サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

聖者が説く男女の産み分け方

2013-12-30 00:00:26 | 日記


ポニョ:どのようにして、インド古代のサンスクリット語のお祈りであるヴェーダが、お袋さんの認知症に効いたんやろか?

ヨシオ:霊的な観点から見ると、人の身体は実は三つあると言われているんや。それらは、肉体、霊体、神体があるけれど、その中でも神体が本当の自分で、アートマンとも呼ばれていて常に神的エネルギーを放射しているんや。肉体は、誰でも知っているように、母親のお腹の中で形成されているやろ。でも、6000年前にいたヴィヤーサという聖者は、遺伝子操作によってたくさんのツボの中で受精卵を培養し、百人の兄弟を作ったことがあるんやで。

ポニョ:昔の試験管ベビーは壺の中で作ったんや。

ヨシオ:でも産まれたのは全員男やったんや。どうしてそんな事ができるかって言うと、ヴィヤーサは、男女の産み分ける霊的な秘密を霊眼によって知っていたんや。その秘密を今回、出血大サービスで公開しましょう。

ポニョ:出血大サービスって、あんたはいつまで経っても天神橋筋商店街から抜けられないんやな。

ヨシオ:ヴィヤーサは、それをガルーダプラーナという本にしたためたんや。というわけで、少し内容を紹介すると。

先ずは、受胎の秘密から。

二ヶ月間お父さんの精子の中で過ごした霊体は、受精後更に十ヶ月をお母さんのお腹の中で過ごし計十二ヶ月かかって、この世界に生まれ変わってくるんや。しかし、お母さんのお腹の中での、最初の五ヶ月はゼリーの塊みたいなもので霊体はまだ意識は持ち合わせていないんや。それゆえ、本当に大事な胎教は、妊娠五ヶ月目を過ぎてからなんや。その時に、ホラームービーを見たり、パチンコ屋などの悪いバイブレーションのところに出入りしたり、人の悪口を言ったりすると、生まれてくる子供に影響するんや。

皆さんが悪いことのために感覚を使えば、皆さんに生まれる子供たちも悪い心を持つようになります。

ですから、悪いものを見ず、悪いことを聞かず、悪いことを語らないようにしなさい。

昔の人々は、身ごもっている婦人が悪いものを見たり聞いたりしないように、注意を払っていました。

彼らは妊婦に、神の神聖な物語を話して聞かせ、良いものを食べさせ、善い知らせだけを伝えるようにしていました。

彼らがそうしたのは、母親が善い感情を持っていれば、生まれてくる子供もまた善い心を持つようになることがわかっていたからです。

両親が犯した罪は、間違いなく子供たちにも影響を与えます。
5/7/01

不道徳な映画を見ることは性格形成の上で悪影響を及ぼします。

お母さんのお腹の中に入っている赤ん坊にも影響を与えるのです。

不幸なことに、生まれたての赤ちゃんやお母さんの子宮の中にいる赤ん坊にも悪い想念が影響し、そしてその赤ん坊が大きくなると、そのときに受けた悪い想念が増大してもっと邪悪な人間となってしまうのです。


青い山の夏の薔薇p103

ヨシオ:先ほど、霊体は十二ヶ月かかってこの世界にくると言ったけれど、特別な場合を除いて、人が死んだ時も同じように十二ヶ月かかって霊の世界に戻って行くんや。

ポニョ:それって肉体を脱ぎ捨てた霊は、その人のことを思うと、すぐに光より早くその人のもとに行けるのと一緒やぜよ。つまり霊は時間や場所に制約されないんやろな。

ヨシオ:だって霊体の構成物は、人の想念の力と基本的に同じなんや。

想念はきわめて強い力を持ちます。想念はその人の死後も存続続けます。それゆえ心に悪い想念を抱かぬことが大切です。24/5/90


受精が最初の生理日から数えて七日以内の場合、利己的な低いレベルの霊が宿ると言われておる。この場合、男女どちらが生まれるか分からないんや。

さて、8日目以降やけれど、8日目に受精すると男の子が、9日目は女の子という様に、偶数日は男の子が、奇数日に受精すると女の子が生まれて来るとガルーダプラーナで述べられているんや。

ヨシオ:ヴィヤーサは、この創造の秘密を知っていたので、百人の男の子をつくれたんや。鋭い人なら気が付いていると思うけれど、これでは女の子の方が出生率が少し低くなるんや。でも、それは出生後の死亡率が男の子の方が高い為なんや。

ポニョ:それって上手くできているよな。でも双子の場合はどうなるんやろうか?

ヨシオ:男と女の双子が生まれる場合は、時間差で日付けが変わる前後に受精したか、前に述べたように七日目までに受精したと考えられるんや。もちろんヴィヤーサ仙は、遺伝子操作にも長けておったので、XとY遺伝子をうまく組み合わせて、男のみを造ったという可能性もあるけれど。さて、霊体はこの世界に属する全ての生き物の細胞中に、生命の源として存在しており、また、一つひとつの精子の中にも存在しているんや。これは、ウイルスから、数え切れない生きとし生けるものに共通していることなんや。そして性的欲望が湧いてくると、その欲望をもたらした想念の力が霊力となり、精子と結びつき、その精子が一丸となって子宮に突き進んで行って受精が起こるんや。

ポニョ:その精子のうちの一つが自分だったのかなと想像したら笑っちゃうぜよ。

ヨシオ:先ほど紹介した聖仙ヴィヤーサは、性交渉はその家庭に、良い子を授かるための行為であって、性的な快楽を得る為では無いと忠告しておられるんや。性交渉は良い魂を、家族に迎えるための聖なる行為として捉えなければならないと。

ポニョ:しかし、現代ではどこを見ても性欲を刺激するような媒体ばかりで、それに影響されて性器の塊のような人間が歩いているぜよ。

ヨシオ:性器の塊ってどんな人間なんや?とにかく日本は性的モラルが無くなってしまっているよな。第一次大戦前、フランスで主に若者がモラルを失ったので、第一次大戦でフランスが破壊された。とスワミが言われているけれど、現代ではどうなるんやろか。世界中がめちゃくちゃでモラルのある国って一体どこにあるんやろか。
フランスのような当時たいへん豊かな国であっても、第一次世界大戦で敗れました。

何故でしょうか。それは無謀な若者達と、その当時、社会にはびこっていた不道徳のせいです。

今人々の間にそのような傾向が強まっています。

人は「低い欲望を満たすために」生き、働いています。そうではなく、人は「理想」のために生きるべきです。サティヨーパニシャッド
p109

ポニョ:性的モラルがある国ね?探すのは難しいやろな。

ヨシオ:話題を元に戻すけれど、現代物理学で存在が証明された素粒子も、実は西洋ではアカシックレコード、と呼ばれているものと同じなんや。

それが、人の思いや、感じたこと、ひいては執着心や、愛憎など私たちが心と呼んでいるものを宇宙的規模の霊体に刻み込むんや。

ポニョ:宇宙的規模の霊体ってヴェーダが教えている神さんを表すサット、チット、アーナンダのうちのチットの事やろ。

ヨシオ:そうなんや。そのチットによって形作られている霊体というものも、基本的には五代元素から成り立っていて、本来は物質なので肉体のように死ぬと間も無く消滅するものもあれば、長い時間をかけて消滅するものも色々あるんや。それが持っておる波動の振動数によって変わってくるんや。ただ、一番微かな波動を持つ霊体、アカーシャは宇宙の全てに満ちていて、究極的には宇宙が消滅する時にはこれらも消滅するけれど、それまでアカシックレコードとしてほぼ永遠に存在し続けて、全ての個霊の記録を保持しているんや。

ポニョ:それってまるで支配層がやっている事と同じやぜよ。誰のメールでも何でも盗み見れるようなものなんや。

ヨシオ:そういう事なんやろな。つまり、アカシックレコードにアクセスすると、ポニョのその時々の考えておることでさえ、全て誰でも見ることができるということや。だから、聖者などはそういうテクニックを使って過去や未来も覗き見れるし、人の思いも全て読み取れるんや。

ポニョ:なるほど。でもそこまでして他の人の事を知りたくないぜよ。

ヨシオ:でもアガスティアの葉のように、後世の人たちの役に立つ場合もあるんや。彼らはまた、ある人の過去生や未来のことを知るのに、その人が普段身につけておるネックレスや指輪や普段使っているスプーンなどを手にすればその持ち主の事が分かるんや。つまりその人の想念が、バイブレーションとしてその物の中に浸透しているのでその波動を感じ取り、それと同じバイブレーションをアカシックレコードの中に見つけて読む事が出来るんや。

ポニョ:他の人の事は知りたくありませんが。

ヨシオ:そしてこのアカーシャがつまり微かな霊体に、今世での人が体験した行為による様々な感情や思い、恨みや執着心などを刻み込むと、来世にそれらを持ち越すような事になってしまい、生まれ変わる原因となり、輪廻の車輪が大きく回り始める事になるんや。それゆえ、今世で為した全ての行為を、良い行為も悪い行為も、神に捧げれば微かな霊体に刻まれないので、輪廻の車輪は動かないんや。

ポニョ:車輪を動かさなくするにはブレーキを付ければおしまいじゃん。

ヨシオ:あのね、車と違うんや。このためには、全ての行為の結果をなに一つ期待せず、行為はするが、後は神任せという態度を取ればええんや。まあ、平たく言えば何事にも影響されずに何が起こっても、自分にとってそれは良い事だと思い、平静さを保ち、神を思いながら、幸せに淡々と生きましょうということや。それが、以前このブログでも紹介したアーナーシャクティヨガの精神なんや。でも残念な事に、今世での行為の結果による様々な想念が、微かな霊体に刻まれているのであれば、次にまた生まれ変わって来なくてはならないんや。

ポニョ:でも、そのようなカルマを持っていても、神に深く帰依すればお袋さんのように、神の恩寵によってその影響を少なくしたり、キャンセルしたりしてもらえるんやろな。

ヨシオ:神に帰依するという意味は、人は霊的な法則を知り、自分がどうしてこのような悪い目にあっているかをカルマの法則をもとに理解し、悔い改めて二度と間違いを犯さないと神に約束し、何があっても神に全てを委ねることなんや。


ポニョ:そういう意味で、サイババさんから見ると偉大な人になるより、良い人になる方が意義があるんやろな。

ヨシオ:と偉そうに言ってるけれど、ポニョは腹が減ったら人に当たり散らしてしまうやないか。
肉体が死ぬと、人が内に持っている宇宙的神聖さが、外にある宇宙の力と一緒になるのだ。
ブリンダヴァンでの夏の慈雨1993p,3

ペルーのUFOませガキ少年

2013-12-19 00:00:21 | 日記
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Sai's Message for The Golden Ageは上記のリンクから、また「サイババが帰って来るよ。」四部シリーズは、紙本も含めて下記のポニョ書店からどうぞ。
http://bccks.jp/store/114521

ポニョ:小さな素粒子が振動するのをシヴァダンスと言われているように、この世の全ての物は、実は、それぞれ違った振動数で細かく振動してるって聞いたことがあるぜよ。

ヨシオ:それが、まるでダンスをしているように振動しているので、シヴァダンスと表現しているんやろな。

そして、それがいろんな違う物質や、違うレベルの霊界と呼ばれるものも創り出しているんや。細かい振動数を持つものは、荒い振動数に影響を与える方が出来るけれど。逆は無理なんや。
つまり、小さいボールは大きなボールがたくさんあってもその隙間に入り込むことが出来るけれど、大きなボールは小さいボールがたくさんあるところの隙間に入り込めないのと一緒の理屈や。

ポニョ:そういや、マトリックスという映画で、ネオという主人公が悪者の身体に入ってやっつけたシーンと一緒やぜよ。

これは余談やけれど、そのネオのパスポートが一瞬写るシーンが映画の場面にあって、なんとパスポートの有効期限が2001年の9月11日なんやで。あのツインタワーが崩壊した日や。実はあのビルはビル解体用の爆発物で破壊されたのであって、飛行機がぶつかったシーンはCGなんや。


ヨシオ:みんな騙されてるんやな。

ポニョ:あの映画は、事件の三年も前につくられたと云うのに。その日を予告してるんやぜよ。
誰かが悪意を持って世の中をかき混ぜているんや。

ヨシオ:そういう輩は、獣のような波動が荒い霊体を持っているから、次の生は動物に近いバイブレーションの身体しか取れないんや。

ポニョ:動物に生まれ変わるんか?それって苦しいよな。君たちの次の身体のポチ君が待っておるぞよ。ハイお手。

ヨシオ:つまり霊界では、振動数の大きい獣性を持っている荒い霊体は、物質の持っている振動に近くて、ほとんどの地縛霊はそのたぐいなんや。

ポニョ:神さんは、この世界を創造した時、どこにも隙間など無いように造られているので、地縛霊と呼ばれるレベルの低い霊もいろいろ悪さをしながら、おいら達と共存しているんやろな。
 人間は死にますが、心は死にません。

人間が一生の間にすることはすべて心に焼き付けられて、次の一生まで持ち越されます。

誰も心の性質を理解することはできません。

中には、自分の経験するすべての問題に終止符を打つための方法は、自殺しかないと考える人がいます。

彼らは「私の苦しみの原因は心である。それに終止符を打とう」と考えるのです。

自殺は最大の罪です! 心はそれほど簡単には殺すことができません。

そのような低劣な考えを抱くべきではありません。人は、いかなる困難にも根気強く立ち向かい、自分の人生を神聖なものにする用意ができていなければなりません。

24/7/02

ヨシオ:特に地縛霊は、この世の世俗的な事に囚われて、自殺をして自分の天命を自分で短くした霊に悪さをするようやな。というのも、彼らはこの世俗の世に強い執着を持っているが故に、自分達と同じ欲望を持っている者に付きまとってその欲望を間接的に満たしているんや。だって自分たちは肉体が無いから。そして機会があれば、その身体をいつでも乗っ取ろうと企んでいるんや。

ポニョ:でもそれって簡単な事じゃないやろな。

ヨシオ:そうかもしれんな。でも彼らとて、ずっとそこにいる訳では無いんや。やがて、物質に近いバイブレーションを持った霊体が崩壊する時が来れば、そのレベルからバイバイする時が来るんや。そして、その低いレベルの意識に合った肉体を取ることになるけれど、霊的な波動が余りにも動物に近かったらまた動物に戻ってしまうんや。また、自らの命を、何らかの理由で絶った霊は、もともと持っていた天命を全うしていないから、そのギャップの年月が、十年あったとしたら、その間は生まれ変わる変わることが出来ないんや。そして、その間、人の身体を取りたくても取れない地縛霊共にいじめられるんやで。

ポニョ:でも、末期ガン患者の自殺のニュースをよく聞くけれど、寿命がもう残り少ないなっている場合は別やろ。

すべての人間は、決められた寿命を持っています。

それは借家契約している家に住んでいるようなものです。

その家を出る前にあなたは新しい家を探さなくてはなりません。

同様に、人がその身体から離れる前に、その人のカルマに応じて神は別の身体と寿命を用意します。

もし、死が独断的に刑罰によってもたらされた場合、あなたは、カルマを支払って高いレベルの境地へ恒久的に行ける機会を逃すことになります。

自殺の場合は、あなたは中途で立ち往生した状態となります。

それは、あなたにとって恐ろしい状態となります。

この自然界には空白というものは存在しません。神は、霊魂やその他の目に見えぬ霊体達でこの世界を満たしています。

自殺を図ると、それらの者たちがあなたのところにやって来るので、あなたは恐怖におちいるでしょう。

それゆえ、自分で神様から戴いた命を絶ってはならないのです。

正義に基づいて人生を送りなさい。人生の中で困難にぶつかってもいつも神を思い、落ち着いて乗り切ればいつの日か必ず神の祝福を得ることが出来るでしょう。

この真理を疑ってはなりません。

神への信仰を持ちつつ,それらの困難に立ち向かいなさい。

P290Anandadai

ヨシオ:全ての霊は、神霊を目指しているので、本質的に上の方に向かって昇る。という性質を持っており実はここ地上が、霊の最終目的地一歩手前の約束の地なんや。どういうことかというと、霊が人の身体を取って初めて他のレベルの霊と交わることで自分を浄化できるけれど、それが出来るのは、肉体を取れるこのこの地上において他に無いからなんや。だからすべての者たちのこの地上で生を受ける目的は、自分より低いレベルの霊を持った人を助ける事によって自分を浄化して神と融合することなんや。

ポニョ:この地上の生活で修行を積むということは、自己犠牲を伴った人への奉仕を神に捧げてエゴを無くす事なんやな。そのようにして自らが神と悟った霊はもう双六で言えば上がりなんやろな。

ヨシオ:実はこのような、肉体を取ることが出来る惑星は、地球だけなんや。霊の上がり、つまり、解脱ができるのは、いつもこの地球からだけなんや。

ポニョ:それってまるでピラミッドのてっぺんのようなものやぜよ。だってピラミッドの先端は、一つだけやろ。そのてっぺんにたどり着いた霊だけが神に融合出来るんや。

ヨシオ:それゆえ、人は、この地球に生まれ変わることがどれほど幸運な事かを気付かねばならないのに、この世俗の世に囚われて時間を無駄にしてるんや。

ポニョ:他の惑星に住んでいる霊たちは、この地上に人として生まれ変わりたいと思っているんやろな。という事は、前世はアンドロメダ星から来てウルトラマンと友達だったという宇宙人の霊が、人の身体をとって生まれ変わっている可能性はあるんやろうか?それってめちゃおもしろいぜよ。でもアンドロメダ星に住んでいるのは霊体だけで、人のように肉体は持っていないって事なんや。

ヨシオ:ポニョもウルトラマンと友達やったんか?

ポニョ:何をしても三分間だけしかエネルギーが続かないからそうやったんやろか。さて、今はもう無くなっているけれど、昔、カスツーリ記念館という図書館がアシュラムにあって、よくそこへ本を読みに行ったんやぜよ。毎日そこへ行くもんやから、そこの常連と親しくなったんやけれど、そこの常連の中に一人落ち込んだ感じの若者がいてたんや。まだ、十代に見える青年やけれど、少し話でもして、元気づけたろと思って横に座ったんや。
そして、「君は、若いのにこうしてサイババさんのところに来て偉いね。両親と一緒に来たのかい。」と聞くと、

「そうではなく、一人で来た」と言ったんや。両親はサイババのことを知らないらしくて、ペルーのサイセンターの人に連れてきてもらったという話やったんや。

「じゃ、君はどうしてサイババの事を知ったの」と聞くと、「おじさん、UFOの事を信じる?」と聞くので、

「もちろんだよ。おじさんも見たことあるよ。」と言うと、とても喜んだ顔をして次のような話をしてくれたんや。

自分は、ペルーの農場で働いていて、ある日、農場の中の雑木林の中を歩いていると、木立の上に音もなく浮かんでいるUFOが見えたんやて。

今まで一度もそんなのを見たこともなかったので、驚いて眺めていると、突然一条のビーム光線が自分を照らしたんや。

その後のことはあまり覚えていないのだけれど、気がつくと光線を浴びたところで倒れていて、左半身が少し麻痺していたんや。

しばらくすると身体は元に戻って家まで帰れたけれど、その時に農場で働いている他の人も複数UFOを目撃していたんや。その話が広まって日本も含めて外国のテレビ局が取材に来たそうなんや。多分、矢追さんのペルーのUFO特集で放映された番組やぜよ。

その日以来、自分の頭の中にイメージが写るようになって、そのイメージは、ただのどこにでもある小さなビルで、周囲のビル街から判断してペルーの首都であるリマのようだったんや。

ある日、用事でリマに出掛けた時に、同じようなビルを車に乗って探し始めた。

するとイメージに浮かんだのと、全く同じビルを見つけたんや。興奮して中に入ると、そこはサイババセンターやったんや。
そして、そこにいた人達に経緯を説明すると、是非インドに行ってサイババさんに会いに行きなさい。と勧められてこうして来たと言ってたな。

自分はサイババさんのことをまだ何も知らないので、ここに来ればスペイン語で書かれたサイババさんの本がいっぱいあるので読みに来ていると言ってた。

でも実は、自分には大きな悩み事があると言って、涙を流し始めたんや。

それは、自分はまだ十九歳だが、すでに結婚して離婚し、娘がいるんやけれど別れた妻が、娘を連れてフランスに帰ってしまったのでとてもさみしい。一度娘に会いたいと言って泣いていたんや。

ヨシオ:ナンチュウませガキや。十九で結婚し離婚して娘までいるって。若者は、もっと若い時にする事があるやろ。女のケツばっかり追いかけるからや。

ポニョ:おいらも同じような事を言ったんやけれど泣いてばかりやったな。なんで、UFOがこんなませガキをサイババさんへ導いたのか分からんけれど、しばらくしてこのませガキがインタビューに呼ばれたんや。

「サイババさんは、娘の事は心配しなくても良い。」と言われて、これからの人生の指針をアドバイスしてもらったと喜んでペルーに帰って行ったんや。

それから、しばらくしてサイババさんはご講話の中で、その若者について、「若干十九歳で結婚し離婚して子供もいる。その子供に会いたくて落ち込んでいる青年がやって来た。君たち若者は、若い時にしかできない素晴らしい能力を神から授けられている。それを、あんな風に使って無駄にしてはいけない。」と言われたんや。おいらが思うに、あのませガキの前世は、あのような、ませガキばかりいる星から来ているんやぜよ。

ヨシオ:ませガキばかり住んでいる星ってあるんか?

ポニョ:また、イスラエルから来た夫婦は、ある夜中に裏庭に光るものが見えたので、裏口のガラス戸越しに見るとUFOが裏庭にいたんや。次の瞬間、ガラス戸の向かう側に映画などで見たことがある、目の大きなETが立っていたんや。

驚いて、家の奥に逃げ込んで家具の隙間から見ていると、長い指でガラス戸に何かを書いている様子だった。

暫くすると、UFOごといなくなったので、何を書いたのか見に行くと、<何をしようと、全てを愛でもってやりなさい。>と書いてあったんやて。

彼ら(UFO)は多くのいい活動をしている。P40サイババ世界の危機を救う

ヨシオ:全てを愛の気持ちを持ってやりなさいって、全てを愛し、全てに奉仕しなさいと言われているサイババさんの教えと似ているやないか。UFOの話はキリが無いのでこの辺にして、この世には、自分は多重世界から来たという人もいるやろ。もちろん霊の世界は多重になってはいるけれど、この地球人のような五大元素から出来ている肉体を持った人が住んでいる平行世界など、残念ながら宇宙のどこを探しても無いんや。

ポニョ:霊界というのは、それぞれが違う振動数を持った、多重世界だけれど、それを波動が違う世界と呼ぶ人もいるよな。でも肉体を持った人間のような生き物が住んでいるのは地球だけなんやぜよ。

ヨシオ:先ほど、大きいボールと小さいボールの話をしたけれど、小さなボールがたくさん集まって振動しているところに大きなボールを放り込むとその大きなボールも四方八方にある小さなボールの影響を受けて同じような振動になる。それと同じように良い人達と交われば、人は影響を受けるんや。当たり前の事やけれど、逆もまた然りなんや。

ポニョ:つまり小さいボールは簡単に大きなボールが集まっているところの隙間に入り込めるが、その大きなボールたちの波動の影響を受けてしまうんやな。サイババさんは、そういう大きなボールつまり荒い波動を持った悪い人たちを変えれる人は、その中にあっても愛を拡げれる人でないと無理だとおっしゃってるよな。

ヨシオ:それは常識や。人は生きている時もそうやけれど、死んでから霊界に行くとそれぞれの波動に応じたレベルに引き寄せられて行くんや。それを霊的親和力と呼ぶんや。

ポニョ:霊的親和力か。上手く表現したな。もともとは、鈍重な五代元素から出来ている物質がこのような波動を持つことが出来るのは、創造主、光り輝くアートマンが放射しているエネルギーが霊体を振動させているからなんやろな。それを助けるのがヴェーダなんやぜよ。まあ、例えて言えば、汚れた鏡をヴェーダできれいに拭き取れば、あんたの顔もべっぴんに映るよ。と言う事なんやろな。

ヨシオ:ルッドラムは、その創造主、アートマンのバイブレーションを詠唱することによって体感することが出来る優れものなんや。言ってみれば、神の光を放射する小さな太陽源をもらったようなものかな。それゆえ、創造主自らの人類への贈り物であるルッドラムの放射の力が、一人ひとりの中の霊体を純化させて細胞を活性化させ、認知症であれば、脳細胞が活性化し、それが認知症を病んでいたお袋の劇的な回復につながったと言えるんやろな。

ポニョ:あんたが話し出すと話が難しくなるのでこの辺りで止めましょか。今日の最後の記事は、サイババさんの若かりし頃のお話の中で、ヴェンタカタギリの王様の話が出ていたけれど、次の話は抜けていたので付け加えておきますね。
リンク先はhttp://ameblo.jp/smanalo/entry-11882216172.htmlです。
私の祖母は1947年に亡くなり、スワミが初めてヴェンカタギリを訪問されたのが1950年のことです。

そのとき父はスワミに、亡くなった母親に会わせてくださいとお願いしました。

祖母の名前はラトナンマです。スワミが「ラトナンマ、おいで」と仰いました。

すると祖母が、夢のようなぼんやりしたものや幽霊なんかではなく、生身で壁から姿を現したのです。

祖母は本当に生前と同じように見えました。私たちは彼女の足に触れました。

祖母は父に「この方はあなたが崇拝しているラーマ様ですが、クリシュナ様のような特質をお持ちです。神の囲いから離れるかどうか確かめるためにあなたをだまそうとなさいますから、気をつけなさい。この方から離れてはなりません」と伝えました。

数分後に 祖母はゆっくりと出現した場所へ帰っていきました。


ヨシオ:このように、霊界の方が肉体よりも波動が細かいので神の意志でいくらでも肉体のレベルに落とすことができるんや。お袋が回復した一件も、霊的な力が肉体を癒したということが言えるるんやろな。霊主体従とはそういうことや。

この認知症も癒すヴェーダの力のお話はjサイババが帰って来るよ。Part1に詳しく載っていますよ。
http://bccks.jp/store/114521
ポニョ:もしヴェーダを学びたい人がいれば、日本中にあるサティアサイ オーガニゼーションジャパン に問い合わせば、最寄りのセンターを教えてもらえますよ。全て無料だわさ。今日は難しいことばっかり言ったので、ちょっと頭痛がして来よった。



生命は宇宙に満ちあふれています。

創造には終わりがないのです。

この宇宙で人間のような生命やそれに似たような生命体はないのです。

転生は宇宙の他の星に生ずることはありません。

すべての生命は、人として生まれ変わるのを望んでいます。

というのも、人として生まれ変われたものだけが生死の輪廻の鎖から抜け出ることが出来、神を完全に体現出来る、という二つのことを実現できる機会を持っているからです。

それはこの地球だけで起こりえることなのです。

他の星や、言葉に出来ないくらいこの広い宇宙のどこにもそのような機会は存在していないのです。

ですからこの地球に人として生まれるという事は、とてもユニークなのです。

サイババとの会話

満員電車の中で蛇を逃せば

2013-12-18 00:00:59 | 日記
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Sai's Message for The Golden Ageは上記のリンクから、また「サイババが帰って来るよ。」四部シリーズは、紙本も含めて下記のポニョ書店からどうぞ。
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ポニョ:おいらが子供の頃よく大阪城公園に行ってよく遊んだな。まだまだたくさん自然があって、ベニトカゲや赤とんぼ、芋虫、尺取り虫などを捕まえてきて家に持って帰って来て、親に怒られた事があるんやで。

ヨシオ:その頃、大阪も自然がいっぱいあったな。道路もガタガタで雨が降ったら水溜まりがいっぱい出来て、それに太陽が映ってキラキラして綺麗やったな。それに川や運河がどこに行ってもあって、オニヤンマも時々飛んでたよな。俺は、天神橋筋商店街で育ったから自然なんてポニョみたいに周りに無かったけどな。
公園って言うたらその当時、木が全然無い扇町公園だけやった。
家の前にあった大きなセメントで出来たゴミ箱のゴミを取りに来てくれた後に、たくさんウジ虫がわいていて、それを捕まえてきれいに洗ってペットにしようとしていたら近所の人に「ヨシオちゃん。そんな汚い事やめなはれ。」と怒られたのを覚えてるな。

ポニョ:なんちゅう不潔な事をしてたんや。そんな話は聞いたことがないな。

ヨシオ:子供やったしわけが分かれへんもんな。城北公園に市電に乗って行って、淀川のわんどみたいになっているところで、ドンコとかタガメ、タニシなどの小動物を捕まえて来て家で飼ったことがある。

ポニョ:ドンコってドンコにいてる魚やねん。

ヨシオ:ドンコ知らんのか。淀川の汚い水でも住めるタフな魚なんや。ポニョは丹後のきれいな水の川しか知らんもんな。
小さい黒っぽい魚で、ポニョ見たいな大きな口をしてる魚や。ナマズ見たいな形をしてるんや。それを水槽に入れると小さい石を大きな口を開けてくわえながら巣を作り始めよるんや。
一日中見てても飽きなかったな。

ポニョ:おいらのホームグランドである兵庫県出石川上流でサンショウウオは見たことがあるけどな。
こうしてあんたの話を聞いてると、あんたとは子供の頃の遊んで来た環境のレベルが全然違うよな。可哀想な奴やったんや。
同情したげるわ。
ウジ虫をペットやて...。涙がちょちょぎれるわ。
でも子供の頃って一日が長くって、毎日楽しかったな。どんな小さい事でも興奮して、冒険やったな。
山椒魚みっけた

ヨシオ:俺も、夕方になって誰もいなくなった工事現場に潜り込んで、近所の悪ガキのグループと一緒になって秘密基地を造り、対抗する悪ガキグループと粘土の塊を投げ合いして遊んだな。
銀玉鉄砲という小さな玉が飛ぶピストルがあって撃ち合いしたり、放課後は商店街を歩いている人を店の陰から狙い撃ちして遊んでたな。多分千人以上は殺してると思うわ。
天神祭です

ポニョ:あんたはほんまに悪ガキやったんやな。でも面白そうやないの。子供って罪が無いよな。そんな悪い事をいっぱいしていても、楽しかったな。

ヨシオ:子供の時は、真っ白なきれいな心を持ってたな。ある時いつも下校の時に通る神社の境内で見る長い二メートルぐらいの白蛇が雨で道の横の排水路を流されてるのを見つけたんや。

可哀想やからすぐに拾いあげて、助けたったんやけど、このまま離したらまた雨に打たれて寒いやろうと思って傘をたたんでその中に入れたんや。傘をたたんだから自分は雨に濡れながら歩いてたんや。蛇って結構重たかったな。それから環状線の電車に乗ったんやけど、ちょうどラッシュの時間に引っかかっていて人でいっぱいやったんや。
でも、白蛇は電車の中に入ると暖かくなって来たので、たたんだ傘の中で、もぞもぞ動き出してきたんや。
電車の中の方が気持ちよかったんやろ。「白蛇さん出て来るか?この俺たちが立っている床の下に電車のモーターがあるから温もるで。出て来るか。気持ちええで。」と言ってたら傘の中から出て来たんで外に出したげたんや。そのあと、どうなったか分かるやろ。

ポニョ:パニックになったやろ。満員電車の中にいきなり白蛇なんかもぞもぞ這い始めたら。

ヨシオ:みんな叫びまくって逃げまくってたな。満員電車が突然、俺と蛇の周りだけ誰もいなくなった。俺は、なんでみんなワーワー言ってるのか分からんかったな。
今から思い返しても本当に子供って罪が無いよな。
きれいなキラキラした心を持ってるよな。

ポニョ:サイババさんが子供の心を持ってるって分かるぜよ。

ヨシオ:俺の知り合いに、二人の娘さんがいるサイババの帰依者の夫婦がいたんや。
長女の方は知恵遅れで世話がかかって、横で見ていても大変やなぁと同情してしまうんやけど、三つになったばかりの下の娘さんは逆に、とても頭がきれて良く気が付くテキパキとした子供さんでとてもサイババさんの事を愛してるって分かるんや。
というのも、バジャンをする時に祭壇を作るんやけどそこに置くババの写真を見て嬉しそうにニコニコしてるんや。
それでまだ小さいのに両親の手伝いをしてお姉ちゃんの世話もしてたんや。
両親も、その次女さんの事を誇りに思ってられて、バジャンの時も大きい声でいろんな歌を歌わせたり、ヴィブティをみんなに配らせたり、とても可愛いみんなのマスコットみたいな娘さんやったんや。
それで、ある日両親は二人の娘さんを連れてサイババさんのところへ行かれたんや。

次女さんはとても喜んでサイババさんに見せるんや。と言って自分がダルシャンの時に着る服を選んだりしてたんや。
そして、いよいよダルシャンに出たんやけど、初めて本当のサイババさんを見た途端、その次女さんの顔が大きく光輝いたまま何も話さなくなってしまったんや。
笑い顔のまま目を、大きく開けて黙り込んでしまい、そのうち高熱を出し慌てて医者に連れて行ったんやけど、しばらくして亡くなったんや。
両親は娘さんの遺体はチットラヴァティ川の河原に埋めてそのまま帰ってきたんや。
チットラヴァティ川の河原です

それにババはその夫婦に一度もインタヴューの機会を与えられなかったんや。
インドから帰ってきた夫婦に慰めに行ったんやけど、それはそれは夫婦の落ち込みようは酷かった。
お父さんは仕事を辞職して家に引き込まれたな。
特にその娘さんはお父さんっ子やったから、お父さんはいつも娘さんと遊びに行ってた森の中に一人で入って、娘の名前を大きな声で呼びながら一日中泣いておられたな。俺も何と言って慰めていいか分からんかったし、苦しかった。
だって、十五歳までに亡くなったらもう生まれ変わらないっていうサイババさんの教えも知っておられるし、子供に対する愛情は情愛で一種の執着心やって事も知っている人に何をこれ以上言える?

ポニョ:それは、難しいやろな。時間が解決するしかないやろな。

ヨシオ:そう思って俺もその人の家に足蹴に数年に渡って何回も通ったな。実は、その家族は三百キロメートルも離れた山の中に住んでるんや。でもそこに行くたびに、だんだん生活が荒れてるのが見えるんや。
祭壇もサイババさんの写真も無くなっていて、もうサイババなんかやめたと言っていたな。
一時期マリファナ漬けになってた。でもそのあと少し持ち直して、奥さんがサイババさんのところにもう一度行く気になったんや。
それで俺たち家族と一緒にインドに行き、幸運にもサイババさんがインタヴューに呼んでくれたんや。でも、その奥さんは何もババに質問されなかった。ババは俺たち家族にはいろいろ話されたんやけど、その奥さんには何も話かけられなかったな。でもインタヴューが終わってから、その奥さんがニコニコされていたので俺は精神的に少し助かった。後で話を聞くと、サイババさんが心の中でいつでも必要な時に話しかけてくれるようになったと言って喜んでおられたな。
この試練を乗り越えられて偉いって褒められたらしい。
そしてお前たちをもうひとつ上のレベルへ連れて行ってあげるとも言われたんや。
俺は、その家族はそれぐらい高いレベルにいるんやなて分かった。ババと肉体のレベルで繋がっていなくても霊的なレベルで繋がる方が霊的なレベルは高いんや。だから、ヒマラヤの洞窟から出て来た聖者は、ババがダルシャンで歩いている御姿を見ただけで満足して何も話さずに帰って行くんや。でも、心の中では充分な繋がりが出来ているんやけどそれは他人には分からないんや。
特に子供はとても純真な心を持っているから、神さんにとても近いんや。だから、神さんは、子供が大好きやねん。

ポニョ:子供が純な心でお願いしたら神様にダイレクトに伝わるんやろな。おいら達大人のようにいろいろ汚されていないもんな。


どのような子供が死ぬと生まれ変わらなくてもよいのか?
それは、病気等で亡くなった子供の両親が健康で病気ではないこと。
その子供自身も、なんら先天性の病気も無く健康で生まれたこと。
もしそのような子供が死ぬとその子は生まれ変わってこないのです。
15歳までは貪欲、怒りなどは子供たちの心を毒さないので、15歳になるまでは健康だった子供が死んだ場合、その子は生まれ変わってこない。


ポニョ:それで、その次女さん亡くされた家族はどうされてるんや。

ヨシオ:一番最後に会った時は立ち直られていて、大工さんの仕事を始められていたな。でも、こんな事を言ってた。この世から得られる幸せは全て一時的なものやということがよく分かったって。
今は、年寄りや困ってる人の家を施しだけのお金をもらって修理するのが楽しみやそうや。
その年寄りの中に神さんが見える。神さんと一緒になった娘がお父さん良くやってるねって言ってるのが分かるって言ってた。
そして、俺に今まで友達でいてくれてありがとう。僕はもう大丈夫や。神さんがいつもどこでも誰の中にでもいてるって分かったから嬉しい。いつも神さんと一緒やってよく分かったから幸せなんや。と言っていた。
もう仙人みたいになってたな。
世俗にまみれた俺たちより、ずっと上の高いところにおられたな。

ポニョ:本当に頭では分かっていてもそういう自分の子供の死をさっと受け入れられる人って少ないよな。

ヨシオ:多分その次女さんは前世は聖者で、ほんの少しだけのカルマを持って生まれて来たんやろな。ポニョや俺たちは長生きしそうや。

もしヨギがいくばくかのカルマを持って生まれ変わってきた場合、その魂が子宮の中にいる間や,子供時代を不憫に過ごすなどして短期間にカルマを支払ってから死ぬ。
その場合,それが最後の生まれ変わりとなる。

子供は愛と至福で溢れています。成長すると、子供はおもちゃを愛し始めます。
それから遊ぶことを愛し、徐々に友達を愛するようになります。
青年になると人生の伴侶を愛し、次に自分の家族を愛し、次第に職業や地位や財産への愛を持つようになります。
このように愛は様々な方向に流れるに任され、その為に愛は薄められ、ついには執着へとなり下がってしまうのです。

“子供は神の申し子と言われています。
子供のうちは、憎しみや怒りや嫉妬に駆られることはありません。
イエスは、子供にはどこにも悪いところが無いのだから、子供は神のようだと言っています。
子供のうちは、心にも身体にも何も悪いところはありません。
悪い心からおこる悪い感情が無いから、子供は美しいのです。
大きくなるにつれて、子供達に少しずつ悪い性質が身についてきます。そうなると、子供の持っている美しいものが失われてしまいます。
悪い心は、悪い言葉と悪い行いとなって、子供の美しさを無くしてしまうのです。
人の持っている美しさは、少しずつ無くなっていきます。



良心のささやきが聞こえますか

2013-12-16 00:00:33 | 日記
http://bccks.jp/bcck/121362/info
Sai's Message for The Golden Ageは上記のリンクから、また「サイババが帰って来るよ。」四部シリーズは、紙本も含めて下記のポニョ書店からどうぞ。
http://bccks.jp/store/114521
ポニョ:もうすぐ梅雨明けやな。おいらは毎年梅雨明けが待ち遠しんや。

ヨシオ:梅雨ってうっとうしいもんな。

ポニョ:それだけやないんや。梅雨明けの一週間ほどは日本海の波がまだ穏やかで、カヌーを漕ぎながらの洞窟巡りがええで。



鳥取砂丘の近くから余部まで五日ぐらいかけてゆっくり漕いで行くねんけど、途中いろんな洞窟があるから中に入って行くねん。洞窟探検や。

ヨシオ:それって中は真っ暗なんと違うんか?

ポニョ:もちろん懐中電灯持って行くで。
それで、ある洞窟なんかは外から見たら高さ三メートルから八メートルぐらいの大きな洞窟が三つあるけれど、一つ目と三つ目の洞窟が中でつながっていて、細い水路みたいなとこを抜けると、上から滝のように綺麗な水が落ちてきて身体も洗えるんや。
地面が割れているから下から見ると隙間の間から細い空が見えるんや。
そこから太陽の光が漏れて来るから洞窟の中は充分明るいんやで。

ヨシオ:そういや、アシュラムの近くの岩山のてっぺんに願望成就の木があるやろ。そのすぐ横に岩の割れ目があってその中に降りて行くと洞窟に続いてるんや。
その中には小さい机があってインク壺やバガバッドギーターなどがその上に置いてあるんや。サイババさんは若い時、ブラミンの家に出入りしたり、そこで料理をしたりした為にヒンドゥー教のタブーを犯したということで、村人からひどい目に合わされた時にこの洞窟で半年間一人で過ごされたんやで。
それに、そこは虎のような猛獣が住んでいたんやけど、サイババさんは虎と一緒におられたんや。

ポニョ:ところでその洞窟は今でもあるんやろうか?行ってみたいな。

ヨシオ:そこは聖者のような人でないと入り口も見つけることは出来ないと言われたんや。
今ではその岩のギャップをまたぐ時に危ないので石などを入れて埋めてしまってるから残念ながらもう上から見えないな。でも洞窟自体は残ってるはずや。
将来また掘り起こされてサイババ記念洞窟みたいにして公開されるかもしれないけどな。その洞窟は、天井の隙間から光が差し込んで来るから中は昼間でも明るいんや。

ポニョ:それって、今おいらが紹介した洞窟と一緒やな。
おいらが行った洞窟は、天井まで結構高いし洞窟特有の圧迫感なんて全然ない。
地面から落ちて来た水に射し込んだ光が反射してキラキラ輝いてるねん。
教会の礼拝堂みたいなすごい綺麗なところやで。
またその近くにある別の洞窟は、満潮時には頭を打つぐらい低くて細く、奥行きは五十メートル程もあってクネクネ曲がってるけど、周りの岩肌を手で押しながら進むとコウモリの巣だらけで、何百匹というコウモリが細い洞窟の奥から飛び出して来るんや。


めちゃうるさいで。臭いし。あいつら絶対風呂入ってないと思うわ。

ヨシオ:当たり前やないの。でもめちゃ面白そうやな。

ポニョ:そんな面白い洞窟まだまだあるで。
海外にもマレーシアのイポーというところにサイババタンバン洞窟というのがあってそこの洞窟を入って行くとサイババさんの祭壇が有ってみんなでバジャンや礼拝をするからとても波動がええとこやで。

ヨシオ:俺がインドに行く途中にクアラルンプールに乗り継ぎ便の都合で時間があったので半日観光したけど、ガネーシャ神の兄弟スップラマンニャン又の名をムルガンを祀ってあるバツー洞窟寺院がものすごく大きくて感動したな。
地下の洞窟に神さんが祀ってあって、なんや規模が小さいなと思っていたら、そこから長い階段を登って岩山のてっぺんに行くと、また大きな岩の割れ目があってその中に入ると奥の方に祭壇があった。
ポニョ:ムルガン寺院と言えば本場、南インドにあるムルガン洞窟寺院が一番やぜよ。

ヨシオ:でも、インドの寺院はヒンドゥ教徒でないと入れないところがたくさんあるよな。星やんは身体にブラミンのように聖なる糸をつけてあっちこっちの寺院巡りをしてたな。

ポニョ:そういや、どっかの寺院でヒンドゥ教徒になるための儀式もやってもらってたで。日本人でそこまでしてヒンドゥの文化にのめり込んでいる奴も少ないよな。

ヨシオ:また、二十五年ほど前に出版された本に紹介されてあるヒマラヤのバドリナートの近くにあるガネーシャ神が祀ってあるPatal Bhuvaneswar洞窟の話がすごいよな。

ポニョ:そうやった。アシュラムに来た人たちが帰りにヒマラヤのPatal Bhuvaneswar洞窟に立ち寄ってから自分の国に帰るのが定番みたいになってたよな。知り合いが行くから一緒に行こうって誘われたけど断ったんや。
ガネーシャ神の形をした鍾乳石がある。
実際、洞窟の中に入ってみるととても細いクネクネした鍾乳洞の洞窟でとても凄いバイブレーションを感じることが出来るって言ってたな。
後で写真をみせてもらったけど。
凄いとこやったぜよ。

ヨシオ:でも、今では名が売れすぎて観光地みたいになっているらしいで。
でもインドって奥深い国やな。すごい人があっちこっちにいてるもんな。
以前ヒマラヤの洞窟で修行してるヨギ達がシヴァ神が地上に降臨したというメッセージを受けて南インドまでシヴァ神を探しに来てサイババさんを見つけたって話をしたけど、それと同じように十人ほどのヨギのグループがヒマラヤの洞窟から抜け出てサイババさんのアシュラムに来たことがある。
ババは毎日食べ物がないので大変やろ、と言われて食べ物が無限に出る壺を物質化されてそのヨギのグループにプレゼントされたんや。
そして、このグループの中に一人弱い奴がおるな。それからもう一人はすぐに死ぬ事になっておるけど助けてあげよう。と言われたんや。
アシュラムからの帰り道ヨギたちは湖のほとりで瞑想を始めたんやけどとても長かったので一人だけ脱落してグループから抜けたんや。
というのも一人だけ弱い奴がいるって言われた時それは自分だと知っていたんや。
その時にババが物質化された壺を癇癪を起こして湖に放り込んだ。
しばらくして一人ひとり瞑想から覚めてみると一人のヨギが消えていて壺も無くなっているのに気付いたんや。
それで、一人のヨギが心眼を使ってツボを探したところ湖の底に沈んでいるのを見つけたので潜って取りに行ったんやけど、とても深くて取り戻して岸に浮かんだ時にはもう仮死状態やったんやけど、暫くして生き返ったんや。

ポニョ:神様って何でも知ってはるな。
そのヨギが湖に潜って仮死状態になるのまで見抜いておられたんやな。それに洞窟など、本当におもしろいものをこの世界に創造してはるな。
この写真はアマルナート洞窟。下に蟻のように見えているのが巡礼者です。


ディズニーランドよりもっと面白いもんがあるのに、なんであんな高い金出して、人工的な乗りもん乗って、お土産いっぱい買わされる。おいらには分からんわ。

ヨシオ:お土産は、自分で買うもんや。強制じゃないやないか。

ポニョ:でも、これ買え。あれ買え。の世界やろ。金をいかに使わせるかが勝負やからな。
みんな家の中で小さいネズミ見ただけでギャーギャー言うて逃げまくるのに、あんな化けもんみたいな巨大ネズミが、踊ったり抱きついたりするのんが平気って、不思議やと思えへんか。



ヨシオ:そう言われれば、そうかな。でもぬいぐるみやし、怖くないで。それってめちゃポニョらしい発想や。

ポニョ:前にも言ったけど、ネズミーも奴らの手先やねんで。あいつら絶対に、家族愛とか描いたアニメ作れへんやろ。
家族愛とか神を愛するとか、そんなんは、あいつらの信じてる事と正反対やねん。
あいつらは、神を認めへん。悪魔崇拝者やからな。

ヨシオ:何や。その悪魔崇拝者って。昔、水木しげるの悪魔くんっていう漫画あったけど、その漫画のファンか?

ポニョ:あのな、漫画のファンやったら誰も苦労せんわ。
奴らは、自分らは、悪い事して地獄に行っても地獄を支配する悪魔ルシファーを崇拝してるから、罰せられへん。と勝手に思い込んどるんじゃ。

ヨシオ:メチャ自己中やないか。

ポニョ:奴らは本当は元々欧州貴族で小児性愛傲慢同性愛偏愛悪魔崇拝遺伝子組換門産都毒撒人口削減毒混人工甘味料毒混枠珍通貨勝手発行戦争大好武器商人気狂麻薬密売殺人地下秘密基地嘘付自己中愚弄把瑠襟都死愛映画操ってる偽湯田屋のグループやからな。

ヨシオ:それって、メチャややこしそうなグループやな。
あのところで、このブログいつの間に中国語のブログになったんや。ようそんだけ漢字並べられたな。

ポニョ:彼らは悪魔崇拝者やから死んだら閻魔さんの弟子になれると信じ込んでいるんや。名前は違うけれどルシファーという悪魔やねんけどな。インドやったらヤマ(死の神)や。でも本当は一番怖いのは、自分のりょうしんやねんで。
それを、閻魔さんって言うてるんや。

ヨシオ:自分の両親が閻魔さん?うちの両親は優しかったで。考えられへんわ。

人間の内面には良心というものがあり、つねに正しいアドバイスをささやき、正しくない行動を止めようとします。

人間はこの良心の声をほとんど黙らせてきましたが、それは神の声であり、その声を黙らせることはできません。

子どもたちに良心の声があることを意識させなさい。
20/12/65

ポニョ:そうや無い!良心や。呆け方ひどいで。あんた。生きてる時に、人は自分の良心の声を無視して悪い事をたくさんする。でも本当の自分は、「あかんで。そんなんしたらあかん。やめときや。」って言うてるねん。

しかし、心が欲望や復讐心、性欲、貪欲、傲慢、高慢、プライドなどで汚れているから耳を傾けることが出来ないんや。

ヨシオ:また、いっぱい出て来たな。それやったら俺にも言えるで、嫉妬に、失望、それと執着、妬みに憎しみ、ネズミーランド。

ポニョ:何やねん最後のネズミーランドって。

ヨシオ:だって、あんたさっき、ネズミーランドは奴らがコントロールしてるやからあかんて言うたやろ。

ポニョ:おいらはあんたとおったら、何を話してるか分かれへんようになって来たわ。そや、思い出した。
自分の良心があかんって言うてるんや。でも死んだら人は魂となって身体から離れる。
それらの悪い性格は、肉体に関係していることやから、身体が滅んだと同時に何処かに行ってしまい今まで本当の自分自身が自分ににささやいてきた良心の声が、コンサートのボーズのスピーカーの横に立っているみたいによく聞こえるようになるんや。

ヨシオ:それってちょっとうるさすぎるのと違うか。

物質、生命力そして良心を一つと見なしなさい。

常に真実を告げる良心の声に注意していなさい。

良心の声に従えばあなたは決して誤った道へ迷い込むことはありません。
SS21/1/93


ポニョ:その時になって初めて人は、今までささやいて来た良心の声は、実は自分自身の声やったという事に気付くんや。それって、めちゃ怖いと思えへんか。

ヨシオ:怖い怖い。絶対怖い。

ポニョ:その時人はものすごく後悔するんや。だって自分が自分の良心の声に従わなかったおかげで、人や社会や国に迷惑をかけたということを実感認識するんや。
しかも霊になったら、迷惑をかけてしまった相手の想念が手に取るように分かるから、その時に傷つけた相手の苦しみや、悔しい思いまで遡って分かるんやで。



だからもう一度地上に戻って来て、今度はお天道様を見て生きて行こう。迷惑掛けた人には次の生で借りをお返ししよう。悪うございました。
あっしの為に、こんだけ迷惑をかけやした。どうやってこの罪を償うたら良いか分かりませぬが、もう一度でも、二度でもいや、千回生まれ変わっても償わさせて頂きやす。
と言って、ものすごく後悔するんや。



ヨシオ:なんで、突然時代劇みたいなしゃべり方するねん。おもろいなポニョは。

ポニョ:それでも、カルマを支払い足りない時は、自分が精神的肉体的に辛い目にあっても、人から蔑まれ続ける人生であっても、その生の最後の一瞬まで耐え抜いてカルマを支払うんや。
このように誰でも自分で自分の次の生を決めてから生まれ変わって来るんや。だから地獄で罰を与えるのは自分自身なんや。後悔して後悔して、泣き叫ぶ場所が地獄や。

真理は純粋で汚れのない心から、良心のささやきとして聞こえて来るのです。SS3/96p, 70

良心のささやきが、聞こえますか~

御仏の心の痛み分かりますか~

物質文明花ざかり

カリユガの悪のその中で

真理の叡智に触れるため

私は、御仏求めます

ナミアミダブツ唱えます

(Sainatha Bhagavan Sainatha Bhagavan のメロディで)


自分のカルマによって、次の生の人生や身体が五体満足かとか裕福かとかまたは、良い配偶者を得られるかとか、子供はどんな子が出来て、その子は良い子かどうか、長生きするか早死にするかはさっきも言ったように、全部もう生まれる前に決められてるんや。
この世においら達が生まれて変わってくる前に決められているんや。



ポニョ:だからこの世を幸せに生きるコツは、どんな事、たとえそれが受け入れられないぐらい苦しいことであっても、なるべくしてなってるという確信を持って受け入れて生きる事やぜよ。
それと新しいカルマを作らない様に、人からされた悪い事はすぐ忘れる。そして人にしてあげた良い事もすぐ忘れる。
逆に人から良い事をしてもらったらいつまでも感謝の気持ちを忘れない。自分が間違ったことをして人を傷つけたら、もう二度と同じ間違いを防ぐために忘れない。
という、二つの忘れると忘れないを人生の伴侶として生きて行けば、おいらのような素晴らしい人生を歩めるんや。



ヨシオ:ポニョさんちょっと質問。

ポニョ:はい、どうぞ。

ヨシオ:ポニョの人生がそれ程素晴らしいんやったら、誰も今ポニョが言った事を守って生きて行かないと思いますが…。

ポニョ:あのね君。おいらと友達でいときたかったら、もうちょっと遠慮して喋ってくれますか。

ヨシオ:怒っちゃたの。それやったら、今ポニョが言った事に、人から言われた悪い事はすぐ忘れるも付け足さなあかんやろな。

ポニョ:あのね…。(汗)

各人は神聖なエネルギーを与えられています。

それを正しい目的の為に用いなさい。

良心の命ずるままにしたがって、力を正しく用いねばなりません。

良心が満足する時、エネルギーは神聖化されます。

今日人々は神聖なエネルギーを利己的な目的の為に誤って用いています。
18/12/95



愛がいっぱい無料の病院

2013-12-13 00:00:47 | 日記
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Sai's Message for The Golden Ageは上記のリンクから、また「サイババが帰って来るよ。」四部シリーズは、紙本も含めて下記のポニョ書店からどうぞ。
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ポニョ:こんなにたくさんの人が、おいら達のひっちゃかめっちゃかブログを読んでもらって嬉しかるかるやな。これは確か、顔は四角で三角仁鶴の流行り言葉やったな。あんたの大好きな言葉遊びやな。

ヨシオ:親父ダジャレや。言葉遊びで思い出したけど、昔、サイババさんのことを初めて知って家の応接間に祭壇を作ったんや。
それで自分が持っていたサイババさんの写真や仏さんの像やキリストやマリアさんの像や全ての神さんの写真や絵や神像を全部壁に付けたり並べて自分で満足してたんや。

すると、その日の晩、サイババさんが夢に来られて俺と並んでソファに座って嬉しそうに、なんやねんこれ、めちゃくちゃな祭壇や、ようこれだけ持ってるもん並べられたなっていう感じで見てられたんや。
ババが作られた祭壇もいっぱいやんか

それで、俺がババに「ここにいっぱい神さんの写真や絵があるけど、ババ御自身はどれが好きやと思ってるですか。」と聞いたんや。
すると、ババはサラスワティの絵を指差しながら「ザルバ」と言われたんで、俺は「あの絵はサラスワティやのに、ババさん、あんたの発音訛ってるな。ザルバってサラスワティのニックネームか?」と聞くとニコニコされていてそのまま目が覚めたんや。

ポニョ:ザルバっていう言葉は何処かで聞いたことがあるぜよ。それってザルバダルマのザルバやろ。全部っていう意味と違うのんか。

ヨシオ:そうやねん。俺はその当時全然知らなかったんので、誤解していてザルバってサラスワティのニックネームだと思っていたんや。でも、星やんが家に来た時にそのババさんが夢に来た話をしてたら、「ザルバって全てという意味やからサラスワティのニックネームと違うで。」と言われた。でも、それまでずっとニックネームと思い込んでいたんや。

ポニョ:でも、なんでサラスワティを指差されたんやろな。

ヨシオ:それはサラスワティて学問の神さんやろ。日本に住んでいる時にも星占いの人に見てもらったら、あんたの星は弁財天や。前世は学校の先生やったな。と言われたんや。
当時、ババのことを知らなかったけれど、実は家の裏にある弁財天を祀ってあるお寺によく行ってたな。

ポニョ:それに、あんたの前世はシルディババの近くで学校の先生をしてたんやろ。ピッタシ当たってるやんか。
だから、サイババさんは、ここにある全ての写真や絵や神像は、私自身やけどあんたが拝んで来た神様はサラスワティやったんやでと、ザルバと言われてサラスワティを指で指されたんやろな。
何れにしてもババがやられたり、言われたりする事は奥が深くて面白いぜよ。

ヨシオ:というわけで最後はポニョがカヌーで四万十川下りに行って覚えて来た土佐弁で締めくくりました。

ポニョ:カヌーの川下りもそうやけど、おいらがこんなに、自然が好きになったんも、近所の亡くなられた幼なじみの親父さんのおかげやねん。



ヨシオ:そうか。毎年丹後の山の中にある自分の故郷に、夏休みの間連れて行ってくれて世話してくれたんやろ。ちょっとそんな気のええおっちゃんおれへんでその辺に。でも残念やったな。それで死因は?

ポニョ:胃がんやねんけど、絶対病院には行かないと言い張って家で亡くなられたんや。あの親父さんらしいぜよ。

ヨシオ:ガンの治療拒んで在宅で最後の時を迎えるって増えてるらしいな。

ポニョ:そうやな。日本のガン治療に警報を鳴らしてる人が増えて来たぜよ。
ガンになったら病院行くなとか。

ヨシオ:何やそれは。

ポニョ:つまり、末期ガンになったら、身体から自然にモルヒネのような化学物質が出るから痛く無く死ねるんや。

ヨシオ:そりゃええこと聞いた。俺も昔、医者と大げんかしたことあって、叔母がガンになって何度も手術して、もう切ったり貼ったりされて最後はパイプを鼻の穴とかにたくさん付けられてスパゲティ人間みたいになるのは嫌やと言ってるのに、まだ手術しようとするんや。
それで治ったらええけど、もう手遅れで延命治療をしてたんや。
俺は頭に来て女医に「もうええ加減に止めたれや。患者が手術して欲しくないって言ってるやろ。」って言ったんや。でも
その医者は「治療するのが私の義務や。」って言うんや。
だから俺は「治療というのは治る可能性があるという前提条件があるのんと違うんか?それじゃこのケースは1%でも治る可能性はあるんか。」と聞いたら「無い。」と抜かしやがった。
このガキ!と思って思わず怒鳴ってしまったな。
叔母は、「世潮もうええから。アホな医者はほっとき。」と言って俺がもっと言い返すのを止めたんや。その医者が病室から出て行ってから、「もうすぐあの医者の高い鼻をへし折ったるねん。と窓の外に見えている大阪城を見ながら言ったんや。」
俺は直ぐに気が付いて、「変な事を考えたらあかんで。淀川キリスト教病院へ転院したらどうや。あそこは末期治療もやってるで。」と言ったんやけど「偉い人の紹介で入った病院やからサッと抜けられない。」と言っていたな。
本当に見舞いに行っても叔母が可哀想やった。手術ばっかりで。
ある日、病院抜け出して、突然俺の家に来られたんや。
座敷に置いてある俺の親父つまり、自分の兄の仏壇に手を合わせて長いこと拝んでたな。
あの医者によっぽど腹立ってるのか、「私があとであの医者に思い知らせたる。あの分からず屋の医者のために、これから何人の患者が私みたいな思いをするか。一度鼻の骨、へし折ったらな分かれへんからな、あの医者。」と言って次の日に飛び降り自殺したんや。
しかも病院の目と鼻の先の大阪城から。悲劇やで。ほんまに。
医者は俺に、「あの時はすみませんでした。」と謝りに来よったけれど後の祭りや。
俺はその医者に「患者の心の痛みが分かる医者にならなあかんで」とだけ言ったんや。その医者は泣いてたな。

ポニョ:ほんまに今の医療制度はどこか間違ってるよな。金儲け主義やからな。

ヨシオ:叔母の時も叔父は泣きながら「家内のことお願いします。」と言ってその医者に手術の度に十万円単位の現金を袖の下から渡してたで。
その医者はポーカーフェースで当たり前のようにして受け取ってたわ。
人の弱みにつけ込んでろくな死に方しよれへんぞあの医者は。でも後で謝りきたのは偉い。俺は許す。

ポニョ:そんな簡単に許すなよ。あんたは。もう…。



ポニョ:最近読んだ本で東大の集中医療室長の矢作直樹先生の本が素晴らしいぜよ。

ヨシオ:あぁ、それ聞いたことあるな。「人は死なない」とかという本やろ。何でも霊とか、魂を信じてられるお医者さんらしいな。



ポニョ:日本にもやっとまともな医者が出てきたなという感じやな。

ヨシオ:そう。身体だけでは説明つかん病気が沢山あるもんな。
やっぱり霊の事がわかった医者がこれから活躍する場が増えて来るやろな。
特に末期ガンの心のケアとか。わりと日本では輪廻転生とかカルマの法則とかをさっと受け入れられる人が多いやろ。このような医者がもっといてもええぐらいや。こんなタイプのお医者さんが出てくるのが遅すぎたぐらいや。

ポニョ:こんな医者が日本で大手振って歩けるようにならないとダメやろな。
このお医者さんは日本では変わりもんと見られているやろな。
この医者の言葉にちょっと耳を傾けてみ。こんなええこと言っておられるんや。

「摂理によって人は生かされており、肉体は滅んでも霊魂は永遠である。」

「亡くなった人の霊に、いつも自分は見守られている。」

「そのように考えれば、生きている限りは感謝の気持ちを持って生きられ、死に直面してもあわてずに済むのではないでしょうか」

こんな医者おれへんで。ちょっとそこらに。

ヨシオ:どう言うわけで、こんな俺たちのような変な考え持つようになったんやろうな。

ポニョ:あのね。変な考えというのは、余分や。おいら達がまともで、世界が無知なんや。

ヨシオ:そうやな。そういうふうに言われたらちょっとは自分に自信が出てきたわ。

ポニョ:何言ってるんや。自信の塊みたいな男が。この人も山とかで何回か危ない目にあって幽体離脱体験してるみたいやで。

ヨシオ:やっぱり俺たちのお仲間やんけ。

ポニョ:向こうは嫌がるやろうな。特にあんたとじゃ。

ヨシオ:何か言った?最近耳が悪うなって聞こえへん時もあるんや。許してな。

ポニョ:都合の悪いことは聞こえへんねんやろ。相手にできんわ。もうほんまに。でももっと増えて欲しいね。こういう医者。このような医者がたくさんいたらあんたの叔母さんも自殺せんで良かったかもしれないぜよ。残念や。



ヨシオ:その点、インドのサイババ病院は最高やね。医者も看護婦も愛でいっぱいやし。
心臓手術まで無料なんやろ。そんな病院世界に無いで。
手術後の食事のことも一人一人の患者に合わせて給仕してくれるんやろ。



患者を病院で待ってるだけ違うで。
治療用の器具をのせたバスで、病院に来れない患者の家まで巡回治療してるんやで。しかも全部ただや。

ポニョ:それってすごいよな。

ヨシオ:でもどうやって、出費を賄ってるんやろか。

ポニョ:それは信者からの寄付金を銀行に預金して、その利息で賄うとるみたいやぜよ。

ヨシオ:一度病院の中に入った事あるけれど、めちゃ清潔やで。ボランティアがいつも来て掃除するんやて。廊下に顔が映ってたわ。トイレもピカピカや。
何と言っても、医者も看護婦も働いている人がいつもニコニコして顔が輝いているから、患者までニコニコしてる不思議な雰囲気やったな。
サイババさんは、あと千年間この病院は人々に奉仕するって言っておられた。

ポニョ:すげー。同じ病気になって、医者にかかるんやったらそんな病院に行きたいよな。

ヨシオ:それこそ正真正銘の妄想やな。

ポニョ:なんでですか。

ヨシオ:だってポニョは、今まで病気になったことないやろ。健康の化身みたいな身体やないか。

ポニョ:今度は、褒めてくれたんやろ。ありがとう。

ヨシオ:ポニョはええ性格してるわ。

ポニョ:また褒めてくれてありがとう。今日はなんか嬉しいな。


不幸にして現代では、一切の活動と職業は商業主義的な考え方と、金儲けをするという欲望によって汚染されました。

医師という神聖であるべき職業でさえ、ビジネスに下落しました。

医師は犠牲、愛、慈悲という三位一体の徳を持って患者の治療にあたらねばなりません。

しかし医師の中にはこれらの徳を全く備えていない者がいます。

彼らは医師という神聖な職業を金儲けの手段に悪用しています。

金は大切です。しかし金銭に対して分別を持ちなさい。

あなた方は金持ちからは正しい料金を徴収しても良いのです。

しかし、貧しい患者にはもっと思慮深く接しなさい。

貧しい人には無料で治療するように努めなさい。

百万長者と乞食とを治療費の面で一様に扱うべきではありません。

医師は神に等しい。という諺があります。

至高の神が愛と慈悲を持つように、医師も又、至高の神と等しくこれらの徳を持つように努めなければなりません。

それらの徳を持たぬ医師は、その者を医師と呼ぶことは絶対に出来ません。

~医師が毎週二日間を無料診療の日として貧しい者に捧げる覚悟をすれば、人々はもっと健康になるでしょう。
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