ポニョ:今日の愛の物語シリーズは、昨日御約束した通り合格されたゴーカクさんのお話を、ババ御本人の御言葉でお送りしたいと思います。それではババ様お待たせいたしました。合格されたゴーカクさんの話をして下さいね。
ババ:あのね。君はちょっとそのしつこい下手くそなダジャレを何時までも言うのをやめてくれますか?合格して私と融合した人の事は良いから君自身の事をもっと心配しなさいね。実際ゴーカク君の詩を初めて聞いた時に私の本質を言い当てていたのでびっくらこいたんですよ。また機会があればどんな詩だったか紹介してあげて下さいね。前置きが長くなってはいけないので、そろそろゴーカク君の話をしましょう。
現副学長と前副学長は自らの体験を語りました。個人(ヴィヤシティ)が社会(サマシティ)との一体感を持つなら、その人は神(パラメーシティ)を悟ります。個人と社会の両方を超越している神を理解するのは非常に困難なことです。平常心を育てれば、個人と社会の間に調和が生まれます。
真実で永遠なるものを知りなさい
人は、社会がすべての基盤であることを悟るべきです。人は「私」と「あなた」というものが何を意味しているかを理解することができずにいます。
「あなたはどこで勉強していますか? 私はどこで勉強していますか?」
この二つの文章には、同じ社会(サマシティ)という原理の二つの異なるアイデンティティーが含まれています。これまで、社会の原理を真に理解した者は、ほんのわずかしかいません。社会の原理の中には神(パラメーシティ)の深遠な原理が存在します。しかし、神の深遠な原理を理解することは、さらにもっと困難です。
私たちのゴーカク(1909~1992 ヴィナーヤカ クリシュナ ゴーカク博士。シュリ サティヤ サイ大学の初代副学長)も同様に、そのような状態にありました。ゴーカクはたくさんの名著を読んでおり、多くの複雑な質問に対する答えを知っていました。けれども、何が真実で永遠なるものかを理解できていませんでした。同様に、アートマ(真我)とアナートマ(非真我)の違いも理解できていませんでした。本当のことを言えば、アナートマは存在していません。アートマだけがあまねく存在しているのです。しばらくして、ゴーカクはその真理を悟り、それを明確に理解しました。そのとき、私はゴーカクに助けを出したのです。
人が明瞭に理解するには多種の助けを必要とします。この助けは、真の帰依者に大きな永続する力を与えます。この助けは一時的なものではありません。それは真実で永続するものです。もしあなたが、何が真実で永遠であるかを探求し続けるなら、マーヤー(幻影、幻力、迷妄)のベールは徐々に取り除かれていくでしょう。
その後しばらくすると、ゴーカクは私に近づきました。疑問はすべて消え去り、無形で、真実の、永遠なる、純粋な、穢れなき神性原理に、ゴーカクはしっかりとつかまりました。
この神性原理は万人が理解できるものではありません。この真理の原理は、あなたの中にも、私の中にも、万人の中にも、等しく存在しています。真理を基盤と見なす者は、決して揺らぐことはありません。あらゆるものは変化するでしょうが、真理は不変です。
疑問の存在しない境地に到達しなさい
カルマの原理(因果応報)は理解し難いものです。ある種のカルマはあらゆる疑問を引き起こすかもしれません。しかし、別の種類のカルマは疑問を消し去り、あなたを一体性の境地へと連れて行きます。ゴーカクはこの真理を悟り、疑問はなくなりました。疑問の存在しない境地に至れば、真理を悟ります。これはモークシャ(解脱)のための王道です。
モークシャの真の意味は何でしょうか? モーハ クシャヤ(執着〔モーハ〕を取り除くこと)がモークシャ(解脱)です。執着を持っている限り、解脱は考えられません。それゆえ、まず第一に、無執着を得ようと懸命に努力すべきなのです。
ゴーカクは、真理の原理にしっかりとしがみつきました。ある日、ゴーカクは私のところへ来て尋ねました。
「良心と意識の間に別のものが存在しています。それがマーヤーです」
マーヤーはあらゆる二元性の原因です。マーヤーの餌食になってはいけません。あなたがマーヤーを払拭すれば、真理は内側から現れてきます。それはどのような種類の真理でしょう? 真理は見聞きできると思われていますが、真理は見ることも、聞くこともできません。真理はその両方を超越しています。ハートで感じられるものには、見聞きできるものはないのです。諸感覚を超越したときに、意識の夜明けは見えるのです。真理は意識の近くにあるものなのです。
翌朝、ゴーカクは再び私のところへ来て言いました。
「昨日私が抱いた疑問は何もかも取り除かれました。しかし、疑問の出所を理解するのは難しいということがわかってきました」
そこで私は言いました。
「では、蝙蝠を例に取りましょう。蝙蝠は鳥のように飛び回り、鳥のように餌を集めます。けれども蝙蝠は、鳥の性質とは反対に頭を逆さにして木の枝にぶら下がります。あなたは、蝙蝠は鳥なのか動物なのか疑問に思うかもしれません。人の疑問は同じようにして生じます。ある時点で、こういった疑問は一切生じなくなります。これは私と他の誰かのことを言っているのではありません。これはあなたと私に関することです」
個人は社会を構成しており、社会は個人の集団的な形です。煎じ詰めると、社会は個人が拡大したものです。個人と社会と神の間にある関係を理解する人は、真理を知ることができます。これが、最終的にゴーカクが理解したことです。誰もがこの真理を理解する努力をしなければなりません。
私たちは楽しく浮かれ騒いで人生を送っていますが、これは実在ではありません。俗世を乗り越えたとき、初めて実在を理解することができるのです。完全な変化はすぐには起こりません。ゴーカクはこの真理を大変よく理解していました。それゆえ、ゴーカクは根本真理にしっかりとしがみついたのです。最終的に、ゴーカクは他の一切を忘れました。
真理の夜明けと至福の体験
その当時、ゴーカクは『サーヴィトリー』(シュリ オーロビンドが書いた叙事詩で、「マハーバーラタ」の挿話である夫を生き返らせた貞女サーヴィトリー妃の物語の内的意味に基づいたもの)を学んでいました。ゴーカクの内なる思いは、すべてサーヴィトリー(ガーヤトリー女神)に集中していました。誰も皆、外からは見えない内なる思いを抱いています。あなたが一貫してサーダナ(霊性修行)を続けていれば、いつの日か、真理は突然、明らかになるでしょう。
ちょうどグル プールニマー祭が間近に迫っていました。ゴーカクは言いました。
「スワミ、私の進んでいる道に、光が近づいてくるのが見えます」
そう言った後、ゴーカクは目を閉じました。ゴーカクは一言も言葉を発しませんでした。私はゴーカクのそばに寄って頭に手を触れました。私は言いました。
「私の愛しい人よ、自宅に戻り、コーヒーを一杯飲んで、それからまたいらっしゃい。」
しかし、ゴーカクは何も言いませんでした。ゴーカクは二元性を超越したのです。ゴーカクは自宅に戻り、サーヴィトリーに祈ってから戻ってきました。
ついに、ゴーカクはあらゆる答えをサーヴィトリーから手に入れることができました。そのとき以来、ゴーカクはサーヴィトリーを憶念し始めました。
ゴーカクは朝にも夕にも私のところへ来ていました。ある日、私のところへ来たとき、ゴーカクは満面に笑みを湛えていました。私はゴーカクに尋ねました。
「とても幸せそうですね、どうしたのですか?」
「スワミ! この至福はあなたの祝福です。これは私から生じたものではありません」
そうゴーカクは答えました。
ニッティヤーナンダム、パラマスカダム、
ケーヴァラム グニャーナムルティム、
ドヴァムドヴァーティータム、ガガナ サドルシャム、
タットワマッスヤーディ ラクシヤム、
エーカム、ニッティヤム、ヴィマラム、
アチャラム、サルヴァディー サークシブータム
神は、永遠の至福、この上ない歓喜を与えるもの、究極の叡智、
二元を超越しているもの、空のように広大なるもの、
「汝はそれなり」という格言によって示される目的地、
不二一元、永遠なるもの、純粋なるもの、
不変なるもの、知性のあらゆる働きの目撃者
光の体験
私はゴーカクに、永遠にその境地に留まるようにと言いました。翌朝、ゴーカクはまたやって来ました。彼は言いました。
「スワミ、私はずっと同じ境地におります。」
ゴーカクは、その至福の状態がどこから生じたのか考えることさえしなかったと言いました。私には、ゴーカクは今あまり多くを語るべきではないということがよくわかっていたので、自宅に戻ってまた後で来るようにと言いました。ゴーカクは帰りました。
翌朝、ブラフマ ムフールタ(午前3時から6時の神聖なブラフマンの刻)の時刻に、ゴーカクは再びやって来ました。ゴーカクは3回ドアを叩き、私は6回叩き返しました。ゴーカクはその意味を理解し、静かにその場を立ち去りました。この後、もう質疑応答する余地は残っていませんでした。それ以来、ゴーカクは質問をやめました。ゴーカクはサーヴィトリーを憶念し続けました。そして、ついに不二一元の境地に到達したのです。
ある日、ゴーカクが目を閉じて瞑想していたとき、私はその頭を二度、平手でピシャリと叩きました。すると、ゴーカクは光を体験し始めました。光が現れ出したので、ゴーカクはあらゆる浮世の物事への関心を失いました。ゴーカクはその境地に留まりました。
別の日、私はゴーカクに目を閉じるようにと言いました。ゴーカクは言われた通りにしました。ゴーカクが目を閉じると、私は親指で彼のブルーマディヤ(眉間)を押しました。その瞬間、ゴーカクの疑問はすべて消え去りました。ゴーカクは言いました。
「スワミ、私は一つです。神は一つです。愛は一つです。私は他には何も求めません。」
私はゴーカクに、帰って翌朝また来るようにと言いました。ゴーカクは非常に時間に几帳面で、いつも正確な時間にやって来ました。そのようにして何度も何度も訪ねて来たために、ゴーカクはサーヴィトリーのヴィジョンを得たのです。ゴーカクは時折サーヴィトリーを目で見ることができましたが、それは永続的なものではありませんでした。ゴーカクはサーヴィトリーを根本原理と見なしていました。ゴーカクはその原理にしっかりとしがみついていました。こうして、ゴーカクは神性の境地に到達することができたのです。
サーダナの道を前進し続けていると、あなたの内に、ある種の力が顕現してくるでしょう。それらの力には一切重きを置いてはなりません。ひとたび根本原理を理解すれば、あなたはすべてを所有するようになるでしょう。根本原理は一つであり、二つはありません。真理は一つであり、二つはありません。その他のものは、すべて非真であり、流れゆく雲のようなものです。ゴーカクは他のすべてを忘れました。ゴーカクは心(マインド)を根本原理だけに集中させました。
私がコダイカーナル(避暑地にあるババのアシュラム)にいたとき、ゴーカクが私宛に長い電報を打ってきたことがあります。そこで私はゴーカクに、
「わかっています、それでよろしい。心(マインド)を変えてはいけません」
というメッセージを電報で打ちました。
それ以来、私たちの間に文書のやり取りはありません。しかし、ゴーカクは一度、自分の妻に私宛の手紙を書くよう頼みました。ゴーカクの妻はシャーラダンマという名でした。シャーラダンマもマハーグニャーニ(大いなる叡智の人)でした。彼女はよく、二つの言葉を書いて四つの意味を持たせる様式で手紙を書いていました。
その後の私たちの間に存在したのは、アートマの関係だけでした。ゴーカクは完全な静寂の境地に達しました。もはや、どんな本にも触れず、どんな質問もしませんでした。どんな手紙を書くこともありませんでした。ゴーカクはただ、
「スワミ! あなたのすべてのお答えは私の心の琴線に触れました」
と言っただけでした。そこで私は言いました。
「私たちは共に、私たちの間に存在する関係を理解しています。あなたはそれ以外、何も心配していません。」
その後、肉体レベルでの私たちの関係は消滅しました。それと同時に、霊的レベルでの関係はより親密なものになりました。肉体を脱ぎ捨てる前に、ゴーカクは言葉を記しました。
「私はあなたに到達しました」と。
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.13 C38
サイ ラム ニュース139号(2011年7・8月号)pp.25-31掲載
ババ:あのね。君はちょっとそのしつこい下手くそなダジャレを何時までも言うのをやめてくれますか?合格して私と融合した人の事は良いから君自身の事をもっと心配しなさいね。実際ゴーカク君の詩を初めて聞いた時に私の本質を言い当てていたのでびっくらこいたんですよ。また機会があればどんな詩だったか紹介してあげて下さいね。前置きが長くなってはいけないので、そろそろゴーカク君の話をしましょう。
現副学長と前副学長は自らの体験を語りました。個人(ヴィヤシティ)が社会(サマシティ)との一体感を持つなら、その人は神(パラメーシティ)を悟ります。個人と社会の両方を超越している神を理解するのは非常に困難なことです。平常心を育てれば、個人と社会の間に調和が生まれます。
真実で永遠なるものを知りなさい
人は、社会がすべての基盤であることを悟るべきです。人は「私」と「あなた」というものが何を意味しているかを理解することができずにいます。
「あなたはどこで勉強していますか? 私はどこで勉強していますか?」
この二つの文章には、同じ社会(サマシティ)という原理の二つの異なるアイデンティティーが含まれています。これまで、社会の原理を真に理解した者は、ほんのわずかしかいません。社会の原理の中には神(パラメーシティ)の深遠な原理が存在します。しかし、神の深遠な原理を理解することは、さらにもっと困難です。
私たちのゴーカク(1909~1992 ヴィナーヤカ クリシュナ ゴーカク博士。シュリ サティヤ サイ大学の初代副学長)も同様に、そのような状態にありました。ゴーカクはたくさんの名著を読んでおり、多くの複雑な質問に対する答えを知っていました。けれども、何が真実で永遠なるものかを理解できていませんでした。同様に、アートマ(真我)とアナートマ(非真我)の違いも理解できていませんでした。本当のことを言えば、アナートマは存在していません。アートマだけがあまねく存在しているのです。しばらくして、ゴーカクはその真理を悟り、それを明確に理解しました。そのとき、私はゴーカクに助けを出したのです。
人が明瞭に理解するには多種の助けを必要とします。この助けは、真の帰依者に大きな永続する力を与えます。この助けは一時的なものではありません。それは真実で永続するものです。もしあなたが、何が真実で永遠であるかを探求し続けるなら、マーヤー(幻影、幻力、迷妄)のベールは徐々に取り除かれていくでしょう。
その後しばらくすると、ゴーカクは私に近づきました。疑問はすべて消え去り、無形で、真実の、永遠なる、純粋な、穢れなき神性原理に、ゴーカクはしっかりとつかまりました。
この神性原理は万人が理解できるものではありません。この真理の原理は、あなたの中にも、私の中にも、万人の中にも、等しく存在しています。真理を基盤と見なす者は、決して揺らぐことはありません。あらゆるものは変化するでしょうが、真理は不変です。
疑問の存在しない境地に到達しなさい
カルマの原理(因果応報)は理解し難いものです。ある種のカルマはあらゆる疑問を引き起こすかもしれません。しかし、別の種類のカルマは疑問を消し去り、あなたを一体性の境地へと連れて行きます。ゴーカクはこの真理を悟り、疑問はなくなりました。疑問の存在しない境地に至れば、真理を悟ります。これはモークシャ(解脱)のための王道です。
モークシャの真の意味は何でしょうか? モーハ クシャヤ(執着〔モーハ〕を取り除くこと)がモークシャ(解脱)です。執着を持っている限り、解脱は考えられません。それゆえ、まず第一に、無執着を得ようと懸命に努力すべきなのです。
ゴーカクは、真理の原理にしっかりとしがみつきました。ある日、ゴーカクは私のところへ来て尋ねました。
「良心と意識の間に別のものが存在しています。それがマーヤーです」
マーヤーはあらゆる二元性の原因です。マーヤーの餌食になってはいけません。あなたがマーヤーを払拭すれば、真理は内側から現れてきます。それはどのような種類の真理でしょう? 真理は見聞きできると思われていますが、真理は見ることも、聞くこともできません。真理はその両方を超越しています。ハートで感じられるものには、見聞きできるものはないのです。諸感覚を超越したときに、意識の夜明けは見えるのです。真理は意識の近くにあるものなのです。
翌朝、ゴーカクは再び私のところへ来て言いました。
「昨日私が抱いた疑問は何もかも取り除かれました。しかし、疑問の出所を理解するのは難しいということがわかってきました」
そこで私は言いました。
「では、蝙蝠を例に取りましょう。蝙蝠は鳥のように飛び回り、鳥のように餌を集めます。けれども蝙蝠は、鳥の性質とは反対に頭を逆さにして木の枝にぶら下がります。あなたは、蝙蝠は鳥なのか動物なのか疑問に思うかもしれません。人の疑問は同じようにして生じます。ある時点で、こういった疑問は一切生じなくなります。これは私と他の誰かのことを言っているのではありません。これはあなたと私に関することです」
個人は社会を構成しており、社会は個人の集団的な形です。煎じ詰めると、社会は個人が拡大したものです。個人と社会と神の間にある関係を理解する人は、真理を知ることができます。これが、最終的にゴーカクが理解したことです。誰もがこの真理を理解する努力をしなければなりません。
私たちは楽しく浮かれ騒いで人生を送っていますが、これは実在ではありません。俗世を乗り越えたとき、初めて実在を理解することができるのです。完全な変化はすぐには起こりません。ゴーカクはこの真理を大変よく理解していました。それゆえ、ゴーカクは根本真理にしっかりとしがみついたのです。最終的に、ゴーカクは他の一切を忘れました。
真理の夜明けと至福の体験
その当時、ゴーカクは『サーヴィトリー』(シュリ オーロビンドが書いた叙事詩で、「マハーバーラタ」の挿話である夫を生き返らせた貞女サーヴィトリー妃の物語の内的意味に基づいたもの)を学んでいました。ゴーカクの内なる思いは、すべてサーヴィトリー(ガーヤトリー女神)に集中していました。誰も皆、外からは見えない内なる思いを抱いています。あなたが一貫してサーダナ(霊性修行)を続けていれば、いつの日か、真理は突然、明らかになるでしょう。
ちょうどグル プールニマー祭が間近に迫っていました。ゴーカクは言いました。
「スワミ、私の進んでいる道に、光が近づいてくるのが見えます」
そう言った後、ゴーカクは目を閉じました。ゴーカクは一言も言葉を発しませんでした。私はゴーカクのそばに寄って頭に手を触れました。私は言いました。
「私の愛しい人よ、自宅に戻り、コーヒーを一杯飲んで、それからまたいらっしゃい。」
しかし、ゴーカクは何も言いませんでした。ゴーカクは二元性を超越したのです。ゴーカクは自宅に戻り、サーヴィトリーに祈ってから戻ってきました。
ついに、ゴーカクはあらゆる答えをサーヴィトリーから手に入れることができました。そのとき以来、ゴーカクはサーヴィトリーを憶念し始めました。
ゴーカクは朝にも夕にも私のところへ来ていました。ある日、私のところへ来たとき、ゴーカクは満面に笑みを湛えていました。私はゴーカクに尋ねました。
「とても幸せそうですね、どうしたのですか?」
「スワミ! この至福はあなたの祝福です。これは私から生じたものではありません」
そうゴーカクは答えました。
ニッティヤーナンダム、パラマスカダム、
ケーヴァラム グニャーナムルティム、
ドヴァムドヴァーティータム、ガガナ サドルシャム、
タットワマッスヤーディ ラクシヤム、
エーカム、ニッティヤム、ヴィマラム、
アチャラム、サルヴァディー サークシブータム
神は、永遠の至福、この上ない歓喜を与えるもの、究極の叡智、
二元を超越しているもの、空のように広大なるもの、
「汝はそれなり」という格言によって示される目的地、
不二一元、永遠なるもの、純粋なるもの、
不変なるもの、知性のあらゆる働きの目撃者
光の体験
私はゴーカクに、永遠にその境地に留まるようにと言いました。翌朝、ゴーカクはまたやって来ました。彼は言いました。
「スワミ、私はずっと同じ境地におります。」
ゴーカクは、その至福の状態がどこから生じたのか考えることさえしなかったと言いました。私には、ゴーカクは今あまり多くを語るべきではないということがよくわかっていたので、自宅に戻ってまた後で来るようにと言いました。ゴーカクは帰りました。
翌朝、ブラフマ ムフールタ(午前3時から6時の神聖なブラフマンの刻)の時刻に、ゴーカクは再びやって来ました。ゴーカクは3回ドアを叩き、私は6回叩き返しました。ゴーカクはその意味を理解し、静かにその場を立ち去りました。この後、もう質疑応答する余地は残っていませんでした。それ以来、ゴーカクは質問をやめました。ゴーカクはサーヴィトリーを憶念し続けました。そして、ついに不二一元の境地に到達したのです。
ある日、ゴーカクが目を閉じて瞑想していたとき、私はその頭を二度、平手でピシャリと叩きました。すると、ゴーカクは光を体験し始めました。光が現れ出したので、ゴーカクはあらゆる浮世の物事への関心を失いました。ゴーカクはその境地に留まりました。
別の日、私はゴーカクに目を閉じるようにと言いました。ゴーカクは言われた通りにしました。ゴーカクが目を閉じると、私は親指で彼のブルーマディヤ(眉間)を押しました。その瞬間、ゴーカクの疑問はすべて消え去りました。ゴーカクは言いました。
「スワミ、私は一つです。神は一つです。愛は一つです。私は他には何も求めません。」
私はゴーカクに、帰って翌朝また来るようにと言いました。ゴーカクは非常に時間に几帳面で、いつも正確な時間にやって来ました。そのようにして何度も何度も訪ねて来たために、ゴーカクはサーヴィトリーのヴィジョンを得たのです。ゴーカクは時折サーヴィトリーを目で見ることができましたが、それは永続的なものではありませんでした。ゴーカクはサーヴィトリーを根本原理と見なしていました。ゴーカクはその原理にしっかりとしがみついていました。こうして、ゴーカクは神性の境地に到達することができたのです。
サーダナの道を前進し続けていると、あなたの内に、ある種の力が顕現してくるでしょう。それらの力には一切重きを置いてはなりません。ひとたび根本原理を理解すれば、あなたはすべてを所有するようになるでしょう。根本原理は一つであり、二つはありません。真理は一つであり、二つはありません。その他のものは、すべて非真であり、流れゆく雲のようなものです。ゴーカクは他のすべてを忘れました。ゴーカクは心(マインド)を根本原理だけに集中させました。
私がコダイカーナル(避暑地にあるババのアシュラム)にいたとき、ゴーカクが私宛に長い電報を打ってきたことがあります。そこで私はゴーカクに、
「わかっています、それでよろしい。心(マインド)を変えてはいけません」
というメッセージを電報で打ちました。
それ以来、私たちの間に文書のやり取りはありません。しかし、ゴーカクは一度、自分の妻に私宛の手紙を書くよう頼みました。ゴーカクの妻はシャーラダンマという名でした。シャーラダンマもマハーグニャーニ(大いなる叡智の人)でした。彼女はよく、二つの言葉を書いて四つの意味を持たせる様式で手紙を書いていました。
その後の私たちの間に存在したのは、アートマの関係だけでした。ゴーカクは完全な静寂の境地に達しました。もはや、どんな本にも触れず、どんな質問もしませんでした。どんな手紙を書くこともありませんでした。ゴーカクはただ、
「スワミ! あなたのすべてのお答えは私の心の琴線に触れました」
と言っただけでした。そこで私は言いました。
「私たちは共に、私たちの間に存在する関係を理解しています。あなたはそれ以外、何も心配していません。」
その後、肉体レベルでの私たちの関係は消滅しました。それと同時に、霊的レベルでの関係はより親密なものになりました。肉体を脱ぎ捨てる前に、ゴーカクは言葉を記しました。
「私はあなたに到達しました」と。
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.13 C38
サイ ラム ニュース139号(2011年7・8月号)pp.25-31掲載