S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「V602SH」のミュージックプレイヤー機能

2004年09月30日 | V602SH
ipodが欲しい・・・
でも高いし、買うのにはかなり勇気のいる値段だし。。。

ってことで、所持する携帯(V602SH)のミュージックプレーヤーとしての機能をせっせと育てております。
つまり、携帯電話がSDカードを利用したMP3プレーヤーとして機能するというものなのですが。

これ、機能させるまでがけっこうめんどくさい。出費もかかります。
V602SHという機器になんらかの「愛」(もしくは愛着と呼ぶ)が無いと、ちょっとできないかも、です。
以下、ボー社の機器ページから抜粋です。
・音楽の録音・再生にはボーダフォンライブ!のウェブからミュージックキーのダウンロード(有料)が必要です。(¥1575-)
・SD-Audio規格に定められた相互認証技術(CPRM)による著作権保護に対応した音楽のみ録音・再生することができます。
・SDメモリカードに録音した音楽は、個人的に楽しむなどの場合を除き、著作権法上、無断複製は禁じられています。
*まず、ミュージックキーのダウンロード、ここで「1575円」の出費が必要です。
そしてなんとケーブルの差し込み口はあってもそこにセットするためのアナログ変換プラグが標準ではセットされていません。これをオプションで購入しなければならないわけです。これが純正で「1050円」
(電器屋ではモノラル部品しか売ってません、音楽を聞くためにはステレオ用が必要です。ということでボー社のショップに行って純正を買わなきゃならない状態です)。
ついでに言えば、ステレオヘッドホンが標準装備されていません。手持ち品が無ければコレも購入が必要です。

*それからミュージックプレーヤーとして「著作権保護対策」、これが徹底されています。
PCに普通のカードリーダーをつないで、そこにPC上からMP3をつつーっとSDカードに保存して、なんてのは、受け付けてくれません。V602SHのミュージックプレーヤーはこうしたファイルはすぱっと拒否します。

ではどうするかというと、
・あなたは「さらなる出費」「アナログな労力」か、どちらを選びますか?

という二者択一になるわけです。

「さらなる出費」を選択する場合、SDオーディオPCレコーディングキット SH-SSK40の購入が必要です。出費額はオープン価格ですが7000円で数百円のおつりというところです。
ここであげた出費全部を足して、256メガのSDカードを買ったら。。。
はい、考えるのを避けたくなる計算です。
V602SHという機器になんらかの「愛」(もしくは愛着と呼ぶ)を持っているか、または機器のオールインワン機能にこだわりを持つか、そのどちらかでないと、無理な選択なんではないかと。

そして、ワタクシですが、
「アナログな労力」を選択しました。
今時、ここまでか?と思うほど、アナログな労力です。
携帯のミュージックプレーヤー機能を選択し、イヤホン差し込み口にアナログ変換プラグをセットし、そこにつないだオーディオケーブルをCDプレーヤーにつなぎ、CDプレーヤーの再生スタート、携帯のミュージックプレーヤーの録音スタート、です。
な~んかこの作業、過去やったことあるぞ?というくらい、アナログです。
この録音時に著作権を保護するためのコードが書き込まれるので、できあがったカードはコピーが不可になります。

地道なライン入力で、手持ちの64メガのSDカードに20曲入りました。
本日の外出時、半日ミュージックプレーヤーとして機能させまくりましたが、電池の消耗はさほどでもないようです。
再生時に着信するかしないかが選べ、着信した場合、通知音がヘッドホンを通して鳴ります。
着信しない状態にして、連続再生時間は7時間ということなので、まずまずなのではないかと思います。

機器に愛着を持たなければできない出費と作業ですが、これをやると、ますます機器に愛着がわくということを実感で体験しました。
V602SHちゃん、一緒にいようね、ってな感じを持つのが感想です。

本日、試行も終了、256メガのカード買っちゃったぜ。
実はMP3が聴けるポータブルのCDプレイヤーを所持なんですが。。。
コレもなかなかのスグレモノだし、携帯もがんばってるし、
あら、ipodなんていらない、かな?



*2004.10.23追記
「あも日記」『地震にまぎれて』にトラックバック。

*2005.3.5追記
 発展記事:“「任天堂」と「ボーダフォン社」”

*2005.3.9追記
 トラックバック:誰も見ないblog “Vodafone V602SHのアナログオーディオケーブル(2) ”

*2005.5.13追記
 PCから直接SDカードに音楽を書き込むためのSDカードリーダー/ライター(ソフト付き)製品の最新情報SDオーディオPCレコーディングキット SH-SSK40を、以前の製品情報から修正して追加しました。

*2005.6.13追記
「V602SHに関しての情報入手サイト一覧」 という新記事を アップしました。

雑記

2004年09月27日 | インターネット雑記
今、何かと話題のlivedoorですが。

4年ちょっと前の数ヶ月ほどの間、わたしは無料接続プロバイダのサービスを運営していたlivedoorを、接続プロバイダのひとつとして使ってました。
ISDNのダイヤルアップ接続の定額コースで、プロバイダも一定時間後、従量制の契約だったので、その定額分をはみ出さないように、無料接続プロバイダとして、livedoorを使っていたのです。

専用の接続ソフトをダウンロードして、そこから接続をする。
こ~れ~が~、まあ、なかなかつながりませんで。
特にテレホに突入する23時以降は不可能でした。
結局、すぐにケーブルに変更したので、使わなくなりました。

接続プロバイダとして使っていたので、livedoorのHPサービスも使ってました。
ここのHPの一覧リストには、なかなかおもしろいサイトもあったなあと。
やがて「HOOPSにサービスを移管する」とお知らせがあって、livedoorからこのサービスは消えました。

その後、常時接続がやや、当たり前の時代が到来し、livedoorも無料接続プロバイダというサービスから現在のサービスへと変化していきました。
わたし自身はすっかりlivedoorとは縁が切れていたのですが、またご縁が復活。
きっかけはこちらです。
1000万円が1本、1万円が1000本当たる!
総額2000万円の「お年玉付き年賀グリーティングカード」


プレスリリース版

友人から、この年賀カードをいただきまして。
この企画にエントリーするためには、livedoorに登録が必要だそうで。
つまりは、この企画、livedoorの登録者獲得のキャンペーンなのだなと解釈。

で、以前のユーザー登録IDを使ってみましたが、すでに抹消済みだったので、再びlivedoorに新規登録。
そして結果ですが。当たりました!一万円。
この当選金を受け取るためには、今度は、イーバンクに口座を開くことが必要になります。
口座開設の手続きをしながら、ああ、この企画は「イーバンクlivedoorブランチ」という新サービスのキャンペーンだったのだなと解釈。
そもそもこの企画、空くじ無しでしたし。
末等は「10円」が当たる、つまり登録した人全員に、少なくとも10円は、その口座開設の入金のために用意されていたというわけです。

しかし、この受け取りのためにイーバンク口座を開こうとすると、イーバンクのページに、「告訴」という言葉を使った、livedoorを批判する文章が載っていました。
イーバンク側とlivedoor側との、なんだか妙な展開が出てきていたようで。
どちらがどう悪いのかわかりませんが、脅迫電話があったのなかったのと、その展開はけして穏やかな内容とは言えないものでした。

しかし、この年賀カード企画、総額3千万円以上が「当選」という形で動く企画で。
そのことになんかビックリしたのですが、livedoorとしては勝算アリの投資としての企画だったのでしょうけれど、
企画直後にこうしたもめ事が出てくるというのはどういうことなんだろうと、
少なくとも、わたし個人にとっては、企業イメージを落とした一件ではありました。

報道番組の中でのlivedoorに対する同情評を見ながら、
本当に本当に、小さな声で、「でもね」という気分であります。

大森信和氏を悼む

2004年09月26日 | インターネット雑記
~2004,7,5
 甲斐バンドのギタリスト大森信和さん、逝去~

7月だったのか、と思う。
知らなかった、と、愕然とする。
でも、インターネットは便利だ。
本当に便利だと思う。
検索すると、どんどん情報が出てくる。
訃報を伝えるご本人のお嬢さんの言葉が出てくる。
心からの悼みの文章を綴った個人のサイトがたくさん出てくる。

13の時に、甲斐バンドがデビューし、好きになって。
14から、大切にレコードを買い始めて。
シングルもLPも、発売日を本当に待ち望んで買い集めた。
15の時からは、ライブハウスやコンサートにもよく行った。
17の時に出たSEIKOのCMに使われた曲が大ヒットになり、
でもこの曲が「え?」って言うほど自分の好みに合わなくて。
なんとなく、ちょっとずつ後ずさり。
その後、その曲からどんどんチケットが入手できなくなっていく。
18の時に、やっと取れた武道館のチケットはステージから、とっても遠くだった。
遠くに見ながら、自分の10代の時期の変化も感じていたあの日の武道館。
19の時に、新宿の都庁建設予定地で大きな野外コンサートがあって、
興味はあっても、必死にチケットを取ろうとするエネルギーはすでに無く、
その上その時のわたしの関心は、「彼ら」よりも「彼氏」だった。

なんてことを思い出しながら、古いCDを引っ張り出して聞いています。
そして、検索で出てくる個人のサイトに、自分も参加しようと思います。

新宿ルィードや、中野サンプラザ、渋谷公会堂、
すぐそばで見たあなたの笑顔を、わたしはきっと忘れない。
コンサートでのあなたのギターを、わたしはきっと忘れない。
10代のひりひりとした自分の青臭さと共に、きっと忘れないと思う。
ありがとう、さようなら、どうぞ安らかに。

*追記*
gooBLOGの検索機能から見つけた「合掌」にTBです。

困惑のメール

2004年09月23日 | 迷惑メール対策のお勉強
「未承諾広告※大至急ご確認ください」

こういう件名で、壮健(株)というところからメールが来ました。
この社名や、メールアドレス等、検索にかけましたが、
情報は出てきませんでした。

このメール、非常に怖いです。
わたしにはどういう仕組みなのかわかりませんが、
このメールが届いてまもなく、
ディスクトップに以下の名前のついたアイコンが
貼り付けられていることに気づきました。

未承諾広告※大至急、ご確認下さい!.eml

もちろん、自分で何かした覚えは全くありません。
ノートンかけましたが、ウィルスは検知されませんでした。

CCCDなんて、いらない!

2004年09月21日 | ○○さんにトラックバック!
まず画像ですが、
こちらのCDのジャケットです。

さて、本題。
CCCDに関して「ソニーがコピー禁止機能の全廃を検討」のニュース、
拍手、拍手、拍手です。

なんですか? あのCCCDってのは。
メーカーの言う「CCCDを正常に再生できない可能性がある」としている機器は
以下の通りです。

・音飛び防止装置が働いている(ポータブル)音楽CDプレーヤー
・CD-R/RWの再生に対応した音楽CDプレーヤー
・MP3再生のできる音楽CDプレーヤー
・ハードディスクプレーヤー
・そのほか、CD-ROMドライブを利用した音楽CDプレーヤー


うちにはCDを再生できる機器が3台ありますが、
全て上記のどれかに引っかかります。

要するに、買うか買わないかの選択の前に、
「機器買って、出直してきな」と言われているのと同じです。
CCCDという商品を買うか買わないか、こちらが決める前に、
なぜ、こうした「足切り」を行われなければならないのか。
そして、CCCDが持つ、数々の問題点

今後、CCCDが全盛になっていくのなら、「買わない」だけ。
各メーカーがCCCDを導入していく中で思っていたことは
こんなことでした。

ああ、いいです、いいです、別に。
CCCDで出る新しいものより、
わたしは自分がレコードで聞いた名盤の復刻版を買いますから。


で、その象徴の画像を貼り付けてみました。

はい、コレ、買いました。
うちのプレイヤーで立派に聞ける
クリエイションの「ピュア・エレクトリック・ソウル」です。
(この中の「SPINNING TOE-HOLD」は、このCDの中でも使われています)
 
このCDの説明文自体がまた、この状況で泣かせてくれます。

今、このCDを聞きつつ、

このCCCDに関してのニュースを書いた個人の文章は数々あれど、
「人にはそれぞれ事情がある」の2004.09.19付けの記事、
内容ももちろんですが、
「すべての歌に懺悔しな!! 」というタイトル自体にも
もう、思いっきり拍手です。

クリエイションの竹田氏の声に感じつつ、
「すべての歌に懺悔しな!!」を読みつつ、
哲学の無い商魂に、「ふざけんな!」と叫んでやりたい。

迷惑メール:最近の傾向と対策

2004年09月21日 | 迷惑メール対策のお勉強
迷惑メール対策として、
SpamDumpというシェアウェアソフトを購入して、稼働させていますが、
このソフトのフィルタリングからこぼれるものは相変わらず出てきています。

今、こちらのサイトで、
「スパムメール対策ソフトウェアのデータベースに登録されるサンプルデータとして使用」
という目的で、
スパムメール収集活動が行われています。
ということで、受信したスパムに関して、せっせとこちらに転送している最近です。

最近の傾向ですが、
「渡辺春香」に始まる悪質な「相手の善意を利用した引っかけ」は
とりあえず影をひそめたようで、
今は「逆援助交際のお誘い」が優勢です。
「年齢差のある結婚での淋しい妻」「女医」「女社長」が
「お金を払うよ」と、「つきあってほしい」と。

他に「返信を誘う」ものには、
「今日はありがとう」という、
「今日会ったことを前提に話が展開されるもの」が来ています。
これはもしも「人違いではありませんか?」という返信をしてしまえば、
そのメールアドレスは「生きている」ものと判断されて、
さらにこうしたものが送られていく流れになっているようです。

この手の「今日会ったことを前提に」というメール、
PCに入ってきたのは、わたしの場合は、最近です。
携帯に関しては、ちょうど一年ほど前に、
同様の傾向のものが、頻繁に入ってきたことがありました。
その後、携帯は、許可したアドレスしか受信しない設定にしたので、
現在もこうした類のものが送信されているかは不明です。

「(爆)」について

2004年09月20日 | ○○さんにトラックバック!
Leftyさんの「これって何の略?」を読みまして。

「(爆)」なんですが。

わからないのです、わたしには。
本当に、わからない。
掲示板やメール等で
自分に対して向けられた文章に対してコレが出てくると、
正直言って、なんか、こうポカンとするというか。

「・・・・(???)」

というのが正直なところなのです。
不快かどうかというより、わからない。
意味が、うまくつかめない。

不快かどうかということで言えば、
印象が強すぎるのです、この漢字自体が。
不快というより、なんというか、こう、
「びっくりする」「呆然とする」という感じ。

だって、「爆発」の「爆」ですよ?
わたしにとっては「爆発」の「爆」の連想形は「爆死」なんです。
「死」という言葉を日常で使うことに対しての
抵抗感のようなものをここで自分の中に見つけたりします。

だから最初は「爆笑」の「爆」なのかと思っていました。

その根拠なのですが。

「爆笑」という熟語は、「爆」という字の印象を明るいものに変える。
「爆発的に」という表現も、プラスに意味を変える。

例文として

「爆発的に商品が売れ、その会社は自社ビルを建てた」

という使い方をしますけれど、

「事件が起きたことで爆発的に売り上げが低下し、その会社は倒産した」

とは使わない。

「爆発」に対して、
「的に」という表現をつけることで、
「爆発」の効果によって、生まれるものがあるというプラス傾向の表現になる。

「爆笑」の「爆」は「爆発的に笑う」という意味で、
やはり、プラス傾向のモノに分類されると思います。
わたしが「(爆)」というものを
意識下において、そうした「陽」の傾向に取りたくて、
「爆笑」の「爆」だと取ろうとしていたのかもしれません。
そうやって、「爆」という文字の危ない印象を
無意識的に、自分が避けたかったのかもしれない。

でも「(爆)」というのは、
「爆発」や「自爆」の意味なんですね。
そういう傾向のもの、なのかな。

では、文法としては
「自分の行動に向けたものに使われる」、
ってことでいいんでしょうか。

ってことで、
検索でこんなとこに行ってみました。

hira's 「(爆)」のバリエーション委員会

でも、やっぱり、よくわからなかった。
多分、自分自身に根づいている文化の違いなんでしょう。
「(爆)」という語尾につく表現を見るたびに
自分の中の「爆」という漢字の感覚を
つくづく感じたりするのでした。

「リアル」と「バーチャル」

2004年09月17日 | ○○さんにトラックバック!
わたしは自分がネットの中で人と知り合う時に、
自分の「匿名性」というものを、あまり意識していません。
HNを変えたとしても、
自分本来の個性のまま、率直に参加している場合は、
「○○と××は同一人物だ」とバレると思います。
(実際、こうやって「当てられた」ことは3度ほどあります)

要するに、実際に名前を出さないだけで、
場がバーチャルでも、
自分の対応やあり方としては「バーチャル」ではなく
「リアル」なんではないかなと。

ネットで知り合った人とお会いしたことは何度もあります。
わたしは神奈川在住ですが、
お会いした方々の地域はこんなトコ。
京都、大阪、名古屋、石川、神奈川、東京。
最も遠隔地の方は「オランダ」です。
遠隔地の方は仕事の都合のついでや、休暇を利用してという形で、
横浜や東京でお会いしました。

実際にお会いすると、
声や表情に、実に新鮮な感じがする。
そして、その後、
「文字から声が聞こえてくるような」感じがします。

「会ったことのある人」と「無い人」、
これは自分の中では、「関係の差別化」は無いです。
というか、生まれませんでした。

結局、「会った人」も「会わない人」も、
その関係の場、
要するにネットの場で会話したことや、
共に経験したこと、経験に立ちあったこと、立ちあってもらったこと、
そういう積み重ねたものの方がずっと大きい。
そのことの前では、
「会った」とか「会わない」とか、
実はあまり関係が無いような気がします。

「文字から声が聞こえてくるような」感じ、
これが最大の感想。
笑うような場面のときには、笑顔がイメージできるようになる。

でも、人というものは、
一度や二度、会ったくらいでは
たいして相手のことはわからない。
それよりも、
その関係が生まれ、成立していったネットの場での
「相手と対し、話をする」経験。
その積み重ねの中で見えるモノの方が、
一度や二度会ったことより、格段に大きいんじゃないかと。

ネットで人間関係が出来た人という意味での「利点」は、
「初対面」の人にうまく言えなかったこと、
伝えきれなかったことを、
「後で文字で補足することができる」と思っているような、
そんな「安心感」があることです。

ただ、オフ会というものですが。
これは一度やりましたが、
今後に関しては、あまり積極的な気持ちは持たないというか。
というか、企画もしないし参加もしないでしょうね、きっと。
集団にするとせっかく「会える」機会なのに、
どうにも、一人に使える時間が少なすぎる。
その上、「友達の友達は友達だ」的な感じが
わたしとしては、う~~んと思う副産物だと思ったというか。
「友達の友達は友達だ」的な感覚は、
結局、後でトラブル起こしやすいとこもあるというか。
つまり、関係性が「2」くらい同士の人が、
集団の中で、お互いが、もしくは片方だけが
「5」くらいに思いこんでしまう怖さがあるのではないかと。
一対一で会うというイメージが湧かない人とは
会わなくてもいいんではないかなとも思う。

リアル友人と、ネットで話すことはあまりありません。
用件としてのメールも、電話に切り替えることはよくある。
リアル友人との関係の作り方が
そうやって、積み重ねられてきたものだからだと思います。

対して、ネットで知り合った友人は、
ゆっくり話したいことがある時に、
電話で話すよりも、メールという媒体を選ぶ。
これは、遠隔地への電話料金の問題というだけでなく、
やはり成立した関係性の経緯が
「文字」だったからではないかと思います。

要はやっぱり、
対人関係ってものは結局のとこ、
知り合った経緯ってのが大事なんではないかなと。

ネットで知り合った人と「実際に会う」という経験で
自分の中に身についたものは、
ネットで知り合う人に対して、
「いい人だと思いこむ」「期待する」みたいな
妙なモノが完全に払拭されたなと思うこと。
「会う」「会わない」関係なく、
相手を等身大で見る意識というものが
身についたような気がします。

以上、これはまったくの「個人的経験の体験談」でした。

souryuuseiさんの「リアルとバーチャル」
トラックバックです。

「話す」と「聞く」と「話させる」

2004年09月16日 | ○○さんにトラックバック!
souryuuseiさんのところの”「話す中心」と「聞く中心」に思う”
トラックバックです。

お話の続きとしては、
次の展開は「話させる中心」です。

この「話させる中心」ということ、
かなり顕著に現れているのが、
「π氏の雑記(PCのジャンキー)」なんではないかと。

ちょっと具体的に検証(?)するために、
πさんとこの「■うちの プリンター2号」にトラックバックです。

この「■うちの プリンター2号」という話題のコメント欄にある
πさんのコレ。

いやあ、皆さんの 補足で成り立ってるBLOGですよ。
私は、触りだけしか 書いてないですから・・・。はい。


そう、こちらで展開される「皆さんの補足」、よいんですよね。
ひとりの価値観ではない範囲に話が広がっていくというか。
πさんの記事の
「触りだけ」というか、「喋りすぎない八分目」ってのも、心地よい。
だからこそ、人々によって作られる「続き」というのが
また生きていくというか。

このπさんとこの「世界の色」というか。
これを展開させていく個性というのが、
πさんとこの持つ「味」であり、「良さ」であり、
「魅力」なんだろうなあと思うわけです。

話題を展開させるための「ネタの中身」も豊富に持っていらっしゃるしね。
そう、「話させる」ためには、
その話題に関しての「元の充実度」ってのが、
実に重要なキーになるのではと思うのでした。

携帯その2:「N505i」

2004年09月15日 | 使用機器/ソフト
二個目の携帯は「N505i」です。
(「s」は付きません)
色はミルクティ。とてもきれい。
ディズニースタイルってヤツを選択しているので、
キーを押すと、ミッキーの声で「やあ」とか言います。

こちらは、娘に持たせるコレ
携帯モニター機として購入。
つまり、このN505iで、P-doco?miniを持った娘の
現在の居場所をだいたい知るというか。
ボー社の携帯では、できないんですよね、コレが。
(しかし誤差が有りすぎます、ピッチのアンテナを使っての位置検索。。。)

ドコモの携帯、どれにしようかってとこで、
N505iにした理由は、
価格が暴落していた機器の中で、モニター画面が一番大きかったことです。
位置検索サイトで地図見るためのものですから。
その他の機能は、全然知りませんでしたし、
N社にもドコモにも申し訳ないけど、どーでもよかったです。

契約は娘の名義で契約し、「ハーティ割引」を利用。
つまり、障害者割引ですね。
でも、この割引、その他の割引は全部使えないんですよね。
コレ一本。
だから、長期や家族割りや、通話先指定とかって方が結局割安かも。

しかし、まあ、よくあることなんですが。
ドコモショップで、この契約をするときに、
「ご本人様のご署名を」と言われました。

まあ、本人のために使うってことで、
名義利用で不正ってことではないと思うのだけれど。
それにしても「ご本人様のご署名を」って、ねえ。
「知的障害者」の手帳を提示してるんですが。

「はあ」
「でも、本人は
 こんな書類に漢字でフルネーム、書けませんよ」と。

「名前ですが、
 自署で書けないことはないですよ。
 ただし、太字のペンで、平仮名ですよ。
こんな枠、思いっきりはみ出しますよ。」

どうなんでしょうねえ、こういうのって。
本人の人権擁護を徹底すると、こうなるってことで、
障害者の人権問題としては、前向きな傾向なんでしょうけど、
なんか、こう、
マニュアル的な融通のきかなさというか。

「でも、規則ではそうなってるので」と言われたので、
まあ、なんだかんだ言うのも面倒だったので
お子様コーナーで、遊んでた娘、
つまり「本人様」を呼びました。
でかいミッキーのぬいぐるみを抱えてやってきました。

母「名前、書く?」
娘「や」
母→店員「どうします?」
娘→店員「ちわ、ばいばい、またね~~」

お子様コーナーに行ってしまいました、13歳♀、
ハーティなお方♪

はい、「後見人による署名」で一件落着。
って、こういうコトって多いんですよね、ホントに。
書けるんだったら、最初から書かせるって。
不正利用を防ぐってことですか?
でも、いっちいち、要求されることを
「だから、ソレ、できません、無理ですってば」
って言うのも、ひじょーに疲れる。
何のために手帳持ってんのかな~~などとも思いつつ。
自署で契約書類にサインってことができなくても、
生活年齢と経験の向上とで、生活スキルは上がりますし、
年齢に応じた精神的「親離れ」が始まるわけで。
だからこその、「機器利用」なんだけどね。

さて、文句を言いつつ、優遇された状態での契約。
で、N505i。
去年の夏には、「買ったぜ」自慢モード機だったんでしょうが、
いまや、二束三文機。
しかしモニター機としては、完璧です。
位置検索のサイトの接続は早い、見やすい。

そしてフル活用しているのが「ボイスサーチ」。
娘と息子とわたしと、3人でちょこっと出るときも
あるわけで。
娘と息子と、まあ行動パターンも分かれるわけで。
そんなとき、別行動を取るために、
ひょいっとこのN505iを、彼の首にかけてやります。
「ボイスサーチ機能」で、
彼が携帯に向かって「おかあさん」と言うだけで、
あらあら不思議、わたしの携帯に電話が入るという便利さ。

すっげ~~な~~、ドコモ。
いや、N機?
いや、当たり前なの? ドコモ。

ボー社ユーザーには、よくわからないのでした。。。

ネットの中のいい人と悪い人

2004年09月13日 | インターネット雑記
今日のわたしに感じるモノ、大きくあって、
ネット上での人格 その2 から、トラックバックいただきです。

今日、わたしは、自分が日常的に出入りしているサイトの掲示板で、
ある投稿を入れました。
入れる前に、
(ここに来るのも最後かもしれない)と覚悟を決めました。

スレッドは「泣き記事」です。
流れとして求められているのは「慰め」です。
しかし、わたしは「叱咤」を入れました。

理由は、「納得いかなかった」から。
スレ主がネットの友達から「慰め」が欲しいのはわかる。
でも、このスレッドの文章では、
大事なとこを突っこんで考えているとはわたしには思えなかった。

自分が起こしたことには、
その失敗の中からきちっと自分で拾わなくてはいけないことがたくさんある。
その手伝いをするならば、いくらでもしたいと思う。
でも、そのスレッドのその状態は、慰めを求めていて、
他の人がどうであれ、
わたしには「そうよねえ」とは言えないレベルだったというか。

実生活だったら、目の前でこの話を聞いたときに、
タイミングを計った短い質問で、相手の思考を誘導できたと思う。
肯定できない表情というのを暗に出すこともできたと思う。
そうやって、傷つけずに言えるし、出せる可能性が、まだある。
「もうちょっと考えてみようよね」と。

でもネット上では、反応しないか、肯定する言葉かけをするか、
肯定する言葉かけの中に、否定をちょろっと混ぜるか。
否定をちょろっと混ぜたら、それ以上にフォローの表現も入れるか。
そういう曖昧な線にとどめてしまうことが多いと思う。
肯定しないという態度を出すときに、
結局、文字と文体は強いものになりかねないから。
これを伝えきれる自信がなくて、
曖昧なものに逃げて生まれていく「いい人」ってのはいるんじゃないかと、
ネットでの会話を見ていると、そう思う。

結局、ネット上には「いい人」が増えていくような気がする。

でも、それは本当に「いい人」なんだろうか。
その疑いを持つと共に、
ネット上で「悪い人」にされる人にも、疑問を持つ。

ネット上で「悪い人」にされやすい人に、変換器をつければ、
かなり「悪い人人口」は減少すると思う。
変換機とは、こんなもの。
「○○だ」→「○○だと自分は思うのですがどうでしょうか」
「ここで○○するのはまちがっている」→
「ここで○○することには賛成出来ない人が多いと思います」
あら、意外と簡単。

もちろん、こうした配慮ってのは、
不特定多数に対してのコミュニケーションにはとても重要だと思う。
わたし自身、こういう観点の表現を意識して使うことは多いと思う。
でも、本当はどうなんだろうか。
自分が「読む」上では、実はたいしたポイントにはなってない。
むしろ、断言の多い文体は、堂々と向かい合おうという気になる。

その中で、わたしにとって、もっと大きなポイントは
相手の出して来るものの中で
どんな時に、どんなことを言って、どんなことにゆずれない気持ちを持つのか
そういうこと自体の方が、相手を知る要素は大きいと思う。

そして、そうやって見つけた「人格」がわたしには貴重ですよ、
ネットという媒体を操る中で人と知り合っていくという意味でね。

さて、今日の「結果」。
スレ主さんは、わたしの叱咤に、誠実に応えてくれました。
スレ主さんが負の経験の中で知ったものを教えてくれました。

しっかと直球をキャッチしてくれたことに、大きく感謝をした今日でした。

携帯その1:「V602SH」

2004年09月13日 | V602SH
主として使用している携帯はボー社のV602SHです。
3年前に買ったJ-SH51から7月末に機種変しました。

新しい携帯にワクワクが続いています。

入手するまでの、最寄りのボー社ショップの対応は最悪でした。

ひじょーに残念ながら、初期ロットではないので、
ウワサの「かぜがなおるで初期画面」機ではありません。
これは初期ロット機をお持ちの方に見せていただいたのですが、
「かぜがなおる」入力で、文章は破棄され、待ち受け画面に。
しかもご丁寧に、消灯までしてくれます。
コレはコレで、レアものだと思います。

このV602SH、SDカード使用機なのに、
カードが同梱されていず、変なニセモノがささって梱包されています。
要するに、コレを新規で買った人は、もれなくカードを別に買わなきゃなりません。
(わたしは持ってたのを、そのまま使いましたが)

カメラの光学ズームはすごいけど、確定まで時間がかかるので、
動いている被写体はすぐボケます。
子どもを撮るときは、「止まってて」と叫びながら撮ります。
不機嫌な顔を撮る結果になることも多いです。

機能が多いので、重さがあり、すぐに落としそうになります。
(わたしだけか???)

内蔵アンテナで、前機と比較してはっきりと感度が弱く、
場所によって、通話が邪魔されることも多いです。
(場所が悪いのか???)

ミュージックプレイヤーとしての機能を兼ね備えていますが、
ミュージックキーのダウンロードで1500円だの、
イヤホン同梱ではなく、イヤホンつけるのにも部品購入の必要があり、
また、こうやって使うとすぐに電池食うだろうし、
そうすると、携帯の充電池もいるかしらとか、
こう、なんだかんだとめんどくさく、
この機能はほったらかしになっています。

でも、
かなり愛着を持って使ってます。
黒に赤のデザインも、とても好きです。

マニュアルに載っていない「隠しアイコン」の存在も楽しいです。
電池残量表示はマッチョなオッサンが
腕を高々と誇らしそうに上げ、
「電池残量おっけーよ」と教えてくれます。
電界強度表示は、マッチョなオッサンが
がんばって、重量挙げをしながら教えてくれます。
安定せずにフラフラしてるときは
「オッサン、がんばれ!」と言いたくなります。
いずれ、このオッサンに名前をつけてやろうと思いつつ、
まだ、単なる「オッサン」で落ち着いています。

53機以降のシャープ機との番号宛てメールでは、
特定の絵文字のいくつかを文面に使用すると、
絵文字のイメージ画がアニメの背景画像になって、美しく動きます。
(時々、出会い系サイトの広告で、背景にハートが飛びまくります)

結局ね、
この子、とても好き!

*2005.6.13追記
「V602SHに関しての情報入手サイト一覧」 という新記事を アップしました。

インターネットの中の「大人」たち

2004年09月12日 | インターネットと子どもたち
さて、「インターネットと子ども」というカテゴリーの中で
インターネットで出会った4人の「子ども」を見てきたのですが。
この4人の「子ども」の行動、
4人に関して、全て読んでくださった方には、
見えてくるものがあるのではないかと。

そう、
表現方法は違うかもしれないけれど、
この4人の子どもたちと同じような「大人」が
インターネットの中にはたくさんいるということです。

明確な目的を持って、インターネットを媒体として使っている人がいる。
その場合、その世界はどんどん成長していきますが、
成長していくと共に、荒らし行為を受ける危険性は高まります。
交流をメインの目的にしている人がいる。
その場合、自分は「交流」と思っていても、
相手にとっては、バランスが取れていない「交流」という場合も
あると思います。

「子ども」だから、
その育成と保護のために必要なことを考察しなければ、
そんな観点が出てきますが、
そのためにはまず、
インターネットの中での「大人」を考えなければならないところも
あるんではないかと。
実感を伴わないマニュアルに対して、
意識と関心が薄れるというのは、
大人も子どもも同じなのではないかと。

インターネットの中には、「大人」がたくさんいます。
その「大人」たちは、
最初から、「インターネット上のルールとマナー」を
知っていたわけではないと思います。
知らないとしか思えない人も、たくさんいます。
うすうすわかっていても、
そこから踏み出す行動を取る人もたくさんいます。

理解し、わかっているんじゃないかと自分で思うという人の大半は、
そのことで「苦い思い」や「痛い思い」を経験したから。
だから知っている、という部分はないでしょうか。

その「苦い思い」や「痛い思い」ですが。
自分が経験していなくても、
「見て感じる」ことができるサイトはたくさんあります。

「著作権に対しての横暴な感覚」に関しては、
素材屋さんのサイトをちょっと回れば、
たいがい、その「被害」を受けた人の実感を目にすることができます。

基本的な「礼儀」に関しては、
PCやHP作成法の伝授等、
「教えてあげる」的なことを中心にしているサイトをちょっと回れば、
匿名性というものを持ったときに、人が持ち始める
「礼儀」に対しての無神経さを垣間見ることができます。

「交流」に関しては、
双方が楽しんでいることがはっきりしている場合はいいのですが、
価値観の相違、論点の違い、表現の形としての相性、
こうしたことから、ちょっとしたことがきっかけになって、
インターネットでは、時々「事故」が起こります。

わたしは過去、実に手痛い「事故」を経験しています。
小さな「事故」や「苦い思い」は、いくつもあると思います。
自分が悪かったと思うこともある、
自分の読みが甘かったと思うこともある、
仕方のないことだったと思うこともある、

ただ、そこで拾ったことというのは、
その後にとっては大きかったと思います。
それは、
インターネットというのは、文字が中心になることで、
自分が気がつきにくい「効果装置」にあふれているということです。

まず「過信」。
出していくものに対して、言葉より文字の方が、
それを出した自分の目にきちんとふれます。
そこで自分が相手に出したと思っていることを、
相手が全て受け取る、または受け取れると思う、
そういう「過信」が生まれ始めるのではないかと。
それは、実はそもそもまちがいなのではないかと。
言ったことの半分か、それ以下くらいだと思う方が
実は妥当なのではないかと。

そして、文字が与える印象の「増殖効果」。
出した方はそう思っていなくても、
「苦い」や「痛い」と受け取る側にとっては
何度も何度も言われてる感情の状態になってしまう。
実生活でのやり取りより、
その関係の緊張感は高度で持続する場合があるのではないかと。

また、話題の緊張感から引きおこされて、
短い「タイムラグ」で会話が連続していくと、
場の緊張感はさらに増し、
マイナスの方向に向かって動き出すことも少なくない。
その「場の緊張感」が生み出す刺激から、
参加者がどんどん増えていくこともある。

インターネットと関わる中で、
他者の経験を垣間見たり、自分の経験でわかることが大きいのなら、
子どもがインターネットに出ていくときに、
背後でその経験の意味を、本人がわかるようにフォローする。
そうした存在は、
子どもがインターネットに出ていくときに大きいのではないかと思います。
「子ども」と「大人」との決定的な違いは、その人生経験の差にありますから、
子どもがひとりでこれをこなそうとしても難しいことがあるのではないかと。

「インターネットと子どもたち」、
マニュアルよりも彼らに必要なのは、
「後見人」の存在なのかもしれません。

インターネットで出会った子どもたち:その4

2004年09月10日 | インターネットと子どもたち
「インターネットで出会った子ども」の4番目は
まりなちゃんです。

まりなちゃんは、ごく一部では有名な
「困ったちゃん」でした。
「大人」が管理する掲示板にやってきて、
「誰かいないの?」と連呼し、
好き勝手な投稿を入れ、人の話は耳に入れず、
反応しないと、駄々をこねる。
まりなちゃんは、そんな「子ども」でした。

このまりなちゃん、
わたしが出入りする掲示板で暴れてました。
わたしはそこの掲示板の投稿で
HPのアドレスを入れていたのですが、
ある方からメールで忠告を受けました。
「リンクをはずした方がいい」と。
「あの子が来ると、とんでもないことになる」と。

さて、まりなちゃんは、
わたしのところにやってきました。
それを見た方から、またメールが入りました。
「あの子には気をつけろ」と。
「自分のところは、あの子の言動で、
 掲示板を一時閉鎖せざるを得なくなった」と。
「まりなちゃんに
『おかあさんとお話がしたい』と言っても、
『メールアドレスを人に教えちゃいけないって言われてる』
の一点張りで、
親が不在のままの彼女のインターネットの一人歩き、
そして暴れ回りには、
ほとほと手を焼いた」と。
で、「あの子には気をつけてください」と。

まりなちゃんは、どこのHPに行っても、
いつも一直線で掲示板に向かいました。
そのHPがどんなHPだなんてことは
いつもおかまいなしでした。

わたしはある種の緊張を持って、
まりなちゃんを迎えたのでした。

ところが。
話題をふっていって、ちゃんと話をさせてみると、
まりなちゃんは実に素直な女の子でした。
そして、驚いたことに、
まりなちゃんは、
まだ、たったの8歳でした。

この辺は、
どうぞこちら、わたしのHP
「掲示板」というコンテンツにお進みください。
こちらの「36」、そして「41」というのが、
まりなちゃんの全貌です。

わたしはこのまりなちゃんとの対話での
自分の投稿をお見せするのは、
かなり恥ずかしいです。
ただ、彼女の「素直な顔」というのを見ることを
ある種、実に楽しんでいました。

このまりなちゃんとの対話の時期に、
わたしの娘は肺炎で入院しました。
車で10分ほどの近くの病院ではありましたが、
病院と自宅との往復の日々に、
息子にもずいぶん我慢をさせたと思います。
退院後、娘と息子に対しての
「実生活での対応」に追われ、
まりなちゃんの相手をすることが難しくなりました。

でも、気持ちのどこかで思っていました。
あの子はもう、だいじょうぶなんではないかと。

わたしが彼女に対して「放置」したにも関わらず、
もう、まりなちゃんは
相手にされないことに駄々をこねたりもしませんでしたし。
他の掲示板で姿を見ることもなくなっていました。

インターネットでの誰かとの出会いも
おもしろいかもしれないけれど、
でもまりなちゃん、
あなたの年齢は、
まだまだ実生活が大事なのよと。
そのことを伝えたい思いはたくさんあったのだけれど、
彼女に無事に伝わったでしょうか。

まりなちゃんは今、
4年生になっているはずです。
元気で笑っていて欲しいと思います。

彼女の保護者の方に対しては、
たった8歳の子に対して、
ここまでの一人歩きを放置するのは、
もう、「言語道断」という思いです。
『メールアドレスを出しちゃ行けない』
この子の母親が言ったことは、そりゃもっともなことだと思います。
でも、ここまで8歳の子に
インターネットの一人歩きをさせるのなら、
フリーのアドレスでもなんでもいいから、
親と話ができる受け皿も必要なんではないかと。
そう、逆に、
必要なアドレス持たせておいてよ、と思うところはありますね。

インターネットで出会った子どもたち:その3

2004年09月09日 | インターネットと子どもたち
さて、「インターネットで出会った子ども」の
女の子の場合なのですが。

まず、りぃさんという10歳の女の子のお話です。
彼女はわたしのHPに現れました。
メールフォームからメールを入れ、
掲示板に投稿を入れてきました。
2年前のことです。

わたしの娘はダウン症です。
これをHPで、どう記述するかなのですが。
まあ、ダウン症の、というのは簡単なのですが、
娘はその人生の中で、いちいちコレがついてくるわけです。
もちろん説明をするのについてくるのは当然なのですが、
ダウン症=娘、というわけではなく、
彼女は彼女として、まず一個の個性を持った人間なわけでして。
そこで、HPの説明文として、娘の記述に関して
「ダウン症という肩書きをもった」と入れてあります。

りぃさんがまず、メールフォームから入れてきたメールは、
この表現が「かわいそうだ」と
わたしを非難するものでした。

そして、掲示板に入れられた投稿が次のものです。

「感想が・・・。
 なんともいえないです。
 かわいそう。けど頑張って!
 ちぃちゃんは普通の子とお~んなじ。
 う~ん・・・・。
 ちぃちゃんへ手紙作ってみました。
 メール送ります。」


なお、この女の子の掲示板の投稿は、
サーバー故障による一部過去ログ消失により、
現在は閲覧することができません。

そして、約束通り
「ちぃちゃんへのお手紙」がメールで送られてきました。
メールは以下の通りです。
本来、私信の公開は避けるべきものとは思いますが、
要約が難しいことや、
この子自身を考える上で
解釈が様々なものになるだろうということもあり、
10歳の女の子という、
本来保護者の保護下におかれるべき年齢の子の
インターネット上の行動を考える上で、
そのまま出すことにしました。

「掲示板に書いたようにちぃちゃんへお手紙です。
 ちぃちゃんへ
 初めまして。りぃです。ちぃちゃんこんばんは。
 私も同じ10歳の女の子です。
 ある日のことを読んでちぃちゃんにメールしたくなりました。
 ちぃちゃん、私はいろ~んな病気の子とお友達だよ。
 顔半分が黒っぽい子もお友達としています。
 足が不自由な子。なかなか上手く話せない子。
耳が聞こえない子。心の病気の子。
お母さんのお仕事場はいろんな不自由なお友達がいます。
 私はたまにお母さんのお仕事場へ行って
いろんな子とお友達になったり遊んだりしています。
 楽しいです。
 もちろん普通の子ともお友達です。
ある日のことを読んでちぃちゃんのことを知りました。
 私はちぃちゃんみたいな子もいるんだなぁって思ったよ。
 ちぃちゃんははっきりいって普通の子だ思うよ^^
 普通にみんなから恵まれているんだから。
 世の中には恵まれない子もいるし恵まれている子もいる。
 不自由だからって気にしなくてもいいの。
 恵まれていればみんなとお~んなじ。
 私も恵まれているよ。
 1人の人に恵まれていればもう充分。
 恵まれていない子は例としてアフガニスタンで
両親をなくした子や、働かされている子だよ。
 その市長さん?はその子供たちを恵んでくれないの。
だからかわいそうにおもうでしょう?
 恵まれている子は一番幸せなんだよ。

 ・・・・・・・・・・

 ごめんね。意味わからなくなってきちゃったね。
 このくらいにしておこうか。

 とにかくまとめは
『恵まれている子は幸せ。特別でもなんでもない。
 不自由だってみ~んな一緒』
 ってことかなぁ。意味わからないんだけど・・・。
(自分でも・・・。)
 むずかしい説明でごめんね~。
 ちぃちゃん、これからも頑張ろうね^^
 みんな恵まれている子同士み~んなお友達だよ^▽^

 バイバ~イ

             りぃちゃんより」


感想は、お任せします。
ここで、わたしが引っかかることなのですが。

10歳の女の子の背後に、保護者が見えないのです。
文中に「お母さんの仕事場」と出てきますので、
それなりに障害を理解する経験は多いのかもしれません。

しかし、もし自分の子がこうした行動を取ったとしたら、
その子の年齢が10歳だったとしたら、
わたしは保護者として、先方に対して、
ご挨拶のメールを入れさせていただくと思います。

10歳の子に対して、
インターネットでここまで一人歩きをさせることを
先方の保護者がどう考えているのか、
非常に気になるところです。
メールアドレスはHotmail、姓名がしっかり表示されていました。

最後に、彼女から
「肩書きという言い方はかわいそうだ」と言われたことに対して、
わたしが入れた返信を出しておきます。

「肩書きね、
 そう言ってしまうのは、かわいそうかもしれない。
 でも、ちぃは、ダウン症の子どもっていう前に
 ちぃちゃんっていう女の子で。
 でも、ちぃちゃんが生きていく中で、
 『ダウン症の』っていうのは、いつも、くっついている。
 HPでは、
 この、いつもくっついてくる部分で、
 いろんなことを考えてみたい。

 それで、ずいぶん、考えたんです。
 どう、言おうかな、ダウン症ってことを。
 そんなこんなで、「肩書き」って言い方をしてみました。
 りぃさんの感想を読んで、このこと
 もういちど、考えてみようかなって思いました。
 これは、ちぃちゃんにきいても、
 あの子がこたえるには、むずかしいことなんです。
 だから、りぃさんの思ったこと、
 ちぃがどう思うか、ちょっと考えてみるヒントに
 なりました。
 どうもありがとう。感謝します。」


*追記*
この記事で、娘に対して「かわいそう」という記述が出てきますが。
彼女はけして軽いとはいえない知的障害を持っていますが、
自己をはっきりと持ち、誰に媚びることもなく、
堂々とした態度で自分の世界を切り開いていく、
ファンを多く持つ、むっちゃくちゃかっこいい女の子です。
わたしは我が子という範疇を越え、
この子の個性がとても好きです。