集中の実践は瞑想への準備です。
瞑想の持続時間は集中の12倍です。
つまり12x12=144秒.即ち、2分と24秒です。
正しい瞑想は集中を正しく行うことが出来て初めて可能です。
12の瞑想は三昧の一つ分に相当します。
つまり144秒x12で28分と48秒です。
1時間よりもずっと短いのです。
もし三昧がこれよりも長くなったらそれは生命に危険を及ぼすかもしれません。以上が、ヨーガ行者の実践する修行法です。
今私が述べた修行法は、これまでのどの経典にも記されていません。29/6/89
ポニョ:今日の最初のストーリーは、遥かカナダからのお話です。おいらが、一人でアシュラムにいた頃、西洋人専用食堂で聞いた話をお送りしますね。
アシュラムの西洋人向けのカンティーンで最高に美味い本場のべジタリアン ピザを、至福の思いに浸って食っていた。
多分、イタリア人のボランティアがキッチンで働いているんだわさ。
後で少し、皿洗いの御奉仕でもしたついでに、ありがとう、って言ってあげようね。
おいらが、至福の思いに浸れるのはこの瞬間だけだもんね。
だって、美味しいものを食べている時、この時が永遠に続いて欲しい、他に何もいらない、他の何にも関心が無い、美味しいものがあれば、なんにもいらない。というような気分になるのじゃ。
これって、神の至福に浸る事と同じではないか?
と経験したことのない、神の至福を、ピザ一枚で、しかも自分の舌で味わえるってのは最高じゃね。
これって、至福って言わないんだってさ。失礼しました。
凡人は、悲しい~!
早く、至福の体験がしたいよ~。
というような迷走する思いで頭の中を一杯にしながら、とろけるような本場のピザをほおばっていると、背の高い白人が、
「ココニスワッテモイイデスカ?」
「アナタハ、ニホンジンデスカ?」
「ケンサン、シッテマスカ?」
「ワタシ、アッタコトアリマス。」
と、ビックリするぐらいのとても流暢な英語で話しかけてきた。あたりまえじゃ。
「そら、健さんぐらい、日本人だったら誰でも知っているさ。国民的映画スターだぜ。」
というと、
「カレガ、エイガスターナンテ、シリマセンデシタ。」
「フットボールノスターノ、マチガイデハ、ナイノデスカ?」
「おい、おい、どの健さんのことを言っているんだよ。おいらは、フットボールの健さんなんて、聞いたことがないぜ。
間違いじゃないのかい?あんたが言っているケンさんって、なに健って言うんだい?」
「トロントニスンデル、ウエヤマ ケンサンデス。」
「それを、早く言いなよ。こちとらは、てっきり高倉の健さんだと思い込んじゃったじゃねーか。」
「ほんと、手間とらしやがって、これだから金パツと話すのは、面倒なんだぜ。」
「ところでよー。そのトロントのケンさんって野郎は、一体どんな野郎なんだい?」
「ケンサンハ、…」
「分かった。分かった。もう喋らなくていいから。たくー!カタカナの変換ボタンを、いちいち押すのが面倒になってきやがった。」
「こちとらで、お前さんの、言ったことを平仮名でタイプするんで、もういいよ。金パツの兄さんはもういいから、舞台の裏に、引っ込んでおきな。ご苦労さん。」
という具合で、いきなりカナダの金パツの兄さんからトロントのケンさんの話を聞く羽目になっちまいました。
せっかくの、ピザが冷めちまったじゃねーか。おいらの胃袋を満たす、至福の時を犠牲にして聞いた、ケンさんの奇跡の話でヤンス。
ケンさんは、大学在学中に奥さんと知り合いサイババさんの事も知った。
もともと、クリスチャンで牧師になり、プロフットボールの選手でもあった。
奥さんは、是非サイババさんに会いに行きたいという希望を持っていたので、ケンさんもあまり乗り気はしなかったが、一緒について行くことにした。
早朝のダルシャンに参加しないといけないと言われたが、奥さんだけ行かして自分は部屋にいた。
しかし、奥さんにお尻を叩かれて行くことにしたが、朝早いので、ダルシャンラインで居眠りしてしまった。
サイババさんが、出て来られて足で踏まれて起こされた。周りの人たちに笑われた。
それ以来、また行くのをやめた。
ある日、ボランティアで地面を馴らす仕事をしていると、サイババさんの車が横に停車して、調子がおかしいのでちょっと見てくれと言われた。
ボンネットを開けて、チェックするとキャブレターの故障のようだった。
サイババさんにそう告げると、サイババさんは宙から、手を回してキャブレターを取り出した。
驚いて、製造ナンバーが同じか照らし合わせて見ても、サイババさんが物質化されたキャブレターには製造ナンバーは無かった。
サイババさんが、クルマの中からいろんな工具を出されたので無事にキャブレターを交換出来た。
その後、インタビューに呼んでもらい、ケンさんの前世はシルディババの信者だったと告げられた。
サイババさんは、ケンさんのトロントの家を訪れるつもりだ。そして、いろんな奇跡を見せてあげると言われた。
ケンさんの家には小さい地下室があり、そこに祭壇をおいて神様を祀っていた。
インドから帰って来てそこで、夫婦でバジャンをしていると、小さなヒンドゥー教の神さんの像が祭壇の上に現れるようになった。
また、果物をお供えしておくとバジャンが終わったら、その果物にいろんなサイババさんのメッセージが書かれてあった。
お供え用の果物がない時には、メッセージが書かれた果物が出現する時もあった。
驚くべきことに、お供えの果物が小さくてまだ食に適していない時は、バジャン中に大きくなり、バジャンが終わる頃にはちょうど食べ頃の大きさになっているのだった。
もちろん、メッセージも付いていた。
そのような奇跡の噂を聞きつけて、多くの人がやって来た。電話も絶える事なく鳴った。
だが、残念なことに地下室はとても狭かったので予約して行かないと皆んなが入りきれなかった。
それでも来た人たちは、ビデオカメラやカメラで果物が大きくなったり、突然メッセージや神の像などが現れたりするのを撮って喜んで帰って行った。
地元のマスコミやラジオ局も取材に来た。トロント中で有名になった。
暫らくすると、サイババさんが家に現れ始めた。
奥さんには見えないのだが、ケンさんにだけは見ることが出来た。
見えるだけではなくて、話すこともまた、一緒に台所の皿洗いも手伝ってくれた。
話す内容は、雑多な毎日の出来事から始まって、最近では主にトロントの郊外に引っ越す話題が多くなっていた。
農場を買って、そこで新しいアシュラムを始める話だ。
サイババさんはそこは将来、大きな社会動乱が起こるので避難民キャンプになると言われたのだ。
場所は、ケンさんの夢の中でその農場の景色を見せるので、自分で探すように言われた。
そして、ケンさんは、それを見つけた……。
ポニョ:という話やったよな。あんたの話と少し似ているよな。
ヨシオ:まあな。俺が聞いた話はケンさんが若い頃郵便配達の仕事をしていて、その頃自転車で郵便物を配っていたんやけれど、ある日後ろからすごい勢いで白い鉢巻に白い服を着たお爺さんが乗った自転車が追いついて来て、崖に面したカーブで曲がらずにそのままお爺さんは真っ直ぐ走って、宙を駆け登るようにして消えてしまったらしい。後でそのお爺さんは、シルディのババだったと知るディ。
ポニョ:なんやそのダジャレは。ほら、やっぱりケンさんも前世はシルディサイババと関係があった人やんか。あんたと一緒や。でも面白いよな。前世でインド人やった人がこうして世界中に生まれ変わって、サティアサイババの仕事をしてるって。そういう人って、もう既に一定の霊的なレベルに達している人なんやろな。おいらは、自分の霊的なレベルを上げようと一生懸命瞑想やらマントラを唱えたりしているけれど、お腹が空き始めると頭の中は食べ物の事でいっぱいになるんやぜよ。特に、台所から美味しそうな匂いがして来るともう心はそっちの方に釘付けになってしまって、瞑想が迷走になってしまうんやぜよ。
ヨシオ:実は瞑想というのは、八つの霊性修行のうち二番目に高い修行なんや。だから、先ずポニョのような人は集中力を高めなくてはいけないんや。ポニョはアシュタンガヨーガって聞いたことがあるやろ。
ポニョ:知ってるぜよ。もののけ姫に出てくる男の子やんか。
ヨシオ:それは、アシタカや。俺が言ってるのはアシュタンガや。
ポニョ:あんまり変われへんやんか。それで、その後アシュタカと、もののけ姫は上手く行ってるんか?噂によれば、宮崎アニメの宴会に二人でやって来て、酒に弱いもののけ姫が先に酔っ払って寝てしまったので、アシタカが優しくマントをかけてたで。もうすぐやろな。あの二人が結婚するのは。おいらも結婚式に呼んで欲しいな。カカシ先生やエロ仙人の自来也も呼ばれるやろな。会いたいな。
ヨシオ:そんな話は知らんちゅうに。俺が言ってるのは、アシュタンガヨーガと言ってサマディに至るまでに昇って行かなければならない八つの段階の事なんや。
ポニョ:なんや。それやったら明日(あした)がよか。
ヨシオ:違うっちゅうに。何がアシタがヨカや。アシュタンガヨガやって言ってるやろ。
ポニョ:本当はおいらだってそのヨガの事はよく知ってるぜよ。きちんとヨガのポーズをして座って、瞑想中にウトウト寝ないようにする為に、あまり食べ過ぎないようにするとかそんなんやろ。
ヨシオ:それとはちょっと違うんや。先ず、正しい生活を送ること、心を清め、清く正しい生活をすること。もちろん肉食をしたりするのは御法度なんや。そして、ポニョが言ったみたいに正しく座り、呼吸を整え、感覚をコントロールし、揺らぎない神への信仰心を持って、神様に集中出来ること等や。そして、次に来るのが瞑想で、それは第七番目の段階なんや。
ポニョ:それって、おいらが思っているより厳しい条件やな。特に感覚のコントロールなんて無理や。食事を抜いて断食なんて絶対出来ないし。心は綺麗けどな。
ヨシオ:自分で言うてどうするねん。でも、そういう条件をクリヤー出来た人だけが瞑想をする資格があるんや。それらの前提条件を飛び越えて瞑想を始めると、集中出来ないだけではなく、瞑想をしている間、いろんな世俗的な事や、欲望を頭に浮かべてしまうので、気が狂ってしまう人もいるのでとても危険なんや。特に、瞑想を人に教えるなんて、厳密に言えば無理なんや。だって、教える人は瞑想をしている人が、瞑想をしている間に何を頭の中で想像しているのか、分からないやろ。その人の霊的レベルによっても違うし。
ヨガを行うその人の感覚の力が未だ相当に強い場合、その人の感情と熱情をそのままにしてヨガをすれば、悲惨な結果を生むことになるでしょう。
その人は狂気に陥り、自分自身や他の人にばかげたことや下劣なことを言ったり書いたりします。
私は、このように道に迷った多くの修行者を知っています。
それゆえ感覚をコントロールし、あなたの中にある感情や熱情をコントロールし、心が外的なものを追いかけさせないようにさせ、寒さや暑さ、悲しみや喜び、得たり失ったりしても平常心でいられる力を得なさい。
経典に記されていることや、聖者たちの体験を信頼しなさい。
それゆえ何事にも動じない心、忍耐心が、(神と融合するという)大志を抱く者の必要条件だと強調されてきたのです。SSvol10p118
ポニョ:でも、さっきも言ったけど、ババは光明瞑想を勧めておられているよな。また、トライしてみようかな。
ヨシオ:ポニョの気がすむようにすればええやんか。例のサイの学生のマユールさんも、クンダリーニヨーガの本を読み、自分もクンダリーニのパワーが欲しくなって瞑想をすることにしたんや。それで、一人になる場所を探していたら、ちょうどサイカレッジの校舎の建設中だったので、半分完成しかけた工事中の校舎の誰もいない教室に入り、ババの光明瞑想を始めたんや。一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、そして半年近く、毎日のように長い間、一日も欠かさず瞑想に励んだんや。するとある日、何時ものように光を身体中に回して、霊体を浄化し、その光を第三の眼のある眉間に持って来ると、その光が大きく輝き、自分がその光に飲み込まれるようなヴィジョンを見たんや。少し怖くなって来たので、目を開けようとしても、その光が強烈で身体中が焼けるのではないかと思うぐらい熱を感じて、目も開けられなかったんや。マユールさんは、これが僕が長い間瞑想をして追い求めていたクンダリーニのパワーか?と感激したんや。そして、しばらくすると精神も落ち着いてきて、今日の瞑想は最高だった。ととても喜んで目を開けると、なんとロウソクの炎が風よけに使っていたダンボールの紙に燃え移って灰になっていたんや。ババは、このあとマユールさんを全校生徒の前で、君!「ヒビ割れた壺君」こっちに来なさいと言って呼ばれたんや。マユールさんはどうしてババが自分の事を「ヒビ割れた壺君」と350人もいる全学生の前で呼ばれたのか分からんかったんやけど、この後ババは、講話でアシュタンガヨーガについて話されたんや。
ポニョ:つまり、瞑想をする段階に達していない人が瞑想をしても、それはまるで「ヒビ割れた壺」と同じで瞑想で蓄えられた霊力が身体から漏れて行ってしまうって事なんや。やっぱり、おいらは瞑想やめた。アシュタンガヨーガを一つひとつクリヤーしてからや。早速、明日(あした)がよか?
善い性質を培うためには、根気強い努力が必要です。
あなたはその過程で、幾つもの障害物を乗り越えなければなりません。
美徳を培うことによって初めて、あなたの心は浄化され、集中力を獲得することができて、神の黙想や瞑想に没頭できるようになるのです。
そのような善い性質が備わっていなければ、心は一時の間も静かにしていることができません。心に善い性質や善い想いが備わっていないのであれば、どうして心を瞑想だけに向けることができるでしょう?
レンガや漆喰を準備しなければ、どうして家を建てることができるでしょう?
ですからあなたが、瞑想に没頭したいと望むのであれば、まず初めに、善い性質と善い想いを身につけなければなりません。KSHより
瞑想の持続時間は集中の12倍です。
つまり12x12=144秒.即ち、2分と24秒です。
正しい瞑想は集中を正しく行うことが出来て初めて可能です。
12の瞑想は三昧の一つ分に相当します。
つまり144秒x12で28分と48秒です。
1時間よりもずっと短いのです。
もし三昧がこれよりも長くなったらそれは生命に危険を及ぼすかもしれません。以上が、ヨーガ行者の実践する修行法です。
今私が述べた修行法は、これまでのどの経典にも記されていません。29/6/89
ポニョ:今日の最初のストーリーは、遥かカナダからのお話です。おいらが、一人でアシュラムにいた頃、西洋人専用食堂で聞いた話をお送りしますね。
アシュラムの西洋人向けのカンティーンで最高に美味い本場のべジタリアン ピザを、至福の思いに浸って食っていた。
多分、イタリア人のボランティアがキッチンで働いているんだわさ。
後で少し、皿洗いの御奉仕でもしたついでに、ありがとう、って言ってあげようね。
おいらが、至福の思いに浸れるのはこの瞬間だけだもんね。
だって、美味しいものを食べている時、この時が永遠に続いて欲しい、他に何もいらない、他の何にも関心が無い、美味しいものがあれば、なんにもいらない。というような気分になるのじゃ。
これって、神の至福に浸る事と同じではないか?
と経験したことのない、神の至福を、ピザ一枚で、しかも自分の舌で味わえるってのは最高じゃね。
これって、至福って言わないんだってさ。失礼しました。
凡人は、悲しい~!
早く、至福の体験がしたいよ~。
というような迷走する思いで頭の中を一杯にしながら、とろけるような本場のピザをほおばっていると、背の高い白人が、
「ココニスワッテモイイデスカ?」
「アナタハ、ニホンジンデスカ?」
「ケンサン、シッテマスカ?」
「ワタシ、アッタコトアリマス。」
と、ビックリするぐらいのとても流暢な英語で話しかけてきた。あたりまえじゃ。
「そら、健さんぐらい、日本人だったら誰でも知っているさ。国民的映画スターだぜ。」
というと、
「カレガ、エイガスターナンテ、シリマセンデシタ。」
「フットボールノスターノ、マチガイデハ、ナイノデスカ?」
「おい、おい、どの健さんのことを言っているんだよ。おいらは、フットボールの健さんなんて、聞いたことがないぜ。
間違いじゃないのかい?あんたが言っているケンさんって、なに健って言うんだい?」
「トロントニスンデル、ウエヤマ ケンサンデス。」
「それを、早く言いなよ。こちとらは、てっきり高倉の健さんだと思い込んじゃったじゃねーか。」
「ほんと、手間とらしやがって、これだから金パツと話すのは、面倒なんだぜ。」
「ところでよー。そのトロントのケンさんって野郎は、一体どんな野郎なんだい?」
「ケンサンハ、…」
「分かった。分かった。もう喋らなくていいから。たくー!カタカナの変換ボタンを、いちいち押すのが面倒になってきやがった。」
「こちとらで、お前さんの、言ったことを平仮名でタイプするんで、もういいよ。金パツの兄さんはもういいから、舞台の裏に、引っ込んでおきな。ご苦労さん。」
という具合で、いきなりカナダの金パツの兄さんからトロントのケンさんの話を聞く羽目になっちまいました。
せっかくの、ピザが冷めちまったじゃねーか。おいらの胃袋を満たす、至福の時を犠牲にして聞いた、ケンさんの奇跡の話でヤンス。
ケンさんは、大学在学中に奥さんと知り合いサイババさんの事も知った。
もともと、クリスチャンで牧師になり、プロフットボールの選手でもあった。
奥さんは、是非サイババさんに会いに行きたいという希望を持っていたので、ケンさんもあまり乗り気はしなかったが、一緒について行くことにした。
早朝のダルシャンに参加しないといけないと言われたが、奥さんだけ行かして自分は部屋にいた。
しかし、奥さんにお尻を叩かれて行くことにしたが、朝早いので、ダルシャンラインで居眠りしてしまった。
サイババさんが、出て来られて足で踏まれて起こされた。周りの人たちに笑われた。
それ以来、また行くのをやめた。
ある日、ボランティアで地面を馴らす仕事をしていると、サイババさんの車が横に停車して、調子がおかしいのでちょっと見てくれと言われた。
ボンネットを開けて、チェックするとキャブレターの故障のようだった。
サイババさんにそう告げると、サイババさんは宙から、手を回してキャブレターを取り出した。
驚いて、製造ナンバーが同じか照らし合わせて見ても、サイババさんが物質化されたキャブレターには製造ナンバーは無かった。
サイババさんが、クルマの中からいろんな工具を出されたので無事にキャブレターを交換出来た。
その後、インタビューに呼んでもらい、ケンさんの前世はシルディババの信者だったと告げられた。
サイババさんは、ケンさんのトロントの家を訪れるつもりだ。そして、いろんな奇跡を見せてあげると言われた。
ケンさんの家には小さい地下室があり、そこに祭壇をおいて神様を祀っていた。
インドから帰って来てそこで、夫婦でバジャンをしていると、小さなヒンドゥー教の神さんの像が祭壇の上に現れるようになった。
また、果物をお供えしておくとバジャンが終わったら、その果物にいろんなサイババさんのメッセージが書かれてあった。
お供え用の果物がない時には、メッセージが書かれた果物が出現する時もあった。
驚くべきことに、お供えの果物が小さくてまだ食に適していない時は、バジャン中に大きくなり、バジャンが終わる頃にはちょうど食べ頃の大きさになっているのだった。
もちろん、メッセージも付いていた。
そのような奇跡の噂を聞きつけて、多くの人がやって来た。電話も絶える事なく鳴った。
だが、残念なことに地下室はとても狭かったので予約して行かないと皆んなが入りきれなかった。
それでも来た人たちは、ビデオカメラやカメラで果物が大きくなったり、突然メッセージや神の像などが現れたりするのを撮って喜んで帰って行った。
地元のマスコミやラジオ局も取材に来た。トロント中で有名になった。
暫らくすると、サイババさんが家に現れ始めた。
奥さんには見えないのだが、ケンさんにだけは見ることが出来た。
見えるだけではなくて、話すこともまた、一緒に台所の皿洗いも手伝ってくれた。
話す内容は、雑多な毎日の出来事から始まって、最近では主にトロントの郊外に引っ越す話題が多くなっていた。
農場を買って、そこで新しいアシュラムを始める話だ。
サイババさんはそこは将来、大きな社会動乱が起こるので避難民キャンプになると言われたのだ。
場所は、ケンさんの夢の中でその農場の景色を見せるので、自分で探すように言われた。
そして、ケンさんは、それを見つけた……。
ポニョ:という話やったよな。あんたの話と少し似ているよな。
ヨシオ:まあな。俺が聞いた話はケンさんが若い頃郵便配達の仕事をしていて、その頃自転車で郵便物を配っていたんやけれど、ある日後ろからすごい勢いで白い鉢巻に白い服を着たお爺さんが乗った自転車が追いついて来て、崖に面したカーブで曲がらずにそのままお爺さんは真っ直ぐ走って、宙を駆け登るようにして消えてしまったらしい。後でそのお爺さんは、シルディのババだったと知るディ。
ポニョ:なんやそのダジャレは。ほら、やっぱりケンさんも前世はシルディサイババと関係があった人やんか。あんたと一緒や。でも面白いよな。前世でインド人やった人がこうして世界中に生まれ変わって、サティアサイババの仕事をしてるって。そういう人って、もう既に一定の霊的なレベルに達している人なんやろな。おいらは、自分の霊的なレベルを上げようと一生懸命瞑想やらマントラを唱えたりしているけれど、お腹が空き始めると頭の中は食べ物の事でいっぱいになるんやぜよ。特に、台所から美味しそうな匂いがして来るともう心はそっちの方に釘付けになってしまって、瞑想が迷走になってしまうんやぜよ。
ヨシオ:実は瞑想というのは、八つの霊性修行のうち二番目に高い修行なんや。だから、先ずポニョのような人は集中力を高めなくてはいけないんや。ポニョはアシュタンガヨーガって聞いたことがあるやろ。
ポニョ:知ってるぜよ。もののけ姫に出てくる男の子やんか。
ヨシオ:それは、アシタカや。俺が言ってるのはアシュタンガや。
ポニョ:あんまり変われへんやんか。それで、その後アシュタカと、もののけ姫は上手く行ってるんか?噂によれば、宮崎アニメの宴会に二人でやって来て、酒に弱いもののけ姫が先に酔っ払って寝てしまったので、アシタカが優しくマントをかけてたで。もうすぐやろな。あの二人が結婚するのは。おいらも結婚式に呼んで欲しいな。カカシ先生やエロ仙人の自来也も呼ばれるやろな。会いたいな。
ヨシオ:そんな話は知らんちゅうに。俺が言ってるのは、アシュタンガヨーガと言ってサマディに至るまでに昇って行かなければならない八つの段階の事なんや。
ポニョ:なんや。それやったら明日(あした)がよか。
ヨシオ:違うっちゅうに。何がアシタがヨカや。アシュタンガヨガやって言ってるやろ。
ポニョ:本当はおいらだってそのヨガの事はよく知ってるぜよ。きちんとヨガのポーズをして座って、瞑想中にウトウト寝ないようにする為に、あまり食べ過ぎないようにするとかそんなんやろ。
ヨシオ:それとはちょっと違うんや。先ず、正しい生活を送ること、心を清め、清く正しい生活をすること。もちろん肉食をしたりするのは御法度なんや。そして、ポニョが言ったみたいに正しく座り、呼吸を整え、感覚をコントロールし、揺らぎない神への信仰心を持って、神様に集中出来ること等や。そして、次に来るのが瞑想で、それは第七番目の段階なんや。
ポニョ:それって、おいらが思っているより厳しい条件やな。特に感覚のコントロールなんて無理や。食事を抜いて断食なんて絶対出来ないし。心は綺麗けどな。
ヨシオ:自分で言うてどうするねん。でも、そういう条件をクリヤー出来た人だけが瞑想をする資格があるんや。それらの前提条件を飛び越えて瞑想を始めると、集中出来ないだけではなく、瞑想をしている間、いろんな世俗的な事や、欲望を頭に浮かべてしまうので、気が狂ってしまう人もいるのでとても危険なんや。特に、瞑想を人に教えるなんて、厳密に言えば無理なんや。だって、教える人は瞑想をしている人が、瞑想をしている間に何を頭の中で想像しているのか、分からないやろ。その人の霊的レベルによっても違うし。
ヨガを行うその人の感覚の力が未だ相当に強い場合、その人の感情と熱情をそのままにしてヨガをすれば、悲惨な結果を生むことになるでしょう。
その人は狂気に陥り、自分自身や他の人にばかげたことや下劣なことを言ったり書いたりします。
私は、このように道に迷った多くの修行者を知っています。
それゆえ感覚をコントロールし、あなたの中にある感情や熱情をコントロールし、心が外的なものを追いかけさせないようにさせ、寒さや暑さ、悲しみや喜び、得たり失ったりしても平常心でいられる力を得なさい。
経典に記されていることや、聖者たちの体験を信頼しなさい。
それゆえ何事にも動じない心、忍耐心が、(神と融合するという)大志を抱く者の必要条件だと強調されてきたのです。SSvol10p118
ポニョ:でも、さっきも言ったけど、ババは光明瞑想を勧めておられているよな。また、トライしてみようかな。
ヨシオ:ポニョの気がすむようにすればええやんか。例のサイの学生のマユールさんも、クンダリーニヨーガの本を読み、自分もクンダリーニのパワーが欲しくなって瞑想をすることにしたんや。それで、一人になる場所を探していたら、ちょうどサイカレッジの校舎の建設中だったので、半分完成しかけた工事中の校舎の誰もいない教室に入り、ババの光明瞑想を始めたんや。一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、そして半年近く、毎日のように長い間、一日も欠かさず瞑想に励んだんや。するとある日、何時ものように光を身体中に回して、霊体を浄化し、その光を第三の眼のある眉間に持って来ると、その光が大きく輝き、自分がその光に飲み込まれるようなヴィジョンを見たんや。少し怖くなって来たので、目を開けようとしても、その光が強烈で身体中が焼けるのではないかと思うぐらい熱を感じて、目も開けられなかったんや。マユールさんは、これが僕が長い間瞑想をして追い求めていたクンダリーニのパワーか?と感激したんや。そして、しばらくすると精神も落ち着いてきて、今日の瞑想は最高だった。ととても喜んで目を開けると、なんとロウソクの炎が風よけに使っていたダンボールの紙に燃え移って灰になっていたんや。ババは、このあとマユールさんを全校生徒の前で、君!「ヒビ割れた壺君」こっちに来なさいと言って呼ばれたんや。マユールさんはどうしてババが自分の事を「ヒビ割れた壺君」と350人もいる全学生の前で呼ばれたのか分からんかったんやけど、この後ババは、講話でアシュタンガヨーガについて話されたんや。
ポニョ:つまり、瞑想をする段階に達していない人が瞑想をしても、それはまるで「ヒビ割れた壺」と同じで瞑想で蓄えられた霊力が身体から漏れて行ってしまうって事なんや。やっぱり、おいらは瞑想やめた。アシュタンガヨーガを一つひとつクリヤーしてからや。早速、明日(あした)がよか?
善い性質を培うためには、根気強い努力が必要です。
あなたはその過程で、幾つもの障害物を乗り越えなければなりません。
美徳を培うことによって初めて、あなたの心は浄化され、集中力を獲得することができて、神の黙想や瞑想に没頭できるようになるのです。
そのような善い性質が備わっていなければ、心は一時の間も静かにしていることができません。心に善い性質や善い想いが備わっていないのであれば、どうして心を瞑想だけに向けることができるでしょう?
レンガや漆喰を準備しなければ、どうして家を建てることができるでしょう?
ですからあなたが、瞑想に没頭したいと望むのであれば、まず初めに、善い性質と善い想いを身につけなければなりません。KSHより