S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

障害児と障害児のきょうだい児における「機器利用」

2006年08月29日 | 「障害」に関わること
1.障害児の位置検索機器
 娘の自力通学には、位置検索機所持が必須。位置検索機が存在するからこそ、挑戦できることでもあったと思う。
 我が家では、その障害児の位置検索機器を、P-doco miniから、キッズケータイに変更。理由は、以下のとおり。
  ・ドコモがPHSサービス終了を発表したこと
  (P-doco miniを利用した位置検索サービスも当然使えなくなる)
  ・新位置検索サービス「イマドコサーチ」の位置検索の正確性に期待したこと
   (PHSの位置検索は誤差が大きい)
  ・本人に電話に関してのスキルを身につけさせたかったこと
   (使える能力が無くても「電話をかけてください」と人に依頼するスキル)

2.「障害児のきょうだい児」との特別ラインとして機能する携帯電話
 わたしは携帯はボーダフォン社を利用。P-doco mini導入時にボーダフォン社の解約を含めて考えた末に、ドコモのハーティ割引を利用して、ドコモ機器を新たに契約。娘の位置検索モニター専用機として機能させることにした。これで娘に何かあったときには、位置検索をかけながら電話することが可能。

 この携帯を娘に関しての位置検索に使用しない時に使用するやり方として、新たな効能を発見。それは娘と息子と二人連れて外出するときに、息子に持たせるということ。
 娘と息子と、行動のパターンとその手のかかり方は全然違う。わたしの手と視線は、自ずと娘にばかりいくということはケースとして多い。また、常に娘の行動パターンに息子を合わせるのはかわいそうだという感覚もある。その解決に、携帯という機器が力を発揮するというわけ。

 たとえばなんらかのイベントを見に行く。息子はさまざまな興味を示して、ばたばたと行動したい。しかし娘はそういう行動を好まず、また息子のペースにはついていけず、そしてこういう場で娘は一人で行動したがり、うっかり目を離すと、あっという間に迷子になる。わたしの視線は自ずと娘にべったりと貼り付く。息子にはなかなか気を配ってやれない。
 そこで機能する携帯。彼の首に携帯をかけて自由な行動を許可する。何かあればわたしは電話で彼を呼び、また何かあれば彼は電話でわたしを呼ぶ。このことが半ば習慣になったときに、見えてきたひとつの線があった。

 息子に聞く。推測した回答を得る。つまり、息子は自分が母と特別なラインを所持しているという感覚。生活の中で存在するある特定の場面において、娘に対していわばアナログ的に気を配り、息子に対していわばデジタル的に気を配る、とでも言えばいいのだろうか。この「特別なライン」が存在しなかったら、彼はこうした状態において「障害を持つきょうだい児の存在によって淋しさを感じる」という気持ちをもつ可能性があったのではないか。そのことを軽減できたのでは、という仮説。

 小学生に携帯をもたせて使用させる、ということは、賛否両論あるだろうと思う。しかし、障害児のきょうだい児としての息子にとっては、それは携帯の機能以上に精神的に機能しているのだという実感。これは大きかった。携帯をもつ、ということがまあ普通という年齢に達したときには、こうした「特別なライン」なんぞもう必要なくなっているだろうと思う。通常のケースで年齢を語るというのとは、少し違った側面があると思う。

 ただし、携帯を持たせても事件に巻き込まれることはある。そのことは忘れてはいけないと思う。だからこそ、キッズケータイという商品が生まれたのだから。
 息子に関して今回キッズケータイを考えなかったのは、すでに6年生、もうキッズ機の年齢ではないよな、ということ。機器を「特別なライン」維持のためにちょっと貸し、の時期は、あと数年だろうと思う。(ちなみに「特別なライン」開始は4年生)

 思えば息子が幼児期の頃、ほぼ双子状態だった日々。娘の手を引いてゆっくりと歩くペースに幼児の男の子である息子は合わせられず、一人走って交差点を渡ってしまった日の光景。変わる信号、交差点のむこうとこちら。行きかう自動車と戻りたがる息子。それを押さえてくださった、その場にいらしたご婦人。
 信号が変わり交差点を渡り、危険だと叱る。二度とやってはいけないと叱る。きょうだい児という複数の子どもが家庭にいれば、それはありうる光景かもしれない。それでも、障害児のきょうだい児には、年齢を重ねても、形を変えて同様の原因による叱責の可能性は常にあるだろうと思う。「障害」という側面をもって、特定の能力に関して「育たないきょうだい児」を彼は抱える。

 その叱責に、孤独を感じないか、と思う。そう思うのは考えすぎだろうかとも思う。でも、わたしは娘の障害について考えるのと同じように、息子が背負うもの、そこに起因する孤独というものを考えていたいと思う。それは考えすぎくらいな程度の方が、息子にきちんと伝わるのではないかと思っている。渡せるときに渡せるものを渡しながら、傷や曇りや孤独の無い形で親離れの時期を迎えてほしい。

初めての子と二番目以降の子と一人っ子と、そして独自の環境と

2006年08月13日 | つぶやき

嫌なことを「嫌だ」と言うこと /明けぬ夜の夢
 自分の行動の判断基準が「自分がどう思うか、どうしたいか」はなく「他人にどう思われるか」ということになっていると、自分を責めたり、「嫌だ」と言えなくなってしまうような気がする。

 以下、心理研究でもなんでもなく、わたし個人が勝手に思うことを脈絡なくぶつぶつと。

 嫌なことを嫌だと言うことが難しいタイプの人に、やみくもに「嫌な時は嫌だと言っていい」と言っても、それは何の解決にもならない気がする。そしてこのタイプは自分の親にとって「最初の子」という立場の人が多いような気がする。

 初めての子ども、というものは、単なる子どもではなく特別な存在のものだと思う。期待やら親の親としての評価やら親の余裕の無さやら、そういうものを一手に引き受けてしまう。

 一人っ子は我が儘だという言い方がある。わたしはそれに異論を唱える立場だと自分は思う。いわゆる一人っ子というものは、親の愛情というものを堂々と受け入れ、「愛される子」として育つ。「愛される子」として育つものはしあわせだと思う。

 初めての子、という立場を負う人間は、自分より下の子に、親の緊張感が抜けた状態で親が子どもをかわいがる姿を見てしまう。そうした親の姿を見ながら、どう自分のアイデンティティを構築していくか。これは自分の両親にとって最初の子どもであるという立場を背負わされた子どもの宿命のようなものがあると思う。

 自分より下のきょうだい児に、自分の親が見せる「緊張感が抜けた姿」を認識しつつも、初めての子というのは、その成長の中で、常に親の「初めて」の緊張を背負わなければならない。親にとって最初の子の就学は緊張を伴い、最初の子の進学は緊張感を伴い、最初の子の、と、成長の中でそれはずっと続いてしまう。最初の子はそれをずっと背負わなければならない。自分の下のきょうだい児に対して、親の緊張感が抜けた姿を確認しながら。

 親というものは、最初の子に下される他者からの評価を自分に対しての評価のように受け取るのだと思う。だからこそ、最初の子は、他者からの評価というものに不自由な感覚を持ってしまう人が多いのかも知れないと思う。他者からの親の評価と、親自身の評価と、それを一手に引き受けなければならない状況に陥る可能性は高い。

 最初の子、というものは、「悪い子」になるのは難しい。それは親が最初の子に対して「悪い子」になることを許さない余裕の無さというものが関係していると思う。親は最初の子に対しては、常に初心者で、親としての緊張感は続くのではないかと。それをまんま、最初の子に流してしまう危険は高い。

 いわゆる一人っ子も、その最初の子という立場を背負いはするが、成長の中で、親の緊張が抜けた姿であるきょうだい児の姿を見ることは無い。これはこれでしあわせなことなんではないかとも思う。それだけ最初の子に科せられるものは、大きいのではないかとわたしは思う。

 最初の子、というものにとって、親離れ子離れというものは難しく、しかし常に重要なものではないかとわたしは思う。子が意識して意識下の親殺しをやっていかなくてはなかなか自由になれないものなのではないかとわたしは思う。親は最初の子に対して、本人の価値観の育成を意識することを行うことは、子どもを大人にする上で重要な作業なのではないかとわたしは思う。

 思春期の反抗は、人間の成長の中でとても重要だと思う。複数の子どもをもつ親は、最初の子の思春期の反抗が芽生えるかどうかに対しての意識というものを、最初の子を自由な大人にしていくために重要なことととらえていくことが必要なことなのではないかとわたしは思う。それは最初の子を自分の羽の内から羽ばたかせていくために、とても重要な作業だと思う。
 しかし、親は最初の子に対しての緊張感から、なかなか最初の子の思春期の反抗を許さない。その現実というものを最初の子が独自に渡っていくことは、簡単なことではないと思う。

 と、そんなことを考えていた自分のところには、イレギュラーな構成が生まれて、人生というものは不思議なものだと思う。知的障害児の上の子と、障害というものをもたない下の子と。
 どちらも最初の子のような側面を持ち、どちらも二番目の子のような側面を持つ。運命の展開というものはおもしろいものだと思う。

 そしてわたしは二番目の子どもである息子に対して、障害をもたない最初の子としての緊張感を持ち、その影響を与え、そして障害児のきょうだい児としての環境を負わせる。その環境全てを彼が彼の手で、自身の生育歴を、その人生の有効なカードとしての側面を持つという可能性を持たせるにはどうしたらいいかと思う。

 障害をもつ子どもに対しての「教科書」はたくさんある。しかし、こうした特異な環境をもつ息子に対しての「教科書」などどこにもない。わたしはわたしのために、そして他でもない彼のために、この特異な環境にふさわしい「教科書」を、わたしは独自に模索し続ける。