サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

前世物語エピローグ転生のエネルギー

2017-06-30 16:00:20 | 日記
この世のものが持つ欠点に気づけば執着は捨てられます。
生まれる前は親も子も無いでしょう。
結婚しないうちは、夫でも妻でもありません。
子供が生まれてから親子の関係が始まります。
生まれる前はそんな関係はないし、死んだ後もその関係は無くなります。
自分のものという思いや執着が起きるのは、ほんの短い、わずかの間だけです。
ものの見方や接し方が正しくないために執着が起こるのです。
狭い心に捕らわれ、長期的なものの見方が出来ないから執着が起こるのです。SGc12

ポニョ:昨日まで前世シリーズを連載していたけれど、なんか虚しいな。生まれ変わるって。だって前世では加代子さんだったイラン人の女性は、まだあんたと同じ街に住んでいるんやろ。でももう二度と顔を合わさないかもしれないよな。それって虚しいじゃん。

ヨシオ:多分もう看護婦さんとして、どこかの病院で働いているやろな。前世では俺の祖母やったけれど、俺が生まれる数年前に亡くなったから俺は一度も顔を合わせた事はないし、それほど縁があるってわけじゃないから、街のどこかですれ違ってもお互い全然気が付かないやろな。

ポニョ:そういう話を聞いていると、人生って本当に虚しく感じるぜよ。生きている時にあれだけ一生懸命同じ家族として世話をし、愛し合い、支え合って生きて来たのに死んで生まれ変わったら、あんたの事なんて知りませんよ、あんたはあんたで勝手に生きてくださいの世界やろ。それって水臭いやないか。

ヨシオ:水臭いやないかとポニョが言っても仕方ないやないか。そういう風に人の世は出来ているんや。だからサイババさんは、人が生まれ変わる前は一体誰が家族やったんですか?死ねば一体、家族の中で誰が一緒に死後の世界について来てくれるんですか?君の本当の家族は誰ですか?と問いなさいと言っておられるんや。

ポニョ:何かの縁で二人の男女が夫婦になるけれど、夫婦になる前はお互い病気になって死にそうになったとしても、他人やから別になんとも思わないけれど、一旦、その男女が夫婦になれば、どっちか一人が死にそうになれば、血相を変えて必死で看病するもんな。

ヨシオ:前世では恋人同士だったものや、夫婦だったもの、また親子同士や兄弟同士だったものが、今生では他人になって生まれ変わり、前世ではあれだけ愛し合い、助け合った仲なのに、通りですれ違っても、レストランや喫茶店で隣のテーブルに座っても、お互い何も挨拶もしない間柄になってしまうんや。

ポニョ:虚しいな。それって虚しいぜよ。嫌だなそんな世界って。

ヨシオ:虚しいから嫌だと言っても、それが現実なんや。俺は人を見る時は、その人のアートマの神聖なエネルギーが、その人のエゴと欲望でブロックされているけれど、一体どの程度、外にそのエネルギーが放たれているかを見るんや。だから俺の目で人を見ると、全ての人はその姿が違うだけで皆同じように見えるんや。俺のお袋のようにオーラが見える人が人を見ると、人の違いといえば、ただその人が発している光の色と量だけなんや。

ポニョ:それってオーラのことですか?オーラが見える人がアシュラムにやって来て、サイババさんに「あなたのオーラはピンク色で地平線の向こうにまで届いていますね。」と言うとサイババさんは「私のオーラはいつもあるのに見える人しか見えない」と言われたんや。

ヨシオ:面白いで人って。その人の体から発しているアートマのエネルギーの量の違いで、その人の体の形状などが影響されるんやで。だからその人の姿や歩き方、人相や、骨相、ホクロの位置、また、話し方や食べ方でその人のことが分かるんや。もちろん手相でその人の事が分かるのは当たり前やけれど。

ポニョ:そういや星やんがそういう事に凝っていたぜよ。それってインドのブラミンカーストの人たちが詳しいよな。おいらの食べ方を見て、まるで豚だとコメントしてたぜよ。おいらは千と千尋の両親じゃないんや。あれは失礼なコメントやったぜよ。

ヨシオ:どこが失礼なんや?当たっているやないか。人はアートマやから、全て基本的には同じなんや。子供が生まれるまで、一体その子供はどこにいたんや?どこから自分の子供がやって来たんや?そしてその自分の子供が親より早く死ねば、一体その子供はどこに行ってしまうんや?人がこの世で愛着を覚えて大事にしたものや人は全て幻なんや。この世のどこにも、人が、それは自分のものです、とか、その人は自分の子供ですとか、私の親ですとか、自分の恋人ですとかと言って宣言出来るものは何一つ存在していないんや。全ては幻なんや。その幻であるもの、雲のように移り変わって消えゆくものに対して愛着心、執着心を持てば、それが人を転生へと導くエネルギーとなって、人の魂を輪廻転生の大きな車輪の中に巻き込んでしまうんや。

ポニョ:という事はこの世のものや人に対して、愛着や執着を持ってはいけないって事なんや。でも人を愛するのは悪くないぜよ。

ヨシオ:人を愛する事と、愛着心を持つ事は違うんや。愛着心を持つという事は、自分の家族や恋人に向けられる愛の事で、真に人を愛するって事は、全ての人の中に存在するアートマ、つまりその人の中に神さんを見て、その神さんを愛するって事なんや。だから真の愛は普遍的な愛で、その人が自分の恋人やから愛するとか、自分の家族やから愛するとか、兄弟やから愛するとかではなく、全ての人を神さんと見て、全ての人を愛するのが、神さんの愛なんや。そういう普遍的な愛を、人は人生に於いて培って行かなければいけないんや。

ポニョ:でも今の人は、年を取るに連れて普遍的な愛を培っていくのではなく、自分の周りの家族や友達だけを愛するようになって、自分が作った小さな輪の中だけの人だけを愛して行くんや。

ヨシオ:それがこのカリユガの特徴なんや。自己中人間ばかりが社会で大きな顔をしながら寄生虫のように増えて行くんや。俺たちはそういう人たちとは逆に、大きな心で人々を愛して行かなければいけないんや。愛は拡げるものであって、小さくさすものではないんや。つまり他人と自分は一緒なんや。そういう大きな見方をしなければいけないんや。

英知の人が鏡の部屋に入ると、その人は、そこに見えるすべての姿は自分自身の映像であると感じて、幸せになります。
同様に、自分以外のあらゆる人の中に自分を見て、彼らを自分自身の姿と見なす人こそが、本当の人間です。
外の世界に現れる、目に見える原理は、一人ひとりの内に存在している原理と同じものです。
名前や姿や能力は、個別 のもののように感じられますが、それらは単なる映像に過ぎません。
本当は、皆さんと私は同じなのです。
神は皆さん自身の内にあり、皆さんと神は分離した存在ではありません。23/11/00

ポニョ:でもおいらの周りの人たちは、自分のことしか考えていない人ばかりやぜよ。

ヨシオ:だからサイババさんは、人を見る時にその人の良いところだけを見るようにと言われているんや。他人の欠点やら短所ばかりを見て批判ばかりする人は、その他人の中に自分の欠点や短所を見つけて、それを批判しているんや。自分が自分の中に同じようなものを持っていて、その欠点や短所を本当の自分は嫌っているから、他人の欠点や短所を批判してしまうんや。人は同じような欠点や短所が自分の中に無かったら、人を批判しないやろ。

ポニョ:でも以前、聖者のように心が一点の曇りもなく、まるで鏡のような綺麗な心を持っている人が他人を見れば、その他人の心の中にある汚い部分が自分の綺麗な心に映って、その人の欠点やら短所が、ガラスのショーケースの中のようによく見えると言ってたやないか。

ヨシオ:ポニョは人の話を何にも聞いていないやないか。俺が言っているのは、その人は、自分の中にある欠点やら短所が自分で嫌いやから、他人の中に同じものが見えたら、それらを批判してしまうと言っているんや。逆に聖者のように綺麗な心を持っている人は、自分自身の中に汚いものを持っているのではなく、ただ他人の汚い心が自分の綺麗な鏡に映るだけから、その人に対してその欠点や短所をどのように取り除けば良いか、その人を愛でもって導く事ができるんや。それって全然違うやろ。一つは相手を批判する事によって、自分の中の欠点や短所を正当化する、つまり俺の方がマシやとか、あいつは俺より劣っているとかと言って批判する事によって、今の自分の状態を維持したり、正当化しようとするんや。もう一つはそういう欠点や短所を少しでも無くすように導いて行くんや。

ポニョ:そういう風に具体的に説明してくれればよく分かるぜよ。あんたは簡単な事を難しく説明する傾向があるから、時々何を言っているのかよく分からんぜよ。

ヨシオ:あのね、ポニョは人に説明ばかりを求めて、全然自分で考えようとしないやないか。それって羊から生まれ変わった人の特徴なんや。

ポニョ:あんたもプライドが高いから、牛から生まれ変わったと言っていたやないか。

ヨシオ:それがどうやっちゅうんや。誰でも動物から生まれ変わって人になるんや。

ポニョ:でもあんたは、美しいメロディーの音楽を聞くと身体が動かなくなって聞き惚れてしまうと言ってたから、牛ではなく鹿から生まれ変わったかもしれないよな。

ヨシオ:サイババさんは、昔、鹿を捕獲する時は綺麗な音楽を流すと、鹿が聞き惚れて動かなくなるから、捕獲しやすいと言っておられたな。

ポニョ:でもあんたの場合は、プライドが高いだけじゃなくて顔も長いから、馬だった可能性もあるぜよ。そうや、多分プライドが高い馬か鹿やったんやろな。

ヨシオ:あのね、俺の事を馬か鹿やったなんて言っているけれど、つまり俺は馬鹿だと言いたいんやろ。ポニョが言いたい事はすぐに分かるんや。

ポニョ:ハハー!すぐにバレちゃった。

すべての世界が執着という大きな網の中に捕らえられています。
この執着はマーヤーという幻影現象であって、元々五大元素からできている肉体とアートマンの間には何の関係も無いのですが、マーヤーの幻影の力により二つが結ばれてしまうのです。
もしその力が無いのであれば、人と人の関係はどうなるのでしょうか?
誰が妻で誰が夫となるのでしょうか?
誰が母親で誰が息子となるのでしょうか?
これらの関係は生まれながらにしての執着心から出てきたものであり愛からではありません。
子供が生まれるまで、その子供への執着心は存在していませんでした。
しかし、子供が生まれるとその子に対する愛着心が出来るのです。
この愛着心は肉体に関するものであって一時的な性質のものです。SS9月p226~227


来るべき世界はどんな世界?

2017-06-29 16:00:53 | 日記
今日、どうして人口の増加が起こっているかといえば、それは人々の行為のせいである。
人々の小さな胃袋を満たす為に、神は世界に沢山の食料となる物を創造しました。
大量の米、大量の小麦、大量の果物のような良い食料を神が与えているのにもかかわらず、人々は肉や魚などを摂っています。
そしてそれらの人によって殺され食された魚(や動物たち)が,人として生まれ変わってくるのです。SSIB1977p182

ポニョ:前回は見知らぬ通行人に神を見て、無料の食事を施すブラミン夫婦の話をしました。そんな夫婦が世界中にいたら、この世にお腹を空かした貧しい人たちがいなくなるぜよ。

ヨシオ:昔のインドには、そのように全ての生きとし生けるものに神を見て奉仕している人たちがたくさんいたんや。

ポニョ:今では人口が多過ぎるのか、それとも社会的道徳が廃れたのかそういう事をする人はいなくなったぜよ。だってそんな事をしたら、タダ飯を食べようと長〜い行列が出来て、収拾がつかなくなってしまうズラ。

ヨシオ:サイババさんは世界中の人口が爆発的に多くなっているけれど、誰もそれを止める事は出来ないと言われたことがある。というのも今の人類は、食する為に組織的に効率的に牛や豚などの家畜を殺しているから、それらの殺された家畜たちの魂がどんどん人の体の中に入って行ってるんや。だからそういう肉食を人類がやめない限り、人口増加を止める事は出来ないんや。

ポニョ:家畜たちが、その動物としての生を全うするまでに殺されるから、魂が動物としての徳を積むことが出来なくて、人の肉体に入っても未熟な魂の為に人の肉体を持て余してしまうんやぜよ。だから人として十分な頭脳を持って考える事は出来ても、五感をコントロール出来ないので、その頭脳を感覚を満足させる為に使ってしまうので、たちが悪いんや。

ヨシオ:つまり自分の欲望や感覚器官を満足させる為に頭脳を使ってしまうんやろ。他の人の心の痛みや迷惑など全然考えない自己中の人間が出来上がるんや。

ポニョ:恐ろしいのは、肉食をするとその人の霊体の中に動物の霊体が取り込まれてしまって、その人の霊的波動が動物と一緒になってしまいそれが精子や卵子にまで影響して自分たちの子供に、人によって殺された動物たちの魂が入り込むんや。それってホラー映画より怖い話やぜよ。

ヨシオ:今の世の中を見ても、自己中な家族が増えて来ているよな。夫婦だけではなく、その子供までめちゃ自己中やもんな。

ポニョ:そういう意味で菜食主義ってとても霊的に大事なんやぜよ。世界中の人が菜食主義者になれば、人口問題や社会問題はすぐに解決するんやけれどな。昔のように霊的な三角形は綺麗な三角形になるんや。今は未熟な動物たちの魂がその霊的三角形の頂点である、人類にどんどん生まれ変わっているので、三角形のトップがいびつにデカイ、不安定な形の三角形になってしまっているんや。でも人が菜食主義になると、牛や豚さんたちが人に生の途中で殺されず、自分たちの動物としての生で徳を積むことが出来るから、綺麗な三角形になることが出来るんやぜよ。

ヨシオ:以前アボリジニの話をしたけれど、ほとんどのアボリジニの男たちは狩人だったんや。カンガルーやエミューを捕まえて家族たちを養っていたんや。ある時、それらのアボリジニの狩人の中でもとりわけ狩が上手な狩人が現れて、カンガルーなどをいとも簡単に捉えて来るんや。少し離れた地域にも狩が上手い狩人という事で名前を知られている狩人がいて、一体どちらの狩人の方が腕が上か勝負する事になったんや。そして一定期間の間に、どれだけカンガルーを殺せるかを競争し始めたんや。するとホワイトスピリットと呼ばれる太霊が現れて、家族たちを養う食料として必要以外の生き物を殺してはいけないと警告したんや。それがきっかけで、腕の良い狩人であっても、決して自分たちの飢えを満たす以上の生き物の殺生をする事はなかったんや。

ポニョ:アボリジニの数って知れているよな。しかもブーメランや槍を使ってカンガルーを射止めるんやろ。家族を養うのに必要以上のカンガルーを殺してはいけないっていうけれど、一体どれくらいのカンガルーが必要以上に殺されたんやろか?大した数ではないよな。今現在、それと比べたらどれだけの数の牛や豚さんたちが殺されている?信じられない数やぜよ。もう神さんは人類がそういう霊的な進化や霊的な法則をめちゃくちゃにしてしまうのを、許されているんやろか?それとももうとっくに諦められたんやろか?カンガルーを少しだけ余計に殺しただけで、神さんがホワイトスピリットになってアボリジニたちに警告されたのに、人類がこれだけ大量に動物たちの命を奪っても、神さんは何もされないって辻褄が合わないズラ。

ヨシオ:まあ、それほど興奮しなくてもええやろ。ポニョが興奮し出すと、鼻の穴が膨らんで来て、豚さんの代表みたいな顔になるから気をつけた方がええな。神さんが意思されない限り、この世で何も起こらないんや。これだけ動物たちが殺されて人に食された事なんて今までの人類の歴史で初めての事やろ。ポニョはすぐにカリカリと頭に来てるけれど、神さんから見たらこの世で起こっている事は全て良い事なんや。もっと大きな視点で世の中を見るようにすれば心を平安に保つ事が出来るんや。

ポニョ:ヘェ〜そんなんや。大きな視点で世の中を見るんですね。そうですか?大きく出た限りは、その大きな視点とやらをちょっとと見せてもらおうやないの。

ヨシオ:そんな喧嘩腰にならなくてもええやろ。誰も神さんが意図された事やその理由は分からないんや。でも神さんは愛の化身やから何をされても愛でもってされているから、それを信じて何が起こってもハッピーで受け入れたらええんや。

ポニョ:これだけたくさんの罪の無い動物たちが殺されているのに、それをハッピーで受け入れろって無理やぜよ。

ヨシオ:もちろんサイババさんもこれだけ世の中が歪んでいるから、人の姿を取って来られたんや。でもそのようになると神が意思しないと何も起こらないやろ。この世で起こっている事は、全ては神の意志の反映なんや。

ポニョ:それは何度も聞いたけれど、なんでこんなひどい状態を意思されたんや?という事をさっきから聞いているんでヤンス。三流の政治家みたいにぬらりくらりと答弁を避けるような真似をしないでくれますか?

ヨシオ:だから神さんは愛の化身やから、何が起こっても全てを受け入れればええんや。結果オーライの世界を作っておられるから、ポニョが何も心配する事はないんや。と言ってもポニョは満足出来ないやろうから敢えて説明するけれど、その前に質問があるんや。もしポニョが神さんとしたら、ゴールデンエイジってどんな時代にしたいと思う?

ポニョ:そうやな。サイババさんが言われた通り、全ての人々が神を父として尊敬して礼拝し、お互いを愛し合って誰も動物たちや魚たちに危害を加えない菜食主義になり、地球の資源を一部の人達だけが独占するのではなく、地球の女神様の許可を得て探索、掘削し、公害を出さず、環境に優しい産業を育成し、もし可能であれば再生エネルギー機関や、永続運転可能な技術を開発してエネルギー問題を解決し、地球に住んでいる全ての生きとし生けるものが神様を愛しながら幸せに暮らせる時代かな。

ヨシオ:もしそれに、動物たちも人に寄り添って幸せに暮らせたらもっとええやろ。

ポニョ:そらそういう事に越した事はないぜよ。でもどうやって?動物たちが人の言う事や思いが分かれば良いけれど。犬なんか結構、人とコミュニケーションが取れるよな。人の思いも分かるし。

ヨシオ:全ての生き物が犬のように人の言葉を理解し、思いが分かるようになるかもしれないで。

ポニョ:ヘェ〜。そんな時代になれば、それこそ本当のゴールデンエイジやぜよ。でもどうやって?

ヨシオ:この続きは明日しよか。スペースが足りなくなって来た。

ポニョ:あのね、こんなところで終わったら答えが気になって、夜寝れなくなるやないの。
ヨシオ:ポニョはいつも人に聞いてばかりやから、その答えをたまには自分で考えろや。そのポニョが考えた事と、俺が思った事を明日付き合わせてみようやないか。

アヴァターの使命は人類の心に変容をもたらすことです。
皆さんは一つの事実に気づくことができなければなりません。
人類の世界規模の変容はすでに始まっています。
短期間のうちに、すべての人間社会が一体となり、次のヴェーダの祈りの中で尊ばれている理想に沿って、平安と一体性のうちに生きていることに気づくことでしょう。
共に生きよう、共に成長しよう。共に知性を育もう。互いに仲良く暮らそう。
私は、黄金時代はとても近いと断言します。
バーラタ(インド)、そして、全世界で、個人の対立、不和、同胞への憎しみは、過去の遺物となるでしょう。10/10/05



















人類の霊的宝庫

2017-06-27 16:00:11 | 日記
思考は言葉として現れ、言葉は行為として現れます。
行為は習慣となり、習慣は定着して人格を形成します。
ですから、思考とその習性に気をつけなさい。
思考が愛から湧いてくるように、万物に対する尊敬の念から生まれた愛から湧いてくるようにしなさい。
なぜなら、すべてのものが神だからです。
あなた方は皆、神の化身です。その事実を決して忘れてはいけません。22/11/70

ポニョ:以前、子供の頃から見ていたベールの向こうにおられる神様を探すビジョンの話をしたけれど、そんなにクリアーにビジョンって見えるもんなんか?

ヨシオ:クリアーなビジョンもあればモヤに包まれたような、はっきりしないビジョンもあるな。あのビジョンは、いろんなビジョンの断片が集まって一つのビジョンが完成したんや。例えば一つのビジョンはベールのこちら側にいて、ベールのあちら側におられる神さんに話しかけようとしているビジョンで、またしばらくすると、その神さんがマッチ棒の光のように小さな明かりで下半分の顔が暗闇に浮かんで来たビジョンを見たと言う感じで、それらの断片的なビジョンが十何年間の間に、ジグソーパズルのように繋がって一つの大きなビジョンになったんや。

ポニョ:左の頰のホクロがあり、下顎がふっくらとしている神さんか…。ずっと前に中国の毛沢東がその神さんの生まれ変わりじゃないかと思って会いに言ったんやろ。

ヨシオ:その頃、毛沢東がいる中国に個人が旅行するなんて不可能やったんや。中国は鎖国状態やったから。でも少しずついろんな情報が流れて来ていて、人民の為に奉仕しなくては行けない、とか全ての抑圧せれている労働者や農民が国の主人になって国を治めなければならない、とか、賃銀はその人の能力に応じて支払われるのが理想的で、労働をすることが人々の一番の楽しみになるような国造りをしたいとか毛沢東が言って国を統治しているというような話しが流れて来て、一度毛沢東に会いに行きたいと考えていたんや。だって下あごがふっくらして、大きなホクロがある所なんてそっくりなんや。

ポニョ:でもホクロの位置が毛沢東の場合はもっと下やぜよ。

ヨシオ:ホクロが左側にあると言うのは分かっていたけれど、その位置まではっきりしてなかったんや。でも取り敢えず北京の中南海に住んでいる毛沢東のところに行ったんや。もし、彼が神の化身であれば会ってくれるやろなと薄い期待を抱いて。でも中南海の門の前で長い間待っても会ってくれなかったんや。その代わりに怪しい者と間違われて公安局に連行され、一日中尋問されたな。

ポニョ:そんな事は当たり前だのクラッカーやぜよ。投獄されなかっただけでもラッキーやったぜよ。

ヨシオ:国民も政治権力闘争で疲れているみたいやったし、文化大革命の余韻で内乱状態やったな。保定という町にある河北大学の日本語科の学生と友達になって、その人の寮にしばらく滞在していたけれど、夜中に大学構内のあちこちから銃声が聞こえて来るんや。

ポニョ:よくそんな鎖国状態の中国を一人でウロウロ出来たな。

ヨシオ:遠い親戚が南京にいて、その親族を訪ねるという目的でビザを申請したら許可が出たんや。でも探していた神の化身が毛沢東でなかったので、また振り出しに戻って一から探し始めなくてはいけなかったんや。いろいろ回り道をしたけれど、やっと神の化身を見つけられて良かったな。あの時はめちゃ嬉しかった。毛沢東と違ってサイババさんは俺に会ってくれたし。

ポニョ:本当に長い回り道をしたんやな。すぐに見つけられる人と比べたら、それだけたくさんカルマを持っていたって事なんやろな。

ヨシオ:でもプッタパルティに生まれ育った人だって、目の前にサイババさんがいるのに、神の化身だと認めていない人がたくさんいるで。サイババさんがお若い頃、村八分にあって、岩山の中にある洞窟にしばらく身を隠さなければいけないくらい村人からの迫害は酷かったんや。小さな小屋に火を放たれたり、毒が入った食べ物を食べさせられたり、丘の上から大きな岩を投げられたりして大変やったんや。だからサイババさんの近くにいるからと言って、良いカルマを持っているわけではないんや。

ポニョ:アシュラムの僧侶をされていたギータさんの叔父さんも、サイババさんが自分はラーマであり、クリシャナであると宣言された時に、自分の耳を疑ったと言っておられたもんな。

ヨシオ:神が人の姿で降臨した時に、その姿を見てすぐに神様だと気付ける人って少ないんや。

ポニョ:サイババさんの通訳をされていたゴーカクさんも、サイババさんとどこかのホテルに一緒に投宿して、隣の部屋にいたら、サイババさんが髭剃りを忘れたと言って髭剃りを借りに来たんやけれど、そんな時にサイババさんが神の化身だという事をすっかり忘れてしまいそうになると言っておられたぜよ。サイババさんは、本当に人間のように振るまわれるから。

ヨシオ:それは逆なんや。俺たちが神様に近いんや。人間が神様とあまり変わらないんや。その証拠に、人の行為から神聖さを見て取れるやろ。例えば無私の奉仕だとか、人に優しい言葉をかけるとか、見知らぬ人であっても、その人が困っていたら助けようとしたり、人の日常の行為には、神聖な行為がいっぱいあるんや。神さんが人の身体を取ったら同じ事をされるやろな、という行為を見て取れるやろ。だから神さんが人のように振る舞っているのではなく、人が神さんの似姿のように造られているんや。人は肉体を持っている限り、怒り、憎悪、嫉妬、妬み、怠惰、貪欲などの獣的な側面もあるけれど、それらを克服して出来るだけ神聖さを顕現しなくてはいけないんや。

ポニョ:インドでは神聖さを顕現さすために、ブラミンカーストの家族が集まって二十四時間、毎日ヴェーダを唱えていたんやろ。

ヨシオ:それってすごいよな。こちらは冬で寒くなって来ているので、寒さに弱く、体調を崩しやすい嫁さんが、冬でも暖かいパースに行ってしばらく子供達と一緒に住んでいるんやけれど、この前一ヶ月ぶりに会ったら、顔が神々しくなっていたので、どうしたんと聞くと、一日に五回以上もルッドラムのナマカムとチャマカムを唱えていたんや。ガヤトリマントラも一日中唱えていたな。俺が近くにいない方があいつにはええかもしれんなと思ったけれど、久々に二人で一緒にルッドラムを唱えると、一人で唱えるより二人で唱えた方が倍の効果ではなく、その何倍もの効果があるということが分かって、今度から元どおり一緒に住んで、いつも二人で一緒に唱えようということになったんや。

ポニョ:ヴェーダを唱えたら周りの環境の波動が浄化されるもんな。そういう事をインド人たちは昔から知っていたんや。

ヨシオ:インドに昔から伝わっている伝統文化は、人類の霊的宝庫なんや。例えばブラミンの長老は自分が死ぬ時を知っていて、皆にその時を事前に告げ、火葬の準備や葬式の準備をしてから死んで行ったんや。またブラミンの人たちは普通一日に一食しか食べないけれど、彼らが昼食を作っても先ず神さんに食べていただく為に、通りに出て通行人に食事をしませんかと呼びかけて、その見知らぬ通行人に食べてもらうんや。

ポニョ:そんなブラミンが住んでいるところを教えてくれますか、毎日昼飯時に、お腹が空いている通行人になってあげるぜよ。

ヨシオ:彼らはその見知らぬ通行人の中に神様を見ることが出来るんや。そしてその見知らぬ通行人が食べている間、その人が汗をかかないようにうちわで扇いだり、コップに水を注いだりして、見知らぬ人に精一杯の奉仕をするんや。そして見知らぬ通行人が満足して帰って行ってから初めてその残り物を食べるんやで。

ポニョ:昔のインド人ってすごかったんやな。その見知らぬ通行人の中に神さんを見れるからこそ、そういうことが出来るんやろな。でも通行人が来なかったり、通行人が来ても誰も昼食を食べたくないと言ったらどうするんや。

ヨシオ:全ての行為を神さんに捧げてからでないと食べないと決めているので、せっかく作った昼食を食べずに、それらを牛にやったりして自分たちはその日は断食するんや。それくらい彼らは全てを神に捧げて、神の意志に従って生きているんや。

ポニョ:という事は、賑やかな通りに住んでいるブラミンカーストの人は太った人が多いけれど、人通りが少ない通りに住んでいるブラミンカーストの人は痩せているんやろな。

ヨシオ:あのね、人の話をもうちょっとまともに聞いてくれませんか?

この世に対する執着を段々と減らして行きなさい。
あなたが死ぬ時、この世はあなたと一緒に来てはくれません。
あなたは一握りの土さえも持って行くことができません。
あなたは自分で培った美徳しか持って行くことができないのです。
あなたの先生と目上の人と両親を敬いなさい。
母親を神として敬いなさい。
父親を神として敬いなさい。
教師を神として敬いなさい。
客人を神として敬いなさい。
すべての人を神と見なしなさい。
犬の中にすら神は存在します。
神が万物に浸透していることを堅く信じなさい。
これ以上に偉大な霊性修行は存在しません。
人々がこのような信念を育てたとき、国家全体が豊穣と繁栄とあらゆる吉祥に恵まれます。
あなたのハートを神聖な感情で満たしなさい。24/7/02

前世物語❺二人のシャーム

2017-06-26 16:00:59 | 日記
あなたの中に愛の川が絶えず流れているようにしなさい。
そうして初めて、あなたは神のヴィジョン〔御姿を見ること〕を得ることができます。
あなたが神を見たいと願っていることは確かですが、あなたは自分の愛を広げる努力をしていません。
もしあなたが興味を持っているのなら、私はあなたに神のヴィジョンを授ける用意があります。
しかし、あなたが神を見ることができるのは、あなたが自分の中に真実で永遠の愛を培ったときに限ります。15/3/04

ポニョ:昨日はあんたが橋の上で寝てしまってバスに乗り遅れた話をしました。

ヨシオ:乗り遅れてないっちゅうに。ちゃんとその日に帰れたわ。

ポニョ:でもハイカーたちがやって来なかったら、バスに乗り遅れていたやろな。

ヨシオ:サイババさんがハイカーになって起こしてくれたんや。

ポニョ:昨日は狭い幅の木の板の上で寝たいというおかしな傾向を持っているって紹介してくれたけれど、他にもシルディサイババと繋がるような話はあるんやろ。

ヨシオ:そうやな。俺がオーストラリアに移住して家を建てようと思ったんや。それであちこのモデルハウスを見に行っていた時期があって、その中の一つの家の玄関に入った途端、目が点になってある物に釘付けになってしまった事があるな。それは部屋と部屋を仕切ったり、区切ったりする為に作られた何の変哲もない高さ五十センチぐらいの木の柵なんやけれど、俺は、この柵をどこかで見た事があると感じて、それをどこで見たのかを思い出そうとして、ボーッと考え事をしてしまったな。すると前世の俺の隣の部屋で聖者が、その木の柵と良く似た柵に寄りかかって、いつも焚き木をしていた事を思い出して、その木の柵が付いているモデルハウスを衝動買いしてしまったな。

ポニョ:木の柵が付いている家やったらなんでも良かったんや。

ヨシオ:そういう事やったんやろな。また、その聖者の隣の部屋で寺小屋教室を運営していたからかもしれないけれど、昔から将来は小学校の先生になろうとして、教育課程に進んだんや。俺は子供達と一緒に遊ぶのが昔から上手くて、よく近所の悪ガキ達を集めていろんな遊びをしてたんや。でも国籍が中国やったから、学校の先生になれないと分かって諦めたけどな。私学の学校か大学の先生やったらなれるので、取り敢えず大学院に進学し、大学の先生になろうとしてたんや。

ポニョ:それであんたの友達は大学の学長や教授が多いんやな。

ヨシオ:また次男が産まれた時に、どういうわけか名前をシャームにしようと決めていたんや。その頃、サイババさんの帰依者になったばかりだったので、シャームの前にサイを付けてサイシャームという名前にしたんや。それから二、三年後、サイババさんが御講話の中で、俺の前世について紹介されたんや。その御講話によると、シルディババの部屋の隣にシャームという先生が小さな寺小屋を運営していて、授業が終わると毎晩のようにシルディサイババのところに来て足をマッサージしに来たと言われたんや。そのシャームという先生は、子供の頃に両親とシルディにやって来て、他の大きな街で先生の資格を取った後、またシルディに戻って来て村の子供たちのためにイスラム寺院の跡で寺小屋を始め、その隣の部屋にシルディババが住んでいたんや。そして昨日俺が紹介したように、シャームは壁の煉瓦が一つ取れたところからいつもシルディサイババの様子を見ていたという話や、シルディサイババは一人でいる時に、大声で笑ったり、天井からロープを二本吊ってそこに幅が狭い板を乗せて寝ていたエピソードを紹介されたんや。しかもシャームはその煉瓦が抜け落ちている穴から、一体どのようにしてシルディババがその木の上に飛び乗っておらえれるのかを見ようとしたけれど、いつ見ても、もう既にシルディサイババは木の上に飛び乗った後やったという事まで講話で言われたんや。もっと詳しい事を講話で言われたけれど、俺はその御講話を読んで、どうして子供の頃から狭い幅の木の板の上で寝たかったのか、どうして小学校の先生になりたかったのか、どうして木の柵に惹かれるのか、どうして次男の名前をシャームにしたのかという事が全部明らかになり、今まで何十年に渡って作り上げて来たジグソーパズルが全てその講話を聞いて完成したなと感じたんや。

ポニョ:ふーん、面白い話やったぜよ。おいらもシルディの話を読んだ事があるけれど、そのシャームという人は、シルディサイババが亡くなる前まで、シルディサイババによく仕えて、シルディサイババが亡くなった後もシルディの教えを人々に伝えられたと書いてあったぜよ。

ヨシオ:多分それは別のシャームやろな。だって今、ポニョが言ったシャームはまだ若くて、シルディサイババが亡くなってからも生きていたんやろ。俺が知っているシャームはシルディサイババが亡くなるに既に亡くなっているんや。

ポニョ:そうなんや。それじゃ二人シャームがいたって事なんや。シャームってクリシュナの別名なので、結構インドではその名前の人たちに出会うぜよ。日本で言えば俊夫とか幸雄とか硬直のような感じなんやろな。

ヨシオ:なんやねん?その最後の硬直という名は?そんな名前を聞いた事がないやろ。

ポニョ:あゝ、その名前はおいらの飼い犬の名前でヤンス。体が固いので硬直という名前にしたんや。

ヨシオ:人の名前と犬の名前を一緒くたにするなっちゅうに。それにしてもなんちゅう可哀想な名前や。

ポニョ:そうかな?でも一度、シルディに行って前世に住んでいたところを見たいとか思わないのか?

ヨシオ:それは全然興味無いな。俺のジャイナ教の友達も一度行けば良いと勧めてくれたんやけれど、本当に自分の前世や前々生などに全く興味が無いんや。

ポニョ:おいらやったら、プッタパルティに行くよりシルディに行って、自分が前世で住んでいた場所や家を覚えているかどうかを確かめに行くけどな。

ヨシオ:そんな事をして何が面白いんや。たとえ前世の自分の家を見つけたり、自分が使っていた物や、自分の乗っていた馬車や、愛用していたものがあったとしても、それらは全てその生を受けた時に神さんにたどり着けなかった時の人生で使っていた物やろ。言い換えればシルディサイババという神の化身にそこまで肉体的に近くに住んでいたのに、神と融合出来なかったという、神のテストに落第した時の証拠品やないか。だから俺は、神様が俺のビジョンに現れて、俺がベールの向こうにおられる神さんの元に行きたかったけれど「お前はもう一度生まれ変わらなければいけない」と言って断られた時に、俺は「前世ではあなたに肉体的にとても近いところにいましたが、次に生まれ変わったら、あなたが取られる肉体と距離的に遠く離れた地球の裏側に生まれ変わっても良いので、次の生の終わりには、必ずあなたの元に行かせて下さい」と頼んだんや。だって神の化身と肉体的に近くにいても、神と融合する事と全然関係無いって事を前の生で学んだんや。神の化身の肉体の近くにいるより、神の化身から遠くにいても、その神の化身の教えを守ってその教え通りに生きて行くことの方が大切なんや。

ポニョ:サイババさんは、ある帰依者が、アシュラムの外で売っているサイババの写真はあなたと全然似ていない写真も混じっているし、醜い写真もあると言った事に対して、「そのような写真であっても、それを神とみなして信仰している帰依者の方が、神の化身の肉体を追い求めている帰依者よりレベルが高い」と言われた事があるぜよ。

ヨシオ:その通りやな。ヒマラヤの洞窟で修行している苦行者は、サイババさんが神の化身だという事に気付いて、ヒマラヤからわざわざやって来てダルシャンに出るけれど、サイババさんは彼らの心の中に既に神が鎮座されているのを知っておられるので、一度も彼らをインタビューに呼ばれないんや。そういう苦行者やヨギにはインタビューの必要もないんや。彼らは、ダルシャンを与えただけで、サイババさんのイメージを自分の心に刻むことが出来るんや。つまり神の御姿の型を心に流し込んで、永遠に、どこにいても、いつでもサイババさんのイメージを思い浮かべることが出来るんや。そして常に自分の心の中のサイババさんに話しかけることが出来て、神さんと二人三脚で人生を歩めるんや。

ポニョ:そうか。彼らは別にインタビューなどを与えなくても、いつも神と一緒なんやな。とても霊的なレベルが高い人たちなんや。そういう人に私はなりたい。宮沢ポニョ吉。

ヨシオ:なんでポニョの名前が宮沢賢治の名前と重なっているんや。宮沢賢治のイメージが狂うやないか。

神の御姿を完全に心の中でイメージしてそこに心をそそぎ込むようにすべきです。
神の御姿が、外界に見られる時、それは条件付き二元論です。
心の中で見れる時、それは条件付き一元論です。
神の御姿が、アートマに吸収された時、それは不二一元論となります。
外界で見れる神の御姿は、まず第一に心に吸収されて、次に魂に吸収されなければなりません。
自分で選んだ神のイメージに集中して、他に心を揺らすべきではありません。
心を御姿の型に流し込むことによって、心が神の御姿になるのです。CWSSBJp117

あゝ、スカッとした

2017-06-25 16:00:40 | 日記
今、世界の抱える諸問題はより奇怪な姿をとり、より大規模になってきました。
それはもはや個人的な問題でも無く、限られた地域の問題でもありません。
規模は世界的であり、すべての人類に影響を及ぼします。
人間は且つてないほど悪くなりました。
彼らは、現在まで培って来た知性と技術を、残虐な行為につかっています。
人は他の人に苦痛を与えるのを喜んでいます。VVc10

ポニョ:あのね、ちょっと一言ええかな。昨日の話を聞いていて思ったんやけれど、免許証とか予備のクレジットカードとか携帯とか持ち歩きなさいよ。家の電話番号も知らないのか?家の電話番号を知っていれば、ガソリンスタンドを離れなくても、スタンドの電話を借りて嫁さんを呼び出せば終わりやないの。

ヨシオ:嫁さんも携帯を持っていないし、家に一回も電話をかけた事がないから家の電話番号なんて覚えていないな。

ポニョ:家に一回も電話をかけたことがないと言っても、嫁さんに電話をかける事ぐらいあるでしょうが。

ヨシオ:嫁さんはいつも俺と一緒やから、嫁さんに電話をかける必要はないやないか。とにかく俺は、電話とか携帯とかカードとか免許証とかパスポートとかが嫌いなんや。誰かが本人に知らせなくても、こそっと後ろで見ることが出来るインターネットとかメールも嫌いなんや。電話って相手が何か大事な事をしていたり、誰かと会っていたり、食事やトイレに行っている時でさえ、お前は俺と話せ!と言っているようなもんやろ。それって自分勝手やないか。

ポニョ:電話ってそういうもんやから仕方がないぜよ。

ヨシオ:俺が言いたいのは、そういう風に仕方がないとか、みんながやっているからという理由で、人は何か大事なものを失っていませんかと問いたいんや。ポニョは今の文明って何かおかしいと思えへんか?俺はめちゃおかしいと思う。今言ったように、人と話したかったらベルを鳴らしてその人の注意を引き、その人が忙しくても、何をしていてもどんなに忙しくても俺と話せという自分勝手な文明は嫌いなんや。だから俺は携帯とかを持ち歩きたくないんや。その人に何かを伝えたかったら三日かかってもええから手紙ぐらい書いて送れや。

ポニョ:そんな呑気な事を言ってられないぜよ。何か緊急事態の時はどうするんや。

ヨシオ:人生で一体何が緊急事態なんや。人生の終わりに神様のところに行けないのが一番の緊急事態やろ。それ以外はどっちでもええ事やないか。身内の死に目に会えなかったとか、子供が病気や事故で死んだと言って残念がるけれど、その死んだ人は肉体じゃないから、本当は死んでいないんや。なんでそんな事でガタガタ騒ぐんや。それって霊的な事が分かっている人が取る行為じゃないやろ。霊的な事が分かっていたら、何があってもあたふたするなっちゅうに。もっと落ち着いた人生を歩めよ。しょうもない事にジタバタしてどうするんや。

ポニョ:まあそう言ってしまえばそうやけれど。昨日のガソリンスタンドの怖そうなバイキーの兄さんも言ってたよな。人生で一体何が大切か分かったら、人はそう簡単にはパニクらないって。本当にそうやと思うな。でもその兄さんにとって一体何が大切か聞きたいな。

ヨシオ:きっと大切な人を事故か病気で失ったんやろ。そんな感じやったな。

ポニョ:自分が愛している人を亡くしたら、人はその度毎に優しくなるって中島みゆきも言ってたぜよ。

ヨシオ:そういう事なんやろな。自分が悲しい思いや苦しい思いをしなければ、他の人の気持ちなんて分からないもんな。

ポニョ:でもさっきの話やけれど、あんたがカードを嫌っているから、カードにそのあんたの想念が影響して機械がクラッシュしたんやぜよ。ピュアな人の思いは、結構パワフルやから。

ヨシオ:そういや、こんな事は滅多に起こらないと言ってたな。全てのものは想念で出来ているから、人の想念でいろんな影響を与えることが出来るんや。昨日もいつもの散歩コースを歩いていたら、牧師になった昔のバスケの友達の事を思っていたら、その友達がある家から出て来たので驚いたな。いつもの散歩コースに住んでいたんや。そして今から散歩に行くところやと言ったので、俺たち夫婦と一緒に一時間ほど一緒に歩きながら旧交を温めたんや。本当に驚いたな。カードの話に戻るけれど、その後、嫁さんと一緒にガソリンスタンドに戻って来て同じ事をしたら無事に同じカードで支払いが出来たんや。俺だけが出来ないんや。やはり俺の想念が影響したんやろうか。

ポニョ:多分そうやぜよ。あんたはコンピューターもクラッシュさせるお邪魔虫男や。クレジットカードが嫌いやとか、免許証を持ち歩きたくないとか思っているからそんな事が起こるんやぜよ。

ヨシオ:免許証やカードを、なんでいつも持ち歩かないといけないんや。俺はその辺の飼い犬じゃないんや。俺と首輪に犬の飼い主の情報などの情報を付けなかったら迷子になってしまうアホ犬と一緒くたにするなっちゅうに。俺は自分の家ぐらいどこにあるか分かっているんや。

ポニョ:でも、犬を迷子にしないようにとか、認知症の老人が徘徊してもすぐに見つける事ができるようにという最もらしい理由をつけて、飼い犬や認知症の人たちの身体の中にマイクロチップを埋め込む話が進んでいるんやぜよ。これは将来全ての人たちにしようとしているんや。こういう事が実現すると、マイクロチップに仕組まれている化学薬品を体内に漏らす事によってその人のマインドをコントロールすることも出来るんやぜよ。

ヨシオ:それは良い話じゃないな。オーストラリアはもっと自由な国やと思っていたけれど、いろいろな人々を規制する法律が日本のように国会を通りつつあるんや。昔は、免許証を持って運転しなくても良かったんや。警察に提示を求められたら一日以内に最寄りの警察署に行って免許証を提示すればええんや。だから俺は免許証もカードも携帯とか一切未だに携帯していないんや。俺が日本にいる時に、外国人登録証を持ち歩いていなかったので、警察に「外国人登録法違反で逮捕する!」と言って家の近くで逮捕された事があるんやで。俺はその警官に「あんたは規則通りの事をしているだけかもしれないけれど、今あんたがやろうとしている事は人の道を外れた事と違うんか。俺は家に戻って外国人登録証を五分以内にここに持って来るって言ってるやろ。なんでそれを許さず逮捕するんや。それっておかしいと思えへんか?」と言ったけれど完全に無視や。それどころか「お前は体がでかいから暴れたら手錠をかけるぞ」と言って逆に脅されたんや。調書まで取られたんやで。本当に頭に来たな、あの時は。その後、裁判所まで行って手錠を付けられている連中と一緒に並ばされて、簡易裁判で有罪の宣告を受け、五万円の罰金に処すと裁判官に言われて罰金を支払わされたんや。俺は政治権力が、罪が無い一般人に対してそういう無茶苦茶な強権的な管理をする事に対して、めちゃ反発してしまうんや。今はデフレやけれど、人は物が年々高くなってインフレになるのが普通やとか、車にナンバープレートを付けるのが普通やとか、いっぱい間接税を支払っているのに、また所得税やら源泉徴収税を支払うのが普通やとか、税金を支払っているのに医療費や教育費、高速道路料金が無料でないのがおかしいと思わないのがおかしいんや。

ポニョ:政府って人々を管理する為の支配層の道具なんやぜよ。最近も共謀罪という法律が通ったけれど、戦前の強権政治の日本にますます近づいているんや。もの言えば唇寒しの世界や。支配層はマスコミ、警察や裁判所、軍隊などを使って人々を管理するんや。そして最終的に全世界の人々を羊のように管理して一部の特権階級の連中が全てをコントロールしようと画策してるんや。

ヨシオ:とにかく外国人登録法ってひどいで。 俺は日本生まれで俺の母親は日本人やで。父親も日本生まれや。祖父が十九世紀末に、日本には洋服を作る職人や散髪の職人が要るので移民を募集していると聞いて、大好きな日本の人たちの為に自分も貢献しようと、中国から移民して洋服屋や散髪屋を始めたんや。

ポニョ:以前そんな事を記事にしなかったか?その二つに中華料理のシェフを足して、中国人は三つの職業だけ日本で開業出来るんやろ。洋服屋も散髪屋も中華料理屋も包丁やハサミを使うので三つの刀、つまり三刀政策っていうんやったな。

ヨシオ:そうや。よく覚えていたな。祖父が中国から来たというそれだけの理由で、俺はお袋に連れられて、子供の頃から十本の指全部の指紋を、三年に一回、罪を犯した人のように取られたんやで。祖父も自分の孫がこんな目に遭うと知っていたら、絶対に日本に来ていなかったと思う。大学生になって指紋押捺する為に一人で役所に行き、役人が俺の名前が書いてある古いファイルを書類棚から出して来たんや。役人がファイルを開いたので中身を見ると、俺の子供の頃に取った指紋が押してある紙が見えたんや。小さな小さな子供の指やった。俺は子供の時、まだ小さくてその時に一体何をされたのかよく分からず、ただ真っ黒に染まった自分の指を見ていただけやったけれど、黒いインクで真っ黒に自分の指が汚れ、役人が俺の指を一本一本白い紙に強く押し付けて左右両側に半回転させるのを見ながら、子供の頃の俺を思い出していたんや。横にいたお袋が、ハンカチで目頭を押さえて涙を拭いていたのも思い出したな。俺は、俺の子供頃の小さな指紋を見ながら、この国には鬼が住んでいると思ったな。なんでこんな小さな子供の指紋を取るんや?それって鬼のような心を持っている奴しか考え付かないことやろ。このような不条理な事を、世の中から絶対に無くさなければいけないし、このような悲しい事を、俺の子供にはどんな事があっても体験させたくないとその時に決意したんや。それから二十年近く経ち、俺に三人の子供が生まれ、二十年前の決意を守る為に日本を捨てて三人の子供を連れてオーストラリアに移住する日がやって来たんや。その日俺は、以前から計画していた通り、大阪空港の入国管理官の目の前で、俺を管理する為の俺のナンバーや俺の写真の下に指紋が付いている外国人登録証を破り捨てて、それをゴミ箱に放り投げたんや。入国管理官が「君!一体どういうつもりだ!」と大きな声で喚いていたけれどな。その声を完全に無視して、大笑いしながら飛行機に搭乗したんや。スカッとしたなあの時は。犬が首輪を外された時の気持ちが分かったような気がした。

ポニョ:普通の日本人は、自分たちの政府がこんなひどい事を在日外国人にしているって何も知らないけれど、これは他人事ではなく将来に備えた単なる予行演習なんやぜよ。秘密保護法や共謀罪が成立した今、普通の日本人があんたのような目に遭う時代がすでに到来しているんや。明日は我が身やぜよ。でも、あんたのように差別が気に入らないからって、身軽に外国に移住出来る人って、そんなに多くいないやろな。あんたの家族は日本に来て、まだ百数十年しか経っていないから、先祖代々の墓を守らないといけないとか、親戚付き合いに付き物の、冠婚葬祭をしなければいけない等のしがらみも無いから、さっさとオーストラリアに移住出来るんやぜよ。そのようなしがらみの無い家庭に生まれる事自体が、神さんからの祝福なんやぜよ。そういう意味で、日本から早く脱出する為に、指紋押捺などの差別をあんたが体験しなくてはいけなかったんや。それも全て、神さんからの恩寵やぜよ。本当にいろいろと差別されて良かったな。

昔は、ある特定のグループや個人が開拓や奴隷獲得の方法及びそれらに必要な権力を独占しており、それが道徳的行動を衰退させる原因であった。
そのため、それらのグループや個人を滅ぼしてしまえば、再び道徳を取り戻すことが出来た。
今では邪悪は全世界的な特徴である。
それゆえ私は人間の性格、態度、行動に革命をもたらし、人々にある修行を教えるために来た。
人々は統一と調和、平和への道に戻らなくてはならない。
宇宙のあらゆるものは神の顕現であることを認識することが一番の根本であり、それは完璧な内容であり、縦糸と横糸、糸と布地の関係のようなものである。
これを認識することは人種、教義、階級、カーストに関係なく、万人の権利である。
今のこの時代に生まれて私に出会う好運に恵まれ、しかも私がそれを与えるためにきた指導を受ける機会に恵まれたあなたは、実に幸運である。真善美pt139