保健相談所からの紹介で、医師の紹介で、知人・友人の紹介で、ダウン症の親の会を案内する冊子で、そんな様々なルートから人と出会い、話をすることがよくある。
「ダウン症の赤ちゃんが生まれた」と。
相手の個性に合わせて、話を聞く。
まず最初の作業は、相手の生の声をそのままに聞くことだと思う。
現在の衝撃から来る「今の気持ち」、そして「その先」への道への扉は、その人自身が持っている。
わたしにできることは、その扉へのカギを、その人自身が見つけやすくするヒントを、その人の個性に合わせて探すことだと思う。
そんな中で。
ダウン症の子どものおばあちゃんという立場の方が出てくることがある。
「子どもを生んだ娘の母親」という立場になる。
孫の障害に関しての一生懸命。
きれいに解釈すれば、そういうことだと思う。
でも。
実は、わたしはそうは思えないところがある。
「子どもを生んだ娘の母親」がやるべきことは、「孫に一生懸命」じゃないんじゃないかと思うからだ。
「孫に一生懸命」だとか、「孫の持つ障害に知識を」とか、そういうことではなくて、一番大事なことは、「子どもを生んだ娘」が「母親になること」を見守り、「母親になること」を支えることだと思う。
生まれた赤ん坊に障害がある、母親は気持ちが乱れる。
「子どもを生んだ娘の母親」は、この「子どもを生んだ娘」を支えることを考えて欲しい。
それは、「アンタが動揺してるからアタシが」では無いし、それではいけないのだと思う。
「子どもを生んだ娘」が「母親になること」に動揺しているからといって、「助ける」という名目で、横から「母親になること」をかっさらわないで欲しい。
心が回り道をしようが、寄り道をしようが、停滞をしようが、逃避をしようが、「子どもを生んだ娘」が「母親になっていくこと」のために、その心のベースを支えるのが、「子どもを生んだ娘の母親」の役割なのだと思う。
要するに、出過ぎないで欲しいということ。
それは「子どもを生んだ娘」が衝撃を乗り越えて「障害児の母親になっていくこと」を本当に支えることだとは思えない。
「子どもを生んだ娘」は、自分の精神的停滞の中で、自分の母親がいそいそと赤ん坊のために動きまわることで、「母親に、母親として、自分の『母親』という部分を査定され」、「母親の管理下」から逃れることができない。
ダウン症に限らず、孫の障害に対して、熱意をもって一生懸命という「祖母」という方がたまに存在する。
親だけでは育てることが難しい障害をもつ乳幼児にとって、そうした「祖母」は、ありがたい存在でもある。
しかし。
うがった見方で、わたしは時々思う。
「障害をもつ孫」の出現で、子離れしなくていい理由という免罪符を持った「母親」という要素が、あなたにあるのではないですか、と。
女というものは、子どもを生んだから即「母親」になるのではない。
子どもを生んで、そこから「母親になっていくこと」のスタートが開始し、赤ん坊との相互関係によって、子どもを生んだ女は「母親」になっていく。
生まれた赤ん坊の障害が発覚して、その道のりがゆっくりになったとしても、その道のりを本人が歩んでいくことが「母子関係の成立」なのだと思う。
「母子関係の成立の支援」という名目で、「自分と孫と娘」という関係を無理やり築こうとしている、そんな要素が見えてしまうことがあるのである。
子離れしたくない母親、という一面が、時々、そこには見えるというケースが存在すると、わたしは思う。
あるひとつのケース。
婉曲的に再三忠告したにもかかわらず、いきいきと、初孫に対して「母親的介入」をやめなかった「祖母」。
赤ん坊の母親は、母親になることを結果的に妨害され、障害児の母親であることから逃避し、それを認めた「祖母」に対して、「可能性をあなたが絶った」という一抹の怒りがいまだに消えない。
「ダウン症の赤ちゃんが生まれた」と。
相手の個性に合わせて、話を聞く。
まず最初の作業は、相手の生の声をそのままに聞くことだと思う。
現在の衝撃から来る「今の気持ち」、そして「その先」への道への扉は、その人自身が持っている。
わたしにできることは、その扉へのカギを、その人自身が見つけやすくするヒントを、その人の個性に合わせて探すことだと思う。
そんな中で。
ダウン症の子どものおばあちゃんという立場の方が出てくることがある。
「子どもを生んだ娘の母親」という立場になる。
孫の障害に関しての一生懸命。
きれいに解釈すれば、そういうことだと思う。
でも。
実は、わたしはそうは思えないところがある。
「子どもを生んだ娘の母親」がやるべきことは、「孫に一生懸命」じゃないんじゃないかと思うからだ。
「孫に一生懸命」だとか、「孫の持つ障害に知識を」とか、そういうことではなくて、一番大事なことは、「子どもを生んだ娘」が「母親になること」を見守り、「母親になること」を支えることだと思う。
生まれた赤ん坊に障害がある、母親は気持ちが乱れる。
「子どもを生んだ娘の母親」は、この「子どもを生んだ娘」を支えることを考えて欲しい。
それは、「アンタが動揺してるからアタシが」では無いし、それではいけないのだと思う。
「子どもを生んだ娘」が「母親になること」に動揺しているからといって、「助ける」という名目で、横から「母親になること」をかっさらわないで欲しい。
心が回り道をしようが、寄り道をしようが、停滞をしようが、逃避をしようが、「子どもを生んだ娘」が「母親になっていくこと」のために、その心のベースを支えるのが、「子どもを生んだ娘の母親」の役割なのだと思う。
要するに、出過ぎないで欲しいということ。
それは「子どもを生んだ娘」が衝撃を乗り越えて「障害児の母親になっていくこと」を本当に支えることだとは思えない。
「子どもを生んだ娘」は、自分の精神的停滞の中で、自分の母親がいそいそと赤ん坊のために動きまわることで、「母親に、母親として、自分の『母親』という部分を査定され」、「母親の管理下」から逃れることができない。
ダウン症に限らず、孫の障害に対して、熱意をもって一生懸命という「祖母」という方がたまに存在する。
親だけでは育てることが難しい障害をもつ乳幼児にとって、そうした「祖母」は、ありがたい存在でもある。
しかし。
うがった見方で、わたしは時々思う。
「障害をもつ孫」の出現で、子離れしなくていい理由という免罪符を持った「母親」という要素が、あなたにあるのではないですか、と。
女というものは、子どもを生んだから即「母親」になるのではない。
子どもを生んで、そこから「母親になっていくこと」のスタートが開始し、赤ん坊との相互関係によって、子どもを生んだ女は「母親」になっていく。
生まれた赤ん坊の障害が発覚して、その道のりがゆっくりになったとしても、その道のりを本人が歩んでいくことが「母子関係の成立」なのだと思う。
「母子関係の成立の支援」という名目で、「自分と孫と娘」という関係を無理やり築こうとしている、そんな要素が見えてしまうことがあるのである。
子離れしたくない母親、という一面が、時々、そこには見えるというケースが存在すると、わたしは思う。
あるひとつのケース。
婉曲的に再三忠告したにもかかわらず、いきいきと、初孫に対して「母親的介入」をやめなかった「祖母」。
赤ん坊の母親は、母親になることを結果的に妨害され、障害児の母親であることから逃避し、それを認めた「祖母」に対して、「可能性をあなたが絶った」という一抹の怒りがいまだに消えない。