落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (33)       第三章 ふたたびの旅 ①

2016-08-23 11:26:13 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (33)
      第三章 ふたたびの旅 ①



 「忠治が帰って来るぞ!」噂がまたたく間に、
国定村と、となり村の田部井(ためがい)を駆けめぐる。
忠治はまだ、旅の途中を歩いている。
武州高萩から上州の国定まで途中で、荒川と利根川の2本の大河を超える。



 健脚でも、3日はかかる。
遠くに見えていた赤城山が、進むにつれて大きくなる。
見慣れた赤城の峰が近づいてくるたび、前へすすむ忠治の足が速くなる。
1年のご無沙汰だが、見慣れた山容が近づいてくると何故か嬉しい。


 (久しぶりに見る赤城の山だ。目に沁みて、懐かしいな・・・
 へっ、柄にもなくおいらの胸が、今日に限ってしめっぽくなっていやがる)



 宿も取らず、夜通し忠治は歩きつづける。
荒川から熊谷の宿を抜ける。
さらに利根川を渡ると、境の宿が目の前にひろがってきた。
百々(どうど)の紋次が、ここで一家を張っている。
しかし。いまの忠治に挨拶に寄っている余裕はない。
素通りを決めた忠治が、さらに北に向って足をすすめる。



 国定村の自分の家に着いたのは、2日目の陽が落ちる少し前だった。
すでに今日の仕事は片付いているようだ。
庭にも納戸にも、人の姿はない。
散歩から帰って来たような顔で、忠治が勝手口へ回っていく。
母親とお鶴が仲良く並んで、夕食の支度をしている。


 「いま、帰(けぇ)ったぜ」


 
 忠治の声に、あわてて2人が振り返る。
母親はポカンと口をあけたまま、手元を停めて、忠治の顔を見つめ返す。
お鶴も驚きを隠せない。
袖口からのぞいている透きとおった白い手が、小刻みに震えている。


 「よお、帰ってきたのう・・・
 はやく、お父に知らせてやるべぇ・・・」



 母親があわてて、仏壇に向かって走っていく。
走り去っていく母親の後ろ姿が、忠治には小さく見える。
忠治がお鶴に視線を向ける。
苦労をかけたせいだろう。お鶴もまたひとまわり小さく見える。



 「お帰り。もう2度と会えないと思ってた・・・あたし」



 お鶴の声がもれて来た。感情を押し殺した声だ。
しかし次の瞬間。お鶴の身体がふらりと揺れる。
そのままお鶴の身体が、忠治の胸の中へ倒れ込んできた。
忠治があわてて受け止める。


 「馬鹿・・・2度と何処へも行かないで。
 あたし。恥ずかしくって実家へも帰れないんだから・・・」



 「悪かった。もう2度と離さねぇ。俺はおめえのそばへずっといる」


 「ホント・・・嬉しい」



 お鶴の目が輝く。
「嘘じゃねぇ」忠治の腕が、力強くお鶴の痩せた身体を抱き寄せる。
髪の匂いが、懐かしく、忠治の鼻へ漂ってきた。
1年前。忠治はこの匂いを毎晩嗅いでいた。



 「もう。絶対に離さねぇ・・・」忠治が、満身の力でお鶴を抱きしめる。
忠治の身体の奥から熱いものがこみあげてきた。
それはお鶴も同じだ。
ピタリと重なったお鶴の身体から、女の匂いが立ちこめてきた。



 (こいつにゃ苦労をかけちまった。
 なにも、博徒になるだけが人生じゃねぇ。
 こいつのためにもう一度、人生をやりなおしてみるか・・・)



 そんな想いが、忠治の脳裏をかすめていく。


(34)へつづく

おとなの「上毛かるた」更新中です