サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

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ボノボのお話

2016-12-31 23:00:33 | 日記
ガルーダプラーナは、性交渉はよい子を授かるための行為であって、性的な楽しみのためでは無いと忠告しています。
性交渉は、良い魂を家族に迎え入れるための聖なる行為として捉えなければならないということなのです。ガルーダプラーナP29

ポニョ:いよいよ大晦日ですね。皆さん如何お過ごしでしょうか?昨日、ロシアの外交官35名を含む96名のロシア人を国外へ追放したが、ロシア政府は対抗措置をとらない事にした事件がありましたね。これまでアメリカ政府はロシアをハッキング、選挙への介入、偽報道などを行っていると非難してきたけれど、いずれも根拠や証拠は示していないんや。今回の外交官追放もそうやけれど、トランプが大統領に就任しないうちにできるだけアメリカとロシアとの関係を悪化させようとしているんやぜよ。でも、ロシアのプーチン大統領はオバマ政権の挑発を無視してるんや。

ヨシオ:プーチンは現代の名将やってポニョが言ってたけれど本当にその通りやな。でもなんでオバマはそんな事をするんや。

ポニョ:それはアメリカを乗っ取っている欧州貴族がロシアや中国も属国化させようとして失敗したから、戦争を起こして決着をつけようと躍起になっているんやぜよ。だから反ロシアキャンペーンを始めたんや。まあ言えばロシアと中国は彼らの作ろうとしている人間羊の世界、新世界秩序の大きな障害なんだわさ。そしてその両国に繋がるリビア、イラク、ソマリア、シリア、イラン、レバノン、イエメン、スーダン、ベネズエラなどの小国も次々と侵略して政権を潰したり、潰そうとして来たんや。

ヨシオ:地球のガン細胞みたいな事をやっているんやな。

ポニョ:でも我らがプーチンがその画策をぶっ壊したんや。それに彼らが予想もしなかったカジノで金を稼ぎ、彼らの束縛から自由なトランプが大統領になりもうパニックになっているんや。だからトランプの大統領就任を阻止するか、その頃に世界経済恐慌を起こそうと画策しているんや。

ヨシオ:それは良い事やな。サイババさんが再降臨されるのが近くなるやないか。

ポニョ:まあ、そういう事やけれど、でもとても大きな生みの苦しみが待っているんやぜよ。サイババさんは身体を離れる数年前に、お講話でhardship ahead と言われたんや。つまり艱難な時が近づいているって。だからおいら達はこのブログを立ち上げて読者の皆さんに心の準備をしてもらおうとしたんや。

ヨシオ:そうやったな。そろそろクライマックスですか。このブログもあと一年持たないやろな。サイババさんが出て来られるまでやからもうすぐや。

ポニョ:というわけで今年一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。と昨日と同じ挨拶をしてしまいましたが、本題に入ります。先日、お母さんの愛ってとても大切やという話をしたよな。特に幼児の時ってお母さんが全てやのに、そのお母さんから体罰を受けたりすれば、脳の発達にとても大きな影響があるんやて。

ヨシオ:そうやろな。もちろんそうなると分かって生まれて来ているんやろうけれど。カルマの法則ってすごいよな。過去生の行為が、今世でそのまま自分に降りかかって来るもんな。

ポニョ:でも人は自分が肉体やと思い込んでいる限り、こういう輪廻転生の歯車から逃げ出すことが出来ないんやな。

ヨシオ:人は肉体ではなく、その肉体が追い求めている欲望やその対象でもなく、もちろん心でもなく、知性でもないんや。人はそれらを超えたアートマなんや。そのアートマは真、善、美としてこの世に現れているんや。だから人がこの世界で見る全ての美しいものは、アートマで、それが実は本当の自分自身なんや。

私たちの行う行為は全て跳ね返ってきます。
良い行いをすれば幸せを得ることができ、悪い行いをすれば不幸せになります。
あなたの内には真の幸せがあり、神聖甘露の光の海が広がっているのです。
あなたは自分自身のうちにそれを見つけ出し、感じ、解き放ちなさい。
あなたの真の自己はそれなのです。
それは、身体でも、心でも、知性や頭脳でもありません。
それはまた、欲望でも無く、それを抱く事でもなく無く、また、欲望の対象でもありません。
あなたはこれらを全て超越した所にいるのです。
これらは、単なる現れにすぎません。
あなたは、優しく咲く花々、キラキラと瞬く星々なのです。
それらを通じてこの世界にあなたは現れるのです。
これらすべての素晴らしいものがあなた自身であるというのに、あなたは何かまだ、この世界に欲しいものがあるというのですか。
ゴールにたどり着けるのは純粋なハートの持ち主だけです。
あなたのハートに従いなさい。
純粋なハートは知性を超越して探求します。
純粋なハートは、神から直接インスピレーションを得ることが出来るのです。PD26

ポニョ:この世にある全ての美は、実は自分だという発想は面白いよな。何か自分が肉体ではなくもっと素晴らしいものだと思えるような気になってきたぜよ。脳の話になるけれど、前頭前野という脳のある部分は鍛えればどんどん動きが活発になって育って行くんやで。

ヨシオ:へえ〜そうなんや。

ポニョ:その人の持っているカルマで、あんたのように環境が悪いところで生まれ育ったとか、また両親から充分な愛を受ける事なく育った子供でも、今から紹介する事をすれば、後天的に脳を育てる事が出来るんや。それはとても簡単な事で、本を音読する事なんや。音読って、目で本の字を追い、その字を脳が認識して、舌や口に信号を出して筋肉を動かし、息を調整したりして、声帯を通じて空気を音に変換するというプロセスやけれど、これが前頭前野にとても良いんや。また簡単な足し算や掛け算を速く解いていくという作業もとても有効なんや。

ヨシオ:なんで簡単な計算の方が難しい計算よりええんやろうか。

ポニョ:それは難しい計算は脳の左側、つまり、左脳しか使わないんや。その点、簡単な計算は両方の脳をバランス良く使うので脳にとてもええんや。特に速く計算すると、人間にとって、数字を使うことが、とてもレベルの高い大切な作業のために、考えたり判断する為に使われる前頭前野がよく動くのではないかと言われているんや。

ヨシオ:ふーんそうやったんか。俺は以前紹介した、フラッシュ暗算をやっているけれど、難しい計算の方が脳に良いと思って頭をひねって3桁の掛け算にトライしてたんやけれど、今度からもっと易しい計算を速くするように心がけようかな。その方が簡単やし、プレッシャーもないからええな。

ポニョ:逆に、テレビを見たり、コンピューターゲームをしても、脳のほんの一部しか使っていない事が分かっているんや。

ヨシオ:シュタイナースクールでは、テレビやコンピューターゲームは禁止になっているけれど、それって充分な理由があったんやな。

ポニョ:シュタイナーってそういう事を知っているってすごく霊的に優れた人やったんやろな。実はこの前頭葉というところが発達しているのは、人間だけなんや。つまり、人間の持っている理性、想像力、運動能力は前頭葉が発達しているから出来るんや。スポーツをしたり、手を使って何か高等な作業をしたり、物事を整理をしたり、論理的に考えたり、人助けや社会貢献をする高次元の欲求などは前頭葉によってなされるんや。だから人が自分の良心を裏切って同胞である同じ人間を平気で殺せたり、虐殺出来るのは、神さんが人に前頭葉という大きな脳を与えたからなのじゃないかなって思うんや。

ヨシオ:つまり前頭葉が発達している事によって、自分の理性が自分を律する事が出来たり、逆に自分が思い込んでいる信念によって人を殺したり出来るようになるってことやな。

ポニョ:この前頭葉は動物的な本能でさえコントロール出来るんや。動物って普通、発情期があってそういう時期になると、本能が働いてお互い繁殖のために交尾をするやろ。でも人は発情期がなくいつでも準備完了やんか。それって脳の前頭葉が異常に発達したせいじゃないかと言われているんや。というのもその前頭葉が肥大したことにより、本能にも影響し、さっき言った前頭前野が特に発達しているから、異性と出会っても、理性を働かす事が出来て性的な衝動を抑え、性的交渉の場や雰囲気や相手を選ぶことが出来るようになったんや。

ヨシオ:それって面白い説やな。前頭葉の発達が人には発情期が無いっていう理由なんやな。

ポニョ:もちろん他にも理由があって、例えば脳が大きくなった事により、妊娠期間中にお腹の中の赤ちゃんの脳が大きく育つのに時間がかかるようになり、産まれてもお母さんがずっと見守らないと育たないくらい脆弱な状態で産まれるやろ。

ヨシオ:他の動物やったら、すぐに立ち上がって歩き始めるもんな。

ポニョ:だから人の繁殖という意味で、発情期があったら繁殖能力が低くなってしまうので発情期が無くなったという学者もいるんや。

ヨシオ:どっちでもええ事を学者って研究してるんやな。

ポニョ:どっちでもええ事って言い過ぎやぜよ。自分たちが属しているヒト科の研究なんやから大事やないか。今日は人類学のお話をしているんだってばよ。

ヨシオ:勝手にテーマを変えるなっちゅうに。人はヒト科って言ってるけれど違うやないか。人はヒト科どうかではなく、神様なんや。アートマなんや。それを知るためにヒトの身体を取って生まれて来たんやないか。

ポニョ:ダジャレを言いたいのか何を言いたいのかさっぱり分からないやないか。あんたの話を聞いていたら頭が痛くなって来たぜよ。実は人に飼われている牛には発情期は無いんやけれど、野生の牛にはあるんや。それは充分な餌があるから発情期がなくなるのではないかと言われているんや。つまり人に発情期が無くなったのは充分な食料があるからという説なんや。

ヨシオ:でも昔は飢饉なんかもあったし、食料が足りなかったので口減しの為に姨捨山もあったし、常に食料が豊富にあった状態でなかったのにも関わらず、人に発情期が無くなったんやろか。

ポニョ:うーん、どうなんかな。どうして人間は、生殖目的でない交尾をするのかという疑問は残るぜよ。

ヨシオ:そんな事を疑問に思ってどうするんや。それより自分の性的な欲望を、神への希求に変える方が大切やないか。

ポニョ:もうあんたと話してたら、いつもそっちの方に行くから話がややこしくなるんや。おいらがさっきから言っているのは、人類学的な話なんや。実はアフリカのコンゴにボノボという木の上に住んでいる類人猿がいるんや。サルの中で一番人間に近いと言われているんやで。顔の表情もそっくりやし。

ヨシオ:ほんまや。俺の知り合いと一緒の顔をしてるな。

ポニョ:そうやろ。この猿はおいらの従兄弟に似てるぜよ。

ヨシオ:人類学を研究していたカスツーリさんが、ババさんに、人類になる一歩手前の類人猿ってどんな感じでしたかと聞かれた事があったんや。ババはその質問に答える代わりに、手からその類人猿の模型を物質化されてカスツーリさんにプレゼントされたんや。そしてヒトの一つ前の類人猿は、木の上に住んでいたと言われたんや。

ポニョ:確か霊性ミュージアムにあったよぜよ。その小さな模型。という事は、おいら達の先祖はこのボノボという類人猿みたいやったんやろな。このボノボはヒトと同じく発情期が無いんやで。そもそも発情期というのはメスだけのもので、オスはあんたのようにいつも発情してるんや。でないと子供が五人も出来ないもんな。このボノボのメスも発情期がなくいつでもOKやから、オスが周りに寄って来るんや。それでボノボの社会は、ブータンやチベットのような母系社会になってるんやて。

ヨシオ:あのな俺が発情してるかどうかは今日の話しに関係ないやろ。日本も昔、夜這いという習慣があって母系社会やったよな。でも猿に発情期が無くなったら母系社会になるって面白いよな。普通サルってボスがいて、ボス同士の争いや縄張りの取り合いやメスの取り合いで喧嘩ばかりしているけれど、ボノボの社会は母系社会やから様子が違っているんやろな。

ポニョ:違うも違う全然違うんや。とにかく平和で生殖活動の為に交尾をするのではなく、生活を楽しむ為やサルのコミュニティを円滑にする為に交尾をするから発情期を忘れた猿って呼ばれているんや。もちろん食料が豊富にあるところに生息してるんやけれど。

ヨシオ:へ〜面白いな。そんなサルがいてたんやな。ボノボっていうんか。俺は昔、ボルボという車に乗ってたけどな。ところでその猿は人のように性的な欲望に溺れながら、毎日寝て遊んで争わず働かずまるでヒッピーのグループみたいな感じでピースマークを出しながら生きているんやろな。まさか長髪でマリファナを一日中吸って乱行パーティーをしているわけじゃないよな。

ポニョ:そんなアホな。今日は申年の最後の日という事で、お猿さんの話題で動乱の年を締めくくりたいと思います。それでは読者の皆様、来年こそ酉年やから、空高く舞い上がりサイババ様が大空に現れる平安な年になる事をお祈りましょう。それでは来年もどうぞよろしく。

ヨシオ:酉年と言ってもニワトリやから空高く飛べないやないか。

精子の中に理知の鞘として存在する魂の想念が、両親の想念と似通っていればそれに影響される。
良い性格を持っている人は、その性格の特性を理知の鞘の中に宿していて、それを次の世にまでに引き継いでいくことが出来る。
それは、悪い性格を持っている人にも同じ事が言える。
これはよく似た思いを持っている人同士が、お互い引き寄せられることで知られている。
もし両親が強い正義感をもっていれば、理知の鞘の中に存在している魂もそのような想念に惹かれて、自分もそのような特質をもっている子宮の中に宿りたいと思うのだ。
それゆえ、自分の息子や娘が良い性格になるかどうかは、両親がどれほど正しい生き方をして幸せかどうかに係っており、それがまた将来生まれ来る子孫の人生に影響を与えていくのである。
正しい想念をもって性的交渉を為すというアドバイスは、将来にわたって正義に基づいた生活を送れる家族を作れるかどうかを決定していくので、とても重要なことなのである。ガルーダプラーナP30
https://m.youtube.com/watch?v=GnVFbK6XlaA


二元から一元へ

2016-12-30 23:00:01 | 日記
二元論の根っ子には欲望があります。
欲望が生じるのは自分と他のものという思いがあるからです。
欲望を持つ者と、欲望の対象物は異なる二者であるとの観念があります。
しかし真の不二一元論は主体と客体が一体となることにより、二者の分離がなくなると説きます。8/9/96

ポニョ:いよいよ今年も後一日となりました。今年は本当に色々と事件があって激動の年だったですね。歴史の転換点だと言っても良いと思います。先ずネオコンが後押しする戦争屋さんのヒラリーが、なんとカジノトランプに大統領選挙で敗れました。それによってサイババさんが言われたように第三次世界大戦の危機が去りました。そして支配層が画策していたシリア三分割陰謀がロシアによって砕かれました。この二つの事件は真理の勝利だと言っても差し支えないと思います。そして国内ではプーチンの訪日。これも大きな出来事ですね。日本が力が落ちて来たアメリカの支配からロシアへと方向を変える大きなチャンスです。特に天然ガスやら電気がロシアから直接送られて来たり、シベリア鉄道と日本が繋がれば日本はユーラシア経済圏に入る事が出来て経済的にも大きな利益があるでしょう。

ヨシオ:というわけでこの続きは明日にしよか。今年も最後まで御付き合いくださってありがとうございました。来年もサイババさんが再降臨されるまでこのブログを毎日のように続けて行きたいと思いますので胡散臭いオジン二人に御付き合い下さいね。明日の大晦日の記事は申年最後の記事ですのでお猿さんの話を予定しております。それでは本題に入ろか。

ポニョ:近いうちにサイババさん自らがヴェーダの一節から名前を取って名付け親になられた娘さんの話をするけれど、その娘さんはめちゃラッキーやぜよ。

ヨシオ:でもこの世に生まれて肉体を持っている限り、誰でも病気や事故に遭ったりするのは普通なんや。その娘さんも幼い頃に病気になって、両親はサイババさんに癒してもらおうとお願いしたら、サイババさんはヴィブティをその娘さんに物質化して下さったんや。そしてこのヴィブティを頭から足の先まで振りかけるように言われたんや。そして両親に「どうしてそのようにしないといけないのか分かるか」と聞かれて、両親が分からないと答えると、サイババさんは「この娘の病いは快方に向かっているけれど、その途中で身体中が痒くなって来る。それで身体中を手で掻きむしって一生残る痣や傷を作ってしまうと娘が嫁入りの年になると困るだろ。誰も身体中に痣や傷を持っている娘を嫁にしたくないから。だからこのヴィブティを身体中に振りかけると娘は布で巻いた人形のように大人しくなって手で身体を掻かなくなるんだ。」と言われたんや。それで両親がサイババさんが言われた通りにヴィブティを身体中にかけると、病気が治るまで娘は手を少しも挙げられず、まるで人形のようにベッドにじっとしたまま大人しく看病されていたんや。

ポニョ:それは不思議やぜよ。サイババさんは本当に全ての事をコントロールされるんやな。

ヨシオ:以前サイババさんは「私は全てをコントロールするけれど、人の心を変えるのは難しい」と言われた事があるやろ。でも本当はそんな事はお茶の子さいさいなんや。

ポニョ:そんな話もしたよな。面白かったのは空から満月を取り、小さな月の模型にしてサイカレッジの学生たちにその模型を見せている間中、空から月が消えているのに世界中の誰もその事に気が付かないように私が意思したと言われたエピソードや。

ヨシオ:世界中の人々の心もコントロールされているんやな。

ポニョ:また次のようなエピソードもあったぜよ。ムンバイの病院の医者の嫌疑を晴らすために検屍官が半年前に埋葬された遺体を墓から掘り出し検屍したんやけれど、その遺体は埋葬した時のようにまだ死んだばかりのような状態のままやったんや。でもそこに居合わせた裁判官や警察や医者、マスコミの連中や墓掘り人など何十人もの人々が誰もその事を不思議に思わなかったんや。それでその病院のサイの帰依者の奥さんを持つ事務局長が、検視官が帰り、疑いも晴れて全てが上手くいって家に帰ったんやけれども、どうして半年前の遺体がそのまま出て来たのか全然納得が行かないので、もう一度墓地に戻って墓掘り人に墓を掘らせて遺体をチェックすると、今度は半分白骨化した完全に腐乱している遺体が出て来て、先ほどの遺体とは全然違うんや。サイババさんにその事を後で不思議に思って聞くと「私が誰もその事を不思議に思わないように意思したのだ」と言われたんや。

ヨシオ:そういうエピソードもあったよな。よく覚えているなそんなキモいエピソードを。ところでその娘さんがプッタパルティの病院で治療している頃に、その娘さんのお父さんはサイババさんと一緒にホワイトフィールドに滞在されていたんや。ちょうどフェスティバルの時で、何千人もの帰依者がアシュラムに来ていたんやけれど、そのお父さんはサイババさんの近くに座りながら「自分は父親としてここに座っていて良いのだろうか?やはりプッタパルティに残って娘の看病をした方が良かったのかもしれない」とか何とかいろんな思いが頭の中を渦巻いていたんや。サイババさんはその間、フェスティバルの様子を見たり誰かと話されていたんやけれど突然お父さんに「おい君。さっきからうるさいからちょっと話すのを止めてくれるか?」と言われたんや。それでお父さんは「自分はさっきから一言も話していませんが…」と答えると、サイババさんは「間抜けな奴やな、お前は。お前が頭の中で自分で勝手に自分の思いを巡らせていると思い込んでいるんやろ。でも本当はそうではなく、私がお前を通じて思っているんや。だからその思いは私が思っているのであって、お前がそれを自分の思いだと思い込んでいるだけなんや。」と言われたんや。そして「ここに何千人もの帰依者達が集っているけれど、私は彼ら一人ひとりの中にいてその一人ひとりの思いも全て知っているのだ。とにかく娘の病気は私が全て面倒見ているので一切心配しなくてもよろしい。色々考えるな。さっきからうるさい。」と言われたんや。

ポニョ:全ての人々の思いは神さんがコントロールされているって事なんか?それって意外やぜよ。

ヨシオ:ヒスロップ博士もアシュラム滞在中に病気になって軽い手術をされた事があるんや。しばらくしてまたダルシャンに出れるようになるまで回復し、ダルシャンでサイババさんが出て来られるのを待っていたんや。その待っている時に、サイババ病院での手術代や入院費を一銭も支払っていないので、サイババさんに少しでも支払いたいと思いが湧いて来て、急いで部屋にお金を取りに行き、またダルシャン会場に戻って来てサイババさんに「これは少しですが病院での手術代と入院費ですので、お受け取りください」と言って手渡そうとしたんや。でもサイババさんは「お前は私の身内だ。病気の治療を身内にしてお金を取るか?しないだろうそんな事は。」と言われたんや。後にその件についてどうしてダルシャンに前にそういう思いが浮かんだのかなという話をサイババさんと話していたら、サイババさんは「私がお前を通じてそのように思うようにさせたんだよ」と言われたんや。

ポニョ:ふーん。それってめちゃ興味深いコメントやぜよ。だってもしそうなら、この世界で悪い想念を振りまいて世の中を混乱させている連中の思いも、全てサイババさんが意思されているんやろうか?そんな事はないぜよ。だってもしそうなら、どこにダルマがあって正義はどこにあるんや?連中はダルマに反する行為をしてるんやから、ダルマを護る神さんがダルマを破壊してるって考えられないズラ。あかん。ちょっと考え過ぎて熱が出て来たぜよ。頭がこんがらがって来たでヤンス。

ヨシオ:ポニョはすぐにパニクルんやな。サイババさんは何もそういう悪い想念を意思されたわけではないんや。もちろん大きな意味ではそうやけれど、人ってそれぞれいろんなレベルの欲望やらエゴを持っているやろ。そしてそれぞれの欲望やエゴに基づいて行動しているし、自分のレベルを超えた思いとか行為をする事は難しいやろ。だからその人に合った思いや行為をするという事自体を神さんが意思されているんや。だから全ての人たちの思いや行為や欲望の後ろには神さんがいるんや。

ポニョ:という事はエゴや欲望が少なくて聖者のような思いや行為をする人には、そのような神聖な思いや行為をするように神さんが意思されているんやな。逆にそうではなく、この世界の闇の勢力者のような邪悪な思いや行為をする人は、その人の持っている大きなエゴや良からぬ欲望に応じて、そういう邪悪な思いや行為をするようなシステムを作っておられるって事なんや。

ヨシオ:そういう事や。だからその人がどれだけ醜い欲望やら思いを持っていても、それらの不浄な欲望や思いはその人のエゴや欲望のレベルに応じて持っているだけで、その人にとっては普通の事なんや。

ポニョ:つまりおいら達から見ると、その人の行為はダルマに反した行為やけれど、神さんの視点から見たら、その人の霊的レベルでは、そういうダルマに反した行為は自然な行為なんや。だからこの世には善も悪も無く、全ては一つやと言っておられるんやな。それってめちゃ大きな視点やぜよ。

ヨシオ:この二元の世の中で神さんのような大きな視点を持とうとしたら、そのように全ては一つだという不二一元の見方をしなければいけないんや。この世界は全て地球も太陽も宇宙も真円ではなく楕円形で出来ているんや。人や動物でさえ目には見えないけれど、霊気が頭のてっぺんから出て、また体の周りを楕円形状に一周して戻って来るんや。いわゆるオーラやけれど、木でも地上にある幹や枝葉からオーラが出て楕円形状に木の周りを一周し根っ子を通じて戻って来るやろ。世界や宇宙が真円ではなくどうして楕円形かと言えば、楕円形って円の中心が二つあるからなんや。この世は全て対峙するものが二つあるように創ってある二元の世界なんや。つまり元々は全てが「私」しかなく唯一の存在であるのに、創造主ブラフマンは自分を自分自身で見たいという欲望を持ったのでこの世界を創造したんや。だから二元論の元は欲望なんや。その話はもう何度もしたよな。

ポニョ:だからサイババさんは創造主ブラフマンは唯一「私」しか存在しなかった世界を欲望と無知によって二つに分け、二元の世界を創造したので創造主ブラフマンは鈍性だとサイババさんは言っておられたんやったな。男と女、ポジティブとネガティヴ、陰と陽、善と悪、光と影、マイナスとプラスのようにこの世は全ては二元やぜよ。

ヨシオ:でも元々は一つだったのが二つになったから、全ての創造物の背後には神さんがいるんや。当初俺たちは、この世を良いものは良い、悪いものは悪いと見てしまうけれど、その背後に神の意志を見極めて、神の大きな視点で世界を見て行けるように努力しなければいけないんや。それには神の御名を唱えて神の教えに従った生き方をし、普段の生活の中で自分自身が愛そのものになって、その神の大きな愛を自分自身を通じて体現して行くという霊性修行が必要なんや。
https://m.youtube.com/watch?v=iv4pe-wrEiE
信愛は二元的です。
神と神を愛する人がいます。
帰依者は神がいなければ価値はありません。
同様に神も帰依者と結びついています。
帰依者と神をつないでいるのが信愛です。
一方、全託は不二一元です。
ひとたび神に全託したなら、あなたはもはや自分自身のためには存在しません。
自分自身のものと呼べるものは何も無くなるのです。
自分自身を完全に神に全託している帰依者は、自分を神と別個の存在だとは考えないのです。
これが真の全託であり、不二一元の精神なのです。STPSp272

死の予知夢を見た

2016-12-29 23:00:51 | 日記
いつ自分の死が近づいてくるかはだれも知りません。
死の縄を投げるとき、ヤマはその人がそのとき何をしているか、彼が良い事をしている時か、悪い事をしている時かは考慮しません。
ナガラ・サンキールタンをしている最中でさえ死ぬことはあるのです。
ですから、人は神の御名を唱えて、いつヤマに会ってもいいように準備をしているべきです。
カルマ・パラから自由になれるよう、霊性修行を始めて神の恩寵を得るようにしなさい。
がっかりして自分の運命を甘んじて受ける必要はありません。
人は真摯な祈りによって容易に運命に打ち勝つことができるのです。
すべては神の恩寵しだいです。21/7/05

ポニョ:サイババさんのクリスマスメッセージシリーズが終わりました。そっちはクリスマスって日本のお正月の様なものやろ。

ヨシオ:普段遠くに住んでいる家族も一堂に会してクリスマスを祝うんやけれど、ただ飲んで食べて冗談を言って楽しく過ごすという感じかな?別に日本の様にお正月に神社にお参りに行って祈願するとかじゃないな。教会にクリスマスキャロルを歌いに行ったりする人もいるけれど。

ポニョ:家をいろんなネオンや灯りを点けて装飾するって聞いたけれど。

ヨシオ:それは主に子供さんがいる家庭がするな。一番綺麗に豪華に装飾した家には賞金が出るというイベントをテレビ局がやっていたから、一時期たくさんの人たちがそのイベントに参加して家を飾りまくっていたな。夜に近所を散歩したり、車であちこちの装飾された家を見に行くのが楽しみやったな。その頃お袋が認知症の末期でもう歩けなくなり、車椅子を車に積んで毎晩の様にクリスマス装飾された家々を見に出かけたんや。そしてとても豪華に飾られた家に見惚れていると、お袋が小さな声でこんな独り事を言ったんや。
「ここはパチンコ屋かラブホテルか?」って。俺は涙が出るくらい可笑しくて笑ってしまったな。

ポニョ:確かにそんな風に見えるよな。日本のパチンコ屋とかラブホテルは派手に装飾しているから。めちゃ面白い。

ヨシオ:お袋が亡くなって以来、もうパースに行く機会はめっきり減って田舎に引っ込んでいるから、クリスマスになると俺と嫁さんの二人だけで過ごし、何処かの禅寺の様な感じになるんや。

ポニョ:一日中ヴェーダを唱えたり、瞑想をしたり、太陽神に礼拝したり、バジャンをしたりしたらそんな風になるやろな。でもそれってクリスマスじゃなくても毎日やっているやないか。

ヨシオ:そうなんやけれど、今年はどういうわけかアクアポニックスで嫁さんと二人で働いていたら子供達が俺たちを驚かそうとみんなやって来て一緒に過ごす事になったんや。オージーの彼女を持っている息子はその彼女も連れていやって来て二晩泊まって帰って行ったけれど、俺たちの生活の一部に触れてカルチャーショックを受けたようやな。

ポニョ:そら禅寺の修行僧の様な生活をしてたら誰でも驚くぜよ。特に朝晩長い間大きな声でルッドラムを唱えていたらその波動を感じれる人やったら、すごいバイブレーションを感じるやろな。

ヨシオ:毎朝ガネーシャ神の前でユーカリの木から葉っぱを一枚もらって来てお供えし、ルッドラムやら他のヴェーダ、ガヤトリやらいろんなマントラを唱えるんやけれど、オージーの彼女も神妙な面持ちで息子たちと一緒にガネーシャの前に座って俺たちの唱えるヴェーダを聞いていたな。

ポニョ:変なファミリーやと思われたやろな。オカルト家族や。

ヨシオ:そうかもしれんな。でも夕食後いつもの様にみんなでハイキングに出かけたんや。そして雑木林の中を歩いていたらカンガルーの家族やら、世界で一番大きな黒い色をしたオウムの団体やら、ハリネズミやらを見つけて喜んでいたな。森の中に大きな倒木があって、息子にこの倒木で昔遊んだ事を覚えているかと聞いたら、その遊びをもう一度みんなでしようと言い出して半時間ぐらいそこで走り回って遊んだから息が切れるぐらい疲れたな。

ポニョ:六十三歳のおじんが倒木を使って鬼ごっこをしたんか?

ヨシオ:そうではなく、二十メートルくらいの長さの倒木の両端に二つの分けたチームを並ばせて先頭の人がその倒木の上を歩いてお互いに近付き、じゃんけんをして勝った方がそのまま歩き進めるんや。そして負けた方は倒木から飛び降りるんやけれど、飛び降りたら直ぐに自分のチームメイトが木の上を歩き始めて勝った人とまたじゃんけんをして相手のチームが自分たちのいる木の端まで来れない様にするというゲームや。

ポニョ:あゝそれと似た様なゲームを子供の頃やったことがあるぜよ。平均台の上でやるんや。面白かったな。でも二十メートルの倒木の上ではやらなかったな。二十メートルの倒木ってめちゃ疲れるよな。木から落ちたら直ぐに走って戻らなければいけないし。

ヨシオ:そうなんや。全然勝負がつかなかったので、みんな必死になって半時間もやっていたんや。

ポニョ:まあ普通のオージーの家庭とは全然違うあんたの家のクリスマスの過ごし方やな。

ヨシオ:そう。その後、家に帰るまで羊の鳴き方やら犬の遠吠えの真似をしたり、フクロウや野鳩などのいろんな鳥の真似をしながら歩いたんや。面白かったな。犬の遠吠えは、友達の家にいてる大きなシベリアンハスキーが夕方にいつも遠吠えするのでそれを真似したんや。

ポニョ:シベリアンハスキーは狼の血が混ざっているんやぜよ。

ヨシオ:そうやろな。俺が友達の家で飛行機の整備をしている時に、誰かが犬を連れてやって来たのでシベリアンハスキーと一緒に遊ぶかなと思って見てたら、シベリアンハスキーはその犬を嚙み殺そうとして追いかけ回していたな。まるで本当に狼みたいやったな。

ポニョ:そうやろ。シベリアンハスキーは飼い主には従順やしめちゃ賢いけどな。そうか今年のクリスマスはあんたのところは結構賑かやったんや。

ヨシオ:そうやったな。まだ家に息子と娘がいるから飛行機の格納庫の屋根を葺き替えるのを手伝ってもらおうと思っているんや。長さ2.4メートル幅1.2メートルのトタン板を七十八枚も特別なネジを使って丸いスチール製の柱に取り付けなければいけないんや。柱が丸いからネジが滑って難しいんや。しかも半円形の屋根やから滑りやすいし。人を乗せて移動出来るクレーンを使っても出来るけれど、クレーンのリース代が高く付くから、エイト環を使ってロッククライミングの様に宙吊りになってやろうかなと考えているんや。

ポニョ:エイト環?ロッククライミング用のザイルが無ければ滑って危険が危ないぜよ。あんたはロッククライミングをやった事があるんけ?

ヨシオ:無いけれど昔パラグライダーをやっていた時に、森の上を飛んでいるとサーモを拾えなくて木の上に不時着した事が時々あって、エイト環とザイルをいつも携帯していたんや。だから使い方は知っているんや。

ポニョ:でももうあんたは若くは無いから無理したら良くないぜよ。来年六十四歳になるんやろ。そんな年でエイト環を使ってロッククライミングの様に宙吊りになって屋根葺きなんてする人は何処にもいないぜよ。やめときなはれ。無茶苦茶やぜよ。

ヨシオ:やりたいな。もう頭の中でイメージが出来て屋根も完成しているんや。手順もしっかりイメージ出来ているし。

ポニョ:気は若いつもりでも身体が付いて行かないぜよ。あんたは以前、ギックリ腰になったやないか。やめとき。危ない。

ヨシオ:子供にもそう言われてるんやどな。上から屋根専用の大きなタープを掛ければそれで十五年は持つからそっちにしろって。それやったら屋根に登らなくても良いし。でももう何枚かトタン板を自分で取り付けたんや。なんとか出来そうやけれどな。

ポニョ:自分で付けたと言っても下の方から始めたんやろ。上の方に行けば行くほど難しいやないか。やめときって。本当に危ないぜよ。そんなツルツルのカーブの屋根の上をウロウロしたら。

ヨシオ:そうかな。出来そうやけれど。でもそこまでポニョに危険やと言われたら素直に言う事を聞こうかな。屋根の高さは6メートルでちょっと高いかもしれんな。確かにもう年やもんな。無理せんとこかな。

ポニョ:それにそんな格納庫の様な大きな半円形の建物やったら、風がきつい時に結構建物が歪んだりして動くから、トタン屋根に付けたネジが緩むんやぜよ。七十八枚もトタン板を付けるんやろ。その内の一枚でも強風で煽られて飛んで行って他の飛行機にでも当たったら大きな賠償金を支払わなければいけないぜよ。あんたは保険に入らない主義やからそんな事が起これば破産してしまうぜよ。

ヨシオ:確かに周りの格納庫にはいろんな高価な飛行機が保管してあるからな。やっぱりやめとこかな。それじゃ今日は違う仕事をする事にするわ。なんか拍子抜けやな。ここ三日ほど頭の中は屋根葺きのイメージばかりやったから。そういえば先週サイババさんが俺の夢にやって来て、俺と飛行場に続く道を歩きながらこう言われたんや。「君の体も少しガタが来て古くなって来たから、そろそろ着替えるかね?」って。それって多分そんな危険な仕事をしたら命が危ないからやめとけよというサインやったんやろな。その時は新しい身体をもらえるって良い話やなって喜んでいたんやけれど。でも今ポニョに言われてその夢の意味が分かったな。

ポニョ:サイババさんは人が命を落とす前に夢でサインをするって言っておられるぜよ。その夢は間違いなく死のサインやぜよ。6メートルって結構な高さやないか。しかも丸い天井でトタン屋根やからツルツル滑るし。

ヨシオ:分かったって。止めるって。でも俺は死ぬ事を別に恐れていないんや。サイババさんがその夢に来られた後、俺はブログに載せる未公開の記事がまだたくさんあるからポニョに送ろうかなって思っていたんや。そうしたら俺が死んでもそれらの記事を読者の皆さんに読んでもらえるやろ。でもこうしてポニョや子供達が揃って俺にやめとけという忠告をしてくれたのは、サイババさんがポニョたちの体を通じてメッセージをくれたんやろな。そうかよく分かった。今日飛行場へ行くのはやめとく。来週にするわ。

ポニョ:あのね…。

すべての人は必ず死にます。
誰もが死に向かって進んでいます。
それなのに誰かが死んだと聞くと、まるで死がいつかは誰もが迎える当たり前のことでは無くてひどく珍しい思いも寄らないことのように感じるのです。
特に身近な人や大切な人が亡くなった時には、悲しみにとらわれます。
そこに執着があるからです。
死は当然のことと分かっていながら、それでも人の肉体のことで悩むと言うことは、その人の肉体に執着を持ってしまったからです。
すべての悲しみの原因は執着にあります。
だから、誰かが亡くなって悲しむ最大の理由は愛では無くて執着なのです。SGc19


クリスマスにサイババと話しましょう(下)

2016-12-28 23:00:08 | 日記
ポニョ:今日は「クリスマスにサイババさんとお話しましょう」シリーズの最終回ですが前回気になったのがサイババさんはイエスを陥れた闇の勢力がいると言っておられたやろ。あんなに昔からイルミナティの様な闇の勢力がこの世に存在しているって知って驚いたぜよ。

ヨシオ:この世界は、光と影、プラスとマイナス、陰と陽、オスとメス、正義と不正義、ポジティブとネガティヴ、善と悪、ポニョとヨシオという様に二元によって出来ているんや。だからこの世が誕生した時から光の勢力と闇の勢力が存在しているんや。

ポニョ:あのね、最後にどうしてポニョとヨシオが出て来たんでしょうね。もう一つ。一体どちらが闇の勢力なんでしょうか?

ヨシオ:ちょっと勢い余って言ってしまっただけやないか。だからこの混沌とした世に中を正しく見る為には、先ずこの世界は二元の世界と見て分析し、その後、その二元は唯一つのものから発生したという結論に達する様に自分自身を導いて行かなければいけないんや。

ポニョ:二元から一元へって、このブログの一つのテーマやぜよ。

ヨシオ:ポニョがいろんな雑学知識を駆使してこの世界の矛盾を暴き、この混沌とした世界は、実は闇の支配者達がいろんな騒ぎを起こしているって教えてくれたやろ。反サイババキャンペーンが世界中で同時に巻き起こったのも、ジェイコブロス茶がサイババさんのアシュラムにやって来たけれど全く無視され、自分たちの代わりに隣に座っていた貧しいネパール人達のグループがインタビューに呼ばれた後に、その様なキャンペーンが始まったとか言ってたよな。

ポニョ:彼らも神の化身と正反対の使命を持って、闇の世界から超能力者が生まれ変わってこの世を支配すると信じているんや。それでサイババさんに無理やり五芒星のサインもサイババの組織のシンボルに入れる事を認めさせたユダヤ人達が、サイババさんがその闇の勢力を代表する悪魔の化身ではないかと信じ込んで、今言ったロス茶やビル栗きんとん、マドンナやイギリスのちゃう留守皇太子や欧州貴族やその他諸々の闇の世界を代表する者達が次々とサイババさんの元を訪れたんや。でも実はハズレでした。と言うわけで反サイババキャンペーンが始まったんやぜよ。とにかく今回のアメリカ大統領選挙でも分かるように彼らは世界中のマスコミを支配しているから嘘を付き放題なんや。だから日本でも嘘つきパンダやその他の自分の良心を平気で金を出してくれたら売る輩を使って反サイババキャンペーンを始めたんや。その中には元サイババ帰依者も含まれていて大きなカルマを作ったんや。サイババさんの事を神さんだと認めていた人達までこういうキャンペーンに加わるって当分立ち直れないぜよ。同情しちゃうぜよ。

ヨシオ:人の事はホットケーキ。

ポニョ:もうええっちゅうにそのダジャレは。というわけで今回は怒りの沈め方や悲しみを克服する方法、自分をコントロールする方法など盛りだくさんですよ。お楽しみ下さいね。

Q 怒りを静める最良の方法を教えてください。

怒りは欲望から生じます。しかし、すべての欲望が肉欲的なものであるとは限りません。何かをむやみに欲しがる強い欲求は、何であれ欲望です。誰かがあなたを怒らせるようなことを言うかもしれません。穏やかで優しくあるように、最善の努力をしなさい。「私の行動が、あなたにそういう印象を与えたとは驚きました」と言いなさい。微笑みなさい。それをあまり気にとめてはいけません。イエスですら、攻撃に耐えなければならなかったことを思い出しなさい。

あなたが、怒りに満ちた環境の中で生活していて、なおかつ美徳を保っているとすれば、著しい功績を積んだことになります。あなたの穏やかさは霊的進歩を示すものです。自分の中に見える怒りの最初の兆候を静めるよう努めなさい。普通、怒りは予告なしにあなたを襲うことはありません。身体が熱くなり、唇がひきつり、目が赤くなったり険しくなったりします。

だんだんと怒りが募ってくるかもしれませんが、早まった行動を取ってはなりません。怒りを克服するまで主の御名を繰り返しなさい。コップ一杯の冷たい水を飲みなさい。それを少しずつゆっくりとすすりながら飲みなさい。冷静になりなさい。心の乱れが治まって、自分の一時的狂乱が笑えるようになるまで、しばらく一人になって楽な姿勢で座っているか、ベッドに横になっていなさい。

あなたは怒っている時には、酔った獣のように人をののしります。相手も同じことをします。そして、怒りが高まります。そこで発せられた有害な波動は、あなたの身体を永久に痛めてしまう可能性もあります。野蛮な獣になったら、おしまいではありませんか?

怒りを静めるさまざまな方法を試してご覧なさい。それは、最初のうちは難しく思われるかもしれませんが、練習しなければなりません。5分間の怒りによって生じた損失は、何十年後悔しても決して埋め合わせができないかもしれません。

あらゆる努力にもかかわらず、もし怒りがあなたをつかんで手放せない時は、その一歩先に立ちなさい。それを自分自身の悪い習慣に向けなさい。自分の弱さや悪い習慣に対して怒りなさい。あなたに忍び寄る邪悪な腹立ちをかわしてしまうまで、それらのものを憎みなさい。この反応は、自己処罰に類するものでも、そこに行き着くものでもありません。それは、自制心と、内面的正直さと、向上したいという誠実な努力とに関係しています。

Q 深い悲しみを解決するにはどうしたらよいでしょう?

他の人々のように嘆き悲しんではなりません。決して、ふさぎ込んで、くよくよと過去のことを考えてはなりません。悲しみがあなたを覆い尽くした時には、同じような昔の痛手を思い返して悲しみの上乗せをするようなことをしないことです。あなたが幸せだった時のことに注意を向けなさい。この行為にしばらく集中しなさい。過去の喜びを思い起こしながら、御名を唱えて善き主を呼び求めなさい。過去から心の慰めを得なさい。自己憐愍の深みや、自らの惨めな羽目を嘆き悲しむ状態に引きずり込まれてはなりません。

あなたはイエスの道を歩いています。あなたの知的反応と感情的反応が聖なる愛へと変質されれば、意識するものすべてが神の性質を帯びてきます。あなたは愛の鋳型の中で造形されます。あなたの行動の一つひとつが神聖なものとなるので、世の中に住んでいながら、世に邪魔されずに済むようになります。心を愛に満ちた状態に保ちなさい。そうすればすべてがうまく行きます。

Q 身体にはどのような注意を払わなければなりませんか?

食物から得られる活力を、善い行いと、善い思いと、親切な言葉に活かしなさい。行動しなさい。しかし、人に苦痛を与えたり、人の不幸に追い打ちをかけたりしてはなりません。神の愛は健康をもたらします。一呼吸ごとに神に近づいて行くような生活を送りなさい。食事を抜いてはなりません。規則正しい習慣を身に付けなさい。食べすぎる人は疲労します。虚弱な人や、栄養の足りない人は、人類に奉仕するのには適していません。

健康を保ちなさい。肉体の病気は、聖なる成長にとって、大きな障害になる可能性があります。肉体は無視されることを拒否します。肉体は、あなたを霊的な仕事から脇道に逸れさせようとします。神の愛は、すべての病気を阻止します。あなたの身体と、体力と、能力とを、愛と謙虚さをもって人に奉仕するために使いなさい。また、真心から神に仕えるために、神の栄光を歌うために、聖地を訪れるために、感覚を間違った道から遠ざけておくために、そして、神の道をたどるために、使いなさい。

あなたの興味を広めるような仕事をしなさい。活動とその結果とを、神に捧げなさい。あなたの喜びと、技能と、知識を、人類同胞と分かち合いなさい。

Q それらを実践するには、内的規律が必要とされませんか?

規律は、神に到る道をたどる際の最初の一歩です。現代においては、わずかばかりの困難や不都合すらも忍耐できない多くの人が、急速に霊的進歩を遂げること、より高い意識に直ちに到達することを、渇望しています。

セルフ コントロール(自制心)によって、霊的力の増強は安全に進みます。あなたの人格が善良であれば、能力が有益に使われることは保証されています。自己規制は幸福をもたらします。自分に必要な規律を身に付けるために努力を傾けることは、早く成果が現れるのを心待ちにすることよりも、はるかに大切です。

規律は、強制や不要な苦痛を含むものではありません。心を強制しようとしてはなりません。心は、愛情と辛抱強い訓練には容易に反応するものです。

取り留めもないあなたの心を、小さな子どものように扱いなさい。その子どもを訓練して、だんだん賢くなるように育て、善い習慣の中へと包み込みなさい。決して急いではなりません。ゆっくりと、そして着実に、悪い仲間から自分を遠ざけ、善い人々の仲間入りをするか、一人だけで神と共に座りなさい。心の主人となるには、これを実践しなければなりません。

あなたが悪影響という毒を絶え間なく取り込んでいるとすれば、どうして立ち直ることができるでしょう。

Q セルフ コントロールができるようになるまでには、どのような段階を経て成長して行くのでしょう?

最初のステップは、感覚のコントロールです。品位を下げるようなことを体験したいという誘惑を抑えなさい。

二番目は、感情と、強い力であなたを動かそうとする衝動のコントロールです。それらがどうしても走ってしまうようであれば、走らせておきなさい。しかし、そういった感情や衝動に身体を持って行かれてはなりません。低次の衝動に刺激されて、低劣な行動を取ってはなりません。

第三のステップは、バランスのとれた判断力と、ムラのない心を育てることに関係します。先入観を持たず、偏見に左右されないでいることを学ばなければなりません。

次には、心と身体と魂の生命エネルギーを調節することを学ばなければなりません。イエスは、衣の端に触ったのは誰かを見るために振り返った時、そのようなコントロールの手本を示しました。あなたも、神から与えられる愛のエネルギーの動きに、イエスがそうであったのと同じくらい敏感にならなければなりません。

第五のステップは、あなたと、あなたを神から逸れさせる外からの影響との間に、聖なる緩衝帯を作ることです。イエスは神の守護であなたを包みます。「あなたは光の鎧を着ます」〔ローマの信徒への手紙13:12-14〕。

次には、ひたむきさ、すなわち「心の集中」が身につきます。――何者たりといえども、あなたを神から引き離すことはできません。

第七の段階においては、「万物に内在する神は一つである」ことを瞑想することが、神との一体感を強め、あなたを神と一つであるという認識へと導きます。

八番目のステップである最終段階では、あなたと父なる神が一つになります。瞑想は、感覚器官をはるかに超えています。瞑想中に、瞑想者と瞑想行為と瞑想の対象とを一切意識しなくなった時、あなたは、このステージを認識します。あなたは、一体感と、愛と光の中に溶け込んでしまいます。あなたにとって、自分自身の体験以上に真実なものはありません。また、自らの体験は、すべての規律や修行を価値あるものにします。初期の段階において聖なる体験を持つことによって、あなたのゴールである神の永遠の抱擁の、比類ない荘厳さを垣間見ることができます。

Q どうすれば偏りのない判断力が育ちますか?

正しい判断を下すには、充分な訓練が必要です。見る力を清める手段は瞑想だけです。物事がはっきりと見えれば、どの思いが善いもので、どの言葉が話す価値があり、どの行いが実行に移すべきものであるかが容易にわかります。

あなたが特別な注意を払わなければならない、非常に悪い一つの習慣があります。興奮を誘うような何らかの行為をする機会が生じると、いつでも、たとえそれが善くないことであるとわかっていても、あなたはそれをすぐ実行に移してしまいます。ところが、何か善いことであるとわかっていることをする機会がある時には、いつもあなたは極端に慎重になり、ためらいがちになります。何か善いことをすることを頼まれると、あなたは、「今は時間がありません。それに集中できません」と言います。しかし、あなたは、有徳の行いではないとわかっていることをするための時間とエネルギーとは、いつももち合わせています。この習慣は逆にしなければなりません。善い行為は奨励され、悪いものは遠ざけられなければなりません。

一つの間違った行いを正すには、何年にもわたる忍耐強い抑制と祈りが必要とされるかもしれません。あなたの言葉と行動の影響を深く考えなさい。公共の善に奉仕しなさい。あせると無駄が生じます。

Q どうして私は、とても心配してしまうのでしょう?

私たちの心を騒がせる日常の気掛りのほとんどは、一時の気紛れです。それらのものを追及したところで、私たちの人生の霊的価値にとっては何のプラスにもなりません。ですから、あせってはなりません。

神の栄光の壮大さに浸りなさい。この、より大きく、より大切な関心事によって、よりささいな魅力を圧倒しなさい。もし心配しなければならないのであれば、神に対するあなたの信愛の質を心配しなさい。あなたの規律の堅実さの度合いが神の目にはどう写るかを、よく考えなさい。もし何かを切望しなければならないのであれば、神が美しく微笑まれることを切望しなさい。

Q 物事を何度も人と話し合うことは、判断力を向上させますか?

口数を減らしなさい。もっとよく考えなさい。何が本当に大切かを理解するよう努めなさい。あなたの使命は、できる限り逸脱することなく神のやり方に従うことです。

どういう行動をとるべきか確信が持てない時には、正しい道が明確になるまで、30分、もしくはそれ以上祈り、瞑想しなさい。確信のなさの原因は、私たちが、神の要求をまったく考慮することなしに、非常にささいな肉体的要求や感情的欲求に集中するところから生じます。イエスが人類の救済のために肉体を犠牲に供したように、私たちも、内なる神を敬うために、肉体の傾向と情念の欲求を超えなければなりません。

ほとんどのものには永遠の価値はありません。本物の金と、キラキラと上辺だけを飾っているものとを識別し、また、永続するものと、その場限りのものとを識別するために、正しい判断力を用いなさい。さらにまた、神聖なものと、けばけばしいものとを見分け、永遠のものと一時的なものとを、そして、神に通じるものと心を惑わすものとを見分けるために、正しい判断力を用いなさい。もしそれが間違っていると気が付いた時には、あなたが一旦やり始めたことをやめることを恐れてはなりません。あなたの持っている何がしかの判断力を、精一杯働かせなさい。そうすることによって、あなたの判断力の強さと質は、徐々に向上していくからです。

Q 私はどうして、まったく良心がなく、混乱ばかりしているのでしょう?

何が神を喜ばせるかを自分自身に問いなさい。最善を尽くす努力をしなさい。そうすれば、あなたの良心が目覚め、あなたを導くようになります。良心を道案内として受け入れなさい。別な道を行きたいという衝動が起きる度に良心を払い除けるようなことをしてはなりません。

Q 私はどうしてこうも衝動的なのでしょう?

肉体的な興奮を誘うものに、そのつど心を執着させていれば、どこにあなたの判断力の居場所があるでしょう? 間違った行為に誘い込まれないようにしなさい。約束を守りなさい。あなたが人に教え諭すことを自ら実行しなさい。ハートの底から語りなさい。あらゆる罪の根源である野放しの衝動に従うのではなく、あなたの良心に従いなさい。さまざまな情念にしがみつくことをやめ、情念を手放しなさい。愛に満ちた目で見なさい。真理を体験し、真っすぐで着実な道を歩きなさい。心の旅路の一歩一歩において、神はあなたと共にあります。

Q 私の人格と、自己規律と、正しい判断力とを向上させ、私が幸せになるのに役に立つのは、特にどのような人生観でしょう?

人はよく、自分は非常に教養があって、霊的進化の程度が高く、優れていると感じるものです。もし労をいとわずに見るのであれば、小さな蟻の生き方からでさえ、たくさんのことが学べます。

Q 蟻からどんなことが学べるのですか?

あなたが手にしている神からの贈り物を軽んじてはなりません。あなたは神聖な能力が備わった人間の肉体を授かっています。あなたの注意が何ものにも縛られていない時には、意識を神に委ねなさい。イエスの御名を繰り返し唱えなさい。いかなる時にも、自分を、望みがないとか、悪い人間であるとか、劣っているとか、「いなくてもよい」者だとか考えることによって、自分自身を弱めてはなりません。価値のない魂などどこにも存在しないのです。蟻は、いつでも、自分の属する集団に役立つ仕事に没頭しています。あなたの人生において、有益な仕事を始めるか、これまでやって来た有益な仕事を継続していくかしなさい。

まことのクリスチャンとして、あなたが自分自身をその一員と見なすべき霊的集団は、神により近づくべく向上するためにはいかなる犠牲をも辞さない人々によって構成されている集団でなければなりません。イエスがそうであったように、その人々も、神のみに奉仕し、それ以下の興味の対象に奉仕することはありません。あなたは、難しい環境の中で善良であろうとして苦闘しているそうした集団の人々に、奉仕しなければなりません。

蟻は、静かに自分の任務を果たし、たゆまぬ行動によって多くのことを成し遂げます。あらゆる物事を、透徹した冷静な判断力で眺めなさい。あなたは、自分を神から逸脱させる物事をするために必要な集中力は、いつでも持っています。ですから今度は、神の方を向く習慣を身に付けなければなりません。進歩は、ゆるやかで着実なものとなるでしょうが、神に向かう方向こそがあなたの目標です。

Q どうして私は、突然力に満ちたように感じ、またその後で力がなくなってしまったように感じるのでしょう?

突如として力と光に満たされることは、あなたを惑わすかもしれません。私たちは、最も調子のよい時でさえ、自分の守るべき規律を忘れてはなりません。強烈な霊的高揚の後で、その高揚がすぐに再び起こらないとき、あなたは意気消沈するかもしれません。霊的高揚の体験を、今後生じる善きことの一例として受けとめなさい。あなたに神の恩寵をもたらした、苦渋に満ちた祈りと規律に費やされた長い時間を、忘れたり、意識的に無視したりしてはなりません。

Q その他に、蟻から何を学ぶことができますか?

蟻は、決して利己的な心で蓄えをすることはありません。蟻と同じように、私たちは、自由になる一時的な富を、自分たちが勝手に貯め込むためのものだとか、無駄使いをするためのものであると考えてはなりません。神はいたるところに存在し、あらゆるものの内に居ます。どんなものであれ、それを無駄にすることは、神を無駄にすることです。繁栄は、人類にとって有益なことに活かすために与えられたものです。「より多くの財産がある」ということは、人類のために、より多くの仕事をすることを神が期待しているということです。神は、地方の警官を出し抜くことを誇りに感じるために私たちに新しい車を与えるのではありません。あなたの行動の一つひとつは、あなたをもっと神に近づけるか、神から遠ざけるかのどちらかです。

蟻は、障害が発生したり変化が生じたりしても、気を落としません。蟻は、ただ最善を尽くすだけです。その後のことは神が面倒を見ます。あなたが進歩するか後退するかは、あなたの行動にかかっています。あなたがイエスのために何かを行う時、その結果に関してはイエスの決定に委ねなさい。神に、仕事をさせてくださいとお願いしたのであれば、あなたはその結果に関しては、神のコントロールを受け入れなければなりません。あなたが何をいつ受け取るかは、神の恩寵にかかっています。もし、結果があなたの期待していたものではなくても、あなたの精神が快活ならば、それは価値ある功績です。ひたすら最善を尽くしなさい。あとのすべては神が取り計らいます。

Q その他に、蟻はどのような長所を持っているのでしょうか?

蟻は、決して、興奮して感情の激発を追いかける様子を見せません。あなたの善い性質こそが神の報酬です。ですから、もしあなたが徳の代わりに現金が欲しいのなら、どうしてイエスに従っているのですか?

Q 私は、自分がしなければならないことを、いつもしたいと思うわけではありません。それはなぜでしょう?

もしあなたが、嫌な役割を果たさなければならないのであれば、それを愛の心で行いなさい。そうすれば、あなたにとってちょうどよいと思える時に、それをやめることもできるでしょう。何らかの活動に携わりたいという心を抑えることができない時は、そこに神を見るべく最善の努力をしなさい。「ここでイエスはどのようにして私を通して働いていらっしゃるのだろう? この仕事は神の現れだ。どうすれば、私はそこに神を見ることができるのだろう? 私がしばしば批判的な感情に陥る原因は何だろう?」と自分自身に問いなさい。

自分自身の振る舞いの中で、改善する必要のある部分を探しなさい。他の人の弱点を強調しようとすることで時間を無駄にしてはなりません。人の喜びを共に喜び、人が苦労している時には心から励まし、神のほうに方向づけてあげなさい。一方で、イエスがご自身のやり方でその人たちの面倒を見るのに任せなさい。あなたの意志を人に押しつけたり、人の幸せに関して、あなた一人に責任があると考えたりしてはなりません。もしあなただけに責任があるとすれば、神の役割はいったいどうなるでしょう?

神の仕事に関するあなたの能率と情熱によって、より高度の役割を果たす権利を勝ち得なさい。あなたの務めは、あなたの人生をコントロールしている心と身体と感情を、支配者の座から徐々に外していくことであり、また一方で、それらに代わってあなたの人生をコントロールしてくださいと、絶えず神に祈ることです。恐れてはなりません。愛に満ちて神の子どもたちを見守り育てること以外に、神の仕事はないのですから。

あなたが、本来は達成できることと、現在行っていることの間の大きなギャップを埋めることができますように。あなたが「神の王国とその栄光の中へとあなたを招いている神にふさわしい人生を送る」(テサロニケの信徒への手紙一2:12)ことができますように。有意義な人生を送ることができますように。あなたが神の愛を知ることができますように。

サティヤ・サイ出版協会様の翻訳でした。有難うございました。
http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19781224.html
出典:An Eastern View of Jesus Christ C3


クリスマスにサイババと話しましょう(中)

2016-12-27 23:00:04 | 日記
ポニョ:昨日の話で興味深かったのは「魂とは、白分自身を何か神とは分離したものであると見なしている、生命をもった意識の主体です。」という部分やぜよ。

ヨシオ:生命をもった意識の主体が、自分は神さんと離れた存在やと思いんでいるんやな。

ポニョ:生命をもった意識の主体って、サイババさんはこの広大な宇宙には生命が満ち溢れていると言われたけれど、肉体を持っていない生命体の事を言っておられるんやろ。

ヨシオ:この世界には俺たち人間の様に魂が人の身体を持っている生命体もいれば、そうではない意識だけが活動している生命体もあるんや。その意識だけが活動している生命体は想念の世界に生きているから、自分と同じ波動を持った者同士が霊の親和性の法則によって集まって来るんや。

ポニョ:手っ取り早く言えば波動が同じやから同じ者同士が一緒に集まるのは普通やぜよ。
ヨシオ:でもそこでは周りを見渡してもみんな自分と同じ様な性質を持った魂ばかりなので、違った者同士がお互いに切磋琢磨して助け合って成長して行く機会が無いんや。

ポニョ:だから肉体という波動が一番低い身体を取るために生まれ変わり、波動が違う者同士が一緒に生活して社会を構成し、お互いに助け合ったり、切磋琢磨しながら自分の波動を高めて行く機会をこの地球の上で実現しているんやろ。

ヨシオ:人の魂は肉体を取って初めてお互いに影響を及ぼす事が出来て過去生で作ったカルマを支払う事が出来るので肉体を取った魂だけがその肉体の持っている寿命が終わった暁には肉体を取る前より一段も場合によっては二段も三段も上のレベルに上がる事が出来るんや。

ポニョ:逆に言えば魂が肉体を取らなかったらいつまで経っても同じ霊界に滞在しなければいけないって事になるぜよ。

ヨシオ:だからサイババさんはこの広大な宇宙で地球に生まれ変わった魂だけが神の元へとたどり着ける事が出来ると言っておられるんや。だから宇宙にいる全ての魂だけではなく、霊界や神界の魂達も人として生まれ変わりたいと思っているんや。

ポニョ:人として生まれ変わるってそれだけ貴重な事なんやな。

ヨシオ:それを人は全然理解していないので小さな事で落ち込んで自殺したり、もう人生が嫌になって世捨て人みたいになったり、五感の赴くまま、欲望の赴くまま時間やエネルギーを無駄にして人は一生を終えるんや。

ポニョ:あゝ、それは勿体ないな。せっかく人として生まれたのにもっとオクラの天ぷらを食べてから死んだら良かったなと後で後悔するんやろな。

ヨシオ:しないっちゅうに。

ポニョ:という事で今日も三十八年間のクリスマスイブの日に西洋人ばかり集めてサイババさんが質疑応答された貴重な記事をサイババ出版協会の訳でお送りしますね。

Q 光としての神を瞑想するにはどうすればよいのですか?

永遠の光を瞑想することに関して、イエスは、

「私は光であり・・・私に従う者は・・・命の光を得るであろう」、「神は光である」と言いました。イエスを最も誠実な真の友と見なし、心を喜びに満たしておくために絶えずイエスを呼び求めるようになったとき、あなたは永遠の光を瞑想する準備ができたのです。

「目を覚ましなさい、おぉ眠れる者よ。死者の中から起き上がりなさい。そうすればキリストが光を与えてくださいます」と聖典の中に書いてあることを思い出しなさい。

祈りを始める際に、イエスのために蝋燭を一本灯しなさい。イエスを心に描きつつ、イエスの御名を繰り返し唱えながら蝋燭を見つめ、しかるのちに目を閉じなさい。光の中にイエスがいて、イエスから光があらゆる方向に広がっている様を思い描きなさい。その光を、左右の眉の間からあなたの身体の中に導き入れなさい。イエスの光をあなたのハートの中に入れなさい。あなたのハートを、一枚ずつ花弁を開いていく光の花と考えて、それを開花させなさい。イエスからの光が、だんだん大きく、広く、明るくなっていく様子を観想しなさい。

その光があなたの口まで届けば、偽りを言ったり、中傷したり自慢したりする可能性は完全に消えてしまいます。それが耳に届く時、スキャンダルを聞きたがる気持ちはなくなってしまいます。光が手足を包む時、あなたの手足は、無益な行いや間違った行為に携わろうとする傾向を失ってしまいます。一切の暗い欲望は、まばゆい智恵の光によって破壊されてしまいます。よこしまな思いや、有害な想念はすべて消えてしまいます。あなたの全身を光で満たしなさい。

光が輝きを増すにつれて、それはあなたの周り一面を照らし、あなたを愛で包んでしまいます。それをさらに広げて、光があなたの家族や、あなたの愛する人々や、友人たちや隣人たちをも包むようにしなさい。見知らぬ人々や、競争相手や、あなたに敵対する人々までも愛の光に包み込みなさい。全世界を光で満たしなさい。全人類を光で照らしなさい。生きとし生けるものすべてを、その光の中に入れなさい。その光を宇宙の果てまで広げ、さらには、あらゆる空間と時間を超えて広げなさい。すべてが光であると観想しなさい。

すべてが一つであると見ることができるようになったとき、あなたは瞑想の状態に入ったのです。その光を覆い隠す冷淡さや頑迷さを取り除きなさい。闇の働きを振り払って光の鎧を着けなさい。すべてを光と見なすことは、あなたにとって最もやりがいのある大切な任務となります。神は光です。

Q 毎回の祈りの長さはどれくらいにしたらよいでしょう?

毎日の祈りは、あなたが喜んでそれを続けられる長さとしなさい。15分間の祈りは、そのうちだんだん長くなり、1時間かそれ以上になるでしょう。深く祈りなさい。また、一定の手順に従って祈りなさい。祈りや瞑想に過ごす時間の1分1分が、それだけあなたを神に近づけてくれます。

Q 日々の祈りは悪癖を克服する助けになるでしょうか?

あなたが、もはや暗くよこしまな思いを楽しまず、不正な計画や、不正手段による収益を望まなくなる時が必ずやって来ます。あなたは、死んだものや毒性や中毒性のある食べ物や飲み物を好まなくなります。人間性を落としめる一切の行為に喜んで携わろうとする心がなくなってしまいます。ゴシップや危害に無関心になります。

Q 神と一つに溶け込むまでには、どれくらいの時間がかかるのでしょう?

あなたの心の旅路は、あなたがそう望むからという理由だけで、すぐに完成されるというわけには行きません。神の王国に入ることは、長い年月をかけて霊性修行を行った結果、もたらされるものです。

Q 私は待つことが嫌いです。神に到達する近道はないのでしょうか?

すべての出来事の中に神の御手を感知しなさい。そうすれば、あなたは、はしゃいだり、憂惨になったり、せっかちになったりしなくなります。あなたの人生は、神の体験の連続となります。あなたは、イエスと共に聖なる世界に生き、言葉に言い尽くせない平安を知り、すべてを神の永遠の光と見るようになります。「神は光であり、神のうちには微塵も闇がありません」〔ヨハネによる福音書1:5〕。

Q どうしたら最もよく神に仕えることができ、最も人類の役に立つことができるのでしょう?

まずあなたは、神を体験しなければなりません。あなたにとって、自分自身の体験ほど真実なものは他にありません。人生において神を体験するには、人類を神と見なさなければなりません。神と人類同胞とに捧げる何らかの仕事に携わりなさい。説教するのではなく、実践しなさい。「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」〔ルカによる福音書6:31、マタイによる福音書7:12〕。自分が人からされたくないことを人にしてはなりません。二重の規準を持ってはなりません。すべての人を自分自身のごとく扱いなさい。他者を信頼するには、まず自分自身を信頼しなければなりません。自分自身と他の人々との両方を尊敬しなければなりません。人類は一つの社会です。あなたが自分自身に危害を加えれば、全人類を弱めることになります。あなたが人を害すれば、あなた自身の力が失われます。あなたが人から望む待遇は、あなたが人に対して果たさなければならない義務の尺度です。個人としての完成は、他の人に奉仕することを通して初めて得られます。

Q どのようにすれば、最もよく他の人に奉仕することができますか?

まず最初に、あなた自身の人格を作り直しなさい。次に、あなたの家庭を神の愛の天国にしなさい。それから、あなたの近所を改善し、あなたの住む都市、あなたの国、そして全世界を改善しなさい。あなたは、イエスの道が完全なる喜びに到る道であるということを、身をもって示さなければなりません。あなたには大きな責任があります。どんな状況に置かれても、あなたが勇気と無私の心と確信とを持っていれば、周りの人々は、あなたが霊性修行に時間をかけたことによって以前より善い人間、幸せな人間、建設的な人間になったということに気が付くのです。祈りや霊的生活は、あなたが公衆の目から離れた時だけに実践するものではありません。それは毎日24時間携わっていなければならない仕事です。神に近づくために祈り、黙想し、瞑想することは、神と自分自身の魂に対するあなたの義務です。

神から与えられた身体は、有益に使わなければなりません。それは、健康を保って、肉体を持って生きるという神の贈り物を充分に役立てることができるようにするためです。怠慢になったり、強情や気まぐれに陥ったりすることによって、神を裏切ってはなりません。

Q 人格の欠陥とはどのようなものですか? また、それらの欠陥を克服するにはどうすればよいのでしょう?

人格の欠陥とは、あなたの性質の中にあるもののうち、あなたと他の人々を神への道から逸脱させたり、神への道の邪魔をしたりするもののことです。善い人格とは、人間本来の神聖な魂が顕現されたものです。

Q 人格の欠陥は、どのようにして作られたのですか?

心と感覚は、欲望と挫折という泥沼にはまり込みます。誰かが新しい車を持っているのを見ると、すぐにその人の車と同じものを欲しくなるばかりでなく、その人のものよりもよいと思える車が欲しくなります。こういったことはどれも、私たちをより一層神に近づけてくれるものでしょうか? 聖書には、イエスは「富める人が神の王国に入るより、駱駝が針の穴を通るほうが易しい」(マタイによる福音書19:24)と教えたとあります。

Q それは、世界の富める国々の人には魂の救いのチャンスがないという意味ですか?

必ずしもそういうことではありません。しかし、それは、イエスが生きたように生き、また、イエスが私たちすべてに望んでいる生き方をするには、自分を神から逸脱させる物事への欲望をコントロールすることに、非常な注意を払わなければならないことを意味しています。

神の目に映る私たちの姿は、私たちがどの程度まで人格改善を行ったかによって決まります。野放しの感覚と、心がさまようことによって、霊的な努力に対する感情的な障害が生じます。これらの弱点に心を占領させてしまえば、神の居場所がなくなります。祈るために静かに座る時、私たちの注意は何に向けられているでしょう? それは、私たちを神から引き離すもの、すなわち、怒り、貪欲、欲望、妬み、悲しみ、高慢、恐れ、利己主義、憎しみなどに向けられています。これらの名前は、私たちのさまざまな人間的弱点のうちのいくつかに付けられたものです。私たちのうちの誰が、それらを完全に克服しているでしょうか?

Q よいクリスチャンとなってイエスに従うには、欲望を克服しなければならないのですか?

私たちが、野放しの感覚的欲求や穢れた感情などによって生じた不満や不安や心配を満足させようとして、神から与えられる愛を消耗している間は、どうして霊的により強く成長することなどできるでしょう?

平和の鳩と悪魔の蛇が、一人の人間の中に仲良く共存することができるでしょうか? 立派な人格の基礎である、神の愛、規律、美徳、慈悲の心は、私たちの心のよこしまな傾向が克服されていないうちは、育つことができません。イエスは、布教を始める前に、40日間にわたって悪魔の誘惑と対決しなければなりませんでした。私たちも、イエスの例にならって、他に対する奉仕に専念し始める前に、心の中の悪魔を退治しなければなりません。

Q 私たちは、抑制心を養わなければならないのですか?

今日、私たちの多くは、頭に浮かぶことを何でも口に出して言っています。良心や道徳や神のごとき振る舞いを見失っています。深い知恵から出た助言を耳にしても、堕落し切った人は変わりません。自分の性格の欠点を認めた時、初めてそれを改善するための第一歩を踏み出すことができるのです。

Q 悪い感情は、実際どのようにして生まれるのですか?

人間には、生まれた時から、霊的な力と愛とが備わっています。子どもたちに対して、感覚の正しい使い方に関する教育がされていません。そうした子どもたちは、躾の行き届かないさまざまな習慣を持ったまま成長します。感覚は、どんなものであれ、魅力的だったり、興奮を誘ったり、剌激的であったりする行動や物事に惑わされてしまいます。心は、誘惑的な物事や心をかき乱す物事に関する取り留めのない思いで一杯になります。私たちがこの世を眺める時、私たちの霊的エネルギーは、今までに蓄積して来た想念を経由して流れます。そしてさまざまな欲求が生じます。

物事が起こるのには時間がかかります。私たちが物事を早く欲しがるために、心の中で欲望と苛立ちが育っていきます。そして、私たちは怒ります。怒りは、望んでいたものを手に入れたけれども、それが気に入らないか、あるいは、欲しがっていたものが手に入らないかの理由で生じます。そのため、私たちはその状況に関して、自分以外の誰かを責めます。

私たちは、望みのものを持っている時は、それを失うことを恐れます。それを持っていない時は、それが手に入らないことを恐れます。人生が継続していく間には、いくつかの欲望は満たされないままに終わります。私たちは落胆し、敗北感や悲しみを覚えます。また、私たちは誰か他の人が何かを持っているのを見て、嫉妬を覚えます。妬みは、貪欲と憎しみを生みます。かたくなな感情は、私たちを視野の狭い人間にし、人を許せない偏見に満ちた人間にします。ようやく何かが手に入ると、私たちは高慢になってしまいます。

Q どうすれば、その不幸な出来事の連鎖を止めることができるのでしょう?

感覚をコントロールしなさい。

Q そのコントロールは、どういうふうに訓練するのでしょうか?

まず目から――すなわち、あなたの視覚から始めなさい。何か心を騒がせるものが見えた時には、そのつど、その代わりにイエスの写真を見るか、その時あなたがしていることに集中するかしなさい。そうすれば、すぐに心の平安が感じられるようになります。このようなコントロールが得られるまでには時間がかかるかもしれません。ですから、とにかく少しずつ、たゆまずこの課題に取り組みなさい。

舌による失敗は、あなたにとって最も大きな災難をもたらす原因となります。人の悪口を広めたり、淫らな会話をしたりすることを好む傾向は根強いものです。口数を少なくしなさい。差し迫った必要が生じた時には、優しく語りなさい。怒りや興奮によって叫んだり、声を荒だてたりしてはなりません。そうすれば、健康は増進し、人間関係は改善されます。あなたは面白味のない人だと笑われるかもしれませんが、あなたが求める種類の喜びは決して失われることはありません。舌を、神の御名を繰り返し唱えるために使いなさい。神はあなたが舌をコントロールするのを助けます。

Q 私は騒がしい心の持ち主です。それに関してはどんなことをすればよいのでしょう?

神に奉仕することによって、あなたの心を制御しなさい。祈りと、神を黙想することは、心の平安をもたらすのに非常に役に立ちます。私たちの日常生活を妨げる、人格上の弱点の正しい治療法は、規律と、節度と、適切な判断力です。

Q 正しい規律を身に付けるには、意志の力が必要ではありませんか?

神は愛です。愛は神の力です。神の力(愛)が動機となっている意志の力は、あなたを向上させるプラスの力です。あなたの人生を、神の意志が具現化されたものにしなさい。心があなたを誤った方向に導くのを許してはなりません。

マタイによる福音書26:41によれば、イエスは、「誘惑に陥らないように注意して(WATCH)祈りなさい」と言いました。注意しなさい。(WATCH)。「W」―あなたのWords(言葉)に注意しなさい。「A」―あなたのActions(行動)に注意しなさい。「T」―あなたのThoughts(思考)に注意しなさい。「C」―あなたのCharacter(人格/性格)に注意しなさい。「H」―あなたのHeart(ハート)に注意しなさい。今の時代には、私たちは別の種類のWATCH(時計)に注意しています。少なくとも、あなたのWATCH(時計)を見ることによって、今話した戒めを思い起こしなさい。誘惑をWATCHし(見つめ)てはいけません。――WATCH(注意しなさい。)

Q 私が助けを必要とする時、誰もそこにいません。

一瞬たりとも神が存在しない時はありません。助けが必要な時の最も簡単な祈りの言葉は、「イエス、イエス、イエス・・・」であることを覚えておきなさい。そのうち、あなたは決してイエスの名前を忘れることはなくなります。一瞬たりともイエスが不在の時はありません。同じイエスがすべての人間の内にいます。他の人々の内にいるイエスを捜しなさい。人を憎むことは神を憎むこと、あなたがそれほど愛しているイエスを憎むことです。私たち一人ひとりが、人間の姿をした神の愛なのです。

Q どうすれば嫉妬心を克服できるのでしょう?

あなたが嫉妬によって傷つける相手は、あなた自身です。その人は、あなたとは別の名前を持ったあなた自身なのです。嫉妬心を捨てなさい。心が満ち足りている人は自由です。今のあなたに何ができるかに気付きなさい。あなたの能力の範囲を超えてしまえば、ストレスや、心の乱れや、過度の重荷などが生じ、個人的評判を落とすようなことすら起こります。自分よりも才能に恵まれた人々をうらやんではなりません。あなたの魂を、より強靭に、より善く神に仕えることができるものにする霊的手順を、しっかりと守りなさい。

Q 人々に対して、神経質になったり、苛立ちを覚えたりするときはどうすればよいのでしょう?

意識的に、ゆっくりと深く呼吸をしなさい。落ち着きを保ちなさい。主の御名を繰り返し唱えて、あなたの目に映る一人ひとりの人の内に神を捜しなさい。恐れ、対抗意識、欲望、貪欲、高慢、利己主義、嫉妬心は消えてしまいます。人が喜んでいる時はあなたも喜びなさい。そのような態度は神を喜ばせます。神は万人の父です。ですから、神の子どもたち一人ひとりの善き兄弟姉妹であるように努めなさい。

苛立ちや、その他一切の感情が原因となって、あなたが神のレベルから獣のレベルに落ちることを許してはなりません。「こういう状況のもとでは、イエス様ならどうなさるだろう?」と自問しなさい。忍耐と理解とを示しなさい。「相手」を見つめなさい。対立する点ではなく、一致点を発見しようと努めなさい。あなたの知識を、自分自身をもっと親切な人間にするために使いなさい。失敗を気にしてはなりません。そうすれば、人生は生き甲斐のあるものとなります。道徳と規律は、初めのうちは不快なものに思えるかもしれませんが、あなたを幸福な人生へと導いてくれます。