昨日の「僕の歩く道」第10回放送。
障害をもつ子のきょうだい児の心理にどば~んとスポットをあててましたね。
特に妹が、自分の生育歴の中で、母親が障害をもつ子どもに集中し、自分が甘えられなかったという話を医師にするところ。「あなたの話を聞きましょうか」と言われるまで、自分主体の話ができない、できなくなっている事実。話しながら、本当は母親に甘えたかったのだと声をあげて泣くシーン。
その後に母親の肩をもみながら、母親に手を握られることで後ろから母親に抱きつくシーン。
このひとつひとつのシーンを見ながら、障害をもつ子のきょうだい児って立場の息子と一緒に見ながら、泣けてねえ。もう泣けて泣けてたまらんかったですよ、わたしは。
うちの息子は、障害をもつ子のきょうだい児としては、サインをよく出す子だった。そういう意味ではわかりやすく、問題の先送りということをしにくい子だったと思う。
サインは多かった、応えてきたつもりだった、でもでもでも。それでもあなたにはわたしに言えてないことがあるだろう。黙って我慢したこともあるんだろう。そしてその問題はこれからまた複雑化していくのか、していくのかもしれない。僕の声が聞こえる? わたしが気づいていない彼の心ってのは、まだまだあるんだろうと思う。
昨夜の「僕の歩く道」、特に、母親にそっと後ろから抱きつく妹のシーン。
このドラマがよくできていると思うのは、たとえばこの「後ろから抱きつく」というところ。前から正面から素直に抱きつけなかったということを象徴させたかったのかなと思う。
きょうだい児の心理をクローズアップしたシーンを見ながら、黙ったままたらたらと涙をこぼすわたし。そのわたしの長い髪の端にすっと手をやり、指で髪の毛の先を静かにくるくると弄ぶ息子。
ああそうかそうだったのかもしれないと思う。髪の毛を切らないでと、そんな風に息子に言われるままにのばし続け、ずいぶん長くなった髪の毛。そういえば彼は自分の気持ちをうまく言えないときに、こうやって髪の端をそっと指にからめていたっけ。これはそっと後ろから抱きつくってことと似てる動作なのかもしれないと、ふと思った。
正面から抱いてやらなかったのか。そうじゃない。このドラマの母親だってそうじゃないと思う。
ただ、そうして欲しいタイミングが見えなかった。そういうことなんだと思う。
そういうタイミングってのが、障害をもつ子のきょうだい児にはある。わかっていながら見過ごしてしまうときがある。そういうことなんじゃないかと思う。
*関連リンク:福祉ネットワーク - 難病児のきょうだい(2)お兄さんの心の傷
「お前はママではなくて、ママロボットだ」
障害をもつ子のきょうだい児の心理にどば~んとスポットをあててましたね。
特に妹が、自分の生育歴の中で、母親が障害をもつ子どもに集中し、自分が甘えられなかったという話を医師にするところ。「あなたの話を聞きましょうか」と言われるまで、自分主体の話ができない、できなくなっている事実。話しながら、本当は母親に甘えたかったのだと声をあげて泣くシーン。
その後に母親の肩をもみながら、母親に手を握られることで後ろから母親に抱きつくシーン。
このひとつひとつのシーンを見ながら、障害をもつ子のきょうだい児って立場の息子と一緒に見ながら、泣けてねえ。もう泣けて泣けてたまらんかったですよ、わたしは。
うちの息子は、障害をもつ子のきょうだい児としては、サインをよく出す子だった。そういう意味ではわかりやすく、問題の先送りということをしにくい子だったと思う。
サインは多かった、応えてきたつもりだった、でもでもでも。それでもあなたにはわたしに言えてないことがあるだろう。黙って我慢したこともあるんだろう。そしてその問題はこれからまた複雑化していくのか、していくのかもしれない。僕の声が聞こえる? わたしが気づいていない彼の心ってのは、まだまだあるんだろうと思う。
昨夜の「僕の歩く道」、特に、母親にそっと後ろから抱きつく妹のシーン。
このドラマがよくできていると思うのは、たとえばこの「後ろから抱きつく」というところ。前から正面から素直に抱きつけなかったということを象徴させたかったのかなと思う。
きょうだい児の心理をクローズアップしたシーンを見ながら、黙ったままたらたらと涙をこぼすわたし。そのわたしの長い髪の端にすっと手をやり、指で髪の毛の先を静かにくるくると弄ぶ息子。
ああそうかそうだったのかもしれないと思う。髪の毛を切らないでと、そんな風に息子に言われるままにのばし続け、ずいぶん長くなった髪の毛。そういえば彼は自分の気持ちをうまく言えないときに、こうやって髪の端をそっと指にからめていたっけ。これはそっと後ろから抱きつくってことと似てる動作なのかもしれないと、ふと思った。
正面から抱いてやらなかったのか。そうじゃない。このドラマの母親だってそうじゃないと思う。
ただ、そうして欲しいタイミングが見えなかった。そういうことなんだと思う。
そういうタイミングってのが、障害をもつ子のきょうだい児にはある。わかっていながら見過ごしてしまうときがある。そういうことなんじゃないかと思う。
*関連リンク:福祉ネットワーク - 難病児のきょうだい(2)お兄さんの心の傷
「お前はママではなくて、ママロボットだ」
母親が手を広げていても、その腕の中に入っていけないんです。どうしても心理的にストッパーが、かかってしまう。上手く説明できないのですが、甘えちゃいけないんだと思ってしまうんです。
でも、この日は母に電話をかけました。わんわん泣きながら。そうそう期待した反応ではなかったんですが、電話をかけることができたというのが私には大きかったなあと思います。
こんなことを思うってことには、ストッパーはかかるのでしょうか。
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母親が手を広げていても、その腕がいつまで開いているのか、気持ちのどこかで信用できないんです。
わたしが手を広げて欲しいときには、そうしてくれなかったじゃないか、と思ってしまうんです。
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責める言葉を飲み込む、というかね。
この日、「兄」は、母親に対して糾弾コースってのをやってましたね。
自分がこんな風な苦労をしていたことを、アンタ知らなかっただろ、見てなかっただろ、気づかなかっただろと。
この二種のアプローチを、二人のきょうだい別々に展開させている。
こういう意味でも、このドラマ、よくできているなと思うんですよね。
自分は健常児の姉妹でしたが、4歳下の妹が生まれた当時は、かまってほしいが何も言えず、折り紙の降り方の本をただひたすらえんぴつで黒く塗りつぶしていた記憶があります。
今、我が家には下にしょうがい児がおり、上の子の心中察するとまたまた泣けて仕方がありませんでした。
また良くできた子で、私がこうしてほしいと思うところに、動いてくれる。でもそれは、私が良い子を演じさせているのかなあと。
あまり要求しない子ですが、就寝前に必ず毎日「トントンして」と言ってきます。そんな小さなことが、下の子によって阻止され、涙することが度々あり。どうしたものかと悩む毎日。
えっと、検索からストレートにこちらにおいででしょうか。
前半部、「一人目の子」のことに関しては、よろしかったらこちらに。
http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/2799c8d1bf1f62a24fafde52f5ae2759
「初めての子と二番目以降の子と一人っ子と、そして独自の環境と」
後半部、きょうだい児に関しては、よろしかったらこちらに。
http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/32819d613e7e968df15be73a8fd19318
☆「不平等」のススメ☆
就寝前の「トントンして」は、できないことがわかっているからこそ、そして眠るときの淋しさってのが関わっているように思います。
「『不平等』のススメ」的には、昼間、布団かぶっていちゃいちゃ、なんて「手」もあります。
別に昼間、無理に寝なくたっていいんですが、我慢していることを知っている、今日は特別、うふふふふ、なんてのがぽんと手渡せればいいんではないかと思います。
本人がね、なんとか越えなきゃいけないこと、ってのも出てくると思うんですよ。
そうしたときのために、「甘い記憶の刷り込み」なんてものをやっておく、というか。
それがきょうだい児に渡せるものなんではないかと、わたしは思います。
お母さんは大変だから、自分も頑張らなくちゃという感じだったのかなあと思います。
記憶の中の母は、いつも背中を向けているような気がします。実際は違うかもしれないけれど、思い出すのは母の後姿です。手を広げられることに慣れていないのかもしれません。
甘えたかったんだ、ということに気付いて最初に出てきた感情は「寂しい」。そして被害の感情から怒り、そして糾弾。糾弾したことに対する罪悪感、葛藤。そして落ち込み、あきらめ。それから少しずつ理解しようというか、受け入れようという気持ち(自分の感情に対しても母に対しても)になってきたような気がします。
それをどうやってさがしていくか。
それが生きていく、ということかもしれない。
はじめまして、さるさるさーといいます。
「きょうだい児」というんですね。
初めて知りました。
私は兄が自閉症で
この「僕の歩く道」の10話を見て
自分の過去と重なってすごく
号泣をしていました。
また、拝見させえていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします
>「きょうだい児」というんですね。
さるさるさーさんのブログに「全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会」のリンクが貼ってありましたね。
あの会の略称を「きょうだいの会」と言う。
ここを発端に、障害児・者の兄弟姉妹を指す、まあわかる人はわかる表現として「きょうだい」とか「きょうだい児」という表現があり、これはネットでの検索をとても便利にしていると思います。
もう少し堅い言い方では、「同胞」という表現もあります。
ブログ、閲覧させていただきます。
コメント入れて、ブログの存在を教えてくださって、ありがとう。
この前ネットのお友達に教えていただきましたが
ブログなどで同じような人いないかな?
と「兄弟 自閉症」で探していたのですが
今、育児中の方のブログは見つけることが出来たのですが
兄弟の方が書いたブログが見つからなかったので
この「きょうだい児」
という言葉がわかってすごく嬉しかったです
先ほど検索をかけたら出てきました。
今じっくりS嬢さまの文章を読んでいます。
先ほど書くの忘れていました。
この前、入った人気ブログからたどり着きました。
とてもいい言葉を教えていただきありがとうございます。
・・・ブログ、ただただ自分の頭の整理をしたいために
書いていますので、つまらないと思いますが
もし、お時間がありましたら
読んでいただけると嬉しいです。
ちょっとなんらかの形でピックアップするかも、です。
とりあえず、ゆっくり読みます。
わたしんとこは、まあいっぱいあるんで、メニューの検索窓に「きょうだい」と放り込んでください。
それでいわゆる「きょうだい」関連は出てくるんじゃないかと思います。
人気ブログからか…。
まっち~んとこ、かな。