サイババが帰って来るよ

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愛の認知症介護

2019-03-31 04:00:19 | 日記
ポニョ:東洋お母さんの介護、大変やったな。

ヨシオ:軽度の時はそうでもないけど、特に、妄想が始まった頃、勝手に夜中でも出て行くし、理由もなく怒り出すし、それにお袋はすごく口が立つんや。

こう言えばああ言う。ああ言えばこう言う。や。だから、誰も勝たれへん。
そのうち、平手打ちが飛んでくるで。

ポニョ:ああ怖い。

ヨシオ:機嫌が悪い時、つい最近までよく叩かれたで。唾をかけられたり、蹴られたり、嫁なんか、しょっちゅうや。

その上、さっきも言ったけれど口が立つし、血液型がA型で繊細で細かいし、いっぱい罵られるけれど、結局叩かれた理由は分かれへんし、それこそ地獄みたいやったで。

ポニョ:ほんまに、ひどい病気やな。

ヨシオ:でも、今から考えたらあの時、すぐに医者に相談して薬もらっておいたら良かったと思う。

長男が薬剤師やねんけれど、いつもそうアドバイスしてくれていたけど、俺、薬嫌いやろ。
だから、躊躇してたんや。でも、言うこと聞いて薬をもらい、妄想や暴力が始まりそうなときに薬を服用してもらうと、借りて来た猫みたいになって部屋で寝てる。



それでも、薬の量は決められた量の半分以下しかあげてないねん。

そうして、初めて家族分裂の危機を回避出来たんや。それまでは、一緒にいると皆に迷惑がかかるし、自分がお袋と一緒に家を出て介護するつもりだったんや。

おかげで、自分らも介護がとても楽になり、家族も喜んでいた。

とにかく、すぐ怒るようになって、みるみる老けた。今まで、十歳以上若く見られていたのに、逆に十歳以上老けて見られた。

怒ると身体全体が震えます。血液が熱くなります。血液が冷めるまで3ヶ月かかります。

一瞬の怒りは、6ヶ月間食事で得たエネルギーを消耗してしまうのです。

10/8/83

そのうち、暴力を振るう時期が過ぎたので抗精神剤や睡眠薬の投与をやめた。

だんだん介護の経験を積んだので、少し怒りが出て来た時は次の三つの原因って分かってきた。

一つ目は、トイレに、(大の方)行きたい。二つ目は、お腹が空いている。三つ目は、眠たい。この三つのうちのどれかがしたいから、イライラしたりして来て、暴力的になるんや。
ポニョ:まるで赤ん坊やな。

ヨシオ:その通り。だから、トイレはいつしたかを必ずノートして、出来るだけ決まった時間にしてもらうようにする。例えば、朝ごはんを食べてもらい、三十分ほどかけてゆっくり部屋でテレビを見て消化してもらう。

そのあと、外に連れ出して五分ほど歩くとガスが出てくると、こっちのもんや。

すぐに便所に連れて行けば、OK。



食事のコントロールは、そんなに難しくは無い。いつどれぐらいの量を食べたか食べてないかをチェックして、食事の間隔を狭めたり開けたり、量を加減したり、好きなものを多めに入れたり、色々出来る。

睡眠のコントロールも、難しくはない。昼寝をどれくらいの時間したか、夜は寝ていたか、朝早く起きすぎていないか。そういうことを毎日チェックして、必要であれば、昼寝を抜いたり、長くしたり、夜に好きなビデオをつけて遅い目に寝てもらったり、早く寝てもらう。

一番難しいのが、トイレのコントロールやった。というのも、西洋式トイレではどれくらいの量をしたのかよく分からないし、奥の方へ行ってしまうので元々したのかどうかも、確認するのが難しい。

それで、トイレに座ってもらう前にトイレットペーパーを便器に入れて、便が奥に行かないようにしてから用を足すようにしたんや。

だから嫁との合言葉はいつも、「やったか。まだか。どれくらい。お腹壊してないか。」
やった。

それで、順調やったら嫁と「良かったな。今日もこれで安心!」と言って喜び、両手を伸ばしてハイファイブして叩き合うんや。



とにかく、便の世話が大変やし、実は本人も悪いなぁ。と思っている。

あとかたずけをしながら、本人に全然大丈夫。平気だよ。という振りをして介護していても、床に落ちた便を踏みつけたり、身体の上に落ちてきたり、妄想時には、それを手で取って投げつけて来たりした時には、こっちも必死になるから大きな声を出してしまう。

その時には、本人は忘れてしまって覚えてないやろうと思っていても、実は見たこと聞いたことを少しは知っていて、あの時悪かったな。とか、もう死にたくなって来た。とか言って落ち込むんや。

介護していて、それを見るのが一番辛かった。可哀想で、胸が締め付けられそうになったな。



トイレに入るときは何時も、雑誌を渡すとページを裂いて遊ぶんや。

時々、大きな声で「現在の、経済状況を鑑みるに当たって、大切なことは通貨供給量をどのようなレベルに持って行くかということを、考慮し…」などと言ってびっくりすることがある。

また、「ダウンスイングは脇を締め、クラブを振り下ろす際は、出来るだけ…」などという時もある。

隣の応接間で、みなでそれを聞いて大笑いをしたのは良い思い出だった。

でも、ヴェーダのおかげで、だんだんと症状が回復してきたやろ。



逆に、それがプレッシァーになった時もあった。例えば、

ある日、トイレに座ってもらって、しばらくして様子を見に行ったんや。

それで、まだ本を読んでいる様子なので、どうや、何してるねん。と聞くと。

俺を睨みながら、「私が何をしているか見て分からないのですか。それとも、私が自分自身でここで便器の上に座って、何をしているのか自分で分からないと思ってそんな質問をしたのですか。」

「もしそうだとしたら、私に死ねと言っているのと同じこと。分かるでしょう。もっと、言葉に気をつけて話すようにしなさい。」と言われたことがある。

以前のように、ボケた会話してたら、お袋を傷つけてしまうので注意せなあかんかった。

時々、アルツハイマーって不思議な病気やなぁーと思った。

妄想や徘徊、暴力行為が酷かった頃、サイババさんが夢に来られて「一人で、何でも全てしようとしてはいけない。この種の病気は、家族みんなで協力しあって見なさい。理想的には、社会が、コミュニティー全体でこの患者の面倒を見ることだ。」と言われたんや。



それで、自分も少し楽になって、みんなで、家族で手分けして介護するようにした。

その夢を見てから、積極的に母を表に連れて行こうと、近くの幼稚園や小学校にも母の事情を話したら、喜んでいつでも連れ来ていいよ。と言われ、毎日のように子供達が遊んでいるところに出かけ、長い間喜んで手を叩きながら見ていた。

そのうち、子供達も慣れてきてお袋に話しかけて来たり、キスをしたり、抱きついたりしてたな。

お袋の一日で一番幸せな時やった。



そのサイババさんのアドバイスがあってから、とても介護が楽になったんや。

今も、老老介護とか、いろんな違った状況で介護に携わっておられる人がいると思うけれど、俺が言えることは、決して自分一人で全てのことを背負い込まずに、外に出かけよう。
たとえ周りに、誰もいなくて一人で介護しなくてはならない状況であっても、恐れずにできる限り近くのコミュニティー幼稚園や保育所に車椅子でも、何でも連れ出して行けば必ず、誰かが助けてくれる。

全てが、本当は神さんやから、自分達の周りは、愛でいっぱいの神さんやねん。

この世には、愛によって達成できないことは何もありません。それは最も固い岩をも溶かすことができます。

一人ひとりの人間の内にある愛の原理が一つに統合されたとき、それは宇宙的な愛(ヴィシュワ・プレマ)になります。

あなたが愛の渇きを癒したいのであれば、神の恩寵を切望し、神を礼拝しなさい。

至福を体験するためには、もっともっと愛を培うことです。

愛を育てれば育てるほど、あなたはますます至福を体験するようになります。至福(アーナンダ)は、愛がなければ得られません。

実際、至福という形をとっているのは、愛に他ならないのです。

28/7/99



いつも立ち寄る、近くの小学校で働くエルサルバドルから来た掃除人のおばちゃんは、結婚して三日後に夫を事故で亡くし、その時に妊娠していた子供を女手ひとつで育てあげた。
お袋を見て、自分と似ている境遇だから親しみが湧く。と言っていつも抱きしめてくれた。
お袋も、その掃除婦のおばちゃんを見つけると、精一杯愛想をして何かを話そうとしていた。

亡くなった日も、あのおばさんは、お袋を見つけるや否や走って来て抱きしめてくれた。

お袋は、その一時間後に逝ったんや。
ポニョ:そのおばちゃんきっと死神やったかもしれんで。抱きつかれてから一時間で死ぬって怖い話や。

ヨシオ:アホ。また、道端で生えている白い花を嫁にプレゼントしたいと言って、大事そうに持って帰ってきたことがあった。

いつも世話になっているお礼やから。と言っていた。

私には、これぐらいしかあの子に出来ることが無いけどええやんな。と言っていた。

いつもの散歩する道の途中に、腰が直角に曲がったベルギーから来た九十四歳のおじいちゃんが一人で住んでいるやけれど、毎日そこに立ち寄って、お袋は自分の好きな日本のお菓子をあげるんや。

おじいちゃんはそれが毎日楽しくて、俺たちの散歩の時間が近づくと戸を開けて待ってる。

お袋が来ると両手で、お袋の手を握り、「わしの家内は二十五年前に逝ってしまったけれど、この年になってガールフレンドが出来るとは思わなんだ。長生きしてよかった。」

「今は、こんなんやけど、昔はハンサムやったんやで。背もこれくらいやったんや。」と言って背中を無理に伸ばすと、結構背が高かった。

お袋は、「You are so handsome.」と言って抱き合って喜ぶんや。

おじいちゃんは、「わしら二人とも、もうすぐ天国からお迎えくるなぁ。どっちが先か分からんけれど、一緒に行ってもええな。わしの嫁はんは、そんな事で怒らんやろ。」

「わしを長い間1人にして逝ってしまいよったから。あんたの年ぐらいであいつ逝きよったから、あんた見てたら、あいつの事思い出すなぁ。」などと笑いながら言っていた。

そんなふうな会話をして、その家に寄って話し込むのも日課になった。

亡くなった日に、追悼会に出したケーキをお裾分けに持って行ってあげたら、とても悲しい顔をして涙を浮かべながら、何も言わずに家の中へ入って行かれた。


お袋のように、身体も自分の思うように自由にならず、言葉も不自由で、その上精神的にも異常をきたしているこんなに老いた女性でも、愛があれば他の人を少しでも幸せにできる。

お袋の出来ることといえば、手を握る。抱きしめる。花を積むことぐらいだけれど、毎日の不自由な生活の中で、愛を持っていれば、他の人をこれ程幸せに出来るなんてすごいなぁと思った。

振り返って、自分を見ると五体満足で、精神も取り敢えず正常、言葉も話せるし、お袋と比べられない位良い条件を持っているにも関らず、毎日の日常生活で一体どれほどの人に愛を分かち合って暮らしているのか。と考えると、お袋の方に軍配が上がってしまうと思う。

それほど、他の人をいつも気遣って生活をしてきた人だった。



人間として生まれた限りは、他の人を幸せにしなくてはなりません。

これが愛というものです。あなたのハートは愛で一杯なのです。

あなたはそれを他の人と分かち合わなければなりません。

たくさんの食べ物があるとき、あなたは他の人と分け合うでしょう?

そうでないと食べ物がいたむでしょう?それと同じで、あなたの愛を毎日少なくとも5人の人に分け与えるべきです。

この神聖な愛をあなたは他の人と共に分かち合い、修行し、経験しなければなりません。
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今日、久しぶりにいつも散歩に通っていた近くの小学校と公園に一人で行きました。いつもゆっくりとお袋の歩くスピードで歩いていたので景色がとてもゆっくりと流れて行ってたのですが、今日はとても早く流れたので驚きました。いつもの道、いつもの景色なのにお袋だけ、景色の主人公だけがそこにいませんでした。
ポッカリと空いた心の穴がこんなに大きいと今更、気付いたのです。
自分では、その穴を塞いだつもりだったんですが、やはり毎日、毎日歩いた散歩道を歩くと色々な想い出が蘇ってきて少しセンチになってしまいました。

【 母と歩く 】

母と歩く

年取った、母と歩く

ゆっくりと歩く

腕を組んで歩く

俺が、三歩 歩く間に、母は六歩 歩く

俺が、綺麗な花が咲いてると言っても、母は俺を見てる

微笑んで見てる


母と歩く

年取った母と歩く

ゆっくりと歩く

腕を組んで歩く

俺が三歩 歩く間に、母は六歩 歩く

俺が綺麗な鳥が飛んでると言っても、母は俺を見てる

微笑んで見てる


母と歩く

年取った母と歩く

ゆっくりと歩く

腕を組んで歩く

俺が三歩 歩く間に、母は六歩 歩く

俺が綺麗な夕焼けだと言っても、母は俺を見てる

微笑んで見てる


母と歩く

俺と母の大切な時間

年取った母と歩く

俺が小さい時の借りを返す時間

ゆっくりと歩く

俺が母に迷惑をかけた事を詫びる時間

腕を組んで歩く

俺がガキの頃手を繋いでくれたよな

俺が三歩 歩く間に、母は六歩 歩く

俺の人生に付き合ってくれてありがとうな

俺が母と歩く時の幸せは、もう行っちまった

もう二度と来ない、母と歩く時

母が幸せを感じていた時、俺も幸せを感じていた

一人で歩く、いつもの散歩道

母がいない、通い慣れた道

母のスピードで歩く、枯葉が舞う道

寂しいなぁ。寂しいよ。

母のいない散歩道

母と歩いた散歩道

あのカタカタ六歩の足音聞こえなくなって寂しいよ

あの愛に溢れた眼差しを見れなくって寂しいよ

あのギュって握ってくれた手に触れられなくって寂しいよ

俺の涙を拭ってくれるのは、もう俺のシャツのそでだけ

俺の涙を拭ってくれるのは、もう空のふんわり雲だけ

俺の涙を拭ってくれるのは、もう心の中の神さんだけ

もう、母と歩けない寂しい俺

世俗に関する思いが神への思いと入れ変わった時、初めて真の平和が訪れます。神は平和の創造者であり、維持する者です。神をよりどころとしてこそ、私達は真の平和を体験できるのです。


認知症も癒すヴェーダの力❸

2019-03-30 04:00:28 | 日記

ある日、いつものように、風呂上がりに服を召してもらっていると、突然、

「少しお伺いしたいのですが、私はいつもこんな風に、あなた方のお世話になっているのでしょうか。」

「もしそうだとすれば、私の人生は、一体どうなってしまってたのでしょうか。」

「このまま、あなた方にお世話になりっぱなしというのは、少しどうかと思います。」

「このような生活を続けて行くのが良いのかどうかを、今、それを私自身、真剣に考え直さなくてはいけない時に来ているんだと思います。」

とても立派な日本語だった。

東洋子は、昔から周りの状況を自分が受け入れられない時、関西弁が影を潜めて父親の言葉である標準語で話すのが常だった。
その夜、東洋子はそれ以上の事は話さなかった。

何を言っても頷くだけで無言だった。
でも目はしっかり何かを見据えていた。
世潮は自分の母は、ほとんど元の母に戻ったと感じていた。
以前、母が何かを決意した時、いつもそんな目をしていたものだった。
そしてその目が、今、ここにあった。
あくる朝、いつものように朝の挨拶に行った。
昨夜のあの目がまだそこにあった。

「おはようございます。東洋子お母さん。あなたの息子の世潮です。」

といつものように挨拶すると、「あんたが、息子だって事ぐらい分かっているよ。」と言いたいような軽蔑した顔で見て、何も返事をしなかった。

そしていつものように嫁と手早く、しもの世話をして部屋を出て行こうとすると、

「これが、あんたの仕事かい?情けないね。男の仕事じゃないよ。ほんとに。こんな風に私の面倒を何年もしているのかい?本当にご苦労様と言いたいけれど、こんな調子であんたや嫁に私の知らない間に迷惑をかけて来たんだっら、早く死んだほうがマシだ。長生きしたくないね。」と言った。

アルツハイマーになって、記憶を失い日常生活もままならなくて、自分が気がつかないうちに色々と人の世話になる。
そしてある日突然、記憶が蘇ってもとに戻り、自分の置かれている状況に唖然とする。
しもの事まで、息子の世話になっている自分が情けない。
全く知らなかった。こんな風に自分がなっているなんて。
息子や嫁に申し訳ない。
でも、自分でどうしていいのか分からない。
そんなやり切れなさでいっぱいだった。
ただ、唯一の救いだったのは、家族の皆が幸せそうに、私に接してくれている事。
私の世話をすることが、まったく負担になっていないように見えることだった。
東洋子は、世潮の還暦祝いのパーティーの写真を手に持っていた。
孫たちも、そして自分も一緒にその写真に収まっていた。
自分がいつも行く、大好きなインド洋の海岸だった。

東洋子は、その写真に写っている世潮を見ていた。
少し年を取ったようだ。白髪も増えて、顔にも深いシワが刻まれている。
もう、還暦を迎えたのか。あの子が…

主人を若くして亡くして以来、必死で二人の子を育て上げて来た。
世潮が還暦を迎えるのを見れるまで、自分がまだ生を受けていることに感謝した。
幸せを感じた。そして自分の目の前に、その世潮がいる。
日常生活の細々した事さえ自分で出来ないということが分かって落ち込んだが、今はそれを受け入れようとしていた。
今まで、何か自分が現実から離れたところにいて、テレビのスクリーンを見ているような感じで、見るもの聞くもの全てに現実感が感じられなかったが、今は違う。

突然、この世界での自分の存在感を確かめたくなって、目の前にいる息子に声を掛けようと思った。

「世潮、一体何をしているのや。忙しそうやな。またなんか機械の修理か?あんたが今、手に持っている道具は何の為に使うねん。」と言った。

きちんと顔を見て名前呼び、しかも他人の仕事に興味を持って話しかけるなんて、ここしばらく記憶にないぐらい前のことだったので、世潮は飛び上がる程驚いた。

東洋子はいつも、世潮の事を介護人だと思っていて、自分の二人の子供の自慢話をヨシオにするのが常だった。
何百回、同じ話を聞いただろうか。
東洋子にとって世潮はいつも、介護の兄ちゃんだった。

「俺のこと今、世潮と呼んだの?」と聞いた。

「そうや。あんたは、世潮やんか。」

「………。世潮って誰や。」と尋ねた。

「世潮ってあんたやないの。私の息子やないの。あんた自分の事忘れたんか。」と言った。

世潮は、返事をせず黙って東洋子に近づき横に座りながら手を握った。

「お帰りなさい。」

「俺はもう、介護の兄ちゃんと違うんや。」

「戻って来てくれてありがとう。」そして、顔を背けて泣いた。

「ひどい病気やったな。アルツハイマーは。」

「サイババさん、ありがとう。」

「ヴェーダの贈り物をありがとう。」と言った。

そして、神への感謝の心でいっぱいになり、

「ハレラーマ、ハレラーマ、ハラ シヴァ シャンカラ」とバジャン(神への賛歌)を歌い始めた。

東洋子は、ハッピーそうに手拍子を始めた。

母と息子の二人だけのバジャン。

ハートに残るバジャンと手拍子。

息子の歌で母は手拍子

そのリズムに乗せて

神々は、歓喜のシヴァダンスを踊る。

清き心の母と、それを慕う孝行息子。

神々も喜ぶ 狂喜のシヴァダンス

クリシュナ神も、ラーマ神も、イエスも、仏陀も、アッラーも

一同に集って、さあ、この母と息子を祝福しよう。


これが東洋子の今生での最後のバジャンになった。

その後、東洋子は孫などの顔を見ながら名前を正しく呼んで、一人一人抱き合って喜んでいた。

「世潮や、嫁さんや、こうして、素晴らしい孫たちに囲まれて私は幸せや。みんなに会えて嬉しい。」と久しぶりに会ったように言った。

その後、興奮して疲れたのか熟睡したまま夕方まで起きてこなかった。
夕方、いつもの散歩に行くために起こすと、

「散歩に行こか。」

「行くよ。」

「いつまでも寝てたら身体に悪いもんな。」

「そうやな。」

という健常者と変わらない普通の会話をして、家を出た。
いつものように二人で手をつなぎながら、時には腕を組んで歩いた。

東洋子はとても楽しげだった。

「この道良く来たな。」と、世潮は言った。

「うん。よく来た。」

「私はあなたから遅れないように、ずっと一生懸命後ろから着いて来たんだよ。」

「こんな高い霊的なレベルまで連れてきてくれてありがとう。」と、東洋子は言った。

世潮は「霊的レベル?いや、着いてきてくれてありがとう。」と言った。

すると「私は良いお母さんやったか?」と尋ねて来た。

「そうやな、世界一の最高のお母さんや。ありがとう。」と答えた。

それを聞くと東洋子は、「こんなお母さん、世界中探してもおれへんで。」

とイタズラっ子のような笑みを浮かべながら言った。

世潮は「またサイババさんがお袋になって、自分と話している」と感じた。

東洋子は長い間宙を見上げるようにしていたが、やがてポツリと言った。

「もうすぐやな。サイババさんが戻って来られるのは。」

その後、座り慣れた芝生の見える公園のベンチに腰を下ろした。
いつもだと、空を飛んでいるペリカンやオウムを見て喜んだり、クッカバラの鳴き声を聞いて楽しんだり、走りまわっている子供や犬を見たりするのだけれど、この日は、世潮の顔だけを目をいっぱいに大きく開けて、何も話さず満面の笑みを浮かべて見つめていた。

そして世潮の頭をなでたり、手を握ったりしていた。

世潮もほほ笑み返した。
東洋子は、世潮の目をそらさずにずっと見つめていた。

世潮は、「俺が生まれた時から、この人からこんなにも愛してもらっている。」

「ずっと愛してもらっている。なのに俺は、自分がすべき介護を放棄して、この人を一瞬でも老人ホームへ入れようと思った。」

「なんて罪作りな息子なんだろう。」

「俺はあなたが死ぬまで、どんなことがあっても愛を最大限捧げて、あなたを最後まで自分で面倒見ます。」

「あなたが経てきた苦労とは比べられないけれど、再婚もせず、私たち兄妹のために人生を犠牲にして育て上げてくれたことに対する、ほんの少しだけの御返しです。」

「母、東洋子は、世界で一番幸せなアルツハイマー病の患者だったと、世界中の人に誇りを持って宣言出来るぐらい最後まで精一杯介護をします。」

と心で誓った。すると、世潮を見つめていた東洋子の顔が、突然サイババさんの顔に変わった。

そして世潮を見て微笑んだ。あの見慣れたスワミの慈悲溢れる目で…。

世潮は、ベンチから落ちそうになるぐらい驚いた。

「スワミ、スワミだ。」と言おうとしたが声が出なかった。

涙を必死でこらえた。
身体全体が燃え尽きるぐらいの愛のパワーだった。
インタビュールームでサイババさんのすぐ横に座り、目を至近距離で見入られたときと同じ感覚だった。
こんなところで、サイババさんを至近距離で見れるとは予想だにしていなかった。
しばらく口もきけずに、唖然としてただ見つめていた。

やがて東洋子の顔は、元に戻っていた。
先ほどの興奮がまだ体全体を火照らせていた。
そして、少し気を落ち着かそうとベンチを立って10メートルほど歩くと、

突然、後ろから「世潮!どこに行くんや。どこにも行かないでー!」

「私のそばに戻って来て~!」

「ここに来て~!」と、

のどの底から、魂を振り絞ったような大きな声で叫んだ。

世潮は「どこにも行かないよー!いつもそばにいるよー!」

と言って走って横に座り手を握ると、東洋子は幸せそうに世潮の手をギュッと握り返した。
それが、東洋子の最後の言葉だった。

家に戻り、いつものように大好きなお風呂に浸かってしばらくすると、眠るように息を引き取った。
安らかな死に顔だった。
あくる日世潮は、気が抜けたように妻と二人で、東洋子が愛していたインド洋のビーチをフラフラと歩いていた。

どこに行っても、東洋子との思い出の場所から逃げることは出来なかった。
何を見ても、母親との事が思い出された。
十二年の介護の歳月の思い出は、すぐに拭い去ることは出来なかった。
風がとても強く荒れた日だった。波も結構高かった。

世潮は妻に何も言わず、海に入る合図をした。
いつもの合図だった。
しばらく沖に向かって泳いだ。岸が遠ざかり、だんだん波間からも見えなくなって行った。
波が高く、周りは波の壁しか見えなかった。
強風が、波と波の間を水しぶきを撒き散らしながら駆け抜けて行った。

世潮は東洋子に連れられて、カトリックの小学校に入れられた。
毎日、マリア様にお祈りをする習慣をつけられた。
寝る前に、マリア様にお祈りしていたお願い事というのは、母、東洋子の事だった。
父をあんなに愛していたのに、一人になってしまった母が不憫だった。

父と母と三人で夜になると、大阪の中之島界隈を大きなバイクでぶっ飛ばして走った。
そして最後に行きつけの屋台のラーメンを食べに行き、三人で仲良く顔をつき合わして食べた。
冗談の大好きな、とても明るい父だった。
母もよく笑っていた。
自分も二人が笑うと理由もなく一緒に笑った。
それを見て、父母も更に笑った。

父が亡くなったのは世潮が四歳の時だった。
世潮はそれ以来笑わなくなった。
母の嗚咽する声が、毎晩母の寝室から聞こえて来たから。

可哀想な母が幸せになりますようにと、毎日マリア様にお祈りをしていた。
自分ができる限り母を幸せにしてあげようと子供心に決意していた。

波に身体を浮かべながら世潮は東洋子に許しを乞うた。

お母さん。あの時、オムツが濡れていたのを知っていたのに、面倒臭くて替えませんでした。ごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん。あの時、お風呂の湯が熱すぎて、のぼせさせてしまったことを。ごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん。散歩が面倒な時があって、近道して帰ったことがありました。あなたの、唯一の楽しみだったのに。ごめんなさい。どうか許して下さい。

お母さん。朝寝坊して、朝の挨拶が遅れ、お腹をすかしたまま長い間ほおっておいてごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん。介護を始めてた頃とても辛くてあなたが早く逝けば楽になるのに、と思ったことが何度もありました。ごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん。あなたのしものお世話をさせてもらっている時、汚物が手などに付いて取り乱し、あなたを傷つけてしまいました。

ごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん……

母に、十二年間の介護生活で自分が思いつく限りの不手際の許しを乞うた。

そして、心にいつも思っていたけれど口に出して始めて叫んで言った。

「愛してたよ~!お母さん!今までいっぱい愛をくれてありがとう~!」

そして世潮は、東洋子が亡くなってから初めて大声で泣いた。
周りは、波の壁しか見えなかった。
波のしぶきが、時折り喉の奥に突き刺さって痛かった。
泣き声が、その度に壊れた蓄音機のような音になった。
しばらくすると声が聞こえた。
東洋子の声だ。

「世潮…世潮…私は…幸せでした。とても幸せでした。ありがとう…本当にありがとう……」

そのあと、東洋子の声がサイババの声に変わった。

「お前はいつになったら、気づくのかい。」

「私が東洋子だったという事を。」

「私はパーフェクトなアクターなのだ。」

「お前にそのヒントを与えるために、東洋子を通じて私は私自身を顕して、お前を見つめたのだ。」

「実は、お前はずっと私の介護をしていたのだよ。」

「お前は今まで何度もそれに気付いていたはずだ。」

「もう泣くのはおやめ。」

「私まで苦しくなるから…」

「幸せになりなさい。」

「満足しておるよ。」

「息子よ……よくやった。」



神の恩寵は、真の信者の上に限りなく降り注ぐ。

信者と神の関係は、目とそれを守るまぶたのようなもの。

いかなるカルマを背負っていても、神は信者を見捨てることは絶対ない。

たとえ不治の病でも、癒せない病はない。

信者がいて神がいる。神がいて信者もいる。


愚か者よ。

お前が自分を信者と思っている限り、お前はずっと信者なのだ。

本当の本当は、信者と神はひとつなり。

二つは一つで、一つが二つに見えるだけ。

それだからこそ、信者が汚れなき心で神を呼べば、

この世の中で、癒せない難病など何ひとつもない。

アルツハイマー病でも、癌でも

それらは唯の、信者と神を結びつける為の創造主のオモチャなり。


(完)

今回の記事を歌にしてみました。是非お聞き下さいね。
https://m.youtube.com/watch?v=iJdpmdaJD40

東洋子のお話は、英語版ですがBlack Inc.より「TOYO」というタイトルで発売されています。
http://www.amazon.com/Toyo-A-Memoir-Lily-Chan-ebook/dp/B0090WXH3G

オーストラリア女流新人作家に贈られるドビー文学賞受賞作品
コリンローデリック賞候補作品

認知症も癒すヴェーダの力❷

2019-03-29 04:00:32 | 日記

ヴェーダは、天啓経典とも言われていて、その作者は無く、神そのものであると言われている。
その、ヴェーダの一語一句は、言霊そのもので真理である為、強力な霊的パワーを秘めているのだ。
少し、霊感が強い人なら、その強烈なバイブレーションに圧倒される事だろう。
インドでは、数字ひとつ一つに意味を持たすニューメオロジーという学問が盛んで、ヴェーダの一語一句に数字を当てはめて行き、霊眼でそれを読み取ると小数点以下、何十桁もの円周率が読み取れるという。

まさしく、人智では決して解明できない、神の世界の御業なのだ。
ルッドラム チャマカムの第十一章もたくさんの数字が出て来て、そのほとんどが神から数字を使う許可を得るお祈りで占められている。
古代の社会では数字でさえ特別な神聖な意味を持っていて、聖者たちがそれらを使って、いろんな儀式、ホロスコープ、供儀などに役立てていたのだろう。
現代でも、一部の数学者は、9という数字や、黄金分割線がスペシャルなことに気付き始めている。神の息吹そのものである天啓経典ヴェーダの中でも、最も強力なのが世潮たちが毎日唱えているルッドラムなのだ。
またある解説によると、チャマカムの第11章で唱えられている数字は、生命と知性の進化を可能にするアパまたは、水を形成する高分子鎖を表し、アパとはDNAの窒素塩基対である。
そして1から33までの数字はミトコンドリアDNAの3万3000塩基対を表す。
また、4から48までの数字は4800万のDNA核塩基を表している。
ふたつのDNA塩基のセットは、人間の生命の進化発展と人類の幸福の維持をもたらすために結びつく。
帰依者がこれらの数字の恩恵を祈るとき、実は人類の安寧と幸福の維持をもたらす、すべてのDNA塩基を授かることができるように祈っていることになるのだとある。
この物質世界は創造主ブラフマンが意志して光を放射し、それが物質化して行ったとヴェーダでは教えている。ルッドラムはその粒子と波動の二つの性質を持つ光の一番細かい波動を表していると信じられている。だから世潮が信じている重要な事は、そのルッドラムの意味を解釈する事よりも、ルッドラムを唱えるに当たって、リズムとテンポが正確に唱えられる事なのだ。
つまり、先ずルッドラムがあって、それからその意味を神によって付け加えられたのだ。歌を作るのに、曲が先で、歌詞を後に付ける音楽家がいるが、それと同じなのだ。
世潮はルッドラムを6倍速で聞いた事があるが、特に世俗的な願い事をするチャマカムの、そのとてつもないパワーに圧倒された事がある。
まるで宇宙創成されたばかりの、ビッグバンの只中にいたような気になったのだ。
コオロギの鳴き声を何倍もスローにして聴くと、フルオーケストラの演奏のように聞こえるけれど、実はルッドラムも、ビッグバンの時の宇宙創成時の一番細かい波動を持っている大音響を人が唱えれるように、その音を何万倍もスローにした音なのだ。だからルッドラムは、全ての物質原子や音の中に存在し、それを唱えると身体のDNAがリセットされ、浄化されるのだ。

何れにしても、ルッドラムはとても人智では及ばないとても奥行きの深いヴェーダのお祈りなのだ。

もともとルッドラとは、ヒンドゥーの神様であるシヴァ神のことで、新しい世界を創造ためにこの汚れた世を破壊するための神様なのだ。
そして、ルッドラムというお祈りの意味の概略は、その世界の破壊から少しでも人々をお救いください。お怒りをお鎮めください。というものなのだ。
このヴェーダをサイババさんが御降臨されて、八十余年後の今の時代になって初めて信者たちにプロモートされるというのは、大きな意味があるのだ。
どうして、今になってルッドラムなのか
それの本当の理由を、サイババさんは明らかにされない。しかし、ヒントは与えられている。
それは、ルッドラム ナマカム第五章にあるのだ。
サイババさんは、ヴェーダは人類全てに対する神様からの贈り物だと言われている。
それゆえ、インド人だけではなく世界中の人が、あの難しい世界最古の言語サンスクリット語で書かれたお祈りから、御利益を得ることが出来るのである。
ルッドラムを修得するように、という命が出てしばらくしてから、サイババさんはある一人のイランから来て、サイババスクールに寄宿している男の子を呼び、こんな小さい外国人の子供でさえもうルッドラムを唱えることが出来る。インド人である君たちも見習って、早く習得するようにと言われてから、その外国人の子にルッドラムナマカム第五章を唱えるように指示されたのだ。
その第五章にはどうか津波から私達をお守り下さい。というお祈りの言葉が入っているのだ。
イランは、サイババさんが物質化された未来の地図では、大きな地殻変動と大津波により、元の国土の形が変わるほどの影響を受けるのだ。でも、その子は宇宙を統べる神の化身の前でルッドラムの第五章を唱えた事により、大艱難から生き延びるであろう。
サイババさんはどんな小さな事であっても、意味の無い事は一切されないのだ。

ルッドラムの詠唱は、家族の欠かせない日課になっていた。
毎日二回、時によっては三回、東洋子の前で大きな声で唱えた。
最初は、学業や仕事で毎日忙しくしている子供達も、祭壇の前に座ってルッドラムのナマカムとチャマカムを含めた四つのヴェーダを唱えたあと、
グルマントラ、ガヤトリマントラ、シャンティマントラなど一時間近く、一日二回唱えるのは彼らにとっては苦痛だった様だが、それも少しずつ慣れてきたようだった。
何と言っても、それによっておばあちゃんの病状が改善されて来たことに気付いているし、自分達も心が平安になるようで、特に夜勤の多い次男はヴェーダの詠唱が始まるや否や、寝息を立てるのが常だった。
他の兄弟たちは、インドのサイババの学生に負けないようにとルッドラムを暗唱し始めた。

ヴェーダを唱えた後、自分の体の細胞がリセットされるのが分かる。

色んな世俗の汚れ、特に、人の悪い想念の力による魂の汚濁が浄化されるのだ。
東洋子はだんだんと普通の会話が出来るようになっていた。
人の言葉を聞き取るのは問題ではなくなった。
ただ、水槽の魚を見て、「綺麗な蝶々だね。」と言ったりして、単語と形が一致しないだけで、こちらがそれに慣れてくれば、何を言いたいのか分かるようになった。
体重も十五kgも増えた。
さすがに、いざという時のためにオムツは取れなかったが、ほとんど汚す前に自分でトイレに行きたい。と言えるようになっていた。
使い捨てオムツが使い捨てられなくなった。
昔から百貨店の中を見て歩くのが好きだったので、連れて行った。半日ウロウロして家に帰った。
「今日は、久しぶりに百貨店へ行ってよかったね。」と言うと

「でも、あんたは何も買わへんかったやんか。」と不満そうに言った。

あの大好きだった、インド洋に面したビーチに連れて行くと、

「今日は、ありがとう御座いました。また機会があれば、連れて来て下さい。」と頼んでいた。

ある日、いつものように朝の挨拶に行くと、ニコニコして「今日の朝方、サイババさんが夢に来られたよ。」といった。
驚いて、「どんな夢だったの。」と聞くと、

「『お前はこの世にまだ囚われられている。』と言われたよ。」

「そして、サイババさんが、両手でとても可愛い女の赤ちゃんを抱えていて、私に『どう?この子が好きか?』と聞かれたよ。」

「私が、こんなに可愛い子だったら、この子に生まれ変わってもいい。」

「というと、『そのようになる。』と言われたの。」

「あんなに可愛い赤ちゃんになって、生まれ変われるなんて嬉しい。」と、無邪気に喜んでいた。

いつも散歩で立ち寄る芝生が一面に広がる公園に行くと、白いオウムの一群が空を舞っていた。
東洋子が「ツエンティエイト」と言った。

世潮は、「いやあれはカカトゥーというオウムや。」

と言うと、また東洋子は「ツエンティエイト」と言った。

ツエンティエイトとは英語で28の事だが、オーストラリアではセキセイインコのことを指す。

世潮は何も答えず、無意識のうちに芝生でエサをあさっている、カカトゥーの数を数えていた。
二十八羽いた。
カカトゥーです

東洋子は、突然健常者のように「ここの芝生を見ていると昔、主人とよくデートに連れて行ってもらった六甲山のカントリーハウスの芝生を思い出すわ。」

と、今まで聞いたことのないような話をし始めることもあった。

散歩の帰りに、「ちょっと待って、」と言って少し寄り道し、白い野生の花が咲いているところへと行って一輪詰みながら、
「私、いつもあんたの嫁さんに世話になっているから、これお土産やねん。あの子にあげるねん。」と大事そうに持って帰った。

嫁さんは、「主人のダルマ(義務)を支えるのが私のダルマ。」と言って誠心誠意、義母に尽くしていた。

風呂上がりに服を着せていると、
「ありがとうございます。この御恩は決して忘れません。一生あなた方にありがとうと言い続けて生きて行きます。」と言った。

ある日、東洋子の部屋に入ると、「静かにしなさい。今お祈りしているところだから。」と言って、壁にかけてあるサイババさんのお写真に向かって、ガヤトリマントラを唱えていたのには、家族一同、ひっくり返るぐらい驚いた。
そして孫たちにも。「私と一緒にここに来てお祈りしなさい。」と言った。

また、毎週一回ファミリーバジャンをするが、大きな声でグルマントラも家族と一緒に唱え始めていた。

ある日、久しぶりに知り合いの人が訪れた。その日の夜は暑くて、寝ている間に自分でシャツを脱いでしまい、朝方冷えたので、少し体調を壊していた。
知り合いの人は、以前の東洋子に話しかけるように「東洋ママは、何にも分からんから仕方ないやんな。」と慰めるつもりで言った。

世潮は、「しまった。」と思ったが手遅れだった。

東洋子は、以前の東洋子ではないのだ。
言ったことが全部分かるのだ。
東洋子の頬に涙がそっと流れた。


アルツハイマーと診断されて十二年が過ぎていた。
もう四年以上も何の投薬もしていなかった。
サプリメントも山芋の粉末以外、何も摂っていなかった。
人と違う特別なことと言えば、家族中でベジタリアンで、お酒もタバコもやらない。白砂糖も摂らないというぐらいだ。
東洋子はだんだんと、元の東洋子に戻って行きつつあった。
ヴェーダの力は、驚異的だった。
このままどこまで、東洋子が元の東洋子に戻って行くのか、想像もつかなかった。

ヴェーダを規則的に学びヴェーダの指示を実践するなら、人間はあらゆる種類の富を授かります。
人の生活と運命を支配する基本的な原理がヴェーダには含まれています。
ヴェーダは全人類の幸福のための神からの贈りものです。
ヴェーダは宗教や身分や国籍をもとに区別 をするようなことはありません。
ヴェーダのマントラはすべての人が唱えることができます。
ヴェーダがすべての国に広がり、宗教や身分や国籍などによらず、すべての人がヴェーダを学び唱えることがスワミの望みです。

9/8/06

サストリー兄弟が詠唱するルッドラムのナマカムとチャマカムやその他五つ程のヴェーダです。約一時間あります。https://m.youtube.com/watch?v=ISik_cjsmJA
ヴェーダの無料講習会が各地のサイオーガニゼーション開かれているようです。

認知症も癒すヴェーダの力①

2019-03-28 04:00:59 | 日記

福山加代子は、五島列島の富江出身で、その昔、隠れキリスタンの島で有名な同じ五島の中通島から迫害を受け、逃げて来た家族で育った。
五島列島の教会


縁があって、高橋興蔵という仙台出身の、当時、日本の植民地だった青島で大きな会社を経営しているビジネスマンと一緒になり、東洋子という娘を生んだ。

興蔵は戦後間もなくして亡くなり、東洋子は、母一人娘一人の家庭で育った。
加代子は、夜中になると起き出して一晩中、墨と筆で壁一面に何やら書いていた。
そして、朝起きても、その事を全く覚えておらず、逆に自分と全く違う書体と文体、しかも内容も自分が全く預かり知らぬ、霊の世界の事なので誰かが夜中に入ってきてイタズラでもしていると思っていた。
東洋子は、その母の奇妙な振る舞いに恐れおののき、人からそれはお筆書きといって、誰かの霊が乗り移っていると教えられたので、何度も一人でお百度参りをするうちに母、加代子の奇行は見られなくなった。

加代子が亡くなったのは、東洋子がまだ18歳の時だった。その後東洋子は結婚して二人の子を授かったが、そのあとすぐに今度は夫が病で世を去った。
東洋子は、若干二十三歳だった。
その後、三歳と生後四ヶ月のふたりの幼い子を女手一つで育て上げて結婚させ、孫ができた頃にサイの帰依者となった。
サイババさんに、初めて会いに行った時、エコノミーチケットを買ったのに行きも帰りもファーストクラスの席に案内された。
アシュラムで他の信者から、サイババさんが東洋子の事を、前世でシルディのババに食事を世話した事がある、と言われた、ということを聞いた。

スワミ(サイババ)は、東洋子をインタビューに呼んだ時、満面の笑顔で「How are you?」と言って話しかけられた。
インタビュールームでスワミが目の前で話しておられるのを聞いていると、自分の今日までの苦労してきた人生のいろんな場面が、走馬灯のように、クルクルと目の前に現れては消えた。
そしてその自分では苦労の連続だと思っていた人生の後ろには、実はいつもサイババさんが見守っておられたんだ。という事を知った。
インドから戻り、毎日瞑想を始めると、人の頭の周りに色が浮かんで見えるようになった。

昔から直感力が強くて、息子や嫁とコインランドリーのチェーンを経営していたが、ある日、一人の客を見ると直ぐに、その人が凶悪人だと分かり警察に通報したことがある。
警察も、大変驚いていた。指名手配にされたばかりで、ポスターも出来ていなかった。
多分その頃から、少しオーラが見え始めていたのかもしれない。
その色によって、良い人か、悪人か、嘘をついているか、本当のこと言っているのかも分かる。
勿論、その人の性質などは、手に取るように分かる。
「ほとんどの人は、赤やね。」
「欲望が強すぎる。」と言っていた。
自分のこの能力は、家人にも話さないようにしていた。
しかし、朝に挨拶に来た息子や孫に、その日に起こるであろう出来事や、将来のことをアドバイスすることもあった。
67歳で、認知症アルツハイマー病と診断された。
最初は、徐々に進行していたが、だんだん進行が早くなって行った。
もう、人の顔を見分けることもできなくなり、身の回りの事も自分で出来なくなっていった。
トイレの場所も分からなくなり、家中、張り紙だらけになった。
また、キッチンでは、ガスや電気の付けっ放し、水道の出しっ放しなど、日常生活にも大きな影響が出て来た。
そんな頃、サイババさんが東洋子の部屋に現れ始めた。

私達には、見えないが東洋子には見えるらしい。
部屋で大きな声で、サイババさんと思われる人とよく話すようになった。
大声で笑っていた。楽しそうだった。
また、夜中に一人で廊下を独り言を言いながら歩いているので、何を言っているのかと、聞き耳を立てていると、ナント、私たちには見えないが、サイババさんに手を引かれてトイレに連れて行ってもらっているところだった。
しかし、時々、突然不機嫌になって理由もなく孫の顔をぶったり、悪態をついて嫁を泣かせたりしていた。
嵐が吹きすさぶ中、夜中にこそーっと忍び足で家を抜け出して、捜索願を出して警察にお世話になったのもこの頃であった。
まだ夜も明けやらぬ午前四時に大雨の中、道路の真ん中に崩れ落ちて濡れたボロ布のようにうずくまっていたのを、それをもう少しで間違ってはねようとした軽トラックの運転手に保護されたのだ。
家人が警察と一緒に自宅から2キロメートルも離れたところの家の居間で、暖炉の前でお茶をすすりながら座っている東洋子に駆けつけた時には、太陽が昇り始めていた。
東洋子は、毛布に包まりながら「この人たち面白いよ。私の事を、そー君って呼ぶんや。」と言った。
その家の人たちは東洋子を見てずぶ濡れだと言ったのだった。(Soaking wet)
東洋子は娘にプレゼントをあげるつもりだったらしく手に花をしっかり握りしめていた。

普段の生活はほとんど自分で何も出来なくなってしまってきたけれど、頭がしっかりしている時、東洋子は息子を枕元へ呼び、
「私は少し気狂いになっているんだ、と自分で思っています。」
「もしあなたと、嫁さんが私の世話をしきれない時が来れば、躊躇せず私を老人ホームに入れてください。」と言った。
確かに、もう限界だった。
夜中に、テスト勉強中の孫の部屋に入って悪態をついたり、食べ物や汚物を投げまくったりして、孫たちは、家中を走って逃げまくる時もあった。
もう、どうしても家では介護し切れないので、近くにあるまるでリゾートホテルのような、人口の滝まである、素晴らしい老人ホームがあるのでそこに入ってもらうことになった。

いよいよ入居の日、世潮は良心の呵責に苦しんでいた。
毎月の費用は、年金でまかなえるという。
保証金も退出時9割返還だという。
好い事だらけのように思えた。
マネージャーはニコニコして、「これであなたは介護の束縛から、自由になれますね。ご苦労さんでした。」と言った。
東洋子の以前通っていた陶芸教室の日本人の先生も、ここで働いているので言葉の心配はなさそうだ。
でも朝は、シャワーだという。
東洋子は、お風呂で無いとダメだ。
それに、乱暴になるとすぐに薬を処方するらしい。
「徘徊を始めても、廊下が口状になっているので、くるくると回れるだけで、どこにも行けないのです。」とマネージャーは誇らしげに言った。

「あなたのお母さんぐらい症状が進んでいると、すぐに寝たきりになっておとなしくなり、手がかからなくなりますよ。」
施設は立派だが、入居者の人格を尊重していないように思えた。
その朝、サイババさんが夢に出て来られた。

「東洋子の幸せだけを考えなさい。自分の事は、一番最後に。そうすれば答えは、自ずから出ます。」
そうだ。東洋子にとって家族と一緒に、孫たちと一緒に生活するのが一番なのだ。
家族に大きな迷惑をかけているが、みんなを説得してみよう。
それに、母の面倒を見るのは自分のダルマだ。
それを捨てる訳にはいかない。
と考え、老人ホームへ向かっていた車をUターンさせた。
そして、家族にみんなに迷惑をかけているけれど、何とかして、一緒に生活してあげて欲しい。
もしそれが叶わないのだったら、ここのすぐ近くに別居して、私一人で介護するから、いつでもおばあちゃんに、会いに来て欲しいと告げた。
みんなは、家族全員でやっぱり、おばあちゃんを見ると言ってくれた。
家族会議の翌日、サイババさんの御講話が載っている雑誌がインドから届いた。
サイババさんはご講話で、自分の母親を老人ホームに入れずに面倒みなさい。と書いてあった。

その後、地獄のような日々が続いたが、孫二人が大学生だったのにも関わらず、介護士の資格を取ってくれていた。
「今まで、お父さん、お母さんだけに頼っていたおばあちゃんの介護を、僕たちプロがするから問題ないよ。」
と言ってくれた。優しい子達だ。
車椅子生活になったのは76歳の時で、自分の事は、何一つ出来なくなっていた。
廃人の一歩手前だった。
身体も、くの字型に曲がり、食欲もなく、二十八kgまで体重も落ち、一日中寝てばかりで、お迎えはもう時間の問題だった。
もう発病して、九年目を迎えようとしていた。
ちょうどその頃、サイババさんが「ルッドラムを唱えなさい。」

と、ご講話でおっしゃったので、毎日、朝夕二回唱え始めた。
世潮は、うたた寝している時に、嫁が一人でルッドラムを詠唱しているのを聞いたことがある。
自分の身体の細胞の中の原子が突然激しく振動を始めた。
これが、シヴァダンスと表現されているパワーだと知った。
その結果、細胞一つひとつが活発化し始めて来て、血が沸騰しているようだった。
その後、そのパワーは、家全体を揺すり始め、遂に天井を突き破って天空を舞い上がり、世界中に拡散して行った。
凄いパワーだと思った。嫁が、ただ一人で詠唱しただけで、こんなにもすごい。
それ以来、家族全員で、詠唱することにした。東洋子は、おとなしく横に座って聞いていた。
時には調子に合わせて、手拍子もすることもあった。
東洋子の体重が目に見えて増え始めたのは、この頃だった。
そして、ほとんど話せなかったのに、少しずつ言葉が口から出てきた。
そうするうちに、歩き始め、食事も自分で出来るようになった。
もう、明らかだった。ヴェーダのお陰だ。と、家族の誰もが感じていた。

ヴェーダの詠唱を聞くだけでも、心を清めることが出来るのです。18/10/93
マントラから発する宇宙エネルギーは供儀の火壇の火から立ち上る炎と共に上昇し、全世界に広がり大気を清めます。
19/10/92



組長は怒った

2019-03-27 04:00:51 | 日記
 あなた方一人ひとりの内に愛は存在します。
しかし、あなた方はその愛をこの世的(物質的)な関係に向けています。
あなた方はいまだ、真の愛を味わったことがありません。
神を心の底から愛しなさい。
それが真の愛です。
人々は来ては去りますが、神は来ることも去ることもありません。
神はつねに存在します。
悲しみに巻き込まれたときは、幸せを思いなさい。
確実に幸せを体感できるでしょう。2005/1/14
 
ポニョ:今日は、あるガラの悪い帰依者の夢の中にある方が現れて、そいつを諭されたお話しです。

ヨシオ:そのガラの悪い帰依者って俺の事やろ?ああ、分かった。また、あの記事か?俺が恥をかいた話やろ。もうやめとこうやその話は。充分紹介したやないか。

ポニョ:そうは行かないのが、この世の中の面白いところでヤンス。

ヨシオ:どこが愛の物語なんや。ただガラが悪いだけやないか。

あなたは愛に満ちています。
実際、あなたの心ハートは愛にあふれています。
しかし、あなたはこの愛が外に溢れ出ることを邪魔しています。
本来、愛には障壁や障害はまったくありません!
絶え間なく、深く神を思い続けなさい。そうすれば、あなたは、肉体的にも、精神的にも、霊的にも、つねに幸せでいられます。2005/1/14

ヨシオ:俺がサイババさんの事知ったばかりの頃に、不思議な夢を見たんや。

ポニョ:ヤクザ同士の抗争の夢やろ。

ヨシオ:違うっちゅうに。夢の中で俺が一人で梅田の阪急百貨店のような大きな一階の売り場に、買い物に来てたんや。
とは言っても、何か特に買いたい物も無く、ウロウロしてたんや。

そうしてたら、目の前にネクタイの売り場があったので、「そうや。センスのええネクタイでも一本買おうか。」と思って見てたら店員の姉さんが来て、何本か洒落たネクタイをガラスのショウケースの上に並べてくれたんや。

そして、鏡も目の前に持って来てくれてどうぞ。と言って一本選んで渡してくれたんや。

それを手にとって自分の首のところへ持って行き鏡を見て、「どうや。これ似合うか。」て聞いたら、若い店員のお姉さんが「ブサイクな男には、どんなネクタイをしても似合わんな。」と言ったんや。

俺は、少し驚いて、聞き間違えたんかなと思い、その若い店員の顔を見ると、「あんたみたいなブ男に、つけるネクタイなんか無いって言うてるねん。」と言ったんや。

俺は、ちょっとムカッと来たけどすぐ気を取り直して、この若い店員の教育がなっとらんな、この百貨店は。多分この店員、頭いかれとるな。多分そうや。

と思ってネクタイをショウケースに戻して、何も言わずに立ち去ったんや。

すると、黒いスーツを着たおじさんが近づいて来て、四角い小さいテーブルに案内してくれてここにお座り下さい。と言ったんで腰かけたんや。

その黒いスーツのマン イン ブラックのおじさんは、今から引き継ぎの儀式をします。と言われたんや。

そして、自分はあなたの守護霊でした。そして今日からは…と言われた時に、近くの階段の方が少し騒がしくなって来たので見ると、VIPのような方がお連れの人達を引き連れて階段を降りて来ているのが見えたんや。

そしてその偉い方は、人を従えて俺の座っているところまで来られたんや。

すると俺の守護霊は、直ぐに立ち上がってその偉いさんに挨拶されたんや。

そして、俺にも「立ちなさい。そして挨拶しなさい。この方は普通の方ではない。とても高貴な方なるぞ。」と言われたので「なんや突然?それにこのおっさんは一体誰やねん」と思ったけど、俺も一応席を立って敬意を払って挨拶したんや。
そしたら、そのお方は俺の正面の席につかれて、俺たちにも座るように合図されたんや。
俺たちが席に着くと、おもむろに俺に向かって「お前は一つだけこの世にいる間に直しておかなければいけないものを持っておるな。」と言われたんや。

俺は「それは何ですか。」と尋ねると、

「ほれ、今しがたネクタイ売り場で、お前はあの女店員の態度が悪いから、一瞬だけでもムカッと来たやろう。それじゃ。」と言われたんや。

俺は「あの状況の下では、誰でもムカッとなりますよ。それに、俺、ムカッと来たけど態度に出してないし、顔にも出せへんかったと思うで。それのどこがあかんねん。」と少しきつく言い返したんや。

すると、そのお方は、「ほれ、今度はわしに向かってムカッと来とるやないか。もうちょっと修行を積まんといかんな。ちょっとプライドが高い。」と言われたんや。

俺は、今度は、まともにムカッと来て、「おっさん、見ず知らずのもんに向かっていきなり、プライドが高いとかなんとか抜かしやがって、俺に喧嘩売ってるんか?俺はな、大阪の下町、天満の天神さんのお膝元で生まれ育ち、売られた喧嘩は一回でも負けたことがないんやど。あだ名も組長やったんや。」

「その俺に喧嘩売っとんのんか。根性あるやないけ。元はと言えば、おっさんの方が失礼やないか。ええ加減にさらせ。」

「あのな、おっさん!あんたがどんな偉い、高貴なおっさんか知らんけどな。物事には、道理ってもんがあるんや。」

「俺は客で、あの生意気な小娘は店員や。そのケツの青い小娘店員が、このお客のワシに向かって偉そうな口をききやがったら、誰でもムカッと来るのが当たり前やないけ。」

「そうではなく、ただ黙ってヘラヘラ笑ってへっこむような奴は、お釜か、ケツの毛を根こそぎ抜かれてるペンペン野郎だけや。おっさん、初対面のくせに偉そうな口を聞くんじゃねえ。」

「昔の俺やったらな、店長呼んで土下座さすとこやったんやで。」

「それになあ。おっさん。ええ事教えといたるわ。この世には、上には上があるんじゃ。あんたが、どんな高貴なお方か知らんけど、あんたのもっと上のお方がこの世に来られてるんやで。」

「あんたより、もっと高いところから降りて来られてるんや。悔しいやろ。ええ?おっさん。」

「あんたが俺の守護霊やて?こっちからごめん被るわ。」

「俺にはそのトップから来られてるアヴァターがいてるんや。」

「高貴のおっさんは、いくら高級霊か知らんけど、隠居しとき。仕事は無くなったわ。悪いけどな。」

「まあここまで俺の啖呵を我慢して聞いてくれたから、そのお方の名前を教えたろか。」

「よーく耳の穴ほじくって聞けよ。一回だけ言うたるからな。」

「この世を正すために、全知、全能、全在の愛の神さんが、人の姿を取ってこの世界に来られているんや。」

「ええか。おっさん。よう聞けよ。その方の名前はサティヤ サイババというんや。よく覚えとけよ。高貴なおっさん。」
と言ったとたん、そのおっさんの顔が、サイババさんの顔に変わったんや。

俺は、「あっ」と叫び、びっくりして椅子から落ちそうになったんや。

そして、そのおっさんだったサイババさんは、俺の事をニコニコ笑って見てくれてたんや。

それから、目が覚めた。

俺は、目が覚めてからも興奮していて、もちろん夢の中とはいえ久しぶりに啖呵も切ったし、何よりも、あのおっさんがサイババさんで、しかも自分の新しい守護霊でその神様御自身が、俺の守護霊ということが分かって嬉しいやら、恥ずかしいやら。だって俺はその神さんに啖呵を切ってしもうたんや。

その夢から分かったんは、俺はこの世で生きている間にプライドを低くせなあかんということや。

あのような小娘にバカにされる事を言われるような状況でも、これからはブサイク、ブ男と言っていただいてありがとうございます。と言えるようにならないあかんと云う事や。

残念なことに、今日、あなたは数々の欲望のせいで、このような至福の神聖な性質を失っています。
もしこうした欲望を切り離すことができれば、あなたはつねに至福に満たされているでしょう。
たとえば、ここに白い布があります。白さがこの布の本質です。
しかし、いつも使っていることにより、この布は汚れます。
同じように、あなたの心ハートもつねに純粋で、明るく、至福に満ちています。しかし、心は欲望によって汚れます。
ですから、愛を培い、心をつねに純粋にしておきなさい。
そうすれば、あなたは人生のいかなる瞬間においても至福に満たされるでしょう。
しかし、あなたは、至福の内なる本質を忘れてしまい、つねに、悩みと不幸に浸っています。14/1/05

実際、サイババさんの信者になって、自分のプライドがペチャンコになるぐらい、数え切れないくらいの試練やテストがやって来たで。

その試練の時、苦しい時に自分があのおっさんサイババさんに、知らなかったとはいえめちゃ偉そうな啖呵を切ってしまった事を思い出すんや。

試練やテストが来た時に、ここは我慢の時や。忍耐の時や。

堅忍不抜の精神を発揮する時や。ここで言い返したらあかん。我慢しろ。

表情にも出すな。言葉も優しく話せ。

本来のあのガラの悪いお前に戻るな。
喧嘩早いくせは直せ。手は絶対出すな。

口もや。我慢して耐えろ。と自分で言い聞かすんや。

もう三十年ぐらい前の話や。

だから、あの夢以来怒ったことは無い。もう啖呵も長いこと切ってないから、どうやって切るのかも忘れた。

俺はこの三十年間サイババさんに導かれて、霊性修行させてもらったおかげで、少しはマシな性格になったと思う。

ポニョ:そうなんや。なんでサイババさんがインタビュールームであんたのほっぺたパチンとされたんかが分かったわ。

ほんまに、あんたやんちゃやってんな。

でも三十年前のあんた、カリが来てる時の今のおいらに似てるな。

今でもあんたまだ充分啖呵切れるで。ほんまのヤーさんみたいやったで。

ふーん、知らんかったわ。あんたのあだ名。組長やて…。

合うてるわ。態度がいつもデカイし、どんがらもデカイしピッタリや。

ヨシオ:じゃかーしわい!ええ加減なこと言うたら、いてまうで!

ポニョ:あっ!今、怒ったやろ。なーんや、まだプライドあるやんか。

賢人と呼ばれている人は、悪事に関与せず、自らの内なるアートマへの思念をよりどころとし、プライドもなく、世俗ごとに惑わされることも無い。
そして感覚的な欲望を引き起こす物事から距離を置き、楽しみや苦しみからも自由になっていて、そういう人は生きているにも関わらず、すでに解脱に達しているのである。

ガルーダプラナP75