サイババが帰って来るよ

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愛の物語シリーズ番外編

2017-07-31 16:00:33 | 日記
帰依者といわれる者の心は、間違った方向を向いている。
自分の願望が満たされると、彼らは私を賞賛する。
しかし、望みが実現しないと、私を罵(ののし)りさえもする。
私を理解しようと試みている間でさえ、頭の天辺から足のつま先まで疑いを抱いている。
世俗的な望みが叶わなければ、私から去っていく者さえいる。
こうした者たちは、まったく誠実な帰依者ではない。
実に、彼らは最悪の罪人だ。
そのような者たちが、どのようにして私に到達できるのだろうか?6/10/92

ポニョ:以前、愛の物語シリーズを連載したけれど、一つ感動的なエピソードを紹介するのを忘れていたぜよ。

ヨシオ:忘れっぽいポニョらしいな。ところでどんなエピソードなんや。

ポニョ:このブログを始めた頃に紹介したエピソードで、コダイカナルでの子供とサイババさんのやり取りなんや。

ヨシオ:ああ思い出した。あれは感動的やったよな。今でもよく覚えている。サイババさんは子供の純粋な心をとても喜ばれるんや。

ポニョ:人って大人になるに連れて、欲望やらエゴが膨らんで来て、だんだん心が汚れていくもんな。サイババさんの帰依者になっても、自分の願いが叶わないと、サイババさんの批判を始めたり、去って行く人も少なからずいるぜよ。

ヨシオ:そういう人は初めから帰依者でもなんでないんや。何れにしても、この世界で生きていたら、常に物質的なものと接しなければいけないし、それに迷わされるから、心が汚れる事を防ぐ事は出来ないんや。唯一それが防止できる方法は、全ての行為を神さんに捧げてしまう事なんや。そうすれば子供のような綺麗な心のままでいれるんや。

ポニョ:それ以前に、どれがサイババさんの御言葉なのかを見極める事が大切やぜよ。だって、これがサイババの言葉だなんて言って、人々に自分が受け取ったメッセージを伝える輩が沢山いるやろ。例のルーカスラリさんが個人的に受け取ったメッセージも、バルビカス人間の価値教育の教材にも、すでにサイのメッセージとして出回っているぜよ。

ヨシオ:俺たちが編集したサイのメッセージの本にも、間違えてルーカスさんが受け取ったメッセージを載せてしまったので、すぐに削除したけどな。俺は今、霊のハードロックカフェの経営者が、これはサイババさんが直接口述されたメッセージです、と言って世界各地で講演された時に引用したサイババさんの言葉も、実はその人の創作じゃないかと疑っているんや。だってサイババさんは今まで一回も、聖書に出て来る四匹の馬の話なんてされた事がないやろ。あれは眉唾やな。大体サイババさんが、聖書の黙示録からの言葉を引用して、人々に警告を与えるって考えられないやろ。その言葉を近いうちに、俺たちのサイのメッセージの本から削除するつもりなんや。とにかく、誰かの夢にサイババさんが来て伝えたメッセージやら、サイババさんが霊体になって、その人の家に来られた時に伝えられたメッセージ、またその人が瞑想中に得たメッセージなど全ては、その人へのメッセージなんや。サイババさんの言葉ってそれほど大切なんや。サイババさんから直接あなた方にメッセージを頂きましたので、ここで披露しますという輩が言った事は、半分眉唾で聞いた方がええな。
俺も第一回サイババ全国大会の一週間前にサイババさんのアシュラムにいたけれど、サイババさんは俺に、「日本はマスコミが発達しているから、私が意図すればすぐに私の教えが全国に広まるだろう。今、サイの組織に来ている日本人たちは、超越瞑想から来ているもの達がほとんどだが、彼らは二三年で姿を消してしまうだろう。お前も日本のサイの組織に、今回のみ関わっても良いが、大会が終わればすぐに戻りなさい。お前の仕事は日本ではない。日本の仕事はお前に向いていない」と言われたんや。日本のサイの大会で役員の人が俺に、「最近までアシュラムにおられたのでしたら、何かサイババさんからのメッセージはないですか」と聞かれたんやけれど、俺は「無い」と答えたんや。だってそれらのメッセージは俺へのメッセージであって、大会に来られた人たち全員へのメッセージではないんや。それに、サイババさんが意思されれば、一人ひとりに直接、メッセージを送られるんや。誰かを介してメッセージを送られないやろ。それがサイババさんのやり方やし、一人ひとりの霊性修行者が、自分自身が直接サイババさんからのメッセージをもらえるように努力しなくてはいけない事なんや。
だから、誰かが「今から君たちに言う事は、サイババさんからのメッセージです」と言うような事を、俺は一切信じないし、全く必要としていないんや。俺はサイババさんの全ての講話の動画のテープを持っているけれど、サナザナサラチに掲載されたサイババさんの講話でさえも、そのテープを見て編集者がサイババさんの大事な言葉を削除していないかどうかをチェックしているんやで。

ポニョ:それは徹底してるよな。このような「私が受けたメッセージは、サイババさんの言葉だから皆で信じましょう」と言っている輩を野放しにするから、ムッディナハリは、やめときなはりのようなグループ台頭して来るんやぜよ。
以前、マレーシアに行った時に、小さな宝石屋さんで、職人が金の指輪を売りに来た人の指輪のゴールドが本物かどうかをチェックしている作業を見た事があるんや。その時、その職人は黒いサンドペーパーの上にその指輪を置いて、指輪をサッとサンドペーパーに擦り付けて、そのサンドペーパーの上に浮かび上がった金の色を見てたんや。しばらくすると、その職人は、この指輪には銅が含まれているとか、真鍮が含まれている色だとか、これは十八金だとか言ったんや。そういう事が、黒いサンドペーパーに浮かび上がった金色の色だけを見てすぐに分かるんや。どうしてそんな事が分かるのかなと聞いたら、いつも二十四金のゴールドの色を見ているので、偽物や混ぜ物のゴールドはすぐに分かると言ってたぜよ。

ヨシオ:俺は、神がこの俺たちの世界に化身としてやって来られたと知った途端、全ての本や資料を本棚から取り除いて、サイババさんの本だけを読むようにしたんや。だって、宇宙を創造され、宇宙を統べられている大元の神さんが人の姿を取られて来られているんやで。人として生まれて、一番最初にしなくてはいけない事は、その大元の神さんが、俺たち人類に、一体どんなメッセージや教えを垂れておられるかを真剣になって知る事なんや。それが先ず、帰依者としてしなければいけない事なんや。そしてその後は、その教えを守って生きる事や。そうすればサイババさんは、俺たちのグルとして最終目的地まで無事に導いて行って下さるんや。だから今、ポニョが言ったように、本物の教えであるサイの教えのみをしっかり頭に叩き込んだら、例の宝石屋の職人のように、何が混ざり物のゴールドか、そうではない本物のゴールドかが分かるんや。

ポニョ:でもサイババさんの教えって、山に例えれば最高峰の教えやから、そこに行き着くまでに他のいろんな聖者たちの教えも学ぶって事も大切やぜよ。

ヨシオ:勿論そうや。サイババさんもそう仰っている。でも俺が言いたいのは、その最高峰の山の麓にたどり着いた帰依者は、その最高峰の山の頂だけを見て登山すれば、登頂に成功するって言いたいんや。その最高峰の山の麓にたどり着き、登り始めた登山者は、他の聖者の教えなんて必要無いんや。サイ高峰に登り始めた登山者は、サイの教えだけで山頂に辿り着けるんや。

ポニョ:最高峰ってサイ高峰の事やったんや。面白い。という事で今日は、愛の物語番外編をお送りいたします。

コダイカナルにサイババさんが滞在されている時やけれど、サイババさんが来られるので、サイババさんが歩かれる赤いカーペットに沿って、たくさんの人々が座って待っていたんや。

そこには小学生もいて、おとなしく辛抱強く待っていたんや。
一人の小学一年生になったばかりの男の子が、その赤いカーペットの上に小さい泥が付いているのを見つけたんや。

それで、このカーペットの上を神の化身であるサイババさんが歩かれた時に、万が一、その泥を踏みつけたら足が汚れてしまうと思い、カーペットにこびりついている泥の塊を小さな手で一生懸命こすって取ったんや。

でもその取った泥の塊をその辺に捨てる場所がなかったので、自分のズボンのポケットに入れたんや。そうこうしているうちに、サイババさんがやって来られてその男の子の前を何事もなかったように歩いて行かれたんや。

その後、昼ごはんの時間だったので食堂に入り、他の生徒たちと一緒にお祈りをし、昼ご飯を食べようとしたら、突然サイババさんが食堂に入って来られたんや。

サイババさんが食堂に初めて来られたので、みんなびっくりして緊張してたんや。
すると、サイババさんはさっきのカーペットの泥を取った男の子の前で立ち止まり、「ご飯を食べる前は手を洗いなさい。」と言われたんや。

それで、その男の子は急いで洗面所に走って行って手を洗おうとしたんやけど、水道の栓の位置が高過ぎて、その子には届かなかったんや。

それでも、サイババさんに手を洗えと言われたから、その言いつけを守らないといけないと思って、飛び跳ねたりして水道の栓に手をかけようとしたけれど、結局届かなかったので、仕方なくズボンで手を拭いたんや。

それで何気ない顔をして食堂に戻ってくると、サイババさんがまだ食堂におられて、男の子にもう一度、「手を洗ったか。」と聞かれたんや。

男の子はまだ手を洗っていなかったので、サイババさんの顔を見ることが出来ず、下を向きながら「まだです。」と小さな声で言ったんや。


サイババさんは、「ご飯を食べる前は必ず手を洗わなければならない。」と言われて、その子の手を引いて外に連れて行かれたんや。

そして、バケツに汲み置きしてあった水から容器に水を入れて、その子の小さな手を包み込むようにして、サイババさん自らが洗われたんや。


そのあと、自分のハンカチで丁寧にその子の手を拭かれた後、「ところで、君のポケットに何が入っているの。」と聞かれたんや。
その子は、口をモグモグしていると、サイババさんは、その男の子のポケットを指差されて、ポケットに何が入っているのかを聞かれたんや。そして男の子がポケットから泥の塊を取り出すと、周りにいた人々に、どうして泥の塊がその子のポケットに入っているかという話をされたんや。

そこにいた、サイババさんと小さな男の子とのやり取りを見ていた人たちは、小さな男の子の純粋な神に捧げた愛の思いと、それを受け取られたサイババさんの愛のドラマを見て、皆、感激の涙を流したんやで。


ポニョ:サイババさんは、こんな小さな男の子の大きな神への愛を受け取られたんやな。

ヨシオ:そういうことや。神さんから見たら、大きい額のお金を寄付しようが、大きいビルを寄付しようが、高価な車や花やそういうものを寄付しようが、関係ないんや。

その人が、どのくらい綺麗な心でそれを神に捧げられたのかという事を見られるんや。
純粋な神に帰依する心。それが例え小さな泥の塊であっても、神さんは大変喜ばれるんや。
皆さんが純粋な心で行うことであれば,それが何であれ私は喜びます。
私が望むのは皆さんの心の純粋さだけです。
皆さんの心に純粋な愛があればどのような奉仕を行ってもよいのです。

死体を生き返らす力

2017-07-30 16:00:13 | 日記

死人を生き返らす事が出来る神聖な力は、どの人の内にも潜在しています。
人は自分の内側からその力を引き出すべきです。
その力は、自分自身のためのみならず、他人のために使うこともできます。22/11/10

ポニョ:サイババ病院の職員がホワイトフィールドのサイババ病院からバンガロールに車で行く途中、若い女性がバンガロールまで車に乗せて欲しいと頼んで来たんや。サイババさんは常日頃、サイカレッジの学生達に何事をするに際しても、異性には気をつけなければいけないと注意をされているので、その職員も最初は断るつもりやったけれど、どうしても断り切れなくて車に同乗する事を許したんや。そしてその女性が指定した場所まで送り届けたんやけれど、車の中でサイババさんの教えを守って一切その女性と言葉を交わさなかったんや。でも二、三日して、また車でバンガロールに行こうとしたらまた若い女性が近寄って来てバンガロールまで乗せて言って欲しいと頼まれたんや。

ヨシオ:インドの若い女性ってそんな簡単に見も知らずの人の車に乗せて下さいって頼んで来るんか?そんなに節操が無かったかな。そんな話は聞いた事がないな。

ポニョ:ホワイトフィールドのサイカレッジの近くで白いシャツを着ているのは大抵サイカレッジの学生さんか、サイババ 病院の医者とか職員やぜよ。サイのカレッジの学生や病院の職員は品行方正やと地元の人たちはみんな知っているからなんや。

ヨシオ:あゝ、そういう事か。こんな事がインド中であるんかなと思ってちょっと驚いた。

ポニョ:そのはバンガロールまで若い女性を送って行った後、ホワイトフィールドに戻り、あくる朝のサイババさんのダルシャンに出たんや。自分の心の中で少し葛藤があって、その若い女性を車に乗せたけれど、サイババさんは許されるやろかとかなと思って心配していたんや。するとサイババさんはその職員に「ノーミステイク」と言われたんや。それを聞いてその職員は「あゝ良かった。サイババさん自ら間違いは無かったと言って下さった。多分車の中で一言もその女性と話さなかったからや。」と自己満足していたんや。だから二度目に頼まれた時も二つ返事で若い女性を車に乗せてバンガロールまで連れて行ったんや。そしてその後のダルシャンでサイババさんはその職員に「ノーミステイク」とまた同じ言葉をかけて下さったんや。それでその職員は「良かった。全てをお見通しのサイババさんから何も間違いは無いと言われたんや。良かった良かった。」とええ気になっていたら、またバンガロールに行く用事が出来て車に乗っていると、若い女性がやって来て車に乗せて欲しいと言ったので、バンガロールに送って行ったんや。その後、ダルシャンに出た時に、今回もサイババさんはノーミステイクと言って下さるかなと期待していたらサイババさんは「お前は本当に鈍いやつやな。私が二回も同じダジャレを言っているのに全然気が付かないなんて。No Miss Takeや。つまり見知らぬ女を車に乗せるなって言っているんや。」と言われたんや。

ヨシオ:ハッハッハ。サイババさん一流のジョークやな。Missって若い女性の事やもんな。これは面白かった。

ポニョ:その職員は、家族中がサイの帰依者で子供の頃からサイババ小学校の寮に入れられ、サイババさんの近くで大きくなったんや。両親もとても息子を愛していて、バンガロールから毎週日曜日には必ず息子に会いに来られるんや。息子が高校生の頃の話やけれど、その日はサイババさんは、プッタパルティにおらず、バンガロールのホワイトフィールドに滞在されていたんや。そしてプッタパルティの先生方も日曜日を利用して、ホワイトフィールドにおられるサイババさんに会いに行ってたんや。サイババスクールに入学して以来一度だって欠かした事がなかったのに、どういうわけかその日は、朝から両親が来るのをゲートの前で楽しみに待っていたのに来られなかったんや。そうこうする内に、ホワイトフィールドに行っておられた先生方が帰って来られたんや。そして、その学生がもう外が暗くなっているのにも関わらず、ゲートの横で今か今かと両親を待っているのを見て、先生がかわいそうに思ってその学生に自分に着いて来るように言ったんや。そしてその先生はサイババさんへ御祈りを捧げた後、おもむろにその学生に向かって、「君のお父さんを今朝ホワイトフィールドで見かけましたよ。サイババさんの講話を聞いておられました。でもサイババさんの講話の途中で、サイババさんの講話を聞きながら心臓麻痺で亡くなったのです。」と言ったんや。その学生は両親思いで、お父さんの事をとても深く愛していたので、一瞬卒倒しそうになるくらいショックで一言の言葉も発せずただ大粒の涙が途切れもなく頰を伝っていったんや。その生徒は直ぐに先生の用意した車でバンガロールの実家に帰ったんや。家の人たちはその生徒に次のように話して下さったんや。お父さんは学生達に交じって座り、揺れ椅子に座っておられたサイババさんの講話を聞いておられたんや。すると突然息が苦しくなり、前に座っていた学生にちょっと気分が悪くなって来たので、君の背中に頭をもたらせても良いかと聞かれたんや。その学生はもちろん良いですが、叔父さん、本当に大丈夫ですかと声を掛けたんや。しばらくの間、お父さんは学生の背中に頭を付けてもたれておれらたけれど、そのまま崩れるようにして床に倒れられたんや。サイババさんはそのまま何事も無かったかのように講話を続けられていたんや。周りの学生がすぐに医者を呼んで診察してもらい、医者が脈白を取ると、もう脈はすでに途切れていたんや。それでサイババさんに『すみませんスワミ。この方が亡くなられました』と言うと、サイババさんは人々にサイババさんが通れるように道を作ってもらい、お父さんの遺体の横まで歩いて行かれたんや。そして医者の説明を聞いた後、サイババさんは水を持って来るように言われて、その水を指でお父さんの死体の上に振りかけられたんや。そして「そろそろ起きろ。神が来たぞ。」と言われた途端、脈が失く、医者から死んだと宣告されたはずのお父さんが生き返られたんや。取り敢えず、今お父さんは大事を取って、病院で精密検査をしていますから心配しないで。お母さんも病院にいますよ。」と言ったんや。

ヨシオ:なんや、くたばったんと違うんか。くたばり損なったゾンビ父さんやな。でも助かって良かったよな。

ポニョ:相変わらず口が悪いな。その両親は毎週日曜日には、一度も欠かさず必ず息子に会いに来られていたから、その日に限って来られなかったので、事故かなんか起こったんと違うかなと思って一日中ゲートの横に立って子供心にとても心配してたんやろな。挙げ句の果てに先生から、お父さんが死んだと聞かされてめちゃショックやったやろな。今ではその生徒はホワイトフィールドにある大きなサイババ病院の偉いさんになっておられるんや。お父さんも高齢やけれど、プッタパルティで余生を送られていて今だに健在なんやで。

ヨシオ:お父さんはサイババさんから第二の人生をもらったんやろな。でもサイババさんの講話を聞きながら肉体を離れる事が出来たらめちゃラッキーやろな。神の肉声を聞きながら心臓麻痺でポックリ死って理想的な死に方やないか。俺やったら何で生き返らせたんやって怒るやろな。

ポニョ:でも心臓麻痺や心筋梗塞はめちゃ痛いらしいで。くわばら、くわばら。

ヨシオ:なんでそんな事が分かるんや。心臓麻痺を起こしたら大抵の人は死んでこの世にいないから、痛いかどうか分からないやないか。

あらゆる霊性修行は、ハートの清らかさとマインドの落ち着きがあるときにだけ、良い結果を生みます。
もし神の恩寵があれば、あなたがこの世界で成し遂げられないことなど何もありません。
神は死人を生き返らせることもできるのですから、神に不可能なことなどありますか?
神は天を地に、地を天に変えることもできますが、あなたが神の恩寵を得るには、清らかなハートで祈らなければなりません。
つまらない噂話をしてはなりません。
他人の悪口を言っているあなたに、神が願いを叶えてくれることなど期待できますか?11-8-2000

私の愛は知らない

2017-07-29 16:00:49 | 日記
神はすべての人間の内に、愛という姿で存在しています。
この愛を無駄 にしたり誤用したりすべきではありません。
今日、私たちは勝手気ままにあらゆるものに愛を示しています。
好ましくないものを愛することによって、私たちは誤った道をたどり、惨めな状況に陥ります。
外の人には大きな愛を示すけれども、家の母親や父親には同様の愛を示さない人もいます。
まず両親を愛し、それから他の人を愛すべきです。
しかし、愛を友人や血縁のみに限定せず、すべての人を愛すべきです。
そうして初めて、神は神の愛を降り注いでくれるでしょう。
道で困っている人や怪我している人を見たら、知らん顔をしてはなりません。
どれほど緊急の仕事があったとしても、そうした人の苦しみを取り除くよう努めるべきです。
そうすれば、神が自ら直接私たちにエネルギーを注いでくれるでしょう。
神よりも大きな愛を与えられる者はこの世にいません。27/1/07

ポニョ:昔のアシュラムはまだまだ自然がいっぱいで、とても良かったな。去年久々に行ったけれど、もう小都市って感じになって驚いたな。アシュラムの中にショッピングセンターがあるんやで。

ヨシオ:考えられへんな。俺が最後にプッタパルティに行ったのは、もうかれこれ二十五年前の事やから随分と変わってるやろな。アシュラムに大きなコブラが現れた事があったな。鎌首を持ち上げたら人ほどの背丈があったんや。

ポニョ:そんなのがウロウロしてたら危ないぜよ。特に夜になったら踏みつけてしまったら一巻の終わりや。

ヨシオ:サイババさんは、私はこういう事をいちいち明らかにしませんが、帰依者が夜に毒ヘビを踏みそうになった瞬間、その毒ヘビを小枝に変えたる事がしょっちゅうありますと言っておられたな。

ポニョ:人って神様に生かされている事に気づいていないのが恐ろしいよな。神の恩寵を下さいと願わなくても、もう既にたくさんの恩寵をもらっているんや。

ヨシオ:人は神の恩寵をもらいに寺院へ行ったり、どこかのアシュラムに行ってグルを探したりするけれど、真のグルや神は自分の中にいるんや。昨日も言ったけれど、自らのハートの中におられる神さんは、自分の肉体を通じて外の世界に働きかけておられる、という感覚を持つのが霊性修行なんや。その為には自分も神さんのように愛がいっぱい詰まった人にならないといけないんや。だから前から言っているけれど、ポニョのようないつもニコニコして、もともと愛をたくさん持っている人は神にとても近いんや。

ポニョ:このニコニコ顔は前から言っていますが、生まれつきの顔なんです。

ヨシオ:そういや、怒っている時もニコニコしてるもんな。

ポニョ:してないっちゅうに。

ヨシオ:今ニコニコしてるやないか。ところで君は今怒っているんですか?それとも…

ポニョ:ちょっとさっきからうるさいですね。私は今怒っているのです。気分が悪いのです。

ヨシオ:どんな精神状態でも同じ顔って、生活して行く上で不便な事はないか?

ポニョ:あのねうるさいですよ。あんたの口癖じゃないけれど、人の事はホットケーキ。

ヨシオ:ポニョのように愛がいっぱいの人になる為の四つの魔法の言葉というのがあって、先ず一番目は、「私はあなたを愛しています。」で、二番目は「私を許して下さい。」という言葉。三番目は「あなたを許します」で、四番目は「ありがとうございます」なんやて。

ポニョ:以前、お袋さんの介護をしていた時に、お袋さんは「ありがとうございます」「許して下さい」「ごめんなさい」の三つの言葉ばかり言ってたので、だんだんエゴが無くなって行き、最後の方にはもう神の領域に達したような、聖者の風貌になって来たって言ってたよな。

ヨシオ:そうやったな。特に晩年は、サイババさんがお袋の体を通じてよく現れて下さったな。介護をしていてもサイババさんのお世話をしているようで、苦しい時でも今から振り返ったら毎日が充実していたな。特に薬の副作用で体が歪んで歩けなくなり、車椅子生活をしていたお袋が、俺たちがルッドラムを唱え始めたらまた歩けるようになった時がとても嬉しかったな。それ以来、どんどん症状が改善して行ったんや。

ポニョ:車椅子がそれ以来要らなくなったって言ってたよな。インタビュールームでもよくサイババさんは車椅子の人に「今日から車椅子なんて要らないよ。立ってごらん。君は立って歩けるから」と言って歩けるようにさせた事例がたくさんあるよな。

ヨシオ:以前にも紹介したけれど、西オーストラリア州のフリーマントルから来た車椅子の人は巨漢で、バリヤフリーでないアシュラムを行き来するのに常に誰かの助けがいるんので、アシュラムの中では結構有名人になっていたんや。その人がインタビューに呼ばれてインタビュールームから出てくると、自分の車椅子に乗らずに車椅子を介護人のように押しながら歩いて出て来たので、それを見ていた人たちは涙を流して感動していたな。サイババさんも晩年は車椅子生活をされていたけれど、御自分で歩こうと思えばいつでも歩けるんやで。医者がサイババさんの定期検診にやって来た時に、サイババさんが「一度私のカルテを見せて欲しい」と言われたんや。「カルテなら確かそこにあったと思いますが」と言って机の反対側の方に医者が取りに行こうとすると、サイババさんは「いいよ、いいよ自分で取りに行くから」と言って車椅子から立ち上がり、スタスタと歩いてカルテを取りに行かれたんや。その様子を、医者は驚きのあまり口を大きく開けたまま見てたんや。サイババさんがカルテを取り、そのカルテを見ながら歩いて車椅子に戻ろうとしていたら突然ドアが開いてサイオーガニゼーションの年長者が入って来たんや。すると突然今まで歩いていたサイババさんがうめき声をあげて手で机を持って体を支えられたんや。それを見た年長者は、医者に「君は一体何をサイババさんにさせようとしているんや!」と怒ってサイババさんを車椅子に戻すのを手伝ったんや。

ポニョ:それって医者がかわいそうやぜよ。サイババさんのお芝居が医者に災難をもたらしたんや。

ヨシオ:それって災難ではなくサイ難っていうんや。

ポニョ:そうそう医者と言えばサイババさんの学校の校医の話が笑っちゃったぜよ。ある時、いつも元気なサイババ小学校の子供が少し疲れがたまったのか元気がなくなり、校医の所に行くと、校医は砂糖粒を薬だと言って水と一緒に飲ませたんや。するとその生徒は元気が出て来て自分で病気が治ったと思い、サイババさんに「あなたの陰で病気が治りました。ありがとうございました」と書いた手紙をサイババさんに渡したんや。するとサイババさんは「病気が治ったのは私のせいじゃなく、砂糖粒のせいだよ」って言われたんや。

ヨシオ:本当にサイババさんは何でも知っておられるもんな。

ポニョ:何と言ってもサイババさんはおいら達の真の両親やから。

ヨシオ:よく人は子供を見て、君の目はお母さんからもらったんだね。お母さんとそっくりだよ。とか、鼻や口はお父さん似だねとか言うけれど、俺たちもサイババさんの子供だという自覚を持って生活していけば、もっとまともな人間になれるんやけどな。サイババさんが自分たちの真の両親であれば、自分の中にもサイババさんのような性質を培っていかなければいけないんや。例えば、自分はサイババさんのような全ての人を無条件に愛する大きな愛を持っているのか、自分を傷つけたり、悪口を言っている人を許せる大きな心を持っているのかなど、サイババさんを自分の真の両親だと呼べるだけの性質を持っているんだろうかと自分に問いかけてみるって大切な事なんや。このブログでもサイババさんの子供の頃のエピソードをたくさん紹介したけれど、それらをただのサイババ少年記として読むのではなく、自分はどれくらいサイババさんのような良い性質を身に付けているのだろうかと検証しなければ行けないんや。例えば、サイババさんが子供の時にお兄さん夫婦に、毎日、遠く離れた所まで井戸の水を汲みに行けと命じられたやろ。その時にサイババさんは文句も言わずに毎日何時間もかけて汲みに行ったよな。それだけじゃなくて、近所の身体の不自由な人にも水を汲みに行かれたやろ。そのような大きな愛、忍耐心のかけらでも俺たちは持っているのかと自分に問いかけるんや。

ポニョ:この世の全ての人たちがサイババさんの子供だけれど、サイババさんの性質に似ている人ってごく少数やぜよ。もちろん元広島カープの衣笠選手は見かけもそっくりやけれど。

ヨシオ:見かけはどっちでもええっちゅうに。俺たちはサイババさんのような大きな愛を持っているかが大事なんや。ある時サイババさんの高校の生徒が水ぼうそうにかかり、隔離されていたんや。その生徒は小さい部屋に入れられて誰にも会えないのでとても悲しくなり、サイババさんを一目見ようと部屋から抜け出して、校舎の陰からサイババさんがダルシャンを与えるのを見ていたんや。するとサイババさんは遠くの校舎の陰に隠れて座っている生徒に気づかれて、スタスタとその生徒の方に歩いて行かれたんや。サイババさんのお付きの人は、すぐにその生徒が規則を破って部屋から抜け出したのに気付き、サイババさんに「あの生徒は水ぼうそうです。うつりますから近寄らないで下さい」と言ったんや。それでもサイババさんはその言葉を無視してその生徒の前まで行き、水ぼうそうになった所を優しく撫でられて、ヴィブティを物質化されて患部に塗られたんや。お付きの人が「サイババさん、水ぼうそうがうつりますのでどうかやめて下さい」ともう一度言うと、サイババさんは「私はこの子が水ぼうそうだと知っている。でも私の愛はその事を知らないんだ。」と言われたんや。

人間性とは優しさのことです。
神を信じる心には、様々な花が咲きます。
その中でも大きな愛のある優しさの花を神は受け取るのです。
~どうやって優しさの気持ちを表せば良いのでしょう。
良いことさえしていればそれで良いのではありません。
神を深く信じること、信じる心が限りなく拡がっていくことが大切です。
自分の心を大きく変えていくのです。
同じ神がすべての人の心にいると信じることが大切です。
神はあらゆるところにいると深く信じて下さい。
そうすれば、人の痛みや悲しみをまるで自分の事のように感じられる様になるのです。SGc27


善悪を超えた愛

2017-07-28 16:00:36 | 日記
私は賞賛も嘲笑も、尊敬も軽蔑も、怒りも幸福も、超越しています。
私には、徹頭徹尾、一つの属性があるのみです。
それは私の愛です。
私は私を憎む者をも愛します。
私は私に対する悪い宣伝に耽る人さえ愛します。
私は誰のことも敵とは見なしません。
すべての人は私のものです。
私は母親のように、皆さん全員に気を配っています。
私の愛は一人の母の愛ではありません。
私の愛は千人の母の愛です。
サイの愛は千人の母の愛です。
ひとえにその愛ゆえに、私は皆さんのあらゆる過ちを顧みず、前を見て歩んでいるのです。
誰かが過ちを犯したときはいつも、私は本人を呼び、声を高めてその人を正します。
ですが、私はその人に怒りを示すことはしません。
私は誰に対しても怒りはありません。
実際、私には怒りという感情はまったくありません。23/11/08

ポニョ:以前、あんたの嫁さんと話していたら、あんたの体の調子がもう一つやと言ってたけれど。

ヨシオ:大した事はないんや。いつも裸足でサンダルを履いて仕事をしているから、足の親指の付け根にトゲが刺さりそれが炎症を起こしたんや。でもそこは五年ほど前に痛風になって大きく腫れた場所で、まだプリン体がたくさん溜まっているんや。白血球がついでに攻撃し始めて痛風の様に大きく腫れ始めたんや。でも全然痛くないんや。

ポニョ:痛風の様に大きく腫れたのに全然痛くないって不思議やぜよ。痛風ってその字のごとく風が吹いても痛いのに。ベジタリアンになってもしいたけを食べ過ぎると痛風になるで。めちゃプリン体が入っているんや。

ヨシオ:トゲが刺さったところが炎症を起こして、その部分の雑菌を攻撃していた白血球が、まだそこに少し残っていたプリン体も雑菌やと勘違いして攻撃しているからやろ。足の指に熱が出て腫れているけれど、腫れが引いたらもうプリン体は、白血球に分解されて無くなっているやろな。神さんの恩寵もこんな感じなんや。カルマを支払っているけれど痛みを感じないんや。ある人が「どうしてあなたの帰依した人たちが、まだいろんな苦しみを味わうのですか?」とサイババさんに聞いた事があるんや。その時に別の人も、「あなたの帰依者になればカルマを取って下さるはずなのに、どうしてまだ苦しみが続くのでしょうか?苦しみを取って下さい」と言うとサイババさんは「それは間違っている。いくら帰依者になってもカルマは支払わなければならない。神は手術によって帰依者に痛みを与えるが、それは一時的なもので、手術の後帰依者は、生涯続くはずだった痛みを味わう事はない。」と言われたんや。

ポニョ:神の恩寵は期限が切れて効かなくなっている薬を飲む様なものだと言われた話は知っているぜよ。つまりその人は痛みを伴っていないから、カルマを支払っているという自覚が無いんや。

ヨシオ:その事については以前記事にしたよな。そういうわけで足が腫れてあまり動けないので家で本棚を整理したり、ヘッドホンを修理したりしてたら本棚から古い日記帳が出て来て懐かしくなって読み始めたら、それはなんと三十年近く前のアシュラムを訪問した時の日記やったんや。それで一気に読んだんやけれど、すっかり忘れていた出来事もあったので驚いたな。

ポニョ:このブログであんたの息子さんをパスポート無しでインドに連れて行った話を紹介したけれど、その時の日記ですか?

ヨシオ:そうなんや。そのエピソードはもう紹介したのでスルーするけれど、俺が驚いたのはアシュラムでいろんな人たちに会って話を聞いたけれど、いくつかの話をすっかり忘れていたんや。例えばオランダのグループがサイババさんにインタビューに呼ばれて、オランダ、ルクセンブルク、スウェーデン、フィンランドなどの国は水に沈むと言われたんや。でもノルウェーは沈む国のリストに入ってなかったな。俺はその頃、サイババさんが未来の地図を物質化された事を知らなかったので、その時に地図を出されたかどうか聞かなかったけれど、多分出されたんやろな。俺がアシュラムから出て二週間後に、星やんが入れ替わりにやって来てインタビューに呼ばれ、そこで未来の地図を見せられたと言ってたから。その年は、結構たくさんの人たちが未来の地図を見てると思うな。

ポニョ:この物質世界はずっと永遠に続きませんよ。その心の準備をしなさいっていうメッセージなんやろな。

ヨシオ:どうして一部の人にだけしかそういうものを見せられないのか、サイババさんだけが理由を知っておられるからな。それともう一つ忘れていたエピソードがあって、それはオーストラリアから来た帰依者がアシュラムに七年間も住んでいて、その間一度もインタビューに呼んでもらえなかっただけでなく、手紙も取ってもらえないし、顔も見てもらえなかったんや。オーストラリアから来た帰依者たちは、彼がグループに入るのを嫌がっていたんや。だって、彼が入れば絶対にインタビューに呼ばれないから。でもその人は俺がアシュラムにいた時に亡くなったんや。サイババさんは彼が亡くなったその次の日にオーストラリアのグループをインタビューに呼ばれたんやで。

ポニョ:それって意地悪やぜよ。なんで一回ぐらいインタビューに呼ばれないんや。

ヨシオ:それと同じ質問をオーストラリアのグループの人がサイババさんにしたらサイババさんは「彼は今私と一緒にいます。」と答えられたんや。

ポニョ:彼は私と一緒にますって、亡くなる前に一度ぐらいインタビューに呼んであげればいいのに。

ヨシオ:死んで霊になった時点で神さんと一緒にいる方がええやないか。死んでも神さんに届かない人がわんさかいるのに。その人がどれほど神さんの事を思っていたのかは、神さんしか分からないんや。サイババさんのアシュラムに行けばいつもインタビューに呼んでもらう人より、サイババさんの事を心から愛しているけれど、一度もインタビューに呼ばれない人の方が、普段サイババさんの事を思う気持ちは強いやろな。「どうして自分だけインタビューに呼んで下さらないのですか?」と神さんを慕う気持ちを持ち続けるから。サイババさんは帰依者が毎日の生活で、どれくらい神さんの事を思っているかという事だけに興味があるんや。多分その人は、サイババさんにインタビューに呼ばれたら、これで人生最大の願いは叶えられたと言って、何か違う事を始めるかもしれないやろ。サイババさんはどの帰依者に対しても、その帰依者に一番良い選択肢しか与えられないんや。それにポニョもインタビューに何度も呼ばれたから分かると思うけれど、インタビューって何度呼ばれても満足出来ないやろ。

ポニョ:そうなんや。インタビューに呼ばれたばかりやのに、次の日のダルシャンでまたインタビューに呼んで欲しいなと思う心に気付いて自分でも驚いたぜよ。そういう神さんを求める心は、神さんと融合するまで続くのかなって思ったな。

ヨシオ:また日記には次のようなエピソードも書いてあったな。ある帰依者がいつもダルシャンの塀の外にいて、ダルシャングランドに入って来ないんや。塀の外側でサイババさんを見て満足されているんや。その人がどうして塀の中に入って来ないのかなと思って話をしたら、その人はアシュラムの外に住んでいるんやけれど、「以前は毎日ダルシャンに出てインタビューに呼んで下さいと願っていたのですが、全然インタビューに呼んでもらえないのでプライドが傷つき、それに耐え切れないからダルシャンに出なくなったのです。私はこうして毎日、サイババさんを塀の外から見るとインタビューを呼んでもらえないとうデメリットはありますが、その分自分のプライドが傷つく事なく心が平安に保ったままサイババさんのダルシャンを見れますし、もしサイババさんが私をインタビューに呼ばれると意図すれば塀の外にいる私に声を掛けてくれるはずです。」と言ってたな。

ポニョ:インタビューに呼んで欲しかったらダルシャンに出ないと呼んでもらえないでヤンス。塀の外にいたんじゃサイババさんがインタビューを呼ぼうとされても呼べないじゃんか。アホですね。プライドが高過ぎるぜよ。

ヨシオ:そういうプライドが高過ぎる帰依者もいてもええやないか。でもその人は、いつ会ってもサイババさんの事だけしか言わないんや。もちろん不平不満だらけやけれど。その人は、俺がアシュラムで会った帰依者の中で一番サイババさんの事を思っていたな。頭の中がサイババさんで一杯やった。いつもなんで私をインタビューに呼んでくれないんやという想いのみで、めちゃネガティヴやったけどな。

ポニョ:インドまで出掛けてダルシャンに出てもインタビューに呼んでもらえず、心がサイババさんからとっくに離れているのに帰依者のフリをしてセンターに出入りする人よりずっとマシやぜよ。もっと自分の心に正直や。例えネガティヴな思いであっても、神を思えば神さんはハッピーなんやな。いつもサイババさんと一緒にいて言葉を交わしている人よりも、「どうしてサイババさんは私を無視されるんですか?どうして手紙を取って下さらないのですか?どうしてインタビューに呼んでもらえないのですか?どうして目を見てもらえないのですか?」など、却ってサイババさんから少し離れているように見える人の方が、サイババさんの事をもっと思っているかもしれないぜよ。

ヨシオ:クリシュナの事を心底嫌って、四六時中誰と会ってもクリシュナの悪口ばかり言っていたシシュパラは、長老や将軍が顔を揃えている宴会会場でクリシュナの目の前でクリシュナを侮辱し始めたので、クリシュナはお皿を円盤のように放り投げてシシュパラの首を切り落としたエピソードがあるやろ。

ポニョ:あれはエグいエピソードやぜよ。食事中に首を切り落とさなくてもええのに。せっかくの料理が不味くなってしまうやないか。

ヨシオ:ポニョがその場で食べてたわけじゃないやろ。それに食事なんてどっちでもええやないか。そのシシュパラは実はヴィシュヌ神がおられる天国、ヴァイクンダの門番だった人なんや。でも事情で人間界に落ちて行かなければいけない時に、ヴィシュヌ神に「普通の人として無数に生まれ変わって私の元に到達するのが良いか、それとも悪人になって数回生まれ変わり、人間界に生まれ変わった私に殺されるのが良いかどちらか選択しなさい」と言われて、「ヴァイクンダにおられるあなた様にすぐに会いたいので、数回だけ生まれ変わってあなた様の手によって殺される方が光栄です。」と言って悪者になったんや。だからシシュパラって普通の人じゃないんや。クリシュナが皿を投げてシシュパラの首を刎ねた時に、シシュパラの霊体がクリシュナに融合したんやで。その不思議な現象を見てダルマジャが大変動揺して「どうして四六時中クリシュナ様の悪口しか言わない男がクリシュナ様に融合出来たのか!?」と言って。隣にいた聖者がダルマジャに、「神にとっては、神の悪口ばかり言う人であっても、それを言う事によって神の事を深く思っている人が尊い帰依者なのです。神は悪口によって一切影響を受けないのです。神は善悪を超越しているのです。」と言ったんや。

アートマは善悪を超越しており、何者もアートマに触れたり傷つけたりすることはできません。
照覧者であるアートマは二元性を超越しています。
たとえば、蓮は水と泥の中で花を咲かせます。
水と泥が無ければ蓮は生きられませんが、水も泥も蓮に付着して存在しているわけではありません。
泥は過去世でなした行為で、水は現在での行為の結果を象徴しています。
蓮の花はアートマで、過去と現在を超越しています。
鳥は卵から生まれ、木は種から生じます。
それと同じように、アートマの本質と人間性は相互関係にあり、互いを補い合っています。
ですから、悪には注意を向けないことが悪を排除する方法です。
悪を幻とみなしなさい。
それでよいのです。STPS2p166~8

サイの奇跡トップ10番外編

2017-07-27 16:00:26 | 日記
昔の人のハートは穏やかで愛に満ちていました。
愛は本来柔らかで慈悲深いのですが、状況によって愛は厳しくなります。
つまり、愛の心から罰を与えることがあるのです。
厳しい言葉も罰も、愛の心から出たものです。2/9/91

ポニョ:以前、サイババさんの奇跡トップ10を発表したけれど、そこに入れようとしたけれど、うっかり入れ忘れていた忘れていた奇跡を今思い出したぜよ。

ヨシオ:ポニョは忘れるのが得意やからな。どんな奇跡を思い出したんや。

ポニョ:このブログを始めた頃に紹介した奇跡で、自分の嫁さんが、家の金を使い込んでいると思い込んでいる御主人の話や。

ヨシオ:あれは面白かったよな。痛快やった。

ポニョ:サイババさんも時々プッツン来られるんや。

ヨシオ:今まで御主人が嫁さんをしばき倒していたから、そのカルマを取られたんやろな。それにしても、そのエピソードを読んだ後はスカッとしたな。ここオーストラリアでも家庭内暴力はとても大きな問題になっていて、酒やドラッグや借金の返済でストレスを溜めたり、牧場や農場、会社、商店の経営者やったら、その月の売り上げが落ちたり、その年の天候不順などで不作になってストレスを溜め、嫁さんに当たり散らすんや。でもオーストラリアの女性って強いやろ。筋肉もあるし口も負けていないで。それで言い返したりするので、御主人は嫁さんに暴力を振るってしまうんや。そんな事例がたくさんあるので、どこに行っても家庭内暴力被害者避難施設があって、嫁さんが子供もそこに一緒に逃げ込めるようになっているんや。

ポニョ:そういうのって良いのか悪いのか分からないけれど、そんな施設が何処にでもあるなんて、世も末って感じやぜよ。

ヨシオ:無いよりマシやろな。カリユガやからな。以前も紹介したけれど、サイババさんもしばきあげる時があるんやで。ある俺の知り合いの日本人帰依者が、ダルシャンで、サイババさんが隣に座っていたインド人女性を何も言わずにいきなり、思いっきりしばかれたんや。周りにバシッと音が聞こえるくらいきつく。それを見ていた周りの人たちは震え上がったんやで。しばらくして、そこにいた日本人帰依者が、ダルシャンでそのインド人女性と隣同士に座る機会があったので、「あなたがサイババさんにしばかれた時に、たまたま私は横にいたけれど、あの時、とても恐ろしかった。」と言うと、そのインド人女性は「恥づかしながら、私は今まで春を売って淫らな生活をしていたけれど、あの時にサイババさんにしばかれて、まともな生活に戻る決心が付いて良かったです。」と言ったんや。サイババさんがされる事やされない事も、全て正当な理由があるんや。誰も神さんにああしろとか、こうしろ、またこうすべきだとか、ああすべきではないとかと言う権利はないんや。彼は全てをご存知やから。俺たちが出来ることは、人生で起こる出来事を全てを受け入れて、いつも幸せでいる事や。

ポニョ:言うは易く行うは難しやぜよ。でもこの世界を見ていたら不合理な事ばかりで、幸せな気持ちで全てを受け入れるのは難しいズラ。

ヨシオ:肉食のせいで、動物か人間か分からんような人間もどきが、この世界に腐るほど生まれ変わっているからな。そういう人間もどきは感情や欲望や五感をコントロール出来ないのが特徴なんや。

ポニョ:おいらも食欲をコントロール出来ないから、人間もどきの部類に入るんやろか?

ヨシオ:多分そうやろな。人間もどきと言うより、話す胃袋って感じかな。

ポニョ:話す胃袋って…それってちょっとひどいと思いますが。

ヨシオ:ちょっと言いすぎたかな。でもポニョは心が綺麗やから、それで救われているよな。サイババさんはハンカチを使って人々に心を綺麗にする事を教えておられるやろ。

ポニョ:心を綺麗にする事だけじゃなくて、ハンカチを心に例えて、心を無くすには、心は思いという糸から織られていて、その糸は綿という欲望から作られているから、欲望を無くしなさいと教えておられるぜよ。また、ハンカチの糸の材料である綿をアートマに例えて、この世のものは全てアートマから出来ているとも言われたよな。

ヨシオ:ハンカチは、サイババさんにとって教えを説かれる小道具やな。サイババさんは「私がラーマとして来た時は、弓矢を使って人々に教えを説きました。私がクリシュナとして来た時はフルートを使って人々に教えを説きました。そしてこのサイアヴァターは、ハンカチを道具として使って人々に教えを説いています。」と言われた事があるんや。

ポニョ:ラーマは弓矢を使って何を教えられたんやろか?そうそう。人は弓矢の矢のように一生涯一人だけの嫁さんと結婚するようにと教えられたよな。そして、一度、自分が信仰する神を決めたら、その神さんだけに集中して信仰するようにとも言われなかったか?でも、たった一人だけの奥さんと結婚するようにと教えられたのに。クリシュナの時は、アルジュナに御自分の妹を第二夫人としてもらうように謀られたぜよ。教えが変わったんや。

ヨシオ:その時のアルジュナの第一夫人ドラウパティは、五人の旦那でシェアしなければいけなかったやろ。状況が違うやないか。

ポニョ:状況が変われば教えが変わるんか?納得出来ないぜよ。そしてクリシュナの時はフルートやけれど、これは簡単や。フルートの中が空洞なように、人の心の中のエゴや欲望を無くしていけば、クリシュナがそのフルートの中に息を吹き込んで、素晴らしい音色を響かせる事ができると教えられたんや。人がエゴや欲望を減らしていけば、神の神聖さがその人の中から顕現して来て、神の如き素晴らしい人になれるという事を教えられたよな。でもラーマが弓矢で、クリシュナがフルート。その両者に比べれば、サイババさんが小道具として使われたハンカチって少し見劣りがするぜよ。もっと、立派な道具がある筈やけど。例えばいつも載っておられるベンツだとか。

ヨシオ:見劣りがするって…、神さんが人に教える為の小道具やから、フルートであろうがハンカチであろうが関係無いやろ。それにベンツみたいな大きな物を小道具というか?ハンカチで充分やないか。ハンカチはいろんな教えを垂れる小道具にピッタリやないか。つまりハンカチって、心と同じで使えば汚れるやろ。でも汚れたハンカチを洗濯屋に出せばまた綺麗にしてくれる。それはまるで洗濯屋がハンカチを真っ白にしたように見えるけれど、洗濯屋はハンカチの汚れを取っただけで、ハンカチは元々真っ白なんや。人の心もこれと一緒で、人は自分の心を使って色んな物を追い求めたりして、心を汚してしまうけれど、その汚れた心を、神という洗濯屋に委ねれば、また真っ白にしてくれるんや。だから全ての行為を神に捧げて、自分がやっているとか、自分のものだと思い込んで、自分というエゴによって心を汚さないように気を付けないといけないんや。そうすれば人生の終わりには素晴らしいことが待っているんや。

ポニョ:人生の終わりに待っている素晴らしい事って何やろか?オクラの天婦羅を死ぬほど食べれるんやろか?楽しみ楽しみ。という事で、今日はサイババさんの奇跡トップ10、番外編をお送りします。

ヨシオ:このエピソードに登場する奥さんはサイの帰依者なんだけれど、旦那さんはサイババさんの事を神さんだと信じていなかったんや。しかも旦那さんは、奥さんが家の金を内緒で使い込んでるって思い込んでいて、奥さんにしょっちゅう暴力を振るうんや。

奥さんは「私は清廉潔白です。そんな内緒でお金を使い込むなんて事はしていません。もしあなたが言うように私が金を使い込んでいるんでしたら、私のグルであるサイババさんがご存知です。
二人でサイババさんのところに行き、サイババさんに、私が家のお金を使い込んだかどうかを聞きに行きましょう。」と言ったんや。旦那はそれに同意して一緒にプッタパルティまで奥さんのあとを着いて行ったんや。

二人はインタビューに呼ばれ、そこでサイババさんは「お前の奥さんは、あのラーマの嫁のシータのように清廉潔白で、お前の金には、びた一文手をつけていないよ。」と言われたんや。

でもその旦那は、奥さんが使い込んでると頭から思い込んでいたので、サイババさんの言葉をまともに受け入れることが出来なかったんや。それで「そんな事があってたまるか!こいつが使い込んだのに決まってるやろ。」と言って、インタビュールームのドアをバタン!と大きな音をさせて閉めて部屋から飛び出して行ったんや。

そして、一人で夜行の汽車に乗って家に帰って行ったんや。

その後、その旦那が乗った汽車の車掌が、突然、客車の通路を顔を押さえたまま、大きな声で泣きながら走って来る乗客を見つけたんや。

何か事故だと思い、急いでその乗客に元に行くと、その男の顔が大きく腫れあがっているんや。そしてその男はとても興奮して、顔を押さえたまま泣いていたんや。

男が泣き止み、少し精神的に落ち着いてから事情を聞くと、その男は、サイババさんが自分の寝ているコンパートメントに突然入って来て、男をたたき起こし、男の頬を思いっきり何発も叩きながら大きな声で怒鳴りつけたんや。

「お前は、お前の嫁さんが金を盗んでいるとまだ思ってるのか。私は、インタビュールームで『お前の嫁さんは無実だ。家の金を一銭も使い込んでいない。』と言っているのに、お前は私の言葉を全く信じようとしない。もう一度お前に言う。お前の嫁さんは、シータのように立派な嫁さんだ。清廉潔白だ。家の金を一銭も使い込んでいない。分かったか。
それと、もう一つお前に言っておくことがある。お前は自分の嫁やと思って、こんな風に好き勝手に嫁をいつもしばき倒しているけれどな、お前の嫁は、実はわしの可愛い娘なんや。わしの娘を二度とこんなふうにしばき倒すな。分かったか!」と言って再び何発かその男をしばき上げたんや。

実はこの車掌は、カスツーリさんの大学の教え子やったんや。それでその車掌が非番の時に、カスツーリさんとバス停で偶然会った時に、この話をカスツーリさんに伝えたんや。

その後、旦那は借りてきた猫みたいに大人しくなって、嫁さんに一切暴力を振るわなくなったそうです。めでたし、めでたし。

神には怒り(アグラハ)も好み(アヌグラハ)もありません。
無慈悲に見える時でも、その無慈悲の中には恩寵が潜んでいるのです。
懲らしめているように見える時でも、その中には慈愛があるのです。
怒っているように見える時でも、その背後には愛があるのです。
神性の本質を理解した人だけが、神のやり方を有り難く思うことができます。
神は信者に正しい道を歩ませるため、そして、信者が理想にかなった生活を送ることを可能にさせるために、ある種の罰を手段として用います。
そうした罰は信者のためなのです。6/3/89