S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

教育の現場と保護者とのコミュニケートの重要性

2006年06月15日 | 障害児の教育
 先日、娘の養護学校で個人面談。
面談の最初にわたしが言う。「先生、あのこと、わたしやっぱり納得できません」
面談できちんと話し合いに持ち込みたいと思っていた。この面談で希望が理解されなければ、各方面にご意見うかがいを始めなきゃと思っていたこと。

 担任が言う、「その件ですが」、緊張して次の言葉を待つ。
「学年会議で取り上げられました、翌日には学部会議で取り上げられました。」
「ってことは?」
「要望通りました」
やった~~~~!!!。

 話し合いたかったこと、納得できなかったこと、というのは音楽の授業の中での一つのシーンに対して。
音楽の授業の中で踊ったりした後に「Cool Down」と称して、全員が寝た態勢を取ること。そのリラックスした中で、行う授業だということ。
わたしが大きく「NO」を出したのは、広いとは言えない音楽室の中で、男性教師や男子生徒の中で「寝た態勢」を取ること。
これは中三の女の子の保護者としては耐えられない、ということ。
男性教師は父親ではないし、男子生徒はきょうだいではない。社会という場において、男性がそばで寝た態勢を取っている中で寝た態勢を取るという経験、その景色の記憶ということが本人に刷り込まれるのは、今後の人生の中で性的被害に遭う可能性を高めるようなものだということ。
人間関係の中で、親しげにする男性にころんと横になられ、ころんと横になることを促され、そこで突然がばっと来られたら、もう逃げようもない。
知的障害を持った女の子がそんな態勢になることに対して違和感を持たなくなるような「経験の積み重ね」を、学校という場でなされることは、とても耐えられないということ。

 会議の中で話し合われたこと、の報告を聞く。
障害の個性ということでそれが必要な生徒もいる、だからといって、全員でそうするということを違和感なく授業の中で展開させるということは、自分たちの感覚の麻痺なのではないか、という意見も出た、と。生徒の年齢をもっと考慮しなければならない、と。中2からも同様のことを考えなければという意見がすでに交わされていたということ。肢体不自由児の養護学校からの転任の場合、そうしたシーンは学校の中で多いので、違和感を持たなくなるということもあると思う、と。なるほど。
今後の授業の中では「座った態勢」という移行をさせていく、と。

 実はコレ、一番最初に連絡帳を通して「おかしい、やめて欲しい」と言ったときに、音楽の教科担任から授業説明が返ってきた。これこれこういう授業でこういう意味がある、と。
それに対して返したのは、「授業の充実はその時間内。でも子どもに与えられる経験と記憶の影響をずっと背負っていかなきゃいけないのは家庭」。

 学年会議、学部会議、ってとこにそうやって持ち込まれていって討議されるってのは、養護学校の強みだと思う。
障害児学級の場合は、下手したら保護者と担任との「主観の一騎打ち」になりかねない。
一騎打ちをやったとしても、その話し合いが物別れになったとしても、担任に授業内容変更の意志が無ければ、そのまま指導は続行される。解決は難しい。
学校という教育現場で得た経験の記憶というものの影響に対して、その子どもの人生の中で責任を取っていくのは保護者であるということ、そういう視点が教育者側にわたしは欲しいと思う。

 娘が小学校に入ったばかりの頃、新聞の地域版にある訴訟の報道が小さく載る。障害児学級の「指導」において、裁判という場に持ち込まれた話。「いただきますを言わなきゃ給食を食べたらいけない」という指導。これを「給食を食べさせない虐待だ」と保護者が訴えたもの。
判決は保護者勝訴。「いただきますを言わなきゃ給食を食べたらいけない」という指導があっても、食を禁止すべきではなかったということ。教師側は「禁止したわけではない」としても、本人が支援なくあけられないパッケージを教師があけてやらなかったということは、禁止と判断できるというもの。

 この報道、それが虐待かどうかということ以前に、やっぱり注目すべきことは、裁判という場に持ちこまれなきゃならなかったほど、教師と保護者のコミュニケートが取れていなかったということ。
どこで誰のどんな個性や主観が影響してコミュニケートに困難が生じたのか、それは全くわからない。
でも障害をもつ子の教育という上で、保護者と教師のコミュニケートってのは、やっぱりとても重要なことだと思う。

.「知的障害」と「QOL」と「先端技術」

2006年05月15日 | 障害児の教育
 積み上げていく「力」のネコバスさまのコメントに対してのレス的エントリです。

 知的障害は、特に乳幼児期に、そして学齢期においては、予測される範囲ということはあるけれど、まだまだ固定障害としていくには、発達という要素が存在するわけで。
ここで、適切な判断による「中・長期目標」というものが重要になってくると思います。
その適切な判断とは、「親の障害に対しての心理的抵抗感」で左右されることであってはならないと思うところもありますので、療育や教育の専門家との話し合いは意味を持つことだと思われます。
そして、この「中・長期目標」というのは、本人の「QOL」に逆行するものであってはならず、本人の「QOL」に対しての感覚を、むしろ育てるものであって欲しいと、わたしは思います。

 ネコバスさんのコメントの中で出てくる「ボタンかけ」の練習と、「好きな服を選ぶ力」というお話。
わたしはこれが相反するものだとは思えないんですよね。
これが相反するものになるかどうかは、「ボタンかけ」という能力の習得が、現在はできなくても中・長期目標として設定できるものかどうか、ここに関わってくるものなのではないかと思います。
中・長期目標として設定するのが困難な障害であれば、そこに使っている時間を「好きな服を選ぶ」気持ちや力に持っていく方が現実的でしょう。
ただし、中・長期目標として設定できるのならば、「好きな服を選びたくても、ボタンのあるものを避けなければならない」ということを回避できるわけです。
また、ボタンかけができない状態のときでも、四六時中ボタンかけに格闘させるのであれば、それは洋服を選ぶ楽しさが育つ可能性を大きく含む時代をつまらないものに変えてしまう。
わたしは中・長期目標にボタンかけを設定できる状態と時代であっても、日常の服ではなくパジャマ程度、しかも必死の格闘ではなく機会として存在させるくらいの気楽さで臨めばいいんじゃないか、と思います。

 また、「教育の場」と「家庭」とのメリハリということもある。
「教育の場」は、本人が中・長期目標に対して向かい合う場であって欲しいと思うし、「家庭」は気持ちを育てていくことを主体とする場、なんていう思考もあります。
「教育の場」で許されすぎたり、「家庭」で追い込まれたりするようなことは、本人の成長・発達に関してマイナスの要素を与えかねないのでは、と思うところもあります。
どちらの場に関しても、本人に自信や自尊、達成感の積み重ね、そうした心の成長にプラスの材料を与えていくものであって欲しいし、そのために必要になることは、適切な無理のない、小さな小さなステップでの提示という工夫。
それが求められているところだと思います。
知的障害に対しての養育、療育、教育、支援。こうした場でいつも求められているのは、問われているのは、「関わる側の知的能力」なのではないかと思います。

 「先端技術」は、上手に利用したいと思う。これが基本です。
利用する、ということは、頼る、頼り過ぎるということではないと思う。
そして同じ先端技術でも、その存在が有効なものかどうかは、やはりその障害や本人によって違うだろうな、と。
たとえば電動歯ブラシですが。
これは、わたしは使わせていません。
試してみたことはあるのですが、ただ口の中に突っこんで満足するので、歯ブラシの方向はいつもあさってで、意味のないものだと判断したからです。
同じ「あさっての方向」でも、普通の歯ブラシを使って鏡を持たせた方が、まあそれなりに歯に対してブラシはあたる、と。
そして本人にとって「自分で歯ブラシ」の満足感は、後者の方が高そうだ、と判断したためです。
でも、これは、完全な個人のパターンであり、電動歯ブラシを使うということが利点になるタイプの子であれば、それはもう、とても感謝すればいいことなんだと思うんですよね、電動歯ブラシというものが存在することに。
ここでも問われているのは、関わる側の判断力なのかもしれない。

 知的障害児を育てる、ということは、知的障害をもった、心豊かな「大人」にしていく、ということ。
それはやっぱり「心を育てる」ということで、このことに関して言えば、実は障害のある子も無い子も同じなんではないかな、と思うのが結局の結論かもしれない。
大人になっていく、ということは、精神的に親から離れ、社会に向かって巣立っていくということ。
そこで手を振って見送るためには、そのときに持たせてやれる「自尊心」という名のきびだんごを、せっせせっせと仕込む工夫をする毎日。
それが「育てる」ってことなんじゃないかな、なんぞと思っています。
まあ、行きつ戻りつ迷いつつ、そして適当に楽をしつつ、なんてとこなんですけどね。生活ですから。

積み上げていく「力」

2006年05月13日 | 障害児の教育
 娘がまだ赤ん坊のときに読んだ障害児教育の本に、こんな一節がありました。
知的な障害が中度の子と重度の子という「二人」。宿泊学習において、一人は脱いだ服の始末をきちんとし、翌日着る服の準備をスムーズにこなす。そしてもう一人は、脱いだ服をぐちゃぐちゃのままカバンに突っこみ、翌日着る服の準備に支援が必要。就労に関しての現場実習において、この二人のうち一人は「使えない」と判断され、もう一人は「仕事に時間はかかるが、そのペースが半人前なら半人前なりに確実に人員としての人数計算はできる」と判断され、雇用という立場を獲得した、と。さて、この「二人」、どっちがどっちだったでしょう。

 はい、結果は「きちんと生活面に関しての指導が通って、習慣化されている重度の子」が、社会から通用すると判断を受けたというお話でした。

 もう一つの話。
重度の子と軽度の子。重度の子は言語の使用ができず、軽度の子は会話に関してある程度の力がある。この「二人」において、重度の子は、言語の使用はできないが、他者とのコミュニケーション能力を持ち、行動に積極的。軽度の子は引っ込み思案で対人間関係において、行動に困難があるケースが多々見られる。
 この二人がペアを組んで、農作業で収穫したじゃがいもを、学校の近隣の家庭に「売りに行く」ことになった。このペアはこの活動において、真っ先に全てを売り尽くしたというお話。
 なぜ、驚く早さで完売に持っていったかというと、この重度の子が「売りに行く」という行動の目的を理解したときに、その行動の見通しを立て、躊躇せずに近隣の家庭に対してどんどん訪問していったと。訪問し、頭を下げる。じゃがいもの袋を見せる。そしてペアの子に指さし、ペアの人間が説明をすると「伝える」。訪問先の人間は、その行動の流れを理解し、ペアの子に対して説明を促す。ペアの子は値段を伝え、お金を受け取り、販売が完了する、というもの。

 知的な障害をもって「生きていく」という上で、何を教え、何を身につけていくことが「生きる力」に結びついていくのか。わたしが娘を育てていく上で、この二つの話は、ずっと生き続けていることだな、と思う。
この二つの話の根底は家庭にあり、そしてこの二つの話の根底は、幼児期から小学生の時期につける力、だと解釈した。そして障害の程度が重度なら、このことはなおさら重要になる。
重度を「可能性の薄い重度」にしてしまうか、「発展的な素養をもつ重度」にするか。それは養育者がカギを握ることだと思う。

 何ができる何ができない、ではなく、できるできないを含めて、行動に見通しを立てていく力。これは一朝一夕には備わらないものだと思う。できないことでも、本人ができることをほんの小さなステップで与え、あとはその行動の「完成する姿」を見せていく。

 たとえば洋服のボタン。知的な障害が重い場合、手指の巧緻性に問題がある。親指と人差し指をつかった「つまむ」動作の獲得に、とても時間がかかる。このことは洋服のボタンを扱うことに、とても影響をしていく。
 幼児期、パジャマのボタンを全て、バカでかいものにつけかえた。ボタンの直径が2センチを超えるもの、ひらたくつまみやすいものをさがす。一番上のひとつを半分だけボタン穴をくぐらせて、その後の動作を促す。その、ほんの小さな動作に対しての「できた」という達成感を与える。そして他のボタンに関して、ゆっくりと、その行動の完成の姿を「見せていく」。このことで「今はできない」、でも、この行動はどういう風に完成されていくのか、ということを見て覚えていく。本人の習熟度に合わせて、ゆっくりと、本人にさせる動作を増やしていく。ある程度増やしてやったなら、あとは「行動に見通しを立て」て、自分でその到達点を目指して行動していく。手指の巧緻性がゆっくりと向上していき、その力が備わったとき、小さいボタンをスムーズに扱っていく娘がいる。

 見通しを立てた行動、その応用力。この応用力を伴わなければ、本当の「生きる力」には結びつかない。本人の社会を広げていくことから遠くなる。
ここで重要になること、そのタブーとは「うちはこうだからこれでいいの」ということ。
この感覚というものは、本人の社会的な力を広げていくことから遠い。

 普通の寿命の順番から言って、親は先に死ぬ。何を子どもに残してやれるか。
これは支援を受けて生きるということが決定している「知的障害者」に対して、応用力を備えた「生きる力」だとわたしは思う。
どんな部分に支援を受ければ、その行動が完成されていくのか。見通しを立てる力、その「場を限定されずに行える応用力」というものは、本人に自尊心も与えられると思う。
「ここを手伝ってもらえば自分はだいじょうぶなのだ」と、本人が、本人の知的能力なりに理解すること。これは自信、自尊につながるとわたしは思う。

 幼児期、小学生の時期において重要になるこうした視点。知的障害児における「教育」に関して、小学生の時期に、こうした視点を理解する教師に出会えるか、ということも大きいと思う。
 娘が小学生の時期に出会った担任で、すごいな、と思った方の話。
ある日眼科受診の必要があり、遅刻。二時間目の途中に学校に行く。二時間目は体育。体育をやっている場にそのまま連れていく。二時間目はすでに過ぎていて、体操着に着替えなくても体育に参加できるような服装で来たことを担任に告げる。
 驚いたことに、担任は着替えさせる、という。着替えさせて授業に参加させれば、参加時間はほんの10分程度。
困惑するわたしに担任は言う。今、脱いだ服の後始末を課題として教えている。この機会を逃さないということ、それは授業時間に参加させる時間の長さより重要だ。
 娘を教室に連れて行く。娘が服を脱ぐ。「ちぃちゃん、ぐるぐるぽんよ」と担任は声をかける。
「ぐるぐるぽん」、これは脱ぎっぱなしでは裏返しになっている服、その腕の部分に手を突っこんでいく動作を「ぐるぐる」、引っぱって元に戻す動作を「ぽん」と名付けたもの。担任が「ぐるぐるぽん」と言いながらこの行動が完成していく姿を見せ続け、この声かけと共に、小さなステップから本人にさせていく「教育」。やがて担任の支援無く「ぐるぐるぽん」の声かけだけで娘はその動作を完成させるようになり、そして最終的には「ぐるぐるぽん」の声かけすら必要としなくなった。
この担任の「機会を失わないことの方が、授業時間に参加する時間の長さよりも重要」とする基本姿勢が大きく影響したと、わたしは理解している。

 今、娘は養護学校の中学部において、「作業学習」という時間を経験している。一年の時の選択は「陶芸」、二年の時の選択は「手芸」、三年の現在は「紙工芸」。
 入学後、作業学習を経験するようになってすぐに言われたことは「行動に見通しをたてる力」。できるできないということを超えて工程を理解し、覚え、確実に自分から理解して臨んでいくという姿。
 これは一朝一夕に備わるものではなく、10年以上かけて、本人の経験の中に積み上げられた視点だと思う。こうした力はIQでは判定できない。

 以下、「ゆうくんちの日常」のある過去記事より引用。娘が生まれて初めて見た「吸引」という処置に関して見せた行動。
裕母が吸引をしているのを、見ているような見ていないような感じで傍にいたちぃちゃんだけど。驚くなかれ。
数十分後、ちぃちゃんはひとつも間違うことなく、吸引のシミュレーションをしていたのだ!
これはどこかで見た光景…。財前教授(by.白い巨塔)?!←テレビ見過ぎだから。
ちぃちゃん、たった一度見ただけなのに何て才能なの?つ、使えるかも?!(笑)
しかも、ピンセットは指で表現し、チューブをつまんで「キューッ」と完璧。ブラボー!
 娘がまだ赤ん坊の時に読んだ本、そして自分の中に残り続けた視点。
この視点に沿った育ち方が見えてきた現在にわたしは満足しているし、その視点を持って教育に臨んだ担任にも、とても感謝していると思う。

知的障害児の「思春期」

2005年07月01日 | 障害児の教育
知的に障害があると、どうしても実年齢より幼く感じてしまう。
でも、思春期に入っていくときに、親が子どもを実年齢より低く感じることで、現実を直視しないようにしたいという暗黙の意志のようなものを感じることもある。これは大人になっていくことを受け入れきれないということの一つかもしれない。
ニューヨーク障害児教育事情―在米コミュニケーション・セラピスト30年の挑戦から」 という書籍の中にも、体が発達している女の子に対して、親が小さい子どもに対しての感覚のように短いスカートや肌を露出した服を着せているというくだりがある。親が娘に対して「子どものままでいて欲しい」ことの現れとここでは記述され、「レイプされてもしりませんよ」的な叱責をしたという話が出てくる。
また逆のパターンとして、男の子のように短く髪を刈り、ズボンを中心に黒や濃紺の服を着せられているダウン症の高校生に出会ったことがある。
娘に話しかけ、すっと娘の手を握ったときに、娘に対しての教育のために(さてどうしようかな)と考えながらこの方に話しかけたら、なんと女の子だったことに心底驚いた。
ひとりで行動させることに対しての危険回避なんだろうけれど、人生を楽しむということを犠牲にする危険回避には、わたしは納得できないなあと思う。

小学生も高学年になって、第二次性徴として胸がかすかに変化を帯びてきたときに、わたしはさっさと娘にティーンズ用のブラジャーを買って与えた。普通の子の親の対応に比べたら、かなり早い時期の対応だったと思う。
わたしはそうやって、娘に対して「女になっていく」ことを「外側から」教えてやりたかったというか。
娘はブラジャーを「大人の女性がするもの」と理解、認識し、胸の周囲に他者の手が当たることをはっきりと拒絶するようになった。

第二次性徴が始まり、思春期に入り、体だけではなく年齢に応じた精神の正常な発達として「異性に対しての関心」というものも芽生えてくると思う。
以前、娘のことを「とても気に入った男の子」が、娘を見ると衝動的な行動に走ったということがあった。この男の子の衝動的な突発的な行動により、娘は短期間に二度頭を打つ転倒をし、わたしは学校側に抗議を申し入れたのだけれど。
学校側は速やかな対応を約束し、結局、この男の子と娘は、しっかりと「離された」。教科によっては接触があるけれど、安全に充分な配慮をするので了解して欲しいというようなことをつけ加えながら。
迅速な会議、対応、綿密な連絡という、感謝すべき流れではあったけれど、わたしはいささかの後味の悪さが残っている。
娘の姿を見ると、飛びかかりそうな勢いで、その勢いを教師にはがいじめにして止められているその男の子の姿が脳裏に残っているというか。
危険回避ということは重要なことだったんだろうと思う。危険回避というレベルの対応が現実的だった。
でも、単に離すだけじゃなく、もっともっと違う対応があったんじゃないだろうかという気持ちがどうにも消せない。
異性への関心、このことに対しての「教育」という学習の機会が彼にもっと与えられてもよかったんじゃないだろうかと。
行動を促す「心」の存在を、もっと生かすこともできたんではないだろうかと。
「態勢の問題であって、相手の障害自体を原因とはしないでください」と、学校側には言った。
でも、その態勢というものが、危機管理だけでよかったんだろうか、思春期の教育というものが必要だったんじゃないだろうか。
そんな後味の悪さが残る。
「ごめんね~」「いいよ~」という会話が、二人の間ではなされていたのだから。
ああ、そういえば、娘がこの男の子の態度や行動を怖がらない、拒否しないからという意見もあったなあと。

女の子を見て反応するのではなく、娘を見て衝動的な行動を起こしたこの男の子。
その男の子はもう娘を見ても反応しない。
そのことが、わたしはなんか、自分がこの男の子の心をつぶしてしまったような、小さな悲しみを感じさせられる。
「頭を打つ転倒が短期間に二度」、これは学校側にも大きいことだったと思う。だから仕方がなかったのかもしれない。いや仕方がなかったんだろう。
「管理」によって簡単に消えるようなものだったのね、あなたの思いは、なんていうのは、「女の理屈」かもしれない。

特殊学級担任の“ここだけの話”[特殊学級]好きという気持ち を読みながら、「好き」の行動を教える、知的障害児の思春期の教育というもの自体がもっと発展させられていくといいなあと。
知的障害児は圧倒的に男の子の方が多い。また同じようなことがあるかもしれない。
そのときは、わたしの「抗議」も、もっと先を読んだものになるかなあ、なりたいなあなどと思いつつ、思春期の心にそった教育をすぐに実践に移していこうとすることに敬意をこめて、特殊学級担任の“ここだけの話”[特殊学級]好きという気持ち にトラックバックです。

ご褒美

2005年06月23日 | 障害児の教育
知的に障害をもつ子を「育てる」ということ

この手の思考というヤツは、療育というものの中でふと芽生えた疑問ということが出発点でした。
そのふと芽生えた疑問の実態をひもとくために、いろいろな人や書物などにあたり、その思考を広げていったワタクシであります。

しかし、知的障害児の育児論なんつ~ものは、やはり「発達のいい子」の保護者に説得力がある。
何を言っても、「じゃ、その反映された結果はいかに」となっていくわけです。
うちの娘は、本人の意志的行動の芽生えとその成長ぶりは、わたしには見事に思えていましたが、普通の子に照らし合わせて何ができる何ができないってコトになると、状況は悲惨なわけです。
ダウン症という「中度層」が多く、「軽度層」も存在する症候群の中で、現在深刻な合併症が無いという状況で、知的レベルは「重度」なわけですから。
ということで、実は説得力に欠ける。
これは困ったなあ、という部分がある。

わたしは別に、自分が「障害児の優秀な母親」として評価されたいわけではない。
「我が子のために」という言葉で、子どもの心をつぶさないで欲しいという例を見るのが悲しいだけなのです。
短いスパンで目に見える効果よりも、発達段階のその時期その時期において、「心を育てる」ことの方が大事なんではないかと思うということ。
本人が「伸びたい」と思う気持ちと意志を飛び越えたような急ぎ方は、危険が伴うということ。
障害を持って生きるのは、何よりも本人であるということ。
発達段階に応じた「心が育つ」ということを豊かに経験するということは、「大人になっていく」という階段を上るときに精神的な強さを伴うことができるということ。
目に見える効果を出し続けてきた方の、年齢が上がってからの精神的なつまずきというものは回復が困難で、状況が深刻だということ。
そうした実例を見てきたということ。

これを怖がらせずに相手に伝えようと思ったら、地道に「心を大事に」と言い続けるしかないわけで。
小さい子の親というのは、ただでさえ「成人した知的障害者」のイメージを、自分の子どもに持つことを怖がる傾向がある。
前向きに「大人にする姿」をイメージしていくためには、「マイナスを防ぐ」情報というよりは、「発達時期のひとつひとつを心豊かに過ごす」というふうに伝えた方がいいと、わたしは思うわけです。
告知・衝撃というトンネルから出た人たちには、光を目指して歩いて欲しい。
しかし、どうも娘の現在の姿は、「教育効果」を短いスパンで求める人には説得力に欠ける。
と、この堂々めぐりをくり返す。

そんな中、わたしは、娘に「ご褒美」をもらったような気がしました。
数日前に、娘は学校に30分、遅刻をしました。
位置検索の履歴をたどり、そして翌日、そのルートを実際に追いかけてみたわけです。

遅刻の直接的な原因は、通常、降りる駅に降りなかったことです。
この原因は、残念ながらわかりません。
本人にこの報告をできる言語能力はありません。
ぼーっとしてたのか、なんなのか。
電車は走ります。
次の駅、その次の駅と、電車は走っていく。
この二つの駅は、家族での外出時に乗降経験のある駅です。
そしてその次の駅、これは娘にとっては未経験の未知の駅です。
この未知の駅で娘は乗っていた電車を降り、自分の判断で上り線に乗り替え、本来降りるべき駅に行き、いつもとは違うホームからいつもの乗り替えホームに移動し、自力で学校に到着しているわけです。
そのために、学校到着時刻は30分、ずれた、と。

位置検索のデータで見ると、娘にとっては未知の駅での乗り替えにかかった時間に、全くロスはありません。
迷って途方にくれた時間というものが存在しない。
駅員室に行って話を聞いてみましたが、それらしい報告も入っていませんでした。
つまり、第三者に支援を受けた形跡が無いのです。
その時刻のその駅のホームは人が少ないので、誰かに支援を受けていたら駅員が見過ごすわけはないでしょうし、学校にも連絡が入っていないということで、自力でトラブルを脱し、行動の修正をかけていると推測できます。

幸運なことに、この駅はホームの片側が上り、片側が下りという構造で、乗り換えに階段の乗降等の必要が無かった。
そしてその構造は、降りたひとつ前の、娘がよく知っている駅と同様で、そのことを材料に判断したようです。
(最寄り駅、乗換駅は、階段を上らないと反対車線には行けません)
乗換駅ではホームがいつもと違う場所でも、乗換のために階段を上って、自分の行くべき乗り換えホームを正確に判断しています。

降りるべき駅で降りないのは困る。
それでも「上り線」という言葉も「下り線」という言葉も発語できない娘が、偶然性が高いとはいえ、本人自身の意志で立派に生活スキルとしてやってのけたこと。
彼女の手帳の判定、IQの数値を伝えただけでは多分誰も信じないでしょう。
しかし娘を実際に知っている人は、驚きながらもこの「自力での判断」に納得すると思います。

トラブルは困る。
でも、生きていればトラブルは発生する。
そうしたものを主体的に、自分を行動の主体と認識して解決していこうとする意志の力。

今回は結果として、幸運が重なったかもしれない。
失敗をすることがあるかもしれない。
しかし「主体的に行動する意志を持つこと」というのは、教えようと思って教えられることではないわけです。
経験と環境により、積み上げられて、本人自身が獲得しようとしなければ獲得できないことなわけです。

わたしが育てようとしているものが育っているということの片鱗を感じる出来事でした。
これはわたしにとっては何よりの「ご褒美」でした。

知的に障害をもつ子を「育てる」ということ

2005年06月22日 | 障害児の教育
障害をもつ子を間にする「親の気持ち」と「教師の気持ち」という記事上げをしまして。
わたしはこの記事上で 特殊学級担任の“ここだけの話” の五つの霞さん(以下、教員の立場ということで「霞先生」で記述)、にお願いをしました。
実際「統合」を小学校時代に選択した方が、中学進学後に「分離」を選んだ時に発生することを、現場から具体的に情報提供いただけたらありがたいと。

そしてありがたいことに、その回答として、 「[異論反論]ノーマライゼーションの弊害」という記事のトラックバックをいただいたわけです。

その内容に関してなんですが。

わたしは「障害児の教育」というカテゴリで何度も繰り返し述べているように、知的な障害がある子の就学の場については「正解」があると思っていません。加味しなければならないたくさんの「個々の状況と個性の差」がある。
その上で、「霞先生」が内容としてあげられたことは、俗に「普通学級病」と言われる状態として、そうした状況の保護者の自覚と共に、かなり頻繁に耳にするものであったということです。

就学の場に「統合」を選んだ時は、そうしたデメリットの発生、発生時期、子どもの反応等に敏感になることが家庭のフォローとして必要なのではないか。
また、そのデメリットをどう家庭でさせてやれる経験の中で補っていけるか。
そうした思考と視点というのが必要になってくるのではないかと思います。

都内にある私立の和光学園は、知的に障害の無い身体障害を持つ子に加え、知的障害をもつ子も、普通の子の学級にまぜていく「共同教育」の実践としても有名な学校です。
もともとは、私学熱というものがまだ低い頃に、応募されてきた方に対し定員に余裕があったために、入学を希望された障害を持った児童を受け入れたことから始まったそうです。そして障害をもつ子を共に教育するということで「和光の共同教育」というもの基礎が培われていったと。
ただし、普通の学校と違うところは、和光学園の教育は教師の手作りの教科書や教材を中心とする教育、班活動を主体に児童の主体的な力で運営していく学習。そうした特長があるからこそ手をつけられるものだということ。その上で「障害に応じた教育フォローの態勢は無いので、そのことに関して家庭でのフォローは行ってください」と伝えるというお話を、講演という形で和光学園の成田寛氏からお聞きしました。
通常、学区の小学校に「統合」の場を求めるときに、ここまでの具体的な話をどこまでされているのかということに、いささかの疑問は残ります。学校側は、保護者が「統合」を求める気持ちに合わせていくのが精一杯で、その場その場の対応、管理職の異動や担任教諭の異動・変動で、はっきりとした方向性を学校側が示すことが困難なケースが多いことも関係していると思います。「今日の話し合い」の結果が明日以降反映され続ける保障が無いのです。

その「統合」で欠けたことに対して、家庭でのフォローを明確にしていくためにも、「統合」を選択した場合は、今何が足りないのかということに敏感になっていく姿勢が必要なのだと思います。
それはけして「普通に追い込んでいく」ように育てることではない。「得られない経験を補っていく」ということ。本人児童とはペースの違う、ペースに差がついていく集団から離れた時間に、保護者がどんな環境を与えて、学校という場で足りない経験を補っていくかということなのではないかと思います。

ただ、そうしたことを、どんなに情報として提供しても、「普通の場」を追い求める保護者の感情が影響することがあるのも確かです。情報提供が相手に自然に入っていくのに、個人差はありますが、最低2~3年は軽くかかるケースが多いように思います。その「受け付けない頑なな心理的部分」の源はなんなんだろうか、と考えることもあります。

そうしたときに、いつも「感情的」に気の毒になるのが、障害児教育の現場にいらっしゃる方々です。
ケースによっては、現場の方々が日夜工夫して、前向きに取り組んでいることを、知ろうとする以前に感情によってばっさりとはねていっているようにも感じられることがあるからです。

子どもは誰でも、その子その子の個性の中で「伸びたがって」います。その芽をどう生かしていくか。
「伸びたがっている」適切なサインよりも親のビジョンが先行し、子どもの手を引っぱりすぎることで本人の本人自身の「動機」を持つ機会を奪うという、本末転倒になる場合があります。
本人のペースに合わせられた育児や教育というものは、子どもの精神上の「伸びたい」という気持ちをも育てるものでなくてはならないと、わたしは思います。

障害児を育てるということは、「就学の場の選択」で終了するものではありません。「教育」というパートを担う場を得るということで「育てる」ということから解放されるわけではありません。これは障害を持たない子どもでも実は同じこと。
ただ、知的な障害をもつ子ともたない子との「育てる」という違いは、知的な障害をもつ子には「子どもをどんな大人にするか」というビジョンを保護者が持って育てることの大切さが必要だということです。これは知的な障害をもたない子でももちろん必要なことですが、知的な障害を持たない子は「どんな大人になるか」というビジョンを本人自身が具体的にイメージし、表明し、進路を決定していく知的な力を持っているということ。知的な障害を持つ子は、その部分にハンディがあるということです。その上で「知的な障害に対しての適切な支援を受けながら、どんな主体性と意志を持った大人として人生を謳歌出来るか」というビジョンが大切なのだとわたしは思うのです。
特にダウン症児は、療育・教育の場で、「相手の要求に応えるために、相手を喜ばせようと結果を出そうとしている」ことが、伸びている結果だと周囲が勘違いしていく場合があります。幼児期や小学校の低学年時にこの傾向が発生する危険がある。このことは本人が「周囲へのサービスをやめてしまった」時に、他の発達まで失ってしまう青年期以降の退行現象と関連する可能性があるということも、忘れたくないことだと思います。

*トラックバック
 「[異論反論]ノーマライゼーションの弊害」

「障害」に関しての新カテゴリ作成です

2005年06月17日 | 障害児の教育
新カテゴリ、作りました。
障害児の教育」です。

障害児の教育ということを、関わる方々の気持ちを大切にしながら、思うこと、考えることなど、少しずつあげていけたらと思います。
お読みになる機会を持たれた方は、いい意味でご自身の主観を大切にしながら、参考にしていただければ幸いです。

また、このことを考えていく上で、自分にとって「材料」になった経験を列挙しておきます。
*放送大学受講
  障害児の心理と教育
  発達心理学
  障害児教育論
  障害児教育指導法
  発達障害児の心と行動
  障害者福祉
  (受講は’92年からなので、現在存在していない科目が含まれています)

*講演受講
  都立大学総長 茂木俊彦氏
  埼玉大学名誉教授 清水寛氏
  和光学園 共同教育担当責任者の方(すみませんお名前失念しました)
  「安曇野教育研究会」の入門講座

*遠山真学塾 見学
また、ずいぶん前のことで、その前後のいきさつは忘れてしまったのですが、北村小夜氏とお電話でお話ししたことがあります。
氏は、知的障害児を通常学級に入れたいと希望する方のバイブルともなっている  「一緒がいいならなぜ分けた―特殊学級の中から」 の著者です。
教育の場を「分離」「統合」のどちらを選んだときでも、家庭の努力によって、選択しなかった方のメリットは得られるし、また家庭の努力によって選択した方のデメリットに対応する必要が出てくるという持論を、わたしはかなり緊張しつつ、お話ししてみた、と。
氏にご迷惑がかかると申し訳ないので、そのことに対しての氏の返答の「わたしの主観的解釈」を述べることは避けますが、返ってきた答は反論ではなかったことは確かだと思います。

そして。
わたしは知的障害児の親として、教育を考える出発点となった思考は、多くの親の思考がそこから始まるように、通常学級への入学への希望を持っていたことも、つけ加えておきます。

拝啓 ゆきさま

2005年06月15日 | 障害児の教育
わたしはlivedorのサービスである「未来検索」というものに登録しています。
登録しているワードは「たったひとつのたからもの」と「ダウン症」です。
このワードが入ったブログ記事がアップされると、その一覧がメールとして入ってきます。

この入ってきたメール、それ用のフォルダに自動的に入るようにしてあるのですが。
現在未読が山のようにあり、要するに「積んどく」状態。
いや~~、バーゲンのワゴンよりも、掘り出し物を見つけるのが大変な「山」です。
「ダウン症」で入ってくるものは、「気持ち悪い」だの、出産したがダウン症でなくてよかっただの、葉酸サプリを飲むとダウン症児を生まなくできるだの、とてもじゃないけれど、小さい子の親にはすすめられないものがぼこぼこと紛れ込んできます。
「おお」と思うものは、まあ滅多にお目にかかれませんねえ。
(そういえばおととい見つけたけど。でも「見守り状態」なのでURLはナイショ)

このフォルダのメールの中で、ひとつOEの「旗マーク」がついているものがあります。
それが milkyway.:*:・'☆。.:*:「小学校へ行くということ」 です。
とても丁寧に書かれた文章です。
しかし、わたしは、ここに一本の釘を差しに行きました。

理由は、ご本人の意図していないところで生まれてしまっている「印象操作」に対してのささやかな抵抗です。
これはまあ、番組から素直に吸収した「印象」だろうとも思いつつ、正直、イヤだな、と。
感情的印象を感じるこの記事を、一年生という就学先を選んでその生活が始まったばかりのダウン症児の親がもし見たら、教育を考えるという視点に関して少なからず感情の部分を揺らされる可能性もあるだろうということ。
そのことに対して、「ちょっと待ってね」と、閲覧するかもしれないダウン症の小さい子の親に、そして揺らされるということに弱いタイプの親御さんに、伝えられるものなら伝えたかったという思いもありました。
教育の場と環境というのは、本当に、子どもの個性、家族の個性、地域の個性ってのが関係してきて、とにかく答はひとつではない。
必要なことは、とりあえず、「”普通”ということに対して生まれる距離」に感情的に揺らされる部分に関してのヒートダウン。
現実的な視点での別方向からの見方を持つことの大切さだと、わたしは思うのですよね、「統合」を選ぶとしても「分離」を選ぶとしても。
(これは 障害児の教育 という記事の内容にその主旨をあげてあります。)

自治体の状態によっては普通学校の障害児学級の設置率にはかなり差がありますし、養護学校という選択をした方はどう思うだろうという心配もありました。
選択をしたのなら、わたしは堂々とその選択を認めたいということも、まあ、心情的には関係していたこともある。
自分ちが、それなりに意志と理由を持って、中学校は地元ではなく養護学校という選択をしたことに対して、まあ何度も何度も「どうして?」と、感情的なニュアンスを持って言われ続けなきゃならなかったしんどさというものも、思い出させられてしまったところもあります。

先日、ダウン症児のご両親へ という記事を上げましたが。
ダウン症の親というのは、その子どもの年齢によって、かなり思考・感情が変化していきます。
一言で「ダウン症の親」と言えない部分があります。
特に教育に関しての感覚・考えというものは就学前に大きな感情の山があり、そして就学後に大きく変化していきます。
感情・情緒というよりは、子どもの個性と目の前の現実的な環境とが答を出していくものだと思います。
このことを自分自身に「発見」していくことに関しても、時期的に大きな個人差があります。

ダウン症児を取り巻く環境や、教育の姿を親が決定していくときに「正解」などありません。
「正解」が無いからこそ、思考し、もがき、現実的な対処を学習していきます。
また、親が持つ、「”普通”ということに対して生まれる距離」への抵抗感から考える選択先で、「平和で豊かな統合」が実現することもあれば、子ども自身が傷を負っていくこともあります。
「統合」から「分離」へ途中で変える場合は、選択時期をあやまると、「あそこにいられなくなった自分」という、大きな挫折感を背負わせる場合もあります。
個々、人間の個性が関わるからこそ、複雑で難しいということもある。

そうしたバックボーンの中で、わたしは milkyway.:*:・'☆。.:*:「小学校へ行くということ」 に一本の釘を差しに行った。
そしてこちらの管理者であるゆきさんは、そのわたしのアクションに対して、誠意を持って一生懸命思考し、応えてくださったように思います。
もしもダウン症の小さい子の親が閲覧したとしたら、この、けして他人事としない思考のポジションに、きっと助けられることと思います。
考え方に多少の違いがあったとしても、そうだろうなと思います。
その姿勢、全てが、わたしがコメントを入れたということに対してくださった答なのでしょう。

応えてくださって、本当にありがとう。
混乱させてしまったとしたら、どうぞご容赦いただきたいと、思っています。
ありがとう。

PS:
こんなところも、教育ということを考える点で興味深いので、よかったら閲覧してみてください。

*トラックバック
 milkyway.:*:・'☆。.:*:「小学校へ行くということ」

障害をもつ子を間にする「親の気持ち」と「教師の気持ち」

2005年06月03日 | 障害児の教育
まず、リンク。
特殊学級担任の“ここだけの話”から
1.[異論反論]杉森津久美
2.[異論反論]親の気持ち

この二つの記事に関して、障害児の教育現場にいらっしゃる教員の方の立場の方と、障害をもつ子の保護者の立場と、その二つの立場で感想が異なるのではないかと思います。
その上で大事なこととわたしが思うことは、「自分の立場だけでとらわれない視点を持つこと、持つ努力をしようとすること」です。

「1.」の記事は、書き手がご自身の立場で出された「感情」が、コメントに入った保護者からの「感情」を喚起してしまっています。
そのことが、また、この書き手の持つ悲しみとなり、「2.」につながっている部分があると、わたしは思います。

障害をもつ子を取り上げるドキュメンタリーで、ああした編集意図というものは、はっきり言って、とてもよくあることです。
言い方をかえれば、そうした編集意図が、当たり前のようになっているかもしれません。
新聞の投稿欄なども、就学を迎える季節は、そうした傾向の投稿が必ず目につきます。
こうした編集意図は、常に「片側からの視点」です。
分離する教育現場の側に立った取材など、出てきません。
そして、こうした編集意図は、そこで喚起される「感覚」に対して、何の責任も持ちはしません。

全ては、その上で成り立っていること。
この上で、このことを論じる必要があるのではないかと、わたしは思います。

障害をもつ子が家族として「やってくる」まで、保護者はそうした「ある意味情報操作されて作り上げられている一般的な印象」の中で生きています。
教員の立場にある方も、他の面で、そうした「ある意味情報操作されて作り上げられている一般的な印象」の中で生きているところもあるのではないかと思います。
自己の立場だけでは見えないことというものがある。
その前提をもっていないと、どうしても、お互いがお互いの感情を喚起しあう悲しいやり取りが生まれてしまうのではないかと、わたしは思います。

そういう意味では、障害児教育の現場にいらっしゃる方は、積極的に、その教育の姿を伝えて欲しいとわたしは思います。
そのことが、その積み上げが、ひとつひとつ、つながっていくことと、わたしは信じていたいと思います。

保護者側に望むことは、障害児の教育 でふれたように、
「教育環境っていうのは、感情論ではなく、科学的に語られなきゃならんのではないか」
という視点を持っていただきたいということです。
そして、どの保護者がどんな選択をするか、そのことに関しては、この記事のコメント欄で出した、以下の通りです。
就学先の選択ということに「正解」というものは無いのだと思います。
子どもの障害の状態、子どもの個性、保護者の価値観、保護者の個性、その地域の個性、
それらが全部総合されて答えというものが出るんだろうな、と。
そして、その中で、足りないと思われるものをどこでどんな風に補っていくか、そういう思考で支えていくことなのかもしれないな、と思います。
どの選択をしたとしても、満足が得られるケースもあれば、問題が起きるケースもあります。
担当の教員だけでなく、その学校の管理職の個性が大きく影響していってしまう場合もあります。
それは、障害をもたない子どもを就学させた時にも起きてくる可能性です。
普通に子どもが育って、普通に学区の学校に通っても、その上で問題というものは出現する可能性があるのが、残念ながら「学校」という場でもあるのです。

ただ、障害をもつ子の教育は、そうした影響を障害をもたない子よりも大きく受けてしまうということもあります。
その上で、「統合」を選んだときは、「本来この子が来るべきところではないのだから」という「逃げ道」を教員側が持つ場合があります。
これは教育の不充分ということに加え、学級での問題が起きたときの処理に関しても関わってきます。
また、その学級の他の保護者の個性ということも影響が出る場合があります。
「統合」ということを歓迎する保護者もいれば、「あの子がいることで授業が遅れる」という意志を持つ保護者もいるということです。
表面上、「平和な豊かなしあわせな統合」に見えたケースで、その学級に属していた人が何十年もたってから「実は」という話を聞いたこともあります。
その「平和な豊かなしあわせな統合」は、実は、その学級のひとりの「障害児のきょうだい児」のはたらきによって成立していたと。
教員や、自分の両親、そしてその学級にいた障害をもつ子どもの親、こうした「大人達」に役割を暗に要求され、それに応え続けた1人の子どもの「精神的な犠牲」など、誰も知る由は無かったと。
その本人も、その「押しつけられた役割」がイヤなのではなく、「当然のように微笑みながら押しつけてくる大人達の態度」に抗うということを自覚することも訴えることもできなかったと。
こうした「しわよせ」がどこかに存在していく可能性を持つほど、「統合」という場はまだまだ行き当たりばったりで、運が影響する、制度的な支援が無い場だということの認識が必要だとも言えます。

そして、「分離」を選ぶことに対しての抵抗は、「無知から始まる偏見」だけではないこと。
障害児の教育という現場が長い教員の方の中には、ご本人の意識の無い、または薄いところで「一般的な感覚から離れてしまっている人」が存在すること。
そうした方に対して、保護者がなかなかスムーズなコミュニケートが取れなくなるケースが往々にしてあること。
熱意のもとに、人権感覚の欠落を気づかない、または人権感覚にマヒしていらっしゃると思われる教員の存在という、そうしたケースで起きる問題もあること。
そしてそうした「一件」が、保護者の間で大きく影響を及ぼしていくことも無視できません。
具体的に言えば、「一件の訴訟」が、長きに渡り、保護者の不安を増大させ続けることもあります。

そうしたことをふまえた上で、感情論ではなく、情報提供の積み上げを、お互いの立場でいろいろな場で、少しずつ積み上げていくこと。
これが全体の向上につながると、わたしは信じていたいというスタンスです。
教員と保護者が出会うときに、まず信頼から始まるということが最良であること。
そのことが不安定な状態であるときに、当の本人である子どもに影響が及ぶこともありますので。

なお、リンクした「1.」の記事に関して、そう感じられたことの元になる「具体的な内容」を、別の形で情報として提供していただけることをわたしは希望します。
いや、実際「統合」を小学校時代に選択した方が、中学進学後に「分離」を選んだ時に発生することとして推測がつくこと、わたしでも情報提供として提示できる内容というものもあるにはあるのですが、これは是非、現場の教育に携わる方からの情報として、わたしは希望します。
こういう具体的なこと、その提示の相互の提供で解決できる「感情の問題」というものは、本当にそこここに転がっているものだと思いますので。

*トラックバック
特殊学級担任の“ここだけの話”[異論反論]親の気持ち

障害児の教育

2005年06月01日 | 障害児の教育
昨日、「宣言」を出したのは、書きたくてしかし、書きにくいことがあったため。
以下、その内容。

ブログというものが「日記」なのかちがうのか、などという「論争」もありますが。
ある立場にいらっしゃる方が「日記」として残すものが、別の立場にいる人間にとって「情報」となる場合がある。
その人が出す「日記」こそが、こちらの思考の対象となることの意義というものもあるわけです。
HPのコンテンツとして整理されたものを見るよりも、「日記」で日々を追いたい、追う意義というか。

そういう意味で、とてもありがたいのがココ。
特殊学級担任の“ここだけの話”
「日記」として、毎日の授業が記載されているんですよね。
その内容に対しての関心に加え、情報の提示と考察という意味で2005-05-22 (Sun)の記事内容は、とてもおもしろかったです。

こうした内容が、「宣言」を出さないと、どうも書きにくい。
なぜなら、知的障害児の学齢前の保護者というのは、障害児教育の現場というものに、理屈抜きの「怖れ」を抱く傾向が強いんですよね。
「分離」というものに、必要以上に「被害」の念を感じる、感じさせられてしまうというか。
また、テレビで障害をもつ子どもの誰かがとりあげられたときに、この「分離による被害」的感覚の方が、どうしてもクローズアップされる。
また、クローズアップされる子どもの年齢というのが、就学前、就学寸前の子どもというケースも多く、そのことがこうした傾向をまた助長していくところもある。
教育環境っていうのは、感情論ではなく、科学的に語られなきゃならんのではないか、と、わたしは思うんですけどね。

障害を持つ子どもの教育の場において、障害を持たない子どもの集団との「分離」か「統合」か。
わたしはこうした「二者択一」で語られるべきではないと、思っています。
学校だけでどっちかひとつをチョイスしようと思うな、と。
子どもが育つ上で、「統合」も「分離」もどちらも必要で、どちらかしか学校でチョイスできないのならば、チョイスできない方を家庭で補うという視点も必要だと思っています。

「統合」の集団を選ぶ場合に失われるものは、「本人の能力に合わせた教育を受ける権利」と、「自己達成感を持つ経験の量」、そして「自分だけの力でやり通すことの経験の量」です。
「分離」の集団を選ぶ場合に失われるものは、「一般社会での経験の量」と、「本人にとってのモデル行動になる同年齢集団での経験の量」、そして「地域生活」です。
これをうまく調節・調整した「通級」や「日常的な交流教育」が本来は不可欠なのだけれど、自治体によってはこれを学校でまかなおうとすること自体が理想論となっているのが現実的なところです。
(横浜市は日常的な交流ということの着目が、かなり理想に近いところはあるとは思います)

そして保護者にとって必要なことは、障害児教育というものを「理解する」視点なのではないかと思う。
「分離」を感情的に怖れずに、「知る」と。
そういうことが重要な視点なんではないかと。
なにしろ、「統合」を選んだ場合は、家庭に、保護者に、その教育の視点が必要とされるわけですから。

と、まあ、これがわたし個人の考えであり、視点であるのだけれど。
難しいんですよね、就学前の年齢の保護者の「感情」というものは。
その辺、超えていくためにも、障害児教育の現場の情報というものが見えてくるブログの存在というものは、実にありがたいと、わたし個人は思うのですが。

それでもねえ、保護者の個性によっては、この「感情」、超えていくのは難しいのだろうなあと。
そうした「分離」を怖れないためには、障害をもつ子の地域というバックを支える人たちが増えてほしいと思いますね。
障害をもつ子を見守る地域の人たちというのは、その子にとって、社会性を育てる大きなバックボーンになっていくんですよね。
また、「分離」によって失われるものに対してのフォローとしても、大きい。
こうしたものを、保護者だけで孤軍奮闘させないために、地域の方の支援というものは大きいと思う。

そして興味深いなと思うのは、公文の存在。
「統合」を選んだ人にも、「分離」を選んだ人にも、そのことで得られなかったことをフォローしていく視点で利用できるものなんですよね、公文。
子どものペースに応じた教育ということ、教材が幼児からあること、そのことで「統合を選んだ人の、個別教育のフォロー」にも使えるケースがあるし、他の子どもがいる教室、いる時間に通うことで「分離を選んだ人の、集団経験のフォロー」にも使えるケースがある。
この辺も、おもしろいな、と思いますね。

ちなみにわたしは娘に対しては「分離」を選び、得られなかった経験に関しては、学校の日常的な交流教育に加え、地域行事の積極参加や、地域行事の担い手参加、そして、公共の交通機関や公共施設の日常的な利用ということに視点を置きました。
「分離」を選んで得たものは、本人の能力に合わせた教育に加え、本人の自信の獲得と積極性でした。

*トラックバック
 特殊学級担任の“ここだけの話”2005-05-22 (Sun)

「知的障害を持つ娘」が生まれて

2005年02月07日 | 障害児の教育
「知的障害を持つ娘が生まれて」と言っても、さてどう人間が動いていくかは、これはもう本当に人それぞれです。
全ての人の全ての流れは、全て尊重されるべきと、わたしは思っています。
で、以下、全くのわたしの「個人的流れ」です。
「障害児の母親」の流れとしては、どちらかというと、特異なケースかとも思います。
感情的な流れに関しては、簡単ですがHPの方に入れてあります。
こちらは、感情という部分から離れた「思考的な軌跡」です。

ダウン症の告知を受け、第一子が知的障害を持つと知ったときに、わたしは障害児教育の参考書を手に取りました。
それは、乱暴な言い方をすれば「バカにつける薬」を、教育に見出そうとしたためです。
お貸しするという形でどなたかの本棚に居心地よく鎮座してるらしいこの本は、今はわたしの手元にありません。
「こうすれば伸びる発達の遅れた子どもの指導法 障害児教育にチャレンジ」
この本にわたしは大きく影響を受けました。
それは第一章の「どんな子どもに育てるべきか(卒業生から学ぶ理想の子ども像)という部分でした。
そこには、知的障害のレベルの軽い重いよりも、「生きる力」を持った子どもの強さと利点が書かれていました。

娘は乳児期に長期の入院生活を送り、完全看護の病院で許可された面会時間も少なく、時間はいくらでもありました。
わたしは放送大学で「障害児の心理と教育」という講座を受講することになります。
そこで、強く印象に残るキーワードと出会いました。
「障害を持った、立派な大人に育てることの大切さ」
障害を持つということを否定から入るのではなく、それは存在すること自体で肯定されるべきもの。
その上での「立派な大人」というイメージを持つことを、大きく教えられたような気がしました。

娘が幼児期に、わたしは講演会に出席という形で、障害児に対して「生活教育」が中心だった日本で「障害児に対する教科教育の必要性」という道を切り開いてきたお一人である都立大学の茂木俊彦教授と出会い、強く影響を受ける言葉に出会います。
「知的障害児に教科教育が必要なのは、生きる楽しさを教えるためです」

また、同時期、わたしは知的障害児に対しての算数教育を研究する「安曇野教育研究会」の入門講座を受講します。
その時に、影響を受け続ける考え方に出会います。
「知的障害児にものを教えるときに、『なんで何度言ってもわからないんだ』と思うことはないですか。
 でもね、相手も思っているわけですよ。
 『その教え方じゃわからないって、なんで何度言ってもわからないんだ』って。」


問われていたのは、知的障害児の知的能力ではなく、支援する側の知的能力でした。
「バカにつける薬」が必要だったのは、娘ではなくわたしでした。
わたしはこれらの「バカにつける薬」を、ばくばくと食ってきました。
小さい集団ながらも、地域の障害児の放課後支援事業の主宰者にもなりました。
娘だけではなく、この事業に参加する「自分が責任を持つ『障害を持つ子ども』」に対しての、オノレの「知的能力の工夫」も考え続けています。

ただ妊娠しただけだったはずなのですが、その妊娠の結果は、実に興味深い人生の急展開になりました。
娘に「知的能力の向上」を迫られ続けてきたようなこの13年。
けっこう、賢くなった、と、思うよ。。。
いや、あくまでも「13年前と比べて」なんですけどね。