その人がどんな人かは、その人の行為を見れば分かります。
結果に捕らわれない行為が大切なのはその為なのです。
鏡を見れば、自分がどんな顔つきか分かります。
それと同じように何をしているかによってその人の心があらわになるのです。
人と接しているとき、相手がどんなことをしているかを見れば、その人がどんな人かが容易に分かります。
サトヴァな感じで、立派な犠牲の心を持っているように見えて、神聖な心を持っている人かなと思っても、実は、まるで違うことをやっている人かもしれません。
動物の性質や悪魔の性質の表れのようなことをしているかもしれません。
その人のしている行為によってその本性が分かるのです。
逆に思いやりなど全くなさそうな人もいます。
礼儀もわきまえないし、慎みも無く、立派な品格も感じられません。
ところが、その人の行為を見ると、真心があり、いろいろな德性が表れています。
それならその人は、浄性な人だということになります。
~行為はその人の性格を見事に顕します。SGc33
ポニョ:昨日まで三回にわたり、この世にとらわれるってどういう事かについてお話をしました。おいらが今回学んだ事は前世からの傾向の話など、いろいろあるけれど最後のババのメッセージが興味深かったぜよ。
ヨシオ:どんなメッセージやった?ちょっとその部分だけでも再掲してみ。
ポニョ:おいらが面白いと思ったのは、心に何が浮かんでもそれは顔に表れるってところなんや。だって顔は心の窓って言うやろ。本当にそうやなって思うぜよ。
心にどんな思いが浮かんでもそれは顔に表れます。
だから顔つきは心の窓と言われるのです。
どんな思いも顔に表れます。
悲しみに打ちひしがれていれば、その気持ちが顔に出るでしょう。
そんな風に、心はそのまま顔に出るのです。
神聖な思い、神聖な気持ち、神聖な理想に溢れているときにはじめて悦びに満ちた幸せな人生を生きることが出来ます。
悪い思いにとらわれているときに、誰かに話しかけられて、微笑みを返したところで、それは作り物の笑顔でしか無いでしょう。
ぎこちない笑顔は、心の乱れをさらけ出してしまいます。
心を乱してはいけません。
いつも幸せなことを思うのです。
どんな時に幸せな楽しい気持ちでいられるのでしょうか。
それは神聖な良いことを思うときです。
その為にはできる限り心を落ち着かせることが大切です。
ヨシオ:ババは人が一定の年齢になれば、その人の人相はその人が責任を持たないといけないと言っておられたな。
ポニョ:星やんも人相読みの天才やったぜよ。どんな人の顔を見ても、すぐにこの人は短気で暴力を振るう人やとか、この人はあまり良いカルマを持っていないとか、この人は性的な欲望をコントロール出来ない人やとか、街に出て一緒に歩いたらいろんな人の顔を見て興味深いコメントをしてたぜよ。
ヨシオ:そうやったな。俺の背中の方に行って、首の後ろの方をジッと見てたなと思ったら、突然ヨシオさんは、英知を持っていますね。その印がついてるわ。なんて言ってたので、そんな事が何で言えるんやって聞いたら、インドの人相学を学んだ時にいろいろ教わったって言ってたな。それで嫁さんに家に帰ってから、俺の首の後ろに何か印が付いてるかって聞いたら、ホクロが首の後ろに付いているって言ってたな。
ポニョ:ホクロが首の後ろにあるかどうかで、その人が英知を持っているか分かるんか?ホクロが首の後ろに付いていたら、誰でも英知を持っているんか?
ヨシオ:そんな事は知らんっちゅうに。俺は、星やんが多分それを見ていたんじゃないかなって思ってるんやけれど、そうじゃないかもしれん。
人は皆、自分の源からはぐれて荒野をさまよっています。
そして、その源へと戻る帰り道を見つけるために肉体をまとって、この喜びと悲しみ、成長と衰え、希望と失望の世界にやって来るのです。
それは決められた滞在時間内で果たさなければなりません。
一日ごとに、太陽は、こっそりと、ほんの少しずつその期間を盗んでいきます。
けれども、幻の明かりと荒野のざわめき、そして、それらの強い印象の見せかけの甘さに心引かれて、人は運命の神の呼び声をないがしろにしています。
五感は人をだまし続け、迷路の奥へ奥へと連れていきます。
これは人が笑顔と感謝の身振りをしながら死んでいく代わりに、うめき声と嗚咽を上げながら死んでいく時まで続けられます。
生まれてから死ぬまでの年月は、無駄なものを手に入れること、価値のないことを達成することに費やされています。
なぜなら、満たされない欲望と不健康な感情でハートがいつもチクチク痛み、それが人の本性である平安に影響を及ぼしているからです。
これがずっと人につきまとっている迷妄、マーヤー(幻力)であり、それが人の神髄である神性を影に隠しているのです。22/12/70
ポニョ:おいらは星やんに手相を見てもらったぜよ。よく当たるんやこれがもう。でも、手相はその人の仕事などによって後天的に変わってしまうので、足の裏の相、足相の方が正確に読める何て言ってたぜよ。
ヨシオ:それで星やんはポニョの手相を見てなんて言ってたんや?
ポニョ:おいらは神の方に向いているけれど、元々そういう方向に向くような人ではなく、後天的に得たものだ、何て言われたぜよ。
ヨシオ:つまり間違っていたら、ポニョは今頃、料理研究家とか、どこかのレストランのシェフだとか、料理で生計を立てている仕事をしてたかもしれないよな。
ポニョ:そういう可能性はとても大きいぜよ。ところで星やんはあんたの手相を見てなんて言ってた?
ヨシオ:インドの手相学によると、薬指の下にその人が信じている神様のマークが現れるんやて。お袋はヴィシュヌ神の印が付いていて、俺の場合は全てが神さんやと信じている印が付いていたんや。それでそういう珍しい印が付いているの見た時は、まるで神のダルシャンに出た時のように、ありがたくその印を拝まなくてはならないとインドの手相学のグルに言われたって言ってたな。
ポニョ:あんたには良い事しか言ってなくて、おいらにはそんなに良い事を言ってないぜよ。
ヨシオ:星やんの手相見や人相見の技術はすごいよな。
ポニョ:すごくないですよ。おいらの顔を初めて見たときも、もうちょっと感覚をコントロールした方が良いですよ何て言われたぜよ。
ヨシオ:それって当たっているやないか。やっぱりすごいよな。
ポニョ:すごくないですよ。
ヨシオ:あのな、自分の事をよく言ってないからと言って、そういうネガティブなコメントをするなっちゅうに。俺に言わせれば、ポニョの笑顔は心から発している光のようにキラキラと輝いているし、まるでポニョが神聖体験をして至福に包まれているみたいに見えるな。
信者はいつも微笑みをうかべていなさい。
喜びを顔からにじみ出させなさい。
その喜びは、あなたが内なる神性を体現したときにこそ出てくる喜びなのです。
もしあなたが幸せでないとしたら、それはあなたがその神聖さを体現していないからなのです。SS8月p,203
ポニョ:あのね、前から言っているけれど、このおいらのモナリザ級の謎の微笑は生まれつきなんでヤンス。
ヨシオ:どこがモナリザ級の謎の微笑やねん。俺が言いたいのは、ポニョのようにいつも微笑みを浮かべて人生を送るってとても大切なんや。というのも前から言っているけれど、この世にある全てのものは俺たちも含めて神さんなんや。俺たちは自分が神さんやと気づいたら、他人と自分の違いが無くなってしまうんや。全ては「自分」なんや。そして全てが「自分」だと分かれば、すべてのものの中には、いつもポニョのように微笑みを浮かべている至福に満ちた「自分」しか見えなくなってしまうんや。
皆さんは神をどこかで探す必要はありません。
その代わりに、あなたの目を内に向けなさい。
外側の世界で見る顔はどれも、実際のところ、あなたの中に既にあるものの投影にすぎません。
ですから、万物はあなたの中にあるものの反映であり、反動であり、反響です。誰かがあなたを批判していると、あなたは悲しくなります。
誰もあなたを批判していません。
あなたがあなたを批判しているのです。
他人が自分を傷つけていると、あなたは考えますが、実際には他人など存在しないのです。27-7-02
結果に捕らわれない行為が大切なのはその為なのです。
鏡を見れば、自分がどんな顔つきか分かります。
それと同じように何をしているかによってその人の心があらわになるのです。
人と接しているとき、相手がどんなことをしているかを見れば、その人がどんな人かが容易に分かります。
サトヴァな感じで、立派な犠牲の心を持っているように見えて、神聖な心を持っている人かなと思っても、実は、まるで違うことをやっている人かもしれません。
動物の性質や悪魔の性質の表れのようなことをしているかもしれません。
その人のしている行為によってその本性が分かるのです。
逆に思いやりなど全くなさそうな人もいます。
礼儀もわきまえないし、慎みも無く、立派な品格も感じられません。
ところが、その人の行為を見ると、真心があり、いろいろな德性が表れています。
それならその人は、浄性な人だということになります。
~行為はその人の性格を見事に顕します。SGc33
ポニョ:昨日まで三回にわたり、この世にとらわれるってどういう事かについてお話をしました。おいらが今回学んだ事は前世からの傾向の話など、いろいろあるけれど最後のババのメッセージが興味深かったぜよ。
ヨシオ:どんなメッセージやった?ちょっとその部分だけでも再掲してみ。
ポニョ:おいらが面白いと思ったのは、心に何が浮かんでもそれは顔に表れるってところなんや。だって顔は心の窓って言うやろ。本当にそうやなって思うぜよ。
心にどんな思いが浮かんでもそれは顔に表れます。
だから顔つきは心の窓と言われるのです。
どんな思いも顔に表れます。
悲しみに打ちひしがれていれば、その気持ちが顔に出るでしょう。
そんな風に、心はそのまま顔に出るのです。
神聖な思い、神聖な気持ち、神聖な理想に溢れているときにはじめて悦びに満ちた幸せな人生を生きることが出来ます。
悪い思いにとらわれているときに、誰かに話しかけられて、微笑みを返したところで、それは作り物の笑顔でしか無いでしょう。
ぎこちない笑顔は、心の乱れをさらけ出してしまいます。
心を乱してはいけません。
いつも幸せなことを思うのです。
どんな時に幸せな楽しい気持ちでいられるのでしょうか。
それは神聖な良いことを思うときです。
その為にはできる限り心を落ち着かせることが大切です。
ヨシオ:ババは人が一定の年齢になれば、その人の人相はその人が責任を持たないといけないと言っておられたな。
ポニョ:星やんも人相読みの天才やったぜよ。どんな人の顔を見ても、すぐにこの人は短気で暴力を振るう人やとか、この人はあまり良いカルマを持っていないとか、この人は性的な欲望をコントロール出来ない人やとか、街に出て一緒に歩いたらいろんな人の顔を見て興味深いコメントをしてたぜよ。
ヨシオ:そうやったな。俺の背中の方に行って、首の後ろの方をジッと見てたなと思ったら、突然ヨシオさんは、英知を持っていますね。その印がついてるわ。なんて言ってたので、そんな事が何で言えるんやって聞いたら、インドの人相学を学んだ時にいろいろ教わったって言ってたな。それで嫁さんに家に帰ってから、俺の首の後ろに何か印が付いてるかって聞いたら、ホクロが首の後ろに付いているって言ってたな。
ポニョ:ホクロが首の後ろにあるかどうかで、その人が英知を持っているか分かるんか?ホクロが首の後ろに付いていたら、誰でも英知を持っているんか?
ヨシオ:そんな事は知らんっちゅうに。俺は、星やんが多分それを見ていたんじゃないかなって思ってるんやけれど、そうじゃないかもしれん。
人は皆、自分の源からはぐれて荒野をさまよっています。
そして、その源へと戻る帰り道を見つけるために肉体をまとって、この喜びと悲しみ、成長と衰え、希望と失望の世界にやって来るのです。
それは決められた滞在時間内で果たさなければなりません。
一日ごとに、太陽は、こっそりと、ほんの少しずつその期間を盗んでいきます。
けれども、幻の明かりと荒野のざわめき、そして、それらの強い印象の見せかけの甘さに心引かれて、人は運命の神の呼び声をないがしろにしています。
五感は人をだまし続け、迷路の奥へ奥へと連れていきます。
これは人が笑顔と感謝の身振りをしながら死んでいく代わりに、うめき声と嗚咽を上げながら死んでいく時まで続けられます。
生まれてから死ぬまでの年月は、無駄なものを手に入れること、価値のないことを達成することに費やされています。
なぜなら、満たされない欲望と不健康な感情でハートがいつもチクチク痛み、それが人の本性である平安に影響を及ぼしているからです。
これがずっと人につきまとっている迷妄、マーヤー(幻力)であり、それが人の神髄である神性を影に隠しているのです。22/12/70
ポニョ:おいらは星やんに手相を見てもらったぜよ。よく当たるんやこれがもう。でも、手相はその人の仕事などによって後天的に変わってしまうので、足の裏の相、足相の方が正確に読める何て言ってたぜよ。
ヨシオ:それで星やんはポニョの手相を見てなんて言ってたんや?
ポニョ:おいらは神の方に向いているけれど、元々そういう方向に向くような人ではなく、後天的に得たものだ、何て言われたぜよ。
ヨシオ:つまり間違っていたら、ポニョは今頃、料理研究家とか、どこかのレストランのシェフだとか、料理で生計を立てている仕事をしてたかもしれないよな。
ポニョ:そういう可能性はとても大きいぜよ。ところで星やんはあんたの手相を見てなんて言ってた?
ヨシオ:インドの手相学によると、薬指の下にその人が信じている神様のマークが現れるんやて。お袋はヴィシュヌ神の印が付いていて、俺の場合は全てが神さんやと信じている印が付いていたんや。それでそういう珍しい印が付いているの見た時は、まるで神のダルシャンに出た時のように、ありがたくその印を拝まなくてはならないとインドの手相学のグルに言われたって言ってたな。
ポニョ:あんたには良い事しか言ってなくて、おいらにはそんなに良い事を言ってないぜよ。
ヨシオ:星やんの手相見や人相見の技術はすごいよな。
ポニョ:すごくないですよ。おいらの顔を初めて見たときも、もうちょっと感覚をコントロールした方が良いですよ何て言われたぜよ。
ヨシオ:それって当たっているやないか。やっぱりすごいよな。
ポニョ:すごくないですよ。
ヨシオ:あのな、自分の事をよく言ってないからと言って、そういうネガティブなコメントをするなっちゅうに。俺に言わせれば、ポニョの笑顔は心から発している光のようにキラキラと輝いているし、まるでポニョが神聖体験をして至福に包まれているみたいに見えるな。
信者はいつも微笑みをうかべていなさい。
喜びを顔からにじみ出させなさい。
その喜びは、あなたが内なる神性を体現したときにこそ出てくる喜びなのです。
もしあなたが幸せでないとしたら、それはあなたがその神聖さを体現していないからなのです。SS8月p,203
ポニョ:あのね、前から言っているけれど、このおいらのモナリザ級の謎の微笑は生まれつきなんでヤンス。
ヨシオ:どこがモナリザ級の謎の微笑やねん。俺が言いたいのは、ポニョのようにいつも微笑みを浮かべて人生を送るってとても大切なんや。というのも前から言っているけれど、この世にある全てのものは俺たちも含めて神さんなんや。俺たちは自分が神さんやと気づいたら、他人と自分の違いが無くなってしまうんや。全ては「自分」なんや。そして全てが「自分」だと分かれば、すべてのものの中には、いつもポニョのように微笑みを浮かべている至福に満ちた「自分」しか見えなくなってしまうんや。
皆さんは神をどこかで探す必要はありません。
その代わりに、あなたの目を内に向けなさい。
外側の世界で見る顔はどれも、実際のところ、あなたの中に既にあるものの投影にすぎません。
ですから、万物はあなたの中にあるものの反映であり、反動であり、反響です。誰かがあなたを批判していると、あなたは悲しくなります。
誰もあなたを批判していません。
あなたがあなたを批判しているのです。
他人が自分を傷つけていると、あなたは考えますが、実際には他人など存在しないのです。27-7-02