S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

交通ルールとその実態

2006年07月28日 | つぶやき
 昨日、車で移動中のこと。横断歩道のところに高齢の女性が立っていた。横断歩道を認識し、この女性の姿が見えた時点で減速、横断歩道の前で停まったのだけれど。

 横断歩道に近づき減速しながら(おや)と思った。反対車線にはクロネコヤマトの2トン車が停止している。女性が見えた時点からず~っと停止してるわけで。つまりこのクロネコヤマトの2トン車は、この女性が横断するまでじっと待っていたのだな、と理解。

 わたしの前方には車はいなかった。つまり、完全に停まる車がこの女性の前に現れるまで、この女性は横断歩道を渡れなかった、反対車線に車を停めさせた状態にしていても。

 わたしが完全に停止したのを見て、そして運転席のわたしをうかがうようにこの女性は見る。わたしはゆっくりと左手を横に流すように動かし、会釈をする。やっと安心したようにこの女性は横断歩道を渡り始める。渡り始めてわかる、ゆっくりとしか歩けない。

 女性がやっと渡り終えてから、対向車のクロネコヤマトの車の運転手に手で合図を送る。相手はにっこりと笑顔で合図を返してくれる。ごめんなさいね、待たせてしまっていたのでしょうね、こっち側の車が停まらなかったから。そして停まる車が現れるまで、あの女性に安心感を与えることを担ったのだな、と思うこの人。商用車、仕事中、なんてことはあるだろうと思う。そのことに関してのマイナスを主張する人はいると思う。それでも社の看板を背負った車、この車が一人の女性に安心感を与えたこと、そしてそのことに対して協力という感を対向車にも与えたこと。これは企業イメージとしては大きいんじゃないか、とも思う。宅配便の会社の車って、「横断歩道で停まります」なんて車の後ろに書かれてたりするしね。有言実行ってイメージを与える方が、この場の数分なんてことより大きいんじゃないか、とも思う。

 横断歩道で停まること、そんなに難しいことかねえ、とはいつも思う。横断歩道がある、ってことを予測できる道路は多いと思う。その予測できる道において、視界に入るはずの横断歩道のそばにいる歩行者を、意識して視界に入れてないんじゃないか、自分の動きの判断材料にする気がはなから無い運転者の方が多いんじゃないか、と思う。それが多分、現実。

 それが多分現実、と思うこと。娘の通う養護学校のそばの横断歩道、そこを車で通る時に思うこと。横断歩道の前ではっきりと停止しても、車がそこに存在するだけで「絶対に渡らない層」というものが、養護学校の学生には存在する。多分、自閉関連の障害なんだろうと思う。彼らの認識する社会に対しての法則には「横断歩道で停まる車」というのは存在しないんだろう。

*関連リンク
人命は尊いと言うけれど /ぽんすブログ
「横断歩道と哲学と私」/お互い気持ち良く走るための豆知識 ~運転マナー特集~
横断歩道

教育関連のDMから

2006年07月22日 | 「障害」に関わること
 娘宛てにくる教育関連のDM。乳児期があけた途端くらいに始まった。カワイ・ヤマハ、ベネッセの幼児通信教育は娘の対象年齢の少し後に始まったはず。小学校に入学すればお勉強関連が増え、小学校の高学年くらいから「中学受験」だの「中学進学準備」だのといったキャッチコピーと共に量が増える。中学に入れば「初めての定期試験」だの「高校受験」だのといってまた増え続ける。さて中三。中三にもなれば少しずつ減ってきたように思うけれど、ここに来て増えているDM、「国際留学」「海外留学」。すっごいなあ。やれるもんならやってみろ、という感覚少し。

 いや、アメリカだの北欧だのといったところの障害児教育を体験、なんていう海外留学もあってもいいんじゃないか、と、ふと思う。ふと思って、そうだそうだと検索。

 障害者の海外留学、日本の障害者運動を支えてきた歴史のある「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」。ここでは確か、知的障害の方も数年前から対象に入っていたはず。

 数年前? バカいっちゃいけませんね、最初は’92年。もう10年以上も前なんだな。(ダスキン愛の輪運動ヒストリー

 知的障害者としてこの留学に参加する25期生の面々26期生の面々なんぞを頼もしく閲覧。

 ここにたどりつくまでに大きく貢献してきたのは、やっぱり社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会本人活動だと思う。
我が子に本人活動のリーダーになれるほどの資質が無いなんて嘆くなかれ。我が子の知的障害がある日突然消えるような奇蹟を望むよりも、同様の立場をもつ人の声が聞けることのことの方が、余程現実的で明解。

 娘に関して初めてきた教育関連のDMはカワイ音楽教室。広告パンフの「電車ごっこをしながら走る子どもの姿」の写真を眺め、右から左にゴミ箱に放り投げた当時のわたし。当時の娘はやっと座位が定着してきた頃で、立つも歩くもまだその発達が視野に見えてはいない頃だった。

 数分後だったか数時間後だったか忘れたが、(いや待てよ)と、一度捨てた広告を拾い上げる。母子分離ではない、そばにわたしが同席できる。いけるかも、と、体験日をチェックして参加。

 参加してみれば、母親にへばりつく幼児たちの中で、医療や療育等ですでに集団に場慣れしている娘が一番積極参加。なんのことはない、子どもを歩かせて参加させるシーンでは、わたしが抱いて動けばいい、たったそれだけのこと。「支援付きの参加で可能なことがある」ということを身をもって体験したのは、多分このときが初めてのこと。特になんてこともなく、入会、参加。楽しかった日々。

 そうか、と思い、ベネッセの幼児通信教育のDMに問い合わせ。事情を話して一年下げたDMを送ってもらう。送付されたものを検討、いえこれでもまだまだと、結局対象年齢を3歳下げる。よくできた内容だと、娘を見ながら実感したことを思い出す。

 たかがDM、されどDM。平等に営業されることにちょっとため息をつきたくなることもあるけれど、そこから見えるもの、拾えるものもたくさんあるよな、と、思い出含め、改めて実感。

ちょこっと感想

2006年07月15日 | インターネット雑記
 書くことと、伝えたいこと。
 書かれていることから、伝わってしまうこと。

 話題としては全然別種の以下の二つのブログのこの内容に、同様のものを感じたな、と思う
昨日のコメント欄の件です~/モラルハラスメント・ブログ  
*この頃思ってたこと/atelier F.F. ゆうくんちの日常
 伝えようとすること、書いておきたいと思うこと。
自分だけのメモではなく、公開した場に出していくからこそ、わかりやすいように前後の脈絡なんぞを記載する。
話題は全然違うけれど、その、記載する前後の脈絡部分に出てくる反応というものに、戸惑うこともあるだろうな、と思う。
 
 公開する場に出していけば、様々な反応に出会うだろうと思う。
その反応に耳を傾けつつ、そこから拾える視点を拾いつつ、自分自身に方向性が定まっていることに関して大事にして欲しいと思う。