サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

クリシュナ物語⑶

2016-05-31 00:00:54 | 日記

ポニョ:クリシュナを孕んだ途端にやつれて死にそうやった夫婦の顔色が良くなり、元気になったって話が興味深いよな。

ヨシオ:神聖な霊力が身体の中に入ったんやろな。人って空気中のプラーナを体に取り込んだら別に食べなくてもええんや。

ポニョ:食べるのが何より好きわたくしめにとっては、それはあまり嬉しくない話やぜよ。
ヨシオ:ポニョにプラーナを食べろなんて言ってないやろ。

ポニョ:初めて知ったけれど、ヴァースデヴァには他にロヒニという奥さんがいたんやな。
ヨシオ:昔、王さんやら大臣級の人になると、何人も奥さんをもらえるんや。ヴァースデヴァもカンサの王国の大臣として仕えていたんや。

ポニョ:そうやったんや。でも、どうしてそれほど素晴らしい家系やのにカンサはメチャ利己主義で残酷なんやろな。もちろん天の声を聞くまではいとこのデーヴァキを実の妹のように可愛がっていたけれど、一度天の声を聞くや否や人が変わったみたいに残酷な悪魔になってしまったぜよ。

ヨシオ:実の父親も自分の権力の為に牢獄に放り込んでしまうくらい、自己中な王様やったんや。というのもカンサのお母さんが森に一人で入ったところをラクシャサの襲われて生まれたのがカンサなんや。だから他の兄弟とは違ってとても残酷な長兄やったんや。

ポニョ:ふーん。多分近くに米軍基地があったんや。

ヨシオ:インドの話をしてるんや。沖縄じゃないやろ。

ポニョ:アメリカ国防省の統計によれば、米軍兵士による性暴力、軍隊内での女性兵士も含めてなんと二十七分間に一回起こっているんや。日本の領土の1%の沖縄に75%の米軍基地が集中していたら、時限爆弾を抱えているようなもので、いつかはこんな事件が起こるんや。と言って、もう何度も起こってるから、みんな怒ってるんや。

ヨシオ:そら怒るやろ。残酷な事件やったもんな。カンサのお母さんは森で犯されたけれど、殺されなかったもんな。沖縄の事件はそれより悪質や。まるで悪鬼やな。

ポニョ:悪鬼より残酷な輩がこの現代の世に生まれ変わってきてるんやぜよ。インドの昔話もちょっと残酷やぜよ。

ヨシオ:そういう残酷な場面が幾つかあるよな。さて、それではいよいよクリシュナが生誕するシーンが始まりますよ。

ポニョ:クリシュナ生誕の前にも不思議な現象が起こったんやろ。それってサイババさんが生まれた時と一緒やぜよ。ババの時も妙なる音楽が鳴り始め、タンブーラやタブラが誰も演奏していないのに音を出していたぜよ。

ヨシオ:そうやったな。多分、天界のミュージシャン達がやって来て、クリシュナやサイババさんの神の化身の誕生を祝っていたんやろな。

ポニョ:今日の前置きは長くなったから、この辺でやめてすぐにクリシュナの話をしようぜ。早くクリシュナの誕生の話を知りたいぜよ。でもインドでは、この日に産まれた子供は、ホロスコープでとても大変な苦しみに遭うと言われているんやて。だからクリシュナが誕生の時からひどい目に遭っているやろ。牢屋で産まれたり、子供の頃からカンサが差し向ける殺し屋と闘ったり、クリシュナの人生は悪魔との戦いで始まり、悪魔との戦いで終わったんや。

ヨシオ:確かにクルクシェータラの戦いもあったし、常にたくさんの敵がいたよな。でもホロスコープなんて神様には関係ないんや。それよりポニョは早くクリシュナの生誕のシーンに入りたいんやろ。という事でクリシュナの誕生です。

その光り輝く姿は、だんだんはっきりとした形を取り始めました。法螺貝、円盤、釘状のものが付いた杖で武装していて、四つ目の手のひらをデーヴァキに向けて恐れないようにというポーズをしていました。そして静かに優しく言いました。
「嘆くのは止しなさい。私はナーラーヤナである。私は二、三分すれば汝の子として生まれるであろう。そして汝が今までしてきた熱心な苦行により、私は約束通り、汝が私の姿を見た時に、汝の一切の悩みを取り除くであろう。私の事を一切心配しなくても良い。汝はこれから繰り広げられるドラマの展開を静かに眺めていなさい。十四ある世界の中で私に危害を加えれる者は一人もいないのだから。汝が産んだ子への愛ゆえに、また心を覆うマーヤーによる迷いのゆえに、多少心配事が心に浮かべば、私は私の本質を示す奇跡をたちどころに見せるであろう。私が生まれるや否や、何時の手足から鎖がひとりでに外れ、牢獄の扉もひとりでに開くであろう。汝は私を誰にも知られる事なく、私をゴクラに住むナンダの家に連れて行き、その時に陣痛で苦しんでいるナンダの妻ヤショーダの横に私を置きなさい。そしてヤショーダが産んだばかりの女の赤児をここに持って来なさい。そしてカンサに子供が産まれたことを伝えるのだ。カンサに知らせが届くまで、マトゥーラにおいても、ゴクラに於いても汝に気づく者はいないだろう。私がそのように取り計ろう。」ナーラーヤナ神は神聖光輝に包まれ、デーヴァキとヴァースデヴァに祝福すると光の球となってデーヴァキの胎内には入り、それから数分後に子供が産まれたのでした。

それは午前三時三十分、プラムラ・ムフルータムの神聖な時刻でした。
ヴィシュヌ神の幻を生じさせる不思議な力が警備人たちを全て眠らせ、彼らはその場にうずくまって前後不覚に寝込んでいました。ヴァースデヴァの手足を縛っていた太い鉄の鎖は瞬間に外れ、牢獄の扉と門はさっと開きました。
周りは闇でしたが、カッコウは喜びの鳴き声を響かせ、オウムは天の至福を告げました。
星はまたたき、歓喜の光を放ちました。雨神は花の露のような雨を地上に降らせ、牢獄の周囲は小鳥たちが幸福の調べをさえずりました。
ヴァースデヴァはこれら全てが神の魅力を顕現するものである事を悟りました。産まれたての赤児に目をやった彼は、自分の見たものに驚きました。
真か、それとも幻か。彼は棒立ちになってしまいました。というのも赤児は光輪で包まれていたからなのです。赤児は両親を見て微笑みました。それはまるで何かを話しかけているようでした。そして二人は聞いたのです。
「さあ、今すぐ私をゴクラに連れて行きなさい。」という言葉を。
ヴァースデヴァはもはや躊躇しませんでした。彼は竹で編んだマットの上に衣を広げると赤児を乗せ、デーヴァキの古いサリーのスカーフを裂くとそれで赤児を覆いました。そして開け放たれた扉と門を抜け、ぐっすりと寝込んでいる警備人たちの間を通ったのです。

彼は二、三滴の雨が降ってきた事に気づき、産まれたばかりの子がずぶ濡れになると思って悲しくなりました。
しかし彼の後を蛇のアーディ・シェーシャが彼の足音を聞きつけて、後を追い、蛇の盖を広げて傘のように赤児の上に差しかけ、雨に濡れないようにしているのを見ました。
彼は一足ごとに神聖な好ましいしるしを見たのです。

まだ陽は昇っていませんでしたが、蓮の花は池という池に花開き、ヴァースデヴァに向かって微笑みかけていました。月の無い夜でしたが、多分神々も赤児を見たいと欲したのでしょう。満月が雲間から顔を覗かせ、涼しい月の光は道を行く赤児が寝かされた竹のマットだけを照らしていました。全てこれらの神聖なしるしを引き寄せた赤児をナンダの家に置くと、そこにいた産まれたばかりの赤児を抱えて連れ出して来て、デーヴァキの手の中に置きました。そうし終わるや否やヴァースデヴァは、わっとばかりに泣きくずれました。


ジェットコースターは怖いな

2016-05-30 00:00:57 | 日記

人々は、欲望を満たすことによって幸福が得られるという誤った認識に陥っています。
実際は、幸福は欲望が満たされたときではなく、それがコントロールされたときにもたらされるのです。
人は欲望をコントロールすることによって至福の状態を味わうことができます。
自分の欲望を満たしたいと強く願う人は、いつも落ち着きがありません。
欲望は外側に向かう道(プラヴリッティ)に対応していますが、そこにはひとかけらの幸福も存在しません。
皆さんは、世の中に幸福があると考えて迷妄に陥っていますが、そうすることによって、内に向かう道(ニヴリッティ)からますます離れていくのです。5/7/01

ポニョ:前回はお母さんの介護をしておられる方が、至福の体験をされた話を紹介しました。

ヨシオ:シータのお父さんのジャナカ王も聖者の教え通り森に行き、瞑想をしたあと迎えに来た家来が用意した馬の背にまたがって乗ろうとしているその瞬間に、突然全てを悟ったエピソードをババが紹介されたよな。

ポニョ:人の悟りって、そんな感じで突然やって来るもんなんやな。面白い。おいらも悟りって感じじゃないけれど、似たような体験をした事があるんやぜよ。ババの帰依者になるまで自分本位な生活をして来たけれど、ババの帰依者になってからは、自分の時間をババの教え通りに、神さんを思ったり仕事を神さんに捧げたりして、毎日の生活での第一の優先順位を神さんに捧げ、そして社会の為になる事を第二の優先順位に、第三の優先順位は家族の為に、そして最後に自分の興味のある事や関心がある事をするって決めたんや。それまでは自分がやりたい事、関心がある事、例えば友達とカヌーで川下りに行くから、何があってもその計画を変えないで実行していたんやけれど、そうではなく、自分がやりたい事を一番後ろに持って来ると、自分が、とか自分の為に、だとかというエゴがだんだん小さくなって来たなって感じたぜよ。難しかったのは、お腹が空いてきて食事にしようかなって思ったら、何か用事を頼まれたり、人が訪ねて来て、お腹が空いていても、食べられなかった時や。でも、そういう風に自分で決めた事を実践して行くと、だんだん自分が良い方向へ向かっていくのが分かるんや。それは言葉で表現するのは難しいけれど、もっと具体的に言えば、自分がある事をしたいと思っていても、誰かが自分の助けを必要としているというのが分かったから、自分がしたい事を止めて、その人の手助けをしたんや。そんな事って誰でもある経験かもしれないけれど、その手助けをしている行為って、今までの自分だったら考えられないような行為なんや。だって以前はもっと自分本位やったから。それでその人を手助けしている時に、自分は変わったな。こういう事を自然に出来るようになった自分って好きやな。とか思い始めて、おいらの人生で始めて、自分の事が自分で好きになったんや。そしてその時に、どういうわけか自分がとても愛おしくて、神さんの道具になれた自分に感激してしまって、涙が出て来たぜよ。

ヨシオ:ふーん、じゃあそれまでは、自分の事をそれほど愛するとかという気持ちは無かったんか?

ポニョ:そんな事を意識して考えたり、思った事なんて一度も無かったぜよ。だって、人って誰でも自分の事を愛しているのは普通やろ。それを改まって思ったりしないぜよ。

ヨシオ:そうか。ポニョは自分が神さんの教え通り生きて行けば、神さんの道具になれる。そういう自分になっていくのが実感出来たから、感激して涙が出たんやろな。実のところを言えば、誰でも本当は神さんの道具なんやけれど、道具にも良い道具や悪い道具があるように、ダルマの道へと導いて行くのが良い道具で、そうではなく人や社会をダルマの道から逸らせ逸脱させて行くのが悪い道具と呼ばれているんや。でも、どちらも神さんの道具である事は変わりはないんや。

ポニョ:そう言えば、デイヴィッドさんの話を以前してくれたけれど、その話と関係があるよな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/c31f7ec6bc9f867d6907fe9cfa9dd42d

ヨシオ:イギリスのサイのニュースレターを発行されていたペギーメイソンさんの話やろ。「サイババは世界の危機を救う」というサイの本を旦那さんと著されて有名やけれど、もう年を取られたので、たくさんのニュースレターを読者に定期的に送り続けるのは難しいので、デイヴィッドというプロのミュージシャンがペギーさんの後を継いだんや。そのデイヴィッドさんはピアノを弾くのが上手くて、一度ババの前で弾いたら、ババがとてもお喜びになられたので、毎年クリスマスの時期になると、アシュラムでピアノを弾いてクリスマスコンサートをババのために開かれていたんや。ある時、ババはそのデイヴィッドさんに、私は君に、将来とてもスペシャルな仕事を与えようと言われたんやけれど、デイヴィッドさんは、それって何か全然見当がつかなかったんや。でもデイヴィッドさんは、ある時ババへのネガティブキャンペーンをしているいろんな資料を読んだり聞いたりして、ババへの信仰心を失ってしまって、逆に反ババキャンペーンを始めたんや。おいらはその話を聞いて、あれだけババから目をかけられて大事にされた人が、ババに対してよくあんなひどい攻撃が出来たなと思ってその神経を疑ったんやけれど、以前ババがデイヴィッドさんに、君にとてもスペシャルな仕事を将来与えてあげようと言われた言葉を思い出し、あゝ、今デイヴィッドさんがしている事が、スペシャルな仕事なんかって分かったんや。

ポニョ:そう、その話やぜよ。

ヨシオ:ババの仕事をする為に自分を道具としてお使い下さいなんてお願いしたら、デイヴィッドさんのような使い方をされかねないよな。道具の前に「良い」と付け加えなければ、デイヴィッドさんみたいになってしまうんや。良い道具でも、悪い道具でも、どっちの道具もババにとっては道具やから。

ポニョ:ババはその良い悪いというレベルを超越されたところにおられるもんな。

ヨシオ:ポニョは昔、俺や星やんと一緒に花博に行って、ジェットコースターに乗ったやろ。この世界も真っ直ぐな道って無くて、ジェットコースターのように上り下りが常にあるようにわざと作られているんや。最近ポニョはまたツイッターを始めてこの世界の不条理な事や、どこかの連中がしている悪さを暴いたりしているけれど、それってジェットコースターで言えば下り坂に差し掛かっていて、ポニョが他の乗客に、別に観光ガイドでもないのに、「今からきつい下りに入りますよ。めちゃ怖いから皆さん気をつけてくださいね。帽子を被っている方は風で飛んで行ってしまうかもしれないので、手で押さえておいて下さいね。さあ、下りです!危な~い!キャ~!」なんて言っているのと同じなんや。世界は一度ジェットコースターのように下がらないと上がって行かないんや。だからポニョが世界がめちゃくちゃや、とか不条理やろか残酷な事件が起こっているとか、火山が噴火し、地震が多発しているとか言ってギャーギャー言いているけれど、それってジェットコースターの下りで叫んでいるのと同じなんや。神さんの目から見たら、「アホやなお前らは。もうすぐして、ジェットコースターが一番下まで下ったら、また上の方に上がて行くのに、ギャーギャーわめいてうるさい奴らや。」とポニョの事を思っておられるんやろな。

ポニョ:そんな風に思われているんやろうか?嫌やな。

ヨシオ:社会がギクシャクして来て、だんだん住みにくくなって来ているけれど、デイヴィッドさんのような仕事を神さんからもらった人は、ジェットコースターがもっとスピードを出せるように線路にオイルを塗っているようなもんなんや。そしてポニョがツイッターでワイワイ言っているのは、神さんから見たら、さっきも言ったけれど下りのジェットコースターは怖いで、危ないから気をつけようねと言っているようなものなんや。

ポニョ:それってアホくさいやんか。それにもっとジェットコースターのスピードが出るようにする仕事の方が面白そうやぜよ。

ヨシオ:そうやろ。だから神さんから見たら、この世のものに、これは良いとか悪いとかというレッテルを付けるのは意味が無いことなんや。福一と違って、神さんから見たら全てはアンダーコントロールなんや。

カルマを支払い、奉仕や霊性修行を行う上で、あなたは様々な困難に出合います。
しかし、それはあなたが生きているこの世界では自然なことです。
この世界には善と悪、喜びと悲しみ、光と影といったように二面性を持っています。
それらのことにあまり重きを置かないようにしなさい。
あなたに降りかかるものを、あなたの義務として神への祈りと共に受け入れることです。
そしてその結果については神の御手にゆだねなさい。SS11/1996

ポニョ:でもさっきあんたが言ったように、ダルマへの道は良いけれど、それに反した道は良く無いって言ってたぜよ。

ヨシオ:それは次元が違う問題や。ババはデイヴィッドさんに、反サイババキャンペーンの仕事をするように勧めた事は一回もないやろ。それはデイヴィッドさんの霊的レベルの問題で、デイヴィッドさんは、まだ識別心が低いから、何がダルマかどうかを識別出来ないんや。だからそんなキャンペーンに一役買って出てしまうんや。でもババは、デイヴィッドさんのそういう霊的レベルを知っておられて、デイヴィッドさんは将来、そういう事をするって分かっておられるから、デイヴィッドさんがそういうスペシャルな仕事をするって言われたんや。でもババにとっては、そういう事をデイヴィッドさんがしようがしまいが関係ないんや。だってデイヴィッドさんがしなくても、その同じ反サイババキャンペーンの仕事を、デイヴィッドさんの代りに、デイヴィッドさんと同じような霊的レベルの人がするやろ。そういうジェットコースターの線路にオイルを塗る人がいなくては、ジェットコースターが勢い良く下って行かないし、勢いがつかなかったら、上の方にコースターが上って行かないやろ。だから反サイババキャンペーンは、ババから見たら必要な事なんや。とは言っても、そういう事をする人は自分の判断でやっているわけやから、自分でカルマを作っていてしかも、それはダルマに反する行為やから、カルマが鉄槌が返って来るようにひどく頭を打ち、後で泣くほど後悔するやろな。でもそういう人は、何の苦労も無く良い生活をしながら、神さんの方に向かってのんびりと平坦な道を歩んでいる人より、もっともっと神への強い気持ち、信仰心を得る事ができるやろな。だからこの世界で何が起こっても全ては良い事なんや。実は、この世界には愛しかないし、良い事しか無いんや。

ポニョ:肉眼だけで見たら悪い事だらけやけれど。おいらももっと良い事だけを見れたらええのにな。一月ほど前に記事にしたけれど、ちょっとネガティヴ過ぎるからボツにした記事をコメント欄に載せておきましたが、もし宜しければお読み下さいね。あなたの想念がネガティヴになっても、当方は一切責任を取りませんので悪しからず。尚、このテープは自動的に消滅する。

ヨシオ:スパイ大作戦か?それにこういう事は読者の選択やろ。

ポニョ:そうでした。読者の皆様の選択でした。そうや!選択で思い出した。今日も、昼から雨やから今にうちに洗濯しようっと!洗濯はおいらの担当なんや。洗濯ランラン嬉しいな。

ヨシオ:今頃洗濯しても、そんなに早く乾けへんやろ。勝手にし。

感覚の要求を調和させる方法があります。
それは、善と悪を等しくみなす態度を養うことです。
~このような忍耐と泰然自若の態度を取ることができる人はごく僅かです。
神への献身と信愛によってのみ、このような忍耐心と泰然たる心的態度を身につけることが出来ます。
感覚のコントロールなんて出来そうにもないと思って意気消沈する必要はありません。
一筋の献身をつちかうことにより、感覚をコントロールする事が出来ます。
~第一に、感覚を好き勝手にふるまわせてはなりません。
感覚による悦楽はつかのまのものであって、最後は悲嘆に終わるものであると認識しなさい。
感覚が正しい方向に向かって常に忙しくしているならば、感覚によって悩まされることはありません。22/5/90

クリシュナ物語⑵

2016-05-29 00:00:55 | 日記

ポニョ:今日は第二話です。このまま二日置きに、七月二十日のクリシュナの生誕の日まで、こうしてクリシュナの話を連載しますね。

ヨシオ:でも、そんなにたくさんのエピソードがあるんか?

ポニョ:それほど無いやろな。でもあんたの事やから適当に思い出して続けられるでしょうね。

ヨシオ:他人事みたいに言うなよ。という事で、昨日は可哀想に産まれたての赤ん坊をカンサに差し出さなくてはならないところまでお話をしました。

ポニョ:本当に両親の気持ちになったらめちゃ可愛そうやぜよ。涙がぽろぽろ出て来そうや。でもちょっと思ったんやけれど、神さんの話って簡単に人を殺したりする話が多いよな。今回もカンサという悪役のおっさんが赤ちゃんを殺そうとしているけれど、それってめちゃ残酷でインパクトがあるよな。なんで神さんって愛の塊やのに、そんな残酷な話を作られるんやろか?

ヨシオ:この世界はあの世界が反映されたものなんやって事は知ってるやろ。あの世界で起きた事が、この世界に跳ね返って来てるんや。あっちが元でこっちは蜃気楼みたいなものなんや。もちろん、どっちも神さんのイマジネーションから創られた世界という意味では、どっちも実体を持たないんやけれど。それで、このクリシュナの前に産まれた六人の殺された赤ん坊たちも、後でクリシュナが地獄まで行って助け上げて天国に連れて行ったんやで。もちろんその前に充分お母さんであるデーヴァキのおっぱいを吸ってからや。

ポニョ:へ~そんな話が伝わっているんか。面白い。

ヨシオ:ここでは、主にババが言われたクリシュナの話を元に記事にしているので、そういうエピソードを詳しく取り上げないけれど。という事で、いきなり残酷なシーンですがごめんなさいね。

翌朝、日の出前にヴァースデヴァは全ての子供達をカンサの前に連れて行き泣き崩れました。利己心の塊であるカンサは、子供達の足を掴み体が歪むまで床に叩きつけました。このような残酷な自分の子供達を殺されるのを眼の前で見ても、ヴァースデヴァは何一つ抵抗出来ずに重い心で家に戻り、このような恐ろしい報いを生んだ自分の大きな罪を嘆くのでした。ヴァースデヴァとデーヴァキはもはや生きていく事に耐えられませんでした。
しかし、「神の意志を守らねばならない。私たちは命が尽きるまで生きていかなければならない。」とお互い慰めあって心をしっかりと保とうとしても、悲しみがすぐにやって来て身も心も衰弱して行くばかりでした。
そういう悲しみの中で、再び第七子を身ごもったのです。しかしその子は妊娠七ヶ月で流産してしまいました。この事をカンサに告げる必要はあるのでしょうか?もしそうなら、どのようにしてそれを告げれるのでしょうか?二人はどうして良いのか分かりませんでしたが、カンサがこの事を知った時に、デーヴァキ達夫婦が自分を騙すために何か策略を練っているのだと思い込み、二人を牢獄に閉じ込めてしまったのです。
牢獄で毎日の日々を送るデーヴァキとヴァースデヴァの姿はまさに狂人同様でした。二人とも食欲を失い瘦せこけました。
毎日眠れず、無残にも殺された子供達の事ばかり思って悲しみ、その身体はますます衰えていきました。
牢獄生活が二年目に入った頃、デーヴァキは第八子を妊娠しました。それをきっかけに、彼らは不思議な事に目覚ましい変化を遂げ始めたのです。
意気消沈していたヴァースデヴァとデーヴァキの顔は、にわかに満開の蓮の花のように輝き始め、あやしい光に包まれて行ったのです。
骨と皮ばかりに痩せ衰えた二人の体も肉が付いて丸みを帯び、魅力的な金色に輝き始めたのです。デーヴァキが閉じ込められていた牢獄にも芳しい香りが漂い不思議な光を放ち、妙なる音楽と舞踏を舞う鈴の音の響きが聞こえて来たのでした。
これらの超自然的な不思議な現象に夫婦は気づいていましたが、この事をカンサに告げると、残酷なカンサは子供が生まれないようにヴァースデヴァの母体を切り刻むのではないかと恐れて告げませんでした。
二人は、やがて産まれてくる子供の将来を案じてこのような超自然的な前兆に不安の念を禁じえませんでした。

さて、カンサの方はどうだったでしょうか?彼は自分の最後が近づきつつある事に気づいていました。しかし王国の帝王としての地位を失いたくないという欲望に心が乱れ、ヤドゥリー、ヴィリシュニ、ボージャといった周辺の諸国に攻め入りそれらを征服して自国の領地としました。そして独裁体制を確立するために、老いた父
ウグラセナでさえ牢獄に押し込め、自分の思い通りの政治を執り行いました。
ヴァースデヴァ夫婦の流産した第七子は、実は神の見計らいによってナンダの保護のもとにゴクラに住むロヒニという名のヴァースデヴァの別の妻の胎内に移されていたのでした。これは将来、この子が成長してクリシュナの友となり、相手となるためでした。
ロヒニは無事に男児を出産し、家族の僧侶であるガルガによってパララマと命名されました。
この赤ん坊はなみ優れて丈夫で、無邪気さと聡明さによって全ての人たちを魅了しました。一方、九ヶ月の時が満ちて、デーヴァキとヴァースデヴァは、第八子が誕生したらどうなるかと、大変心配していました。二人は食べることも寝ることも出来ずに悩み苦しんでその時を待っていました。
カンサは九ヶ月が来たことを知ると、子供が自分の監視の目をくぐり抜けることのないように、ことさら警護を厳重にしました。家来たちに命じてヴァースデヴァとデーヴァキの手足を鎖で縛りつけたのでした。
牢獄の扉にも固く錠をおろし、警備人の人数も増やして牢獄の周りを囲み、五分ごとに二人が牢獄の中にいるかどうかを確認させたのです。
カンサ自身もこのように心の休まる事がなく、赤児の誕生に怯えていました。
しかし、神の御意志にもとづく御業を妨害できる者など、この世に存在しません。
真理を理解せぬ者、神を認識せず、神の力を知らぬ者、神を信じない者、それら愚かな人々は、自分たちの小さな計画によって自分自身を救い、自分自身の努力によって勝利を収めることが出来るとの迷いに閉ざされています。しかし事実は、どのような些細な成功であれ、神の恩寵無しには成功しないのです。
それだからと言って私たちは神が意思すれば物事が成就すると信じて、手を束ねて座っていれば良いわけではありません。人間の努力が大事であり、人は自分の力で先ずやってみなくてはなりません。自分に与えられた力を使い、仕事を進めて行くという覚悟をし、その結果が成るかどうかは神に委ねるのです。何故ならば、神の恩寵無しには、如何なる努力も実を結ばないからなのです。
こうしたある夜、牢獄の床で寝ていたデーヴァキは陣痛を感じました。彼女は神に心を集中し、小さいランプの炎をジッと見つめながら、自らに話しかけていました。
「私はこれから先どうなるのだろう?」と。
すると突然炎が消え、あたりが真っ暗闇になりました。その時、彼女は輝く御姿が、見たこともないような光輝を放ちながら自分の目の前に立っているの見ました。彼女は訝しげに思い、それはカンサではないかと恐れてヴァースデヴァを呼びました。







真剣勝負な帰依心

2016-05-28 00:00:46 | 日記
すべての人の中に神がいると分かれば、揺れ動く諸々の感情を抑えることが出来るはずです。
そうなればもう心が乱れることは無いでしょう。
それが出来れば、皆さんは神の恵みと一つになります。
どれほど辛い運命に巻き込まれても必ず乗り越えられるようになるでしょう。
ただ一つの神がすべての人の心にいると強く信じれば、どんな障害も乗り越えることが出来ます。
内なる神を完全に信じていれば、すべては思いどおりになります。
信じる心が鍵です。
信じる心が神に向かう生き方の基本です。
内なる神を信じなさい。
これこそは、皆さんの目標です。
木を切り倒すためには、枝や葉を切らなくても良いのです。
根元を切ればそれで木は倒れます。
神を捕らえることが出来れば、すべては思いのままです。
普段の暮らしの中で神を捕らえる為には、すべての生き物に対して真心を持ってあたることです。
そして内側と外側の汚れを取り除き、身も心も明るく清らかにするのです。
その時はじめて、あらゆるところにいつも神を悟ることが出来るでしょう。
神を信じ、神に祈り、神にすべてを従うとき、すべての人の心にそれと同じ神がいることに気づくべきです。
それゆえ人を非難しないように気をつけなくてはいけません。
あなたが、誰かに対しても口汚く罵るなら、その言葉はその人の心の内なる神に対して、そっくりそのまま向けられることを、深く信じるのです。SGc27

ポニョ:最近の記事でババが夢に出て来られて、もっと自らの体験を元にした記事を書きなさいって言われたって紹介してたやろ。

ヨシオ:あの時はポニョの好きなややこしいサハスラーラチャクラについて、自分の体験からではなく書物の知識を元にして話していたから、そういう書物を元にした知識より、もっと自分の体験を記事にしろって事なんやろな。

ポニョ:そういう意味で最近ある人の記事を読んでいたら、あんたは仕事を辞めて認知症のお袋さんの介護をしていたけれど、その人もアルツハイマーになった母親と言っても、もう寝たきりの状態で病状がかなり進行してるお母さんの介護をされているんや。その母親を施設に入れようとしても、どこもいっぱいで、しかも、かなり費用もかかるので、あんたと同じように仕事を辞し、お母さんの介護に集中することにしたんや。それで奥さんの収入だけに頼ることになったんやけれど、奥さんも鬱病になってしまって会社をリストラになり、収入が全て絶たれてしまったんや。その人は役所にも相談に行ったんやけれど、役所は、先ず自分の持ち家を売ってから来てくださいと言われてけんもほろろに扱われて、全然相談に乗ってくれないんや。しかも田舎やから、そんな土地や家の買手なんて簡単に見つかるわけがないし、途方に暮れてしまったんや。でもその人は全てを神にお任せし、その結果、家族全員が餓死してもそれは仕方がないと腹をくくった途端、自分の肩から重荷が全て消え至福の体験をしたんや。そして、この世は愛で出来ているんだ。全ては実は神なんだという事を悟った途端、ある日、お金のことは心配しなくても良いからお母さんの介護をしてあげなさいと言ってくれた人が現れたんやて。

ヨシオ:それはすごい話やな。全てを神さんにお任せしたら、神さんが全ての面倒を見てくれるんや。

ポニョ:そういう事やもんな。だいたい日本っていう国は、こんなに真面目に働いている人ばかりやのに、両親の老後の面倒も見れないひどい国になってしまっているんやぜよ。国民一人当たり約百万円も、どこかの国の国債を買わされて、その利息さえ支払ってもらえず、しかもその国の議会の承認がなければその国債を売ることも出来ないんや。国の富を、国民が知らず知らずのうちにパクられているんやぜよ。これを新帝国循環って言うんやけれど、国民に選ばれていない木っ端役人どもが、外国の言う通りにこの国を動かしているんや。それでいつまで経ってもこの国の人たちは豊かな暮らしを出来ないんやぜよ。

ヨシオ:せっかくええ話を聞いているのに、突然興奮するなよ。本当に昔の俺みたいやな。

ポニョ:それでその人は、そういう自分が突然、電光石火のごとく悟った体験などを記事にしておられて、結構いろんな人がブログを見に来られていたんやけれど、しばらくしたら突然、ブログを閉鎖されて、今は誰も過去記事も含めて読めないんや。

ヨシオ:その人に何かあったんやろか?宝くじが当たったとか。

ポニョ:それは無いでしょう。記事の内容も自らの体験を元に綴ってあるので、とても説得力があって、たくさんの人が、コメント欄でを使っていろんな質問をしていたんやけれど、おいら達と違ってそれに丁寧に答えられていたな。今日はちょっとその人の閉鎖になったブログから、記事をコピペされて保存されている人のブログから記事を借りて来て、このブログでも紹介しようと思います。病の母の介護をしながら、神への感謝の心を綴ります。タイトルは「目覚め」です。それでは花岡修平さんどうぞ!
http://shikoutoshi.hatenablog.jp/entry/2015/10/28/101933
ヨシオ:あのな、ポニョはいつから歌謡ショーの司会者になったんや。

わたしはかつて、浄土真宗は、なんて自分に都合のいい身勝手な考え方をしているんだろうって思っていました。

他力?あなたまかせでいいの?人生は自分で切り開いていくものじゃないのか?って。
ましてや、悪人でも救われる?そんなのありか? みたいな。

でも
それは全く全く正しかった。

一年前、わたしの身に起こったこと。

認知症の母が寝たきりになり、施設に入れたくても空きがなく、空きがあっても重度であるため入所費用も半端なく、
手段がないため仕事を辞め自宅介護にふみきりました。

そんな折かみさんが鬱になり、リストカット。
長期の入院を余儀なくされました。
収入は完全に断たれ、かみさんの医療費も高額で、途方に暮れました。

今まででも経済的な困窮はありましたが、こんなに前途が真っ暗な状態になった事はありませんでした。
行政の支援もお願いしましたが、まず資産を処分してから来なさいと断られました。
処分するにも、なんせ、ど田舎の地所ですので土地も家も買い手などつきません。

困り果てたわたしは、来る日も来る日も思案に明け暮れました。

そして、あきらめたのです。

もう起こる事と戦うのをやめよう。自分はもう死ななければならないなら死のう。
いや、積極的に死を選択するのではなく、そうなるのであれば受け入れよう。
世界が有るなら、それを現している元の、なにか偉大な力が存在するはずだ。
それに自分の全てをまかせよう。生きようと必死になるサバイバルを捨てよう。

そうして、その偉大な力、いわば源泉に、または神に。
わたしはわたしの人生だろうが、身体だろうが、命だろうが、魂だろうが、
ありとあらゆる自分に関わる一切を差し出したのです。

そうするとどうでしょう!なんと。
自分の苦悩から解き放されたような解放感に浸れたのです。

そして、ここに!
この胸の、ここに!
説明のつかない、ふくらみのある何かが現れたのです。

それは今まで味わったことのない幸せ、喜び、条件を必要としない愛と共に現れました。
わたしはその至福の故に喜び、その感謝の故に泣き、
溢れ出るその愛の故に、酔いました。
それは今でも、ここに。この胸のここから溢れてきます。

それが現れてから数日後、生活も、家のローンも、治療費も出してあげよう。返さなくてもいい。
そんな人が出てきたのです。
まさに神が、わたしの人生の主導権を引き受けた瞬間です。

わたしは自分の内側に、絶対的に信頼できる神を得たのです。
それ以来、わたしは内側に、神の側に向いていて、頭のほうに意識を移動するには若干気力を使わなければなりません。

自分の全てを放棄して、内なる神におまかせし、何であれそのみこころを受け入れる。
全くの他力です。

そして、わかったのです。
だれもが本当は神の要素であることを。
それらは何一つ離れてはいない。
全ては一の中にある数限りない一であって、それらは集まっても全部で一であることを。

だれも生まれたものではない。
だれも死ぬものでもない。
世界は、みこころによって意識に立ち現われた映像にすぎないことを。

この至福の世界こそ、法然の言う浄土であることを。
そしてそれは、あの世にあるのでも、この世にあるものでもなく、
ああ、それはほんとうは、全てなんだということを。

しかしながら、ほんとうにこの表現はいいのだろうか?
言葉では言えない。
それは存在しているとしか、これしか言えない。

ただ、他力は、正しかった。
今までほんとうにわかっていなかった。
これは、経験してはじめてわかる事なんだと実感できた。
このことだったんだって、わかったんです。

もう身体を離れるのはいつでもいい。
明日でも、今からでも。

みこころに従います。
みこころが成就されますように。


ヨシオ:この方は不二一元思想にも通じておられるよな。こういう方が日本にもおられたんやな。でも、剣道で言えばいつも真剣勝負をされているような生き方やな。だからこそ、こういう悟りを得ることが出来たんやろな。

ポニョ:あんたやおいらの生き方は、剣道で言えば竹刀か、竹光のようなもんで、不真面目でいつも遊んでいるって言うか、ええ加減やもんな。でないと、こんなひっちゃかめっちゃかなブログを毎日のように書けないぜよ。

ヨシオ:それのどこがあかんねん?この世の中の事で、神さんに向かう心以外、真剣にならないといけない事なんて存在しないんや。何でも適当でええんや。遊び心が良く似合う人が、この世で一番幸せな人なんや。

ポニョ:でも、この方は星やんみたいに、常に神さんの方を見て生きておられるぜよ。

ヨシオ:それはすごいよな。なかなか俺たちのような凡人には出来ないことや。ババは世の中には、二種類の帰依者があって一つはこの花岡さんや星やんのように、いつも気持ちが一途に神の方にだけ向いているフルタイム帰依者で、もう一つは時々神さんの事を思う俺たちのようなパートタイムの帰依者だって言っておられたけれど、神さんの基準ではパートタイム帰依者は帰依者って呼ばないんや。

ポニョ:じゃあ何て呼ばれるんや?

ヨシオ:食欲に囚われているポンポコポニョたぬき帰依者って呼ばれることもあるな。

ポニョ:あのね、それってひどいズラ。自分の事を棚に上げて、人の事を言わんとってくれますか。

人生においては、一切があなた自身の思いと前世の行為の反映に過ぎません。
あなたは誰も自分の行為や思いに気づくまいと考えて、うまく周りの人々を偽ります。
けれども、あなたの内なる神は、あなたの考えも感情も行為もすべてご存知です。
神はあらゆる場所におられます。
神には何も隠し事は出来ないのです。
いつの日か、あなたは自分の行為の結果に直面しなければなりません。
これは至上の真理です。
あなたは、誰かを自分の困難の原因と考えて、その人を非難しますがそれは完全な間違いです。
良いことであれ悪い事であれ、人生であなたが体験することすべてはあなたの行為が原因です。
神は人間のすべての行為の永遠の照覧者です。
神はこの世界を創造し、人間にそれを楽しめるようにとこの世界を与えました。
けれども人間は自らの行為の結果に直面しなければなりません。
神は郵便配達人のようなもので、人々に配る手紙の内容には少しも気にかけません。
もしあなたが誰かから脅迫状を受け取ったとしても、あなたはそれを郵便配達人のせいにしません。
彼はただの道具です。
その一方で、あなたの祈りはあなたが、困難や問題に勇気を持って立ち向かうの助けてくれます。
心からの真剣な祈り、深い神への信愛、強い信仰、心からの悔い改め、絶えず神を求める気持ち、そして、至高の神への愛は、あなたが人生で出会う一連の出来事を変更することが出来ます。
それらは神の意志を正反対のものにすることさえ出来ます。
あなたの過去世における悪業の結果、あなたが苦しむ運命にあり、困難に直面する定めにあるとしても、神はあなたの真摯な祈りと悔い改めに応え、あなたの人生の行路を変え、あなたを苦しみから救うでしょう。
神は、あなたの神への一途な信愛を悦び、あなたに特別な恩寵を授けるのです。STPSp236~8





クリシュナ物語⑴

2016-05-27 00:00:45 | 日記

ポニョ:というわけで一昨日はクリシュナの物語プロローグをお送りしました。今日は、クリシュナのお話しの第一回目です。

ヨシオ:一昨日の記事がクリシュナの物語のプロローグってちょっとひどかったな。

ポニョ:クリシュナが、ババさんと同じプーナアヴァターって分かっただけでもええやんか。というわけで、そろそろ始めましょか。それではどうぞ。

ヨシオ:それはどうぞって、俺がするんか?

ポニョ:適当に始めて下さい。

ヨシオ:適当にって…。

ポニョ:ババが今までいろんな講話の中でクリシュナについて述べられている事を言えばええんや。簡単やぜよ。あんたは記憶力がええから簡単やろ。

ヨシオ:それじゃ、ババがいろんな本の中で、クリシュナについて詳しく述べられているエピソードがあるから、ババの話を中心に進めて行こか。先ずは、クリシュナの出自から。

ずっと昔、ヤドウ王朝にアフカという王がいました。大臣達がいつも付き添い、王に尊敬と忠誠を捧げてこの主君の元で国の平和と繁栄がもたらせている事を喜んでいました。
アフカには、デヴァーカとウグラセナという二人の息子がいました。二人が行政の責任を取れる年齢になると、王は二人に嫁を迎えました。月日は経ち、デヴァーカは七人の娘、ウグラセナには九人の息子が授かりました。
クリシュナのお話で重要な役割をする事になるデヴァーキーは、デヴァーカの長女で、カンサはウグラセナの長男でした。
当時、マトゥーラはヤドウ王朝の首都でした。そこにはヤドウ王朝の王子、スラセナという支配者がいました。彼には十人の息子と、五人の娘があり、長男はヴァースデーヴァでその長女はクンティでした。
彼は近くに住んでいて子供達も成長しました。そして時が過ぎ行き歴史的な大きな事件が起こったのです。
カンサの叔父の娘であるデーヴァキーはヴァースデヴァと結婚することになり、その結婚式が盛大に執り行われました。

大名や王達、学者や聖者などが大勢式に参列し、都は人でいっぱいになりました。
カンサは全ての客人達に対して惜しみなく豪華なもてなしをしました。カンサには姉妹がいなかったのでデーヴァキーを自分の妹のように愛し、高価な衣服や宝石などを与えました。三日目になると、花嫁は習慣に従い贈り物を携えて花婿の家に赴くことになりました。カムサは新郎新婦を送り届けるために、自ら馬車を御しました。

美しく飾られた通りを行列を組んで馬車が進んでいると、突然馬車の真上に眩しい光が放ち、まるで全世界が洪水にひと呑みされてしまって滅びてしまうかのような、大音響が轟いたのです。
その大音響を聞いて王子も家臣も立ちすくみ、一瞬楽隊の音楽も止まってしまいました。
その時、空から次の声が聞こえて来たのです。
「カンサ王よ。汝は来るべき凶事に気付かず、愚か者のように振舞っている。汝が妹のように愛しているデーヴァキーが八人目の子供を産むと、汝はその子供によって殺される事になっているのだ。よく考えるが良い。」
このような不吉な言葉を語った光輝く姿は空に消えてしまいました。

群衆も王子達も学者達もその言葉を聞いて歓喜の思いは失せてしまい馬車に乗っていたカンサは火のような怒りが湧いてきました。
手に持っていたたずなは、手から滑り落ち、心は不安の念にかき立てられたのです。
そして彼は遂に、妹を生かせておけば自分の生命を奪いに来る赤児が生まれて来る。この妹さえいなければと思い、カムサはデーヴァキーの結い上げた髪の毛を引きずり、無理やり馬車の後ろに立たしてその首をはねようと剣を抜いたのでした。
この恐ろしい光景を見て花婿のヴァースデヴァは立ち上がると、カンサの振り上げた手をしっかり持ってこう言いました。

「兄上、私とて天からの声を聞きました。もしあなたに危害を加える者がいれば、私どもも同じように害を受けます。私たちはあなたにほんの少しでも危害が加わる事を望んではいません。私たちはいつも、あなた様の幸せを望んでおります。どうかその手を離して下さい。私たち夫婦から生まれて来る子供が将来、あなたに危害を加えるというのであれば、私たち夫婦の子供は全てあなた様に捧げます。そうすれば、あなた様は不安にかられる事は無くなるでしょう。しかし、この私の願いを聞き入れずご自分の妹を殺すような事があれば、恐ろしい罪の報いを受け、それはあなた自身だけではなく、あなたの王国にももたらされる事になるでしょう。」
このようにヴァースデヴァが必死の思いで懇願したので、カンサも少し安堵しました。そして彼は手をゆるめ、デーヴァキーを席に着かせてからこう言いました。
「良いか。今言った言葉を必ず守るのだ。」

そう言い終わると、カンサは弟にたずなを手渡して自らは宮殿に帰って行きました。死の恐怖と、妹への愛情で、カムサの心は真っ二つに裂けてしまったのです。寝床には羽布団がひいてあっても、彼は火床の上に寝ているように苦しみました。カンサは次の一年の間、苦しみ続け、義理の兄弟達もその出来事以来、絶えずお互いにコンタクトをし合っていました。
その間、デーヴァキーは身妊り、九ヶ月が過ぎ男の子を産み落としました。
ヴァースデヴァは出産したばかりの妻に「私はお前の生命を救う為に、カンサに約束してしまったのだ。」と言って、生まれたばかりの赤児を暖かい服に包みカンサに差し出しましました。
しかしカンサは可愛い赤児を殺す気はなかったのです。義弟が約束を守った事を喜んでこう言いました。
「弟よ。この赤児は私になんの害も加えることはない。天からの声は八番目の赤児に注意するようにという事だった。だから連れて帰りなさい。」
と言われたので、ヴァースデヴァは無事にデーヴァキーの胸の中に戻す事が出来たのでした。デーヴァキは初産の子が再び自分の胸の中に戻って来たことを喜び、神に感謝しました。しかし、間もなく彼女は再び妊娠しカンサがどのように次の子を扱うのか、夫と共に恐れました。
神への讃歌を歌い世界中を歩き回っていた聖者ナラダがカンサの宮殿に現れました。彼はカンサにご機嫌麗しいかどうかを伺い、そして王国が栄えているかどうかを尋ねました。話の間にナラダは、ヤダヴァは人として現れた神であり、カンサは有名なアシュラであるカラネミの生まれ変わりである事を明らかにしました。そしてデーヴァキの第八子はアシュラの血を絶やし、カンサの生命を滅ぼすであろうと語ったのです。
まさに火に油を注ぐとはこの事でしょう。あまつさえ、ナラダはカンサにこう言ったのです。「一日一日を死ぬ日だと思い、死を遠い事とは思わないように」と。
この話を聞いたカンサは益々不安になり、小さな赤児でさえ自分の死の原因になるかもしれないと思い始めてヴァースデヴァを呼びつけました。
哀れにもヴァースデヴァは、何か悪い事が起きるのではないかと恐れおののきながらカンサの前に出ると、カンサは怒りに燃えて問い詰めました。
「今、子供は何人いるのか?」
ヴァースデヴァはしばらくの間答える事ができず黙っていましたが、やがて声を震わせて言いました。
「ただいま、六人の子供を授かってます。」
カンサは「よし、明日の夜明けに六人共、ここに連れて来るのだ。」と叫びました。
ヴァースデヴァは自分か言い出したカンサとの約束を守らねばなりませんでした。しかし、子供への愛はとても強くて彼はまるでしかばねのようにフラフラと歩いてデーヴァキの元に戻りました。
カンサが六人の子供全てを連れて来るように命じた事をデーヴァキに告げた時、デーヴァキはしっかりと子供達を抱きしめました。その悩み苦しむ光景は、言葉では言い表せないほどでした。