S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
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ダウン症の赤ちゃん

2006年06月27日 | つぶやき
 ここのところ、17年生まれのダウン症の赤ちゃんのママと話すことが多い。どう話すか何を話す糸口を作り出すか。これはだいたい「合併症はありますか」の一言が糸口になる。ある場合でも無い場合でも、だいたいここから生まれた頃や告知近辺の話が始まる。人には人の数だけドラマがある。
話し方、声のトーン。展開される内容だけでなくそうしたことなどから、その方の言葉以外の現在の気持ちや現在の状態に耳を傾ける。

 大きな衝撃や、乗り越えていく体験というものがあっても、人間とは逞しいもので、少しずつ少しずつ忘れていってしまう。そんなことのひとつひとつを、赤ちゃんのママと話しながら思い出す。

 車は運転できないんです、ペーパーなんです、なんて話。これはよく出る話。病院だのなんだのと、普通の赤ちゃんより出かける用事は多くなる。わたしもそうだった、練習したのよ、ペーパードライバーコースに行ったの。運転したかったの。病院に車で行きたかったの。病院に連れていったときにすぐに入院だと言われて、娘は真新しいベビー服をくるくると脱がされて保育器に入ってしまったの。タクシーで行って電車で帰ったの。まだ暖かみの残る娘のベビー服を手に持って電車に乗って帰ったの。その残り香の暖かさの感触がつらかったわ。それから心臓の手術を経過して、長くかかってやっと退院したけれど、スケジュールが決まっている検査入院のときには絶対に車で行ってやる、って思ってたの。これは入院治療が必要な合併症のある子のママにする話。車の運転がどうのってことじゃない、車の運転にまつわるあの頃の話。
赤ちゃんのママと話していると、わたしの中で時間はさかのぼり、わたしはふわりと飛んであの頃に戻る。

 ダウン症の特徴的な顔貌、筋肉の柔らかさからくる特徴的な仕草なんてのがある。赤ちゃんのときはたいがいの人がそのことに怖れを抱き、外に連れて行くと「ほらあれがダウン症の赤ちゃんよ」なんぞとささやいているんじゃないかと思う。いやなに、大半の人の目には実は単なる赤ちゃん、ってのが現実なんだけれど。

 この特徴的な顔貌、特徴的な仕草、というものが、育っていくと別の観点が出てくる。ダウン症の子どもは生きたアルバム。いくつの子でも、そこに自分の子どもの姿が垣間見られる。ああこんなだった、あんな仕草がかわいかった、と、生きて展開されるアルバム。そしてそこにいるのはあのときの自分。

 あせらないでだいじょうぶ、今の気持ちは今の気持ち。自分といっしょに大事にして欲しい。あなたがあなたを大事にすることが出発だわ。
これはこういう風に解決していくわ、そのことはこんな工夫で超えられるわ、これはこんな風に避けることのできる問題よ。だいじょうぶ、ちゃんと育っていくから。

 全ての不安に原点がある。歩いてきた軌跡の発端がある。たくさんのことを教えられているのは実はわたし自身。

教育の現場と保護者とのコミュニケートの重要性

2006年06月15日 | 障害児の教育
 先日、娘の養護学校で個人面談。
面談の最初にわたしが言う。「先生、あのこと、わたしやっぱり納得できません」
面談できちんと話し合いに持ち込みたいと思っていた。この面談で希望が理解されなければ、各方面にご意見うかがいを始めなきゃと思っていたこと。

 担任が言う、「その件ですが」、緊張して次の言葉を待つ。
「学年会議で取り上げられました、翌日には学部会議で取り上げられました。」
「ってことは?」
「要望通りました」
やった~~~~!!!。

 話し合いたかったこと、納得できなかったこと、というのは音楽の授業の中での一つのシーンに対して。
音楽の授業の中で踊ったりした後に「Cool Down」と称して、全員が寝た態勢を取ること。そのリラックスした中で、行う授業だということ。
わたしが大きく「NO」を出したのは、広いとは言えない音楽室の中で、男性教師や男子生徒の中で「寝た態勢」を取ること。
これは中三の女の子の保護者としては耐えられない、ということ。
男性教師は父親ではないし、男子生徒はきょうだいではない。社会という場において、男性がそばで寝た態勢を取っている中で寝た態勢を取るという経験、その景色の記憶ということが本人に刷り込まれるのは、今後の人生の中で性的被害に遭う可能性を高めるようなものだということ。
人間関係の中で、親しげにする男性にころんと横になられ、ころんと横になることを促され、そこで突然がばっと来られたら、もう逃げようもない。
知的障害を持った女の子がそんな態勢になることに対して違和感を持たなくなるような「経験の積み重ね」を、学校という場でなされることは、とても耐えられないということ。

 会議の中で話し合われたこと、の報告を聞く。
障害の個性ということでそれが必要な生徒もいる、だからといって、全員でそうするということを違和感なく授業の中で展開させるということは、自分たちの感覚の麻痺なのではないか、という意見も出た、と。生徒の年齢をもっと考慮しなければならない、と。中2からも同様のことを考えなければという意見がすでに交わされていたということ。肢体不自由児の養護学校からの転任の場合、そうしたシーンは学校の中で多いので、違和感を持たなくなるということもあると思う、と。なるほど。
今後の授業の中では「座った態勢」という移行をさせていく、と。

 実はコレ、一番最初に連絡帳を通して「おかしい、やめて欲しい」と言ったときに、音楽の教科担任から授業説明が返ってきた。これこれこういう授業でこういう意味がある、と。
それに対して返したのは、「授業の充実はその時間内。でも子どもに与えられる経験と記憶の影響をずっと背負っていかなきゃいけないのは家庭」。

 学年会議、学部会議、ってとこにそうやって持ち込まれていって討議されるってのは、養護学校の強みだと思う。
障害児学級の場合は、下手したら保護者と担任との「主観の一騎打ち」になりかねない。
一騎打ちをやったとしても、その話し合いが物別れになったとしても、担任に授業内容変更の意志が無ければ、そのまま指導は続行される。解決は難しい。
学校という教育現場で得た経験の記憶というものの影響に対して、その子どもの人生の中で責任を取っていくのは保護者であるということ、そういう視点が教育者側にわたしは欲しいと思う。

 娘が小学校に入ったばかりの頃、新聞の地域版にある訴訟の報道が小さく載る。障害児学級の「指導」において、裁判という場に持ち込まれた話。「いただきますを言わなきゃ給食を食べたらいけない」という指導。これを「給食を食べさせない虐待だ」と保護者が訴えたもの。
判決は保護者勝訴。「いただきますを言わなきゃ給食を食べたらいけない」という指導があっても、食を禁止すべきではなかったということ。教師側は「禁止したわけではない」としても、本人が支援なくあけられないパッケージを教師があけてやらなかったということは、禁止と判断できるというもの。

 この報道、それが虐待かどうかということ以前に、やっぱり注目すべきことは、裁判という場に持ちこまれなきゃならなかったほど、教師と保護者のコミュニケートが取れていなかったということ。
どこで誰のどんな個性や主観が影響してコミュニケートに困難が生じたのか、それは全くわからない。
でも障害をもつ子の教育という上で、保護者と教師のコミュニケートってのは、やっぱりとても重要なことだと思う。

「自尊心」考

2006年06月12日 | つぶやき
 人間は失敗や挫折を味わったときに、次のどちらを言われた方が、より生産的な方向へ進むことができるだろうか。
A. だからアンタはダメなのよ。ちゃんと反省してこれからを考えなさい。
B. あなた自身が乗り越えて解決していく可能性を、わたしは信じる。
 Aの場合は、思考の中で、ずっと挫折感や自己卑下を持ち続けていくのではないかと、わたしは思う。
反省、後悔なんてことは、失敗や挫折を味わったときには、わざわざ言われなくても充分に味わっているんじゃないかとわたしは思う。

 Bの場合は、思考の中で経験から「その先」へと続く希望を持って、失敗や挫折と向かい合っていけるのではないかと、わたしは思う。
誰かから信頼されること、生の存在、生き続けるということ、その上での可能性を信頼されるということは大きな力となる。
「ピンチはチャンス」、経験から拾うことができる「宝の山」というものがある。
その「宝の山」を前にしても、自己卑下で下を向いていれば、見えるはずが無い。
実に実に、もったいない。

 生きていくという上で、失敗や挫折なんてものはくさるほど出てくる。
そのときに大事なことは「どんな経験をしたか」ということ自体ではなく、「経験から何を拾ったか」ということなのではないかと、わたしは思う。
失敗の数だけ「宝の山」を拾っていけばいい。

 「自尊心」は、自惚れや高慢とはちがうと、わたしは思う。
自惚れや高慢は、自分の視界や視点、熟慮の幅を狭くする。
このことは「自分を大事にする」こととは逆行する。
本当の意味で「自分を尊ぶ」ということは、自惚れや高慢ではなく、謙虚さを呼ぶのではないかと、わたしは思う。
そもそも謙虚さを持たなければ、経験ということで発見する「宝の山」は見つけられない。

 「自尊」という心は、自己の現在の姿だけでなく、自己のマイナス面さえも受け入れ、そして自己が存在することそのものを尊重、つまり「成長する未来」という可能性をも視野に入れるものだと、わたしは思う。

 自己を「マイナス面を含めて『受け入れる』」ことは、他者に対しても同様のことを思考するトレーニングを積んでいることにつながっているのではないかと、わたしは思う。
すなわち、「自尊」という心は、「他尊」にもつながっていくのではないかと、わたしは思う。

 とは言いつつ、子どもに対して生活の中で、「A」の言い方が口をついて出てしまうこともあるわけで。
あっと口を押さえ、そして自省の道順を教えてやり、見つけられること、失敗のその先の糸口の見つけ方なんてものを、教えてやる毎日。「これこれこう考えて、こうやっていけば逆転よ~」と言うと、ぱっと輝かせる顔を見るのはなんとも楽しい。
そうしたまだ「手の内」にいる我が子だけれど、成長の中で、もっと手痛い失敗や、深い挫折を感じることも出てくるだろう。
その成長の中で、いつか「自尊」を中心とする思考が、我が子の「標準」になって欲しい。
 
(2005年5月29日記事、加筆修正)