サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

愛の物語シリーズ【17】ひび割れた壺の巻

2015-10-25 00:00:20 | 日記
集中の実践は瞑想への準備です。
瞑想の持続時間は集中の12倍です。
つまり12x12=144秒.即ち、2分と24秒です。
正しい瞑想は集中を正しく行うことが出来て初めて可能です。
12の瞑想は三昧の一つ分に相当します。
つまり144秒x12で28分と48秒です。
1時間よりもずっと短いのです。
もし三昧がこれよりも長くなったらそれは生命に危険を及ぼすかもしれません。以上が、ヨーガ行者の実践する修行法です。
今私が述べた修行法は、これまでのどの経典にも記されていません。29/6/89

ポニョ:今日の最初のストーリーは、遥かカナダからのお話です。おいらが、一人でアシュラムにいた頃、西洋人専用食堂で聞いた話をお送りしますね。

アシュラムの西洋人向けのカンティーンで最高に美味い本場のべジタリアン ピザを、至福の思いに浸って食っていた。



多分、イタリア人のボランティアがキッチンで働いているんだわさ。

後で少し、皿洗いの御奉仕でもしたついでに、ありがとう、って言ってあげようね。

おいらが、至福の思いに浸れるのはこの瞬間だけだもんね。

だって、美味しいものを食べている時、この時が永遠に続いて欲しい、他に何もいらない、他の何にも関心が無い、美味しいものがあれば、なんにもいらない。というような気分になるのじゃ。

これって、神の至福に浸る事と同じではないか?

と経験したことのない、神の至福を、ピザ一枚で、しかも自分の舌で味わえるってのは最高じゃね。

これって、至福って言わないんだってさ。失礼しました。

凡人は、悲しい~!

早く、至福の体験がしたいよ~。

というような迷走する思いで頭の中を一杯にしながら、とろけるような本場のピザをほおばっていると、背の高い白人が、

「ココニスワッテモイイデスカ?」

「アナタハ、ニホンジンデスカ?」

「ケンサン、シッテマスカ?」

「ワタシ、アッタコトアリマス。」

と、ビックリするぐらいのとても流暢な英語で話しかけてきた。あたりまえじゃ。

「そら、健さんぐらい、日本人だったら誰でも知っているさ。国民的映画スターだぜ。」
というと、



「カレガ、エイガスターナンテ、シリマセンデシタ。」

「フットボールノスターノ、マチガイデハ、ナイノデスカ?」

「おい、おい、どの健さんのことを言っているんだよ。おいらは、フットボールの健さんなんて、聞いたことがないぜ。
間違いじゃないのかい?あんたが言っているケンさんって、なに健って言うんだい?」

「トロントニスンデル、ウエヤマ ケンサンデス。」

「それを、早く言いなよ。こちとらは、てっきり高倉の健さんだと思い込んじゃったじゃねーか。」

「ほんと、手間とらしやがって、これだから金パツと話すのは、面倒なんだぜ。」

「ところでよー。そのトロントのケンさんって野郎は、一体どんな野郎なんだい?」

「ケンサンハ、…」

「分かった。分かった。もう喋らなくていいから。たくー!カタカナの変換ボタンを、いちいち押すのが面倒になってきやがった。」

「こちとらで、お前さんの、言ったことを平仮名でタイプするんで、もういいよ。金パツの兄さんはもういいから、舞台の裏に、引っ込んでおきな。ご苦労さん。」

という具合で、いきなりカナダの金パツの兄さんからトロントのケンさんの話を聞く羽目になっちまいました。

せっかくの、ピザが冷めちまったじゃねーか。おいらの胃袋を満たす、至福の時を犠牲にして聞いた、ケンさんの奇跡の話でヤンス。



ケンさんは、大学在学中に奥さんと知り合いサイババさんの事も知った。

もともと、クリスチャンで牧師になり、プロフットボールの選手でもあった。

奥さんは、是非サイババさんに会いに行きたいという希望を持っていたので、ケンさんもあまり乗り気はしなかったが、一緒について行くことにした。

早朝のダルシャンに参加しないといけないと言われたが、奥さんだけ行かして自分は部屋にいた。

しかし、奥さんにお尻を叩かれて行くことにしたが、朝早いので、ダルシャンラインで居眠りしてしまった。

サイババさんが、出て来られて足で踏まれて起こされた。周りの人たちに笑われた。



それ以来、また行くのをやめた。

ある日、ボランティアで地面を馴らす仕事をしていると、サイババさんの車が横に停車して、調子がおかしいのでちょっと見てくれと言われた。

ボンネットを開けて、チェックするとキャブレターの故障のようだった。

サイババさんにそう告げると、サイババさんは宙から、手を回してキャブレターを取り出した。

驚いて、製造ナンバーが同じか照らし合わせて見ても、サイババさんが物質化されたキャブレターには製造ナンバーは無かった。

サイババさんが、クルマの中からいろんな工具を出されたので無事にキャブレターを交換出来た。



その後、インタビューに呼んでもらい、ケンさんの前世はシルディババの信者だったと告げられた。

サイババさんは、ケンさんのトロントの家を訪れるつもりだ。そして、いろんな奇跡を見せてあげると言われた。

ケンさんの家には小さい地下室があり、そこに祭壇をおいて神様を祀っていた。

インドから帰って来てそこで、夫婦でバジャンをしていると、小さなヒンドゥー教の神さんの像が祭壇の上に現れるようになった。



また、果物をお供えしておくとバジャンが終わったら、その果物にいろんなサイババさんのメッセージが書かれてあった。

お供え用の果物がない時には、メッセージが書かれた果物が出現する時もあった。

驚くべきことに、お供えの果物が小さくてまだ食に適していない時は、バジャン中に大きくなり、バジャンが終わる頃にはちょうど食べ頃の大きさになっているのだった。

もちろん、メッセージも付いていた。



そのような奇跡の噂を聞きつけて、多くの人がやって来た。電話も絶える事なく鳴った。

だが、残念なことに地下室はとても狭かったので予約して行かないと皆んなが入りきれなかった。

それでも来た人たちは、ビデオカメラやカメラで果物が大きくなったり、突然メッセージや神の像などが現れたりするのを撮って喜んで帰って行った。

地元のマスコミやラジオ局も取材に来た。トロント中で有名になった。

暫らくすると、サイババさんが家に現れ始めた。

奥さんには見えないのだが、ケンさんにだけは見ることが出来た。

見えるだけではなくて、話すこともまた、一緒に台所の皿洗いも手伝ってくれた。

話す内容は、雑多な毎日の出来事から始まって、最近では主にトロントの郊外に引っ越す話題が多くなっていた。

農場を買って、そこで新しいアシュラムを始める話だ。

サイババさんはそこは将来、大きな社会動乱が起こるので避難民キャンプになると言われたのだ。

場所は、ケンさんの夢の中でその農場の景色を見せるので、自分で探すように言われた。

そして、ケンさんは、それを見つけた……。

ポニョ:という話やったよな。あんたの話と少し似ているよな。

ヨシオ:まあな。俺が聞いた話はケンさんが若い頃郵便配達の仕事をしていて、その頃自転車で郵便物を配っていたんやけれど、ある日後ろからすごい勢いで白い鉢巻に白い服を着たお爺さんが乗った自転車が追いついて来て、崖に面したカーブで曲がらずにそのままお爺さんは真っ直ぐ走って、宙を駆け登るようにして消えてしまったらしい。後でそのお爺さんは、シルディのババだったと知るディ。

ポニョ:なんやそのダジャレは。ほら、やっぱりケンさんも前世はシルディサイババと関係があった人やんか。あんたと一緒や。でも面白いよな。前世でインド人やった人がこうして世界中に生まれ変わって、サティアサイババの仕事をしてるって。そういう人って、もう既に一定の霊的なレベルに達している人なんやろな。おいらは、自分の霊的なレベルを上げようと一生懸命瞑想やらマントラを唱えたりしているけれど、お腹が空き始めると頭の中は食べ物の事でいっぱいになるんやぜよ。特に、台所から美味しそうな匂いがして来るともう心はそっちの方に釘付けになってしまって、瞑想が迷走になってしまうんやぜよ。

ヨシオ:実は瞑想というのは、八つの霊性修行のうち二番目に高い修行なんや。だから、先ずポニョのような人は集中力を高めなくてはいけないんや。ポニョはアシュタンガヨーガって聞いたことがあるやろ。

ポニョ:知ってるぜよ。もののけ姫に出てくる男の子やんか。

ヨシオ:それは、アシタカや。俺が言ってるのはアシュタンガや。

ポニョ:あんまり変われへんやんか。それで、その後アシュタカと、もののけ姫は上手く行ってるんか?噂によれば、宮崎アニメの宴会に二人でやって来て、酒に弱いもののけ姫が先に酔っ払って寝てしまったので、アシタカが優しくマントをかけてたで。もうすぐやろな。あの二人が結婚するのは。おいらも結婚式に呼んで欲しいな。カカシ先生やエロ仙人の自来也も呼ばれるやろな。会いたいな。

ヨシオ:そんな話は知らんちゅうに。俺が言ってるのは、アシュタンガヨーガと言ってサマディに至るまでに昇って行かなければならない八つの段階の事なんや。

ポニョ:なんや。それやったら明日(あした)がよか。

ヨシオ:違うっちゅうに。何がアシタがヨカや。アシュタンガヨガやって言ってるやろ。

ポニョ:本当はおいらだってそのヨガの事はよく知ってるぜよ。きちんとヨガのポーズをして座って、瞑想中にウトウト寝ないようにする為に、あまり食べ過ぎないようにするとかそんなんやろ。

ヨシオ:それとはちょっと違うんや。先ず、正しい生活を送ること、心を清め、清く正しい生活をすること。もちろん肉食をしたりするのは御法度なんや。そして、ポニョが言ったみたいに正しく座り、呼吸を整え、感覚をコントロールし、揺らぎない神への信仰心を持って、神様に集中出来ること等や。そして、次に来るのが瞑想で、それは第七番目の段階なんや。

ポニョ:それって、おいらが思っているより厳しい条件やな。特に感覚のコントロールなんて無理や。食事を抜いて断食なんて絶対出来ないし。心は綺麗けどな。

ヨシオ:自分で言うてどうするねん。でも、そういう条件をクリヤー出来た人だけが瞑想をする資格があるんや。それらの前提条件を飛び越えて瞑想を始めると、集中出来ないだけではなく、瞑想をしている間、いろんな世俗的な事や、欲望を頭に浮かべてしまうので、気が狂ってしまう人もいるのでとても危険なんや。特に、瞑想を人に教えるなんて、厳密に言えば無理なんや。だって、教える人は瞑想をしている人が、瞑想をしている間に何を頭の中で想像しているのか、分からないやろ。その人の霊的レベルによっても違うし。

ヨガを行うその人の感覚の力が未だ相当に強い場合、その人の感情と熱情をそのままにしてヨガをすれば、悲惨な結果を生むことになるでしょう。
その人は狂気に陥り、自分自身や他の人にばかげたことや下劣なことを言ったり書いたりします。
私は、このように道に迷った多くの修行者を知っています。
それゆえ感覚をコントロールし、あなたの中にある感情や熱情をコントロールし、心が外的なものを追いかけさせないようにさせ、寒さや暑さ、悲しみや喜び、得たり失ったりしても平常心でいられる力を得なさい。
経典に記されていることや、聖者たちの体験を信頼しなさい。
それゆえ何事にも動じない心、忍耐心が、(神と融合するという)大志を抱く者の必要条件だと強調されてきたのです。SSvol10p118

ポニョ:でも、さっきも言ったけど、ババは光明瞑想を勧めておられているよな。また、トライしてみようかな。

ヨシオ:ポニョの気がすむようにすればええやんか。例のサイの学生のマユールさんも、クンダリーニヨーガの本を読み、自分もクンダリーニのパワーが欲しくなって瞑想をすることにしたんや。それで、一人になる場所を探していたら、ちょうどサイカレッジの校舎の建設中だったので、半分完成しかけた工事中の校舎の誰もいない教室に入り、ババの光明瞑想を始めたんや。一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、そして半年近く、毎日のように長い間、一日も欠かさず瞑想に励んだんや。するとある日、何時ものように光を身体中に回して、霊体を浄化し、その光を第三の眼のある眉間に持って来ると、その光が大きく輝き、自分がその光に飲み込まれるようなヴィジョンを見たんや。少し怖くなって来たので、目を開けようとしても、その光が強烈で身体中が焼けるのではないかと思うぐらい熱を感じて、目も開けられなかったんや。マユールさんは、これが僕が長い間瞑想をして追い求めていたクンダリーニのパワーか?と感激したんや。そして、しばらくすると精神も落ち着いてきて、今日の瞑想は最高だった。ととても喜んで目を開けると、なんとロウソクの炎が風よけに使っていたダンボールの紙に燃え移って灰になっていたんや。ババは、このあとマユールさんを全校生徒の前で、君!「ヒビ割れた壺君」こっちに来なさいと言って呼ばれたんや。マユールさんはどうしてババが自分の事を「ヒビ割れた壺君」と350人もいる全学生の前で呼ばれたのか分からんかったんやけど、この後ババは、講話でアシュタンガヨーガについて話されたんや。

ポニョ:つまり、瞑想をする段階に達していない人が瞑想をしても、それはまるで「ヒビ割れた壺」と同じで瞑想で蓄えられた霊力が身体から漏れて行ってしまうって事なんや。やっぱり、おいらは瞑想やめた。アシュタンガヨーガを一つひとつクリヤーしてからや。早速、明日(あした)がよか?


善い性質を培うためには、根気強い努力が必要です。
あなたはその過程で、幾つもの障害物を乗り越えなければなりません。
美徳を培うことによって初めて、あなたの心は浄化され、集中力を獲得することができて、神の黙想や瞑想に没頭できるようになるのです。
そのような善い性質が備わっていなければ、心は一時の間も静かにしていることができません。心に善い性質や善い想いが備わっていないのであれば、どうして心を瞑想だけに向けることができるでしょう? 
レンガや漆喰を準備しなければ、どうして家を建てることができるでしょう? 
ですからあなたが、瞑想に没頭したいと望むのであれば、まず初めに、善い性質と善い想いを身につけなければなりません。KSHより

メッシングをもう一度

2015-10-24 00:00:15 | 日記
様々な人が様々の考えを持っています。それゆえ人の考えは皆違うのです。
これらの相違によって、心もまた異なる色を持ちます。
例えば怒りに満ちた心は赤い色をしています。
利己的な心は茶色です。
自分中心の心はオレンジ色です。
神に捧げた心は純白です。私達は心を色々な色に染めています。
色は、外から来るのではありません。
心に特定の色をつけたのはその人の想念です。
それゆえ心が良い想念で満たされている時のみ、その人の人生は平安で安全なのです。24/5/9?

ポニョ:ゴーカクさんの話の中に世界的に有名な霊能者であるメッシングさんの話が出て来ましたので今日は、メッシングさんの話を再掲しますね。

ヨシオ:子供の頃に、シルディババが家に来られて、その頃まだ九才だったメッシングに家を出なさいと言われたんやったな。

ポニョ:ババはシルディババと名前は特定されていなかったけれど、そのような容姿やったよな。でもメッシングさんのような霊能力者が歩む人生って、本当に苦難に満ちた人生になるよな。お金を殆ど持たずに家を出たんやで。

ヨシオ:そのような霊能力者は、この世界は幻の世界だと知っているから、この世に全く執着せず、人から気狂い扱いされても平気なんや。ただ、真理だけを追求する事が唯一の欲望なんや。というわけで、ポニョにメッシングさんとババが会われた時の話をしてもらおうか?ちょうど子供の頃のババが、兄嫁さんの実家に滞在されていた時のエピソードやな。
兄嫁さんの実家です


ポニョ:そうそう。毎日遠くの井戸まで水汲みに行かされたり、揺り椅子に座っただけで叱られたりしていた頃やな。兄嫁さんの家は二階建てで、当時では結構大きな家やったんや。カマラープラムの鉄道の駅のすぐ近くで、子供の頃のババは、友達達と一緒に汽車を見に行ったりして、よく駅の周辺で遊ばれていたんや。ということで、メッシングさんのお話を始めますね。
揺り椅子に座っていたら、兄嫁さんの弟さんに叱られました(でも、あとで倍返しをしましたw)



ヨシオ:子供のババが変な白人のおっちゃんに大好きよ~ってキスされた事件があったよな。それって、カマラープラムやったんと違うんか?

ポニョ:そうや。カマラープラムの駅での出来事やったぜよ。汚そうなおっちゃんに抱き上げられて嫌やったろうな。ほんまに不気味なおっちゃんや。長いこと風呂も入っとれへんで。この人。

ヨシオ:メッシングという名前やな。略してメッシーさんや。

ポニョ:それは良くないわ。メッシーって散らかして汚いという意味になるんと違うんか。ちょっと言い過ぎや。

ヨシオ:メッシーさんて呼ぶのは止めよか。今、ロシアでもメッシングが見直されて来て、テレビドラマにもなってるんやで。

ポニョ:結構有名になって来たんやな。

ヨシオ:今ではロシアでは誰でもメッシングのことを知ってるんや。
当代一のテレパシーの使い手。
ヒットラーの東行きは命取りになると予言した男。
スターリンに、赤軍の戦車がベルリンに攻めると予言した男。
ヒットラーに指名手配された男。
想念だけのパワーで銀行からお金を取れる男。
スターリン、フロイドを精神世界に導いた者。
アインシュタインが憧れた男などエピソードに事欠かない有名人になってしまったんや。

それでは、まず最初にサイババさんの御講話から見て行きましょう。

1917年から、ロシアにおいて、主にスターリンによって物質主義と無神論が奨励されました。
しかし、スターリンは反対勢力を完全に抑えることはできませんでした。
ウルフ・メッシングという名の強力なスピリチュアルな人物〔1899-1974年。特殊な能力を備えていたポーランド生まれのユダヤ人で、迫害を逃れて1939年にソ連に亡命した〕が現れ、浄化された意識と、神聖な特質によっての霊識を示したのです。スターリンはメッシングを引きずりおろすことを計画し、メッシングをヒトラーのもとに送還しました。メッシングは祈りました。

「主よ! 私はただひたすら、あなたの栄光を地上に広めようとしているのです。ですから、私はあのような邪悪な人々の戦略を恐れてはいません」
ヒトラーのもとに送還される途中、メッシングはウィーンでアインシュタインに出会い、また、心理学を研究していたフロイトにも出会いました。
フロイトは、メッシングのもつ力に驚き、自分の研究が浅いものであることに気づき、人間のもつ最高レベルの意識を探求することに興味が向きました。
スターリンはフロイトとメッシングに感化されましたが、これまで築いてきた自分のイメージを壊したくはありませんでした。
スターリンは、物質的、無神論的な状態に落ち着くという安易な道を歩み続け、若者たちの心に無宗教を植えつけました。

この体は、明日55歳に至ります。私は今日まで、この出来事を、どこにも、誰にも明かしませんでした。それは1937年のことでした。
この体はその時11歳でした。
私は当時、取り巻きの少年たちのグループと一日中行動を共にしていました。
私はそのころ、カダパ県のカマラープラムにいました。
その日、私は少年たちといっしょにカマラープラムの駅の近くにいました。

カマラープラム駅

ある人物が私を見て、私のもとに駆け寄ってきました。そして、
「アイム ソー ハッピー、アイム ソー ハッピー」
と言いながら、私を腕に抱き、キスをしました。
頬には涙が伝っていました。その男は大喜びで狂ったように踊りながら、「アイ ラブ ユー、アイ ラブ ユー」と繰り返していました。

そのすべてを見ていた私の仲間たちは、こう怪しみました。

「この白人は誰だろう? どうも頭がおかしいようだ。最後には誘拐しようというのだろう」
私たちがそこを立ち去ると、その男はその場に立ちつくしたまま、私が視界から見えなくなるまで、物欲しげにずっと私を見つめていました。
それはメッシングでした。
メシングは、アートマ原理を確認して実感認識するためにインドに来ていました。
メッシングはそれを目的に、さまざまな霊性修行に着手しました。
その結果、メッシングは神のヴィジョンを得ました。
メッシングは、ガンガーや、ヒマラヤで苦行を積む大勢の聖人に会い、自分が切望していたものを勝ち得たことに満足して、自国に戻りました。
自分が探さなければならないものを知り、それを追い求める者だけが、ゴールに達することができます。
ブラフマンの本質を知るものだけが、ブラフマンの本質を認識することができます。
メッシングはずっとアートマを心に想っていたので、自分はその意識に到達したと公言できたのです。

メッシングは、スターリンの国は崩壊すると述べ、その予言どおり、その直後にフルシチョフが国を転換しました。
キリルという写真家も、その変革を助けました。
キリルは南ロシアの黒海沿岸にあった自分の現像所で多くの実験をしました。
キリルは、人間の体の周囲に存在する多色のオーラは、認識可能であり、写真に写せることを実証しました〔キルリアン写真〕。
キリルはオーラの存在を知らなかったため、既知の物理の限界を超えたところに到達しました。
人間のオーラ、植物のオーラ、昆虫のオーラ、石のオーラが、キリルのカメラによって捕らえられました。
キリルは、「このすべてはイーシュワラ〔至高神〕に包まれてというヴェーダの言明は真実であることを証明したのです。
あるとき、キリルは列車で旅をしているときに「空飛ぶ円盤」を見ました。
そして、人間の理解を超えた世界が存在するのだと断言しました。
キリルは遠くの惑星にも生命が存在すると断定しました。
キリルは天の川の近くの別の銀河系にも生命が存在すると主張したのでした。
こうした展開はすべて、片や物質主義が一般大衆の指示を得ている一方で、道徳性や人間性、スピリチュアリズムへのより深い確信も、同様に人々の心をつかんでいることを示しています。
何年かのうちに無神論者が有神論者に変わることに疑いはありません。SSS14p194

ヨシオ:突然変な汚いおっさんが来て抱き上げられてキスされたら誰でも驚くよな。


ポニョ:最初は少し離れたところでサティアを見てたんやけれど、その後近づいて来たのでラメーシュが家の人に助けを求めたんや。その前に汽車の中からメッシングは飛び出してきた時に思いっきりひっくり返ったんやで。それを見ていた子供達は怪我でもしたんと違うかと心配したんやけれど、ババはどうも無い。全然怪我なんてしてないよ。と言われたんや。この後、友達のラメーシュのお父さんが慌ててジープでサティアを自分の家に連れて帰り、家に閉じ込めてメッシングに会わさないようにしたんや。それでも、メッシングはジープを追いかけて一日中、ラメーシュの家の前でずっと待ってたんや。
窓からサティアが見えると出て来いよ。おっちゃんはあんたに会って話したいよ。
とか言ったりサインを送ったりしてたんやけど、もちろん誰もサティアを外に出せへんかったんや。
メッシングは三日間も家の前で粘ってたんやけど、ついに諦めてドアのところにチョークで、この家の人はとても幸運やね。こんな神聖な子供と一緒におれて。俺はあんたらみたいに幸運に恵まれなかったわ。だから、もう帰ります。ありがとさんでした。と書き置きを残してロシアへ帰って行ったんや。

それから、二十年の月日が経ってメッシングは、もう一度サティアに会おうとカマラープラムにどこにも寄らんとやって来たんや。
今回は、キルリアン写真機も一緒に持ってきたんや。そのカメラで浄性な性質の人を撮ると白い光がその人の周りに写るんや。激してる人だと赤色。鈍性の人だと黒っぽく写るようにできてるんや。
それで、カマラープラムの人に昔聖者みたいな子供がいてたけど知らんか。と聞いて回ったんや。それで人は、ああその人ならサイババという名前で今バンガロールかプッタパルティにいてはるよ。と言ったんで、すぐにバンガロールに行くとサイババさんがちょうどバンガロールでダルシャンをしてられたので対面することが出来たんや。
メッシングはすぐに、この人や。俺が二十年前に見た子供は。おんなじオーラしとる。と思ったんや。メッシングはバンガロールのカレッジの校長をしていたナレンドラとそのお父さんと義理のお父さんにあんたらサイババさんの身体だけ見てたら分かれへんやろうけど、彼は神さんなんやで。オーラを見たら分かるんや。と言ってベランダにおられたサイババさんの写真を撮ったら、白いオーラがそこらじゅうに広がっているのが写ってたんや。
夜になって、校長がメッシングにあんたの体験を学生たちに話したってくれるか。と頼まれてメッシングは演壇に立ったんや。
でも、メッシングの目はサイババさんがどこに座っておられるか見てたんや。
やがて、サイババさんを見つけると走り寄って我が君よ。我が君よ。あなたは私の全てです。私はあなたの道具です。と言ったんや。

彼は、10日間ほどサイババさんの元にいてその間、先日も紹介したように、サイババさんは彼に神が人間の身体をとってこの世界に降臨すれば、神様も人間のように振るまわなければならないのだ。ということを話したんや。
メッシングは自分の書いた本をゴーカック博士にプレゼントしたが、博士はロシア語を読めないんや。その後、二三日してメッシングは誰にも言わずにインドを後にしたんや。
そして、しばらくしてからナレンドラはメッシングから、手紙を受け取ったんや。そこには、あんたはすごいラッキーやな。神様の元で先生として働けるなんて。もし良かったら、サイババの動静を知らせて欲しい。と書いてあったんや。

そのナレンドラが、サイババさんと二人きりでいた時、突然メッシングがその部屋に姿を現したことがあった。
身体は離れていても神さんへの強い信仰心があったらこんなことも出来るんやな。

ヨシオ:それって、以前紹介した新入女子社員の話と一緒やな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/5897270008f97a877d79f2c1c32f2612
ポニョ:そうや。そんな話があったよな。想念を神様に集中するか。でも、こんな人が世の中にいてるってすごいよな。

ヨシオ:人類ってすごい生きもんや。それが、ゴールデンエイジになれば、こんな神がかりのような人がうじゃうじゃその辺におるんやろうな。

ポニョ:どんなんや。それって。半分霊界の中を歩いている感じなんやろか。面白い。
モスクワにあるメッシングのお墓

ヨシオ:でもどうやってオーラを写真に撮ったんやろな。

ポニョ:幾つかの方法があるんやけど、人のオーラを写真に撮る方法は、高電圧で低周波の電気を流して撮るって言ってたな。
おいらは、理工系に弱いのです。エンジニアでも何でもないんから、これ以上聞かないでくれますか。

神の化身が地上を歩くとその土地を神聖化するといわれますが、私たちがその御足に触れること自体に、霊的な意義があるのです。
科学的に見ても、神の御足に触れることは次のような理由で意味があります。
血流は足から頭へと流れます。
人がつま先に触れるとその流れを感じることができます。
それが神のエネルギーなのです。
物質的な目でみると身体は肉体です。
しかし霊的にみるとオーラがどの身体の周りにもあるのです。
それは霊的なエネルギーが輝いているのです。
このエネルギーは波動からもたらせます。
それ故「神を見たものは罪を帳消しに出来る。神と言葉を交わしたものは苦しみを打ち消すことが出来る。神の御足に触れたものは自らの行為の結果から免れることが出来る。」と言われているのです。
信者が神の御足に触れると、それはまるでプラスとマイナスの電極が触れるようなもので、神のエネルギーを引き寄せることができるのです。
この結合はハートとハートの関係でなくてはなりません。
そうして始めて神のエネルギーが注ぎ込むことができるのです。
その結果、神と信者は一つになります。18/12/94



愛の物語シリーズ【16】ゴーカクさんについての講話の巻

2015-10-23 00:00:46 | 日記
ポニョ:今日の愛の物語シリーズは、昨日御約束した通り合格されたゴーカクさんのお話を、ババ御本人の御言葉でお送りしたいと思います。それではババ様お待たせいたしました。合格されたゴーカクさんの話をして下さいね。

ババ:あのね。君はちょっとそのしつこい下手くそなダジャレを何時までも言うのをやめてくれますか?合格して私と融合した人の事は良いから君自身の事をもっと心配しなさいね。実際ゴーカク君の詩を初めて聞いた時に私の本質を言い当てていたのでびっくらこいたんですよ。また機会があればどんな詩だったか紹介してあげて下さいね。前置きが長くなってはいけないので、そろそろゴーカク君の話をしましょう。

現副学長と前副学長は自らの体験を語りました。個人(ヴィヤシティ)が社会(サマシティ)との一体感を持つなら、その人は神(パラメーシティ)を悟ります。個人と社会の両方を超越している神を理解するのは非常に困難なことです。平常心を育てれば、個人と社会の間に調和が生まれます。

真実で永遠なるものを知りなさい

人は、社会がすべての基盤であることを悟るべきです。人は「私」と「あなた」というものが何を意味しているかを理解することができずにいます。

「あなたはどこで勉強していますか? 私はどこで勉強していますか?」

この二つの文章には、同じ社会(サマシティ)という原理の二つの異なるアイデンティティーが含まれています。これまで、社会の原理を真に理解した者は、ほんのわずかしかいません。社会の原理の中には神(パラメーシティ)の深遠な原理が存在します。しかし、神の深遠な原理を理解することは、さらにもっと困難です。

私たちのゴーカク(1909~1992 ヴィナーヤカ クリシュナ ゴーカク博士。シュリ サティヤ サイ大学の初代副学長)も同様に、そのような状態にありました。ゴーカクはたくさんの名著を読んでおり、多くの複雑な質問に対する答えを知っていました。けれども、何が真実で永遠なるものかを理解できていませんでした。同様に、アートマ(真我)とアナートマ(非真我)の違いも理解できていませんでした。本当のことを言えば、アナートマは存在していません。アートマだけがあまねく存在しているのです。しばらくして、ゴーカクはその真理を悟り、それを明確に理解しました。そのとき、私はゴーカクに助けを出したのです。

人が明瞭に理解するには多種の助けを必要とします。この助けは、真の帰依者に大きな永続する力を与えます。この助けは一時的なものではありません。それは真実で永続するものです。もしあなたが、何が真実で永遠であるかを探求し続けるなら、マーヤー(幻影、幻力、迷妄)のベールは徐々に取り除かれていくでしょう。

その後しばらくすると、ゴーカクは私に近づきました。疑問はすべて消え去り、無形で、真実の、永遠なる、純粋な、穢れなき神性原理に、ゴーカクはしっかりとつかまりました。

この神性原理は万人が理解できるものではありません。この真理の原理は、あなたの中にも、私の中にも、万人の中にも、等しく存在しています。真理を基盤と見なす者は、決して揺らぐことはありません。あらゆるものは変化するでしょうが、真理は不変です。

疑問の存在しない境地に到達しなさい

カルマの原理(因果応報)は理解し難いものです。ある種のカルマはあらゆる疑問を引き起こすかもしれません。しかし、別の種類のカルマは疑問を消し去り、あなたを一体性の境地へと連れて行きます。ゴーカクはこの真理を悟り、疑問はなくなりました。疑問の存在しない境地に至れば、真理を悟ります。これはモークシャ(解脱)のための王道です。

モークシャの真の意味は何でしょうか? モーハ クシャヤ(執着〔モーハ〕を取り除くこと)がモークシャ(解脱)です。執着を持っている限り、解脱は考えられません。それゆえ、まず第一に、無執着を得ようと懸命に努力すべきなのです。

ゴーカクは、真理の原理にしっかりとしがみつきました。ある日、ゴーカクは私のところへ来て尋ねました。

「良心と意識の間に別のものが存在しています。それがマーヤーです」

マーヤーはあらゆる二元性の原因です。マーヤーの餌食になってはいけません。あなたがマーヤーを払拭すれば、真理は内側から現れてきます。それはどのような種類の真理でしょう? 真理は見聞きできると思われていますが、真理は見ることも、聞くこともできません。真理はその両方を超越しています。ハートで感じられるものには、見聞きできるものはないのです。諸感覚を超越したときに、意識の夜明けは見えるのです。真理は意識の近くにあるものなのです。

翌朝、ゴーカクは再び私のところへ来て言いました。

「昨日私が抱いた疑問は何もかも取り除かれました。しかし、疑問の出所を理解するのは難しいということがわかってきました」

そこで私は言いました。

「では、蝙蝠を例に取りましょう。蝙蝠は鳥のように飛び回り、鳥のように餌を集めます。けれども蝙蝠は、鳥の性質とは反対に頭を逆さにして木の枝にぶら下がります。あなたは、蝙蝠は鳥なのか動物なのか疑問に思うかもしれません。人の疑問は同じようにして生じます。ある時点で、こういった疑問は一切生じなくなります。これは私と他の誰かのことを言っているのではありません。これはあなたと私に関することです」

個人は社会を構成しており、社会は個人の集団的な形です。煎じ詰めると、社会は個人が拡大したものです。個人と社会と神の間にある関係を理解する人は、真理を知ることができます。これが、最終的にゴーカクが理解したことです。誰もがこの真理を理解する努力をしなければなりません。

私たちは楽しく浮かれ騒いで人生を送っていますが、これは実在ではありません。俗世を乗り越えたとき、初めて実在を理解することができるのです。完全な変化はすぐには起こりません。ゴーカクはこの真理を大変よく理解していました。それゆえ、ゴーカクは根本真理にしっかりとしがみついたのです。最終的に、ゴーカクは他の一切を忘れました。

真理の夜明けと至福の体験

その当時、ゴーカクは『サーヴィトリー』(シュリ オーロビンドが書いた叙事詩で、「マハーバーラタ」の挿話である夫を生き返らせた貞女サーヴィトリー妃の物語の内的意味に基づいたもの)を学んでいました。ゴーカクの内なる思いは、すべてサーヴィトリー(ガーヤトリー女神)に集中していました。誰も皆、外からは見えない内なる思いを抱いています。あなたが一貫してサーダナ(霊性修行)を続けていれば、いつの日か、真理は突然、明らかになるでしょう。

ちょうどグル プールニマー祭が間近に迫っていました。ゴーカクは言いました。

「スワミ、私の進んでいる道に、光が近づいてくるのが見えます」

そう言った後、ゴーカクは目を閉じました。ゴーカクは一言も言葉を発しませんでした。私はゴーカクのそばに寄って頭に手を触れました。私は言いました。

「私の愛しい人よ、自宅に戻り、コーヒーを一杯飲んで、それからまたいらっしゃい。」

しかし、ゴーカクは何も言いませんでした。ゴーカクは二元性を超越したのです。ゴーカクは自宅に戻り、サーヴィトリーに祈ってから戻ってきました。

ついに、ゴーカクはあらゆる答えをサーヴィトリーから手に入れることができました。そのとき以来、ゴーカクはサーヴィトリーを憶念し始めました。

ゴーカクは朝にも夕にも私のところへ来ていました。ある日、私のところへ来たとき、ゴーカクは満面に笑みを湛えていました。私はゴーカクに尋ねました。

「とても幸せそうですね、どうしたのですか?」

「スワミ! この至福はあなたの祝福です。これは私から生じたものではありません」

そうゴーカクは答えました。

ニッティヤーナンダム、パラマスカダム、
ケーヴァラム グニャーナムルティム、
ドヴァムドヴァーティータム、ガガナ サドルシャム、
タットワマッスヤーディ ラクシヤム、
エーカム、ニッティヤム、ヴィマラム、
アチャラム、サルヴァディー サークシブータム

神は、永遠の至福、この上ない歓喜を与えるもの、究極の叡智、
二元を超越しているもの、空のように広大なるもの、
「汝はそれなり」という格言によって示される目的地、
不二一元、永遠なるもの、純粋なるもの、
不変なるもの、知性のあらゆる働きの目撃者

光の体験

私はゴーカクに、永遠にその境地に留まるようにと言いました。翌朝、ゴーカクはまたやって来ました。彼は言いました。

「スワミ、私はずっと同じ境地におります。」

ゴーカクは、その至福の状態がどこから生じたのか考えることさえしなかったと言いました。私には、ゴーカクは今あまり多くを語るべきではないということがよくわかっていたので、自宅に戻ってまた後で来るようにと言いました。ゴーカクは帰りました。

翌朝、ブラフマ ムフールタ(午前3時から6時の神聖なブラフマンの刻)の時刻に、ゴーカクは再びやって来ました。ゴーカクは3回ドアを叩き、私は6回叩き返しました。ゴーカクはその意味を理解し、静かにその場を立ち去りました。この後、もう質疑応答する余地は残っていませんでした。それ以来、ゴーカクは質問をやめました。ゴーカクはサーヴィトリーを憶念し続けました。そして、ついに不二一元の境地に到達したのです。

ある日、ゴーカクが目を閉じて瞑想していたとき、私はその頭を二度、平手でピシャリと叩きました。すると、ゴーカクは光を体験し始めました。光が現れ出したので、ゴーカクはあらゆる浮世の物事への関心を失いました。ゴーカクはその境地に留まりました。

別の日、私はゴーカクに目を閉じるようにと言いました。ゴーカクは言われた通りにしました。ゴーカクが目を閉じると、私は親指で彼のブルーマディヤ(眉間)を押しました。その瞬間、ゴーカクの疑問はすべて消え去りました。ゴーカクは言いました。

「スワミ、私は一つです。神は一つです。愛は一つです。私は他には何も求めません。」

私はゴーカクに、帰って翌朝また来るようにと言いました。ゴーカクは非常に時間に几帳面で、いつも正確な時間にやって来ました。そのようにして何度も何度も訪ねて来たために、ゴーカクはサーヴィトリーのヴィジョンを得たのです。ゴーカクは時折サーヴィトリーを目で見ることができましたが、それは永続的なものではありませんでした。ゴーカクはサーヴィトリーを根本原理と見なしていました。ゴーカクはその原理にしっかりとしがみついていました。こうして、ゴーカクは神性の境地に到達することができたのです。

サーダナの道を前進し続けていると、あなたの内に、ある種の力が顕現してくるでしょう。それらの力には一切重きを置いてはなりません。ひとたび根本原理を理解すれば、あなたはすべてを所有するようになるでしょう。根本原理は一つであり、二つはありません。真理は一つであり、二つはありません。その他のものは、すべて非真であり、流れゆく雲のようなものです。ゴーカクは他のすべてを忘れました。ゴーカクは心(マインド)を根本原理だけに集中させました。

私がコダイカーナル(避暑地にあるババのアシュラム)にいたとき、ゴーカクが私宛に長い電報を打ってきたことがあります。そこで私はゴーカクに、

「わかっています、それでよろしい。心(マインド)を変えてはいけません」

というメッセージを電報で打ちました。

それ以来、私たちの間に文書のやり取りはありません。しかし、ゴーカクは一度、自分の妻に私宛の手紙を書くよう頼みました。ゴーカクの妻はシャーラダンマという名でした。シャーラダンマもマハーグニャーニ(大いなる叡智の人)でした。彼女はよく、二つの言葉を書いて四つの意味を持たせる様式で手紙を書いていました。

その後の私たちの間に存在したのは、アートマの関係だけでした。ゴーカクは完全な静寂の境地に達しました。もはや、どんな本にも触れず、どんな質問もしませんでした。どんな手紙を書くこともありませんでした。ゴーカクはただ、

「スワミ! あなたのすべてのお答えは私の心の琴線に触れました」

と言っただけでした。そこで私は言いました。

「私たちは共に、私たちの間に存在する関係を理解しています。あなたはそれ以外、何も心配していません。」

その後、肉体レベルでの私たちの関係は消滅しました。それと同時に、霊的レベルでの関係はより親密なものになりました。肉体を脱ぎ捨てる前に、ゴーカクは言葉を記しました。

「私はあなたに到達しました」と。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.13 C38
サイ ラム ニュース139号(2011年7・8月号)pp.25-31掲載

ゴーカクは合格や

2015-10-22 00:00:44 | 日記
神は人間の姿を好みます。
神は、人々に神を体験さすために人の姿を取ったといわれています。
友として仲間として見られる時が神は最も満足します。
おお、誰より親しい友よ。
わたしのハートの愛しい友よ。
と呼びかけるとき神は最も喜びます。SS8/89

ポニョ:昨日は天使の話をしたけれど、やっぱりあのラジャレディさんが言われた「僕は騙されないで。あんたが本当は全部やってるんやろ。」と言い返した言葉が頭に引っかかっていつ思い出しても笑ってしまうぜよ。

ヨシオ:ババはこの世の二元性に惑わされている人にはそのように接しられるんや。そうではなく、この世の全てのものは神でありその神は自分であると強く信じているものや悟っているものには、御自分の本音で接しられるんや。だから、そういう本音と本音で付き合う関係って友達同士の関係やろ。友達同士で様なんてつけないやろ?ポニョ様。

ポニョ:気持ちが悪いからおいらの事をポニョ様なんて呼ばないでくれますか。

ヨシオ:そんな風にして呼んだら友達が友達じゃなくなるよな。それと一緒なんや。ババの事を敬ってババ様と呼ばないと失礼だと思っている限り、ババもその人の事との関係に距離を取られるんや。逆に「ババよ。どうして何でも知ってるのに言ってくれなかったんや。おかげで事故ったやないか。どんだけ苦しい思いをしてるのか分かってるやろ。友達やったらもうちょっと友達らしく付き合ってくれないか?もちろんこの事故によってカルマを支払わなあかんと知っているし、もっとひどい事故になるところを軽減してくれたというのも知っている。でもねババさんよ。俺も人間やから苦しくなる時があるんや。今度からもうちょっと考えて付き合ってくれよな。」とか「ババさん、今のジョークはちょっときつかったけれどめちゃ面白かったな。」とか言って本当の友達と喋るように接していたら、ババも応えてくれるんや。

ポニョ:そんな風にババと話していたら本当の友達みたいやな。

神はあなたの真の身内です。
神はあなたの息子や娘、友人や他の身内という姿をとってあなたのところにやって来ます。
神はあなたのあらゆる困難の中に存在する、あなたの真の身内です。
神がアーパドバーンダヴァ(困難なときの友や身内)と呼ばれるのはそのためです。1/5/08

ヨシオ:そうやろ。ババもこんな感じで付き合う帰依者を探しておられるんや。もちろんババは大元の神さんやから俺の深いところではめちゃ敬っているしへりくだっているんやけれど、でも自分がその神さんだと悟ったらいつまで経っても神さんの前でへりくだっていたら何時になったら神さんと融合出来るんや?もちろん最初の頃はそれで良いとしても、何年もババの事をフォローして来た人が、何時まで経っても同じ霊的なレベルに留まっているのは良くないやろ。

ポニョ:そういや、ババはアシュラムでババの前にスピーチした人に、ババの事を持ち上げて、褒めまくり、それこそ神棚に祀り上げるようにババを褒められたので、ババはそのような褒め言葉は私にもう言わないで頂きたい。もう聞き飽きたし、聞いていても面白くないと言われた事があるよな。

ヨシオ:俺がアシュラムにいた頃、外国から来た帰依者に講演をされていた人の部屋に毎日昼飯を呼ばれて行っていたんやけれど、そこに年取られたアシュラムの偉いさんがやって来て、俺たちに「帰依者はババの事を最初は、ババ様とかスワミとか呼ぶけれど、ババの事が神だと分かるとそんな軽々しくババの事を呼んだらいかん。ババに対して失礼や。私のように長年ババの事をフォローしていると、ババの事をヴァガワン、つまり神様と呼ばないといけないと分かってくるんや。」と言ったんで俺は笑いを堪えられなくなって笑っていたら、その人は何が可笑しいんやと聞いて来たので俺は、「何年も帰依して来ている人がそんな風にババの事を呼んでいたら何時になったら神と自分という二元論から脱して、実は自分がその神だと気づけば良いんやろな。」と言ったんや。

ポニョ:灯台下暗しやな。アシュラムに毎日いて、ババの近くで暮らしている人たちは、ババと自分という二元論から抜け出すのが、神の化身から離れて生活している人より難しいかもしれないぜよ。

ヨシオ:俺もそう感じたな。ダルシャンの時ももっと近くに来て下さいババ。と頼んでもひょいとどこか違うところに行かれたりするやろ。でも、俺の中におられるババはそのように頼んだら必ず俺の近くに来られるんや。だからある程度の霊的レベルに達したらババの肉体から離れて生活したほうが、レベルアップはし易いって思ったな。

ポニョ:さっき、あんたが言ったように、肉体を持っておられるババの近くに何時もいると、確かに二元論から抜け出すのは容易では無いぜよ。

ヨシオ:、以前メッシングの話をしたけれど、彼がババが有名になってからババに会いに訪れた事があって、講話を終えたババにこう聞いたんや。「あのね。ババさん。一つ聞きたい事があるんやけれど。ええかな?あんたは、神様でしょう?どうしてこんなとこにいて、こんな風に講話をしているんですか?神様やから、こんな事をしなくてももっと簡単に全ての事が出来るではありませんか?」と聞くとババは「神様と言えども、人の身体を取ったらいろんな事を面倒でもやらないといけないんや。」と答えられたんや。

ポニョ:メッシングは、ババを思っただけで住んでいたヨーロッパから霊体でババの部屋に直接現れる事が出来るぐらい霊的なレベルが高い人やったもんな。その人からババを見たらそんな質問が出てもおかしく無いよな。だってアシュラムで学生たちや帰依者の相手をしている間にも、世界では多くの問題が解決していないし、環境破壊なんかはもっとひどくなっているもんな。大元の神さんやったら何で、そういう問題の解決にすぐに取り掛からないんやろなってメッシングは思ったんやろな。

ヨシオ:メッシングのように、神様に近ければ近い人ほど、神様を友達のようにして自分の心の中の神さんと会話をする事が出来るんや。そしてその神さんと何時でも、どんな状況の時にでもアラジンの魔法のランプのように呼び出して、いろんな相談に乗ってもらう事も出来るんやで。それが霊的自信なんや。その為にはまず自分自身の中から「私」「私のもの」というエゴや世俗的な欲望、それにいろんな悪い性質や習慣を追い出して、
清く正しい生活を送らなければいけないんや。

ポニョ:まだ胃袋の欲望をコントロールできていない私共に取りましては、少し耳が痛いでござる。

ヨシオ:昔記事にしたけれど、ゴーカクという科学者がババの前で素晴らしいババの気持ちを謳った詩を読み上げたんや。詩人でもあるゴーカク博士が、サイババさん自身になったつもりになって、サイババさん御自身が神の化身としてどういう気持ちでこの世界で過ごされているかついての詩をステージの上で読んだんや。
読み終わってサイババさんの祝福を得ようとしてふとババを見ると、サイババさんは顔を真っ赤にして怖い顔をしておられたんや。
それで何か気分壊された事を言ってしまったんやろか、と思ってババに祝福をもらいに行けなかったんや。そしてその時のことをずっと気になってたけどしばらくの間、恐ろしくて口を聞くことが出来なかったんや。でもある日、思い切って聞くことにした。
「あの~。サイババさん。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが。」
「何だね。言ってみたまえ。」
「以前、私があなたの事を詩にしてステージで読みましたよね。その時、どうしてあんなに顔が赤くなって怒ってたんですか。私が何か失礼な事を言ってしまったのでしょうか?」と恐る恐る聞くとババは、
「ああ。あの時のことか。あれは実は怒ってたんじゃない。お前が、あまりにも私の心の深いところまで沈潜しないと分からないような、私のハートに達した詩を作ったので、私は思わず興奮して赤面してしまったのだ。」と言われたんや。
のちに、その詩を俺も読んでみたけど、サイババさんが神の化身として、全ての創造物の中に内在されて、この二元の世の中を愛で持って帰依者と交わって楽しんでいるという内容の詩やったんや。

ポニョ:面白い。神さんって自分の気持ちを知られたら恥ずかしいんやな。そうか神さんって恥ずかしがり屋さんやったんや。これは面白いこと聞いた。確かにそこまでババの気持ちになれると言うか分かるだけの詩人ってそんじょそこらにはいないやろな。

ヨシオ:ババはこのゴーカクさんの詩を聞かれた後、私はこのゴーカクを自分の側にずっと置いておこうって決められたんや。そしてゴーカクさんを、自分と融合するまで面倒見ようと意志されたんや。このようにババの本当の気持ちに到達出来るぐらいピュアなハートを持っており、全てを神と見る事が出来る帰依者には、ババは自分と融合出来る資格を与えられるんや。

ポニョ:ゴーカクは合格や。

ヨシオ:あのな、俺はそのダジャレだけはレベルが低すぎるから言うまいと心に決めていたんや。ポニョ吉が言わなければええけどなと心配してたんやけれど、遂に言ってしまったな。ほんまに何時まで経ってもポニョはしゃーないな。

ポニョ:とうわけでまた叱られてしまいましたが。明日はこのサイカレッジの副学長であったゴーカクさんがババと融合された時のお話を、ババ御自身の言葉で紹介された感動的な講話がありますので、紹介しますね。ゴーカクは合格したんや!イエーイ。

ヨシオ:もうええっちゅうに。

私はゴーカクに目を閉じるようにと言いました。
ゴーカクは言われた通りにしました。ゴーカクが目を閉じると、私は親指で彼のブルーマディヤ(眉間)を押しました。
その瞬間、ゴーカクの疑問はすべて消え去りました。
ゴーカクは言いました。
「スワミ、私は一つです。神は一つです。愛は一つです。私は他には何も求めません。」

天使達のお話しです

2015-10-21 00:00:04 | 日記
自分を神の手中にある道具と見なす場合に限り、人は神に到達することが可能になります。
自分自身を行為者であると見なすなら、それはエゴ〔自我意識、アハンカーラ〕と呼ばれるものです。1981/4

ポニョ:昨日の巨人族の話は面白かったぜよ。最後はなんか話が悪魔崇拝者が握っている現代の世界の話で終わったけれど。でも悪魔崇拝者って昔からいるんやな。しかも同性愛者でなんか変な人間やな。ソドムとゴモラの話を聖書で読んでいたら、その街に旅行者が知らずに入ると同性愛者に付きまとわれて大変なんやろ。嫌やなそんな街。グロ襟の洗脳遊園地ネズミーランドで同性愛者同士の結婚式が行われたり、裏社会に入るには同性愛者にならないとか性格が歪んでいるよな。

ヨシオ:ポニョはそういう事に余り首を突っ込まない方がええよな。ネガティブ過ぎるやろ。

ポニョ:以前そういや悪魔崇拝者の信仰してるルシファーはインドラ神だという事を記事にしたよな。

ヨシオ:悪魔崇拝者は、悪魔ルシファーを信仰してるとポニョは言ってたけど、そのルシファーは、もとを正せば天国におったんか。

ポニョ:そうや。天国で一番偉くて羽を十二枚も神さんからもらった大天使やったんやけれど、偉なりすぎて神様の領域まで犯すようになって、他の天使達と天国を二分する大戦争に負けて地獄に落とされて堕天使になり悪魔の親分になったんや。

ヨシオ:俺は天使の事はよく知らないけれどインドラ神の話とよく似てるで。

ポニョ:インドラ神って神々の王で、悪魔退治で有名な日本では帝釈天として祀られているヒンドゥー教の神さんやろ。
それじゃトラさんは帝釈天で産湯を浸かったんじゃなくて悪魔に洗礼されたんや。めちゃくちゃやなそれって。

ヨシオ:ラーマ神のトレタ時代が二万年前やった。とサイババさんが言うてるからそのもっと前のクリタユガという時代の話やろ。

ポニョ:えらい昔の話やんか。おいらが生まれるどれくらい前やろ。

ヨシオ:もしもし、ポニョさん。時を駆けるポンポコポニョ狸さん。タイムマシン乗ってるんちゃうで。ポニョが生まれた日と比べんとってんか。もっと、ずっとずっと前や。
天地開闢の頃、クリタユガ期の時代、悪魔退治で有名なインドラ神は、悪魔であったヒラニヤカシプから戦争をしかけられるねん。それで、天国を二分するする大戦争になって負けてしまうんや。そのあと、天国を追い出されて地上に落とされたんや。

ポニョ:ストーリーの展開は、一緒やんか。

ヨシオ:そうや。だから俺、そこんとこ面白かったんや。つまり悪魔崇拝者が崇めている悪魔は、ヒンドゥー教のインドラ神と一緒ではないかという仮説がなり立つんや。

ポニョ:でも、悪魔退治の神さんがどのようにして、キリスト教では悪魔に変わるんや。

ヨシオ:それはそういう神話伝説というものは、時が経つに連れて、人から人へ伝えられて行くうちに少しずつ変わって行くのは普通のことや。
その上クリタ時代の神話は、ルシファーのことが書かれている旧約聖書のずっと前に書かれとるし、その間、途方もない時間が流れてる。

ポニョ:そう言えば、ハヌマンの話も中国や日本では、孫悟空になったよな。

ヨシオ:そうやったな。それと同じで、悪魔退治のインドラ神も悪魔の神になったのは、不思議ではない。
実際、インドからキリスト教の発祥地の中近東の途中にあるイランでは、インドラ神は悪魔の中でも一番上の悪魔王にもう変わってしまってるんや。

ポニョ:イランではインドラ神が悪魔の王になっているんか?そいつは面白い。これは間違いないわ。あいつら悪魔を崇拝していると自分では思っているけど、実はインドラ神やったんや。これは痛快やな。

ヨシオ:これが、もし将来、深く学術的に研究されて歴史学会とかにおいて研究されれば、悪魔崇拝者の理論的バックボーンが瓦解するやろうな。

ポニョ:何と言っても、インドラ神はええ神さんやもんな。悪魔崇拝が実は、インドラ神崇拝やったんや。ああ、面白い虫の声。もう秋やから虫さん達がよく鳴いていますね。

ヨシオ:という話をしたよな。ところでルシファーとかそれと戦ったミカエルとかは天使やけれど、二日前のヒスロップさんの話の中にも天使が出て来たよな。

ポニョ:ああ。あれは面白かったぜよ。帰依者の家に羽が生えた天使達が祭式の準備をするのにいろんな物を運んで来たんやったな。実際そういう天使達が見れるってすごいよな。おいらは絵画とかアニメや漫画でしか見た事がないから、実際の天使がやって来たらびっくり仰天するぜよ。

ヨシオ:ババの話を今まで色々として来ているけれど、盗まれた貴重品が空から落ちて来た話があったよな。

ポニョ:そうそう、ババが帰依者から預かっていた貴重品やお金を盗まれた話や。ババがラッジャレディさんにどうしよう。全部泥棒に盗られちゃったと言って困惑された顔をされた時にラッジャレディさんが「僕は騙されないで。あんたが本当は全部やってるんやろ。」と言い返したところが面白かったな。

ヨシオ:ラジャレディーさんはババと年が変わらないから本当の友達みたいな付き合い方をされていたんや。実はババがこのような関係を俺たち一人ひとりと持てるのが一番喜ばれるんやで。

ポニョ:ふーん。そう言ったらあんたはおいらが横で見ていてもババに対して失礼なんと違うかなと思うぐらい言い返したり冗談を言ったりする関係やもんな。

ヨシオ:ババは全てを知っておられるけれどこの二元の世界に惑わされている者には、わざと何も知らない振りをされるんや。でもラジャレディーさんのようにこの世はまやかしだと気付いている帰依者と話す時は本音で話せるので本当の友達みたいな関係を築けるから喜ばれるんや。

ポニョ:神様が喜ばれる関係はお友達の関係か...。

ヨシオ:でもラジャレディーさんに時が来たら取り返すと言われたけど、その時というタイミングが俺たちにはさっぱり分からんところが面白いよな。

ポニョ:そうやぜよ。なんですぐに取り返されなかったんやろか?

ヨシオ:それはババはその盗っ人に対しても愛をもっておられるから盗っ人の事を考えて一番良い時期に取り戻されたんやろな。

ポニョ:ということは、盗っ人がそれらの貴重品を売りに出そうと宝石店や質屋のカウンターに並べていたら、すっとそれらが消えてしまって、やっぱりババは神さんやったとその泥棒が分かるようにされたんかな。

ヨシオ:どうかな。ババは時が来た。と言われてハンカチを手の上に広げるや否や空中からバサバサと音を立てて盗まれた貴重品などが落ちてきたもんな。

ポニョ:近くで見ていたらびっくらコクよな。これもやっぱり天使達が持って来てくれたんやろか?サイババさんが子供やった頃、近所の仲間たちにランプを持って外に来い。今天使が空を横切ってる。と言われた事があるよな。

ヨシオ:でも同じような事がマドラスでもあったんや。ババが突然、あっ!ガンダルヴァがやって来た。毛布を持って来なさい。そしてその毛布の四隅を持って広げるのです。
さあ、用意して…もうすぐすれば彼らが何かをここに落としてくれるからと言ってしばらくすると、ブーンという音が聞こえはじめ、翼がはためくバサバサという大きな音が部屋中に鳴り響いた途端、ガラスの瓶が毛布の真ん中にポトリと天井から落ちてきたんや。
それも普通のガラスの瓶ではなく、周りに細かい金などの装飾をしてあったんや。だからぱっと見たら金のボトルかガラスか見分けがつかない程のきれいな細工がしてある入れもんやったんや。
そのボトルの中から光が出ていてキラキラしてとても綺麗やったんやて。

ポニョ:フーン。すごいな。天国からわざわざ天使のガンダルヴァが翼をバサバサってしながら持って来てくれたんか。
よく君たちもガンダルヴァ。

ヨシオ:頑張るなやろ。ちょっと苦しい駄洒落やったな。

ポニョ:でも、その翼の音をみんなが聞こえたってすごいよな。姿は見えずとも音はするって奴や。ところで一体それに何が入ってあったんや。

ヨシオ:甘い十五種類ぐらいのアムリタのようなシロップやったんや。

ポニョ:それを、そこにいた人たちにババは配られたんやな。

ヨシオ:ババはその時に右手を上げて、人々の目には見えない天使たちを祝福されてたんや。

ポニョ:おいら達は、羽が背中に生えた天使たちって宗教画の中で見たことがあるけど、霊界に行けば本当にいるんやな。面白い。

ヨシオ:このガンダルヴァっていう天使は半人半獣なんや。以前このブログでも紹介したけど、クリタユガにはその手の天使たちが肉体を取って遊ぶために、大挙して地上に生まれ変わって来たことがある。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/1fa98efcc6180c18264bb33cef345c87
ポニョ:ギリシャ神話みたいなもんやな。半分馬で半分人間みたいなのが本当に地球を闊歩してたんや。面白いな。それって。おいらもその時代に生まれ変わっていたら何の動物に半分なろうかな。

ヨシオ:ポニョはもう既に狸人間になっているやないか。天使の話に戻るけれど、1996年のクリスマスでの講話でババは黒海に面したある国である重要な本を厳重に保管してると言われて、その本を物質化された事があるんや。まあ、この件については別の機会を設けて話すけれど、その講話の前にババはもうすぐしたら天使達が夜空を横切るよと言われたんや。それでその日の夜に人々は夜空を眺めていたんやけれど星以外何も見えなかったんや。でも二日後に天使達が夜空に現れたんや。しかも何十万も。それらは小さい光の点のように見えたんやけれど、何十万もあるんや。しかもすごいスピードでやって来て、それぞれが生きているように、あちらこちらと向きを変えたりクルクル回りながらまるでダンスをしているみたいに飛んで来たんや。そしてある光は地上すれすれまで降りて来たり、ある光は二つ一緒にペアになって踊っているみたいな動きをしたりしていたんや。でも面白かったのはアシュラムの上に目に見えない大きな門があるように、そこをくぐって飛んで行ったんや。

ポニョ:ふーん。多分霊的な目でしか見えないような門があってババのダルシャンを受けていたんやろな。すごいよなそれって。ババの近くにいたら不思議な話が次から次へと出て来て、まるで御伽噺の世界にいるような気分になって来るぜよ。

アブ・ベン・アダムは善良な社会福祉家でした。
彼は天使が持っていた「神を愛した人の名簿」に自分の名前を見つけることができず、がっかりしました。
しかし、後になってから、「神から愛された人の名簿」の最初に自分の名前を見つけて大喜びしました。
彼は、すべての天使たちから大切にされるようになりました。
ですから、皆さんも神に愛されるよう努力しなければいけません。
絶え間なく神の御名を唱えながら、あらゆる行為を果たさなければいけません。
1981/4