サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

63年前の降誕祭に行ってみよう

2014-11-23 00:00:43 | 日記
電子本「サイババが帰って来るよ」Part1~4は以下のポニョ書店からどうぞ

http://bccks.jp/store/114521
Sai's Messages for The Golden Ageの文庫本が出来ました。上下の二部に分かれますが小さいのでいつでも何処でもババの御言葉をポケットに入れて持ち運びが出来ますよ<script type="text/javascript" src="http://bccks.jp/bcck/128820/widget"></script>


ポニョ:スワミ!89歳の誕生日おめでとうございます。ところでいつ帰って来られるんですか?ああ、そうもう少しだけ待ってね。分かりやした。もうちょっとだけやで。来年の今頃やなんて言わんといてね。それでなくても首がキリンさんになって来ているのに。

ヨシオ:ポニョは何を一人でブツブツ言ってるんや。ほっといたら、ずっとしてるやろ。飽きないよないつまで経っても。こういう人間は。嫁さんもポニョとおったら、いつもおもろいから喜んでるやろ。

ポニョ:いや、こんな一人芝居を結婚以来見てきてるから、またかっていう感じやな。でも、いつも笑って見てるわ。

ヨシオ:誰でもおもろいと思うで。そうか、ババは89歳になられたんやな。お袋は生きてたら80歳やから九つ年違いや。

ポニョ:ということは、お袋さんは戌年やから卯年やったんかババは。

ヨシオ:いや虎と違うか?うちの長女と一緒やと思うで。

ポニョ:そうか、寅年か。虎神さんやな。それで、いつも虎の剥製と一緒に写真を撮っておられるんかな。

ヨシオ:偶然やろ。その虎は王様の宮殿に置いてあったものなんや。サイババさんが座っておられる虎の敷物は、イギリス人が狩りに出て撃ち殺した奴や。その時、ジープがエンコしてババに助けてもらおうとアシュラムにやって来たら、ババがあんたが殺した虎の子供がお母さん虎を探して森を彷徨っているので、捕まえて動物園に連れて行きなさいと言われたんや。この事記事にしたよな。

ポニョ:やったやった。その頃のプッタパルティはまだ、僻地っていう感じやったもんな。野生の虎がうろうろしてたんやもな。そん頃のババに会いたいな。降誕祭もそんなに人が来ていなかったよな。

ヨシオ:それじゃ、今日はババの二十五歳の時やから、63年間までタイムマシンに乗って遡ろうか。そして、若かりし頃のババの降誕祭をみんなで祝おうや。

ポニョ:ええ案やな。それじゃすぐ始めよか。

ヨシオ:その年、マンディールが完成するんや。荒野に突然巨大な建物が出来て、人々は驚くんや。でも、それと同時にどうしてこんな僻地に、こんなに大きなマンディールを建てないといけないのか、さっぱり理解出来ないんや。

ポニョ:そら、誰でもそう思うぜよ。クレーンでさえ入って来るのが難しかったもんな。


その巨大な建物は荒野の真ん中に忽然と姿を現しつつありました。

どうして、こんなに辺鄙な何もないところに、こんなに大きなマンディールを建てなければいけないのかという疑問を心の中に持っていた帰依者の人と、プッタパルティの村外れの丘を歩いていた時に、サイババさんは南の方を指差して言われました。
このサイの降臨は、この地方を最高の平安の場所に変えるであろう。
多くの建物が建ち並び百万人もの人々がインド中いや、世界中の人々が私のダルシャンを求めてやって来るであろう。
君は将来ここに立ち、そして私があのマンディールのポーチにいるのを(人が多すぎて)ほんのかいましか見れなくなった時に、今のこの私の言葉を信じるであろう。



さあ、いよいよマンディールが予定通り、ババの25歳の誕生日に完成しました。


早朝六時から十日間に渡る降誕祭と落成式典が始まりました。
サイババさんは式辞の中で、先ずこのマンディールをプラシャンティ ニラヤム(至高の平安)と名付けられました。そして、続けてこう言われました。
ここは、悪い思いもなく、新しく生まれた子供のような心を君たちに与えるでしょう。
人としての身体は、たくさんの動物などの生を経て取ることが出来たのです。
あなたの、思いが次のあなたの生を決定するのです。
プッタパルティという名はテルグ語でプッタつまり誕生、とパルティつまり変化もしくは無いという二つに分けることが出来ます。
つまり、誰でもここプラシャンティニラヤムに滞在して、瞑想やバジャンや他の霊性活動をする者は生まれ変わることは無いのです。
と。
お神輿が来るのをトゥルシの木の横で待っておられるババ

ババは、バラやジャスミンの花で飾られたお神輿に乗られ、村の道を帰依者たちと練り歩かれました。
お神輿がやって来た

ブッカパトナムから音楽隊が駆けつけて来ており、バグパイプなども一緒に演奏されて人々は大きな声でバジャンを歌いながら歩きました。
お神輿に乗りましたよ

そして、多くの人たちはババの眉間に、まるでシヴァ神の第三の眼のようなとても明るい光るものを見つけたのでした。
村を練り歩きましょう

そのお神輿に乗っておられる間、ババはお神輿に付けてある花から花びらをむしり取って手の中にたくさん集め、遊んでいるように見えました。
お神輿の中で花びらをちぎっておられるババ

しかし、ババがそれらの花びらを帰依者たちに投げられると、それらは宙でシルディババとサッチャサイババの像が描かれた銀のロケットや、指輪、ペンダント、キャンディ、干しぶどう、ナッツなど、様々なババからの帰依者へのお土産と変化したのです。
神輿が、昼の一時にプラシャンティ ニラヤムに戻って来ました。
川も渡りましょう

お神輿を下ろそうとするとサイババさんは、ちょっと待つように合図されました。
そして、今まで花から花びらをむしり取られていた花弁を、神輿の上から下にいる帰依者たちに放り投げられたのです。
その、数え切れないほどのたくさんの花びらは、なんと宙で銀貨に変わったのでした。
それらの銀貨には一様にサイババさんの絵と、インドのあらゆる言語と英語で私がここにいるのに何を恐れることなどあろうか。と刻まれてあったのです。
それらの奇跡は、そこにいた全ての人々を興奮のルツボに陥れたのでした。
いろいろ撒きますよ

降誕祭で、とても印象的だったのはサイババさんがジョーラという吊りソファーに座られて、ゆっくりと前後に揺られながら落成式典を見られていることです。
揺れる吊り椅子に腰掛けましょう

その間、詩人たちが自分の作った詩を披露したあと、ババから銀の宝石箱を与えられたり、マンディールの建築労働者達にもいろんな物をプレゼントしておられました。
男性には、男用の腰巻を、女性にはサリーやブラウスをプレゼントされました。
エンジニアリングの会社から二十台近くのモーターバイクの寄付がありましたが、これらは全て建築労働者に寄贈されました。
そして、様々なアーティストたちが音楽などを演奏して、ババから鈴のついた鎖を物質化して与えられていました。
また、ある帰依者のカップルがその日に結婚式を挙げましたので、花嫁に神聖なネックレスを物質化して与えました。
この神聖な首飾りは本当は誰の手にも渡したりしてはならないのに、様々な人たちが見せて欲しいと押しかけてきて人が触れた途端、消え失せてしまったのでした。
もう一度、物資化して欲しいとババに懇願したのですが、これをきっかけにあなたはもっと注意深くならなければなりません。と言って与えられませんでした。

また、このような出来事もありました。
マドラスからやって来たアーティストに君はシータの劇を披露してくれるかい。と言って席に着かれて見る用意をされました。
でも、その人は、まだ音楽家達が全員そろっていないからそれを披露するのは無理だったのです。それで、大観衆の前で両手を上げてサイババ~と言って泣き始めたのです。
サイババさんは、席を立たれて観衆の中をウロウロされて四五人の人たちを選び、舞台に行くように指示されました。
その人たちは、お互い全く知り合いでも何でもなかったのですが、そのアーティストがいるはずだったヴァイオリニストや、歌手、ドラムなどの音楽家だったのです。
そして、観衆が固唾を飲んで見守る中寄せ集めのパフォーマンスが始まりました。
その劇の一場面にシータの結婚式のシーンがありますが、アーティストの人がババにあなたがシータに結婚式の首飾りをかけて下さいませんかと尋ねました。
するとババは、その首飾りは用意してあるの?と尋ねられてから、自ら観衆の前で首飾りを出されました。
そして、その首飾りのペンダントには何も描かれていなかったのですが、ババがそれを両手で握ってから開くと、一面はババの画像でもう一面はヴィシュヌの劇をプラシャンティニラヤムでサラスパティバイによって演じられた。と刻まれていました。
そして、ババはラーマの役になってシータに結婚式用の首飾りを首にかけられたのでした。

マンディールが完成してから、サイババさんは毎日のスケジュールに追い回されていました。
帰依者と一緒にバジャンを歌ったり、花輪を作ったり、壁や天井を飾り付けるために梯子に上って遊ばれたりもしました。
そして、チットラヴァティ川を渡ってやって来たり、帰って行く帰依者の荷物や子供を抱いて一緒に渡ったりしました。牛車に荷物や子供を乗せるのを手伝ったりもしました。
また、食事の準備を手伝ったり、水を汲んで来たり、食事の準備で忙しい時にはその間子供の世話もされていました。
また、近くの村からやって来た人には、バジャンが終わって外が真っ暗になると、自らオイルランプを持って行く道を照らしながらその人たちを隣村まで送って行かれたことなどは、一度や二度ではありませんでした。

また、ある帰依者が若くして寡婦になり、生きる望みを失った為に自殺しようと森の中を一晩中彷徨い歩き、毒蛇を踏んで噛まれてそのまま森の中で横たわって死んでしまうところを、ババに翌朝助けられてババが自ら食事を作られてその未亡人に食べさせました。
そしてそれは、その夫人がこの世を去るまで続いたのでした。

ババは、いろんな方法で自らの帰依者たちを守りました。ある日、財産のことで裁判沙汰になり、帰依者が裁判に出ることになりました。その裁判で偽の証拠を突きつけその帰依者に不利になるように働きかけようとして裁判所へ行こうとした二人の男が乗ったバスの前にヘビが現れたのです。
そのヘビは鎌首を上げて踊っているように見えました。バスの運転手はバスを止めた途端その蛇がバスの中に入って来て、その二人の前に立ちはだかって動きがとれないようにしたのです。
そして、一時間後ヘビは何処へともなく消えて行きました。その後二人は急いで裁判所へ行きましたが、すでに帰依者に有利な判決が出ていて手遅れでした。
その後、ババはその帰依者にババが蛇になってその帰依者を救ってあげたと言われたのです。
サイババさんに神聖な光を見ました。クマールさんの話
全ての信者たちが、丘の麓に集まってババを見ていました。
すでに、陽は地平線に沈んでいてサイババさんは皆から見えるところにおられました。
すると、ババの頭の後ろから赤い光が見え始めました。まるで夕日の光のようだったんです。そうしてるうちに、その光はゆっくり消えて行きました。
でも、その代わり太陽の何百万倍もの強い光線が蛇の頭にダイアモンドが光っているような感じで輝き始めたのです。
その強い光に耐えきれず二人の人が気を失って地面に倒れてしまいました。
他の人々は、この凄い光景を見逃すまいとして歓喜に満ち、大きく目を開けながら見ていました。光が突然消え失せ、辺りは暗闇に戻りました。
眩しい光を見ていた後、突然暗闇になったおかげで、しばらくの間盲目状態になって何も見ることが出来ませんでした。
でも、ゆっくりと視力は回復して行きました。
そして、周りがはっきりと見えるようになったと思ったら、サイババさんが目の前におられて大声で笑っておられたんです。
私たちみんなも幸せな気分になりました。
そして、気絶している帰依者のところへ行きヴィブティを額につけられました。
彼らは気がつくや否やサイババさんに平伏していました。
私が推測するに、私たちがいたところから、ババが立っておられた丘の頂上まで六十m程あったと思います。


最後にこのような話もありました。サイババさんの食事を作っていた年を召された女性がいました。ある晩、彼女はメガネをかけてクリシュナのヴァガバットギータを読んでいました。
すると、突然ババがその年を召された女性の膝の上に乗り、そのシワだらけの頬を撫ぜられて、メガネを顔から取り上げられたのです。
その女性はそれが無かったら私はこの本を読めないではないですか。返して下さい。と頼みました。
ババは、どうしてギータなんて読みたいんだい?と聞かれました。その女性は、私は、クリシュナが言われた事を学んで悟りを開きたいのです。と言いました。すると、ババは僕がその本の中でギータを説いたクリシュナなんだよ。そのクリシュナがあなたの目の前にこうしているのに、何で本なんか読むんだよ。と言われたのです。

“何も心配することはありません。
何を体験しようとも、そして何が起ころうとも、それはアヴァターが意図したことだと思いなさい。
このアヴァターが地上に降臨し、そしてその使命を果たそうとするときに、それを遅らせるような力などこの世に存在しません。”

“私は神である。
あなた達はこの私が来た機会を逃さずに、川を渡らねばならない。
あなたがやらねばならぬ事は、船に乗ることである。
私が船長で、あなた達が乗船して来るのを待っているのだ。
次の二千年の間、誰もあなた方を今私がやっているように、対岸へ連れて行ってくれるお方はこの地上に来ないであろう。”

“私があなた方と同じように話し、笑い、歩き、食べているからといって惑わされてはなりません。
身体の感覚に惑わされてはなりません。私の行為はすべて無私、無私、無私です。
私には利己心は全くありません。
この真実を固く信じなさい。
完全に信じるなら、たとえどこにいようとも、あなたの願いは求めずともかなえられます。
完全な信仰を抱かない者のみが苦しむのです。
自分への自信をもっと持ちなさい。
これはあなたが最初に取りかからなければならない霊性修行です。”




お袋に捧げるチンコンカン

2014-11-22 00:00:43 | 日記
電子本「サイババが帰って来るよ」Part1~4は以下のポニョ書店からどうぞ

http://bccks.jp/store/114521
Sai's Messages for The Golden Ageの文庫本が出来ました。上下の二部に分かれますが小さいのでいつでも何処でもババの御言葉をポケットに入れて持ち運びが出来ますよ</script>"><script type="text/javascript" src="http://bccks.jp/bcck/128820/widget"></script>

ポニョ:早いもんで、今日は、もうあんたのお袋さんの一周忌やぜよ。

ヨシオ:お袋が亡くなったのはババの降誕祭の一日前やもんな。その日、ババがお袋になって目の前に現れた時は驚いたな。いつも言っているけど、人って何も言葉を話さなくても、愛で持って人を見つめるだけで、あんなに凄いパワーを他の人に伝えることができるんや。俺は座っていたベンチから落ちそうになった。

ポニョ:愛のパワーは世界で一番強いぜよ。

“この世には、愛以上に素晴らしい美徳は存在しません。
愛は真理であり、愛は正義であり、愛は富であります。
この世は愛から生まれ、愛によって維持され、最後には愛に融合します。
すべての原子が愛から生まれました。
この世には、原子力、磁力等々、無数の力が存在していますが、愛の力はすべての力に勝っています。
信仰と愛のない人生は無意味であり、無益です。
この世に生きる人間にとって、愛こそが人生であり、愛がすべてです。
五元素は愛から生まれました。
すべての人の中にまぶしく輝いているものは、愛に他なりません。
しかし人間は、愛の意義を理解できずに、愛が肉体的関係によって生じるものと考えています。”

ヨシオ:そのお袋の俺を見つめていた目を見ることは難しかったな。サイババさんの目やったな。口で上手く言えないけれど、何て言うかマーヤーのベイルの向こうにある真理の強烈な光が、その目から直接差していて、その目を見ると自分の体が燃えそうになるんや。少しの間やったら見ていられるけれど、長い時間見続けると体が燃え尽きてしまう、マーヤーで出来ている自分の身体が消え失せてしまうような感じやったな。

ポニョ:人間は、神さんがキャンパスに描かれた絵だという話しをしていたもんな。それが絵かきである神さんによって、消しゴムで消されてしまうんやろな。

ヨシオ:ポニョはダルシャンでババに見つめられたことがあるやろ。どんな感じやった?

ポニョ:あゝ、目が合ったという感じやぜよ。おいらを見て下さった。嬉しいな。という感覚や。

ヨシオ:それって、小学生の感想文やないか。俺の場合は、ババに直接見つめられると、自分の肉体の覆いを通り越して、ババの中の本当の自分と、自分の中の本当の自分が見つめ合っているって感覚になったな。自分を肉体と思っている自分が消えてなくなる様な感じかな?でも、そんな時の感覚って口に出して言えないよな。その時、涙がほとばしって出て来て、すぐに周りが涙で何も見えなくなったな。愛のパワーってこんなに凄いんやなって心底思ったな。愛、愛、愛の世界や。強烈な愛だけの世界って、すごいパワーやって感じたな。それと、同じパワーをババがお袋を通じて俺にくれたんや。そのババさんになった目は、じっと長い間、俺を慈愛の眼差しで見つめ続けていたんや。その後、お袋に戻り「私は良いお母さんやったか?」と聞いたんで、俺は、「もちろんや。素晴らしいお母さんや。」と言うと、お袋は突然ババのように、「このような母は世界中どこを探しても見つからない。世界一の母や。」と言ったので驚いて顔を見ると、また一言こう言ったんや。「もうすぐしたらサイババさんが帰って来られるな」って。そして、それがお袋のこの世での最後の言葉やったんや。その言葉を聞いて、俺はとても驚いたな。何度もお袋の顔を見返したんや。

ポニョ:そら驚いたやろ。確かその後お風呂に入られたんやったな。

ヨシオ:家にゆっくりと歩いて帰り、そのままお風呂場に連れて行ったんや。俺は知っていたんや。もうお袋はそろそろ逝くって。だってそんなに急にババになったり、以前のお袋みたいに頭が正気に戻ったり、余計な事を何も話さず聖者のように、言葉を選んでゆっくりと霊的な事を話し、いつも穏やかな表情をして、もう神様みたいになっていたんや。それに、亡くなる三日前から起きている時間はとても少なくなっていたんや。一日に十八時間ぐらい寝てたかな。

ポニョ:毎日、介護をしていたらお袋さんの変化が良く分かるもんな。

ヨシオ:お袋がお風呂に入り、しばらくして俺は水槽の金魚に餌をやっていたんや。ちょうどその時、嫁さんがお袋の様子を見に、お風呂場へ行くと、お袋の様子がおかしいので悲鳴をあげたんや。みんな急いでお風呂場に飛んで行ったんや。でも俺はその時、まだ金魚に餌をやっている最中やったので、そのまま手の中の餌が無くなるまでやり続けたんや。でも自分の中では、お袋に一体何が起こったか分かっていたんや。其の間たった二三秒やったけど、心の中でお袋に、「逝ったんか。突然やったな。もう一日後やったら、サイババさんの降誕祭と一緒やったのに。でも良かったな。長い間苦しかったやろ。ご苦労さんやったな。俺の母親になってくれてありがとう。愛をたくさんもらって嬉しかった。本当にありがとう」と言ってお別れの挨拶をしたんや。そしてお風呂場に走って行くと、もう息が途絶えていて看護師や、救急隊員である子供たちが、いろいろと蘇生を試みていたんや。

ポニョ:自分の子供が看護師やら救急隊員やったら便利やな。歯医者や弁護士、薬剤師までおるんやろ。

ヨシオ:家がクリニックみたいなもんやな。それで、お袋を見るとまだ生きているみたいに暖く、血の気も失っていないから、死んだふりをしてるだけと違うかと思ってたんや。だって、ほんの二十分ほど前に一緒に歩いて話していたお袋やったのに、魂が身体から抜け出てしまった途端、死体になっるって変な感じやったな。本当に突然やった。その後、お袋が好きで大事にしていた妹からもらった服を着せて、床に横たわっているお袋の手を握って話しかけたんや。其の間、顔からだんだん血の気が失せて行き、身体も冷たくなって行ったんや。「不自由な身体の中にいる間は大変やったな。ご苦労さんやったな。」と話しかけると、お袋は、「突然逝ってごめんなさい。驚いたでしょう。」と言って何度も謝っていたな。俺は「謝らなくてもええやんか。今はババのことだけ考えて旅立ったらええよ。ご苦労さんやったな。」と何度も言って見送ったんや。

ポニョ:お袋さんの数奇な人生を、あんたの娘さんが本にした物語を読ましてもらったけど、とても面白かったな。その年のノンフィクション大賞を取ったんやろ。

ヨシオ:ああ、幾つか大きな賞をもらってたな。今ではニューサウスウエールズ州の高校生の為の副読本になっているんや。お袋の七五三の時の写真が表紙になっている本を、お袋を連れて本屋に見に行ったことがある。お袋は、その自分の子供の頃の写真が表紙になっている本を手に取ると、それがすぐに自分の写真やと分かったんや。そして俺に、「誰か私の許可なしに私の写真をこんなところに勝手に使っているな」って言ったんで俺は笑いながら、「あんたの孫娘が、あんたの人生を本にしたんやで。」と言うと、恥ずかしそうに、「人に知らせたくないことも書いたんやろか」と言って心配していたな。そして「ありがたいことや。嬉しい」って言っていたな。出版記念パーティーに連れて行った時も、著者である孫娘にありがとうって言ってた。そしてたくさんの人がお袋の写真を撮り来たので、ニコニコしてとても幸せそうな顔をしていた。

ポニョ:とても、幸せな人生やったな。最後の日まで孫に囲まれて面倒見てもらえたんやから。

ヨシオ:俺が子供の時は病弱で、お袋に大変世話になったから、そのお返しをしようと、世界で一番幸せなアルツハイマーの患者になってもらおうと努力したんや。親父は俺が三歳で病気で死んだから、寡婦になったお袋の苦労を小さい頃から見て来てるしな。

ポニョ:おいらも何度も生前お袋さんにお会いしたけど、とてもピュアな感じの正義感の強い人やったな。
鏡に写った若い東洋子とババ

ヨシオ:曲がったことが大嫌いやったな。根性もあって、天神橋筋商店街をウロウロしてるチンピラとも平気で喧嘩してたな。口では負けてなかったで。お袋が怒った時は、お袋のお父さんのように江戸っ子の言葉を話すんや。横にいてもこれがあのお袋か?と思うぐらいめちゃ迫力があったな。

ポニョ:この親にしてこの子ありやな。まるで一緒やないか。

ヨシオ:俺は東京弁なんか喋れへんで。河内弁や。アシュラムにいた頃は、毎朝花を買って来て、キャンティーンのババの祭壇の飾り付けをしていたな。日本人の典型みたいな人やったから、とても丁寧に几帳面に、長い時間をかけて綺麗に飾り付けていたな。みんなから祭壇が綺麗やって感心されていたな。

ポニョ:何才の時に未亡人になられたんや。

ヨシオ:二十二歳の誕生日の二週間後や。妹が生後四ヶ月で丸々してたな。
四十九日に撮った写真です

ポニョ:再婚されなかったんやろ。

ヨシオ:亡くなるまで、親父のことをずっと思っていたな。アルツハイマーで俺の事を、介護の兄ちゃんと思っていたのに、親父の写真を見ながら、「この人は私の一番大事な人です。この世で私を一番愛して下さった方です。」と言って写真にキスをするんや。お袋はとても美人やったから、再婚の話は何度もあったんやけど、「私の夫以上の素晴らしい人なんて、この世に二人とはいません。」と言って話を断り続けていたな。俺は、ババの写真も親父の写真の横に飾ってあったから、お袋に、「それじゃこのアフロヘヤーのお方は、二番目に好きなんですか?」と聞くと、「この方は、いつも私をじっと見ておられるだけの、おっさんの神さんです。」と言ったんで、俺はお腹の皮がよじれるぐらい笑ってしまったな。

ポニョ:じっと見ているだけのおっさんの神さんか…。それって当たってるやないの!


ヨシオ:そこで何を感心してるんやポニョは。

ポニョ:一度の人生、一人の男か。純潔な貞操観念の強い人やったんやな。死ぬまで旦那さんのことを思い続けるって、女の鏡やな。今時いないでそんな女の人。結婚してたった四年間ぐらいやろ一緒に生活してたんは。今やったら一度の人生、十人の男や。

“貞操は婦人を最高に美しく見せます。SSSvol3p70”

ヨシオ:こんなジョークがある。イエスキリストは絶対にオーストラリアでは生まれることは出来なかった。それは一人も聖母マリヤのような処女を見つけられなかったからだ。

ポニョ:イルちゃんの国やから、若者をセックス、スポーツ、スクリーンのスリーSと酒、ドラッグ、ギャンブルに溺れさして、若者をコントロールし易くさせてるからな。純潔なんてみんなバカにしてるやろ。

ヨシオ:そうやな。離婚が当たり前やし。家族制度が崩壊してるな。教育制度もガタガタやしな。モラルもとっくの昔に無くなっているし、子供は大人を尊敬しないし、孫を叱ってお尻を叩いたお爺ちゃんが孫に訴えられて、警察に捕まり、牢屋に入れられた話も聞いたな。めちゃくちゃや。周りは悪ガキだらけや。学校でドラッグの売り買いしてるもんな。俺が来た時より、ますます社会が悪くなって来ているな。

ポニョ:日本を始め、世界中どこでも一緒やで。世の中狂っているんやぜよ。一度、リセットしないといけない時が来てるぜよ。

ヨシオ:そういう事なんやろな。その為に大元の神さんがわざわざ来られているんや。大きいリセットがやって来るんやろな。たくさんの人たちが頭打つやろな。

ポニョ:そうしないと、いつまで経っても人々は神さんの方を向かないやろ。この世に囚われている人ばっかりやしな。その点、おいら達は神様がこの世に降臨され、その神様に人生を委ねて導いてもらっているから、お互い、本当に幸せな人生を送っているよな。

不浄の傾向は、低い欲望をかきたてるもの、例えば映画などを見たがったり、魚や肉などを食べたいと思ったり、人格を台無しにするアルコール類を飲みたいと思ったり、怒り、迷い、貪欲、自惚れ、欺瞞、憎悪、嫉妬などの念を生じさせます。
そのような不浄の傾向には、栄光、権力、個人的な栄耀栄華を手に入れようとする世俗に関する前世からの欲望傾向、世に名の聞こえた学者となり、同じ分野の競争相手を負かそうとする学問に関する前世からの傾向、美しい肉体、筋骨たくましく、なめらかな肌を愛し、それらが皺や筋肉の歪みで衰えるのを好まない身体に関する前世からの傾向の三つがあり、それらは、あなたを生々流転の浮世の車輪に縛り付けます。
そして、ハートに侵入して次々に悩みを作り出します。
それは、過去の経験を思い起こさせ、快楽を思い出させるので、人はまたそれを味わいたいとの欲望を持ち始めるのです。
心は執着という傾向を持つゆえに、物資と外界に引きつけられ物質のことを絶えず考えるようになり、物資の属性に囚われます。
すべてそれは、心に前世からの傾向があるからなのです。
心に前世からの傾向が無い人は、外界の事物によって影響を受けません。DVJp80~3

ヨシオ:お袋のこの世での最後の日、俺に「こんなに高い霊的境地まで私を連れて来てくれてありがとう。私はあなたから遅れないように、離れないように、必死でついて来たんです。」と言って俺に礼を言ったんや。俺は、「いや俺にしっかりついて来てくれてありがとう。」って言ったんや。でも、今から振り返って考えたら、俺がお袋の中にいてるババの愛をもらってここまで来れたんやと思う。そのババの愛が無かったら、これだけ人を愛する事なんて出来なかったし、愛するという事自体も理解出来ていなかったと思う。今になってみれば、これだけお袋から愛してもらって世話になっているのに、晩年のお袋を少し介護したぐらいで恩を返したつもりになっている自分をとても恥ずかしく思うんや。お袋は命をかけて俺を愛してくれたのだと、今になって気付いたんや。まさしく、お袋の愛は、神の愛やった。

ポニョ:今日はお袋さんの一周忌で追悼の記事やったな。レクイエムや。お袋さんに捧げる鎮魂歌や。

ヨシオ:お袋へのチンコンカンか?ええなそれって。お袋がよく見ていた犬HKのど自慢の鐘や。

ポニョ:あのね、チンコンカンではなく、鎮魂歌と言ったつもりなんですが。それにのど自慢大会の鐘のどこが鎮魂歌やねん?

子どもは、母親が善良であるときにだけ善良になるのです。
嫁が善良であれば、嫁ぎ先の家族全員が善良になります。
私たちは皆、善良な性質を育てるよう努めなければなりません。
皆さんが得ている教育は、お金を稼ぐためのものでも、仕事に就くためのものでもありません。
徳を身に付けるためのものです。8-1977
母親に対する名誉と尊厳を守って初めて、真の息子と呼ばれる資格を与えられます。
母親の愛を獲得できなかった人の人生は浪費にすぎません。
ですから、私たちはまず第一に、母の愛を得るに値するようにならなければなりません。
母の愛を言葉で説明しつくせる人などいません。
母親の意志の強さがあってこそ、息子は人生で成功を収めます。
ですから、人は自分の母親を敬い、愛するべきなのです。
母親には最高の地位を与えなけれなければなりません。
それができる人だけが、真に国をリードしていくことができます。
神々は崇めても崇めなくてもかまいませんが、母は必ず神として崇めなければなりません。
決して自分の母親の愛を忘れてはなりません。
母の愛は最高です。子どもの中にある神聖な思いは、唯一、母の愛によって発達します。
気高い性質を備えた母親のいるところには、必ず平和と繁栄がもたらされるでしょう。
自分の母親の愛を無視して人々の愛を切望するのは愚かなことです。
それゆえ、人は母を崇め、尊ぶべきです。
経験によって母の愛を知ろうと努めるべきです。
母親を尊敬し、母親の愛を獲得して初めて、人は真の意味で人間と呼ばれることができます。
この世には母親より偉大な神はいません。
残念なことに、今、人々はこの真理を忘れ、さまざまな場所に神を探しに行っています。
目に見えない神を切望する代わりに、自分の目の前にいる生きた神に、礼拝し、奉仕すべきです。
これをしないで、神の聖なるダルシャンを得ようと、苦行や聖地巡礼、礼拝や儀式といったさまざまな行いを始める人がいますが、それは無駄です。
まず自分の母親の愛を勝ち取らずして神の恩寵を勝ち取ることはできません。
 母の愛は底流としてすべての人の内に流れています。
偉大な人物の歴史を調べてみれば、母の愛という助けがあったからこそ人生で高い地位 に達することができたことは明らかです。
母親の気高い考えに従って人生を送るとき、あらゆる苦しみは取り除かれるでしょう。
他の人のことは尊敬してもしなくてもかまいませんが、自分の母親のことは必ず尊敬しなければなりません。
人は自分の母親の愛を勝ち取るために一生を捧げるべきです。
母の愛にはつねに私心がありません。
私たちはそのような愛を育めるようにならなければなりません。
どこに行こうとも、何を見ようとも、母の愛という祝福があってこそ繁栄を得ることができます。
母の愛を勝ち取れないまま神の恩寵を勝ち取ることを望むことなどできますか?
そんなことは出来ません。
ですから、まず第一に、自分の母親の愛を勝ち取れるよう努力しなければなりません。
母親の気持ちを傷つけるような仕事を引き受けるべきではありません。
母の心は非常に傷つきやすいものです。
ですから、母親の気持ちを傷つけないようにしなければなりません。6/5/05













僭越ですが法悦に浸り悦に入っております

2014-11-19 00:00:25 | 日記
電子本「サイババが帰って来るよ」Part1~4は以下のポニョ書店からどうぞ

http://bccks.jp/store/114521
Sai's Messages for The Golden Ageの文庫本が出来ました。上下の二部に分かれますが小さいのでいつでも何処でもババの御言葉をポケットに入れて持ち運びが出来ますよ</script>"><script type="text/javascript" src="http://bccks.jp/bcck/128820/widget"></script>

ポニョ:野菜台の一部から水が溢れてるな。まだ上手く水が循環していないので、排水口の位置を下げたり、上げたりして調整せないかんぜよ。それに下から水が漏れているところもあるから、ライナーを修理しないといけないので、最悪の場合、全部砂利を取らないといけなくなるかもしれんな。

ヨシオ:それは大仕事やな。ポニョはまだちょっと足止めやな。それより、さっき夕食後の散歩に出かけようとしたら、この辺のカンガルーのボスが挨拶に来てくれたんや。「おお、君か。久しぶりやな。元気にしておったかい?ちょっと年取ったな。飛び方に元気が無くなって来たな。でもまだたくさん筋肉が付いているな。なに、腹が減ってるんか。よっしゃ小麦でも食べるか?ちょっと古い小麦やけどな。と言って小麦をあげたら喜んで食べに来よったんや。

ポニョ:そのカンガルーは昨日も来てたで。めちゃ大きい奴やろ。おいらよりはるかに背が高かったぜよ。ニメートル近くあるんと違うか?近くに行っても逃げないし少し怖かったぜよ。

ヨシオ:そうか。昨日から来てたんか。それで二十分ほど散歩して帰って来たら、連れに自分の小麦を食べさせてたんや。自分は周りを見張ってたな。俺は、こいつはえらい奴やなと思ったな。自分も腹が減っているのに、わざわざ連れを呼んで、連れに食べさせているんや。それで俺はもっと小麦を持って来てボス君にあげたんや。

ポニョ:それだけ自分を犠牲に出来るからリーダーになれるんやろな。多分次の生は人間になるやろな。ひょっとしたらオリンピックの走り幅跳びで優勝すると思うで。

ヨシオ:そうやろな。でも両足で踏み切って飛ぶ癖が抜けないから、多分失格になるやろな。

ポニョ:本当に優しい顔をしてるよな、カンガルーって。でも近くに来ても攻撃して来ないのか?

ヨシオ:俺のところに来るカンガルーは大丈夫や。でも、時々人が蹴り殺された話を聞いたことがあるな。

ポニョ:カンガルーに飛び蹴りされるんか。強烈に痛いやろな。怖くなってきた。

ヨシオ:大丈夫や。ポニョが遊びに行ったデンマークに住んでいた頃、家の近くにあったヌラキ半島に歩きに一人で出かけたんや。そこは道なんか無くて半島の先まで人身未踏の世界なんや。時々断崖絶壁からハングライダーが離陸しとるけどな。そして低い雑木林の中を砂にまみれて歩いていたら、突然今まで見たこともないような巨大な赤カンガルーが地響きを立てて俺の前に立ち塞がったんや。俺の家の周りに居てるのはグレイカンガルーで、大きくても二メートルを越えないけど、赤カンガルーはゆうに二メートルを越え筋肉ももっと付いていて体重も重いんや。俺はふざけてそいつに、俺はお前の敵ではないよ。仲間だよと言って両手を頭の横に持ってきてカンガルーの耳のように動かしながら、両足でピョンピョン飛び跳ねていたら、そいつは変な生き物がいるなという感じでそこに釘付けになって俺のパフォーマンスを見ていたな。

ポニョ:そんな人身未踏な地にいてるカンガルーは、普段、人を見たことはないので近くに来たんやろな。それがピョンピョン飛び跳ねているのを見て、なんじゃこの生き物はと思ったやろな。

ヨシオ:その点、ここに居てる奴は、俺は、あいつらがお母さんのお腹の袋に居てる時から知っている奴ばかりで、いつも家のベランダとかまで来て餌をねだりに来る奴やから人を襲ったりしないんや。新しい子供が生まれたら、わざわざ見せに来てくれたり、新しい連れを紹介してくれるんや。家族の一員みたいなもんや。それにこの世に起こる全てのことは、その人の反響、反作用、反映やから、そのカンガルーの中に神の愛を見て、愛で持って接すれば愛で返して来るんや。

“人々は自分の幸せや悲しみは神のせいだと思っています。
けれども神は幸せも悲しみも与えません。
どちらも神のせいではありません。
そうとは思えないとしたらそれはあなたの妄想です。
もし今日あなたが誰かをぶてば、あなたは後で、その人か、あるいは別の人にぶたれるでしょう。もしあなたが、今誰かを傷つけたなら、あなたも同じように傷つけられるでしょう。
つまり、人は誰もが自分の行為の報いを受けることになっているのです。
あなたが体験することはすべて、あなたがしたことの反作用、反映、反響以外の何ものでもありません。
神はそれに何の関係もありません。
あなたがすることはすべてあなたに返ってきます。
ですから善を見て、善を為し、善を味わいなさい。
神は何もあなたに与えませんし、何もあなたから受け取りません。
神は何にもどんな時にも干渉しません。
あなたの悪い行いが、あなたの難儀の原因です。
この真理を理解すること無く、人は自分の受難について神を責めます。
あなたの損失と獲得、幸せと悲しみ、生と死を神のせいだと考えるのは大間違いです。
神は永遠の照覧者です。
何についても神を責めてはいけません。
あなたの望みが叶うのも、叶わないのも、あなた自身に責任があるのです。
人は皆、自分が体験することはすべて、自分に責任があると考えなければなりません。30/1/10”

ポニョ:ふーん。そんなもんか。

ヨシオ:昔インドでそういう話を聞き、それを試した男がいたんや。その男は王様の一行が象に乗って通りを行進されている前をに飛び込んで、象が自分を踏み殺すかどうか試すことにしたんや。それで象の中の神様に向かって「今から行きますよ。」と言って身体を投げ出すと、象は歩くのをやめて、鼻でその人を掴んで道の脇に置き、何事も無かった様にまた行進を始めたんや。

ポニョ:命知らずの間抜け野郎やな。多分不幸な結婚をして、家に帰ったら嫁はんにいつもグイグイやられているんやろ。

ヨシオ:なんやねん、そのグイグイって。サイババさんがそのエピソードを紹介してくれたんやけれど、サイババさんは、もし、その男が象の中に神さんを見ていなかったら、象に踏み潰されていたと言っておられたな。

ポニョ:ふーん。そうなんや。全てのものの中に神さんを見るって大切なんやな。でもあんたみたいに、野生動物と一緒に生活出来るってええよな。日本では田舎に行けばクマとかイノシシとかがいるけど、襲われるしな。都会の野生動物って言ってもカラスやスズメぐらいやろ。放射能の影響でツバメが少なくなってるし。

ヨシオ:このように野生動物と信頼関係を打ち立てようと思ったら、定期的にエサをあげたり、いつも話しかけてあげたりしなければいけないな。

ポニョ:でも、野生動物に餌をやると、生態系を崩す恐れがあるぜよ。

ヨシオ:ババは、神は発電所で人がそこからパワーを取ろうと思ったら、送電線を自分のところまで引かないといけない。そして、その送電線を引くのには、送電線鉄塔が決まった間隔で立てないといけない。それがサーダナつまり霊性修行やと言われたな。

ポニョ:定期的にサーダナをするんダナ。それって簡単なようで実は難しいよな。突然仕事が入ったり、冠婚葬祭で忙しくなったりして予定が狂ってしまうから。

ヨシオ:ババは霊性修行を動物に例えたら、三匹の生き物に例えられると言っておられる。最初の生き物は鷲や。鷲は空からすごく速いスピードで舞い降りて来て、獲物を狙って掴むやろ。それでその獲物がダメージを受ける。それと一緒で早く結果を望むために、急いで熱心に色んな霊性修行をやり出す人がいるやろ。霊性修行って、いくら急いでやっても効果は上がらないんや。二番目はお猿さんや。光明瞑想をやったかなと思ったら、しばらくすると、やれハタヨガやとか超越瞑想やとか言って色々違うやり方をする。また、信仰する神の名前を変えたり、違うグルに乗り換えたり色々忙しい人がいるやろ。

ポニョ:まるでおいらの事を言われているようやな。おいらはお猿さんタイプの霊性修行をしてるんやな。モンキーマインドスタイル霊性修行か。名前の響きは悪くないな。

ヨシオ:モンキーマインドも酷くなると、猿が酒を飲んで酔っ払ってしまい、そして、最後にはその酔っ払った猿がサソリに刺されてしまうという様に、人によっては手が付けれないほどひどいモンキーマインドがあるって、ババが言ってられたな。

ポニョ:俺はオクラの好きなモンキーマインドやな。略してオクモンや。

ヨシオ:なんやねんそれは。そして三番目の生き物は蟻や。蟻は少しずつコツコツと毎日働くやろ。それに砂の中に砂糖を混ぜて入れても、砂糖だけを選んで取って行くやろ。そのような霊性修行が一番効果があるんや。

ポニョ:そうか。おいらもオクモンを卒業して蟻さん霊性修行をせなあかんぜよ。

ヨシオ:また、帰依にも二種類あって、生き物で例えると猫さん式帰依と猿さん式帰依や。

ポニョ:犬と猿って仲が悪い人たちの例えやけど、猫と猿の取り合わせって聞いた事が無いぜよ。

ヨシオ:猫って子猫を口にくわえて運ぶやろ。鋭い歯が有っても、優しく口に子猫をくわえて子猫を傷付けないように運ぶやろ。子猫は全てを親猫に委ねているから、何も心配せずに親猫の口からぶら下がっているだけで、自分は安全なところに運ばれている事を知っているんや。ところが猿の子は、親猿が木の枝から枝へ飛び移る時に振り落とされないように、お母さんのお腹を逆さま向きになって、必死にしがみ付いているやろ。猫式帰依は、バクティ ヨガで、猿式帰依はニャーナ ヨガを表しているんや。

ポニョ:バクティ ヨガって、ラーマクリシュナさんたちがやっていたよな。神さんに全てを委ねて、神さんをお母さんのように慕って愛するんや。ニャーナ ヨガは英知のヨガと言われていて、自分は誰か、という事をとことん問い詰めて行くんやったかな。

ヨシオ:ババは、バクティ ヨガを勧めておられるな。その一つがナーマスマラナと言って神の名前を切れ目なく唱えるんやけど、これがこのカリユガの世では一番効果がある霊性修行だと言っておられるな。ポニョはやったことがあるやろ。

“ナーマスマラナはカリユガにおいて人が解脱に達するのを助けるために規定された最高の方法です。10/9SS”

ポニョ:うん。でも途中で飽きてくるな。機械的に唱えていても、だんだん退屈になってくるし、眠たくなるし。

ヨシオ:一度前にも言ったけど、クリシュナダスさんの歌を聞きながら、一緒に神の名前を唱えてみ、一日中唱えられるで。周りの目を気にしないで、一度だけで良いから、大きな声で一緒に歌ってみ。俺は毎日一人で働いているやろ。だからいつもポケットにipodを入れて、クリシュナダスさんの曲を、リピートにして一日中同じ曲を聞いているんや。そして大きな声で一緒に歌うんや。すると突然心の底から、大きなすごい溶岩の塊のようなものが湧き上がって来て、火山が噴火するように、ドカーンと体中からバクティのエネルギーが出てくる時があるんや。そうなると感情がコントロール出来なくなってしまって、口は一緒に歌っているんやけど、声が震えて音は外れるし、涙で顔はぐちゃぐちゃになるし、至福な気分になるんや。なんて言ったら良いか分からないけど、法悦の気分ってこの事かなって思ったな。もう、神さん以外の事は何も考えたくなくなるし、この世的なものに、何も興味も無くなってしまうんや。その一瞬は俺の日常生活で一番大切な時間なんや。神様に感謝したくなるよな。だってこんな簡単なナマスマラナの修行で神の至福を体験出来るんやから。本当にカリユガに生まれて良かったな。神様に生かせてもらって本当にありがたいって心から思うようになるな。そんな時…。

“あらゆる方角へ彷徨うとする心をナーマスマラナ(と瞑想)によって集中させるならば、虫眼鏡で太陽光線を一点に集中させると炎となって燃え上がるように、知性と心の波が集中し、歓喜を照らす神聖光線として現れます。集中すれば、どんな困難なこともやってのけられるのです。人には、無限の力が備わっているのです。"DVJp6”

“恩寵への近道はありません。ナーマスマラナは安全な道です。もっと近道があるという人のことを信じてはいけません。彼らは、プラナヤーマ(呼吸法)や、ハタヨガ、の事を紹介するかもしれませんが注意しなさい。それらは危険をはらんでいます。それらに耳を貸したり、ヨーガの本を読んで実践したりしてはなりません。私はそういう本を読んで実践した結果、精神病や精神錯乱に陥った多くのケースを知っています。SSSVol2c34”

“ナマスマラナの火は心の中の不純物を燃やし尽くし最後には心を純粋なものにする。これが心の秘密です。P, 298 ANDI”

“サイの名前を唱え続けている人は、生きながらの解脱者です。
なぜなら、サイを常に憶念することによりエゴが小さくなって行き、永遠且つ、不変のアートマ真我への悟りがもたされるからです。
サイの御名は帰依者とサイを繋ぐ絆です。
その名前によって、帰依者はサイと向かい合い、自分が実はサイと一つであったという英知を得ることが出来るのです。29/3/81”

俺が、いつも聞いているクリシュナダスさんの曲です。
https://m.youtube.com/watch?v=rqk_blhpHRI

神様と友達になろう

2014-11-17 00:00:36 | 日記

電子本「サイババが帰って来るよ」Part1~4は以下のポニョ書店からどうぞ

http://bccks.jp/store/114521
Sai's Messages for The Golden Ageの文庫本が出来ました。上下の二部に分かれますが小さいのでいつでも何処でもババの御言葉をポケットに入れて持ち運びが出来ますよ</script>"><script type="text/javascript" src="http://bccks.jp/bcck/128820/widget"></script>

ポニョ:今回こちらに来て、アクアポニックスのシステムを作っていて、あんたがここでやっている事は神様の仕事やな、と思ったな。というのも、ガネーシャがいるのかと思うほど、全てが信じられないくらい上手く行ったし、もう事前に誰かが計画している事を、おいら達がやっているなって感じたんや。

ヨシオ:それってどういう意味や?

ポニョ:あんたは気づいていないかもしれないけれど、例えばおいらが来る前に、誰があれだけの量の焼き粘土玉や砂利を注文したんや。

ヨシオ:ババが俺を通じてやったんやろ。

ポニョ:それを分かっていたらええんや。でも事前に用意してあった全ての材料がきれいに無くなったぜよ。120袋の焼き粘土玉、二十トン近くの砂利、それに以前使って余っていた鉄で組み立てた野菜栽培台、五センチしか勾配がないバスケのコート、その隣にある鯉タンク、そして予備の水タンクがすぐ横にもう設置してある。おいらがバスケットのコートに、設計したシステムの野菜栽培台の面積が偶然90平米でババの数字やし、一平米の野菜台当たり、約一キロの魚が必要なので、ざっと計算したら、一匹あたり300グラムほどの大きさに育っている鯉が全部で何匹いるのかを数えたら、丁度300匹。つまり一平米当たり一キロの鯉がいてたんや。しかもアクアポニックスは塩素が入っている水はバクテリアに良くないので、雨水とか地下水を使うけど、あんたのタンクには、もう充分雨水があって、隣の倉庫の屋根から取水出来るようになっている。今回、こんな大きなシステムを作るのに使ったお金は、焼き粘土玉代と四万円の砂利だけやろ。他の全ての材料は、もう既に手元にあった奴を使ったんやろ。サイババさんからアクアポニックスのシステムを作って下さいね。と言われているような気がしたぜよ。

ヨシオ:そう言ったらそうやな。材料も全部前にやった仕事の残りもんやからな。金はかからんかったな。肉体労働は大変やったけれど。途中で何度も死にそうになったで。

ポニョ:あんたが自分で計画していたサイトは立地が良くないので、おいらがバスケのコートを使うように変更したけど、そこで全てが上手く行ってぴったしカンカンやったな。

ヨシオ:バスケのコートでやるってババが事前に計画してたんやな。でもあの木があるから日陰が出来るんや。

ポニョ:まだその話をしてるんか。夏の間はこのまま様子を見たらええやろ。こっちは日差しがきついし、ちょっとぐらい日陰になった方がええかもしれんで。それに木にあんな事を囁かれたんやったら切りにくいやろ。

ヨシオ:そうなんや。今は、毎日君の事を記事にしたよって話しかけてるんや。するとあの大きなゴアナも近くにやって来て、僕にも話しかけてくれませんか?と言ってきたな。

ポニョ:あいつか。1m以上あるな。しょっちゅう近くに来るんでびっくりコクよな。それにシステムの水を目当てにカエルや蜘蛛や小さな虫たちが寄って来たから、それを狙っているんやろ。水がある所には生命があるんや。水は命の元やぜよ。

ヨシオ:このシステムが上手く機能して、将来ここで育つ野菜が人様の役に立てば嬉しいな。

ポニョ:世界がカオス状態になれば、コンビニやショッピングセンターの棚が空になるからな。こうして野菜などを生産出来れば役に立つやろな。でないとババが、わざわざあんたにノンハイブリッドの野菜のタネを買いなさいなんて言われる訳が無いぜよ。しかも、お金まで下さったんやろ。

ヨシオ:俺は毎日ババと一緒に仕事をしているから、ポニョに、いろいろとこんな偶然があったと言われて初めて、あゝそうやったんかと気付くけど、俺にとってはこれが普通なんや。でも、去年久しぶりにババと言い合いしたな。それは、ポニョも知っている通り、大きな倉庫に毛布やら農具やらを保管しているんやけど、メインテナンスが大変なんや。全部で三千平米もある大きな倉庫やから、一年間に町に支払う金が百万円ほどかかるし、屋根から雨水が漏れて中にある毛布とかが濡れて痛むし、めちゃ大きい建物やから、毎日修理やなんやかで大変やったんや。それで、ババに「この大きな倉庫を買って以来、修理だけではなく、金銭的にもとても大変や。どうにかしてくれよ。」と言うと、ババは、「私が意思しないと何も起こらないってお前も知っているだろう。雨漏りも含めて全ての事は私がやっているんだ。お前は自分が管理や補修をやっているって思うから、そんなふうな感情が湧いてくるんや。」と言われたんで、俺は売り言葉に買い言葉やないけれど、「よっしゃ、上等やないかババさん。神さんやったら自分が言ったことに責任を取ってもらおうやないか。そこまで言われたんやから取り消しは出来ないで。口から出た言葉は行為と一緒でないといけないって言ったのは、どこのどちらさんやったかな?それじゃメインテナンスもあんたがやってもらおうやないか。俺はもう保守管理はしないで。」と言ってさじを投げたんや。それで、大きくなり過ぎて倉庫に当たってダメージを与える木などを切ったり、倉庫の周りのフェンスの上に倒れた木を切ってフェンスを修理したり、水漏れを修理したりして普段はとても色々忙しいんやけど、その年は見回りに行くのも止め、放ったらかしにしてたんや。でも、久しぶりに最近アクアポニックスのシステムを作る為に材料を取りに行くと、ゲートの鍵は壊され、倉庫のドアもぶち破られていたんや。盗られたものは大した物はないけれど、この25年間一度も被害にあった事が無かったのに、今回はこの様や。俺はしばらくの間、壊されたドアの修理や警察への報告で大変やったんや。しかも、きれいに修理したのに、また違うドアを直ぐにぶち壊されたんや。多分悪ガキが面白がってやっているんやけど、その度に修理に金とエネルギーを使うし、もう頭に来て、「ババさん、あんたが全てをやっているって言ったからお任せしたのになんやねんこの様は。えらく良い仕事をやってくれてるやないの。あんたに言わせれば、その泥棒も私なのだ、なんて言われるんやろな。あのね、それって屁理屈って人の世界では言うんや。あんたがいる神様の世界は想念の世界やから、ドアやフェンスなんかあっという間に修理出来るかもしれないけど、この物質世界にどっぷり浸かって生活している俺たちは、修理だけでも大変なんや。全部私がやっていると大見得切って、言われるんやったらな、その盗人の中に入っている時に、こんなにめちゃくちゃにドアを壊さんといてくれるか?ひどいやないか」と言ってババに食ってかかったんや。するとババは、「この倉庫とそこに保管してある物は全て私のものだから、私が誰にそれをあげるかは私の問題や。私はお前を通じて、この倉庫のメインテナンスをしていたという事は、お前もとっくに気が付いていたろう。毎日良くやっていたな。でも去年、お前の母親の、この世での生が残り少なくなって来たので、お前に母親との時間をもっとやろうとして、わざと、お前をこの仕事から離れさせたのだ。おかげでお前はゆっくりと母親と最後の時を過ごすことが出来ただろう。今、私のそばにいるお前の母親も大変喜んでいるよ。」と言われたんや。

ポニョ:そうやったんか。知らんかったな。そういう事情があったんやな。

ヨシオ:でも今週末、ちょっと値段は高いけど警報装置を付けるんや。

ポニョ:面白いな。あんたは神さんであるババと、本当に友達みたいにして話すんやな。とても面白かった。今では借りてきた猫みたいに大人しいけど、時々、昔、組長というあだ名が付いていたように、ガラの悪い本性が出て来るな。

ヨシオ:そうか?これがなんでガラが悪いねん。ババも自分を友達だとみなして扱ってくれるのが一番嬉しいっておっしゃってるやないか。俺も、ババと話している時は、ババを友達とみなして話すのが自分に合ってるんや。ババを身近に感じることが出来るしな。本音を言える自分になれるしな。まあでも、どんな事があっても、ババは愛の化身やから、俺の事をとても愛しておられるって感じれるから嬉しいな。俺とお袋の時間をくれる為に、倉庫の保守管理から一年間、自由にさせて下さったんや。

あなたは、神との友情を培うべきです。
もし神があなたの友人であれば、全世界をコントロールすることができます。
しかし今日、不運な人々は、神との友情を失いつつあります。
神と友達になるのは容易なことではありません。
しかしあなたは、このことにあらゆる努力を傾注すべきです。
いったん神と友情を培うことができれば、サーダナ(霊性修行)を通じてそれを最大限に活用しなければなりません。おしゃべりをして時間を無駄 にしてはなりません。23/11/02
神よりも偉大な友はないことを認識しなさい。
人が神の期待に応えることに失敗した時も、神は彼を見捨てません。
それゆえ神は良き友といわれるのです。
神は誰からもいかなる贈り物も求めません。
にもかかわらず、人はそのような良き友をなかなか受け入れないのです。
そうではなく神を良い友人として受け入れる者のみが、神の友情の完璧な意味を理解することが出来るのです。
このような信念こそ真の知識です。14/1/91


ポニョ:そうか。今回の件も、ババがあんたとお袋さんに良かれと思ってされたことなんやもんな。

ヨシオ:お袋が生きてた頃、あの倉庫の周りを車でくるくる回って車の運転の練習をしたことがあるんや。初めての車の運転やったから、とても興奮して喜んでいたな。その後、アルツハイマーになってからも、俺が倉庫に行く時はいつも一緒に連れて行って、俺が働いているのを横で長い間、見守ってくれたな。

ポニョ:そういや、そろそろ一周忌やもんな。早いな、時が経つのは。

ヨシオ:俺が全ての人の中にババを見れるように、ババはお袋を通じてトレーニングしてくれたんや。

ポニョ:ほう。どうやって?

ヨシオ:アルツハイマーが進行してもう自分の事が何も出来なくなって来たお袋やったけど、時々信じられないぐらい、話すことが理にかなっていた時があるんや。俺にアドバイスもしてくれるし、ババの教えを話してくれる時もあったな。俺は別に瞑想とかしなくても、お袋の言葉に注意して耳を傾けていたら、毎日の生活をする上でババさんの指針を聞くことが出来たんや。

ポニョ:どんな指針が聞けたんや?

ヨシオ:普段の生活での細々した事やら、いろいろや。面白かったのは、下の息子が中学生の頃、一年間ほど日本のバスケ重点校に受け入れられる事になって、日本に行く準備をしていたら、その頃寝たきりで口も殆ど聞けなかったお袋が、突然、「見も知らずのところに、まだ小さい息子を、行かすのはもってのほかや!行かすのをやめなさい。」と言ったんや。お袋の部屋は居間から壁二つ離れたところにあるので、俺たちの会話なんて聞こえないのに。また、日本から突然人が訪ねて来た時、「ここはお前のような霊的レベルの人間が来るところではない。すぐにこの家から出て行け。」とひどい事も言ってたな。

ポニョ:急にババになられるんやな。驚くぜよ。

ヨシオ:また、お袋はお風呂が大好きで長湯をするんやけど、オーストラリアではガスで湯を沸かしたりしないから、追い焚きが出来ず、熱いお湯を少しずつ入れて湯加減を調整するので、とても難しいんや。妹に日本製の湯加減調整器を買って来てもらったけど、説明書を読むと人が風呂に入っている時は使ってはいけませんやて。それっtバカにしてるよな。それで時々、湯加減を間違えて熱くなりすぎて、お袋をのぼせさせたことがあったんや。そんな時、きつく叱られな。「この体を正しく扱わないと、この肉体の寿命が来る前までに死んでしまうぞ。もっと注意してこの肉体を扱え!」と言って唾をかけられて、叱られたな。ピンタまでされたんやで。

ポニョ:ババは唾はかけないと思うけど、ピンタはよくされるもんな。そうか、そういう事があればお袋さんの中にババさんがいるって丸分かりやな。

ヨシオ:そうやろ。家族たちもそれを実感し始めて、お袋のことを、おババ様とか言って呼び始めて尊敬するようになったんや。そして当然の帰結になるけど、お互いの中にもババがいることが理解出来るようになったんや。

ポニョ:あゝそれでか。あんたの家族は、お互いの名前のあとにリリババさんとかエナババさんとか、ババを名前の後ろに付けて呼び合いするのは!

“あらゆる種類のサーダナの目的は、全てのものの内に神を見るように心を訓練することです。CWSSBJp275”
“人間が目の前に見るものは、世界ではなく、まさしく神なのです。
しかし、無知ゆえに人間はこの真理を理解できず、外側の世界に神を探そうと努めます。
あなたが自分の前に見つけるものすべてが、まさに神の姿なのです。
あなたはすぐ目の前に神を見ているのに、まだ自分は神を探し当てていないと思っているのです。何と愚かなことでしょうか!
あらゆるものが神の顕れであるという堅い信念を育てれば、あなたは確実にすべての人の中に神を見いだすことでしょう。16/3/03”
“全てのものに神を見るならば、あなたは3日のうちに自分の中に潜む神聖な感情が育ち始めるのを感じることが出来ます。
さもないと、30回生まれ変わって霊性修行に励んでも何の役に立ちません。11/93SS”
近い将来、あなた方はスワミが様々な姿を取ってあなた方の前に現れるのを見るであろう。
このような素晴らしい機会を逸しないように、努力して私の教えに従いなさい。6/1976
神はあなたの真の身内です。神はあなたの息子や娘、友人や他の身内という姿をとってあなたのところにやって来ます。神はあなたのあらゆる困難の中に存在する、あなたの真の身内です。
神がアーパドバーンダヴァ(困難なときの友や身内)と呼ばれるのはそのためです。1/5/08
“私は偉大な人物になるのが重要だと思いません。
善良さは偉大さに勝ります。
偉大になることを目指すより、善良であるように努めなさい。
良い人間になる方が、偉大な人になるよりもずっと大切です。
両者の違いは何でしょうか。
それは、偉大な人は神の内に人を見ますが、善良な人は人の内に神を見ます。STPSp111”

汚い米は好きですか?

2014-11-16 00:00:27 | 日記

電子本「サイババが帰って来るよ」Part1~4は以下のポニョ書店からどうぞ

http://bccks.jp/store/114521
Sai's Messages for The Golden Ageの文庫本が出来ました。上下の二部に分かれますが小さいのでいつでも何処でもババの御言葉をポケットに入れて持ち運びが出来ますよ</script>"><script type="text/javascript" src="http://bccks.jp/bcck/128820/widget"></script>

ポニョ:日本に戻る前にあんたが勧めてくれて行ったデンマークへの旅は途中で切り上げたけど、今回の旅は楽しかったぜよ。最初に地名を聞いた時はなんでヨーロッパまで行かなあかんねん。と思ったぜよ。でも同じ名前の地名があったんやな。

ヨシオ:昔、そこに俺たちはしばらく住んでたんや。海岸がきれいやろ。でも今度は俺が日本に帰る番やな。25年も帰って無いから浦島太郎になるやろな。もちろん帰るとしたら、ババが再降臨されてからやけどな。今帰ってもやることは何にも無いしな。

ポニョ:今帰ってきても、アホな妄想を書いているブログの管理人が、何をウロウロしてるんや。と言われるだけや。ところでアクアポニックスのシステムは、最初の数ヶ月が一番大切やから、しっかりと、毎日水質とか流量、ペーハーなどをチェックせなあかんから、最低三ヶ月間はどっこも行かれへんやろな。それに、野菜が育ち始めたら収穫などで忙しくなるで。

ヨシオ:早速パッションフルーツやら神聖なトゥルシを嫁さんが植えたんや。楽しみやな、大きくなるのが。

ポニョ:もう少し経てばミミズを入れたら良いで。野菜の育ち具合が良くなるぜよ。

ヨシオ:腰を曲げて仕事をしなくても良いし、肥料や農薬も要らないし、耕したりしなくてもええから楽やな。小さなポンプ一個だけで全部に水が回るしな。

ポニョ:出来た野菜が将来人様の役に立てば良いな。まあ、また何かあったら連絡して来いや。

ヨシオ:俺も早く自家栽培の野菜を食べたいな。

ポニョ:オクラなんかよく育つで。それじゃ本題に行こか。今日が最後のオーストラリアでの対話になるな。

ヨシオ:今日も帰依全託の話から入って行こか。ある聖者と幾人かの信者達が森に入り、小屋を建てることになったんや。それで、ほとんど建て終わったと思ったら、聖者が気が変わったんや。そこじゃなくて、ここにしなさい。と言ったので仕方なく、また解体して建て直したんや。すると聖者は、やっぱりそこじゃなくてこっちにしようと言ったので、また建て直したんや。それを数回繰り返している内に、一人二人と信者達が怒って帰って行ったんや。やがて最後には、たった一人だけになったんや。聖者は「信者は、量ではなく質が大切じゃ。信者はお前のような、どんな事があってもマスターの言うことを100%聞く人間が一番なんじゃ。」と言ったんや。

神の指示に対して、疑いを持つこと、異議を申し立てること、背くこと、非難することが決してないようにしなさい。神の指示を厳格に守ることは、全託と呼ばれます。
これを育めば、人生における成功は必須です。stps2p180

ポニョ:聖者は何を言ってもされても、全てを愛でされているって信じれば、本当の信者だったら、怒って帰って行かないもんな。

ヨシオ:そこにプライドやエゴとかがあれば、マスターの言うことに疑問が湧いて来て、怒りの感情などが出て来るんや。

ポニョ:でも、誰でもそんな状況に置かれれば、同じような行動を取ると思うで。おいらやったら、ストレートに聞くけどな。「なんで一生懸命建てた小屋を解体して、またちょっと離れたとこに建てるんですか?労力と時間の無駄ですよ。もう気が変わらないようにして下さいね。」と言って話し合えば済む事なのにな。

ヨシオ:そんなふうにしてババと対話出来るか?「ババさんいつまで待たせるんですか?今度インタビューに呼んでもらえるのはいつですか?どうしていつも無視して手紙も取ってくれないんですか?」なんて聞けるか?

ポニョ:ちょっと無理やろな。それじゃとにかく、何でもグルが言われたことを無条件で受け入れることなんやな。難しいよなそれって。

“人間は一生懸命働く様に創られており、仕事をしていれば、心は無価値で気儘な想念に没頭する時間がなくなります。
何も仕事がないのであれば、瞑想や御名を唱える、良い書物を読む、善人と交わるなどの霊的努力を続けるべきです。
神に全託する事は難しいと感じる人もいるかもしれませんが、すべての人は時間に全託しています。そして時間は神なのです。
一日ごとに人の命は縮まっており、私たちはその時間に、自分の一生を託しています。時間は人間の命を征服します。
そしてその時間は神なのです。
ですから、第一に仕事があり、それから英知、次に愛があります。
仕事そのものが愛、いや神になる時がいつかやってくるでしょう。”

ヨシオ:神さんは結果オーライの世界からメッセージを送っておられるんや。つまり何があってもみんな神様にたどり着くために山登りをしているようなものなんや。途中でいろんな事があっても、いろんな道があっても。全ての道は頂上に続いているんや。

ポニョ:そんな事を記事にしたよな。神様の愛のパワーに引っ張られるようにして、山登りをしてるんやな。

ヨシオ:一見悪いように見えていても、そういう事を通じて人は頭を打って賢くなって行くからええ事なんや。みかんの皮を食べたことあるやろ。苦くて焼きみかんにしないと食べれないやろ。それと一緒で、神の甘い甘露を味わうには、苦い体験をしないといけないんや。

私たちのあらゆる苦痛と悲しみの原因は何でしょう? 
私たち自身の、善からぬ 不浄な想いが、私たちの苦痛と悲しみの原因です。KSH
あなたが自分の苦痛を取り除くために神の恩寵を切望しているのと同じぐらい、私はあなたの苦痛を取り除きたいと切望しています。
それはあなたは気付いていませんが、私はあなたの苦痛を感じることが出来るからなのです。4/3/62

ポニョ:なるほど、それは分かりやすい例やったな。

ヨシオ:食べる物を例に出すとポニョはすぐ理解するもんな。そういう苦い体験や苦しみが人生には付きものやけど、それを苦しいと感じないようにするには、帰依全託の心が要るんや。ババが腰の骨を折られた時でも、帰依者のために無理をしてダルシャンに出て来られるんや。周りの人たちは心配して、「ババ様腰は痛くないですか?」と聞くと、「痛みはあるけど、私はそれを感じないのです。」と言われたことがある。

ポニョ:ババさんは感覚をコントロール出来るからな。でも普通の人は難しいぜよ。やはり人生で苦しい時には、泣いて悲しむで。それを帰依全託の心で乗り切るって、よっぽど霊的なレベルが高い人でないと難しいぜよ。

ヨシオ:頭では分かっていても、実際体験すれば取り乱したりするもんな。でもその時に神さんと向かい合うことが出来るんや。その苦しい時こそが、その人が霊的に伸びていける大きなチャンスなんや。

困難がなければ決して幸福を得ることはできません。
幸福から幸福は得られないのです。
逆に困難にだけ陥る苦難もありません。
困難が無ければ決して喜びの価値を知ることはできないでしょう。
自分の家族が不死ならば、母親でさえ我が子を愛せなくなるでしょう。
今あなたの味わっている幸福は、将来不幸をもたらすかもしれませんし、また不幸は幸福をもたらすのです。
絶対的な幸福や不幸をもたらすものはありません。
冬に着るコートは夏に着れば不快になるように、幸不幸は時間と状況と場所によって変わってくるのです。
喜びとは二つの苦しみの合間のことであり、苦しみは二つの喜びの合間のことです。
悲しい時に、困難や苦しみの辛さを思うと、その苦痛は二倍になります。
不運な時には幸福だった日々やその時のことを思い返すべきです。
そうすれば苦しみの辛さは軽減されるでしょう。
苦難を神の試練と見なして、あらゆる困難に立ち向かいなさい。STPS2p164

ポニョ:苦しい時の神頼みって言うもんな。「神さん、なんでやねん。なんでおいらがこんな目に遭わなければいけないんや。」と真剣に神さんの方を向くもんな。

ヨシオ:森に身を隠せなければいけなかったパンダヴァ兄弟とドロウパティは、その頃の苦しかった生活を思い出して、あの頃程、神様であるクリシュナを毎日思って生活した事は無かったと回顧していたな。

困難に直面しても悲しまないように。
あなたはその時、神を体験しているのです。SS5/95p124

ポニョ:苦しみ、悲しみはそういう意味で良い事だなんやって言いたいんやろ。

ヨシオ:苦しい時は、「これらの苦しみを体験させて頂いてありがとうございます。この苦しみを通じて少しでもあなた様の栄光を耳にし、口に出して人生の荒波に負けずに歩んで行けるようにお導きください」とお祈りすれば、少しは苦しみも和らぐやろな。

あらゆる困難や苦難は人の想像にすぎません。
困難のない幸福などあり得ません。
喜びは苦しみと苦しみの合間にあるものです。
困難は皆さんに幸福を与えるように意図されたものであり、より多くの悲しみによって不幸にするためのものではありません。
ですから、自分に何が起ころうとも、それを神の贈り物と考えて、幸せでいなさい。
自分を苦しめるために与えられたものだと考えてはなりません。
お腹が痛くなったとしましょう。
医者は何をするでしょう? 
もし、医者が手術をするなら、それは苦痛を与えるためではありません。
医者が与える苦痛は、苦しみを取り除くためのものです。
ですから、困難は自分の苦しみをなくすための手段であると考えなさい。15/12/07
困難を体験せずに幸せを体験することはできません。
「誰も幸せから幸せを引き出すことはできない」。
幸せは困難に出会って価値を得るのです。
克服できそうもない困難でさえ、勇気と自信をもって立ち向かえば、それらはまるで薄い霧のように消え行くことでしょう。問題は山のように見えるかもしれませんが、皆さんの心の中に恐れと不安が入り込む余地を与えてはなりません。28/8/04

ポニョ:そのためには、毎日何があってもハッピーに生きていかないといけないという事なんやな。以前こんな事を記事にしたよな。

ヨシオ:確か俺の友達が、いつもニコニコして笑顔で毎日を過ごしているから、どうしたらそんな綺麗な笑顔で一日中過ごせるんやと聞いたら、毎朝目を覚ました時に、ベッドからすぐ出ずに自分の心の中のネガティブなものの中に良い事を見て、嫌いなものや人を好きになり、愛のパワーがハートにいっぱいになってから、ベッドから出るって言ってたな。ポニョもいつもニコニコしてるけど何か秘密でもあるんか。

ポニョ:おいらは秘密って程の事やないけれど、人のええとこだけを見るように努力するんや。それと、あんたの友達の話を聞いてから、毎朝自分はハッピーにその日を過ごすか、それとも人の批判をして過ごすか決めるんや。そして、その日にいろんな事があるけど、その度に自分はポジティブな気持ちでその事に対処するか、それとも、怒ったり批判したりするかを自分自身に問いかけるんや。この世界に住んでいると、どうしても自分がこの肉体と思ってしまうから、エゴが直ぐに風船みたいに膨らんで行くから注意しないといけないよな。そういう事を、毎日の生活の中で意識的にやっていかないとすぐ忘れるぜよ。おいらは直ぐにカーッとなるから。

ヨシオ:それって昔の俺みたいやな。今、ポニョが言ったことはダソーハムという霊性修行なんや。

ポニョ:駄ソーハムってソーハムの亜流か何かか?

ヨシオ:字が違うやろ。何が駄ソーハムや。ソーハムってポニョも知っているけれど、「私とあなたは一つです。」というマントラを、息を吸うときにソーと言って、出す時にハムと言うんや。そして、それを長く続けていたら、AUMのサウンドと一緒になって来るんや。でも、このダソーハムは、自分を神の僕、召使いとみなすんや。そうすれば今、ポニョが言ったみたいに、エゴがどんどん小さくなって行って素粒子のレベルまで行き、そこまで行き着くと、実は全ての物質の中に自分がいるって悟れるから神に到達出来るんや。ラーマクリシュナパラマハンサはこの方法を使って、自分を小さく小さくして神を悟った人なんや。逆にその弟子のヴィヴェカナンダは、自分を宇宙大に大きくして、神のように全てを包んで行くやり方を取ったんや。

ポニョ:ふーん。じゃあおいらは知らず知らずのうちに、ラーマクリシュナさんのやり方をして神を悟ろうとしていたのか?おいらも結構捨てたもんやないぜよ。勇気が、そして元気が湧いて来たぜよ。

ヨシオ:勇気が、そして元気が湧いて来ましたって、オリンピックの入場行進やないで。それにポニョはいつも身体から元気が溢れるほど出て来てるで。でも、ポニョは元々良い性格を持っているからな。心が綺麗や。だから何をやっても神様は喜ばれるやろな。

ポニョ:久しぶりに褒めてもらって嬉しいな。今回はあんたの夢にババが来られたので、奉仕のつもりでやって来たので楽しかったな。いろんなところに旅をするのは楽しいけれど、おいらが一番幸せやと思う時は、自分が持っている知識や経験が何かの役に立って喜んでもらえたら、その人の中にいてる神さんもきっと喜んでおられるやろ。そう思ったらおいらも幸せになるんや。

ヨシオ:その通りやな。いくら世界旅行をしてあっちこっち行っていろんなものを見ても、家に帰ってしばらくすれば、また、何処かに行きたくなるもんな。いつも忙しくしてないと満足しない心の奴隷になるだけやもんな。そういう事ばかりをしてたらきりがないし。

ポニョ:でも、若い時は旅をして学ぶことがたくさんあるで。おいらは高校生の時から大学生にかけて、毎年夏休みになると、ユースホステルに連泊してあっちこっち旅して楽しかったな。夜のゲームの時間が好きやったぜよ。

ヨシオ:ユースホステルの話は横に置いといて、さっきポニョが言ったように綺麗な心で奉仕するって大切な事なんや。昔の話やけど、ある女性の帰依者が、ババに「是非私どもの町に来てください」と頼んでいたんや。ババは「お前の街に行っても良いが、お前の家には行きたくない」と言われたんや。その女性は、それでも是非来て欲しいとしつこく頼んでいたんや。ババは「ところで、お前たちの奉仕活動、セヴァの活動は上手くやっているかい?」と聞かれたんで、その女性は、「ええ私たちは熱心にやっております。」と答えるとババは、「安物の二ルピーの米を貧しい人に配り、家では五ルピーの米を食っているではないか。ニルピーの米はとても汚くて食べれない。」と言われたので、その女性は「いいえそんな事をした覚えはないです。」としらばっくれると、ババは、「お前は覚えているだろう。二年前に私が乞食の姿となってお前の家に行き、米を乞うた事を。お前は台所にいつも食べている五ルピーの米があるのに、奉仕用のニルピーの米を持って来て、私にその汚い米を手渡したやろ。」と言われてババは奥の部屋から米の入った赤い袋を持って来て、「これがその時にお前がくれた臭い米だ。」と言われたんや。

私たちが人間として生まれるのは、平安を得るためであって、権威ある地位 に就くためではありません。
たとえあらゆる種類の富や快適さがそろっていても、平安を失えば、生きること自体何の意味もありません。
世の中には、裕福で、高度の教育を受け、権威ある地位 に就いている人がたくさんいます。
しかし、社会は彼らからどのような恩恵を受けているでしょうか?
彼らは、苦しんでいる人々の涙をぬぐう時間も、そういう気持ちも持ち合わせていません。
私たちは、どうすれば貧しい人々や虐げられた人々を助けることができるでしょう?
権力の座に就いている人々は、この点に心を砕かなければなりません。
しかし、このようにものを考える人は、一人もいないように見えます。
社会事業という名のもとに、人々は「人に見てもらうための仕事」をしているのが実情です。
彼らは食べ物を求めて戸口に立つ乞食たちを追い払います。
人間は、平安を得ようと思えば、慈善行為に携わらなければなりません。23/11/05

様々な困難を経てはじめて、あなたは人生の中で自分自身を高めることが出来るのです。SS5/1995p124
私たちは神の恩寵を獲得するために努力すべきであり、困難と損失によって妨げられてはなりません。
神を味方に付けたとき、成し遂げられないものはありません。
あらゆる困難と苦しみはたちまちの内に消え去ります。
そのような全能の神が私たちに内在するというのに、なぜ私たちはとるに足らない事を心配する必要があるのでしょう?
愛は困難を克服するための勇気を私たちに与える神の力です。
愛の力で何ごとも成し遂げることができます。
私たちは罪を恐れるべきであって、困難を恐れるべきではありません。28/8/04