ブログという世界を体感していく中で
はっきりと見えてきたことがありました。
それは「gooブログ」という媒体に関しての
セキュリティの盲点です。
・コメント部に、特定のIPを拒否できる機能が無い。
・トップページにアクセス解析ツールを貼り付ける等の
個人でできるセキュリティ対策を持つ選択が許されていない。
つまり、「gooブログ」は
トラックバック等、他者との交流の可能性を与えながら、
その先にある危険の可能性としての「荒らし行為」に
非常に弱い媒体だということです。
通常のHPの掲示板と、ブログとの違いは、
後者の持つ、他者との交流の可能性の広がりから、
通常のHPの掲示板よりもブログの方が
「荒らし行為」に遭遇する危険性が高いということでもあります。
「荒らし行為」を行う人間には、
その行動の動機と理由があるのかもしれない。
しかし、わたしは、
「荒らし行為」を行動として行った時点で、
その理由には、もはや正当性は皆無だと認識しています。
ネットの世界で起こりうる「荒らし行為」の出現に対して、
対策のシステムが弱い中で生きようとすれば、
実際に攻撃をかけられたときに
退会を含めた妥協に屈せざるを得ないか、
かなり毅然とした態度を取る覚悟を持つか、
その選択を迫られる可能性があるということです。
また、対策のシステムが弱い中で生きるということは、
匿名性を生かすという選択はできても、
実名及び、
実在の組織や集団、特定の場所等の
個人情報を出すことも選択は難しい。
こうしたセキュリティの盲点を現実に持ちながらも、
「絵文字で楽しむ」というツールは提供され始めた。
わたし個人としては、
手がけるサービスの重要度の認識として
とても疑問を感じるところではあります。
もちろん
ユーザーは、場を選ぶ権利があります。
不満があれば、場を変えればいいだけのことです。
しかし、わたしは、
「そういえばIDを持っていた」という安易な感覚ではあったけれども、
選択として、gooを選んだ。
そして、生き始めています。
IP拒否ができるコメント部も、できないコメント部も
結局は、たかがツールなのではないかと。
インターネットという場で意思表示をしていこうと思えば
所詮、危険は当たり前のようにつきものだと。
はっきりと地に足をおろし、
堂々と前を向き、
視線を得られるものがある方向に向け、
ここに、いろいろなことの
「その先」という可能性が見続けることができると思う限り、
必要だと思われる覚悟を持ちながら、
ここに自分のペースで生き続けてみようと思っています。
はっきりと見えてきたことがありました。
それは「gooブログ」という媒体に関しての
セキュリティの盲点です。
・コメント部に、特定のIPを拒否できる機能が無い。
・トップページにアクセス解析ツールを貼り付ける等の
個人でできるセキュリティ対策を持つ選択が許されていない。
つまり、「gooブログ」は
トラックバック等、他者との交流の可能性を与えながら、
その先にある危険の可能性としての「荒らし行為」に
非常に弱い媒体だということです。
通常のHPの掲示板と、ブログとの違いは、
後者の持つ、他者との交流の可能性の広がりから、
通常のHPの掲示板よりもブログの方が
「荒らし行為」に遭遇する危険性が高いということでもあります。
「荒らし行為」を行う人間には、
その行動の動機と理由があるのかもしれない。
しかし、わたしは、
「荒らし行為」を行動として行った時点で、
その理由には、もはや正当性は皆無だと認識しています。
ネットの世界で起こりうる「荒らし行為」の出現に対して、
対策のシステムが弱い中で生きようとすれば、
実際に攻撃をかけられたときに
退会を含めた妥協に屈せざるを得ないか、
かなり毅然とした態度を取る覚悟を持つか、
その選択を迫られる可能性があるということです。
また、対策のシステムが弱い中で生きるということは、
匿名性を生かすという選択はできても、
実名及び、
実在の組織や集団、特定の場所等の
個人情報を出すことも選択は難しい。
こうしたセキュリティの盲点を現実に持ちながらも、
「絵文字で楽しむ」というツールは提供され始めた。
わたし個人としては、
手がけるサービスの重要度の認識として
とても疑問を感じるところではあります。
もちろん
ユーザーは、場を選ぶ権利があります。
不満があれば、場を変えればいいだけのことです。
しかし、わたしは、
「そういえばIDを持っていた」という安易な感覚ではあったけれども、
選択として、gooを選んだ。
そして、生き始めています。
IP拒否ができるコメント部も、できないコメント部も
結局は、たかがツールなのではないかと。
インターネットという場で意思表示をしていこうと思えば
所詮、危険は当たり前のようにつきものだと。
はっきりと地に足をおろし、
堂々と前を向き、
視線を得られるものがある方向に向け、
ここに、いろいろなことの
「その先」という可能性が見続けることができると思う限り、
必要だと思われる覚悟を持ちながら、
ここに自分のペースで生き続けてみようと思っています。