サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

愛の物語シリーズ【15】ヒスロップ博士の奇跡体験❷

2015-10-19 00:00:32 | 日記
もし変化があるとすれば、それは宇宙的規模の変化であって、地域的な変化ではない。それはあらゆるところで起こるのだ。MBAIp189

バガヴァン ババは、懇願されると、数えきれないほどの帰依者を危険や差し迫った惨事から救ってこられました。スワミはヒスロップ博士も救いましたが、ヒスロップ博士の体験はそれらとは大きく異なるものでした。

「1973年のある日の夜8時ごろ、私たちはブリンダーヴァンを発ってバンガロールへ戻る途中でした。タクシーの中には運転手も含めて5人が乗っていました。バンガロールの道は2車線しかないのですが、ブリンダーヴァンを出て数マイル走ったころ、タクシーは1台のバスを追い越そうとしました。タクシーの運転手には前方に車のライトが見えていましたが、バスを追い抜くには十分な時間があると見積もりました。しかし、それはまったくの間違いでした。前方のヘッドライトの対向車はこちらに向かって大変なスピードで向かってきていました。

その地帯はまた、道路の状況も最悪でした。道は工事中で、舗装のための土や小石が道端に積まれていました。こうした状況の中、こちらに向かってくる車が道路の脇へと避難するという可能性はありませんでした。私たちもまた、この状況を回避することはできませんでした。というのも、バスは私たちの左側にいて、道路の右側には補修工事用の土石がありました。そして、その瞬間、対向車はまさに目の前にまで来ていたのです。対向車の運転手は愚かで、私たちを乗せたタクシーの運転手も同じく愚かでした! 対向車のヘッドライトが私たちのタクシーの前面ガラスを直に照らしました。衝突までもはや1秒もありませんでした。私たちは血の気を失っていました。私たちの中で、その瞬間ババを思い浮かべた人、ババを呼んだ人は誰もいませんでした。私たちはもう死を覚悟し、本能的に衝突の瞬間に身構えました。ところが、まさに、その瞬間、理性では説明しきれない何かが起こったのです。その瞬間、2台の車は正面衝突を免れ得ないほど接近していました。ところが、次の瞬間、対向車は私たちの車の背後にいて、私たちの車は視界が開けた道でバスを追い越している最中でした。後ろを振り返ると、対向車であった車の赤いテールランプが見えました。衝突は起こりませんでした。

翌日、私たちはいつものように朝8時にブリンダーヴァンに向けて車で出発しました。朝のダルシャンにババが現れるのをベランダの近くで待つためでした。ババが部屋に入ってこられるとすぐに、私は蓮華の御足に触れ、“昨晩は私たちの命を救ってくださってありがとうございました”と言いました。

ババはにっこりしておっしゃいました。“ええ、間一髪のところでしたね。あなた方は誰一人としてスワミを呼ぶこともできないほど気が動転していました! でもスワミはどちらにしてもあなた方を助けました。”それから、ババは男性グループのほうを向いて、テルグ語でその出来事を話されました。

それから私が、“スワミ、私たちを助けるために、時間と空間を変えられたのですね。”と言うと、スワミはただ微笑むだけで何もおっしゃいませんでした。」

時々、スワミは、ご自身が礼拝されたことのある別の御姿を見せるという状況を作って帰依者を祝福することがあります。ヒスロップ博士はシュリ・クリシュナとしてのババを一瞥することのできた幸運な数少ない帰依者の一人でした。ヒスロップ博士は次のように語っています。

「何年も前のことです。私はババの車に乗っていました。ババは後ろの席に他の2人と共に座られ、私と運転手は前の席にいました。私たちはプッタパルティへ向かう途中でした。ババといっしょに車で移動するのは魅惑的な体験です。

行程の途中、おそらく半分位の地点に来たときのことです。ババは話をなさっていて、私はババを見ようと後ろを向きました。私は息を呑み、固まってしまいました。自分の目が信じられませんでした。

私を固まらせ、息を呑ませたものとは、ババのお顔でした。私の知っているババはそこにはおられませんでした! その代わり、この世とも思えないほど美しいお顔がありました。形も色も、私たちの敬愛するサイのお顔の造作とはまったく異なっていました。その魅力的な美しさは極めて偉大で、強烈で、私のハートはよじれて痛みをも感じるかのようでした。いかなる写真であっても、偉大な芸術家の手による絵画であっても、私は生涯を通じて、それほどの極度に美しいお顔は見たことがありませんでした。それは想像と発想を絶するもので、全くの未体験のものでした。

お顔の色は青でした。単なる青、芸術家がシュリ・クリシュナを描く青ではなく、暗い空に時々見られるベルベッドの青〔紺碧〕、海岸から何千マイルも離れた太平洋の船のデッキでたまに見たことのあった青でした。他にその色を表す言葉はわかりません。

私はババのお顔から眼を離すことができませんでした。ババの隣に座っていた2人は何か困惑した表情で私を見始めていました。

車が数マイル走った後、シュリ・ヴィッタル・ラーオ氏(ババの左側に座っていた)が私に尋ねました。“ヒスロップ、なぜ、スワミのことをあんなふうに見つめていたんだい?”

その質問に答える代わりに、私はババに質問を投げかけました。“スワミ、あの青い色は何だったのでしょうか?”

スワミはお答えになりました。“ああ、あれかね? 底知れない深さのものがあるときにはいつも、それは紺碧に見えるのです。”

それでその出来事に関する会話は終わりました。当然のことながら、あれは主クリシュナだったのでは、という思いが心をよぎりました。しかし、この体験に関連して、その時も、その後も、私はババにクリシュナの名を告げることはありませんでした。1975年11月のある出来事までは。

御降誕祭を直前に控えたある日、スワミはある家族をインタビューにお呼びになりました。ヒスロップ博士もそこに呼ばれました。スワミはその家族にしばらく話をした後に、ヒスロップ博士のほうを向きました。以下、ヒスロップ博士の話が続きます。

「しばらくして、ババは私におっしゃいました。“ヒスロップ、あなたの体験を彼らに話してあげなさい。”私はそれに応じて、いくつかの出来事を述べた後、同じ話〔紺碧のお顔を見たことについて〕をしました。その場にいた男性は深く感銘し、彼の口からは次のような言葉が飛び出してきました。“ああ! それは主クリシュナに違いありません!”

ババはにっこりとして、言いました。“ええ、あれはクリシュナでした。あのクリシュナは、芸術家が描いたものでも、作家が想像したものでもありません。私はヒスロップに本物のクリシュナを見せたのです。”」

*この体験談については、サティヤ サイ メール マガジン2012年特別号にも詳細が掲載されています。  http://www.sathyasai.or.jp/mmg_cnt/20120810/speech2.html

ヒスロップ博士は、まさしく特別に選ばれた存在でした。というのは、博士は、ほんのわずかな人しか得られないような多くの素晴らしい経験に恵まれたからです。その一つとして、実際にスワミをあらゆるところに見る助けとなったというヒスロップ博士の体験の記述をここにご紹介します。

「プラシャーンティ ニラヤムに約3年間滞在した後に、私が米国に戻り、飛行機を降りた時のことです。スワミの頭と肩が、私の頭と肩に重ねられたような感じがしました。私はそのように感じたのです。私はスワミの髪も感じました。そこで私は、“ああ、スワミ、アメリカへようこそ!”と言いました。この感覚は3年間続きました。私が行く所はどこでも、スワミがそこに立っておられました。センターで人々に話をした時には、その部屋にいた一人ひとり全員の背後にスワミが立っておられました! すべての人の背後にスワミの頭がありました。壁を見ると、大勢のスワミが立っておられる列〔の影〕ができていました。このようなビジョンも最終的には終わり、私はスワミに言いました。“スワミ、あの現象は、今、終わってしまいました。”スワミはおっしゃいました。“ヒスロップ、すべての現象は一時的なものだということを知らないのですか?” そして、さらにこうおっしゃいました。“君はこれまで、君の側では何の努力もすることなくスワミのヴィジョンを見ることができた。今度は、自らの意志で、君が見るところすべてにスワミを見なければなりません。”それで、私はそうしているのです。」

もう一つヒスロップ博士のたぐいまれな体験談があります。

「ある時、スワミはマドラス〔チェンナイ〕に行って、ある女主人の家に思いがけず立ち寄りました。皆さんもおわかりのように、アヴァターが自分の家を訪れるとなれば、お迎えのために何らかの準備をしたいと必ずや思うことでしょう。たとえば、お花であったり、お盆に食べ物を盛ったりなど、主を家に歓迎するための何かです。この帰依者の場合も例外ではありませんでした。

スワミが玄関まで来られて、ドアをノックしました。その女主人は、スワミが立っているのを見ると、驚きの声を上げました。“ああ、スワミ、スワミ、お会いできてとても嬉しいです。でもスワミ、家に来てくださることをおっしゃってくださらなかったので、私にはスワミをお迎えするための品が何もありません。お花も果物もありません。何もないのです。” かわいそうに、その女性は大変困惑していました。すると、スワミは、“心配は要りません、心配は要りません”とおっしゃり、後ろを向いて車に手招きなさいました。

車から、翼のある2人の天使が、大きな銀のお盆を持ってやって来ました。お盆の上には果物やお花、それから、女主人がスワミをお迎えするのに必要なすべての品が載っていました。天使はそのお盆を家まで持ってくると、その女主人に渡しました。するとスワミは、天使に向かって車に戻ってよい、と合図をなさいました。2人の天使はふわふわと宙に浮いて車へと戻り、羽を閉じて車の中に入り、消えてしまいました!

その後、何年か経って、スワミはもう一つ別の車を取得されました。それはバスで、学生を乗せて遠足に連れていくことがよくありました。ある時、スワミは学生たちをそのバスでマドラスに連れていきました。

まず、スワミは、ご自身が滞在することになっていた、あの女主人の家に立ち寄りました。学生たちはどこか他の場所に滞在する予定でした。家の玄関を開けて、バスにたくさんの学生が乗っているのを見た女主人は、家の中に戻って銀のお盆を持ってきました。そのお盆はまだそこにあって、女主人は学生たちに羽の生えた天使の話をしたのでした。」

ヒスロップ博士は、満たされることのない渇望と共に何年も主を求めて放浪しましたが、スワミは最終的にヒスロップ博士を自らのもとに引き寄せ、神の近くにいるという祝福を授けました。ヒスロップ博士としては、その与えられた機会を、自分のためのみならず人類全体のために最大限に生かしました。博士はサイの大使としてあちこちへ赴き、著書〔当然ながら広く知られている〕や講演を通じてサイのメッセージを広く遠方まで届けるという、サイの召し使いとしての奉仕を捧げました。癌に冒されていた時でさえも、戸惑うことなく出かけて行っては、自らが見つけ出した主についての話をしました。ヒスロップ博士は次のように言っています。

「現代社会では、無味乾燥な喜びのない生活が一般の体験です。世界中で娯楽や快楽を狂ったように追いかけている状況が見られます。今日の文化に巻き込まれた大人からは、ほぼ全世界のいたるところから次のような祈りが湧き上っています。“ああ、主よ、私のハートに新たな春の季節を授けてください。私のハートに、再び、愛の川が深く強く流れますように!”

私にとって、バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババの最も驚嘆すべき奇跡の一つは、次のようなものです。鎖に繋がれたハートも、ババの方を向くことによって、あらゆる束縛から自由になることができます。スワミを見ること、そして、スワミは決して見捨てないということを確信することは、最も素晴らしい感覚です。ハートは歓びをもってその信頼に応えます。ババへの愛は日ごとにますます強くなっていきます。ババは帰依者にとって、母なる神、父なる神です。何の遠慮も、構えも、恐れもなく、人はババを愛することができるのです。」

ヒスロップ博士は、最期の最後まで絶え間なくババの御名を唱えていました。博士が肉体を手放した時、周りを囲んでいた友人たちは聖音オームを唱え続けていました。その詠唱は、神の御足という永遠の休息地に博士の魂が旅立った時も継続されていました。その後しばらくしてから、スワミは、ベランダで、一人のアメリカ人帰依者に、「ヒスロップはどこにいますか?」とお尋ねになりました。その帰依者は、あたかもヒスロップ博士が天にいることを強調するかのように、上を見上げました。すると、ババは次のようにおっしゃったのです。「彼は私のところに来ています。善い人です。いつもスワミのことを思いスワミのために働いています。」 これに勝る称賛はないでしょう。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:2004年ラジオ サイ ジャーナル Vol.2 Issue13

おまけ:ヒスロップとサイババとの会話

ババ; これから話すことが、まさに、そうした災害を克服するために、人の内に宿る神として化身することによって、私が行っていることです。
アヴァターには人々を助けることのできる二つの方法があります。
片方が瞬時に解決する方法であるのに対して、もう片方は長い時間をかける方法です。
瞬時の解決策を用いれば、自然そのものの根本的な性質にも、因果応報というカルマの法則にも反することになります。大多数の人は、カルマの法則に支配された、欲とエゴに満ちた俗世に生きています。
そのような人たちは自らの行為の報いを受けます。
行為の報いは、その人たちに進化や退化をもたらします。
もし、その人たちの問題を即刻解決するためにアヴァターがそこに介入したなら、すべての行為、進歩、そして、進化すら停止してしまうでしょう。
この解決策を認めることはできません。なぜなら、これは自然の法則をことごとく無視しているからです。
もう一方のより効果的な方法は、長期的な解決策であり、それによってアヴァターは、人々が霊性の法則の真理を理解することができるよう、人を高次の意識レベルへと導きます。
そうすることで、人々は正義へと向き直り、より良い状態になるためにしっかりと働くことができるようになります。
この方法は、人々を自然、および、因果応報というカルマの法則に再び結び付けます。
すると人々は、今、自分たちが被害者として巻きこまれている因果応報のサイクルを超越し、それによって、あなたの言ったような災害を未然に防ぐことができるよう、自然の力を調整するようになるでしょう。

ヒスロップ:  つまり、あなたは、今、人類が自らの運命を制することができるよう、人類の意識を神に近い状態に引き上げているということですか?

ババ; その通り。 人類は私のサンカルパ シャクティ(神の力、宇宙エネルギー)のシェアホルダー(分かち持っている者、株主)です。私は人類を通して働き、人類に宿る神を目覚めさせ、人類が自然の法則と力を支配することができるよう徐々に人類をより高次の実体へと進化させなければなりません。
もし、私が何でも即座に治して人々を今のレベルに留まらせていれば、人々はすぐに、すべてをめちゃくちゃにし、また互いにいがみ合い、その結果、世界は前と同じ混沌とした状態になってしまうでしょう。
苦難も困難も、宇宙のドラマの避けることのできない一幕です。そうした災害は、神が定めたものではなく、人間が自らの悪業(あくごう)の報いとして招いたものです。それは人間を矯正するための罰です。
そうした罰は、人間が「サット・チット・アーナンダ」(絶対実在・純粋意識・至福)、すなわち英知と至福を有する神に近い状態を体験できるよう、人々に悪の道を歩むのをやめさせ、正しい道へと連れ戻します。これらはすべて、大いなる統合の一部であり、そこではネガティブなもの(負・陰)はポジティブなもの(正・陽)の栄光に服従します。そのようにして、死は不死を称え、無知は英知を称え、苦は至福を称え、夜は夜明けを称えます。
ですから、結論として、もし、あなたが言ったように、即時の終焉をもたらすためにアヴァターが災難を引き起こすとしたら――私にはそれができますし、どうしても必要とあらばそれを行いますが――カルマの法則にのっとった、創造のドラマ全体が崩壊してしまうでしょう。そうした災難は、神が人間にもたらしたものではなく、まさしく人間が人間にもたらしたものであるということを覚えておきなさい。
ですから、人間は、カルマ的なものを超越して指揮権を持つことができるよう、エゴを滅ぼし、代わりに超越的な意識を持つことによって、自らを壊して作り変えなければなりません。MBAIp95-p96