S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

そして、「その先」へ

2004年09月02日 | ブログ開設とその後
ブログという世界を体感していく中で
はっきりと見えてきたことがありました。

それは「gooブログ」という媒体に関しての
セキュリティの盲点です。

・コメント部に、特定のIPを拒否できる機能が無い。 
・トップページにアクセス解析ツールを貼り付ける等の
 個人でできるセキュリティ対策を持つ選択が許されていない。


つまり、「gooブログ」は
トラックバック等、他者との交流の可能性を与えながら、
その先にある危険の可能性としての「荒らし行為」に
非常に弱い媒体だということです。

通常のHPの掲示板と、ブログとの違いは、
後者の持つ、他者との交流の可能性の広がりから、
通常のHPの掲示板よりもブログの方が
「荒らし行為」に遭遇する危険性が高いということでもあります。

「荒らし行為」を行う人間には、
その行動の動機と理由があるのかもしれない。
しかし、わたしは、
「荒らし行為」を行動として行った時点で、
その理由には、もはや正当性は皆無だと認識しています。

ネットの世界で起こりうる「荒らし行為」の出現に対して、
対策のシステムが弱い中で生きようとすれば、
実際に攻撃をかけられたときに
退会を含めた妥協に屈せざるを得ないか、
かなり毅然とした態度を取る覚悟を持つか、
その選択を迫られる可能性があるということです。
また、対策のシステムが弱い中で生きるということは、
匿名性を生かすという選択はできても、
実名及び、
実在の組織や集団、特定の場所等の
個人情報を出すことも選択は難しい。

こうしたセキュリティの盲点を現実に持ちながらも、
「絵文字で楽しむ」というツールは提供され始めた。

わたし個人としては、
手がけるサービスの重要度の認識として
とても疑問を感じるところではあります。

もちろん
ユーザーは、場を選ぶ権利があります。
不満があれば、場を変えればいいだけのことです。

しかし、わたしは、
「そういえばIDを持っていた」という安易な感覚ではあったけれども、
選択として、gooを選んだ。
そして、生き始めています。
IP拒否ができるコメント部も、できないコメント部も
結局は、たかがツールなのではないかと。
インターネットという場で意思表示をしていこうと思えば
所詮、危険は当たり前のようにつきものだと。

はっきりと地に足をおろし、
堂々と前を向き、
視線を得られるものがある方向に向け、
ここに、いろいろなことの
「その先」という可能性が見続けることができると思う限り、
必要だと思われる覚悟を持ちながら、
ここに自分のペースで生き続けてみようと思っています。

ブログとトラックバック

2004年09月02日 | ブログ開設とその後
「与えられる経験」により、世界はまた広がり、
わたしはトラックバックというものを打たれること、打つことを
経験していきます。

HPのコンテンツとしての文章記載や掲示板、
これらとブログとの大きな違いのひとつが
「トラックバックの存在」

トラックバック、
この特性をどう解釈し、どう扱うかは
個々人の主観と個性という上で相違があるとは思います。
以下がわたしの解釈でした。

・リンクとトラックバックとのちがいは、
 相手のブログに「逆リンク」の表示を行うこと
・トラックバックとは、
 元記事に対して、単に「リンク報告」を行うことではなく、
 元記事に対して、「思考や情報の共有を申し出る」こと
・元記事側としては、
 「共有の申し出」を受け付けるか否かを決める自由があり、
 申し出られた共有によっては
 個人の主観をもって否定し、削除の自由を持つことができる


誰かと思考や情報を共有すること、
その共有の先にはプラスに向かう発展が欲しい、
と、わたしは思います。
ひとりが投げた小石が、他者との共有において発展していくこと。
これがトラックバックの持つ、無限の可能性なのではないか、と。

ブログという媒体にある特色に、
可能性というものがあるならば、
その可能性の先にある「財産」にチャレンジをしかけてみたい。

「文字だけで伝わることを信じたい」は、
そんな思いを込め、
タイトルにも発展形を考えながら打ったトラックバックでした。
                            (つづく)


与えられる経験

2004年09月01日 | ブログ開設とその後
記事投稿を続けるうちに、
コメントというものが入り始めました。

わたし自身の経験の中で、ある流れというものがありまして。

「渡辺春香」という謎のの女性からのメールが飛びこんできて、
これはなんだろう?と思いながら、
ふと、思いついて、検索を始めたこと、
そして、ヒットするものから情報を得たこと。

入り始めたコメントは、
この流れの中で、検索でやっていらしたものでした。

「スパムだったんですね」
「うちにも来てます」

こんな感じのコメントが残されたのは、
やはり「渡辺春香」の影響力なのでしょう。

さて、わたしの思考は、
まだまだ列挙しながらの進行形でしたから、
答えるレスも簡単に進み、さらに記事投稿を続けていきました。

そしていよいよ、思考も記事投稿も、
自分の目指した「その先」に向かいつつある頃、
わたしは「二つの出会い」を手に入れていきます。
この「二つの出会い」でわたしは、
「その先」に対してのサジェスチョンを与えられ、
「与えられなくてはできない経験」をさせていただき、
また、わたしの進み始めた思考を「聞かせられる」というおつきあいをいただき、
大変お世話になりました。
このお二人が、
わたしの進み始めた思考を「聞かせられる」ということにおつきあいくださったことで、
わたしは「話す」ということから、
また「その先」を見つけていくことになりました。
本当に感謝しています。

こうしてわたしは、
自分のところが登録されるまで存在さえ知らなかった「BlogPeople」を知り、
トラックバックを打たれるという経験をし、
ブログというものを経験の中で知っていくことになったのでした。
                        (つづく)

Special thanks to: 小ト短調さん &  π氏

開設から記事投稿へ

2004年08月31日 | ブログ開設とその後
ブログを開き、
投稿を入れ始めたのが8月9日。
初投稿の内容は、やってきたスパムの紹介と
短文のコメントです。

コメントは、短文で、おさえました。
表面上は短文ですが、
この短文のコメントを入れるために、
かなりたくさんのページを開きました。

思うところはたくさんありましたが、
とりあえず、意識してコメント部を短文におさえたところはあります。
それは、無理に疾走して息切れすることになれば
自分が持たないと思ったからです。
わたしはせっかく開いた「場」を
自分のために、大切に扱いたかった。
まだまだ、この手のメールは自分のところにありましたし、
それを列挙しながら、
列挙するときに調べるページを見ながら、
生まれていくこともあるだろうと思うところもありました。

開いたページには、
ブログもありましたし、
普通の日記サイトも掲示板もありました。
ページとして、それを出さなかったのは、
自分にとっては、
どこもリンクするまでには価しなかった。
「自分の知りたいことが話題に出ている」のみが
抽出される情報でした。

わたしの欲しいのは、
その「問題」の「その先」で、
自分にとっての興味や関心は、
まさに、「その先」でした。

ブログを開いたということ、
そのページの存在、
それは誰にも知らせずにすすめていました。
自分が公開された、インターネットの「海」に出した道標は、
ただgooの「新着ブログ」と「新着日記」、そして「ブログ内検索」のみでした。
その膨大なリストの中から、誰かがピックアップして
やってくるとまでは思っていませんでしたし、
まだまだ、「公開」というレベルではなく、
自分にとっての「思考」の布石を積んでいる段階でした。
それでも、
公開された場に出していくことは
元々の思惑通り、
「表明の緊張感」を充分に感じるものでした。
「表明の緊張感」とは、
自分の出す言葉に対して、責任を持っていくことの緊張感で。

受信したメールの列挙と、短文のコメント。
表面上に出てくるのはコレだけでしたが、
そのために自分が調べるページの多さと
そこで自分が拾い始めるものに対して、
わたしは高揚感を感じ始めていました。

自分の持った「ブログ」というものの認識、

ブログというものは、
自分の開いた「家」で、
「広く他者に向かって、意見交換の可能性を提示できる」
場であると、解釈したのです。
(「ブログ開設まで」から引用)


ここに行くまでの、
まだまだ準備段階と思いながら、
緊張感と高揚の中、
わたしはせっせと投稿を入れていきました。
                    (つづく)

ブログ開設まで

2004年08月30日 | ブログ開設とその後
ブログというものの存在に関して、意識を向けたのは
3月頃だったと思います。
あるサイトで知り合った方とメールで話していて、
彼女がわたしに示したリンク先が
★日本沈没中★---危機感の無い日本人が日本を沈める「愛の反対は何?」
でした。
そして、このことを題材に会話をしていたのですが。

このサイトを見て、非常に興味深く感じました。
それまでは、ブログのことをよく知らないまま、
というか、よく知る必要性も感じないままに
単なる日記サイトとでも思っていたのですが、
「テーマを持った意見交換の交流の可能性がある媒体」
と、認識が変わりました。

ネット上の意見交換の交流としては、
サイトの掲示板というものがありますが、
これはどうしても管理人主体になる部分があると思います。
それは、管理人が管理をしている以上、
管理人の「お宅」であり、
「他人の家でここまで言っていいものか」的なニュアンスも
あるのではないかと。
ブログというものは、
自分の開いた「家」で、
「広く他者に向かって、意見交換の可能性を提示できる」
場であると、解釈したのです。

そんなことを思いつつ、日々は流れます。
ネット上において、
日常的に顔を出す掲示板が、
自分が管理の場もありますし、
他者が管理の場もありますし、
それなりに、また、時間は流れていったというか。

そして、そんな自分のところに、
わけのわからんメールが増え始めて、
そのことに関して、考察したい「欲」が出始めました。
最初は自分の管理する掲示板に
ぶつぶつと並べ立てていましたが、
感覚が変わったというか。
このスパム群に関しての考察に、
その掲示板のメンツをつき合わせたくなかったのです。
そこは、わたしがこの4年間、ずっと大事にしてきた場であり、
大事な応接間でありまして。
そこで、ホストが長すぎる歌を歌い過ぎるのはちょっと。。。
と言った感じでしょうか。
そりゃ、掲示板の投稿ではなく、コンテンツだろ?
みたいな感もありましたし。

自分の思考としては、もっと考察を重ねたかった。
でも、それはここではない、と感じたのですよね。
自分の考察を、誰に相手にして欲しいというわけでもない、
ただ、公開されるところで意見を表明していくことは
わたしにとっては緊張感を伴うものであり、
その適度な緊張感は、
非常に考察にプラスになる、という感覚が
これまで養えてきたものでありまして。

んじゃ、コンテンツだろ?
なんですが、
自分のHPで取り上げるのは、「違う」。
HPの主要テーマとは離れるわけです。

で、思い出したのが「ブログ」ということで。
おお、そういえば、gooのIDもあったではないか。

と、いうことで、
「開いていく」ことになったのでした。
(つづく)