サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

一部託半託全託して神の御宅に帰宅(下)

2015-12-31 00:00:48 | 日記
妻が夫に従い、夫が妻に従う時その家庭には大いなる幸福があります。
自分の家庭がそのような一体性と調和を得るように努めなさい。
そうすればあなたの一生は何の心配事もない幸せで平安に満ちたものになるでしょう。
あなたの心配事は全てあなた自身が作っているのです。
心配事は神から与えられたものではありません。
神は、離れた場所にいるのではありません。
神はあなたの内にいます。
この真実へのゆるぎない信念を持ちなさい。
そうすれば、個人だけではなく、社会にも幸福が訪れるでしょう。
純粋な心は神の社です。
ですから、あなたの心に愛を育てなさい。
そうすれば、人生で何事でも成し遂げることが出来るでしょう。
夫と妻が同じ見解を分かち合っていたら、家庭に平安と幸せが訪れるでしょう。22/11/2010

ポニョ:先日の話の続きやけれどあんたの嫁さんは文句を言った事が無いんか?

ヨシオ:そら、女やからその日のおかずを買いに行けるお金が無かったら文句の一つも二つもいうやろ。でも、基本的には俺よりも能天気であまり気にして無いな。昔から欲って無い人なんや。百円ショップで一つか二つなんか買っただけで、一週間ぐらい喜んでるな。すぐにハッピーになれるから安上がりや。

ポニョ:安上がりは無いやろ。

ヨシオ:お腹が空いた時に少し不機嫌になるところなんかはポニョとそっくりやけどな。でもそれまでに周りにあるもので食べれるものを口に入れてるから、機嫌が悪くなるまでお腹が空くって事は無いな。それにそれだけお腹が空くまでに胃痛になるんや。まあ、持病かな。

ポニョ:おいらはよくお腹が空けばキリキリと胃に刺すような痛みが走るけれど、それと一緒かな?それって痛いんやで。今日は大晦日で年越しそばやらいろんなものを食べる機会があるけれど、外国に旅行に行っている時は、食生活が不規則になるからよくおいらも胃痛になったぜよ。でも、あんたは恵まれているよな。この前亡くなったお袋さんもとても良い人やったし、嫁さんも良い人やし、子供たちもみんな素直で天使みたいやし。ええカルマ持ってるってすぐに分かるよな。毎日、天国にいるような生活やぜよ。

ヨシオ:そうやな。全然ストレスも無いし、こんな生活させてもらってもええのかな?って感じやな。朝起きてから夜寝るまで嫌な事一つ無いな。いつもババと一緒に生活してるって実感してるし。

ポニョ:これも全てをババに委ねているからやろな。神に全てを委ねるって言うは易し、行うは難しでなかなか誰でもできる事じゃ無いよなそういや、ババが面白い話をされていたぜよ。敬虔なイスラム教徒の大金持ちが、自分の娘に婿を探していたんや。別に金持ちであっても無くても良いので、とにかく自分のような敬虔なイスラム教徒の若者を探していたんや。すると、その金持ちの目に一人の若者が目に止まったんや。その若者は礼拝が終わってもいつもモスクの片隅に座っていて、アッラーを黙想してたんや。金持ちのお父さんはその若者なら敬虔なイスラム教徒に違いないと思って娘の婿にしようと若者の承諾を得て。二人を結婚させたんや。結婚式が終わってから、新婦は何も部屋に無い家に新郎と行ったんや。そこで新婦は部屋の隅の方に小さいパンのかけらがあるのを見つけたんや。それで夫にこのパンのかけらがなぜここに置いてあるのですかと聞くと、新郎はそのパンは私が托鉢をして回っても食べ物にありつけない時のための非常用のパンなのだ。と言ったんや。花嫁はその話を聞いて直ぐに家を出て実家に帰ったんや。お父さんは驚いてどうしたのか娘に聞くと娘はこう言ったんや。「あのお父さんが勧めてくださった、若者はアッラーに全託帰依しいない全く形だけの帰依者です。というのも托鉢に出かけて食料がもらえなかった時のために、予備のパンのかけらをいつも蓄えているからです。本当のアッラーの帰依者であればこういう事をするわけは無いでしょう。彼はまやかし者です。お父さん。」と言ったんや。

ヨシオ:ふーん、それで実家に帰って来たんか。それって、幾ら何でもちょっと潔癖過ぎるやろ。いくらババが言われた話でもその青年が可哀想やないか。でもその花嫁さん、俺のお袋によく似てるな。めちゃ潔癖やったからな。

ポニョ:ババが神に全託するという意味は、これくらいしなくてはいけないよと言いたくて、このような潔癖な花嫁さんの例を出されたんやろな。

ヨシオ:そのような帰依者の全託度を試す例を、ババは時々話されるよな。俺が知っているのは、シヴァ神とお妃のパールヴァティが自分たちの帰依者が強盗に襲われているのを天上から見ていたんや。その帰依者は強盗に身ぐるみ剥がされて殴られていたんや。それを見たパールヴァティはシヴァ神に、私たちの帰依者があんなに酷く殴られています。早く行って助けてあげましょう。と言うとシヴァ神はもう少し様子を見て見ようと言って眺めていると、今まで強盗に襲われて殴られっぱなしやった帰依者が突然反撃し始めて強盗共を懲らしめているんや。シヴァ神は、ほら、あの帰依者には私たちの助けなんて要らなかっただろ。自分で反撃しているよ。もし、私たちの助けを求めて私たちの名前を呼び始めたら、私は助けに行こうとしたんだけれど彼はそうはしなかった。最初から私たちの名を唱えて助けを求めていたら直ぐに行ってあげたのにな。と言われたんや。

私は、自分自身を私に全託する人々を救うために降臨しました。人々が『私はあなたのものです。それゆえ、あなたは私を救ってくださらなければなりません』と一度でも心の底から祈るなら、私はその人を受け入れ、行為と結果、生死の輪廻、という悪循環からその人を救い出します。実際、私の愛を理解していない人々は、なぜ私が悪事を働く人々を保護するのか不思議に思っています。もし私が罪びとを受け入れず、罪びとを変容させないなら、いったい誰がそれを行うというのですか? ND

ポニョ:つまり、人は何か困った時には、直ぐに神の方へ顔を向けて助けを求めなさいって事なんか?

ヨシオ:俺やったら先ず、神様からいただいている知恵を使って困難を切り抜ける事を考えるやろな。それでどうしても切り抜けられない時は、神様に助けてもらうやろな。でもその帰依者のように暴力を振るったらダメやろな。

ポニョ:ふーんそうなんや。たまにはまともな事を言うやんか。口が出るより、手が出る方が速かったあんたのセリフでは無いぜよ。

信仰の目的とは、自らのハートにおわす神を認識する事、そしてその神の光と力をあなたの身体を通じて顕現さすことです。
これが成し遂げられたなら、この世の全てのものに対して投げかけられている神の愛があなたのハートの中から溢れ出てくることでしょう。
そうなれば、あなたの目はあらゆるものの中に神を見、あなたの手は万人のために良いことだけをするために使われ、そしてその結果、あなた自身が神の化身そのものとなり、至福に満ち、永遠の法悦を味わうことでしょう。
この状態にあっては、帰依者と神との違いは消え失せてしまいます。
常に神を憶念し、神に全託することによって帰依者は神自身となります。
それゆえ、あなたが常に神を思うなら、あなたは神の似姿となるのです。
その時、永遠の歓喜と平安を味わうのは他でもなく、あなた自身なのです。PD42

ヨシオ:何がたまにはまともな事を言うや?ポニョの方がいつもトンチンカンなことばっかり言ってるやないか。

ポニョ:まあ、今日は大晦日やから好きな事を言わしてもらいましょか。今年もババは帰って来られなかったし。来年こそ帰って来て欲しいぜよ。

ヨシオ:神さんの御計画って俺たち凡人には計り知れないからな。でも来年戻って来られても少なくとも五年はこの世界におられるから、世界を千年至福の時代にするには十分過ぎるくらい時間はあるやろな。

ポニョ:生きておられたら来年は91歳で、肉体を離れらるのは96歳と言っておられたから、確かに五年間あるよな。

ヨシオ:まあ慌てずにゆっくりと構えて、来年も神様の御遊戯を高みの見物させてもらいましょか?

ポニョ:おいらたちもそれほど人生が残っているわけじゃ無いけれど、毎日毎日を少しでも世界のため、社会のために有意義に過ごして行きたいよな。

ヨシオ:残りの人生か…。あとどれくらい生きれるんやろな?そういや先日、嫁さんと二人でインド洋に沈む夕日を見に海岸に散歩に行ったんや。二人で砂浜に座ってゆっくりと夕日が沈んでいるの見ながらガヤトリマントラを唱えていたんや。すると俺よりも少し年取ってる感じの爺ちゃんが仔犬と散歩してたんや。俺はその爺ちゃんを見ながら嫁さんにこう言ったんや。「多分あの爺ちゃんは最近連れ添いを亡くされたので、誰かに仔犬をプレゼントしてもらったんやろな」って。すると嫁さんはこう言ったんや。「私たちめぐり合ってもう半世紀近く経つんですね。私、一つ神さんにお願いをしたんです。それはあなたが私より先に逝ってしまわれると、私は多分辛くて生きて行けそうに無いので、私の方が先に逝かせて下さいねって。もちろん同じ頃に逝くのが理想的だけれど…。でもそういうわけにはいかないでしょう?でも安心してね。もし私の方が早く死んでも、私はあの爺ちゃんが連れて歩いていた仔犬になって生まれ変わってあげるよ。そして一日中あなたの周りにまとわりついて、あなたを退屈しないように飛び跳ねたりして遊んであげるよ。だから犬に生まれ変わった私を大事にしてね。」と言って砂浜の上を犬の真似をしてワンワン吠えながら飛び跳ねるんや。俺はその姿が可笑しくて笑い転げていたんやけれど、でも涙が出て来たんや。だって犬になって生まれ変わっても、俺の事を思って愛してくれているって、素晴らしい嫁さんやなって思ったんや。一生俺を信じて、いつもニコニコして文句一つ言わずに着いて来てくれて、俺のために尽くしてくれて、五人も子供を産んでくれて本当にありがたいなって思ったんや。俺はその時に、俺の残りの人生をこの女性を幸せにするために、どんな事でもしなくては行けないなって決心したんや。

ポニョ:ご馳走さんでした。という事で今年最後の記事は如何でしたか?来年もババが再降臨される日まで、毎日は無理ですが、できる限り記事をアップして行きますので、どうぞそれまで御付き合い下さいね。
それでは読者の皆様、良いお年をお迎えください。
サイラム

献身的で信仰心の篤い従順な妻は、夫を神への道と神聖な徳の実践に導くことが出来ます。
一方妻や夫が、それぞれのパートナーを神への道から引き離し、霊性から感覚のレベルに引きずり降ろすなら、それは家庭と呼ぶことは出来ない、亡霊や悪霊が大騒ぎしている地獄です。
夫と妻が偉大な理想のもとに、生涯を送る家庭、共に神の御名の栄光を歌い、良き行為に時間を使い、真理と平安と愛が行き渡っていて、毎日欠かさず神聖な書物が読まれ、感覚を支配し、あらゆる生き物は基本的に一つであるということを認識して、万物を平等に扱う家庭は、地上の天国です。DVJp34

それからのラーマ【13】

2015-12-30 00:00:31 | 日記

ポニョ:今日はいよいよ「それからのラーマ」の最終回です。結構思ったより長かったよな。

ヨシオ:当初は、三回分だけで終われると思ったんやけれど、この次の「それからのシータ」シリーズも入れると、二十回近くも連載してしまう事になったよな。

ポニョ:というわけで、新年からは「それからのシータ」シリーズをお送りいたします。あれほど素晴らしい王国から、ラーマがなぜ妊娠しているシータを森に追放したのか全然分からないぜよ。普通やったら酷い亭主やなんて言って、手厳しい批判の嵐に晒されるけどな。

ヨシオ:そうやろな。それでは、新年から始まるシータの物語をお楽しみにして下さいね。

ポニョ:新年から今までのようにシータのお話を二日に一回ずつ更新して合間に、前日お届けした物語のよもやま話しやら、いろいろな話しを相棒として行きたいと思っています。それでは、それからのラーマの最終回をお送りします。

王国の臣民たちは、時間がある時には聖なる者の中でも最も聖なるラーマに関する魅惑的な物語を歌って過ごしました。
人によってはヨガをしたり、たくさんの儀式を執り行って神様に願を掛けますが、その人のハートの中に神への愛が無ければ、ラーマのダルシャンを得る事が出来ないのです。
しかしラーマの王国では、賢人、禁欲を誓った人、英雄、詩人、学者、芸術家たちの誰もが、貪欲さによって苦しむ事など無かったのです。誰もプライドや富によって道を外す者などいませんでした。権威を振りまして人の声を聞かない者などいませんでした。若気の至りで罪を犯している若者を、何処で見つける事が出来るでしょうか?また、何処に己の利己主義によって、自らの名誉を傷つけている人を見つける事が出来るでしょうか?何処かに誰かの敵意によって傷付けられた人っていますか?何処に悲しみに明け暮れて動けなくなってしまい、苦しんでいる人っていますか?何処かに、蛇に噛まれると言って不安に怯えている人なんているのでしょうか?
ラーマ御自身が、今述べたような全ての事を超越されているので、誰もそんな事を心配する人なんていなかったのです。彼は全能の神なのです。神ご自身なのです。

恐るべきマーヤ(まやかし)の軍隊が、世界中を我が物顔で跋扈しています。その兵士たちはプライド、熱情、欲望、貪欲、不信仰などで、指揮官の指示に従いません。しかし、その同じマーヤはラーマの召使いです。彼女は存在しないように見えますが、あなたがラーマの祝福を得ていないのであれば、彼女に捕まりその束縛から逃れることはできません。ラーマの目から溢れ出る祝福のみがあなたをマーヤの束縛から自由にする事が出来るのです。マーヤは、宇宙にある全ての動かざるものや動くものを手中に収めているので、誰もその手から自由になる事は出来ないのです。彼女は主のこの世の栄光を模倣し、熟練した女優のように、彼女は欲望、貪欲やその他の役者達と共に彼女の役割を演じます。します。しかしながら、存在、真理、至福の化身であるラーマは海と空を特徴付けるディープブルーの擬人化と化した者であり、始めもなく終わりもない創造主なので、ラーマ自身にはマーヤの痕跡さえ無いのです。

アヨーディアの街では、毎日お祭りがあり、すべての祭りの日は余興の為に、新しい特徴を付け加えてありました。そこで毎日、ラーマはチャリティーとして宝物を人々に分け与えました。
それは、誰もが他人のせいにしたり、誰かを罵ってはいけないという決まりがありました。捨て台詞も言ってはダメでした。すべての家庭では、ヴェーダとプラーナを日常的に読まれていました。人々はお互いの共同社会を見てもどちらが劣っているか見比べるような事はしませんでした。それぞれの人々が、自分たちの伝統的仕事を坦々と推し進め、規則規範を尊重しました。
そのため、ラーマの心の中には、人々への思いやりと愛情が大きく育っていました。

ラーマの王国では、妻たちが夫に対する務めと献身をラーマの奉仕へと捧げていたので、それらを観察していた天上の神々でさえ、羨ましく思いました。夫でさえ、それらの妻達の奉仕によって輝いていて、既婚者で、誰も頬を涙で濡らす者などいませんでした。夫と妻は、それぞれが他の片割れだと感じていたので、二人三脚で一つの目的であり関心がある、神と合一したいという希望を持っていました。

ラーマの時代では、誰であろうと、どのような状況の下であろうと虚に頼る事はしませんでした。男の子と女の子は両親と先生の言う事を良く聞き、その指示を光栄に思っていました。一人一人の人は、天におられる神々の主インドラのように幸せでした。すべての家庭には、穀物と富が、富の神クベーラ神のおられるところのように豊富にありました。
チャコラの鳥は、秋に月を見ているかのように喜びました。女性たちは、自宅の半分開いた扉からラーマを見て喜んでいました。
バラタ、ラクシュマナそしてサトルグナたちは、ラーマの魅力を見て胸がいっぱいになる程、毎日のように興奮しました。全世界はラーマによって統治されている間は、完全な素晴らしさに満ちていました。 そこには「罪」の痕跡さえありませんでした。

僧侶や禁欲主義者は、野生の動物たちが跋扈する森の中でも恐れる事なく大胆不敵にさまよい歩きました。王と臣下の間の愛情は日増しに強くなって行きました。地球は愛と光で輝いていました。森の木々は永遠の緑にきらめいていました。鳥や獣は彼らが元々持っている本能的な闘争本心を失っていました。憎悪のかけらさえどこにも見つける事が出来なかったし、その存在さえ囁かれる事は無かったのでした。発見されることになっていた、またそこには、その存在を示す囁きさえありませんでした。全ての人々は同胞心でしっかり結び付き合っていました。そしてすべての人々は、ラーマの素晴らしさとその成果を心から褒め称え合いました。

ある日、ラーマは彼の兄弟たちを従えて、聴衆会場で玉座にすわっていました。その時、バラモンが大変苦しそうにホールに入って来ました。彼は多くの厳しい言葉を使い、怒りのために顔を真っ赤にして懇願しました。
「あゝ!太陽王朝の名声は、今日終わった。私が思い出せるだけでも、シビ、ラグー、ディリパ、サガラなどの偉大な王が統治して栄光に輝いていた頃は、こんな不義が起こらなかっただろうに!」と泣き叫びました。「父親が生存している時に息子が死ぬなんて事があるだろうか?そのような事が、良き統治者に恵まれている間に起こりうる事なんでしょうか?しかし私は、今日のこの日、それを目撃してしまったのです。あなた様は全知でいらっしゃいますから、どうしてこういう事が起こったのかご存じでござりましょう?」ラーマはバラモンの言葉を聞いて同情しました。ラーマは自ら死の理由を心の中で精査して、それが王国管理の不手際の結果では無い事を確認しました。ラーマは、それが人の邪悪な思考の結果という事が分かったので、今度からそういう邪悪な想念が起こら無いように制限や規制する為の処方を設定する事にしました。
ラーマはあっても、このような小さな問題であっても、その再発を防止するための対策を細心の注意を払って執り行っていました。ラーマは自分自身の事はさておき、彼自身が事前に設定した人々の幸せを達成するなど、幾つかの目標を実現しようとしました。

ラーマは臣民たちを自らの体の一部のようにみなして大事に世話をしていました。人々も王の幸福を願い、王を思いやっていました。ラーマにとっては、臣民たちは自らの心のように貴重でした。統治者は決して臣民の意志に背いた行為をしてはいけないのです。臣民たちも、どのような小さいおふれであっても、統治者であるラーマの命令に逆らいませんでした。
ラーマヤーナの物語は、その当時、長年に渡ってまばゆく輝き語り続けられました。ラーマは(宇宙を維持する)ナラヤナ神です。ですから、ラーマの治世は、地球とその歴史に栄光をもたらしたのです。このように真理とダルマ(正義)が人類にとっての真の守護者なのです。 


一部託半託全託して神の御宅に帰宅(上)

2015-12-29 00:00:39 | 日記
神を愛しなさい。
神を信じなさい。
神に全託しなさい。
あなたの人生のすべてを神に捧げ、あなたのすべての行動を、神への捧げ物として進めなさい。
あなたのすべての行動を、他の人の役に立つものにしなさい。
常に助けなさい。
決して傷つけてはなりません。
あなたは、自分が問題のない人生を送っていると言うことはできません。
次の瞬間に何があなたを待ち構えているか、誰も予測することはできません!25/12/02

ポニョ:先日の記事で一言、言いたかったのは、いくら神様に全てを捧げるって言っても明日のおかずを買うお金も無くなるくらい使い切ってしまうというのは、世帯主として行き過ぎやと思うけどな。

ヨシオ:ポニョもそう思うか?でも、世帯主と言っても子供たちはもう経済面では自立してるし、お袋も亡くなっているから俺たち夫婦だけなんやで。だから気楽なんや。俺が嫁さんにプロポーズした時は大学は出たけれど、まだ就職先も決まっていないし経済的な余裕なんて全く無かったんや。いつもデートは図書館で二人で並んで勉強するんや。嫁さんは薬剤師の大学に入学したばかりやし、俺は大学院に進むための勉強をしていたんや。ある日、二人で相談して結婚するんやったらお金がいるから、予備校の先生のバイトをしようって決めて二人で試験を受けに行ったんや。そして予備校に行き二人で机を並べて試験を受けていたんやけれど、俺は壁に貼ってあるポスターが気になって試験が終わってから予備校の人にそのポスターについて質問したんや。

ポニョ:何のポスターやったんや?

ヨシオ:それは英語のポスターで、たくさん白い機械が並んでいて丸い蓋のようなものが正面に付いているんや。予備校の人はこれは英語の教材としてアメリカから取り寄せたポスターで、ラウンドリーマット(コインランドリー)という自動洗濯機や乾燥機の店やって言ったんや。俺はこれやったら人手は要らないし、二人とも事業をしながら学業に専念出来るしええなと思い、早速いろいろ調べたんや。そして事業計画書を作成していろんな銀行に持って行き融資の相談をしたら、一つの銀行が面白そうやな。あんたに投資してあげましょか。と言ってくれたのでそれを元手に、早速店を一件開店したんや。すると、結構流行って瞬く間にたくさんのコインランドリー店のオーナーになったんや。

それまで嫁さんは、結婚しても貧しくてもいいよ。屋根があるところに住めたらそれで満足です。とか言っていたけれど、大きな家を買ったり、いろんな事業に手を染めたりして一端の事業家になったんや。その間俺は大学院にも合格したので毎日学究の日々を送っていたんや。以前にも記事にしたけれど強盗に入られたって言ってたやろ。その時、捕まった強盗の減刑活動を通じて知り合った、強盗が通っていた夜間高校の生徒会長を雇って、彼が全ての事業を取り仕切っていたんや。だから俺は自分のやりたい事に集中出来たんや。

ポニョ:今の日本では不景気やからそういう起業家なんてやっても成功するのは難しいやろな。

ヨシオ:俺は自分の周りを見回して何か地域に役に立つ仕事やら、人の為になるような仕事が無いかなと思って探していたんや。だからコインランドリーは独身の人たちに受け入れられたと思う。便利やろ。24時間開いているし。でも最初始めた時は誰も乾燥機何て見たことが無いから、汚れものと洗剤を一緒に乾燥機の中にいきなり入れて、100円玉を入れて乾燥機を回すので洗剤がガチガチに衣服にこびり付いて大変やったな。お袋が一日中付きっきりで店番してたな。それで、お袋ってああいう潔癖な性格やろ。乾燥機の中の服が乾いていなかったら、お客さんに分からない様に、自分のポケットから100円を出して乾くまで乾燥機を回すんや。だからお客さんの評判が良くて結構忙しかったな。お袋のおかげやな。事業が大きくなれたんは。

ポニョ:お袋さんらしいな。

ヨシオ:オーストラリアに引っ越してから、ババのお仕事をやってマスコミに俺がやっている事を取り上げられた時に、たくさんの人が俺の農場にやって来たんや。その時に俺の話を聞いにインド人もやって来たんやけれど、最初に日本ではどんな職業やったかを俺に聞いて来るんや。そんな時俺はわざとインドでは最下層のカーストと同じ洗濯屋をやってたと言うんや。するともう何も聞かずに帰って行くんや。面白いで。

ポニョ:職業を聞くことによって相手のカーストを調べてるんやろな。「なんやこいつは、最下層のカーストか?こいつの話なんて聞く価値が無いやんけ。」とか思って帰って行くんやろな。

ヨシオ:そういうわけで、俺や嫁さんは貧乏生活に慣れているから、事業をする前に戻っただけなんや。俺たちは、金持ちの生活を知っているし、別に戻りたいとも思わないし、何の欲も無いんや。ただ、ポニョと一緒で世界が平和になればええなと願っているだけなんや。

ポニョ:でも、おいらと一緒でどんな状況でもあんたの嫁さんはいつもニコニコしているもんな。

ヨシオ:そんなとこ本当にポニョと似てるよな。同じO型やし、あんたら多分、ニコニコする以外の顔が出来ないんやろな。

ポニョ:それって失礼と違いますか?

ヨシオ:そう言いもってまだ顔が笑っているやないか。ポニョもコメント欄に誰かに言ってたやないか。俺の嫁さんの目がマンガ目で思いっきり垂れているって。コメント欄は閉じてしまっているけれど、この話を嫁さんに知られたら俺が殺されるとこやったんやぞ。

ポニョ:とかなんとか言って、今記事にしているやないか。

ヨシオ:怒ったらどんな目になるかちょっと興味があるから、様子を見てみようと思っているんや。

私は皆さんすべてが出家して一切を放棄するように望んでいる訳ではありません。
私が望んでいることは、皆さんが自分の義務を果たし、神に全てを委ねて、万物の裏側には唯一の根本的な実体が潜んでいるということを悟ってもらいたいのです。
この悟りを得るならば、無執着はひとりでに培われることでしょう。
無執着は強制的に得らしめるものではありません。
神への愛が大きくなるに連れて、俗世の物事に対する関心は自然に消え失せて行くものなのです。10/9/96

ポニョ:そうやってあんたはいつも遊んでいるやろ。さっきの話に戻るけれど、嫁さんは金が無くなっても怒ったりしないんか?

ヨシオ:ポニョがさっき言ったように、自分のお金を二つのカテゴリーに分けて、これだけは神様に捧げる分で、こちらは自分が自分の為に使う分という風にしたら、たとえ神様に捧げるお金を使い切ってもまだ余裕があるよな。でもそういう生き方を神さんは好まれないんや。もちろんまだ小さい子供がいてる家庭とか、年老いた両親の面倒を見るために一定の金がいる場合は別やけれど、俺のようにもう全ての義務が終わっている神の帰依者は、全てを捧げるっていう意味は、全てなんや。自分の物なんて一つも無いんや。だから明日のおかずを買いに行くお金が無くなってババに相談すれば、ババは面倒を見てくれるんや。もし面倒を見てくれなかったら、君たちはもう生きていなくてもいいから餓死して死になさい。もう人生の上がりです。私のところに早く帰って来なさい。というサインやろな。

ポニョ:そんなアホな。それは無いぜよ。まあ、あんたの嫁さんはよく我慢してるぜよ。普通じゃ考えられないな。

それは神のもので、これは自分のものという思いを断ち切りなさい。
そのような思いを持っている者は半分、盲目と同じなのです。
それ故、神のもの、私のものというパートナーシップのような関係を神との間で築いてはなりません。
神と信者の関係は神聖な関係なのです。8/4/96


それからのラーマ【12】

2015-12-28 00:00:48 | 日記
今、自然は世界の多くの地域で、地震、飢饉、洪水、火山の噴火といったさまざまな災害を引き起こしています。
その理由は何でしょう?
人間の精神の堕落がそうした災害の原因です。
心の乱れは地震に反映されます。
よい思いで心を満たし、よい行いをしなさい。
神の御名を唱えなさい。
空気が神の御名のバイブレーションで充電されると、環境全体が浄化されます。
そうした神聖化された空気を吸う人は、純粋な思いを抱くようになります。
大気を浄化しなさい。
今、大気は汚染されています。SSSVol.26” C31

ポニョ:前回の話の中で、ラーマが統治されていた頃のアヨーディアの生活の様子が具体的に述べてあったけれど、それっておいら達がもうすぐ経験する事になる、ゴールデンエイジの社会と一緒やぜよ。その部分だけを引用すると

ラーマが国を支配されていた間は、肉体的な病い、精神的な不安や道徳的な堕落は、全く存在しませんでした。人々はお互い深い愛情や思いやりを持って接していました。一人一人が自分の属している社会や職業で、ヴェーダによって定められている義務と権利を喜びと共に履行していました。禁欲生活、慈善事業、犠牲、霊的な儀式や研究が衰え無いばかりか、国中の人々が熱心に取り組んでいました。罪深い思いは、夢の中でさえ人々の心に浮かぶ事はありませんでした。
女性を始め、男、高齢者や子供たちも含めて、ラーマへの思いで心がいっぱいでした。天災や何の自然災害も起こりませんでした。
ラーマの時代には、貧しい者や悲しみに打ちひさがれた人は一人も無く、身分が低い者や落胆した者も見れないばかりか、残酷で嫌われ者や醜くて不快な気持ちを起こさす者なども見かける事はありませんでした。全ての人々が魅力的な特徴を持っていました。誰も自分が誇りに思っている事を見せびらかしたりする為に、他人を傷つけたりする者はいませんでした。すべての人々はアートマに関する英知に精通していました。そして、すべての人々はダルマを実践し、保護する事を切望していました。全ての人々は思いやりがあって、お互いに助け合う事に熱心でした。人々はそれぞれ、お互いの長所を褒め讃え合って、心にエゴの一片もありませんでした。


ヨシオ:すごい世界やな。こんな世界に住んでみたいよな。誰でも。ラーマの時代には、これだけではなくて、子供が親より先に死ぬ事は一例も無かったんや。俺の親父が二十九歳で死んだけれど、俺の祖父母の悲しみは尋常じゃ無かったな。俺はそれを目の前で見てきたから、子供をなくした親の気持ちがよく分かるんや。もちろんそういう子供は親不幸やから、祖父母は葬式にも出なかったし、お墓参りも祖父は一周忌を過ぎてから初めて行ったんや。でも、祖母は一生行かなかったな。息子の事を思い出しては部屋に籠って泣いていたな。可哀想やった。

ポニョ:今の世の中は、子供が親より先に死ぬってあまり珍しい事じゃ無いもんな。病気や交通事故などで若い生命を落とすってどこでも聞く話やぜよ。

ヨシオ:それにラーマの時代って自然災害に見舞われ無かったって述べてあるやろ。今の時代とえらい違いやな。今は自然が人々に牙をむいているとババは言っておられるよな。

最近、自然が災害という形で反旗を翻しているのをよく目にします。
それは人が自然の資源を強奪する際に、あらゆる限度を無視しているからです。
豪雨、干ばつ、地震、洪水は人間の貪欲に対する反作用です。
科学の進歩を理由に、科学者たちは世界の幸福を考慮する事なく、ますます利己的になっています。
科学者たちは、自然を報復へと駆り立てているのです。 25/5/95

ポニョ:このブログで何度も人を襲う自然災害は、人の想念や悪いカルマ、そして無分別に収奪されている石油や様々な鉱物資源によって地球が痛めつけられているので、地球のバランスが崩れている事が大きな原因やって発信して来たよな。

残念ながら、今、科学技術の進歩の結果として人間性が衰退し、世界は楽しむためにあると人は考えています。
そのため、世界に脅威を引き起こす形で自然の力が使われています。
世界は単なる楽しみのために創造されたのではありません。
自然の資源を乱用し、自分の根本的な人間性を忘れて、人は創造の目的に反しています。
多くの天災は完全に人間の振る舞いのせいです。
地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉(ききん)といった災難は、自然が深刻な異常をきたしている結果です。
こうした異常は、もとをたどれば人間の行いが原因です。
人間は人類と自然界との切っても切れない関係に気づいていません。
人体においては、目や耳や口といったあらゆる器官は互いに完全に結びついています。
人間にとってこうした器官が重要であるのと同じように、社会にとって個人は社会有機体の手足として等しく重要です。個人は人間社会の一部です。
人類は自然の一部です。
自然は神の手足です。
人間はこうした相互関係に気づいていません。Sathya Sai Speaks Vol.25 C37

ヨシオ:ババは講話の中で、ラーマの時代は天が人々の農作業を手伝うように、雨も適時に降り、灌漑や洪水などは無かったと言っておられたな。

ポニョ:本当に今の時代と全然違うぜよ。早くおいら達の時代にもそんな素晴らしい事が起こったらええよな。待ち遠しいな。

ヨシオ:そういう時代は家の居間でのんびり座ってみかんを食べながらテレビを見ててもやって来ないんや。今、今日のこの瞬間からポニョが先ず自分の周りの人々からポニョの愛を広めて行き、身近な人から幸せにして行けば、社会全体も幸せになって行くんや。もちろん人だけではなく、動物に対しても一緒や。実は今日、俺は面白い体験をしたんや。鯉やフナがたくさんいるタンクの上に太陽の光が当たって強過ぎるので影になるようにタープを上にかけてあるんや。ところが一匹の赤白黒の三毛猫みたいな鯉が高く飛んでその上で横たわっていたんや。

ポニョ:あのね、その鯉には名前があって昭和三色って言うんや。何が三毛猫や?

ヨシオ:その三毛猫鯉が死にかけているのに気づいた時は、もう鯉も口を開け閉めしていたけれど、少しも動か無かったのでもうだめやと思ったんや。でも服を脱いで胸まで水に浸かりながら三毛猫鯉をタープの上から取って水の中に入れるとゆっくりと泳いで行ったんや。助かったと思って胸をなで下ろすと、その三毛猫鯉がまた戻って来たので、俺はその三毛猫鯉に「良かったな。間に合って。気づくのがもうちょっと遅かったら、お前はあの世行きやったな。」と話しかけたらその三毛猫鯉は俺の近くまで泳いで来て、右手の甲にキスをしてくれたんや。俺は驚いて、お前は俺が言った事が分かるんか?と言うとさっと潜っていなくなったんや。俺はこの時、自然って全てに心が宿っているって思ったな。

ポニョ:人は、自然をただの石ころや、心が入っていない物体やとか思っているけれど、魚のような生き物にはもちろんの事、全てのものには心が入っているので、注意して自然に対処しなくてはいけないぜよ。だって自然は人より一段階上のレベルにいるんや。だから、人が自然に対して悪い事をしたら罰せれる権利を持っているってババが言っておられたぜよ。という事で今日の話には入りましょか?

科学者は無制限に自然を探求、開発して、自然災害の原因となる恐るべき不均衡を作り出し、人類を危険にさらけ出しています。
この事に関して科学者を責めることは出来ません。
識別心を用いること無く、科学の発見を無分別に運用する人間こそ責められるべきです。
彼らは、天然資源を過剰に撮り尽くせば如何なる結果が発生するかについて、深く考えることをしません。
~自然は人間よりも一段上のレベルにあり、その自然を保護するために自然の開発には限度を設けなければなりません。
人間が無思慮に自然に干渉するならば、自然は人間に逆らい問題が生じます。
自然を守るために欲望に限度をもうけねばなりません。
自然が人間に対して不利益をもたらさぬように十分に配慮しなさい。
この点に関して、科学者達は彼らの発明が社会にもたらす有害な影響については全く無関心です。21/1/93
多くの自然災害は人為的なものなのです。地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉や他の災害は厳重な自然の乱れの結果です。それらの乱れは人の行為の帰結なのです。人は、未だに人と自然の関係を完全に理解していないのです。SSvol25chap37

ある日、ヴァシシュタは色んな分野で国に繁栄をもたらせているラーマに見まえる為に、宮殿にやって来ました。
ラーマはヴァシシュタの足を洗浄し、聖別水を与え伝統的な様式に従って彼を迎えました。ヴァシシュタは自ら合わした手のひらを頭の上に上げてこう言いました。
「おお!大海のように憐れみ深いお方よ!私はあなたに頼み事があってやって来ました。私は、あなたが人として行為をされているのを見て、とても嬉しく思っています。でも私は、大きな疑問を抱えています。あなたのお力は無限です。ヴェーダでさえ、あなたの事を全て述べているとは言えません。主よ!どのようにしてあなたの事を説明し、理解すればよろしいのでしょうか?私どもは、今、あなた様の王国の教師や司祭としてお仕えさせていただいておりますが、そういう仕事に就く事自体が、ヴェーダやシャストラ、プラーナにも司祭者はもともと貧しい者がやる仕事で、劣った職業だと述べてあります。また司祭者はそれが縁起が良い事であろうが不吉な事であろうと仕えている主人の為に儀式を執り行わなければいけないので、それを執り行う者は汚されてしまう事になります。それで当初は、私どもはこういう事をしたくなかったのです。

しかし、ブラフマー神が私の窮状を理解し、こう言いました。『息子よ!あなたは将来、何が起きるのか分からないだろう。お前の職業についてうだうだと不満を言う事をやめなさい。次の数年間、お前は非常に多くのものを得る事が出来るのだ。と言うのも至高の神ブラフマー神がラグー王朝に生まれる事になっているからだ。』これを聞いて私はブラフマー神に頭を下げ、司祭者としての職業を受け入れ、ラグー王朝の家族司祭となったのです。私は今、その時の決断の結果として、こうしてあなた様に見まえる事が出来ました。そうでなければ今頃私は、多年に及ぶジャパ、苦行、瞑想やヨガだけでは無く、数え切れないほどの多くの祭式や供儀をしているところでしょう。私はそういう苦しみを経ることなく、至高の原理を勝ち取ることが出来ました。おかげ様で、私は良いカルマにより、人生の目標に成功裏に到達出来たばかりではなく、あなた様をも得ることが出来たのです。

私が、自分自身で選んだ仕事より、私がしなければならない仕事をする方がどれほど良い事でしょうか!?神々の主よ!ジャパ、苦行、祭式、供儀、誓い、儀式や儀式の段取りの仕方がヴェーダによって決められており、それに従う必要があります。しかし、英知を養い、生きとし生けるものに対して思いやりの心を持ち、高潔な行いによってあなた様にお近づきになることが出来、祝福を得る事が出来ます。主よ!私は、あなたから恩恵を得て、あなた様の無限の慈悲を私どもに与えて頂きたく祈っております。あなた様の慈悲に満ちた目から、あなた様の祝福を、この私どもに雨の様に降り注いで下さいませ。私どものあなた様への信仰心が永遠に続きます様に。そしてこの生の後も、私は何度も生まれ変わらなければいけないのでしょうが、今のこの願いが、私があなた様に切望している願い事でございます。」と言ってヴァシシュタはラーマの元をおいとまをし、彼の家に戻って行きました。

人は欲に限度を設けるべきです。人間の行いが本末転倒しているために、今日、自然災害が起きているのです。皆さんはグジャラート州で起こった地震による惨害を知っていますね。何万という人が命を落としました。このようなことが起こる原因は、人が過度の欲望を心に抱いていることにあります。神は自らが創造した宇宙の完全なバランスを保っています。神の創造物の中で、大地と海はバランスが授けられています。
ところが、人間は地球の天然資源を無分別に採取して、石油を採掘しています。毎日何万トンもの魚介類が海で捕獲されています。このような天然資源の無差別な収奪が地球のバランスを失わせ、人間の生活を破綻させています。心の不安定さから解放されたとき、初めて人は地震に悩まされることがなくなります。SSS Vol.34C3

神様から愛されるにはどうするの?

2015-12-27 00:00:48 | 日記
真の信仰心とは、無私の奉仕と愛が結びついたものなのです。SS春86p34

ポニョ:以前記事にしたアルゼンチンの孤児たちの話は何度してもええよな。自分で話していてもグッと来るぜよ。

ヨシオ:そうやったな。孤児たちがインドに行けるように、ババが金の延べ板をフラワーポットに隠されたんやな。すごい愛やな。俺たちは神話の時代に生きているんや。無相で属性や名前を持たぬ全能の創造主が、俺たちのためにこの地上へ人として生まれて仕事をされているんや。俺たちと一緒の地面を歩き、同じ空気を吸い、そして同じものを食べて、同じ言葉を話されている。その神そのものであるサイババの事を、神の化身だと気付いて帰依している俺たちは本当に幸運やな。

ポニョ:しかも、その神の仕事の一部をもらっている人ってこの世に何人ぐらいいるやろな。でも、そのアルゼンチンの子供達は嬉しかったやろな。サイババサンタさんからのプレゼントやな。もう一度その話を聞きたいな。

ヨシオ:それじゃこの機会に掲載しよか。

ポニョ:おいらがアシュラムに滞在している時にたくさんの子供達がアルゼンチンから来てたんや。薄いブルーのスカーフをみんな首に巻いていたから、アルゼンチンから来た子供ってすぐに分かったんや。

ヨシオ:国によって色やデザインを工夫しているから、その人がどの国から来た人かってすぐに分かるよな。

ポニョ:でも、子供ばっかりで両親が見当たらなかったんや。もちろん付き添いの人はいたけれど。おいらは、英語が出来る一人の付き添いの人と立ち話をしてたらその人は一人の子供を捕まえて、その子供と話してご覧と言って通訳してくれたんや。おいらは、「君たちはアルゼンチンから来たんだろう。遠いところからやって来たんだね。ババのダルシャンを楽しんでいるかい?君たちのグループの子供達はとても楽しそうだね。毎日あちらこちらと走り回って。ここは、とても安全なところだし、何と言っても神様が人の姿を取ってダルシャンを与えておられる場所だから世界で一番天国に近いところだよね。」とか言って話しかけていると。その子供は「僕たちはここに来るのが夢だったんだ。毎週一回、アルゼンチンのサイババセンターで日曜学校に行っていたんだけれど 、そこでババ様の話をいろいろ聞いて、是非インドに行ってこの目で神の化身であるババ様を見たいと望んでいたんだけれど、旅費が高くてお金も無いし諦めていたんです。だって、ここに来ている僕たちはみんな孤児なんだ。両親と生き別れになったり、死に別れて誰も面倒を見てくれないので、施設に引き取られてた仲間たちばかりなんです。サイババセンターの人たちが日曜学校で正しい生き方ってどう生きるのか、神様を愛し、真実に生きて自分がしなければいけない仕事を正しくして、いつも幸せな気持ちで生きるように教えてくれているんです。また食事をはじめ、いろんな事で僕たちの面倒をよく見てくれるんです。それでも生きて行くのに精一杯で、時々食事を抜かなければならない時もあったんです。でも、サイババセンターの日曜学校でババ様の愛に溢れた奇跡の話を聞くと、いつか皆でババ様に会いたいね。お金をこつこつ貯めたら皆で行こうねと言っていたんです。サイババの組織の人たちは、社会奉仕の大切さも教えて下さっているので、僕たちはよく、公園や公共施設を掃除する奉仕をサイババセンターの人たちと一緒やっているんです。ある日、公園を掃除していたら大きなコンクリート製のフラワーポットの中に枯れた花に混じってゴミがたくさん投げ込まれているのに気が付いたんです。僕はこのままだと良くないと思い、一つ一つ枯れた花やゴミをフラワーポットから取り出していたんです。そして、ゴミを全部取り出したかどうかフラワーポットの底の方に手を入れてみると、重くて冷たい長方形の金属の塊があったんです。それを取り出すとなんと金色にキラキラ光っている金の延べ板だったんです。僕は慌ててそれをサイババセンターの人と一緒に警察に届けたんですが、しばらくすると誰も取りに来ないので施設に戻って来たんです。僕たちはこの金の延べ板をお金に替えて、施設の仲間全員のインド行きの切符を買って、こうしてババの元にやって来ることが出来たんです。アシュラムに着いて暫くすると、ババ様は、僕たち全員をインタビューに呼んで下さってこう言われたんです。『私はフラワーポットの中に金の延べ板を上手く隠したつもりだったんだけれど、よく見つけれたね。大したもんだ。』と褒めて下さったんですよ。そして、『君たちが国へ帰る時は私も一緒に連れて帰ってね。そうすればいつも私が君たちと一緒にいることが出来るからね。』と言われたんです。」と言ったんや。

 誰が皆さんをここに招待したのでしょう? 
皆さん方は、スワミへの愛によってここに来たのです。
この愛のみによって、何十万人もの人々がここに来たのです。
バガヴァンはここにいて、皆さんに連れて帰られるのを待っています。
皆さんの好きなようにスワミを連れて帰りなさい。
スワミは完全に、バガヴァンを心から愛する人のものです。
バガヴァンが皆さんに望むものは、皆さんの心を込めた無条件の愛のみです。
この真理を心に留めて、愛に満ちた人生を送りなさい。
これを、スワミから皆さんへの贈り物として受け止めなさい。
いかなる人をも憎んではなりません。
いかなる人を憎んでも、神自身を憎むのと同じです。
あなた自身のすべてと、一切の持ち物を神に全託しなさい。
混じり気のない神の至福を経験しなさい。23/11/99


ヨシオ:人は神を愛するっていうけれど、それより神の愛を受け取ることが、俺たちが先ず最初にやらなければいけない事なんや。神の愛をもらったらこの世で何でも出来るんや。

ポニョ:でも、アルゼンチンの子供のように神を愛したからこそ、ああして神に愛してもらって金の延べ板を貰えたんやろ。

ヨシオ:人は、神を愛しています。と言っているのに、その神の教えに従っていない人がたくさんいるやろ。ババは今までたくさんの講話をされて人々を啓蒙し導き、そして正しい道を示されて来た。でも、どれだけの人がその教えに従って生きているんやろか。アルゼンチンの孤児たちもサイの組織の人たちと一緒に毎週奉仕に出かけている。綺麗な心で神様を思いながら自分たちはろくなものを食べていなくて、いつも腹を空かしているのに彼らが出来る範囲で社会に貢献しようと頑張っているんや。俺が探していた本物の霊的な組織ってすぐに分かる二つの条件があると前に言ってたやろ。そのうちの一つが自己犠牲を伴った奉仕を神に捧げているかどうかなんや。そういう自己犠牲を伴った奉仕をしない限り、自分に痛みを伴わない奉仕って神は喜ばれないし、その人の霊的な発展にも繋がらないんや。何百億円持っている大金持ちが百万円寄付してもそれは貧乏人の俺たちが五十円寄付するのと変わらないやろ。だって、その人にとってその寄付が痛みを伴っていないやんか。アルゼンチンの孤児たちはいつも腹を空かしているのに、自分を犠牲にして神様を思いながら社会奉仕している。それだけで神様から愛される資格があるんや。

何より大事なのは神から愛されているかどうかです。
自分は神を信じ、愛しているつもりでも神が愛してくれなければたいして遠くへ行けません。
それではどうすれば神から愛されるようになるのでしょうか?
その答えはバガバッドギーターの帰依の道を説く章に見られます。
帰依の道とは、いつも神と一つに繋がっているということです。
どんな時もゆらぎの無い心で実践することを帰依の道は教えています。
強い決意を持ち、暮らしの中でひたむきに教えを実践すること、そしていつも悦びに満ち足りていることです。SGc3

ポニョ:あんたも、今まで稼いだほとんどの金をババの為に使い切ったもんな。もうあんまり残っていないやろ。

ヨシオ:ほとんど使い切ったな。この前ノンハイブリッドの種を買えと言われて、七百万円ほどババから追加のお金をもらったけれど、それも使い切ったな。お袋の葬式代や固定資産税などが高くて大変だったので、金が全て底をついて、一時期、夫婦二人でビルの掃除人として働いたことがあったな。俺はゴミ拾いや掃除用の電気自動車に乗って、廊下やフロアーをウロウロする役やったんや。小回りが効いて面白かったな。でもトイレ掃除は主に嫁さんの係りやったけどな。あの人は何をやってもハッピーなんや。トイレは私の係りで~す。とか言って、とても嬉しそうにやっていたな。しかも手洗い用の液体石鹸が切れていると言って、自分の家のやつを持って来て嬉しそうに補充するんや。

ポニョ:あんたらが日本にいてた頃は、会社を経営していたし、何億も貯金があって高級車に乗り、高級住宅街に三階建てのコンクリートの家に住んでいたって言ってたよな。写真で見せてもらったけれど、確か屋上に日本庭園まであったよな。大きな灯篭もあったで。

ヨシオ:一応、人並み以上の優雅な生活をしてたな。別荘やヨット、ゴルフの会員権も持っていたからな。

ポニョ:それが一転ビルの掃除人やて。それも夫婦揃って。ちょっと神さんの仕事やからと言っても金を使い過ぎと違うか?嫁さんがよく辛抱してるぜよ。

あなたがたは皆、人間の身体は無私の奉仕をするためにのみ与えられたことを実感認識せねばなりません。
そのような奉仕はハートを広くし、エゴを滅ぼし、至福を生じます。奉仕は又人々の間に兄弟愛と神への父性愛の意識を促進するのに役立ちます。
しかしあなたのすべき仕事はそれで終わるのではありません。
あなた方は同時に、全ての人類に霊性の発展の為に、一体性を培う教えを広めなければなりません。
人類を、二元から不二一元に導かなければならないのです。21/11/95

ヨシオ:嫁さんは能天気で別に何とも思っていないんや。神様の仕事をしているって知っているから。でも時々おかずを買う金が無くなってしまい、家計が底を着く時があるんや。大きな倉庫を持っているし、家も結構大きいから固定資産税やら市民税がとても高いんや。そんな時に俺はババに聞くんや。「ババさんよ。もう買い物に行く金も無くなったな。全部あんたの金を使ってしまった。明日からどうしようか?ちょっとアドバイスしてくれるかな?」と尋ねると、ババは、「まだ余分な車を持っているやないか。明日それを売ればええやろ。買い手を寄こすから。」と言われたんや。俺はすぐに車をきれいに洗い、待っていると翌朝買い手が来てすぐに売れたな。実は、車を売って金儲けはしていないけれど、ポニョも知っているように、海外から来た貧乏学生のために、お袋の介護の合間を見つけて事故車をオークションで安く買って、それを修理して実費だけもらって安く売っていたんや。まあ俺なりの一種の奉仕やな。それを口コミで聞きつけて車を売ってくれって貧乏学生が突然来るんや。

ポニョ:事故車の修理って板金もやるんやろ。まあ、あんたは飛行機も自分で作ったぐらいやから、何でも出来るんやろな。まだ飛行機は持っているんやろ。

ヨシオ:現金が無いだけで、物はたくさんあるな。俺はこの物質的な世の中に何の幻想も持っていないんや。この世界から何か恒常的な幸せをもらおうと思っていないし、それが得れると信じてもいないんや。いつこの世界からさよならしても良い覚悟は出来ているし、持っている財産は全てババに返してから死のうと思っているんや。

ポニョ:神様に全てを捧げるという自己犠牲を伴った覚悟で生きていたら、神様から愛されるよな。

神ご自身がダルマを育むために降臨しているのです。
君達も私と同じ作業に従事するのであれば、それは神を礼拝することになるのです。
そうすればあなたは、神に奉仕し、神の帰依者と自分自身に奉仕することになるので、神の身近にいる者となり、神に愛される者となるのです。CWSSBJp75

ヨシオ:俺は金は貯めるものではなく、回して行くものやと信じているから、オーストラリアに来て、すぐに繁華街に商業ビルを買ったんや。しばらくはその家賃収入で食っていけるやろと思って。

ポニョ:そのビルはまだ持っているんか?

ヨシオ:いや金が底を着いて来た時に売ったな。それでババのことを知ってから、そのビルの一階にある六店舗のうちの一つと、二階のフロアー全てをババに使ってもらおうとサイババセンターに言いに行ったんや。するとちょうど、サイのグループがババのアシュラムから帰って来たところで、俺が都心の一等地にある商業ビルを無料で提供する話をすると、そこにいた人たちは飛び上がって、ババや!奇跡や!なんて言って俺の両手を掴んで飛びながら喜んだんや。俺は目を白黒させていたら、リーダーの人が俺にこう言ったんや。「あるサイの帰依者が文房具店を営んでいて、その一角をサイババ書店にしてサイババ様の本を売っていたのですが、残念ながらそのビルを建て直す為に文房具店を店じまいすることになったのです。それで仕方なしにサイババ書店も同時に閉めることになったのですが、皆がどうしても続けたいと思っていたので、今回インドに行った時にババ様にその事を頼もうと皆で相談したんです。幸運な事にババ様がインタビューに呼んでくださり、ババ様に書店の件を直接頼みました。するとババは、『君たちがオーストラリアに帰ったら、私が繁華街の一等地にあるビルを、サイババ書店の為に無料で提供してあげよう。』と言われたのです。今その話を皆にしていたところに、あなたが入って来たのですよ。」と。

人が持っている清らかなハートと無私の行いは、人が繰り返し生きてきた前世の功徳によってもたらされたもので、人間として生まれてきた証といえましょう。19/10/93
欲望とむさぼりを戒め、いつも満ち足りていて、神の愛を受け取ることが出来るように努める。
ただ神様を愛しているだけでは足りません。
どうすれば神様から愛されるか。
どうすれば神の恵みを得られるか。
どうすれば神の愛をじかに得られるか。
それを良く理解せねばなりません。
神は自分のものだと言って泣いたり叫んだりしても何もなりません。
神様におまえは私のものだと言ってもらうように願うべきです。SGc23