サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

認知症も癒すヴェーダの力③

2013-11-13 00:00:52 | 日記
http://bccks.jp/bcck/121362/info
Sai's Message for The Golden Ageは上記のリンクから、また「サイババが帰って来るよ。」四部シリーズは、紙本も含めて下記のポニョ書店からどうぞ。
http://bccks.jp/store/114521


ある日、いつものように、風呂上がりに服を召してもらっていると、突然、

「少しお伺いしたいのですが、私はいつもこんな風に、あなた方のお世話になっているのでしょうか。」

「もしそうだとすれば、私の人生は、一体どうなってしまってたのでしょうか。」

「このまま、あなた方にお世話になりっぱなしというのは、少しどうかと思います。」

「このような生活を続けて行くのが良いのかどうかを、今、それを私自身、真剣に考え直さなくてはいけない時に来ているんだと思います。」

とても立派な日本語だった。

東洋子は、昔から周りの状況を自分が受け入れられない時、関西弁が影を潜めて父親の言葉である標準語で話すのが常だった。
その夜、東洋子はそれ以上の事は話さなかった。

何を言っても、頷くだけで無言だった。
でも、目はしっかり何かを見据えていた。
世潮は自分の母は、ほとんど元の母に戻ったと感じていた。
以前、母が何かを決意した時、いつもそんな目をしていたものだった。
そして、その目が今、ここにあった。
あくる朝、いつものように朝の挨拶に行った。
昨夜のあの目が、まだそこにあった。
「おはようございます。東洋子お母さん。あなたの息子の世潮です。」
といつものように挨拶すると、「あんたが、息子だって事ぐらい分かっているよ。」と言いたいような軽蔑した顔で見た。
そして、いつものように嫁と手早く、しもの世話をして部屋を出て行こうとすると、

「これが、あんたの仕事かい?情けないね。男の仕事じゃないよ。ほんとに。こんな風に私の面倒を何年もしているのかい?本当にご苦労様と言いたいけれど、こんな調子であんたや嫁に私の知らない間に迷惑をかけて来たんだっら、早く死んだほうがマシだ。長生きしたくないね。」と言った。

アルツハイマーになって、記憶を失い日常生活もままならなくて、自分が気がつかないうちに色々と、人の世話になる。
そしてある日突然、記憶が蘇ってもとに戻り、自分の置かれている状況に唖然とする。
しもの事まで、息子の世話になっている自分が情けない。
全く知らなかった。こんな風に自分がなっているなんて。
息子や嫁に、申し訳ない。
でも、自分でどうしていいのか分からない。
そんなやり切れなさでいっぱいだった。
ただ、唯一の救いだったのは、家族の皆が幸せそうに、私に接してくれている事。
私の世話をすることが、まったく負担になっていないように見えることだった。
東洋子は、世潮の還暦祝いのパーティーの写真を手に持っていた。
孫たちも、そして自分も一緒にその写真に収まっていた。
自分がいつも行く、大好きなインド洋の海岸だった。

東洋子は、その写真に写っている世潮を見ていた。
少し年を取ったようだ。白髪も増えて、顔にも深いシワが刻まれている。
もう、還暦を迎えたのか。あの子が…

主人を若くして亡くして以来、必死で二人の子を育て上げて来た。
世潮が還暦を迎えるのを見れるまで、自分がまだ生を受けていることに感謝した。
幸せを感じた。そして自分の目の前に、その世潮がいる。
日常生活の細々した事さえ自分で出来ないということが分かって落ち込んだが、今はそれを受け入れようとしていた。
今まで、何か自分が現実から離れたところにいて、テレビのスクリーンを見ているような感じで、見るもの聞くもの全てに現実感が感じられなかったが、今は違う。

突然、この世界での自分の存在感を確かめたくなって、目の前にいる息子に声を掛けようと思った。

「世潮、一体何をしているのや。忙しそうやな。またなんか機械の修理か?あんたが今、手に持っている道具は何の為に使うねん。」と言った。

きちんと顔を見て名前呼び、しかも他人の仕事に興味を持って話しかけるなんて、ここしばらく記憶にないぐらい前のことだったので、世潮は飛び上がる程驚いた。

東洋子はいつも、世潮の事を介護人だと思っていて、自分の二人の子供の自慢話をヨシオにするのが常だった。
何百回、同じ話を聞いただろうか。
東洋子にとって世潮はいつも、介護の兄ちゃんだった。

「俺のこと今、世潮と呼んだの?」と聞いた。

「そうや。あんたは、世潮やんか。」

「………。世潮って誰や。」と尋ねた。

「世潮ってあんたやないの。私の息子やないの。あんた自分の事忘れたんか。」と言った。

世潮は、返事をせず黙って東洋子に近づき横に座りながら手を握った。

「お帰りなさい。」

「俺はもう、介護の兄ちゃんと違うんや。」

「戻って来てくれてありがとう。」そして、顔を背けて泣いた。

「ひどい、病気やったな。アルツハイマーは。」

「サイババさん、ありがとう。」

「ヴェーダの贈り物をありがとう。」と言った。

そして、神への感謝の心でいっぱいになり、

「ハレラーマ、ハレラーマ、ハラ シヴァ シャンカラ」とバジャン(神への賛歌)を歌い始めた。

東洋子は、ハッピーそうに手拍子を始めた。

母と息子の二人だけのバジャン。

ハートに残るバジャンと手拍子。

息子の歌で母は手拍子

そのリズムに乗せて

神々は、歓喜のシヴァダンスを踊る。

清き心の母と、それを慕う孝行息子。

神々も喜ぶ 狂喜のシヴァダンス

クリシュナ神も、ラーマ神も、イエスも、仏陀も、アッラーも

一同に集って、さあ、この母と息子を祝福しよう。


これが東洋子の今生での最後のバジャンになった。

その後、東洋子は孫などの顔を見ながら名前を正しく呼んで、一人一人抱き合って喜んでいた。

「世潮や、嫁さんや、こうして、素晴らしい孫たちに囲まれて私は幸せや。みんなに会えて嬉しい。」と久しぶりに会ったように言った。

その後、興奮して疲れたのか熟睡したまま夕方まで起きてこなかった。
夕方、いつもの散歩に行くために起こすと、

「散歩に行こか。」

「行くよ。」

「いつまでも寝てたら身体に悪いもんな。」

「そうやな。」

という健常者と変わらない普通の会話をして、家を出た。
いつものように二人で手をつなぎながら、時には腕を組んで歩いた。

東洋子は、とても楽しげだった。

「この道良く来たな。」と、世潮は言った。

「うん。よく来た。」

「私はあなたから遅れないように、ずっと一生懸命後ろから着いて来たんだよ。」

「こんな高い霊的なレベルまで連れてきてくれてありがとう。」と、東洋子は言った。

世潮は「霊的レベル?いや、着いてきてくれてありがとう。」と言った。

すると「私は、良いお母さんやったやか?」と尋ねて来た。

「そうやな、世界一の最高のお母さんや。ありがとう。」と答えた。

それを聞くと東洋子は、「こんなお母さん、世界中探してもおれへんで。」

とイタズラっ子のような笑みを浮かべながら言った。

世潮は「またサイババさんがお袋になって、自分と話している」と感じた。

東洋子は長い間宙を見上げるようにしていたが、やがてポツリと言った。

「もうすぐやな。サイババさんが戻って来られるのは。」

その後、座り慣れた芝生の見える公園のベンチに腰を下ろした。
いつもだと、空を飛んでいるペリカンやオウムを見て喜んだり、クッカバラの鳴き声を聞いて楽しんだり、走りまわっている子供や犬を見たりするのだけれど、この日は、世潮の顔だけを目をいっぱいに大きく開けて、何も話さず満面の笑みを浮かべて見つめていた。

そして世潮の頭をなでたり、手を握ったりしていた。

世潮もほほ笑み返した。
東洋子は、世潮の目をそらさずにずっと見つめていた。

世潮は、「俺が生まれた時から、この人からこんなにも愛してもらっている。」

「ずっと愛してもらっている。なのに俺は、自分がすべき介護を放棄して、この人を一瞬でも老人ホームへ入れようと思った。」

「なんて罪作りな息子なんだろう。」

「俺はあなたが死ぬまで、どんなことがあっても愛を最大限捧げて、あなたを最後まで自分で面倒見ます。」

「あなたが経てきた苦労とは比べられないけれど、再婚もせず、私たち兄妹のために人生を犠牲にして育て上げてくれたことに対する、ほんの少しだけの御返しです。」

「母、東洋子は、世界で一番幸せなアルツハイマー病の患者だったと、世界中の人に誇りを持って宣言出来るぐらい最後まで精一杯介護をします。」

と心で誓った。すると、世潮を見つめていた東洋子の顔が、突然サイババさんの顔に変わった。

そして世潮を見て微笑んだ。あの見慣れたスワミの慈悲溢れる目で…。

世潮は、ベンチから落ちそうになるぐらい驚いた。

「スワミ、スワミだ。」と言おうとしたが声が出なかった。

涙を必死でこらえた。
身体全体が燃え尽きるぐらいの愛のパワーだった。
インタビュールームでサイババさんのすぐ横に座り、目を至近距離で見入られたときと同じ感覚だった。
こんなところで、サイババさんを至近距離で見れるとは予想だにしていなかった。
しばらく口もきけずに、唖然としてただ見つめていた。

やがて東洋子の顔は、元に戻っていた。
先ほどの興奮がまだ体全体を火照らせていた。
そして、少し気を落ち着かそうとベンチを立って10メートルほど歩くと、

突然、後ろから「世潮!どこに行くんや。どこにも行かないでー!」

「私のそばに戻って来て~!」

「ここに来て~!」と、

のどの底から、魂を振り絞ったような大きな声で叫んだ。

世潮は「どこにも行かないよー!いつもそばにいるよー!」

と言って走って横に座り手を握ると、東洋子は幸せそうに世潮の手をギュッと握り返した。
それが、東洋子の最後の言葉だった。

家に戻り、いつものように大好きなお風呂に浸かってしばらくすると、眠るように息を引き取った。
安らかな死に顔だった。
あくる日世潮は、気が抜けたように妻と二人で、東洋子が愛していたインド洋のビーチをフラフラと歩いていた。

どこに行っても、東洋子との思い出の場所から逃げることは出来なかった。
何を見ても、母親との事が思い出された。
十二年の介護の歳月の思い出は、すぐに拭い去ることは出来なかった。
風がとても強く荒れた日だった。波も結構高かった。

世潮は妻に何も言わず、海に入る合図をした。
いつもの合図だった。
しばらく沖に向かって泳いだ。岸が遠ざかり、だんだん波間からも見えなくなって行った。
波が高く、周りは波の壁しか見えなかった。
強風が、波と波の間を水しぶきを撒き散らしながら駆け抜けて行った。

世潮は東洋子に連れられて、カトリックの小学校に入れられた。
毎日、マリア様にお祈りをする習慣をつけられた。
寝る前に、マリア様にお祈りしていたお願い事というのは、母、東洋子の事だった。
父をあんなに愛していたのに、一人になってしまった母が不憫だった。

父と母と三人で夜になると、大阪の中之島界隈を大きなバイクでぶっ飛ばして走った。
そして最後に行きつけの屋台のラーメンを食べに行き、三人で仲良く顔をつき合わして食べた。
冗談の大好きな、とても明るい父だった。
母もよく笑っていた。
自分も二人が笑うと理由もなく一緒に笑った。
それを見て、父母も更に笑った。

父が亡くなったのは世潮が四歳の時だった。
世潮はそれ以来笑わなくなった。
母の嗚咽する声が、毎晩母の寝室から聞こえて来たから。

可哀想な母が幸せになりますようにと、毎日マリア様にお祈りをしていた。
自分ができる限り母を幸せにしてあげようと子供心に決意していた。

波に身体を浮かべながら世潮は東洋子に許しを乞うた。

お母さん。あの時、オムツが濡れていたのを知っていたのに、面倒臭くて替えませんでした。ごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん。あの時、お風呂の湯が熱すぎて、のぼせさせてしまったことを。ごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん。散歩が面倒な時があって、近道して帰ったことがありました。あなたの、唯一の楽しみだったのに。ごめんなさい。どうか許して下さい。

お母さん。朝寝坊して、朝の挨拶が遅れ、お腹をすかしたまま長い間ほおっておいてごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん。介護を始めてた頃とても辛くてあなたが早く逝けば楽になるのに、と思ったことが何度もありました。ごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん。あなたのしものお世話をさせてもらっている時、汚物が手などに付いて取り乱し、あなたを傷つけてしまいました。

ごめんなさい。どうか、許して下さい。

お母さん……

母に、十二年間の介護生活で自分が思いつく限りの不手際の許しを乞うた。

そして、心にいつも思っていたけれど口に出して始めて叫んで言った。

「愛してたよ~!お母さん!今までいっぱい愛をくれてありがとう~!」

そして世潮は、東洋子が亡くなってから初めて大声で泣いた。
周りは、波の壁しか見えなかった。
波のしぶきが、時折り喉の奥に突き刺さって痛かった。
泣き声が、その度に壊れた蓄音機のような音になった。
しばらくすると声が聞こえた。
東洋子の声だ。

「世潮…世潮…私は…幸せでした。とても幸せでした。ありがとう…本当にありがとう……」

そのあと、東洋子の声がサイババの声に変わった。

「お前はいつになったら、気づくのかい。」

「私が東洋子だって事を。」

「私はパーフェクトなアクターなのだ。」

「お前にそのヒントを与えるために、東洋子を通じて私は私自身を顕して、お前を見つめたのだ。」

「実は、お前はずっと私の介護をしていたのだよ。」

「お前は今まで何度もそれに気付いていたはずだ。」

「もう泣くのはおやめ。」

「私まで苦しくなるから…」

「幸せになりなさい。」

「満足しておるよ。」

「息子よ……よくやった。」



神の恩寵は、真の信者の上に限りなく降り注ぐ。

信者と神の関係は、目とそれを守るまぶたのようなもの。

いかなるカルマを背負っていても、神は信者を見捨てることは絶対ない。

たとえ不治の病でも、癒せない病はない。

信者がいて神がいる。神がいて信者もいる。


愚か者よ。

お前が自分を信者と思っている限り、お前はずっと信者なのだ。

本当の本当は、信者と神はひとつなり。

二つは一つで、一つが二つに見えるだけ。

それだからこそ、信者が汚れなき心で神を呼べば、

この世の中で、癒せない難病など何ひとつもない。

アルツハイマー病でも、癌でも

それらは唯の、信者と神を結びつける為の創造主のオモチャなり。


(完)

今回の記事を歌にしてみました。是非お聞き下さいね。
https://m.youtube.com/watch?v=iJdpmdaJD40

東洋子のお話は、英語版ですがBlack Inc.より「TOYO」というタイトルで発売されています。
http://www.amazon.com/Toyo-A-Memoir-Lily-Chan-ebook/dp/B0090WXH3G

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認知症も癒すヴェーダの力②

2013-11-12 00:30:55 | 日記

ヴェーダは、天啓経典とも言われていて、その作者は無く、神そのものであると言われている。
その、ヴェーダの一語一句は、言霊そのもので真理である為、強力な霊的パワーを秘めているのだ。
少し、霊感が強い人なら、その強烈なバイブレーションに圧倒される事だろう。
インドでは、数字ひとつ一つに意味を持たすニューメオロジーという学問が盛んで、ヴェーダの一語一句に数字を当てはめて行き、霊眼でそれを読み取ると小数点以下、何十桁もの円周率が読み取れるという。

まさしく、人智では決して解明できない、神の世界の御業なのだ。
ルッドラム チャマカムの第十一章もたくさんの数字が出て来て、そのほとんどが神から数字を使う許可を得るお祈りで占められている。
古代の社会では数字でさえ特別な神聖な意味を持っていて、聖者たちがそれらを使って、いろんな儀式、ホロスコープ、供儀などに役立てていたのだろう。
現代でも、一部の数学者は、9という数字や、黄金分割線がスペシャルなことに気付き始めている。神の息吹そのものである天啓経典ヴェーダの中でも、最も強力なのが世潮たちが毎日唱えているルッドラムなのだ。
またある解説によると、チャマカムの第11章で唱えられている数字は、生命と知性の進化を可能にするアパまたは、水を形成する高分子鎖を表し、アパとはDNAの窒素塩基対である。
そして1から33までの数字はミトコンドリアDNAの3万3000塩基対を表す。
また、4から48までの数字は4800万のDNA核塩基を表している。
ふたつのDNA塩基のセットは、人間の生命の進化発展と人類の幸福の維持をもたらすために結びつく。
帰依者がこれらの数字の恩恵を祈るとき、実は人類の安寧と幸福の維持をもたらす、すべてのDNA塩基を授かることができるように祈っていることになるのだとある。
この物質世界は創造主ブラフマンが意志して光を放射し、それが物質化して行ったとヴェーダでは教えている。ルッドラムはその粒子と波動の二つの性質を持つ光の一番細かい波動を表していると信じられている。だから世潮が信じている重要な事は、そのルッドラムの意味を解釈する事よりも、ルッドラムを唱えるに当たって、リズムとテンポが正確に唱えられる事なのだ。
つまり、先ずルッドラムがあって、それからその意味を神によって付け加えられたのだ。歌を作るのに、曲が先で、歌詞を後に付ける音楽家がいるが、それと同じなのだ。
世潮はルッドラムを6倍速で聞いた事があるが、特に世俗的な願い事をするチャマカムの、そのとてつもないパワーに圧倒された事がある。
何れにしても、ルッドラムはとても人智では及ばないとても奥行きの深いヴェーダのお祈りなのだ。

もともとルッドラとは、ヒンドゥーの神様であるシヴァ神のことで、新しい世界を創造ためにこの汚れた世を破壊するための神様なのだ。
そして、ルッドラムというお祈りの意味の概略は、その世界の破壊から少しでも人々をお救いください。お怒りをお鎮めください。というものなのだ。
このヴェーダをサイババさんが御降臨されて、八十余年後の今の時代になって初めて信者たちにプロモートされるというのは、大きな意味があるのだ。
どうして、今になってルッドラムなのか
それの本当の理由を、サイババさんは明らかにされない。しかし、ヒントは与えられている。
それは、ルッドラム ナマカム第五章にあるのだ。
サイババさんは、ヴェーダは人類全てに対する神様からの贈り物だと言われている。
それゆえ、インド人だけではなく世界中の人が、あの難しい世界最古の言語サンスクリット語で書かれたお祈りから、御利益を得ることが出来るのである。
ルッドラムを修得するように、という命が出てしばらくしてから、サイババさんはある一人の外国から来て、サイババスクールに寄宿している男の子を呼び、こんな小さい外国人の子供でさえもうルッドラムを唱えることが出来る。インド人である君たちも見習って、早く習得するようにと言われてから、その外国人の子にルッドラムナマカム第五章を唱えるように指示しされたのだ。
その第五章には、どうか津波から私達をお守り下さい。というお祈りの言葉が入っているのだ。

ルッドラムの詠唱は、家族の欠かせない日課になっていた。
毎日二回、時によっては三回、東洋子の前で大きな声で唱えた。
最初は、学業や仕事で毎日忙しくしている子供達も、祭壇の前に座ってルッドラムのナマカムとチャマカムを含めた四つのヴェーダを唱えたあと、
グルマントラ、ガヤトリマントラ、シャンティマントラなど一時間近く、一日二回唱えるのは彼らにとっては苦痛だった様だが、それも少しずつ慣れてきたようだった。
何と言っても、それによっておばあちゃんの病状が改善されて来たことに気付いているし、自分達も心が平安になるようで、特に夜勤の多い次男はヴェーダの詠唱が始まるや否や、寝息を立てるのが常だった。
他の兄弟たちは、インドのサイババの学生に負けないようにとルッドラムを暗唱し始めた
ヴェーダを唱えた後、自分の体の細胞がリセットされるのが分かる。

色んな世俗の汚れ、特に、人の悪い想念の力による魂の汚濁が浄化されるのだ。
東洋子は、だんだんと普通の会話が出来るようになっていた。
人の言葉を聞き取るのは問題ではなくなった。
ただ、水槽の魚を見て、「綺麗な蝶々だね。」と言ったりして、単語と形が一致しないだけで、こちらがそれに慣れてくれば、何を言いたいのか分かるようになった。
体重も十五kgも増えた。
さすがに、いざという時のためにオムツは取れなかったが、ほとんど汚す前に自分でトイレに行きたい。と言えるようになっていた。
使い捨てオムツが使い捨てられなくなった。
昔から百貨店の中を見て歩くのが好きだったので、連れて行った。半日ウロウロして家に帰った。
「今日は、久しぶりに百貨店へ行ってよかったね。」と言うと
「でも、あんたは何も買わへんかったやんか。」と不満そうに言った。
あの大好きだった、インド洋に面したビーチに連れて行くと、
「今日は、ありがとう御座いました。また機会があれば、連れて来て下さい。」と頼んでいた。

ある日、いつものように朝の挨拶に行くと、ニコニコして「今日の朝方、サイババさんが夢に来られたよ。」といった。
驚いて、「どんな夢だったの。」と聞くと、

「『お前はこの世にまだ囚われられている。』と言われたよ。」

「そして、サイババさんが、両手でとても可愛い女の赤ちゃんを抱えていて、私に『どう?この子が好きか?』と聞かれたよ。」

「私が、こんなに可愛い子だったら、この子に生まれ変わってもいい。」
「というと、『そのようになる。』と言われたの。」
「あんなに可愛い赤ちゃんになって、生まれ変われるなんて嬉しい。」と、無邪気に喜んでいた。

いつも散歩で立ち寄る芝生が一面に広がる公園に行くと、白いオウムの一群が空を舞っていた。
東洋子が「ツエンティエイト」と言った。
世潮は、「いやあれはカカトゥーというオウムや。」
と言うと、また東洋子は「ツエンティエイト」と言った。
ツエンティエイトとは英語で28の事だが、オーストラリアではセキセイインコのことを指す。

世潮は何も答えず、無意識のうちに芝生でエサをあさっている、カカトゥーの数を数えていた。
二十八羽いた。
カカトゥーです

東洋子は、突然健常者のように「ここの芝生を見ていると昔、主人とよくデートに連れて行ってもらった六甲山のカントリーハウスの芝生を思い出すわ。」
と、今まで聞いたことのないような話をし始めることもあった。
散歩の帰りに、「ちょっと待って、」と言って少し寄り道し、白い野生の花が咲いているところへと行って一輪詰みながら、
「私、いつもあんたの嫁さんに世話になっているから、これお土産やねん。あの子にあげるねん。」と大事そうに持って帰った。

嫁さんは、「主人のダルマ(義務)を支えるのが私のダルマ。」と言って誠心誠意、義母に尽くしていた。

風呂上がりに服を着せていると、
「ありがとうございます。この御恩は決して忘れません。一生あなた方にありがとうと言い続けて生きて行きます。」と言った。
ある日、東洋子の部屋に入ると、「静かにしなさい。今お祈りしているところだから。」と言って、壁にかけてあるサイババさんのお写真に向かって、ガヤトリマントラを唱えていたのには、家族一同、ひっくり返るぐらい驚いた。
そして孫たちにも。「私と一緒にここに来てお祈りしなさい。」と言った。
また、毎週一回ファミリーバジャンをするが、大きな声でグルマントラも家族と一緒に唱え始めていた。

ある日、久しぶりに知り合いの人が訪れた。その日の夜は暑くて、寝ている間に自分でシャツを脱いでしまい、朝方冷えたので、少し体調を壊していた。
知り合いの人は、以前の東洋子に話しかけるように「東洋ママは、何にも分からんから仕方ないやんな。」と慰めるつもりで言った。
世潮は、「しまった。」と思ったが手遅れだった。
東洋子は、以前の東洋子ではないのだ。
言ったことが全部分かるのだ。
東洋子の頬に涙がそっと流れた。
アルツハイマーと診断されて十二年が過ぎていた。
もう四年以上も何の投薬もしていなかった。
サプリメントも山芋の粉末以外、何も摂っていなかった。
人と違う特別なことと言えば、家族中でベジタリアンで、お酒もタバコもやらない。白砂糖も摂らないというぐらいだ。
東洋子は、だんだん元の東洋子に戻って行きつつあった。
ヴェーダの力は、驚異的だった。
このままどこまで、東洋子が元の東洋子に戻って行くのか、想像もつかなかった。

ヴェーダを規則的に学びヴェーダの指示を実践するなら、人間はあらゆる種類の富を授かります。
人の生活と運命を支配する基本的な原理がヴェーダには含まれています。
ヴェーダは全人類の幸福のための神からの贈りものです。
ヴェーダは宗教や身分や国籍をもとに区別 をするようなことはありません。
ヴェーダのマントラはすべての人が唱えることができます。
ヴェーダがすべての国に広がり、宗教や身分や国籍などによらず、すべての人がヴェーダを学び唱えることがスワミの望みです。

9/8/06

サストリー兄弟が詠唱するルッドラムのナマカムとチャマカムやその他五つ程のヴェーダです。約一時間あります。https://m.youtube.com/watch?v=ISik_cjsmJA
ヴェーダの無料講習会が各地のサイオーガニゼーション開かれているようです。

最高の日本人帰依者 星やん

2013-11-10 09:00:06 | 日記
星やんは、病でこの世を去った。次の生は、マイソールにプレマサイの信者として生まれるという事を、サイババさんに約束されながら……。


とても、繊細で傷つきやすかった星やん。

いつも、
「他の人のエゴと向き合うのが、この世で一番辛い事や。」

「この世に、生きることって、まるで、拷問のようや。」

「なんで、こんなに他の人を平気で傷つけることが出来る人間が、愛の神様が創ったこの世に、ウジャウジャいるかがわからん。」

「あいつら、人間やない。」

「姿かたちは、人でも、魂が人と違う、まだ獣のレベル、子供のレベルの奴らが、いっぱいこの世にはびこっている。」

「ああ、嫌や、嫌や。」

「僕は、神様だけと向き合って生きていきたいのに、ただそれだけが僕の願いやのに、なんで、毎日、こんな辛い思いせなあかんのか分かれへん。」

といつも、泣いていた星やん。

行きつけのインド料理レストランで、
「他のお客さんの邪魔のなるから小さい声で歌って下さい。」

と、注意されるまで大きい声で、料理が出されるまで一緒にバジャンを歌ったよな。

アシュラムでサイババさんに無視されている時、とても落ち込んでいたよな。

でも、「これ以上僕は耐えられません。」

と、言ってダルシャンを与えているスワミの御足に抱きついて、

「スワミ、お許しください。お許しください。お願いします。僕はこれ以上耐えられません。」

「僕がどんな罪を、知らず知らずに犯したかサッパリ分からないのです。思い出せないのです。」

「ですから、これからは気を付けて、二度と間違いを犯さないようにしますので、以前のように僕に微笑みかけて下さい。以前のように僕の瞳を見て下さい。僕に話しかけて下さい。」

「お願いします。お願いします。でないと、でないと.....僕は、お許しいただくまで、このあなたの御足を絶対離しません。」
と言って泣きじゃくってサイババさんを困らしていましたよな。

また、俺のつくったバジャンをとても気に入ってくれて、涙を流しながら歌ってくれたよな。

ありがとう。星やん。

ほんの一部の古い帰依者しか、星やんとサイババさんの、驚くべき信者と神の愛の話は知られていないので、俺のブログで紹介したぜ。

少しでも、後に続く帰依者達が、星やんの汚れ無き神への帰依の心から、何かを学び取ってもらえることを願っているぜ。

世に自分のことが紹介されて少し照れ臭いかもしれないけれど、星やんもきっとそう願っている、と俺は信じているよ。

星やんは、俺たちに神に愛される信者のお手本を示してくれたよな。

いつも俺たちに
「神に愛されるには、いい子になってたらあかんねん。」

「神さんを求めて泣かなあかんねん。」

「そうして、初めて神さんはこっちを向いてくれはるねん。」

「幼い子供みたいに、小さく、自分のエゴを小さく、そう、小さいガキになって、初めてサイババさんの手の中で抱かれる資格が出来るんや。」

と言ってくれたよな。そうそう、あんなに大事にしていた、サイババさんの直筆の入った写真をくれたけれど家宝にするぜ。

自分の生があまり残されていないのを知っていたからこそ、俺のような与太者に大事なお宝を譲ってくれたんだろ。

星やんの事を孫の代までも、この写真と一緒に伝えて行くぜ。

星やんと俺は、そんなに数多く会った訳じゃ無いけれど、俺は今でも星やんが一番の心の友だと思っているんだ。

悪いけど、勝手に思わせてくれよな。
俺が今まで出会った中で最高の日本人帰依者や。

将来、ゴールデンエイジがやって来た暁には、星やんとスワミのストーリーはきっと神話になるやろな。

それは、間違いない。

特に願望成就の木の前で子供の頃のサイババさんが現れて、何の果物が欲しいと聞かれて、インドには無い柿を出してと言ったら、本当にそのガキが柿を物質化してくれたというエピソードは面白かったよな。ガキが柿を出すってシャレにもならないけどよ。
また、サイババさんに未来の世界の地図も見せてもらったしな。

俺は、こんなに神さんから祝福された奴を今まで見たことがない。

サイババさんからもらった指輪だけでも、十本の指じゃ足りないぐらいあるんだろ。

十一個目をもらった時、「どの指にはめたらええんやろか?」

と悩んでいたよな。

そんな話、聞いた事がないよ。



星やんにはこの殺伐とした世界より、プレマサイの愛で包まれた世の中の方が合っているぜ。

俺は、本当にそう思っているんだ。

それまで、ババのもとでゆっくり精気を養っておくんだな。

また生まれ変わった暁には、今世でやり残した、サイババさんの奉仕のお仕事が、たくさん待っているんだろうな。

お前はとてもラッキーな野郎や。

星やんの爪の垢でも煎じて飲みたいぐらいや。

心からそう思っているよ。

じゃーまた縁があったら会おうぜ。

星やん、またなー。

最後に星ヤンが好きやったバジャンの歌詞を貼っておくぜ。

良心の囁きが、聞こえますか~

御仏の心の痛み分かりますか~

物質文明花ざかり

カリユガの悪のその中で

真理の叡智に触れるため

私は、御仏求めます

ナミアミダブツ唱えます


(Sainatha Bhagavan Sainatha Bhagavan )





神様との約束❺

2013-11-10 08:55:11 | 日記

今日は神様との約束の最終回です。ではハッピーリーディング!


いよいよ、歯科医の青年がオーストラリアを立つ日がやって来た。
丸三年に渡って、倉庫の中の重労働で、埃だらけになり、また、色んな雑多な物を、できる限り安く購入したり、フォークリフトの運転、トラックの手配、通関の手続きなど歯科医とは全く関係のない沢山の仕事をしてきた。
「私の人生で、こんなに沢山買い物をしたことは、後にも先にもこれが最初で最後でしょう。」と言った。
「スワミのお金を出来るだけ無駄なく使ったつもりです。」
「インドに戻れば、スワミにこれからどうすれば良いのか、インタビューがもらえるまでアシュラムに滞在するつもりです。」

世潮は、それを聞いて「君は、とても神を愛している。」

「誰にも負けない程の、深い信仰心だ。神への奉仕も熱心だ。」

だのに、どうして、肉体を持った神からだけ、指示を仰ぐ事を考えるのか?」

「私の見たところ、君は自らの良心、つまり心の中の神のささやきを聞いて、人生における色んな判断が出来るはずだ。」

「私は君に色んなものを購入するように、指示を出した。」

「しかし、それらの購入リストをつくるにあたり、私はインドにおられるサイババさんにお伺いを立てるのを見たかね。手紙を書いたかね。電話をしたかね。」

「全て、心の中のスワミはお見通しなのだ。」

「何をやるにしても、自分というものを計算に入れなかったら、神様が全てをして下さるのだ。」
「それ自体が、神の仕事になるのだよ。」

「このように、自分を何処かに捨て来て、自分を抜きにして全てを神に委ねると、君が何をしようと、すべては神への捧げ物となるのだ。」

「それが霊的な自信に繋がり、君が神の力を共有出来る資格を得れるんだ。」

「世の中に、自己中の人間が掃いて捨てるほどいるが、彼らは決して今、君が立っているこのレベルに登ってくることはできないのだ。」

「また、自分の毎日の生活で、ここまでは神に捧げる時間で、ここからは自分のための時間。などと言ってアダルトサイトなどを見て喜んでいる連中も、決してこんな高い霊的境地に達する事は出来ないだろう。」

「また、これは神への捧げ物で、これは自分の物、という思いを持っている者も、ここにたどり着くことは出来ないあろう。」

「君も、うすうすここに来て、気付いていると思うが、君は自分自身を自分で閉じ込めている檻から解放して、自由に羽ばたかすために、サイババさんは、君を私のところへ寄こしたのだよ。」

「ヨシオ、実はサイババさんが夢に来られて、あなたと同じ事を言いました。」

「いつになったら、お前は世潮のように世界を自由に飛び回るのか。私はいつでもその自由をお前にやるつもりなのに…と。」

「また、インタビュールームで、スワミは私の事を『お前はとてもラッキーだ。』と3回も言われました。」

「今回のご奉仕を振り返ってみると、その時は、大変辛かったですが、今は、とてもラッキーだ。と思えるようになって来ました。ありがとうございました。」

クリシュナはアルジュナに必要とされる忠告をすべて与え、アルジュナの捨てたエゴを受け取ったあと、自らの意思のままに行為する自由を与えました。
アルジュナの意思は完全にクリシュナのものとなったからです。
このようなレベルに達した弟子には自由を与えなければなりません。
VIDYA VAHINI 第12章

彼がインドに旅立って暫らくして、スワミの指示で、大勢の学生達が動員されて、大量の本が積み込まれた例のコンテナが、ようやくナロジンに到着した。

今回、世潮は、サイババさんと二人だけで、「ハヌマーン!」と叫びながらこれらの本を一箱ごと肩で担いで、倉庫に入れることにした。

インド人の青年が帰った後、サイババさんが世潮の夢に来られて、こう言われた。

「1997年12月11日にこのナロジン プロジェクトの事が世に知れ渡る。その日は木曜日だ」と。

その日に一体何が起こるのか、朝早く起きて待っていたところ、
有名なオーストラリアのテレビ番組である"60分"のスタッフが、パースから飛行機をチャーターして、朝七時に突然やって来た。

そして、「是非、世潮のやっている事をテレビで放映したい。」と言ってきたけれど、
マスコミは、嘘つきでマスゴミだ。と呼んで信用していない世潮は、彼らを門前払いにした。それから、すぐその後に、次は"カレントフェアー"という番組が同じくやって来た。
そして、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、と一日中ひっきりなしにやって来た。

世潮は、「今日という日は、狂ってる。」と思った。
そして全てのメディアを追い返した。
このプロジェクトは、神さんと私の間の個人的な事だ。
どうして世間様に嬉しがりのように、知ってもらわなくてはならないのか。

「しかし待てよ。」

スワミが、このプロジェクトが今日この日に世に知れると言われたが、ひょっとしてマスゴミを通じてだったかもしれない。
それに、全てのメディアが同じ日に来るなんてとても不思議だ。偶然だとは思えない。
同じ時に来た二つのテレビ局でさえ、どうしてこのことを知ったのかと、お互いに探り合っていたではないか。
これは多分、スワミのご計画の一部かもしれない。それ以外の可能性って考える事が出来ないではないか。
と、フト気がついて、追い返した全てのメディアを呼び戻してこう言った。

「私は、別に逃げ隠れしている訳ではありません。」

「私の知っていることを、全てあなた方に明らかにします。」

「どんなご質問にでも、お答えします。」

「もし、倉庫の中の物を見たいのであれば、全て公開します。」

「写真や、ビデオは私の許可なしに、家族のメンバーを除いて、何処を撮っていただいても結構です。」
「しかし、一つだけ条件があります。」

「それは、私は、真実だけを話しますので、あなた方も私から聞いた真実だけを、人々に伝えてください。」

「決して、話を歪曲したり、へし折ったりしないようにして下さい。」

「この条件が、呑めるのであればいつでも、インタビューに応じます。」

「もし以上の条件をのまれるのであればインタビューに応じます。では、最初に一番先に来られた。60分さんからどうぞ。」

こうして、世潮の一番嫌いな、マスゴミからのインタビューが10日間以上、連日にわたって続いたのだった。

真の信者は、けなされようが、褒められようが、無名のままであろうが、有名になろうがそういう事に、頓着しないのです。彼は、この世俗の物事に捉われないのです。

しかしこの事は、ホンの序曲に過ぎなかった。

この後、次の三年間、毎日のようにアポなしの突然の訪問者が、オーストラリアだけではなく、海外からも絶え間無く押し寄せ、その数、総計三千人以上にも達した。
大学の講座にも取り上げられ、学生達が大きな観光バスで教授と共に、押し寄せて来た時もあった。その三年間は、子供達も含めてプライバシーが無く、いろんな人から写真を撮られ、ビデオを撮られ、いつも家には知らない人達がウロウロしているという、異常な状態が続いたのであった。
しかしこの期間、スワミがヨシオの夢に、頻繁に来られて色々なアドバイスをされた。

例えば、

「明日、シンガポールから、グループが来ますが、彼らを、あなたの家族とみなして接待しなさい。もちろん夕食もすべて出すのです。」

「宿泊先も確保しておきなさい。」

「明日、メルボルンから来る四人の女性たちは、物見遊山です。適当に相手をして、帰ってもらいなさい。」

のように。

まるでサイババさんと、チームを組んで接待をしているようだった。
また、ある国の大使とその随行員達がキャンベラからやって来て、

「自分たちも世界中が大津波に襲われることを知っている。」

「そのための準備も自国でしている。」

「あなたの、持っている情報を教えて下さい。」

「サイババさんの地図のよれば、あなたの国は多分、大部分が洪水の影響を受けないでしょう。」

「しかし、大きな地震などに対する備えは必要でしょう。」

「近隣の諸国から、多くの難民が押し寄せて来ることが予想されます。」

「自国の事だけではなく、そういう避難民への対策もしておいた方が良いと思います。」
とアドバイスすると喜んで帰って行った。

また、別の国の情報員もやってきて、同じような事を探りにきた。
こうしている内に、多くのサイの信者達がナロジンに移ってきた。

1999年12月31日から2000年にかけてのバジャン会には、ちょうど108人の信者が新しく建てたばかりのバジャンホールに集った。
でも、人口五千人の小さい街で、仕事を見つけるのが大変で、暫くするとまた、何処かに越して行った家族もたくさんいた。

サイスクールも設立しようという動きもあった。
オーストラリアだけではなく、国外からも視察にやって来た。
シンガポールからは、団体でツアーを組んで何度もやって来た。
その中の数家族は、ここに今もまだ住み着いている。

また、南アフリカの家族は、当初ニュージーランドへ移住するつもりだったが、いつ移住申請書を提出しても却下されるので、有名な霊媒師であるローズメリーにあって理由を聞きにいった。
すると、こう言った。
アフロヘアーの男があなたの申請書を、破り捨てている。
しかし、今回はそうしない。
その為には、あなた達は次の条件をのまなければならない。
それは、ニュージーランドの市民権を取ったら、オーストラリアに移り住まねばならない。
それも、東ではなく西の都市に。
だが、その都市に落ち着いてはいけない。
そこで、世潮という人が別のドアを開けてあなたを、迎えてくれるだろう。
あなた方は、そのドアを見つけないといけない。
そしてその翌年、彼らは、ニュージーランド行きのビザを取れた。
その年、ニュージーランドへ行く途中、家族でサイババさんに会いに行った。

インタビュールームで、サイババさんはローズマリーと同じことをその家族に言った。

2001年も過ぎ、ようやく人の波がおさまって一息ついた頃、世潮は、自分の母親の異常に気がついた。

彼女は、アルツハイマー病と診断されたのだった。



東洋子の病気は、ゆっくりと虫が床を這うように脳細胞を侵して行った。しばらくぶりに東洋子に出会った人でも、東洋子が認知症になっているのを見抜くのは難しかった。東洋子も人と会う時には、自分の持っている能力を最大限に使って、出来るだけ、自分が正常であると演出して見せた。でも、それは東洋子にとって大変な疲れを伴うことだった。
ヨシオは、まだ東洋子の病気がひどくならないうちに、東洋子と良い思い出を残したいと思い、あちらこちらと小旅行に出かけた。最初は、ウルルとオルガの巨大な岩を家族で見に行った。費用を節約するために、家族で小さいユニットをキャラバンパークで借りて、全員そこで寝泊まりした。オルガの風の谷を訪れた時は感激した。大きな岩の壁の間を歩岩を登り終えると、そこは眺めの素晴らしい峠のような岩の上に出てきたのだった。東洋子も、毎日孫に囲まれ手を繋いで歩き、子供に戻ったようにはしゃいでいた。

当初、ヨシオはアボリジニの聖地であるウルルには登るつもりはなかったのだが、ウルルに旅する前日、アボリジニの夢を見た。それは、アボリジニたちがヨシオを歓迎するダンスをしている夢だった。
その夢は、ウルルに登っても良いというサインだと分かった。あくる日、思ったより急勾配な岩肌に取り付けてある鎖を持ちながら、岩の頂上を目指して登り始めた。岩をほぼ登り切ったところを導かれるようにして少し道を外れ岩の上を彷徨っていると、人が十人程座れる小さな岩で囲まれた、平らな広場のようなところに出た。その一角に小さな洞窟があり、洞窟の中を覗くと思ったより深くて、人がやっと一人這って入って行けそうだった。その洞窟の入り口を離れたところから見ると人の目のように見えた。
というのも、洞窟の形は人の目のような形で高さ1メートルもなく、その目の中に太さ半メートルほどのタテ型の岩があり、それが瞳に見えるのだ。洞窟へ入るにはその岩との隙間を這い潜っていかなけれならない。
ヨシオはこの洞窟は地上界と地下にある幽界を繋ぐ出入り口かも知れないと思った。

ヨシオは、その洞窟の前の平らな場所で、お祈りをしなければならないと強く感じた。そこはアボリジニの神聖な礼拝所だったのだろうと推測できた。そうか、俺がこのウルルに来たのはこの為だったのだ。と分かり、目を静かに閉じた。そして、ガヤトリマントラを唱え始めた。
すると、ヨシオが座っていたウルルの岩が軽くなり、空洞化し始めたように感じた。
この地球上で一番大きい一枚岩の一つだと言われている岩が、実は岩では無く、神聖なエネルギーの塊のように思えた。
アボリジニたちがこの岩を神様だと信じて、何万年も礼拝して来た聖なる想念の波動が、岩全体を覆って物質を超え、岩そのものが霊的なエネルギーをたくさん取り入れていたのだ。

想念の波動は、人々の喜びと悲しみ、健康と病、幸福と苦悩、生と死の原因です。
人の人生は、想念の波動の力を完全に理解することにより意味あるものとなります。
全世界が精神的な波動により覆われています。
実際のところ、すべての世界は波動によって創られたのです。
それ故私たちの想念も、高貴な道へと向かわせなければならないのです。
人々の心は高貴な思いや好ましい感情で満たされるならば純粋で煌びやかに輝くでしょう。
この様に、純粋な心を培うことによってのみ、純粋な行動をとることが出来るのです。
そして純粋な行動をとってのみ、純粋な結果を得ることができるのです。SSIB1993p,3
人は他の人を傷つけようと、沢山の悪い思いを心に抱きます。
しかしこれらの、他の人を傷つける想念は10倍にもなってその人に返っていくのです。
この真理を人々は気づいていません。
~逆に我々の想念でもって他の人々の病を癒やすことも出来るのです。8/93p,211~3

そうだったのか。だから、アボリジニたちはこの神聖な岩自体を、神だと信じて礼拝していたのだと分かった。だから、アボリジニたちは観光客に、この聖なる岩に登って欲しくないのだ。ただの物見遊山の人々がたくさんやって来て、アボリジニたちの聖地である岩に染み込んでいる聖なる想念の波動を汚しているだけではなく、この岩を護っている聖霊たちをも侮辱しているように思えるのだろう。アボリジニにとってウルルは、寺院に安置してある神像と同じなのだ。
ヨシオは、深く息を吸って、ゆっくりとガヤトリを何度も唱えた。ウルルがガヤトリの聖なるマントラのパワーと一体になり、岩全体の波動が細かくなってどんどん浄化され、それと同時に岩の周囲の波動が変化して来ているように感じた。
聖なる岩が喜んでいる。グレートスピリッツが喜んでいる。ガヤトリで聖浄化されて喜んでいると、ヨシオは独り言を言った。

ガヤトリはやっぱりすごい。すごいパワーだと思った。この、大陸の中心にあり、世界のへそと言われているウルル。何万年も神として拝まれ、アボリジニの人々が畏敬の念を持って礼拝して来た岩、ウルル。この大陸に住む全ての人や生き物を守り、育んで来た世界最大で最古の聖なる岩が、今、宇宙で最強のマントラと出会って結び付き、二つの波動が一体となったのだった。
ウルルは、リンガムなのかもしれないとヨシオは思った。最新の調査によると、ウルルの地上に出ている部分はほんの一部分で、地面の下に隠れている岩の大きさは、大きすぎて果たしてどれぐらいなのか分からないとのことだった。
実は、この私たちが住んでいる宇宙自体がリンガムの形をしていて、創造主ブラフマンが創造した世界を形成する物質はホワイトホールから噴出し、やがて気が遠くなるような時を経て、また全てがブラックホールに吸い込まれて、元のブラフマンに帰する。
地球自体もリンガムで、地球のコアから出て来た磁力線が、北極から出て南極に向かって走り、また地球の内部に戻って行く。そして、ウルル。この巨大な一枚岩は、全体の姿を見せることなく、且つ全体の形を容易に想像出来る姿をしている。その岩が発するポジティブな波動は、何万年もの間、この大陸に住むものを霊的に導いて来た。その壁面の様々な岩のくびれや洞窟、岩の表面を水が流れて出来た紋様の一つひとつに、アボリジニたちのドリーミングタイムのストーリーがぎっしりと詰まっているのだ。大昔からアボリジニたちは、自分の子供達に、その一つひとつの紋様などを指差しながら、その英知溢れるストーリーを話して聞かせ、自然を神として敬い、尊敬し、そこから学ぶことを教えて来たのだ。

霊的なレベルに関して言えば、実は人間より自然の方が一段上の方に位置しているのだ。それゆえ、もし自然を尊敬せず、今人間がしているように、母なる自然から収奪しまくり、汚し、辱め、その警告を無視し続けていると、いつか大きなしっぺ返しが帰って来るのだ。
その時には地球の何処に人が隠れようと、全ての人類が自らの母なる地球を辱めているカルマを返すために、苦しまねばならないのだ。これは人類全体の連帯責任なのだ。そして、そのカルマを支払う時期が、もうすぐそこまで迫って来ているのだ。

ヨシオが、ガヤトリマントラを唱え終わると、大きな満月が地平線から登って来た。グルが、聖者たちが、そして、この偉大な霊的な岩を守って来たデーヴァ達が自分たちを見守って下さっていると感じた。
そうだ。今月はグルプニマ、グルの日がある月なのだと思い出しグルマントラも満月に向かって唱え始めた。
周囲が暗くなる前に岩から下り、しばらく離れたところから大きな岩を眺めた。
夕陽に照らされて岩肌の色が白っぽい色から、真っ赤に焼ける色に変化し、そして最後は月明かりで漆黒の闇に浮き上がる岩の表面の色の変化していくスペクタクルショーを固唾を飲んで見ていた。すると突然、ヨシオの脳裏にウルルが青い水の上に浮かんでいるビジョンが見えた。その巨大な岩全体を水に映し出しながら、波一つない鏡のような真っ青な水の上に浮かんでいるのだ。
その青い水に逆さまに映し出されている岩の映像と、岩がくっ付いて、それは横向きに置かれている巨大な丸いリンガムのように見えた。
ウルルはやはりリンガムだったんだ。とヨシオは思った。やがて、周りの空の色がだんだんと暗くなって来て、星々が空一面に現れ始めた。
ババが物質化された未来の地図によると、この辺り一帯は浅い内海になるのだ。

ヨシオたち家族が、ウルルで礼拝を捧げる旅に行っている間、ヨシオを訪ねて、台湾から天道教の道士が十人ほどの弟子達を連れてやって来た。ヨシオたちが留守なので、近くの天道教の信者の家に投宿して、ヨシオたちの帰りを待っていた。その時、道士は、ヨシオたちは今オーストラリアにある神聖な場所で、大事な使命を帯びて行っているところだと弟子達に述べていた。

一日二回ガヤトリを唱えるならば、その日のうちに無意識に犯した罪や、払い終えてないカルマを燃やし尽くすことが出来る。
~毎日これを行えば、他のどんなマントラを唱える必要もない。
あなたは自分の人生を神聖化することができる。
ガヤトリは万能で、あなたを災害から守るだけではなく、あなたを賢くし、学ばせ、成功に導くのだ。P,177 ANDI
決してガーヤトリー マントラをやめてはなりません。
他のマントラは、やめても、無視してもかまいませんが、ガーヤトリー マントラは少なくとも一日数回唱えるべきです。
ガーヤトリー マントラは、あなたがどこにいても、旅行しているときも、家で働いているときも、あなたを危害から守ってくれます。
西洋人はガーヤトリー マントラによって生み出されるバイブレーションを調査して、ガーヤトリー マントラがヴェーダで規定されている通りの正しいアクセントで唱えられると周囲が目に見えて光に満ちあふれてくることを発見しました。

ガーヤトリーマントラは、あらゆる力と能力を授けてもらうための神への祈りなのです。~ガーヤトリーマントラが唱えられると、さまざまな力がその人の内側から浮上してきます。ですから、ガーヤトリーマントラを不用意に扱うべきではありません。23/8/95


家に戻り、東洋子を知っている多くの人たちと、東洋子が記憶を失う前に、さようならという挨拶をすれば良いかもしれないと思い、東洋子が日本に住んでいた頃の電話帳を探し出してきた。そして毎日、一人ずつ電話をした。最初に、ヨシオはどうして突然電話でお邪魔しなければいけないのかを説明して詫び、そして東洋子に電話を替わった。
昔の友人や知り合いの人たちは、東洋子の久しぶりの声を聞いてとても喜んでくれた。東洋子も健常者と変わらないほど流暢に話していた。時々、同じ事を何度も繰り返して話すと、ヨシオは電話を切る前に相手の人にお詫びの言葉をかけたが、相手の方は全然気付いていないようだった。
東洋子はまだその時、相槌を打ったり、笑ったり、そして哀れみの言葉をかけたりすることが出来たのだった。でも、それもほんのしばらくの間だけだった。
サヨナラ電話の後、東洋子は急激に病状が悪化して行った。毎日の散歩もままならなかった。身体がくの字に曲がり、真っ直ぐに歩けなくなってしまったからだ。

ヨシオの生活は、完全に介護一色になってしまっていた。しかし、嫁と二人三脚で頑張った。
そんな介護で慌ただしい毎日を過ごしているうちに、いつの間にか十年の月日が流れた。ヨシオも還暦を迎えた。あれ以来、飛行機に乗る時間も余裕もなかった。時折エンジンの調子を見るために格納庫へ行くぐらいだった。
そんな時も,ヨシオは東洋子を連れて行かなければならなかった。東洋子はもう世潮の生活の一部になってしまったのだ。

毎年、冬が近づいて来ると、ヨシオは母を連れて子供達がいるパースに住むようになっていた。農場のあるところは内陸で東洋子には寒すぎたのだ。
そんな時、インドから送られてくる月刊誌サナザナサラチを読んでいると、サイババさんも病院に入院することになったという記事が載っていた。

ヨシオは、ババは96才までこの世で肉体をとって使命を果たされると聞いていたので、そのうちに回復されて退院されるだろうと思っていたが、ある日ニュースでババが逝去されたことを報じているのを知った。すぐさまインドのニュースチャンネルを見ると、サイババ崩御のニュース一色だった。ヨシオはすぐさま、これはスワミ一流のリーラ(神の神聖遊戯)だと思った。

一度死なれて生き返り、世界をあっと驚かせ、神の化身の神聖な力を近い将来、見せようとされていると思った。というのも、肉体を持っておられる間に、人類に対して約束された事が、まだ成就していないからだ。だから、ヨシオはババは必ずもう一度サティアサイババの御姿で復活されると分かったのだ。
でも、問題はいつそれが起こるかだ。いろんな情報が飛びかった。ある本には、またババが生き返るという記事がある、と聞いたので読んでみると、どこを探してもそんな記事はなかった。いろんな人がいろんな事を言っていた。

一番驚いたのが、サイの組織の公式見解だった。ババは96才で亡くなると言っておられたが、太陰暦では今年は96才なので、ババの予言は成就した。というものだった。
ヨシオはお腹を抱えて笑った。そして、帰依者の人たちの気持ちは分かるが、これはこじつけだと思った。知り合いのサイの組織のリーダーたちに、その見解は間違っていると手紙を送ったが返事は無かった。
ババのテストだ。一人ひとりに問われている。これでババから離れていく人は、帰依者ではないってことだろう。籾殻が風に吹き飛ばされるように、彼らは、「あゝ、今まで神さんだと思って信奉して来たのに、大きな誤りだった。ただのアフログルだった。」なんて言うんだろうと思った。
そしてたくさんの帰依者たちがサイババさんの元を離れるだろうと予想出来た。

また、この後、雨後の筍のようにサイババだと名乗ってデタラメなメッセージを伝える輩が恥ずかしげもなく出て来るだろうという事も容易に想像出来た。

例えば、肉体のババがこの世を去られましたが、私はババから生前いろんなメッセージをもらっています。これからは、私の言うことがババのメッセージです。とか、ババの霊体が私の体を乗っ取り、私の口を通じてメッセージを送っています。とか
ババが瞑想中にこういうメッセージを、私を通じて皆さんに下さいました。とか、
私が瞑想時に得たババからのメッセージによるとババは85才で肉体を脱ぎすてられましたが、元のコスミックフォームに戻って96才まで仕事を続けられると言っておられます。とか厚顔無恥な連中が多分お金を集める為に出て来るだろうと思った。
そう言う連中に騙されてくっついて行く帰依者はレベルが低く、サイババさんの教えを何一つ分かっていない、サイババさんの帰依者というのは名ばかりで無知で覆われた人なのだ。
そういう人達がサイの組織から消え去るのは、実は組織にとってとても良い事なのだ。霊的な組織は、数より質が大切なのだ。

しかしもしそのような輩が出て来たとしたら、それはサイの組織が出版しているある本にも責任があるのだ。その本はある帰依者がサイババのメッセージを受けて、「君と私へのサイのメッセージ」と呼ぶ本を出版したのだ。
個人個人がいろんなメッセージをサイババさんから受け取るが、それらはその人だけへのメッセージであって、それらのメッセージを本として出版して、「私はサイババさんからメッセージを受け取りました。サイババさんからの直々のメッセージですよ。是非みなさんもこのメッセージを受け入れて下さい。」という類の事を言い始めると、後々に大きな災いの種を残す事になるから、本のタイトルを「私が受け取ったサイのメッセージ」に変えなければいけないのではないかと進言したけれど聞いてもらえなかった。
そして、世潮が心配した通りその手の類いの者が、そのかま首を持ち上げている。
ほとんどの人たちは、将来が見えないからそれに対処するのが後手後手になり、大きな苦痛を得てしまうのだ。特にリーダーとなる人は、その能力がなければ組織を間違った方向に引き連れてしまうのだ。

遂にサイババの葬儀の日がやって来た。ヨシオはこれら自分の目の前に展開する全てのシーンは、サイババさんが仕組んだお遊びだと知っていたので、葬儀を見ても笑い飛ばして涙も出なかったけれど、ある日ホームバジャンで「プッタパルティの神様、私は来ました。」というヨシオが昔作ったバジャンを歌っている時に、ババの愛、無私の愛、無条件に全てを愛しておられるババの愛、自分にこれだけ愛を注いでくださっておられるババの無限の愛を思い出して声をあげて泣いてしまった。と言うのもサイババさんは、自分の体から離れる前に、出来るだけたくさんの帰依者たちの病いを身代わりになって自らの命を犠牲にされてから、肉体を離れられたと言う事が直感力で認識出来、ババの底知れぬ深い愛に一瞬触れてしまったからなのだ。皆はヨシオが大きな声で泣くのを初めて見たので、驚いて全員もらい泣きしていた。


ヨシオは、ババからの別離が寂しくて悲しいわけではなかった。もしそうなら、毎年ババに会いに行っているはずだ。
一度、心の中のババを見つけたら、インドにおられるババに会いに行くために、遠い距離を旅しなくてもいいのだ。胸の内、ほんの数センチのところにババはいつもおられるのだ。
実は、ババが肉体を離れられた大きな理由があるのだ。それは、これからババが自らの予言通り、人類史上最大の奇跡を執り行われるから、その準備をされているのだ。過去にこういうババについての不思議なエピソードがある。
それはまだババが二十五才の頃、重い病にかかられてバンガロールの帰依者の家で一年間近く静養されていたことがある。

その年の十一月二十三日には新しいマンディールが完成し、その後たくさんの帰依者が訪れることになっていた。そのたくさんやって来るであろう帰依者のために使う霊力を、その当時のババの肉体の中に取り込めるように、静養しながら調整されていたのだった。
あまり帰依者がいなかった頃は、例えば憑依された人が来ると、ババは全身に汗をかきながら、憑依された人の髪の毛を掴んで振り回したり、怒鳴ったり、殴ったりして、憑依霊を追い出されたが、帰依者が増えるに連れてババの霊力が増し、アシュラムにその人が近づいただけで、憑依した霊は肉体から逃げ出すのだった。静養している間に、それくらいババの霊力が増して行ったのだ。それと同じことが、今、起ころうとしているのだ。

ババがこれから人類のためにされる奇跡は、肉体を取られたババの霊体では持ちこたえられない程の巨大な霊力がいるのだ。それで肉体を脱ぎ捨て、霊力の制限のない霊体となって、山脈を持ち上げたり、何千もの身体を同時に世界中で出現させたり、大空を歩いて渡られる奇跡を世界中で同時に行われたりされると宣言されている。

それはとても人智では理解出来ないくらいの大きな奇跡なのだ。
だからそういう意味で、ババは霊体となって、あるいは宇宙的な姿で仕事をされるという指摘は正しい。でも、その事とババが肉体を再びまとう事とは関係ないのだ。
霊体の波動は物質である肉体よりも細かい。だから、霊体の波動を少し荒くしただけで、物質化が出来る。それが、人間たちが奇跡と呼んでいる神の御技なのだ。ババは、物質化は私にとって自然なもので、特別でも何でもありません。と言っておられるが、それは波動が一番細かい、いや波動以前の、波動をもたらしている神聖な光そのものである神様にとっては当たり前なのだ。

ババが、霊体を調整するために帰依者の家で静養されている時に、本当はもう死にたいと言われたことがある。また、肉体をとって生きて仕事をする事は、とても面倒くさい事だ。と言われたこともある。
神様であるババは、如何にこの肉体が神の御技を執り行う上で制限になっているか、邪魔になっているかよくご存知なのだ。
だから、面倒くさいと言われたのだ。
人の体には、肉体の他に、微細体、原因体 がある。
それぞれの各自の肉体の中に、限られた霊力を持っている微細体と呼ばれる霊体がある。人は限られた霊力しか持っていないのに、それ以上の霊力を使うと、肉体は生気を失って病いに倒れるのだ。
微細体も肉体も実は人が摂る食物から栄養を得ているのだ。肉体は食物の持つ荒い霊的波動から、微細体はより細かい霊的な波動から栄養を得るのだ。
だから人が肉体を脱ぎ去り霊体になると、その微細体にまだ多くの霊力を持っている魂は、自分の霊力を使って遺族や友人に前に幽霊のように姿を表す事ができるのだ。しかもより強い霊力を持っていると、その姿を物質の波動のレベルに落とし、人の体に触れることも容易い事なのだ。
いわゆるポルターガイストのように物も動かすこちが出来る。
しかし、普通、その微細体を維持できる期間はその人が生前蓄えた霊力によって長さが違うが、一般的に四十九日が限度と言われている。
神の化身のように霊力を無限に持っていると、微細体から、肉体のレベルに波動を落とし、人々の間を歩き回るのはいとも簡単な事なので、先程言ったような霊媒を使う必要は無いのだ。
だから、自分にはサイババの微細体が乗り移ってメッセージを送っているという輩がいたら、それは完全なペテン師か精神に異常を来している人なのだ。
普通霊媒体質の人は、何らかの読心術や遠くに物が見えたりするサイキックなパワーを持っているので、そういう人がサイババの微細体が自分に乗り移ったとうそぶいて、人々を騙すのはいとも簡単なことだろう。

ババは神様で無限の霊力を持っておられるが、一度人間の体に入った以上、肉体が持つ制限を自分に課すと言われたことがある。
ババは今、肉体の制限から解き放たれ、自由に無限の霊力を自在に使って今までと同じように、仕事を続けられている。だからと言って、96才までしか微細体を使って仕事をして、その後はしない。と言ってはおられない。96才以降も、とっくの昔に肉体を脱ぎ捨てたラーマ、クリシュナ、イエスや仏陀、シルディババが信者の求めに応じて姿を顕しておられるように、帰依者の前に現れられるだろう。

それとも、サッチャサイババは、プレマサイが来られたらもう、役割が終わりで、霊体でも仕事をされないとでも言うのであろうか。絶対そんな事はない。千年経っても、サッチャサイババのダルシャンを得たいと泣いてる帰依者の前にババは現れるのだ。
来るべき、史上最大の神の奇跡を行われる前に、ババはその使える霊力に制限がある肉体を脱ぎ捨て、人類のための一大神聖劇の公演を、今、舞台裏で準備をされているのだ。
今、自分たちがしなければならないことは、これまで通りババの御教え通り生き、その日を辛抱強く待つことだ。
今の世界を見回しても。誰が神を求めて泣いているだろうか?神を求めて泣くような、そういう事が起こらない限りは、人々は神の方に顔を向けないのだ。神様どうか助けて下さいと心から願わないといけないのだ。自分に災害や不幸が襲ってきて初めて人は頭を打って目覚めるのだ。

ヨシオはそう信じていた。だから、ババが出て来られるまでに、必ずゴタゴタがある。世界中が暗闇に包まれる時が来るのだ。そう信じて、ヨシオは毛布やテントなどを買って用意しているのだ。
その時に、人々が味わう苦しみを少しでも軽減したいという一心で、全財産を投げ打ってこのような仕事をしているのだ。人々から気違いと呼ばれ、金の無駄遣いとか、ババの教えを分かっていないとか、過去二十五年間も様々な人々から批判され続けて来ているのだ。
それが、もうすぐ終わろうとしている。長いようで短かかった二十五年間だった。

もうすぐ、全世界はババの色で一色になるだろう。世界中がババを呼び求める声で満たされるだろう。歓喜の涙が、全ての人の頬を流れ落ちるだろう。
ヴェーダが世界中で唱えられ、人々がお互いに兄弟と呼び合う時代がやってくるだろう。全ての人が神を愛し、求め、その教えを学び、それに従って生きて行けばゴールデンエイジがやって来るのだ。
その産みの苦しみを、人類全体で共有しなければならないだろう。そして、すでに英知を持った一部の神に近い人々によって、ババの教え通り、世界中の人々が神の方へ導かれて行くのだ。
ヨシオはこう信じて、今まで生きてきたのだ。そして、ゴールデンエイジが実現した暁には、ヨシオは生まれる前の神との約束を果たしてもらいに、ババの元へ旅立つのだ。
ただ、彼の元に帰りたい、彼の御足にたどり着きたい…。それだけが、その事だけが、ヨシオがこの世にやって来た、ただ一つの目的だった。


時は早く過ぎ去り、人の寿命は氷の塊が溶ける様に、刻々と無くなっていっていることに気付くべきである。
人は自らの人生に幕を下ろすときでさえも、未だ自分がやらねばならなかった基本的なことでさえ見つけられていません。
何が義務なのでしょうか?
それは、人生の目標を見いだすことです。
人は、富、快適さ、地位、幸せ、を探し求めています。
それらは、結局のところ何だというのでしょうか?
人がそれらの世俗的な幸せのみを求めることによって、神からの祝福を得られなくなっているのです。それらの、一時的なはかない物質的な喜びが、いったい何だというのでしょうか?SS8/95p199
皆さんの頭の中は、世間のどうでも良いような話題でいっぱいになっています。
まずそれを空にして下さい。
そうしてはじめて、神聖な気持ち、神聖な思いで満たされるようになります。
沢山の人が目的の無い道を歩み、無意味な人生を歩んでいます。
泣きながら生まれてきて、泣きながら死んでいくのです。
その間どうでも良いようなことで泣いたりわめいたりしています。
皆さんはダルマの衰えを目にして涙を流すでしょうか。
ダルマが衰えた時こそが、泣くに値するときです。
力の限りを尽くしてダルマの衰えを改め、ダルマの衰えによって傷ついた部分を癒やしてあげなさい。SGc13
すべての人が、またすべての生き物が、平安と幸福を得ようと努めます。
誰もが人生の目的を知ろうとしています。
しかし、人々はその努力に成功することができないでいます。
強い決意をもって、目標に到達するまであきらめない人は、百万人に一人です。
限りある命をもつ普通の人は、それが自分の手に届かないものだと考えて、全くこの方面の努力をしません。
彼らは、物質的なその場限りの快楽を追及することに一生を費やします。
彼らは、衣・食・住こそが人生の三大目的であると勘違いしています。
その人生は、妻子を中心としたものになっています。
彼らは、人生にはこれよりも高い目的があるということに気がつきません。23/11/02

今日、人間は人生の目標を探求しません。
人生の目標を知ろうと努める代わりに、人間は自分の世俗的生命を心配しています。
動物や昆虫でさえ、自分たちの世俗的生存に関心をもっています。
生命の秘密を知ることは大事なことではありません。
人は、人生の目的を知らなければなりません。
それはとても大事なことです。
私たちの人生の目標は、アートマの原理に象徴された真理に他なりません。
人生の目標を探求する代わりに、人間は生命の秘密を知ろうとしています。
それは不毛な努力です。
これを知るためには、何度生まれ変わっても十分ではありません。
あなたの心を人生の目標に定めなさい。
生命については心配する必要はありません。1/3/03A
人は、はかない物事の追求に深く捕らわれて人生を過ごします。
人は、人生の各成長段階に特有の無益な思考に心を奪われます。
そして人生の最後に、自分は貴重な人としての生を、実にくだらないことを追い求めることで浪費してしまったと気づくのです。
これが人間の本性なのでしょうか?
人間が人生で学ぶべきことはこれなのでしょうか?
これらの活動は、水の泡のような束の間のものです。
それが人に永続する幸せをもたらすことはできません。
そうした取るに足りないことを追い求めることで自らの時間を費やすことは、愚行にほかなりません。7/10/05



神様との約束❹

2013-11-09 08:54:53 | 日記
電子本「サイババが帰って来るよ」Part1~5は以下のポニョ書店からどうぞ

http://bccks.jp/store/114521
Sai's Messages for The Golden Ageの文庫本が出来ました。上下の二部に分かれますが小さいのでいつでも何処でもババの御言葉をポケットに入れて持ち運びが出来ますよ</script>"><script type="text/javascript" src="http://bccks.jp/bcck/128820/widget"></script>
また、この本の上下統合版も出来ました。A5版とちょっと大きいですがお得になっています。ポニョ書店からどうぞ


五回に渡りブログ開設一周年を勝手に祝いまして、このブログから削除しました「神様との約束」シリーズを、レギュラーの記事と並行して掲載しております。元記事は電子本サイババが帰って来るよPart1に載っています。それでは、ハッピー リーディング!


ある日、シドニーとブリスベンから訪問者があり、一人はサイオーガニゼーションの統括世話人でアーサーヒルコットという人で、もう一人は全オーストラリアサイオーガニゼーションの会長だった。
なるほど、アーサーヒルコットはサイババさんから白いライオンというあだ名をつけられているだけあって、ヘソまで届きそうな白いあごひげを生やしてていた。

彼らは、クリスマス休暇に沢山の信者を、オーストラリアとニュージーランドから引き連れてサイババさんのアシュラムを訪問していたが、ある日、サイババさんがアーサーヒルコットに「私はオーストラリアの写真を探している。その写真を持って来なさい。」と謎のような事をおっしゃったのだ。

そこで、百人近くいるオーストラリアのグループの一人ひとりに、オーストラリアの写真の事を聞いても誰も持っていないということが分かった。
しかしある信者が世潮のことを知っており、アーサーヒルコットに世潮の話をした。
翌日、ベランダに出て来られたサイババさんにアーサーヒルコットが
「実は、うちのグループの誰もオーストラリアの写真を持っていませんでしたが、パースのある一人の信者がどういうわけか、あちこち旅して写真を撮っているという話を聞きましたが、あなたの探しておられる写真というのは、その者の写真の事でしょうか?」と尋ねた。
サイババさんは、「そうだ。その日本人が撮った写真の事だ。イタリア人も一緒にいる。」と答えられた。
アーサーヒルコットは、「彼は一体写真を撮って何をしているんでしょうか?それは、奉仕なのですか?」
と尋ねると、サイババさんは、「お前が直接その者と会い、その者がやっておることが奉仕であるかどうかを自ら判断するが良い。」と言われた。
その頃、世潮は自分もサイババさんの地図を見て、そのコピーを持っているというイタリア人の帰依者と一緒に、車で旅をしていたのだ。

イタリア人によると、世界中の大陸や島が地軸が傾く事によって大津波に呑まれ、オーストラリアの西半分の内陸部が安全な場所だとサイババさんが物質化した未来の地図では示されているので、西オーストラリア州に、金持ちの選ばれたイタリア人の帰依者のグループを連れてやって来たと言っていた。
全部で五十人くらいの規模のグループで、彼らを守るために一人当たりニ千万円ぐらいの予算でシェルターを作り、サバイバル品を備蓄すると言っていた。
世潮はそのイタリア人のリーダーに、自分が助かりたくてこの仕事をしているのではないので、君達がやろうとしている事は、自分がやろうとしている事と相入れないが、その未来の地図を元に場所を探す、というところまでは一緒に働けるだろうとお互いに合意して共に車で旅をしていたのだ。
彼によると今ブラジルやノルウェーに住んでいる人や1980年にドイツ人のグループにも、サイババさんは未来の地図を物質化していたようだ。

アーサーヒルコットは、世潮にインドにそれらの写真を持って行くように勧めた。そして、アシュラムの責任者であるスリニヴァサン宛に手紙も書いてくれた。

世潮は、サイババさんはいつも自分の心中にいるので、わざわざインドまで行く必要は無いと思っていたが、イタリア人の強い押しに負けて行くことにした。
インドまで行き、再びサイババさんに会うと、サイババさんは、「I'm very very happy.」と言って、世潮と持って来た写真の束を右手でポンと叩いて祝福したが、沢山ある写真の中から一枚選んではくれなかった。
イタリア人はとても不満だったが、世潮は「これで十分だよ。そのうち教えてくれるさ。要はタイミングだね。忍耐、忍耐。」と言って満足そうに帰って行った。

イタリア人は、「俺はそんなに待てない。もうやめた。」と言ってイタリアに帰って行った。
メインのイタリア人のグループは帰って行ったが、一人は残っていた。暫らくするとサイババさんは、その彼をインタビューに呼ばれた。
彼は、「どうかプレマサイシティープロジェクトについて御教示下さい。」と言うと
「どこにプレマサイがいるのだ。プレマサイは、あなたのハートの中にいるのだ。」
「外にプレマサイを求めてはいけない。」と言われた。
それで、プレマサイシティープロジェクトは終わった。
世潮は、そのニュースを聞いて喜んだ。というのも、彼らはまるでカルトグループのようだったからである。
自分たちでプレマサイシティープロジェクトという名を付け、限られた家族だけが入れる大きなシェルターを作って自分達だけが助かろう。と画策していたからだ。

それに世潮自身は何も隠し事はないので胸襟を開けて話すが、彼らはたくさんの秘密を持っていたからだった。
これで彼らとの結び目がほどけた。でも、彼らは世潮が一度は見たいと思っていた、サイババさんの地図をプレゼントしてくれた。
しかも、彼らの中には建築家や設計士などがいて、サイババが物質化された地図を、現存する世界地図に当てはめて、正確にどこが大津波で襲われるかがよく分かる地図をくれたのだ。
もちろんサイババさんが、彼らを通じて世潮に与えたのだった。
神は、確かにパーフェクトなアクターだった。

ある年、子供達にもサイババさんに会わせたいと思い、嫁や子供たちも連れて行った。
その頃、サイババさんはキャンディが山盛りに積まれたお盆から、キャンディをわしづかみにされて、帰依者達にばらまかれるという事をよくやられていた。
大人も、まるで子供のようになって神の化身が触れたキャンディは縁起が良いと、それらを取り合うのだ。
世潮にはその頃、三歳になったばかりの次男がいた。周りの人達から、キャンディボーイとあだ名をもらっていた。
というのも、サイババさんはいつもこの子をめがけて、毎日キャンディを投げられるので、この子の近くに座ればおこぼれをもらえるので、そんなあだ名がついたのだった。
その日も、何時ものようにキャンディを次男をめがけて投げられたが、少し後ろの方に席を取ったので投げつけたキャンディが次男まで届かず、周りの大人達に全部キャンディを取られてしまったのだ。
サイババさんは、そのまま行き過ぎてしまわれたが、次男は楽しみにしていたキャンディをその日はもらえないので、少し悲しい顔をしてベソをかき始めた。それを見て世潮は思わず、

宇宙を創造されるほどの、

お力を持たれた神様が、

キャンディを投げる力が足りなくて、

子供に届かず、べそかかす。

そういう摩訶不思議な事もあるもんだと、われ思うに、いと、おかし。


と、口ではなく、心を滑らしてしまった。
すると、十メートル程も先の方へ歩いて行っておられたサイババさんの歩みが止まった。
世潮は、いつも自分の心とサイババさんが繋がっているのを知っているので、自分の心の中での独り言に気を付けるようにしていた。
「しまった!」と思った。でも、もう手遅れだった。
サイババさんは、立ち止まったまま、首だけを大きく回して後ろを振り返られた。

世潮は、背中に寒気が走った。
サイババさんは、世潮を暫くの間見つめられてから、再び何も無かった様に歩み始められた。
世潮にとっての次のダルシャンは恐怖だった。サイババさんは何かを自分にするか、それとも何か言われるということを、今までの経験によって容易に想像できた。
それで、わざと会場に遅れて行き、後方の席、しかも普通だったらサイババさんがそこまで絶対来ないし、誰もそんな所に座らない会場へ続く階段に次男と座った。
そこからは、一番後ろに座っている信者まで十メートルは離れていた。サイババさんはまさかここまでは来られないだろうと思って安心していた。そしてサイババさんが現れた。

前例の方で、帰依者から差し出されたお盆に山積みになっているキャンディをわしづかみしたまま、世潮が座っている階段の方にまで一直線に歩いて来られた。
世潮は、そこから逃げ出したい気分だったがそうはいかなかった。
周りを見回しても、どこにも逃げ場はなかった。
気が付くと、目の前にサイババさんが立っておられた。

世潮は、目の前に立っておられるサイババさんを正視出来なかった。というのもこれから、何が起こるのか知っていたからだ。サイババさんがそんな後ろにまで今まで行かれたことはないので、会場にいた全ての人々の目が、これから起こるであろう神聖な神の劇の行方に注目していた。そして、それはすぐに起こった。

サイババさんが大きく手を振って目の前で、幼い子供と一緒に座って怯えている信者に向かって、思いっきり至近距離から手にいっぱいのキャンディを投げつけたのだった。

世潮の髪の毛の中や、シャツのポケットの中、とにかく身体中キャンディだらけになった。
皆は、神の創造した悲劇を見て笑い転げていた。

世潮は、心の中で「もしもし、サイババさん。少し痛かったですよ。
そんな至近距離でキャンディをぶつけなくても良いでしょう」
「あなたの教えを自分自身で破ってはいけないでしょう。」
「非暴力の教えを、御自身で実践しましょうね。」
「復讐もしてはいけないとおっしゃったではないですか。」
「これを日本では十倍返しと言うんですが、サイババさん。もしもし聞こえてますか?」
と思ったがすぐに打ち消した。というのも、またその思いも読まれ、後で痛い目に合うかもしれなかったからだった。

外に神を探しに行く道は、決して神には届かない

どんなに、巡礼を重ねてもその道はいつも行き止まり

真の神への道は、己が神だと悟る道

真の信者は、外を探さず、内探す

実は、信者と神はずっとずっと一つだったのだ

神はお前で、お前が神だったのだ

二つは一つで、一つが二つに見えるだけ

そんなトリックに引っかかり、人が困っているのを見て

陰で喜んでいるのは、だーれだ


妹夫婦家族も、サイババさんに会いに行こうとしていた。
インドは初めてなので、世潮もついて行こうと思ったが嫁がちょうど臨月を迎えていた。
しかし、「お母さんもいるので私は大丈夫。一緒に行ってあげて。」というので急遽、後ろ髪を引かれながらも出かけることにした。
インドまでの飛行機の座席はいっぱいで予約は出来なかった。とりあえず、シンガポールまでは辿り着いたが、チェンナイまではキャンセル待ちだった。
十人以上の人が、世潮の前に待っていた。
出発二分前に、一人分だけキャンセルが出た。世潮の前の人たちは、2人以上の家族連れだったので、世潮に席が回って来た。
係員と走って機内に乗り込んだ。
言われたまま席に着くと、なんと妹の隣だった。

サイババさんは、ホワイトフィールドにおられた。
安宿に投宿した。狭い部屋に不似合いな長い蛍光灯が天井に付いているだけの部屋だった。
寝るためにスイッチを押して蛍光灯を消したが、しばらくすると自動的に蛍光灯が点灯した。そして、消え、また点灯した。その繰り返しだった。寝たかどうか分からない状態になった。
すると声が聞こえた。あの、サイババさんの声だった。

「明日、インタビューに呼ぶので準備をしておきなさい。」
「ありがとうございます。スワミ。少しお願いしてもいいでしょうか。」
「言ってみなさい。」
「今回は、妹夫婦家族のために来たので、ダルシャンラインで妹にインタビュールームに行くように声をかけて頂けませんでしょうか。」
「分かった。そうしよう。しかし以前のように、お前にどこから来た。と聞くと今回は、お前はどのように答えるのか言ってみなさい。」
「はいスワミ、もし私が、この自分がまとっている肉体と自分を同一視しているのであれば、私はこの肉体が住んでいるオーストラリアから来ました。と答えるでしょう。」
「そうではなく、もし私が、自分を自分の霊体と同一視しているのであれば、私は心の中で祀っているスワミの元から来ました。と答えるでしょう。」
「そして、自分をアートマだと悟っておれば、私はどこからも来ておらず、どこへも行っていない。私は全てに充満しており、偏在し、そして至福に満ちている存在だ。と答えるでしょう。」と答えた。
サイババさんは、「満足した。私はお前からそのような答えを聞くのを期待しておったのだ。」と言われた。

そのような、不二一元論に基づく哲学的なやり取りを暫らくしていた。

最後に、こう聞かれた。「明日、私は、シンガポールから来た三人のオーガニゼーションの役員もお前たちと一緒にインタビューに呼び、彼らの頭に触れて祝福するつもりだ。」

「お前も、彼らと一緒に祝福して欲しいかね。」

「御手数でなければ、お願い致します。スワミ。」と答えた。そして自然に深い眠りについていた。

あくる日、綺麗に身支度をしていたら、甥っ子が「どうしてそんなに綺麗な身支度をするのか。」と尋ねた。

世潮は、「もうすぐすれば分かることだ。お前たちも今日、インタビューに呼ばれても良いように準備しておきなさい。」と答えた。

ダルシャンでサイババさんは、世潮が頼んだように妹に声をかけられた。そして、皆で意気揚々とインタビュールームに入って行った。
世潮は、いつもそうするようにサイババさんの真横に座った。

世潮は、サイババさんに何も質問はないのだが、電報で、嫁が無事に男の子を産んだということをインタビュー直前に知ったので、その次男を祝福してもらおうと思った。

「スワミ、私の新しいマーヤー(迷妄)について何か仰ってください。」

サイババさんが、帰依者の家でサイババとしての使命を始められた時に、それを心配して両親がやって来た。それを見て、帰依者たちに「私のマーヤーがやって来た。」と言われたのを思い出したからだ。

サイババさんは、「なんて言った?」といわれてから宙をじっと見つめたのち世潮に「私は、彼を祝福してあげる。」と言われた。そして、ずっと前、インタビュールームで世潮の頬を手で弾くように叩かれたが、今回は同じ頬を優しく撫でられた。

世潮は、さすがに神様だ。そんなに前の事まで覚えておられる。自分のカルマを取られたんだと感激していた。

そして、「スワミ。あなたがこの私の身体を使って、西オーストラリアで、あるプロジェクトをしておられているんでしょう。」と聞いた。

スワミは何を今更という感じで、誰にも聞こえないくらい小さな声で、世潮の耳元で「そうだよ。」と言われた。

横に三人のシンガポール人が座っていた。

サイババさんは、一人ひとりの頭をポンポンポンと順番に手で三回叩いて祝福され、彼らの隣にいた世潮の頭もついでにポンという感じで祝福された。

早朝見たヴィジョンと全く同じだった。

世潮は、サイババさんは、絶対意味のないことや、無駄なことをされないのを知っていたので、彼ら三人と将来どこかで接点があると思っていた。

世潮の推測通り、七年後、その三人のシンガポール人は、ナロジンの世潮の家の応接間に客として座っていた。世潮の話を聞きにシンガポールからナロジンまで出向いて来たのだった。

サイババさんは、インタビュールームで他の日本人にも何か言われたが、英語で喋られたので世潮は通訳をかって出た。
そのあと、サイババさんは手の平を上に向けてじっとしておられた。
しばらくすると手の平の真ん中に、何か光るものが現れた。
銀でできたシルディババの頭だった。
それが、タケノコが生えて来るように全身二十センチメートルぐらいの大きさの像になった。
妹は、「すごい奇跡を見た!」と大きな声で叫んで泣いていた。まだそのシルディサイババの像は、体温の温もりを持っていた。

スワミは妹夫婦家族とも話し、皆はとても満足してインタビュールームを出た。
世潮は、出産したばかりの嫁と新しく増えた家族の一員に会うために、その日すぐにオーストラリアに帰るつもりだった。
帰依者へのダルシャンの後、サイババさんはゲートの向こうに歩みを進められて消えて行かれた。そこでは、サイババさんのダルシャンを待っているサイ大学の学生達が長い列をつくって並んでいた。

世潮はいつものように、サイババさんにお礼とお別れの挨拶をしようと、ゲートの手前で手を合わせ、「サイババさん。今回も、色々と妹夫婦家族始め、私に祝福を与えてくださってありがとうございます。今日は、これで失礼します。オーストラリアに帰ります」と心の中で言った。
その瞬間、それまで学生たちの間を歩いておられたサイババさんの足が止まり、こちらを見られた。世潮は、「しまった。またやっちまった。」と思った。
心の中の独り言でも、全てサイババさんにはお見通しなのだ。

サイババさんは自分のお仕事を中断されても、世潮の為に時間をさかれる。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
また、サイババさんの仕事の邪魔をしてしまった。
まだ自分の心をコントロール出来ていない。
心の中でサイババさんと話す習慣が出来てしまっている。
サイババさんが肉体として目の前にいる時に、サイババさんに心で話しかけると、その肉体を取られたサイババさんがその事に反応されて、結果的にサイババさんのお仕事を自分が邪魔してしまう事になる。
そういうことまで考えて、自分の心をコントロールするのは無理だと思った。

前回空港からアシュラムに着いた時も、丁度昼過ぎで全ての店は閉まっていた。
食堂も閉まっていたので昼食抜きになってしまった。
「少し腹が減ったな。」と思ってアシュラムの外にある食堂を探していたら、サイババさんの近くで奉仕しているボランティアの人が世潮の近くににやって来て
「サイババさんが少し口を付けられただけで、すぐにこれを持って行きなさいと言われたので、召し上がって下さい。」と言って、サイババさんのお下がりのカレーを持ってきて下さった。

「御自分の昼食を自分のために…。」

サイババさんが普段食べておられる食事はとても辛くて、口から火が出そうだったが、感激の涙でその火を消しながら頂いた。

またちょうどご講話されている時に、ホワイトフィールドのアシュラムに着いた事がある。舞台の横にある小さい扉を少し開けて、久しぶりにお会いしたサイババさんを見てとても嬉しくなり「スワミ。」と思わず心の中で声を掛けてしまった。
サイババさんは講話を止めて、こちらを見て手を振って挨拶をされたということもあった。

毎回インドへの旅で、アシュラムから帰る日がやって来ると、ヨシオは、サイババにお別れの挨拶をするのが習慣になった。今回もダルシャンが終わってゲートの中に入られ、学生たちの間を歩いているサイババさんに向かって、「いろんな祝福をいただき有り難うございました。サイババさん。オーストラリアに帰ります。さようなら」と心の中で言った時は、サイババさんは、もう五十メートルほど先の方まで歩いて進まれていたのだが、ヨシオが心の中で声を掛けると同時に、学生たちの列の中から抜け出て、こちらに向かって速足で歩いて来られた。
そしてなんと世潮が座っているゲートにまで再び出て来られた。
世潮は、サイババさんも自分にさよならを言いに来られたのだと分かり、左手を振った。
サイババさんは、それを見て右手を振られた。
まるで鏡の中の自分を見ているみたいだった。
嬉しくなって、両手を振った。
サイババさんも、両手を振られた。
思いっきり手を伸ばして振った。
サイババさんも、両手を伸ばして振られた。
あとは夢中で何をしていたか自分でも覚えていない。
分かっていたことは、もう一人の自分が少し離れたところで自分に向かって手を振っているという事だった。
強烈な不二一元のフィーリングだった。不二一元の愛のパワーだった。
自分が、周りの全てに融合して行く感じだった。
サイババさんが真の自分で、ヨシオという人物はサイババさんが鏡に映っている仮の姿だという事が体感できた。
そしてその鏡に映っている仮の姿である自分が消えて行く。
自分が溶けてなくなって行く…自分よさようなら…自分は自分だった。全ては一つだったんだ。この世に存在する全ての人々や生き物は姿かたちが違うだけで、実は彼なのだ。その彼が自分なのだ。全ては自分。不二一元の真理の光、英知の光がヨシオを包み込んで至福以外、光以外何も感じることは出来なかった。その至福感に浸りヨシオは涙が止まらなかった。
これ以上、もう一人の自分の仕事の邪魔をしたくないと思った。
サイババさんは、サイババさんの身体を使ってやられるたくさんの仕事がある。
サイババさんが、ヨシオという肉体を使ってされる仕事に集中しよう。
ヨシオという名の自分の肉体の為に、これ以上彼の時間をとって欲しくなかった。
これで、インドへの旅は最後にしよう。と心に決めた。サイババさんに迷惑がかかるから…。
帰りの、飛行機の中も、エアポートの中でも、サングラスを外せなかった。
ずっと涙が止まらなかった。どこからそれだけの量の涙が出て来るのか自分でも不思議だった。気を入れ替えても、全然無駄だった。涙が涙腺が壊れるほど出て来た。
全ては一つである、という教え、不二一元の愛のパワーを凌ぐものは、この世に何も存在しないという事をヨシオは実感した。そうだ全ては愛なのだ。
これは愛のパワーなのだ。

家に帰っても、次の三ヶ月間、サイババの写真は見れなかったのはもちろんの事、サイババという名前も耳から入るや否や、涙が出てきて普通の生活になかなか戻れなかった。
サイババさんに約束してもらった神との合一。至福そのものになる。それだけで十分だった。
それ以上何を望むことがあるのか。
この世俗的な世の中の事には全く興味を失っていた。
全てが神が愛でもってコントロールされている劇なのだ。
自分が思い悩む事なんてこの世界に何も無い。
全ては神のお遊びなのだ。
地軸が傾くだの、大津波だの、何の興味もなかった。
神が全部しておられている。神のゲームだ。
だから未来の地図なんて物質化して遊ばれるんだ。
この世の事象に自分の思いを乗せてしまうから、喜怒哀楽が生じるのだ。
全ての行為を、水の上に字を書くように淡々と行為の結果を神に委ねてする…。
何の思いもその行為の上に残さないようにすると、行為の結果は自分に何の影響も及ぼさない。まるで幻の如く消え去って行く…。
それが、ヨシオはオーストラリアの農場での仕事は、サイババさんから頂いた仕事だからやらしてもらっているだけで、でなければもちろん膨大な毛布を買い求めて保管するなんてしない。
生まれる前の、神との約束。
神に融合する。それがヨシオにとってすべてだった。


プタパルティの神様、私は来ました。

桜咲く国から、

サイラム唱えて、御姿浮かべて、

ダルシャンの列の中であなたを待ちます

愛の神様 サイラム唱えて、御姿浮かべて



(Rama Rahimkoのメロディで)


全てのイタリア人がオーストラリアから去った後、サイババさんが世潮の夢に来られた。
世潮と、サイババさんが並んで空に浮かびながら、ある農場を見下ろしていた。
その農場は、三角形の形をしており、一辺は雑木林で他の二辺は馬が放たれている牧場だった。
そして、三角形の中央には小さい池のようなダムがあった。
サイババさんは、「ここはナロジンだ。将来、一大霊的センターになる。いろんな国から、様々な人達がやって来るであろう。」と言われた。
世潮はもう一年近く、あちらこちらに行って土地を探し続けていたので、土地勘も出来、標高の一番高いところに位置する町に決めるんだったら、世潮の心の中ではナロジンが第一候補だった。
それに、サイババさんの物質化された地図を拡大して分析していていたので、どの辺りが大津波の影響を受けないかも知っていたのだ。

この三角の土地も、ちょうど売りに出されたばかりで、ナロジンの中でも一番標高の高いところに立地していたので、「ここなら最高だ。」と世潮は思って、実はもう購入していて、後は、サイババさんのサイン待ちだったのだ。

その翌日直ぐに、世潮はナロジンに車を走らせて大きな倉庫も購入し、そこに人々が将来、何らかの原因で避難されて来た時のために、毛布やらテントなどのサバイバル品を買い求めて時が来るまで保管することにしたのだった。

ただ、世潮は、その当時、オーストラリア英語が全く聞き取れず、値段の交渉なんて出来なかったので、サイババさんに、誰か私を助けてくれそうな人をよこして下さいとお願いしていた。

ある日、若いインド人の青年が「私は歯科医です。サイババさんにインタビューに呼ばれ、歯科医としてではないけれど、オーストラリアで奉仕の仕事があるのでお前のために良いから行きなさい、と言われたので来ました。」

「奉仕の仕事をしに来ましたので、給料は、一切要りません。私に宿泊場所や食事も含めて一切便宜を計らないでください。」

「たとえ、そうされてもお断りします。私は、何でもやりますから、おっしゃって下さい。」

「休日も休暇も要りません。もし必要なら、夜中でも働きますし、どんな重労働でもする覚悟です。」

「決して、勘違いしないで欲しいのは、私はスワミに、オーストラリアでの奉仕は、私自身の為に良いと言われたので来たのであって、決してあなたを助ける為にでは無いのです。」

「私自身の為に、来ているのです。私は、自分自身の人生をすべてスワミ捧げていますから。是非、遠慮しないで私のやるべき事をおっしゃって下さい。」

「そして、もし必要なら、何年でも期間限定無しで仕事をします。」と言いました。

世潮は驚いて彼に、「どのようにして私を見つけたのですか?」と聞くと、

「私の両親が、あなたと一緒に以前働いていたイタリア人たちのことを知っていたので、サイババさんがオーストラリアとおっしゃった時、他に誰も知り合いはいないし、すぐにあなたの事だと分かったのです。」

その後、彼は無償で三年間も、このサイのプロジェクトの為に身を捧げたのだ。

まず、毛布を何十万枚も注文し、続いてビニールシートやテント、簡易宿泊施設用の材料、野菜の種や、機織り機に糸紡ぎ機、オイルランプに風力発電装置、太陽光発電装置に雨水を貯めるタンク、自転車に無線装置、ロープに合羽、粉ひき機に粉塵マスクとありとあらゆるサバイバル品を購入した。

最後に、一番大事なサイババさんの書籍を大量に注文した。

スリサチャサイBOOKトラストの責任者は、今までこんなに大量の本の注文を受けたことがなかったので大変驚き、直接サイババさんに

「スワミ、私どもでこんなに大量の本の梱包は、とても出来ません。ご存知の通り、スタッフはすべて第一線からリタイヤした年寄りばかりですし、膨大な数の梱包した箱は相当な重さになります。」

「それに、こんなに、大量だと個別の箱では送りきれません。梱包する場所もありません。その上、コンテナでないと送りきれません。」

「そのような事を今まで一度もしたことがないので、この注文をどのようにすれば良いものでしょうか?」

サイババさんは、「オーストラリアから受けたXXXXX冊の注文ですね。」

「あなたは受けた注文をすべて、オーストラリアへ送らねばなりません。」

「私の大学の学生達を動員しなさい。そして、パッキングする場所ですが、9番シェッドを使ってよろしい。

「コンテナ輸送と通関業務は、セントラルカウンセルのメンバーで、チェンナイから来ているXXX氏が専門です。彼に任しておけば、大丈夫です。」

と、受けた注文の本の数まで、言っていないのにもかかわらず、一冊も間違えずに責任者に指示を与えられた。

その頃、倉庫ではインド人の歯科医とたった2人で、ひと抱え30Kgもある毛布の束を、人力で数万個もトラックが運んで来たコンテナから降ろし、それをまた人力で倉庫に積み上げて行く作業は、とても気が遠くなるような骨の折れる仕事だった。

毛布を満載したコンテナを積んだトラックが、次から次へとパースからナロジンまで、片道200kmの行程をとんぼ返りし、みるみる倉庫に毛布の巨大な山が積み上がった。

世潮はお互いに力尽きた時、何度も歯科医の青年と、「ハヌマーン!俺たちに力を与えてくれ!」」と声を掛け合った。

でも、スワミがいつも一緒にいてくれている、という信仰心が2人に力を与え続け、ようやく最後の毛布の束を積み上げた。
丸三年も、二人とスワミの三人で、休みも取らずに色んなものを購入して倉庫に積み上げた。
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しかし、これで終わったわけではなかった。次に待っていたのは、税関による麻薬密輸摘発の為の抜き打ち検査だった。
毛布に麻薬を染み込ませ、密輸した輩が以前摘発されていて、世潮もその手のたぐいと疑われたのだ。
麻薬犬や、他の大勢の麻薬摘発官が、せっかく積んだ毛布の山を鋭いナイフでえぐり、中を麻薬犬に調べさすという作業が永遠と三日間に渡って続いた。
もちろん何も、出て来るわけは無かった。
しかし後に残ったのは、散らかったままの、何万枚もの毛布の残骸だった。
それらを、また整理して並べるのはまた大変な作業だった。
そして、かかった検査の経費などは、法令により全て世潮が支払わねばならなかった。
でも、何があっても、それはサイババさんが自分たちに良かれと思ってされている。自分たちの忍耐力を試されているんだ。そのテストに合格しなければという思いで頑張りぬいた。
いつもスワミと一緒に仕事をしているんだ。という強い信念のみが二人を支え続けたのだ。
こんな辛い作業をしても、誰からか給料をもらうわけでも、褒めてもらえるわけでもなく、逆に、人からバカなことに金を使っている。と批判され、将来や過去ではなく今を生きろ、サイババの帰依者の年長者から説教され、サイババさんから直接指示がないということは、君たちのエゴでやっていることだ。
などと、多くのサイの信者からも散々批判された。

でも世潮は自分を信じていた。自分の中におられるサイババさんが、全てやっておられることを。自分は、全てを神に捧げているだけだ。
これらの毛布が、将来人様の役に立つかどうかは、サイババさんが決められる事であって、自分ではない。これらの、毛布は自分が使うのか?
いや違う。自分の為に、購入したものなど何もない。自分はそういうことに全く関心は無い。
ただ、家内と、母と三人で日本で、汗水垂らして働いて貯めたお金を、スワミに捧げようとしているだけなのだ。
日本で、三人で支え合って、コインランドリーチェーンなどのビジネスをやって来て、何億というお金を稼いだ。
毎日、百円硬貨を数え、銀行に持って行く。洗濯機や乾燥機の清掃と修理、そういう地道な仕事だった。
ビジネスをするまでは、高校や大学の学費さえ親戚に借りなければ支払えない、という清貧な生活だった。
でも、いつもお天道様をまっすぐ見て、三人で支え合って歩んで来た。

金ができても、贅沢はしないで人様のために使ってきた。
でも今こうして、神様が人の姿を取って私達のために地上に来られてる。
そして、その神様が将来の地図を出して、人々に警告を与えておられる。
自分もそういうことが起こるという事を、ずっと信じてきた。
たくさんの人達が、着の身着のままで避難して来るだろう。
自分たちが、稼いだ金がそういう人達の為のに少しでもお役に立てればいいな、と思い、こうして人様から見たらバカなことをしている。
でも自分は真剣だ。全てを神に捧げ、何も得ることを期待しない。
全ての、持っている金をそれに使うつもりだ。
この世から永遠の至福が得れるなんていう、何の幻想も持っていない。
ただ、自分のこのような行いによって、サイババさんが喜んでくれるのが自分の喜びだ。
他に何もいらない。
金を使い果たして野たれ死にしようと何の後悔もしない。
ありがたいことに、家内もまた、最近老け込んできた母も、私と同じ思いを持っている。

子供は五人もいるが、ナロジンに引っ越すと、今までせっかく続けてきたシュタイナー教育が受けられなくなる。
でも神のお仕事が第一、社会、他人、そして家族に自分、という優先順位から行くと、教育のためにナロジンに引っ越せないというのは、サイの教えにそぐわない。
全ての主である神様が、人の世界に来て、私達人類の為に途轍もなく大きな仕事をされている。
そして、私達もその仕事の一部に関与出来る。今までの前世で作って来た、悪いカルマを支払う絶好の機会だ。
そして神様から見れば、本来は彼のものであるが、私達の取るに取らない金で勝った毛布など受け取って下さって、奉仕の機会も与えて下さっている。
サイババさんは、あなたの帰依者である素晴らしい青年やサイの本を直接支持して送ってくれた。
とても幸運なことだ。サイババさんがこのプロジェクトをされている証拠だ。彼と一緒に仕事をしている。神の仕事をしている。
それだけで、充分だ。他に何が、自分の人生でいるんだろうか。その他には何もいらない。
神様からの祝福があれば、私たちの人生は勝利を勝ち得たのも同然だ。
人に何と言われて非難されようが、一切気にしない。自分を勘定に入れず全ての行為を神に捧げ、その行為の結果を一切期待しない。それは素晴らしい高度な霊性修行なのだ。

選ばれた人類だけが実践出来る最高のヨーガ 。

それをアーナシャクティ ヨガと呼ぶ。

私は実は、そのアーナシャクティ ヨガを実践しているのだ。


完全に利己心が無く、行為の結果を全く考えず、集中して有能な仕事をし、しかも執着や欲望を待たず、全ての行為を神にささげる、それがアーナシャクテイーヨガの実践です。

アーナシャクテイーヨガはブッデイヨガよりはるかに優れ、中々凡人に出来ることではありません。

しかし私達は、アーナシャクテイーヨガの境地に達する努力を放棄してはなりません。

全力を挙げて努力し神の御加護があれば、一見不可能なことに見えることも成し遂げられます。5/87


ある日、世潮はシドニーから長文の手紙を受け取った。
以前、アーサーヒルコットと一緒にパースまでやって来た、全オーストラリアのサイの組織の会長からだった。その一部を紹介すると
「Bro、ヨシオ。スワミが私に、あなたのやっている事が、奉仕活動かどうか、自分で行って検証して確かめなさいと言われましたので、同僚のBro、アーサーヒルコットと一緒にあなたと会いましたね。」

「私自身の意見は、あなたのやっている事は、スワミのお教えから見て程遠いものであると思います。私には全く受け入れられません。スワミの教えが説く奉仕の教えとは程遠いものだからです。あなたは、自分ではあなたがしていることは、スワミの仕事だと思い込んでいるのでしょうけれど、それは間違いです」

「あなたが、他の帰依者を惑わす行動や言動をしたりするのを止め、少しでもスワミの御教えをもう少し努力して学んで理解し、それを実践される日が来る事を祈っております。」という的外れな内容だった。

世潮は一度も、サイの組織の会長に認められたり、自分と同じように信じてもらいたくて、西オーストラリアまで来るように頼んでいない。彼らがサイババさんに言われて勝手に自分に会たいと言ってやって来ただけだ。
自分は一度も彼らに会いたいなんて頼んでいないし会いたいという欲望もない。
彼らに西オーストラリアまで行けとサイババさんが彼らに指示されたのは、自分とサイババさんがしているプロジェクトが、果たして正しいのかどうかを、彼らに判断させる機会を与えて判断さすという、サイババさんが彼らに与えたテストなのだ。
自分とは何の関係も無い。
自分がここでやっていることが、スワミのみ教えに合致したものであるかどうか、彼らを通じてサイババさんに尋ねたいという願望は微塵もないし、彼らを通じて知りたいと思ったこともなかった。
ここでやっていることは全く、サイと自分の間だけのことであって、第三者が口を挟むものではない。それに世潮は、100%このプロジェクトはサイババに捧げていて、サイババさんが導いて下さっていると信じていたからだ。
しかも、このプロジェクトを口実に、他の人から金を乞うたことも一切ない。
自分が稼いだ金を何に使おうが、他の人からあれこれ指図される言われはないのだ。
ここでしているプロジェクトは、彼の霊的レベルでは決して理解出来ないくらい高度な霊性修行なのだ。
世潮はサイの組織の会長からの手紙を無視する事にした。

その同じ頃、インドではサイババさんが全世界のサイババ組織の代表を務めるインドラシャー氏に、「オーストラリアの会長を更迭しなさい。」とおっしゃった。

そしてそうなった。

その元会長は今では、残念ながら反サイババキャンペーンに一役買っているという。
残念な事だ。彼はサイババさんのテストに落ちたのだ。聞くところによると、彼はシドニーの不動産開発会社の社長で何十万坪もある海沿いの豪邸に住んでおり、大津波が来るというような天変地異のセオリーなんて決して受け入れることは出来ないのだ。

またその頃、西オーストラリア州のサイセンターを統括する会長が世潮に会いに来て、あれこれと70項目にも及ぶ質問を準備し、世潮を罪人を尋問するようにして帰って行った。
世潮はそれらの質問に答える義務は一切無いが、辛抱強く全て答えて帰ってもらった。
その後しばらくして、解任された会長の代わりにサイババさんに任命されて赴任したばかりの事情をあまりよく知らない新任の全オーストラリアの会長の元に、その西オーストラリア州の会長は「Bro,ヨシオはラジニーシのようなフリーセックスアシュラムをナロジンでつくろうとしている。」というでっち上げの80ページにも及ぶ報告書を提出した。
同じ頃、その全オーストラリアの新任会長のもとに「ナロジンでのサイグループ設立要望書」がナロジンの帰依者たちによって一枚送られてきた。
新任の会長は、一通は、西オーストラリア州のサイの組織の会長による80ページにも及ぶ、世潮批判の手紙で、もう一通は、たった一枚のサイグループ発足要望書だけれど、一体どのようにしてこれら二通の手紙に対応して良いか分からず、スワミに直接会って尋ねることにした。

「スワミ、私は最近、西オーストラリア州のある地方の町のサイグループに関して、二通の手紙を受け取りましたが、どうしていいか分からないのです。どうか、あなたの指示を仰がせて下さい。」

サイババさんは「ナロジンで、サイセンターをスタートさせなさい。」

「ナロジンサイグループの者たちに、EHVを実践するように伝えなさい。」

「そして、全オーストラリアEHV(人間の価値についての教育)会議をナロジンで開催しなさい。」と指示を出された。

世界中で何万というサイセンターがあるが、サイババさんが直接その地名を口に出し、そこでセンターを始めろと言われたのはとても珍しいのだ。

しばらくしてスワミの直接のご指示により、西オーストラリア州のたった五千人の片田舎の町で、全オーストラリアEHV会議が開催された。

そしてオーストラリア中から、何百人もの信者が会議に参加した。

しばらくして世潮は、その西オーストラリア州の会長が辞任したというニュースを聞いた。

サイはインドにいて、私はナロジンにいる。
でも、繋がっている。
深い、深いところで繋がっている。
私と、サイは誰よりも深いところで繋がっている。
信者と神を、深い、深いところで繋ぐのが、アーナシャクティーヨガの力なり。
この、信者と神の関係を、誰であれ邪魔する者は、たとえサイの組織の会長であっても、
サイ御自身によって、首をすげ替えらされる。
サイと私は深いところで繋がっている。
深い、深いところで繋がっている。
サイの意思は、私の意思。
もともと、私の意志なんて無かったのだ。
と気づいた時、真のバクタは神から自由を与えられる。
神の力を共有するものとなる。
それを、気づかすのがアーナシャクティーヨガの力なり。
このヨガの力により、人は肉体を持つ神となる。
褒めよ、讃えよ、アーナシャクティヨガを実践する者を。
汝は、サマディを得るのに、肉体を脱ぎ去る日を待つ必要はないのだ。