“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

朝日新聞の謝罪 言論報道の責任と使命

2014年09月15日 18時13分03秒 | 臼蔵の呟き

この間、安倍政権によるNHK経営委員会人事への関与、報道内容への政治介入は目にあまるものがありました。その結果、NHKは国営放送ではないかと思うような番組、報道姿勢をとるにいたっています。テレビ局に対する威圧と、政治権力への屈服がある程度進んだ、現在、今度は新聞各紙への政治権力の介入の姿勢が顕著になっているように感じます。先週の読売新聞は一面で、朝日新聞の謝罪、記事内容の誤報について大々的に報じました。同業他社の誤報を報じるにしてはあまりにも常軌を逸した紙面構成、報道には唖然としました。

安倍、自民党右翼政権がねらっているのは、新聞社で少しでも政権批判を行うような報道姿勢に対する威圧を一罰百戒的に示すことではないかと思えるような、読売報道、政権に動きではないかと思います。

朝日新聞の購読者数が減少していると報じられています。ライバル紙は好都合かもしれませんが、このような政治的な威圧、右翼的マスコミが煽動して、特定のマスコミ、新聞社を恫喝するかのような行為は許せるものではありません。安部、自民党右翼政権が歴史認識の改ざんを徹底して進める中で起きたこのようなマスコミへの攻撃は、非常に危険であり、特定秘密保護法との関係でも許してはならない政治問題です。政治権力が、意図的に流す、彼らにとって都合のよい報道、記事だけになれば、国民は真実を知る機会を奪われることになります。アジア太平洋戦争時の大本営発表しかない中で、戦争に突き進み、大政翼賛会による戦争動員を受けた過ち、過去の歴史を繰り返してはならないと思います。

<東京新聞社説>朝日新聞の謝罪 言論報道の責任と使命

 朝日新聞の木村伊量(ただかず)社長が、東京電力福島第一原発事故や慰安婦問題に関わる誤報を謝罪し、進退に言及した。誠実に事実と向き合う姿勢を貫くことは、新聞をはじめ報道機関にとって大前提だ。

 木村氏はまず、原発事故の政府事故調査・検証委員会が、当時の所長だった故吉田昌郎氏から聞き取ってまとめた「吉田調書」をめぐり、五月に報じた記事を間違いとして取り消した。

 次いで、韓国済州島で慰安婦を強制連行したとする故吉田清治氏の虚偽証言に基づいて報じてきた記事を八月の特集で取り消し、訂正しながら、謝罪を欠いたことをわびた。

 さらに、その遅きに失した姿勢を批判的に論じたジャーナリスト池上彰さんのコラムの掲載を一時拒んだ問題の責任も認めた。

 これらに関連して、杉浦信之取締役の編集担当の職を解き、木村氏自身も「編集部門の抜本改革など再生に向けておおよその道筋をつけた上で進退を決断する」と述べ、辞任を示唆した。

 真実の追求を心掛けても、人間の行為ゆえに時として誤報は免れ難い。重要なのは、その指摘を受けたときに、いかに誠実に対応するかだ。記事に誤りがあれば正し、謝罪するのは当たり前だ。朝日の対応はすべてが後手に回り、報道機関全体への信頼を損ないかねない事態をもたらしている。やはりその責任は重い。

 一連の問題は、読者の意見や批判を真摯(しんし)に受け止めることの大切さを示した。言論報道の自由は国民の知る権利に応え、民主主義を支えるためにある。この使命と責任を果たすには、正確かつ公正に徹せねばならない。誤報やその対応の過ちによって、権力の介入を招いてはならない。

 さまざまな情報が瞬時に世界を駆け巡るネット時代だ。不確かな情報も氾濫している。こうした時代だからこそ、新聞の責任ある報道がますます重要になっていることをかみしめたい。

 朝日の誤報を追及するあまり慰安婦問題が存在しなかったかのような議論は疑問だ。戦時下の女性の尊厳や人権がいかに蹂躙(じゅうりん)されてきたかを直視する取り組みは続けるべきだ。

 また、河野談話や「女性のためのアジア平和国民基金」による償いなどによって、日本が正面から問題に向き合ってきたことを国際社会に知らせていくべきだ。近隣諸国との関係に心を砕き、世界での誤解を解いていきたい。