S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

続々・プレイやん

2005年02月28日 | 音楽
プレイやん
購入後、チェックし、ケチをつけ、自分の購入理由などを分析しつつ。

結局、到着日からMP3プレイヤーとして大活躍中
毎晩、寝るときに充電する、フル使用状態。

使用SDカードは、256M。
簡単に曲の入れ替えができるのが良。
「外出時に簡便に持ち歩ける」ということがもちろんなのですが、家事中にエプロンのポケットに入れて耳にヘッドフォンつけて家の中を歩き回っております。
家の中の好きな場所で、ヘッドホンを抜いて、スピーカーを使って聞いております。
スピーカーで聞く音質は、ヘッドホンで聞く音質より悪い。
いいの。
こんなに簡単に持ち運びできるコードレスのスピーカー付き再生機なんだから。
そう思うと、スピーカーで聞くときの音割れがあっても「聞けるだけで満足」している自分。
「良い音質」で聞きたいときは「聞ける時間」に聞くからいいの。

現在。
コード巻き取り式耳掛けヘッドホンが、欲しい。
2000円から3000円弱の製品を、電器屋で「ぼーっと見つめ」たりしております。
「消費は消費を呼ぶ」
という原則を実感する日々。

*今日のSDカードの「中身」
BUMP OF CHICKENのアルバムから好きな曲のピックアップ10曲。
LOVE PSYCHEDELICO「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA」
槇原敬之「EXPLORER」

「障害」と「尊厳」

2005年02月26日 | ○○さんにトラックバック!
「障害児を育てる」ということは、わたしにとっては、「今まで知らなかった世界」の扉が開くことでもありました。

「障害」というものの概念の扉を開いていったときに、そこに見出したものは「自分というものの尊厳」というものでした。
プラスになると人から思われるものも、マイナスになると人から思われるものも、全て「自分」というものの「存在」自体の「尊厳」である。
「障害」というものを持つ、ということは、そのことを哲学的に広げていかなければならなくなる。
逆にいうと、「自分というものの尊厳」に関しての思考を、無限に広げていく可能性を持っているのかもしれないとも思う。

「魔法の手の子どもたち―『先天異常』を生きる」という書籍は、「障害について」を超え、自分自身の尊厳を持つということの大切さを考えさせる名著だと、わたしは思います。
この本は、友人に借りて読み、この名著を自分のものにするために買い直しました。
この本を読んでから、ずっと頭を離れなかったのは、「プロローグ 電話の向こうの人生『障害』を心に閉じこめて」という部分です。
自分の持っている一つの「部分」に関して、誰からも「直視」されず「言及」されず、結果的には「無視」という形で否定され、そのことで自分自身が「直視」することを許されず、自分自身を認められなくなっている人の「悲痛な叫び」がそこにありました。
「部分」の否定は、全てを肯定することを許されないことにつながっていく。

娘が予防接種を受け始める時期「MMR」が「危険な予防接種」として話題になっていました。
幸運なことに、娘が受け始める時期には、このことが大きく問題化され、法律が変わり、この「危険なワクチン」を接種する必要がなくなりました。
「危険なワクチン」を接種する必要がなくなったのは、喜ぶべきことです。
しかし、その陰に、亡くなった命と後遺障害を負った命は存在するわけです。
わたしはこの「事実」を知ったときに、思いを馳せたのは「母親に対して」でした。
予防接種を受けるために、注射を嫌がる我が子を「押さえつけて」接種させただろう「母親」に対してでした。
わたしがそこで思っていたのは、その「事実」に対しての「同情」ではなく、この被害に遭った「母親」たちが、そのことでずっと背負っていく「自分に対しての他者の解釈」ということです。
子どもだけではなく、そういう「他者の目」、そして「自分の後悔」という「障害」を背負わされていくのだろうなと。
それは、たまたま、その方だった。
誰もが背負う可能性を持っていた、という思いもありました。

さて、前述の「障害」に対して、もう一度。
「障害」というものの概念の扉を開いていったときに、そこに見出したものは「自分というものの尊厳」というものでした。
プラスになると人から思われるものも、マイナスになると人から思われるものも、全て「自分」というものの「存在」自体の「尊厳」である。

「ゆうくんちの日常」「もうひとつの誕生日」を読む。
そこに、わたしは一人の「母親」が歩いてきた日々を思う。
また、彼女自身が背負わされた「障害」を思う。
しかし、それもまた、彼女の「『自分』というものの『存在』自体の『尊厳』」のひとつなのだと思う。
彼女の背負わせられた「障害」の精神的な部分は、誰もが踏み込むことのできない「結界」だと思う。
しかし、その「結界」自体が「存在」することを、わたしは彼女の「尊厳」として肯定する。

「ゆうくんちの日常」のリエさんにお会いした日、わたしは彼女にひとつの「歌」を贈りました。
もともと好きだったその「歌」ですが、この「歌」ほど、彼女にマッチしているものはないだろうと思った。
その「歌」の「歌詞」はコチラです。

「ゆうくんちの日常」「もうひとつの誕生日」にトラックバックです。

ぶつぶつ

2005年02月24日 | つぶやき
「今週、妻が浮気します」、発売。

で、ふと思う、「日常」の話。

なんというか、
聞かされても、相づち自体をどう打っていいか困惑し、
曖昧な聞き方をしてしまう話、
「人妻の不倫」もしくは「人妻の不倫寸前の盛り上がり」に関しての「当事者談」。

いや、肯定も否定もしたくないんですよね。
と、いうより、関わりたくない、というのがホンネ。
聞くという行為により、「立会人」になりたくない、というか。
倫理がどうのということよりも、
無関係の他者に対して「黙ってるのが、大人の責任」のような気もするし。
聞かせる相手を作って「盛り上がる」のは、違うだろ、と。
思考するために「耳」がいるなら貸すけど、「盛り上がりの観客」が必要なら、他をあたって欲しいな、と。

なになに?
と、身を乗り出して聞きたくなるような、
と、「一般的に」は思われるワードを出されても、
反応のニブイ笑みなど浮かべて、誤魔化すワタクシであります。

アンタの人生でしょ。
勝手にやってちょうだいよ。
と、思う。
言わないけど。
まあ、反応がニブイ相手に話してもつまらんようで、そこで終わるけど。

折しも、また、「変なメール」がやってきまして。
件名:「ママさんバレーチームからのメールです」
内容は、ママさんバレーチームでの「雑談」から、「合コンのセッティング」へ、そして「男性を人妻に紹介する場へと変化していきました」というもので。
まあ、新手のアダルト系スパムなのですが。
なんか、いつものスパムより、変なリアルさがあって、ヤだ。

「人妻嗜好」の方、
スーパーでナンパ、という手口があるようで。
10キロの米買った主婦に声かけて、駐車場まで持ってやったり、自宅まで運んでやったりするらしい。
そして、「米以上の仲」におなりになる、と。
この「米男」。
「優しい」と、すこぶる評判がいい。
「ココだけの話」と、「恋愛」として話されたこと、複数件アリ。
最初は「笑った」けど、二度目から笑えなくなった。
ニョーボが荷物持たされて、亭主が涼しい顔してる親子連れを見かけると、ふと思い出す、この「米男」。
ニョーボの「隙」を作ってるのは、亭主なんだろうな、と。

「今週、妻が浮気します」、発売。
世の亭主族、何思う。
などと、戯れ言。

「支援」と「楽しむという要素」と

2005年02月23日 | つぶやき
「障害児 自力通学」という語句でGoogleでの検索をすると、以前は二つの記事がトップページに来ていたのですが、現在は「自力通学」というカテゴリーがトップに来ています。
どうせ検索で出てくるなら、整理した形で、と思っていたので、一応は満足というところです。

さて、娘の自力通学支援に関しては、「自力通学」というカテゴリーを参照いただくということで。
4月から支援を始めた娘の自力通学ですが、秋頃には「完成間近」というところまで行き、実際娘が家を出た時刻からかなり遅れて家を出て、最寄り駅近くですでに電車に乗って動いている娘の位置をP-doco?miniで確認するのみで帰宅したことも何度もありました。
それも全て「できるということは、それ以外のことをやらないこと」という信頼の元でのことだったのですが。
しかし、「自力通学」というカテゴリーに出しているように、娘の二度の「独自行動」によって、この信頼は崩れるわけで。

再び「学校到着まで確認」する毎日が始まっております。
二度の「冒険」が娘に与えた「プラスの経験」という要素を信じつつも、一度は「いらなくなった」支援を再び自分に課するのは、正直、気持ちの負担感は大きかったです。

わたしの場合、この負担感を一掃するのが、「移動中の耳に音楽」です。
何のために毎朝「行って帰って」をするかということ、このことを考えずに淡々と日々をこなすのには、「娘がどうした」「娘のためにどうする」とかということから離れ、その時間自体を「自分の楽しみ」に集中させるのが一番。
一度目的意識を持ってどう行動するかということを決めたなら、その後はそうやって目的意識と結果の動向を考え過ぎずに、日々淡々と積み重ねた先に、ご褒美のように現れるのが、「知的障害児の発達」というものかもしれないとも思う。
逆に言うと、「目的意識と結果の動向」に思考が行きすぎると、非常にきついものでもあるんですよね、知的障害児を育てるということは。
親にとっても、また、その巻き添えを食ってしまう知的障害児本人にとってもそうだと思う。
「成長を信じる」が、「目に見える成長の結果を期待し過ぎない」ということが大切で。
言いかえれば、「成長の経過を信頼する」ということかもしれないとも思う。

そういった「部分」を保つためには、「自分を楽しむ」ということが大きな要素になってくるような気がします。
実際、「魅力的な、障害児の母親」という方は、この「自分を楽しむ」ということがうまい。
いきいきとした「障害児の母親」群を見て、「きれいな人ばっかり」という感想を聞くこともよくあります。

その「自分を楽しむ」ということが、人によって、どういう行動につながるのか、それは個性によって違うと思う。
わたしの場合は、それが「音楽」だった、と思う。
今日は「行って帰って」のお供に、”「プレイやん」をセットしたSP”を連れ歩きました。
フォルダ内でのリピート再生なので、再生するフォルダを変更したい場合は、いちいちSPを開いて手動で変更しなければならない。
電車の中で、コレをやるのは、けっこう恥ずかしいものです。
SDカードにファイルを入れる時に、フォルダ分けしない方がいいな、というのが本日の感想。
明日の「行って帰って」のために、これから256Mのカードに入れるMP3ファイルをチョイスいたします。

続・プレイやん

2005年02月22日 | 使用機器/ソフト
「プレイやん」ですが。
ヘッドホン端子からのステレオ音声が、部品の不具合により左右逆に出力されることが判明したそうで。
交換商品が3月5日に配達されるそうです。
この「ご案内」メール、今日の午後11時過ぎに受信。
任天堂、大慌て?
しかし、左右逆って、ねえ。

さて、「ガレージゲーム」なるものの配布が開始されました。
早速ダウンロードしましたが、このゲーム、画面が小さすぎるんですが。。。
携帯のアプリより小さいです、かなりきつい。
コレって、わたしが何か失敗してるんでしょうか。
ちょっと疑問。。。

MP3プレイヤーとして、使用開始。
ゴキゲン。
「左右逆」に関しては、右から左に流れるように聞こえる「同じMP3」を「プレイやん」「MP3も聞けるポータブルCDプレーヤー SL-J900」で聞き比べて、おもしろがっております。

プレイやん、到着!

2005年02月21日 | 使用機器/ソフト
本日、午後二時頃、届きました、「プレイやん」
購入したのは、「ソフト付き」ではなく、単品の方。
まあ、なんて簡素なパッケージでしょう。
飾りもへったくれもありません。
広告無しで、この飾りっ気無しのパッケージで、話題だけは持っていく「プレイやん」です。
SPは、息子のものなので、ポケモンだらけではありますが、コレは仕方あるまい。。。
とにかく「アンタはDSがあるでしょ?」と、取り上げはしたのですが、「貸すだけ」とのことなので、ポケモンだらけのカバーは取り外し禁止だそうです。
まあ、このカバーを取り外しても、ポケモンシールが中央にばばんと貼ってあるのですが。
トイザらス限定カラーのゴールドだったのですが、モトは。。。

早速、「SP」にて始動。
MP3プレイヤーとしては、まあまあなんではないかと。
スピーカーで聞く音質は、サイアクです。
もちろん、スピーカーで聞くことを目的には作られていません。
「プレイやん」のジャック部分にヘッドホンをつなぎますと、まあ、なかなかの音質なんではないかというところです。
フォルダの階層の認識に関しての「画面」はさすがに「ゲーム機」です。
動かす時の「アソビ要素」にはたけています。

画像ですが。
ボーダフォン社携帯V602SHで撮ったasfファイルは、とてもきれいに観られます。
携帯で撮ったものをすぐに数人で観るためのモニターとしては充分過ぎる状態だと思いました。
もともと、それ以上の使用を考えていなかったので、「単品のみ」の購入です。
mpgファイルを観てみようと思いましたが、仕様は「mpg-4」のみ。
つまりasfファイルしか観られません。
asfファイルとmpgファイルと両方観られるという「勘違い」をしていたワタシは愚かだったようです。
(ちゃんと仕様確認しろよ、自分)

総評ですが。
音質はまあまあで、MP3プレイヤーとして使うのに、わたしとしては充分という判断をしました。
しかし、当然と言えば当然とは思うのですが、わたしが通常持ち歩いているMP3も聞けるポータブルCDプレーヤー SL-J900の方が、はるかに音質は上です。
「動画も観られる」というところはありますが、SDカードに大金かけてまで「持ち歩いて」観る動画というものがあるかどうか、わたし自身は判断に迷います。
「プレイやん」は、その機能性を語るというより、「SPに対する愛着」に影響するような気もします。

「SP」は、わたしの息子の世代(現10歳)にとって、憧れ的機器でした。
「GBC」が発売されたのが、年長児の頃。
この頃、買ってもらえるかどうかが彼らにとって、とても大きなことだったのが、すぐに「GBA」が登場します。
「GBC」を買ってもらってしまったがゆえに、そう簡単には「GBA」は買ってもらえなくなってしまった子どもが周囲にはたくさんいました。
そして、その経緯を経て、アドバンス用のソフトの発売という「理由」の中、やっと「GBA」を手にした時には、「SP」が現れるのです。
機器の性能だけがはるかにアップされても、「SP」用のソフトというものは存在しない。
つまり、買ってとねだって親が納得する理由など無く、一万円の大台を超える商品。
子どもながらに、「貧富の差」を知り、ブルジョアを知るという商品でもありました。
その憧れの品を、初めてゲームボーイを手にする幼稚園児が持ち歩いているのを横目にすることが増えていく。
「・・・あんな小さなガキが持ちやがって」的商品でした。
おととしのクリスマス、去年のお正月の時期に、周囲のガキ共の中では、やっと「SP」を手にする子が増えました。
それはクリスマスがずっと「ポケモンソフト新発売期」だったにも関わらす、おととしの12月は「ポケモン新ソフト空白期」だったからです。
予定されていたソフトの発売が遅れ、結局1月下旬という時期に発売されることになったことから来るものでした。

ここまでガキ共を持ち上げて、で、「DS」の発売かい。
ウチの息子には、「キューブと、どうせそろそろ発売されるGB後継機とどっちがいいか?」という選択を長期間強いてきましたので、「DS」を即ゲットでした。
「SP」ゲットで歓喜に震えていたのは、結局「一年」です。

わたしの感想。
おい「SP」。
あそこまでガキ共を持ち上げて、翻弄してきて、その挙げ句「DS」の出現でみんなそっち向いてるぞ?
アワレなものよのう、アンタ。
専用のソフトも無いのに、王者のつもりでいたろ?

そこで、わたしとしては「プレイやん」は「SP名誉挽回ソフト」としての位置づけが大きくなります。
本当に音楽を持ち歩きたくて携帯MP3プレイヤーが欲しいのなら、音楽を聞くことを目的にした製品を、多少高くても選んだ方が、結局は正解のような気もします。
「プレイやん」の音質は、けして悪くはないけれど、そういうモノなんではないかとも思いました。
「SP」と「プレイやん」だけじゃ使うことができず、必要なものを一から揃えようとしたらやたらな「金食い虫」になっていく部分がありますし。
わたしはMP3リッピングソフトを常時使用だし、SDカードも以前使用していたエッジからボーダフォン携帯での使用、デジタルビデオカメラ、デジカメとSDカード機の所持が多い。
で、256、64、32、8といろいろあるし、カードリーダーも所持。
その上での「プレイやん」だけど。

PSPとの比較ということでいえば、あくまでも「DSで使った状態」での比較ということになりそうです。
「DS」の方が画質もきれいですいし、音質もいいと思います。
でも、携帯用MP3プレイヤーとして使うには、「DS」はでか過ぎるかなと思うので、あくまでも「動画も観られるゲーム機」という上での比較になりそうです。

パソコン、調子わり~~~

2005年02月20日 | 使用機器/ソフト
もうすぐ6年目に突入する愛機。

現在のトラブル。
・起動に時間がかかる。
・起動中に時々フリーズし、その状態から強制終了をかけて再起動。
・使用中に、突然モニターが落ち、キーボード操作も効かなくなる。
・MP3録音ソフトを立ち上げ、音楽CDをドライブに入れるとフリーズする。

少しずつ、このトラブルが頻繁になってきています。
スキャンディスクもかけた。
レジストリの復元もしてみた。

一抹の不安が消せないので、せっせとバックアップ中。

メールを下さったあなたに

2005年02月20日 | インターネット雑記
インターネットの向こうには「生きた人間」がいる。
でも、時々思うことは、相手に対して「生きた人間」という想像力が乏しくなってしまうことが起きるのもインターネットなのではないかと。

明らかに悪意がわかる「通りすがり」さんもそのひとつだけれども、でもそうしたものは悪意というものが見える分、わかりやすい。

困惑を与えられるというケースが、熟慮というものが見えないトラックバック。
そして、未知の人からのメールというものもある。
わたしは自分が管理する掲示板にメールアドレスを載せているので、こうしたものが時々迷い込む。
もちろん、明かなスパム以外は、きちんとした態度で送ってこられる方が多いのだけれど。

一番困るのは「教えてください」という情報提供を望む類のもの。
送信者自身の提供する情報があまりにも少ない状態で「教えてください」と言われても、正直とても困惑します。
特に、送信者がフリーのアドレスではなく、プロバイダのアドレスの場合、その困惑は余計に増加します。
プロバイダのアドレスが使われている時点で、いたずらではないと判断する。
そうすると、相手と向かい合う上での「困難さ」が露見してしまう。

「教えてください」という、あなたの知りたいことに関して、現在までにおいてあなたはどうされましたか?
どう考えましたか?
動くことを何かやってみたりはしましたか?
あなたはそのことに対して、精神的にどのくらいのエネルギーを使われましたか?

結局、ここがキーなんですよね。

インターネットは情報をすぐに入手できる便利なものではあるけれど、メールのその相手は「便利な検索サイト」ではありません。
「生きた人間」がそこにいるわけで。

先日、わたしにメールを下さった方。
あなたの思うようなお返事を、わたしから受け取ることができなかったかもしれません。
でも、上記の「キー」になること、もしもあなたがきちんと答えてくださるならば、答えてくださる行動というものが重ねることができたならば、きっとあなたに道は開けていくと思います。
それがあなたのために一番いいことなのだと思います。
その上で、微力でも、わたしにできることがあるならば、できる限りのことを提供することを惜しみません。
その覚悟があるからこそ、自分が管理する掲示板というものにメールアドレスを表記する。
そのために来るスパムよりも、そこで入ってくる「そのアドレスを必要とする人間の可能性」を選択しているからです。
あなたにとって、「優しい言葉が羅列される返信」ではなかったかもしれないけれど、わたしは表記名に実名記載のアドレスで返信したこと、そのことの誠意というもの、伝わればいいなと思っています。

「読んで受け取る」「会って聞く」

2005年02月17日 | ○○さんにトラックバック!
他の人は、どういう体験をするのかはわからないので、これは全くわたし個人の見解ということ。
それをまず、前提ということで。

ネットで知り合った人間と会って話すということは、プレイヤーで聞いていたCDの曲をステージでのライブで聞くのとちょっと似てる。
今まで聞いていた、つまり「読んでいた」ということで、会ったときに一から「はじめまして、こんにちは」というより、相手の情報が多い。
しかも、その「会う」以前に「読んでいた」という「情報収集」には、自分の「都合のいいとき」を選択できる。
その「読んでいた」ことで得ていた情報は、実生活で時々起きる「相手につき合わされて、聞かされる」ことで入手する情報とは質が違う。
そして、文字媒体で入手した情報から、その根本の「テーマ」や「方向性」等、相手自身を「学んでいる」上で会う。
その自分が得ている情報が、実際に会ったときに、表情や声のトーン、作り出す間といった、それまでは未知だった「生きている人間の臨場感」を伴って展開される。

さて、「ゆうくんちの日常」のリエさんと、昨日お会いしたわけですが。
彼女の子どもとわたしの子ども、障害の種類も、母親がその障害から要求されることも違いはたくさんある。
でも、わたしと彼女をつなぐ「共通の体験」と、その「共通の体験」から生まれた「共通の感情体験」というものがある。
それは、子どもの入院治療に対して、その理由は理屈では理解できるが、感情としては「子どもを病院に取り上げられた」という感覚を持ったことがあること。
そして「退院」を、「やっと取り返した」という感覚で受け取ったことがあることです。
実際にお会いして、実感で得た「共通感」は、テンションの高さ、かな。

彼女からは、彼女のHP「アトリエFF」で語られているゆうくんの発症の頃の話の一部を、「ライブ」で聞くことができました。
彼女の中で、時間の経過と日常の積み重ねを経て、客観視という視点ができている状態での話ですが、やはり文字だけでは伝わりきらない「ライブ感」は貴重でした。
起きる展開と、人から投げかけられる言葉群の中で、揺らされ、疲れ、異様な興奮で眠るということができない状態で、医者から「睡眠」を処方され、長時間倒れるように眠ったという話は、ライブだからこそ「こんな風に」睡眠がやってきたという、手の動きのパフォーマンスを見ることができたのでした。

そしてわたしは娘の長期の入院治療時のことで、「文字上では簡単には公開できない話」を、ライブだからこそという環境下で話した。
生後間もない赤ん坊を病院に取り上げられてしまって、豊富な時間を手に入れてしまったときに、その時間の豊富さに「今だからできること、今しかできないこと」をピックアップ。
子どもを生むことで出会った「障害」に関して、調べまくっていたことは確かです。
ネットなんぞ、存在しない時代でしたので、図書館に日参していました。
その中に、障害とも、子どもとも全く関係の無い、それまでの興味を満足させるための行動を取っていたという話です。
この話が「文字上では簡単にできない」のは、子どもの障害の告知直後にそんなことをやっていたのかと、誤解を思いっきり受けかねない行動ではあるからなのですが。
いや、時間の使い方として、ちょっとそんなことに時間を使うのは、と、今まで世の中の流れに逆らっていた部分で。
その数年前から、友人たちの間では、ソレの話題が出てくる頻度がとても高かった。
そして、ソレが出てくる話題の中で「わたしは参加しない」と、流れに逆らっていた。
でも実は、社会現象にもなったソレに、かなりの関心があったのは確かなんですよね。
で、「今だからできること、今でしかできないこと」のピックアップに上がってきたのですよね、ソレ。
・・・すみません、ラリホーとか、覚えてました。。。
ただ、そんな状態の生活の中で、難解な「復活の呪文」を必死に書き取り、「ロトの血を引く勇者」として冒険をしたことは、その時期のわたしの精神的な生活をかなり助けたのは、間違いのない事実なのでした。

ゆうくんちの日常「ゆうやん年上のオンナに唇を奪われる!」にトラックバックです。

*3.25追記
何でもかんでも総ブログ化計画「ブログで知り合った事例を大募集」にトラックバック。

ゆうくんとちぃちゃん

2005年02月16日 | たったひとつのたからもの
本日、娘の養護学校は、小中学部の次年度新入生の「体験入学日」で、在校生は「自宅学習日」でした。
ま、つまりは「お休み」。
ということで、お休みを利用して、娘とともに行ってきました、「ゆうくんち」

家の前で手をふるリエさんを見て、車を停めた途端に、娘は車を降りて走っていきました。
エンジンを停めて、車を降りたら、娘はもう視界にいませんでした。
・・・おい、どこ行ったよ?

「ちぃちゃん、ちぃちゃん」と呼びながら探すと、ゆうくんちの戸が開き、「なに?」という感じで顔を出した娘。
アンタ、行動、早すぎ。

おうちに入ると、娘はゆうくんのところに「あいさつ」に行きました。
ゆうくんを見て、「おにいちゃん」と呼びました。
(娘は中学一年、ゆうくんは小学三年生。でも身長はほとんど変わりません。)
娘は「おにいちゃん」のそばに行きたがりました。
ゆうくんのママがゆうくんに、吸引をしている様子をじっと眺めていました。
数十分後に、この「吸引」のための動作をゆうくんの前で「パントマイム」で細部まで再現していたことには驚かされました。
ゆうくんのいるお部屋の中で、娘は一人遊びを組み立てて遊び始めました。
ゆうくんのママが、「微笑ましい顔」で、そばでその様子を見ていました。

娘が何か、ゆうくんのママに言いました。
小さい声だったので、ゆうくんのママは、微笑ましい柔らかな表情で聞きました。

「なあに?」

娘、今後ははっきりと、ゆうくんのママに言いました。

「じゃま、じゃま。
 あっちいって。」

大爆笑。

「そこはダメ~~、ちぃちゃん~~」
というゆうくんのママの悲鳴をものともせず、娘は家の中の全てを探検しました。
彼女にとっては、物珍しいトイレ空間で、「おしっこ」もしてみました。
水の流れる音を聞いて、わたしたちは「あら」と思った。
ウチの子、出先で見たトイレを「使ってみる」のが好きなので、わたしは「ははは」と思いました。

娘がゆうくんに近づいて、そこで展開される「ほんわかワールド」を見てるのは楽しかったです。
大人二人はそれを見て、あわてて携帯を持ってきて、カメラを振りかざして、大騒ぎをしていたのでした。。。

娘の「交流」

2005年02月13日 | たったひとつのたからもの
今日の日曜日は「父・息子」「母・娘」と両者別行動。
息子の行きたいトコは、娘の行きたいトコではない。
それでは行ってらっしゃい、母は娘としか行けないトコへ行きたいから。
はい、いわゆる「スーパー銭湯」というヤツです。

ウチのお嬢様、「異種交流」がお得意です。
カップ酒を飲むホームレスのオジサンが座るベンチの横にちょこんと座り、にこにこしていたこともありました。
耳鼻科の待合室で、「ギラギラと太い金のネックチェーンをして、濃い色の開襟のシャツ、派手なスーツ、白いエナメル靴の青年」の隣にわざわざ座り、にこにこしていたこともありました。
この時は、息子の受診のために来ていたのですが、この方の「いいよいいよ、この子見ててやるよ」という言葉と娘の態度に、「お願い」せざるを得なかった、ということもありまして。

ちょっと前に温泉で、「美しい肢体」のフィリピン女性の一群に近づきまして。
中でも一番美しい胸の持ち主のオネエサンに近づきまして、いきなり自分の胸を指さして「オッパイ」とおっしゃいました。
それから、その女性の胸を指さして「オッパイ」と。
そして「きれい~~~」と言いながら、手をたたきました。

アンタ、まちがっちゃいない。
でも、母、どうしていいか、わからない。。。

さて、今日のスーパー銭湯で。
露天風呂に入って、くつろいでおりました。
扉を開けて、30代前半くらいの女性が入ってらっしゃいました。
片側の腰から腿にかけて、大輪の花が咲きまくってました。
男性名もその肌に書かれていました。
つまり、刺青。
タトゥーなんてものではなく、まちがいなく「そちらさん」系統の「彫り物」でした。

こういうパターンに限って。。。

と一抹の不安はありましたが。
案の定、娘の「友好視線アプローチ」が始まりました。
結局、アイツ、「さわらせて」いただいてました、その「お花」に。

彼女の「異種交流」、たいがいにおいて、先方の「にこやかな笑顔」を引き出すのよね。
コイツが引き出すのか、引き出す相手を選べるのか、不明。
とても平和。
でも、母、いつもけっこう、ヒヤヒヤ。

映画「ハッピーバースデー 命かがやく瞬間」

2005年02月12日 | たったひとつのたからもの
地域の子ども会行事で「ハッピーバースデー 命かがやく瞬間」という映画を観ました。

本も映画もよく知られているもので、前々から興味があったので、子ども会行事に自分も参加。
内容は、テーマと山が盛りだくさんで、こんなにたくさんのテーマを盛り込んだら、子どもにはきついかもとも思って見ていました。
タイトル通り、命の大切さを主要なテーマにしています。
その中で、「暴力の連鎖」、「障害児のいる家庭におけるきょうだい児が持たされる心理的ハンディ」というものも盛り込まれていました。

途中で飽きて、ごそごそと動く子どもがいる中で、わたしは「コレは息子にも長かろう」と思っていました。
後で、何気なく、彼に聞きました。
「どうだった?」

「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」と答えた。
ちょっとびっくりした。
あら、あんなに主要テーマが盛りだくさんの内容についていけたんだこの子、と思った。

その後で、ちょっと胸が痛んだ。
ドラマの中で出てくる、主人公に精神的虐待を加える母親は、「重度というところに位置する肢体不自由児の姉を持つ」障害児のきょうだいという立場。
映画の中ではこの母親が思春期に書いた「姉に両親の全てを取られる嫉妬で苦しむ日記」が出てきます。
この母親の両親である主人公の祖父母からも、「上の子の障害に対しての対応で精一杯で、下の子をかえりみなかった日々があった」という言葉が出てきます。
下の子が母親になったときに、娘に精神的虐待を加えるようになったのは、自分たちの「罪」なのだと。

ウチの息子も幼児期「みんながちぃちゃんにばかり注目する」「ちぃちゃんばかりかわいがる人がたくさんいる」と荒れていたこともありました。
彼にとっては姉の「障害」よりも、自分への注目を奪う相手という概念が姉に対してあった。
成長と共に「障害」という概念を理解し始め、今は納得してきている部分もあれど、この映画に出てくる「きょうだい児の心境」が理解できる部分があるのだろうなと。
うちは「両親の全てを取られる」まではいかないけれど、娘優先を彼に「話して理解してもらう」ことは、彼の成長の中で増えてきていますから。
ウチはわたしが「息子に甘い」ことは衆知ってのがありますが、その原点として、ヨソ様から「あそこんちは甘いから」と言われる程度を維持して、彼にとっては「とんとん」かな、ってとこはあるなあとも思う。
もちろん、先を考えない「甘やかし」はしませんが。

「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」の直後に、彼はこうも言いました。
「おかあさん、泣いたでしょ」
そう何度も言った。

これは多分、ドラマの中で主人公の友達である障害を持った子どもが死ぬシーンがあったからだな、と思った。

息子は幼稚園の年長児の時に、ずっと同じクラスだった友達を亡くしています。
たった6歳にして、友人の葬儀というものを経験している。
意味がつかみきれない彼に「死」というものを話しながら、わたしがその話になるとべーべーとよく泣くということを彼は知っているわけです。
べーべーと泣く割には、その子の話を何年も何年もやめない。
「あの子のことを忘れないで欲しい。
 あの子が生きていたことを知っている人が忘れていってしまったら、あの子は本当に死んでしまう」と。

この映画の中でも言ってました。
生きている時に友達だった子の中で「生き続ける」ということを。
それを観ながら、彼の思考は「母」に結びつき、それゆえの「おかあさん、泣いたでしょ」ってことかなあと思った。
で、彼はそのシーンを見ながら「おかあさんが泣く」と思ったのだろうと。

最初は「ん?」とかやり過ごしてましたが、あんまり「泣いたでしょう」とウルサいので、「泣いたよ」と答えました。

ホントは泣いてないんだけどね。
だって、この障害児を描くシーン、観る人に対してのサービスのようなトコ、感じちゃってたから。
だって、コレに出てくる障害を持つ「友達」の子、わかりやすいんだもん、笑顔と喜ぶ声が。
なんか、「観てる人が美談と思うように」って感じが、ちょっと匂ってしまったので。
養護学校が出てきて、いろんな子の「映像」が出てくる割には、そのうちの「たった一人」だけが登場人物で、周囲の子どもが関わるのも、その「たった一人」だけだし。
しかも、髪に花をつけた女の子だしね。
「色の無い」、「ただの風景」として出てきた男の子たちが、ちょっと気になってしまったわたしなのでした。

結局のとこ、息子は「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」と「おかあさん、泣いたでしょ」しか言ってくれません。
この辺が、まあ、男の子の成長ではあるのだろうけど、ちょっとつまらん。
でも、こうした成長が見える時期でなければ逆に「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」ってのは出なかったかもしれないので、まあよしとしますわ。

「日常」というもの

2005年02月12日 | つぶやき
ダウン症のお子さんを持つという方からお電話いただいて。
さんざんいろんな話をした後で、「実は」と言われたこと、二度。
この「実は」というのは、わたしと娘といる姿を「黙って目撃」されていたことです。

一度目は、娘がまだ幼児期に、前住地の時のこと。
私鉄を使って30分以上かかる大きな病院の産婦人科で、ダウン症の赤ちゃんが生まれたときに渡される「親の会」のリーフレットがありまして。
このリーフレットに当時、副代表として住所と電話番号が載っていたわけです。
それを見て、電話されたということで、まさか「近所」だとは思わなかった。
この方、「見に来てた」そうです、住所を見て「近所」だと思って。
さんざんお話しして「どちらにお住まいですか?」と聞いたら、すぐそこ、歩いて3分ほどのとこに住んでらっしゃいました。
びっくり。
二度目はすぐ近くのマンションの方。
ダウン症のお子さんの親御さんからの紹介。
まあ、近くだからそういうこともアリなんですが、やっぱり言われました。
「黙って見ていた」と。

まあ、いいんですけどね。
「黙って見ていた」って、まあ、そうそういきなり「実は」も難しいでしょうから。
ただ、気になるのは、そのときの「思いっきり日常の姿」をどう見られるかってことなんですけどね。
日常ですから、めんどくさそうにもするし、叱ってたりもするでしょうし。
ダウン症の子が生まれて不安でいっぱいの親御さんが期待に震えるような表情ばかりでもないでしょうから。
でも、それってごく普通の日常なんですけどね、「普通」「障害」全然関係無く。

今日、外食してまして。
はしゃいでた娘がウルサい。
でっかい声で「わっはっは」とか言わんで欲しい。
笑い声ではないんですわ、「わっはっは」と言う、あの方。
楽しいときに出るんだけど、ウルサい。
「大きな声出さないの」とか言いますが、3度目にびしっと言いました。
「ちぃちゃん、ウルサい」

わたしは声、小さい方ではないので、コレが近くの方に聞こえたようで、ちらっと見られた。
(まあ、あの人、あの子が普通じゃないからあんな風に言うんだわ)
とか思われたかと、げ、と、瞬間、思いました。

なんというか、こう、実に日常的な「親」の「表情」が、どこか許されない感覚を感じてしまうんですな、こういう時。

ガキなわたしは、つい息子に押し付けてしまいました。
いや、息子が娘の変な行動に言ったんですわ。
「ばか」とね。
もちろん、そんな他意があるわけじゃないんだけど。
「あら、アンタ、そんな言い方して。
 聞こえた人が、『あの子が普通の子じゃないからあんな言い方するんだ』って思ったらどうするの?」
とね。
なんてガキなんでしょう、わたしってのは、息子に「荷物」投げたりして。
息子、すぐにいろんなことを察知して「げ」とか言ってました。
「違うモン」とか思っても、それが効かない人は存在するだろう、と。
まあ、息子の名誉のために言っておきますが、コイツ、むちゃくちゃ「おねえちゃん子」なんですけどね。
彼の「姉大事」の逸話は山のように存在するわけで。

でもさ。
いつもいつも「絵に描いたようなしあわせの表情」なんてものばかりだったとしたら、それってかなり「非日常」ではないですか?

と、なんだかぶつくさ、言ってみたい。

初めての妊娠

2005年02月10日 | たったひとつのたからもの
わたしの最初の「妊娠」ですが。
妊娠のとても初期の時に、「誤診」を受けました。
稽留流産、つまり「お腹の中で胎児はすでに死亡している」と宣告。
稽留流産の「処置」としての掻爬の期日も決まっていました。
13年前のちょうど今頃です、あのとき掻爬していたとすれば。

この稽留流産と掻爬の医師からの説明が、非常に失礼で、テキトーで、実に惨めで情けない思いをさせられたんですよね。
当時住んでいた地元では大きな総合病院で、人気のある産婦人科でお産も多かった。
その辺に住んでいる人で、そこの病院で生んだという人も多かったし、診察もとても混んでいました。
小児科も常に混雑しているような病院だったのですが。

それで、もっと丁寧に、良心的な「掻爬」を受けるつもりで、他の病院に行った。
まあ、そういう「確実な意志」よりも、「もうあの病院はイヤ!」ってとこの方が強かったなと。
とにかく泣きまくってましたから。
自分が「動く棺桶」であるという事実にも。
非人間的な対応をされたことにも。
泣きまくってたし、精神的にもおかしくなってました。
職場も、慶弔休暇の扱いをする判断をし始めていました。

そうかと言っても、放置するわけにもいかないので、当時信頼していた近所の内科医に出身大学の大学病院を紹介していただきました。
文字通り、「泣きついて」。
とにかく、完全な医者不信に陥っていたと思う。
正確な妊娠週数は忘れましたが、宣告が二ヶ月の終わりで、別の病院に行ったのが3ヶ月に入っていたと思う。

パンツ脱いで内診代に上がって、両足開いて。
すでに決定している掻爬の前の診察ということで、耐えてました、この内診、とても。

開いた両足の向こうから、はっきりと聞こえてきたことがあった。

「赤ちゃん生きてますよ。だいじょうぶですよ。」

つつーっと涙が後から後から出てきた。
内診代に寝ているもんだから、後から後から出てくる涙は、全て真横に流れて耳に入る。
(この辺が、現実というものが持つ滑稽さも感じるんですけどね)

それからの妊娠の経過は、とにかく全て順調。
さらにまた「事件」が起きていくなんてことは、想像もしていませんでした。

娘が生まれてから、ダウン症の告知だの、先天性の心臓病の宣告だの、早期の手術の必要性だの、重症の肺炎だの、死の危険だの、
まー、医者からいろんなこと聞かされる日々が続くんですが。

でも妊娠当初の「死んでます」「生きてました」の展開のインパクトに勝てるものではなかったですね。
それと「信頼できる医師」のそばにいたかどうかということもとても大きい。

「ダウン症と告知を受けて泣く人」を、ずっと支援し続けてきているのにもかかわらず、恥ずかしいことにわたし自身は「ダウン症」という「事実」には、一度も泣いてないんですよね。
やっぱり、生きていることには勝てないな、と思うな。
ウチ、「一度死んだ子」なのよね。