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“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

東京電力の刑事責任

2014年09月10日 10時59分50秒 | 臼蔵の呟き

中小零細企業が、地域住民を巻き込んで死亡事故、避難を伴うような事故を引き起こせば、その企業の責任者は何らかの形で責任を問われます。

しかし、何十万人もの福島県民、近隣県民に避難、生業の破壊をもたらした事故で全くその刑事責任が問われないのは異常としか言いようがありません。日本において裁判官、検察などは軍隊とともに司法分野での権力機関そのものです。その意味では、電力会社、その中でも頂点にいた東京電力幹部を起訴することなどは考えてみたことも無かったような政治問題であったのだと思います。国民が、福島県民が訴訟を起こし、国民的な運動がなければ、闇から闇に葬り、事故対策費用を税金から出費し、終了のはずでした。

ところが、国民の怒りは収まらず、3年半経ってもなお、原発再稼動反対、原発廃炉を要求する国民的な運動は継続していることに安倍、自民党右翼政権、司法権力は戸惑っているのだと思います。

東京電力は経営破たんをしました。当然のことです。ところが、その東京電力救済に兆円単位の税金が泥沼に投入されています。本当に、電力会社と、自民党政権の癒着、政治的モラルの無さは目にあまるものがあります。東京電力の刑事責任が問えなのであれば、このような司法制度自身が意味がなく、司法への国民的な信認は無くなるのではないかとさえ思います。

<日刊ゲンダイ>

福島原発告発団 河合博之弁護士「日本が滅ぶのは戦争と原発」

世界で一番、原発を稼働させてはいけない国
「安倍首相は亡国の政治家です」――福島原発告訴団の先頭に立って闘う弁護士は言い切った。検察審査会は7月、東京電力元幹部3人の刑事責任を認めて、「起訴相当」の議決を下した。これを受けて検察は再捜査し、起訴すべきかを再検討する。もう一度、不起訴としても、検察審査会が再度、「起訴相当」の議決をすれば、強制起訴という運びになる。この議決の意味、今後の展開、原発再稼働に突き進む安倍政権の横暴など、多岐にわたって聞いてみた。

――検察審査会の議決、画期的ですよね。

 私は非常に感動しました。あれだけの事故を起こしながら、誰も責任を問われない。追及されないのはおかしいじゃないか、という市民感覚が、大企業寄り、権力寄りの検察の判断を覆したわけです。

――検察は大企業寄り、権力寄りですか?

 そもそも検察がなぜ、東電幹部の刑事責任を問わず、不起訴にしたかといえば、やはり身内のかばい合いみたいなものがあると思う。東電は超巨大企業で権力そのもの。原子力ムラの中核ですから、起訴するのはマズイという、悪い意味での政治判断があったと思います。そこから出発していろいろな理屈をつくった。それで、津波の予見可能性がなかったということにしたのでしょうね。

――政府の地震調査研究推進本部は02年、福島県の津波地震の可能性を発表していたし、東電も08年、最悪の場合、津波水位が15・7メートルになると試算していました。

 そもそも、予見可能性がないのであれば、どんなに被害が大きくても、責任は問えないという検察の考え方が間違っています。まず被害の大きさを見て、それを防ぐためにどれくらいの注意義務を課すべきか。これを考えなければいけない。原発の運営責任者は、普通よりもずっと重い注意義務を課されるべきなのに、検察は花火工場と原発の注意義務を同じ目で見ている。花火工場が爆発しても周辺が少し壊れるだけですが、原発は違う。検察はこうした常識をわきまえるべきです。

――検察の再捜査についてはどう見ていますか?

 検察内部でも意見が二分されていると聞いています。今度の議決には検察内部でも非常に大きな衝撃が走っていると思います。私は検察が起訴に踏み切る可能性もかなり大きいとみています。検察は信頼を取り戻すためにも、国民の支持を得るためにも、起訴すべきだ。そういう意見が内部でもあると聞いています。

――そうならなければ、国民の生命よりも原子力ムラと政府の利益が優先することになってしまう。これほどおかしな話はありませんね。

 私は二十数年前から反原発で闘っている。なぜ原発に反対するのかというと、日本は中規模以上の地震発生率が世界平均の130倍もあるんですよ。フランスやドイツにも原発はあるが地震はない。世界で最も原発が立ち並ぶのは米国の東海岸ですが、ここにも地震はない。地震が多い地域で原発を稼働させているのは日本だけです。裏を返すと、日本こそが世界中で一番、原発を稼働させてはいけない国なんです。

 


豊かさとは何か

2014年09月10日 06時27分54秒 | 臼蔵の呟き

フィナンシャルタイムズが報道した記事です。地方自治体は滅びても仕方がない。高齢者は働かないから、生産性が落ちる。したがって、社会保障費を大幅に削減すべきである。人口は大都市、中規模都市に集中させるべきである。驚くべき暴論を展開しています。

製造業が海外に生産拠点を移転させていることは事実です。だからといって、その付けをすべて国民、自治体、地方都市に回してよいということにはなりません。現状の租税回避も含めて、多国籍企業、大手企業、大手金融機関の社会的な責任は不問に付す不当な見解には承服できません。そもそも彼らは法人税の減税と消費税率の引き上げで利益を溜め込み、巨大化してきたではありませんか。その仕組みを作ったのは自民党型政治そのものではありませんか。その自民党に政治献金、選挙時の協力を引き換えに、巨大企業と富裕層に有利な経済制度を要求してきたのです。その結果が、都市への人口集中、生産拠点の製造業の移転でした。このような暴論は、全く歴史の一面しか見ないものでしかありません。しかも、その負担を国民に付回していることには全く触れない点で、公平性にも著しく欠けています。

<FT記事>「地方創生」でよみがえるバラマキ公共事業これから必要なのは大都市への人口集中だ

いろいろ話題になった石破茂氏の処遇は、地方創生担当相になった。安倍内閣は、人口減対策や地方経済の活性化を進める地方創生を「改造内閣の最大の課題」とするそうだ。石破氏は就任直後のNHKの番組で「一極集中や過疎、過密の問題に政府を挙げて取り組むのは初めてのことだ」と語ったが、これは間違いだ。

 一極集中の是正と「国土の均衡ある発展」は、1960年代の全国総合開発計画(全総)から始まる、政府の国土計画の基本テーマである。アベノミクスに翳りが見える中で、地方に公共事業をばらまいて選挙対策も兼ねようということだろうが、これで日本経済はよみがえるのだろうか?

消滅するのは「地方」ではなく「地方自治体」

 地方創生という奇妙な言葉には、出典がある。民間の有識者でつくる日本創成会議は、地方からの人口流出がこのまま続くと、図1のように人口の再生産力を示す若年女性が2040 年までに50%以上減少する市町村が896(全体の半分)に達し、523市町村の人口が1万人を切り、自治体として維持できなくなるという推計を発表した。

図1 20~39歳の女性が半分以下になる自治体比率(出所:日本創成会議)
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 彼らは8月に『地方消滅』(中公新書)という本も出し、人口減少に伴って日本が「極点社会」になるのを防ぐために、「ストップ少子化」や、東京一極集中に歯止めをかける「地方元気戦略」などの政策を提案しているが、ここには問題のすり替えがある。

 日本はこれから人口が減少するのだから、都市に人口が集まったら地方の人口が減るのは当たり前だ。それによって消滅するのは地方ではなく、地方自治体である。困るのは、地方から都市に移住する住民ではなく、納税者の減る役所だけだ。

 企業はすでに人口減少に対応している。もはや地方に新しい大型店が進出することはなく、広域的な集約化が進んでいる。工場は地方から新興国に移転している。自治体も集約し、効率化すればいいのだ。いずれ税収が減ったら、そうせざるを得なくなるだろう。それを政府が止めることはできないし、止めるべきでもない。

都市集中が高度成長をもたらした

 都市への人口集中を止める必要はない。図2のように、1960年代まで人口は大都市圏に集中を続け、それが高度成長の源泉になった。しかし70年代から急速に人口集中率が下がり、成長率も下がった。田中角栄以来の地方に公共事業を集める政策が都市集中を阻害して成長率を下げたのだ。

図2 人口の都市集中率と成長率(出所:参議院)

 日本がこれから考えるべきなのは、都市も地方も平等に豊かになる社会は維持できないということだ。20世紀までは高い成長率と生産性の高い製造業が日本経済を牽引してきたが、それが新興国に追い上げられ、貿易赤字になった現状では、もう「ものづくり」では成長できない。

 これはさほど悲観すべきことではない。日本の1人あたりGDPは先進国の平均水準で、労働生産性もアメリカの8割程度だ。これまでの高い成長率は平均水準にキャッチアップするまでの例外的な状態で、これからは普通の成熟社会になるのだ。

 とはいえ、成長をあきらめて「脱成長」だとか「ゼロ成長でいい」というのは錯覚だ。政府の予想では、2100年に日本の人口は4771万人(中位推計)になり、GDPが世界の1.8%の小国になる。そのとき今のGDPを維持するには年率1.2%で労働生産性が上昇しなければならないが、最近の実績は0.7%なので、今のままでは日本経済は縮小する。

「コンパクトシティ」への選択と集中が必要だ

 経済が縮小しても1人あたりGDPが維持されれば今の生活は維持できるが、何もしなければ、働かない高齢者が増えるので生活水準は下がる。生産年齢人口は毎年1%近く減るので、高齢者を支える現役世代の負担が重くなる。

 今の社会保障制度のままだと、2025年に国民負担率(税+社会保険料)は50%を超え、2050年には70%に達する。国民所得(純所得)が年率1%で成長するとしても、1人あたり可処分所得は2050年には今より30%減る。実質GDPのゼロ成長というのは、可処分所得のマイナス成長なのだ。

 このようなマイナス成長による貧困化を防ぐには労働生産性を上げる必要があるが、これも容易ではない。製造業の成長があまり望めない以上、国内のサービス業の生産性を上げるしかないが、それを阻んでいるのが地方にばらまかれる税金だ。

 これから日本経済が生き残るには、東京をはじめとする大都市にインフラ投資を集中し、上海やシンガポールと競争しなければならない。今のところ東京の競争力は高いが、そこから上がった収益が地方にばらまかれると、都市も衰退するおそれがある。

 実はこれから高齢化が最も急速に起こるのは、大都市圏である。東京圏では2035年までに65歳以上の人口は75%も増え、人口の32%を占める。これは現在の島根県より高齢化率が高く、現役世代2人で高齢者1人を養う計算だ。

 今の社会保障を維持すると、東京の財政負担は25年間で2倍以上になり、税率(国税・地方税)は50%以上になる。このように大きな負担は不可能だから、公共サービスの大幅な縮減は避けられない。つまり今の社会保障を維持したままでは、日本経済の中核となる大都市のサービス業も行き詰まるおそれが強い。

 必要なのは、社会保障の抜本的な見直しとともに、人口を都市に集中してインフラを中核都市に集中するコンパクトシティの発想だ。薄く広く税金を地方にばらまいていては、新興国との競争に勝てない。いま世界で最も成長しているのは、上海、ムンバイ、リオデジャネイロなど1000万人以上の人口を集める「メガシティ」である。

 人口減少時代に必要なのは「地方創生」と称して地方に補助金をばらまくことではなく、地方の高齢者に偏した社会保障を改革し、高齢化時代に対応した効率的なインフラ整備を進め、農村部には投資しないで大都市への人口集中を進める戦略である。