サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

天地創造の秘密に迫る❸

2019-04-17 04:00:30 | 日記
あなたは光です。
それと同じ光が、他の人の中にもあることが実感出来るでしょう。
意識が肉体から離れ、あなた自身が光そのものとなります。
それが解脱です。CWSSBJp260

ポニョ:天地創造の秘密に迫るシリーズの話やけれど、心を鉄粉に例えた話が良く分かって良かったぜよ。

ヨシオ:鉄粉って自分の身の回りにあるから、イメージが掴みやすいよな。神の特質は、サット、チット、アーナンダ(存在、純粋意識、至福)とサット言われても、チットも分からないから、説明されて初めて…

ポニョ:アーナンダそうなんだ、って分かるんや。今日は二人とも冴えてるな。ばっちしカンカンやぜよ。

ヨシオ:どこからカンカンが出て来るんや。

ポニョ:昨日の記事で気になったのが、ババが「意思の力を正しく用いる者は、有徳の人物として光を放ちます。しかし、意志を誤った方向に用いるなら、邪悪な人間となります。」と言っておられたけれど、サットという宇宙に充満している鉄粉が悪い事を思っている人間が強く意思すれば、それらが結びついて大きな力となり、社会に悪い影響を与えるということやろ。

ヨシオ:そういう神へと向かうべき意思の力を、世俗的な方向に向けて生きている人がほとんどやもんな。でもそう簡単に磁力で表される意志の力と鉄粉で表されるサットが結びつく事はないんや。ほとんどの人は、それらのうちの極めて限定的な力だけ使っているんや。意思すればなるなんて言って。

ポニョ:ある受験生は自分の志望校に入るために何でもするって決めて、お百度参りをしたり、性的な欲望を絶ったり、断食をしたりしていたんや。そして自分が入りたい志望校の写真を壁に貼って、その大学に行きたいと常に強く願っていたら合格したんや。それで自分が就職したい会社の写真を貼って、いつものように苦行をしてその会社に就職したいと願っていたら本当に就職出来たんや。次に自分が欲しい車の写真を壁に貼って苦行をし、毎日この車が欲しいと強く願いをかけていたら、ある日その車を買えたんや。そのうち起業家になろうとして、こんなビルがあったらええな。そこを本社にして会社を設立するんやと思って、自分が欲しいビルの写真を貼ったらそのビルのオーナーになって今では会社の社長になったという話がムーという雑誌に載っていたな。苦行によって得た強い意思の力が、サットと結びついたら、いろんな事を成し遂げることが出来るんやな。でも、それって欲望をコントロールしなかったら意思の力が弱くなる事と矛盾してるのと違うか?

ヨシオ:ババが言われた欲望のコントロールという意味は、今ポニョが言った様に苦行をして、性欲や食欲などの五感をコントロールという意味や。だから舌の感覚を制御するために大好きなコーヒーを飲むことをやめただけで、意志の力が増すって言われたんや。インドで五感のコントロールをするために苦行を積んでいるヨギが、スペシャルなパワーを持つことが出来るやろ。でも金に目が眩んだヨギは、それを金儲けの為やブラックマジックの力として使ったりしてるんや。

ポニョ:そのように見れば悪魔崇拝者が小児性欲癖などの欲望をむき出しにして、五感のコントロールと程遠いところにいるから、奴らの持っている力って物や金、権力や軍事力そしてマスコミを使った洗脳力に裏打ちされているだけやって事やな。もちろんレイライン上にあるお城の中でいろんな儀式をして、世界を恐怖の波動で覆うと無駄な努力はしているけれどな。でも五感をコントロールして強い意志を持って生きて行けば、この世の中でいろんな事が出来るって面白い世界やな。

ヨシオ:本当の苦行って五感に支配されている肉体は自分では無いと悟る事なんや。自分が肉体だと思っている限り神様のような途轍もない大きな意志の力を顕す事は出来ないんや。でも神様はそういう力を一人ひとりに顕せる機会を与えて下さっているんや。人は自分の中に宇宙創造の力と結びつけるぐらいの途轍もなく大きな力があるのに、それに気付かず欲しいものがあると、まるで乞食のように手のひらを上に向けながら人に何かを求めたり、コネを利用したり、親の傘をきて世間を渡ったり、金持ちの友達に媚びたり、権力を持っている者の後を金魚の糞のように着いて回ったりして自らの品性を落としているやろ。それって、神さんから見たらとても可笑しい事なんや。

ポニョ:ババはあなたの中に願望成就の牛を持っているのに、どうしてあなたの外にそれを探しに行くのですか?と言っておられるよな。

ヨシオ:つまり、先ほどポニョが言ったように誰でも五感を苦行によってコントロールしたら、そういう力を得ることが出来るんや。でも人は僕はどうしても性欲だけはコントロール出来ませんとか、ポニョのように食欲のコントロールだけは勘弁して下さいとか、綺麗な女性が歩いていたら声をかけたくなったりするやろ。それは心が五感の奴隷になっている証拠なんや。五感が心を支配したら人は悪魔のように振舞ってしまうんや。五感がコントロール出来ていない限り、決して鉄粉に例えられる宇宙に充満しているサットと、意思の力とを結びつけることなんて出来ないんや。だからさっきも言ったように普通の人は意志すればなる、なんて言っているけれどそれは限定的なものなんや。でも、五感を制して得られるパワーを世俗的なものではなくて、神の方へ向かう事に使って初めて人は、人として生まれた目的を達することが出来るんや。さっきの人の例のようにいくら苦行をしてそういうパワーを付けれたとして、起業家として自分の社屋を持ったとしても、それがどうやっちゅうねん。例え富士山の半分の土地を買えたとしても噴火してぶっ飛ぶだけやないか。

ポニョ:あの~ちょっと話が飛び過ぎていると思いますが…。そうか、五感のコントロールが鍵なんや。

あなたは解脱への扉をたたいているのか、それとも執着への扉をたたいているのか。
奥に神がいる扉をたたいているのか、それとも悪魔が潜んでいる扉をたたいているのか。
一体誰のところに行きたいのでしょう。
誰に救いを求めているのでしょう。
誰よりも思いやりのある人、人間の姿でやってきて自ら模範を示している人に求めているのでしょうか。
宇宙の母に願っているのでしょうか。
宇宙の母に食べ物を求めているのか、悪魔に求めているのか、どちらなのでしょうか。
皆さんは神様の方を見ているようでも、神そのものを求めてないのです。
確かに神様に祈ってはいます。
ところが皆さんは取るに足らない物質的なものや、世間のことばかり願っています。
願いがかなう木の下にいて、わずかばかりのインスタントコーヒーの素を願っているのです。
願いがかなう木に向かって、すべてを超えた摂理を求め、永遠の悦びに満たされるように祈らなければなりません。SGc5c23

ヨシオ:それに心っていつもあちこちさまよって落ち着かないやろ。

ポニョ:お猿さんのように木の枝から木の枝へ飛び移り、いろんな物を追い求めるから、心の事をモンキーマインドっていうくらいやもんな。

ヨシオ:どうして、心がいろんな物を追い求めて落ち着かないという理由は、昨日も言ったけれど心って鉄粉のようなもので、欲望に代表される様に磁石によって引き寄せられるからなんや。

ポニョ:つまり、欲望が出す磁力線に引かれて心という鉄粉が動き出すけれど、その途中にもっと欲望が強いものや、見たこともない新しいものが現れると、そっちの方に欲望という名の磁力が強くなり、心という鉄粉が引きつけられるんやな。だから、欲望がある限り人の心は落ち着かないし、神の方へも向かないんや。

ヨシオ:だから、ババは心って欲望という糸で織られた敷物みたいやって言っておられるんや。

ポニョ:ということは、欲望って何かを見たり、聞いたり、美味しそうな匂いを鼻で嗅いだり、おなごの気持ちの良い肌に触れたり、美味しい味を舌で味わったりして、人の五感を使って欲望を満たす事になるから、心って感覚を通じてのみ世界に飛び出して行くって事になるよな。

ヨシオ:おなごの気持ちの良い肌ってなんやねん。でも、ポニョがその綺麗な女の人に見とれている時に、俺が話しかけても耳がつんぼになってしまうやろ。また、一生懸命誰かの話を車の中で聞いている時に、目的地に着いても途中の景色を思い出せないことってあるやろ。そのように、心が何かに集中すると、一部、あるいは幾つかの感覚器官をシャットアウト出来るんや。

ポニョ:でも、心って感覚器官を追いかけて欲望を満足させたり、欲望という磁力線によって影響されるって言ったやないか。

ヨシオ:その通りや。だから、心という鉄粉がとても強力な磁力線によって引き寄せられていたら、近くに少々弱い磁力線があっても影響されないやろ。

ポニョ:それは常識やぜよ。

ヨシオ:それに、その途轍もなく強い磁力線によって、鉄粉がお互いに強くくっ付き合うことだって可能やろ。

ポニョ:そういう場合だってあるかもしれんな。

ヨシオ:人は、この欲望や誘惑の渦巻く物質世界に住んで、その影響を受けずにいる事ってとても難しいやろ。心は常に物を追い求めてさまよい、物だけでは無く、権力、地位、名声などのような目に見えないものも追い求めている。このような時代にあって心をそういう世俗的なものから引き離す方法は、心を神の方にしっかり向けて,鉄粉がまるで一片の鉄の塊になるぐらい強くくっ付かせれるぐらい、神に集中しなくてはいけないんや。このカリユガという時代は、ポニョが知っているように物や金が人を支配し、欲望が渦巻いている時代やけれど、このカリユガ期においては、神の御名を唱える事だけが、あなたを神の方に導いて行くのです、とババが言われているのはその為なんや。

ポニョ:そういや。星やんの神を思う気持ちはめちゃ強かったな。雑談をしていても、いつも一分もしないうちにまた、神さんの話題に変わるんや。でも、この欲望という名の磁力線が、おいら達の周りに張り巡らせれていて、心という名の鉄粉が所構わずあっちこっちに引き寄せられているけれど、神の名というチョー強力な磁力線を自分が発する事によって,鉄粉を神の名に引き寄せたままにしなくてはいけないんやな。ということは、心って鉄粉みたいやけれど、一度、強い磁力線によって鉄の塊みたいになったら、他の欲望が発する弱い磁力線に影響を受ける五感でさえもコントロール出来るって事になるよな。

ヨシオ:そうやな。心は一見、五感に従い、五感によって影響を受けるように見えるけれど、人は自分の知性を働かせれば、心によって五感をコントロール出来るんや。実は、人の知性が心の支配者なんや。つまり、欲望をコントロール出来る知性が心の主人になれるんや。

ポニョ:可愛い女の子が道を歩いていても、君は所帯持ちやから声をかけたらいかんぜよ。と自分の知性が囁くけれど、知性が欲望をコントロールしている限り、知性が心の主人って言えるわけであって、欲望をコントロール出来なかったら、そういう風には言えないぜよ。お姉さん少しお茶でも飲んで行きませんか?なんて言ってしまうやろな。

ヨシオ:それはポニョの知性じゃなくて痴性や。

ポニョ:知性と痴性か。おいらはどちらの方が優勢なんやろな。痴性を使って欲望を満たそうとしている人の方が、この今の世界には多いのんと違うか?

ヨシオ:そうなんや。だから今、全てが逆さまやから世界が混乱しているんや。本当は心が五感を支配し、知性が心を支配し、太霊から分かれたジヴァと呼ばれる人の中にいる個霊が知性を支配し、その個霊が光そのものである太霊に融合する時、人は太霊と一体感を味わうことが出来るんや。つまり自分は光の子であって、その大元の光の中に戻って行くのが解脱なんや。

ポニョ:こうして見ると、現代の世は本当に逆さまになっているよな。

ヨシオ:それに心で思った事って、昨日もゴパール君の例をあげて説明したけれど、サットとチットが結びつく事になるので、すごいパワーを持っているんや。それに想念自体のスピードも、全宇宙にサットが充満しているので、光より速くあっという間に伝わるんや。付け加えて言えば、人の心臓って左にあるやろ。でも、霊体の心は右にあるんやで。

ポニョ:おいらにも分かるように、サット伝えてくれているのに、チットも分からないなんて、アーナンダ、こうなんだといろいろ難しいな。

ヨシオ:何をほざいているんや、ポニョは。

心は、一つの思いから他の思いへとすばやく飛び移ります。
少しの間、あるものに愛着を示したかと思うと、次の瞬間にはそれを見捨ててしまいます。
口を閉ざしておくことは出来ても、心を閉じたままにさせることはまず不可能でしょう。
心とはそのようなものです。
心は欲望という糸で織られた反物なのです。
五感を通じて外界に飛び出して行くのです。
しかし、人は修行によって心を慣らし、役立たせることができます。
もし私たちが人に役立つ仕事や良い事をし、普遍的、絶対的、永遠なものである神に、いつでも思いを寄せていれば道に迷ったり破滅したりしません。
心は五感の支配者なので感覚より強い力を持っています。
知性が心の支配者で、個々の魂が知性の支配者で、神が個霊の支配者なのです。
感覚が心と結合し、心と知性とが結合し、知性が個霊に従う時、あなたは至高神との一体感を味わうことができます。SSnewsVol14
心の力を表現することなどとても出来ません。
思考の速度は、光や風やこの世界の何よりも速いのです。
人にこのような計り知れない力を与えられているというのに、人は自分で弱いものだと思い込んでしまうことは悲しいことです。
また、心と肉体の心臓とは何の関係もありません。SS3/90


最新の画像もっと見る