお尻はどこ?という、狐につままれたような瞬間を味わう、なんとも見事な演出でした。
また、ゴージャスな羽根飾りの衣裳に包まれた、ステージ横一杯に並ぶ女性たちのラインダンスも圧巻でした。さらけ出した胸もゴージャスな衣裳の一部のようでした。

 勇気を出して出かけていったことで、当時のスター「岬マコ」をナマで観られたことはラッキーだったと思います。コレが画像検索した岬マコの写真です。こちらのサイトによれば、現在は銀座のバーに勤めていらっしゃるそうです。

子どもに見せちゃいけないの?

2005年12月05日 | つぶやき
みなさん、HGはゴールデンタイムに出演してはいけないのでしょうか?
レイザーラモンHGをゴールデンタイムで起用してはいけないのか? /双風亭日乗
 TBSの「バク天」で登場してきたレイザーラモンHG(以下HGで)。「バク天」を毎週楽しんで見ているうちでは、うちの娘は大好きですね、HG。彼が番組に出てくると満面の笑顔になり「フ~」とポーズを取ってから「あはは」と笑う。ハードゲイという言葉の意味も、「バッチコーイ」という言葉の意味もわかってないでしょう。この二つの意味は、息子も理解していないと思う。ただ、ヤバイんじゃないかというのはわかってると思う。その上で充分おもしろいのだと思う。実際初めて登場したのを見たときには、その動きに思わずぎょっとした。ぎょっとするものっていうのは単純におもしろい。

 その意味がわかるかどうかなんて、いいじゃないかと思う、彼のテンポやリズムはおもしろい。教育的にどうだという意味で言えば、あの人、刺激的な行動や言動をしても、基本的に人に対して態度が丁寧だ。「ですます」調で礼にかなった態度でおかしなことをやるのがまたおもしろいんじゃないかと思う。「バク天」での登場が、そもそも人助け的な行動の特集が多かったこと、こうした要素を含めて、わたしやうちの子どもたちのHGに対してのイメージが作られていると思う。滑稽に、でもいつも一生懸命なキャラだ。このキャラの印象が残るという意味で言えば、逆に教育的じゃないかって思うのは、かなり大胆な思考なんだろうか。ただ最近は、使い捨てキャラとして働かされているようで残念。この「一生懸命キャラ」が生かされない細切れ売りのような感じがする。
 
 こういうキャラが出てくると必ず教育的にどうだ、とか、子どもに見せるのはどうだ、とか、という意見が出てくる。ふむ、わたしは全員集合の「ちょっとだけよ」を見て育ちましたし、腰振りでいえばオレたちひょうきん族で西川のりおがやっていた同様の腰振りを真似する子どもを路上で見たこともけっこうありました。こうしたことに顔をしかめる意見を見聞きすると、そういうことってそんなにいけないことですかねえ、と個人的には思う。子どもが雑多に吸収する物の中の単なる一つのような気がするのだけれど。仮面ライダーが初めてテレビに登場したときに、「とう!」と言いながらキックするのがとても印象的だった。学校帰りに男の子が、「とう!」と言いながらキックしながら歩いていた光景と本質的には変わらないと思う。子どもが雑多に吸収していく中で、大人の目が「子どもの姿の中に見たくないもの」を取りたてて探し出しているんじゃないかと思うのは、思考が偏っているのかしら。そのうち子どもは自分の意志で取捨選択していく。短いスパンの教育的視点よりももっとたくましいと思うし、そうした取捨選択ができないとしたら、それは刺激的なものがどうということではなく、もっと「育つ土壌」の問題のような気がする。

 息子が幼児期のとき、母親達の間での会話で「しんちゃん見せる?」というものがあった。もちろんクレヨンしんちゃんのこと。顔をしかめる母親ももちろんいたけれど、わたしは「見せる親」。子どもはしんちゃんが大好きだったし、刺激的な行動や言動なんか問題にならないくらい、クレヨンしんちゃんの根底に流れるものはいいなあと思う。大人の持っているものも全部出す。現実的に勝手だったり適当だったり滑稽だったり。それでもクレヨンしんちゃんの登場人物たちは、みな、家族を家庭を友達を、つまり自分が関わる人間たちを全て、とても大事にしていると思う。大人の勝手な姿を子どもにさらされることなんて、怖いことでもなんでもない。パンツ下げてケツ出して動くということを真似して、まあ、そういう意味じゃ大変だったけれど、大変というのは他者の視線ということで、家の中でケツ出して騒いでいても、わたしはちっとも気にならなかった。おふざけというより、これはしんちゃんに対する憧憬のひとつのようなもので、どうせほっときゃそのうち止める。一時期の「形から入るファン心理」のようなもんでしょう。一時期のケツ出しくらいでしんちゃんを回避していたら、そこに流れるいいものを見逃すよ。

以上、レイザーラモンHGをゴールデンタイムで起用してはいけないのか? /双風亭日乗にトラックバックです。

「経験で学習する」機会を持たせる覚悟

2005年12月02日 | 「障害」に関わること
 今日は日中実家に行っていました。
 最寄り駅に降り立ち、思うところあって、「危機の記憶」の現場に行く。平穏なありきたりの私鉄駅周辺の光景。こんなことが起きるなんて、誰も思わなかっただろうし、今でも思わないだろう。あまりに過去は遠くなりすぎて、自分でもどこかぴんと来ない。

 母と話す。わたしは話したんだっけ。いつ頃話したんだっけ。さあいつだったか、もう結婚した後だったかもしれないと母が答える。
 わたしは話すことで、事実を認識したくない、再確認したくない恐怖があったと思う。でも、話すことで管理・干渉・束縛されたくないと思うことがあったような気がすると、母に話す。

 いつだったか、この話を母にしたときよりも、もっと濃い会話になる。これはブログで記事上げし、自分にとって距離のある出来事に消化・昇華させ、そしてコメント入れしてくださった方に答えることで、またさらに考察が広がったことなんだと思う。ブログにおつきあいいただいた方に改めて感謝の気持ちを持つ。

 自分の子どもの安全に関しては心配がある。でもそれと共に、自分の責任を追及されることに対しての怖れもあるんではないかなどと話す。母は、当時リアルタイムでその話を聞いていたら、やはり手を放さないような生活になったかもしれないと言う。そこには「子どもの心配をする母親」という立場と共に、「母親としての減点を危惧する」要素があるかないかなどという話にしばし時間を割く。これはすなわちすぐにでも、現在のわたしに直結していく問題でもある。生活力にたけているとはいえ、幼児並みの知能指数の14歳を、わたしは単独で通学させているのだから。

 12歳のわたしは、この危機を、自分で乗り越えようとした。14歳のダウン症の娘はわたしに言えない危機を経験しているのだろうか。電車での通学の際に、電車の事故による運休や遅延なども何度かあった。その度に娘は常にたくましく対応してきた。
 でもその「たくましく対応してきた」のは、わたしが結果しか知らないからだろう。経過の中で本人が乗り越えようとした危機は、何度かあったのかもしれない。実際、位置検索で追いかけているときに、乗換駅でずいぶん時間を使っていた日が一時期あった。それはその経由駅の工事により乗換ホームに行く階段が変わっていたことが原因していたと、わたしは後になって知った。案内の表示が読めるわたしでも、景色が違う光景に乗換ホームに迷った。一時期乗換駅でずいぶん時間を使っていた不思議が解決されながらも、よくここで判断し、乗換ホームを間違わずに遅れずに学校に行ったものだと感嘆する思いがあった。本人にとってはそれは充分に刺激的な危機だったように思う。
 単独行動での危機、それがわたしが経験した犯罪被害者になる可能性ではないにしても、本人にとっては充分刺激的なことはあったのだろうし、あるのだと思う。単なる道の横断に関してだって、急にスピードをあげてくる車の存在というものはある。自分の知る車のタイミングと違うタイミングにも、きっと何度も遭遇していることだろう。

 毎朝、「いってらっしゃい」と娘を送り出す。たまにゴミ捨てのために娘の後を歩くことがある。ふり向いてそれに気づくと、娘はダッシュで走っていく、まるで追いつかれるのを拒むかのように。足の遅い娘、アンタこんなに早く走れたのかと半ば呆れながらその後ろ姿を見守る。コイツの個性にこんなエピソードは山ほどある。

 あの子は単独行動が取りたいのだろう。自分が進む道につながれる手はイヤなんだろう。
知能指数だの、知的障害だの、ダウン症だのということを超えて、個性というものがあるのだね。アンタの持っていた個性はあの子にも脈々と流れているのだねえ、と母が言う。

 ろくに会話が成立させられない娘。それでも娘を知る人は、娘が電車で通学していることをよく知っている。それは本人が言っているとわたしは周囲から聞かされた。「電車。学校。」と言って、定期券を見せていばっているらしい。
 娘がその気なら、わたしも覚悟を決めて支援を考えようとわたしは思う。それを本人が望むのなら、わたしも覚悟を決めよう。あらためてそんなことを思う。まだまだ教えなくてはならないことはたくさんある。そうやって、経験の中でオノレが学習し、自信と自尊を豊かに身につけていって欲しいと、心から思う。

 まあ、さすがに夜道の一人歩きはさせられませんけどね。ゴメンね、これはゆずれないわ。