落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第23話 佳つ乃(かつの)の淋しさ

2014-10-28 09:35:55 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第23話 佳つ乃(かつの)の淋しさ




 それから15分ほどが経った。
関東風の「すいとん」を満喫した美人芸妓の佳つ乃(かつの)が、いつの間にか
カウンターに突っ伏して、スヤスヤと寝息を立てて眠りはじめた。
「寝かせてやろう」と立ち上がったおおきに財団の理事長が、足音をたてないように、
奥のボックス席へ移動していく。


 「俺の分は、こっちへ持ってきてくれ」と、理事長が目で合図を送る。
ちょうど2杯目のすいとんが出来がったばかりだ。
路上似顔絵師も足音を立てないように、そろりそろり奥のボックス席へどんぶりを運ぶ。
「これが関東風のすいとんか。なんだかツユの色が黒いなぁ、出しが違うのか?」
どんぶりを受け取った知事長が、路上似顔絵師の顔を見上げる。



 「出しは同じですが、関東は関西とは異なり濃口の醤油を使います。
 群馬県や栃木県は、これでもまだ色が薄いほうです。
 東北の福島や岩手に行くと、もっとドバドバとたっぷり濃口醤油を使います。
 当然のことですが、味も濃く、ツユも真っ黒けになります」

 「充分に黒く見えるが、東北へ行くとさらに濃くなるのか。ふぅ~ん。
 東の方の人間は無粋だな。
 醤油を入れ過ぎると塩分の摂りすぎで、高血圧になるだけだ」


 同じ日本でも関東と関西で、汁ものの色が大きく異なる。
一般的に関西は薄口醤油の薄いつゆが主流で、こんぶだしが基本になる。
いっぽうの関東は、濃いつゆの、かつお風味の醤油味がというのが定番だ。
「へぇぇ。これが関東風のつゆか」と、パイプクラブの面々も
興味深そうに理事長の周りに集まって来る。


 「旨い。悪くない」いけるじゃないかこれ、と理事長が似顔絵師を見上げる。
そこへ座れとばかりに、顎で座席を示す。
「これだけの腕が有れば、こんなシケたトコで仕事をしなくてもええやろう。
どうや。ええトコを紹介してやるから、本気で板前修業をはじめる気は有るか?」
と目を細め、路上似顔絵師の顔を覗き込む。



 「いえ。本業は路上の似顔絵師ですし、ここでの仕事にも満足しています」


 「本業で食えんから、こんなうす暗いバーで安い金でアルバイトをしとるからに。
 まるっきしもって欲のない奴だな、お前はんて奴は。
 まぁええ。その気になったら電話しいな。番号はオーナーが知っとる」

 ありがとうございます。でもそれよりも、おおきに財団の理事長に、
是非とも教えてほしいことが有るのですがと、路上似顔絵師が身体を乗り出す。


 「佳つ乃(かつの)さんのことです。
 妹芸妓の清乃さんが引退をしてから、見た通りの荒れ放題です。
 たかが妹芸妓の引退だというのに、どうしてそんなにショックを受けるのですか?
 女の人は本能的に、気持ちの切り替えが早いと聞いています。
 別れたら別の人と、昔から良く言うじゃないですか」

 「最近の、佳つ乃(かつの)の様子が気になんのか?。
 佳つ乃(かつの)に、惚れとるのかお前?。
 やけど、とうに30は過ぎとるはずやし、お前はんよりはるかに年上や。
 そやけどもはた目で見ていて、心配だというお前はんの気持ちには嬉しいものが有る。
 祇園における姉妹の契りには、特別なもんがある」


 「ヤクザの世界における親分子分の関係か、義兄弟のようなものですか?」



 「たとえが悪いが、まぁ、似たようなものだと考えてもええやろう。
 舞妓になるために祗園へやって来ると、どこぞの置屋はんでまずおちょぼになる。
 仕込みをおよそ一年ほど続けてから、舞妓として店出しを(デビュー)する。
 このときに必ず、芸妓のお姉はんに引いてもらう。
 この時の人選は屋形のお母はんの判断で、だいたいは決まっとる。
 ほとんどの場合、誰にひいてもらうか舞妓の意志は反映されへんことになる。
 ごく稀に、自分から逆指名するちゅうこともあるが、こらあくまでも例外だ」


 「本人の意思が通じないとなると、親が決めた見合い結婚みたいなものですねぇ。
 へぇぇ封建的なんですねぇ、祇園の義理姉妹と言うのは・・・」


 「黙って聞け。話がややこしくなるやないか!」長い話になるから、
黙って聞けと理事長が、すいとんのどんぶりをそっと静かに、テーブルへ置く。


第24話につづく

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