世俗のことにだけあなたの灯りを向けているならば、あなたは神の灯りを楽しむことは出来ません。MBAIp209
ポニョ:昨日の犬が井戸の飛び込んで自殺した話やけれど、おいらはあんまり好きじゃなかったな。だってめちゃ自分勝手やないか。井戸に勝手に飛び込むのは良いけれど後でその井戸の水を飲み水にしている人はどうなるねん?そういう犬は自己中の人間になって生まれ変わるんやろな。
ヨシオ:犬が神様に対してそこまで帰依や信仰心を持っているという話や。大体犬が井戸を使う人の事まで考えないやろ。それにすぐにカリカリ来るなよポニョ吉は。
ポニョ:それじゃ気をとり直そうか。今日の愛の物語シリーズは、ドクターヒスロップさんのお話です。あんたはヒスロップさんと会ったって言ってたな。
ヨシオ:最近も紹介したように、二人でレストランの外で車を待っている時に、ヒスロップさんが大きな指輪をされているのに気づいたのでそのアメジストの指輪を見せてもらったんや。その指輪に彫られた横顔はプレマサイの顔で、最初ババからもらった時は、後ろ姿やったのがだんだん時計と反対周りに顔を回り始めて、俺が見た時は両目まで見え始めていたな。その他、ヒスロップさんが体験された奇跡はいろいろあるけれど、俺が面白いと思ったのはヒマラヤに行かれた時に、突然崖っぷちに車を止めるように言われてババが一人で崖の方へ歩いて行かれたんや。すると絶壁の向こうにエレベーターがあるように綺麗な女性がするすると現れたんや。ババはその女性に、「大変長く待たせたね。」と言われて御足に触れさせたんや。するとその女性は何も言わずに、また崖の向こうにエレベーターに乗ったみたいに、するすると下に降りて行って消えてしまったんや。その女性を目撃した人々は、多分ガンジス川の女神ではないかと推測してたんや。
ポニョ:ふーん。不思議なストーリーやぜよ。おいらが聞いた話は、月の鏡の話や。聞いたことないか?
ヨシオ:半透明な月を出されて、それをヒスロップさんがポケットに入れていた話か?
ポニョ:ちょっとは知らん振りして、驚く真似でもしろや。会話が盛り上がれへんやないか。
ヨシオ:分かった。ほんまか?月を出されたって?どれくらいの大きさなんや?こんなもんか?
ポニョ:もうええっちゅうに。その話は1973年12月8日の早朝に、スワミとヒスロップさんを乗せた車がホワイトフィールドに行くためにプラシャーンティ・ニラヤムを出発した時から始まりました。 ババは運転手に道を外れて進むように言いました。すると木々で囲まれたピクニックエリアに出ました。ババはそのピクニックエリアに生えていたリンゴの木になっているリンゴを落とすように言いました。皆は上の方の枝に付いている大きなリンゴをめがけて石を投げたりして必死でリンゴを取ろうとしていたのですが、誰も成功しませんでした。しかし、直径五センチほどの小さなリンゴが落ちて来ました。ババはそのリンゴを拾い上げて親指と中指で持ちながら、朝日にかざしました。そして、「ここに月がある。」とつぶやかれたのです。そして、それと同時にそのリンゴを握り、次に手のひらを開けると、なんとリンゴは消えていて、その代わりに中央が厚く外縁が薄い半透明な円盤がありました。それは、キラキラと朝陽を反射し表面に微妙な色の違う長短の筋があり、また暗い部分や明るい部分、小さな点や大きな丸い点などの凹凸形状があり、それらが全て太陽の光によってとても美しく輝いていました。
そこにいた、全ての人はその美しさに見とれていました。
ババは「これは月のミニチュアで、月の成分から出来ている鏡だ。」と言われました。
でも、誰もその意味を測り知ることが出来なくて人々は競って質問を始めました。
ババは、「その円盤は表から見ると、月の地球から見た時の表面の地形の地図で、裏面はその反対側の地形を正確に表している地図になっており、天文学者がこれを拡大して見ると、すべての月の地形の特徴が、正確にこの円盤上にあるという事を理解出来るだろう」と言われました。しかも、光が当たるとそれは、鏡のように光を反射する代物ですが、ババは「この円盤の光を放っている物質は、月を構成している物質で作られているのだ。」と言われました。
この頃、車から運び出されていた朝食の準備が出来、女性たちが朝食の給餌を始めました。その時にその月の鏡は私の手の中にありましたので、それを胸ポケットに入れ、朝食を頂きました。朝食後、ババは私の胸ポケットから微笑みながら月の鏡を取り出して、再びそれを太陽にかざされました。すると、その鏡の半透明になった外縁から、黄金色の光が漏れてそれは、この世のものだとは思えぬほど美しい光景でした。ババはそれを、そこにいた人々に見せながら、月の夜明けだと言われました。
そして、ババは手のひらを閉じられて、開けるとそこには元の小さなリンゴがありました。
(Sanathana Sarathi、1974年5月より抄訳。 )
7月2日〔2004年〕はグルプルーニマーの神聖なお祭りです。この日、世界中の帰依者がグルに参拝し、永遠の平安への道へと導いてくださる世界教師であるバガヴァンに感謝の意を捧げます。もちろん、グルに対して感謝することは良いことですが、バガヴァン御自身は何を求めておられるのでしょう? 称賛はババにとって何の意味もなさないことを私たちは知っています。ババにとって本当に重要なのは、どれほど私たちがババによって示された道を歩んでいるかということです。そのことこそがババに捧げものをする最も素晴らしい方法であると、ババ御自身もおっしゃっています。画家や彫刻家がその作品によって知られるように、教師はその生徒によって知られます。グルはその弟子によって知られ、アヴァターはその帰依者によって知られるのです。主であるグルに全託し、その教えを実践する完璧な帰依者の中に、主の栄光は最も輝かしく映し出されます。このような帰依者は、神の愛としての変容をもたらす光の環に他の人たちを呼び戻す、要因、道具となります。グルに真に敬意を表するのはこのような帰依者であり、その一人がジョン・S・ヒスロップ博士なのです。
ジョン・S・ヒスロップ博士は、世界中にバガヴァンババのメッセージを広めるためにババによって用いられた、素晴らしい道具の一人でした。ヒスロップ博士は神智学と瞑想という道によってスワミのもとへ来ました。18歳の青年が太平洋のタヒチに冒険を求めて旅立った時にすべてが始まりました。タヒチで神智学について語る牧師に出会ったヒスロップ博士は、ロサンゼルスに戻るとすぐに、人類への奉仕を志して神智学協会に入会します。そして、彼はすぐに、神智学運動の柱であったアニー・ベサント博士によってカリフォルニア州オーハイに設立された協会に積極的に関わることになりました。
このオーハイで、ヒスロップ博士はインド出身のJ・クリシュナムルティに接触することになります。J・クリシュナムルティはアニー・ベサント博士によって「世界教師」の器として見定められていた人物です。この時の体験について、ヒスロップ博士はこう語っています。
「クリシュナムルティ氏とベサント博士は地平線を覆い尽くすような巨大な存在でした。私にとってこの二人は、いや、二人のみが、人生の真理を見出した存在であると思えました。私は、この至らない自分に対してベサント博士とクリシュナムルティ氏が大いなる忍耐と寛容さを示してくれたことに対して、感謝の念が尽きることはありません。しかし、クリシュナムルティ氏の学徒であったときの私には、英知は生まれてこなかったのです。」
その間、ヒスロップ博士は高等教育を受け、最終的にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の教育学部で博士号を取得しています。その後、しばらくの間、教壇に立っていましたが、後にビジネス界に身を転じ、そこで大成功を収めます。また彼は、哲学的悟りへの情熱を共に分かち合うことのできるヴィクトリアと結婚し、二人は連れ立ってグルを転々とした後、1950年代に、当時すでに西洋の新聞の見出しを飾っていたマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに行き着きます。しかし、その「何か」を求めて25年の歳月が過ぎましたが、その「何か」はまだ見つけられませんでした。
1958年、ヒスロップ博士は、マヘーシュ・ヨーギーがヒマラヤ山中に瞑想のための教育施設を設立するのを手伝うために、インドへとやって来ました。米国人であったために、ヒスロップ博士は、最初、CIA工作員(!)として疑われましたが、後に仕事をすることが許されました。その時点で、ヒスロップ博士は休暇を取ってビルマ(ミャンマー)へと向かい、仏教徒によって行われていたヴィパッサナー瞑想を学びました。ヒスロップ博士にはこの仏教形式の瞑想が魅力的で素晴らしいものとして感じられましたが、氏の言葉によれば、
「仏教徒の道は、知性とマインド〔心、思考〕の道でした。この修行法を見出したことへの感謝と喜びにもかかわらず、私のハートは干からびている、と私は感じていました。その西洋人のハートには、少しの愛しか残っていませんでした。私たち(ヒスロップ夫妻)は、ヴィパッサナー瞑想の規律は世俗の人間にとっては危険なものとなりかねず、この道を正統に歩むためには僧侶になるべきであるとも思い始めたのです。」
当時、ビルマは内向きの政策をとりはじめていて、外国人に対して門戸を閉ざしていました。ですから、ビルマに戻り僧侶となって滞在することは不可能であるように思えましたが、ヒスロップ博士はヴィパッサナー瞑想を固守していたため、他にとるべき道はありませんでした。その後数年が経ちました。
「妻と私は1968年に初めてババのことを聞きました。それは、インドを訪問したある女性から私の友人の一人に渡されたババに関する記述を通してでした。その女性は神聖灰(ヴィブーティ)と、ババの奇跡による彼女への美しい指輪の贈り物、そして興味深いたくさんの話を持ち帰っていました。ある特別な話が私の関心に火をつけました。その話とは、ババといる間、彼女は自身の人格に変化を感じ、その変化は自宅に戻ってからでさえも続いた、というものでした。この発言は私の心に強い印象を与えました。人のハートをも変えることができるような人物、大変微細でありながら大いなる影響力を備え、神秘的で、神聖な人が、今日、存在するというのでしょうか?
もし、そのような人が今日の世界に本当に生きているのなら、私の人生にとって、その人を探し出すことに勝る緊急の用件などあり得ませんでした。私はその御方の恩寵と慈悲を求め、その御方が私の乾いたハートに触れ、命溢れる活き活きとしたものとしてくださるよう祈りました。
妻と私は、とある月曜日にこうしたババの話を耳にしたのですが、同じ週に私たちはすでにインドへと向かう飛行機の中にいました。」
ヒスロップ博士の話は続きます。
「ババを見た瞬間に、私には何の疑いもなく、全知全能の真の源である存在がここにおわすと認識しました。ババとの最初の出会いの衝撃を言葉で言い表すことは難しく、ほとんど不可能に近いものがあります。私の存在そのものすべてが、深く影響を受けて変容しました。すぐに、ババは私の人生の中心となり、今日までずっとそうあり続けています。最初の出会いでのババの臨在の中で、世俗の世界は私から抜け落ち、私の全意識は内へと引き入れられ、気づきの最も微細なレベルにおいて、ババは私のハートに愛として現れました。愛は間違えようのないもので、ババがその愛であるということは、同様に間違えようのないものでした。私は、神のみが私のハートに愛として入り込むことができるのだと思えました。そして、それ以来、この神の臨在の感覚は決して変わることがありません。霊的な生活に対してはいつも理知的なアプローチをとっていた私でしたが、大変驚いたことに、ババに出会ってからは、瞬く間に信愛の道が私にとってきわめて自然なものとなったのでした。」
スワミはヒスロップ博士に数えきれないほどの体験を授け、神の顕現のあらゆる側面をヒスロップ博士が感じられるようにしました。ババはまた、ヒスロップ博士に数多くのインタビューを与え、博士の質問に詳細に答え、病気の際には救いに来られ、災難から守り、きわめて稀な物品を博士のために物質化し、クリシュナのヴィジョンという祝福すらも一度授けたことがありました。ここで、これらのうちの少しの例をヒスロップ博士自身の言葉でご紹介しましょう。ババによってヒスロップ博士に物質化された十字架についての有名なエピソードから始めたいと思います。興味深いことに、この十字架は1973年のマハーシヴァラートリの日に、森の奥深くで物質化されました!
この神聖な祭事は、通常であれば非常に多くの人々の前で行われるところを、その時、ババは少数のグループを連れ立ってほとんど私的な形で執り行いました。ヒスロップ博士がその時の記憶を呼び戻すのに耳を傾けましょう。
「十字架は、最も吉祥な日の一つであるマハーシヴァラートリの日に物質化されました。その前日の夕方、私たちは、翌朝早く旅立てるよう準備しておくように、そして、車に荷物が積まれ準備が整った段階で目的地を知ることになる、と言われました。スワミはほんの一握りのお供だけを連れていくと決められた、と。
私たちの目的地は、マイソール市から車で数時間離れたところにある、バンディプル森林公園内のバンディプル保護区域でした。私たちは午後の早い時間に森林公園内のレストハウスに到着しました。その後、野生の象の群れの一つに出くわすことを期待して、曲がりくねった様々な道を行きましたが、象たちは秘密の場所に隠れていて一頭も姿を現しませんでした。しかし、いくつもの丘を巡った車の旅には、もう一つのもっと重要な目的があったのです。
乾いた砂場となっている河原の上に架けられた橋を渡った時のことです。ババは、この場所であると指示なさいました。私たちは車を道路脇に停め、川の土手を下りて砂状の川底を目指しました。私はババのすぐ横にいました。茂みのそばを通った時に、スワミは2本の小枝を折り、それらを縦と横に交差させて、私に尋ねました。“ヒスロップ、これは何かね?”
“はて、スワミ、十字架です”と私は答えました。それからババは、指を曲げて小枝を載せた手のひらを閉じ、親指と人差し指の間から、握ったこぶしの中に、ややゆっくりめに息を3回吹きかけました。それから、ババは手を開いて十字架のキリストを見せ、それを私にくださいました。
ババはおっしゃいました。“これはキリストが肉体から離れた時の実際の姿を示しています。芸術家が想像した姿ではありません。お腹がへこみ、肋骨がすべて浮き出ています。彼は8日間何も食べていませんでした。”
私は十字架を見て絶句しました。ババは続けておっしゃいました。“この十字架は、実際にキリストが磔にされた木で作られています。2000年も経っていますから、その木を探すのに少々時間がかかりました! このキリストの像は彼が亡くなった後のものです。これは死に顔です。”
私は十字架に奇妙なものを見つけて尋ねました。“スワミ、十字架の上部にある穴は何でしょうか?”ババからの答えは、十字架は元々、支柱に掛けられていたのです、というものでした。」
十字架の物質化の後しばらくしてから、河原の砂地でシヴァラートリが執り行われました。帰依者たちがバジャンを歌い、ババは聖なる日の記念にリンガムを現出なさり、創造の重要性を示されました。通常執り行われるシヴァラートリとは大変な違いがありました。
二、三年経った後、アメリカ人帰依者数人が、ヒスロップ博士のために物資化された十字架についてスワミに尋ねたところ、ババは次のようにお答えになりました。
「ええ、それは彼のために物質化しました。私があの木〔実際に十字架として使われた木〕を探しに行くと、十字架の小片は自然分解して元素に戻っていました。私はそれらの元素に手を伸ばして、小さな十字架を作るのに十分な物質に復元しました。スワミが自然に介入するのはめったにないことですが、時たま、帰依者のためにそうすることもあるのです。」
十字架の物語は物質化だけに留まりませんでした。ヒスロップ博士は数か月後に奇妙な体験をします。物質化された十字架を友人数名に見せている時のことでした。ヒスロップ博士は次のように語っています。
「数週間も経たないうちに、私たちはメキシコの自宅に戻りました。そこでは間もなく、この十字架にまつわる驚くべき一連の出来事に遭遇することになったのです。(ある日の)午後5時近くのことでした。その日の午後は、メキシコ湾沿岸一帯の空は晴れていて穏やかでした。ところが、突然、何の前触れもなく雷が轟いたのです。窓の外に目を向けると、ほんの少し前までは晴れ渡っていた空に暗雲が立ち込め、稲妻が走りました。激しい風が家の中を吹き抜け、その猛烈な力で窓やドアがバタンバタンと開いたり閉じたりして、ガラスが割れそうなほどでした。カーテンは四方八方に吹き飛ばされました。私たちはこの突然の天候の変化に大変驚きましたが、妻がはっとして言いました。“今は午後5時、キリストが十字架で亡くなられた時間だわ。今、ここで起きていることは聖書に書かれていることよ。” しばらくしてから妻が聖書を持ってきて、私たちは関連する箇所が見つかるまでページをめくり続けました。そこには、キリストが命を手放した時、稲妻と雷を伴う激しい嵐が起こり、強風が神殿の垂れ幕(カーテン)を引き裂いた、と書かれていました。私たちは、今、目にしたものは自分たちの想像を遥かに超えた不思議な出来事だと結論付けました。目の前で繰り広げられた光景は、まさに十字架での磔にまつわる出来事の再現だったのです。翌日のサンディエゴの新聞には、エンセナーダ市近郊のメキシコ湾沿岸に起こった突然の奇妙な嵐についての短い報道が載っていました。一年ほど経って、その時の出来事をエルチ・B・ファニブンダ医師に、彼の執筆中の書籍『ヴィジョン・オブ・ザ・ディヴァイン』の資料として送りました。博士は私からのメモをババに見せ、ババはそのメモを読むと、その出来事は書かれている通りに起こった、その出来事の意味も書かれている通りで正しい、とおっしゃいました。」続く
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:2004年ラジオ サイ ジャーナル Vol.2 Issue13
*この十字架については、サティヤ サイ メール マガジン2012年1月号にも記事が掲載されています。 http://www.sathyasai.or.jp/mmg_cnt/201201/topic2.html
あなたは自分が人間であって、神のもとに行くのだと考えてはいけません。
それよりもあなたはもともと神で、人間になったと考えるほうが良いのです。
そのように考えることにより、神のさまざまな属性があなたを通じて現れてくることでしょう。
神であったあなたは人として下界し、そしてまた、最終的にもと来たところに戻っていくのだということを覚えておきなさい。MBAIp94
ポニョ:昨日の犬が井戸の飛び込んで自殺した話やけれど、おいらはあんまり好きじゃなかったな。だってめちゃ自分勝手やないか。井戸に勝手に飛び込むのは良いけれど後でその井戸の水を飲み水にしている人はどうなるねん?そういう犬は自己中の人間になって生まれ変わるんやろな。
ヨシオ:犬が神様に対してそこまで帰依や信仰心を持っているという話や。大体犬が井戸を使う人の事まで考えないやろ。それにすぐにカリカリ来るなよポニョ吉は。
ポニョ:それじゃ気をとり直そうか。今日の愛の物語シリーズは、ドクターヒスロップさんのお話です。あんたはヒスロップさんと会ったって言ってたな。
ヨシオ:最近も紹介したように、二人でレストランの外で車を待っている時に、ヒスロップさんが大きな指輪をされているのに気づいたのでそのアメジストの指輪を見せてもらったんや。その指輪に彫られた横顔はプレマサイの顔で、最初ババからもらった時は、後ろ姿やったのがだんだん時計と反対周りに顔を回り始めて、俺が見た時は両目まで見え始めていたな。その他、ヒスロップさんが体験された奇跡はいろいろあるけれど、俺が面白いと思ったのはヒマラヤに行かれた時に、突然崖っぷちに車を止めるように言われてババが一人で崖の方へ歩いて行かれたんや。すると絶壁の向こうにエレベーターがあるように綺麗な女性がするすると現れたんや。ババはその女性に、「大変長く待たせたね。」と言われて御足に触れさせたんや。するとその女性は何も言わずに、また崖の向こうにエレベーターに乗ったみたいに、するすると下に降りて行って消えてしまったんや。その女性を目撃した人々は、多分ガンジス川の女神ではないかと推測してたんや。
ポニョ:ふーん。不思議なストーリーやぜよ。おいらが聞いた話は、月の鏡の話や。聞いたことないか?
ヨシオ:半透明な月を出されて、それをヒスロップさんがポケットに入れていた話か?
ポニョ:ちょっとは知らん振りして、驚く真似でもしろや。会話が盛り上がれへんやないか。
ヨシオ:分かった。ほんまか?月を出されたって?どれくらいの大きさなんや?こんなもんか?
ポニョ:もうええっちゅうに。その話は1973年12月8日の早朝に、スワミとヒスロップさんを乗せた車がホワイトフィールドに行くためにプラシャーンティ・ニラヤムを出発した時から始まりました。 ババは運転手に道を外れて進むように言いました。すると木々で囲まれたピクニックエリアに出ました。ババはそのピクニックエリアに生えていたリンゴの木になっているリンゴを落とすように言いました。皆は上の方の枝に付いている大きなリンゴをめがけて石を投げたりして必死でリンゴを取ろうとしていたのですが、誰も成功しませんでした。しかし、直径五センチほどの小さなリンゴが落ちて来ました。ババはそのリンゴを拾い上げて親指と中指で持ちながら、朝日にかざしました。そして、「ここに月がある。」とつぶやかれたのです。そして、それと同時にそのリンゴを握り、次に手のひらを開けると、なんとリンゴは消えていて、その代わりに中央が厚く外縁が薄い半透明な円盤がありました。それは、キラキラと朝陽を反射し表面に微妙な色の違う長短の筋があり、また暗い部分や明るい部分、小さな点や大きな丸い点などの凹凸形状があり、それらが全て太陽の光によってとても美しく輝いていました。
そこにいた、全ての人はその美しさに見とれていました。
ババは「これは月のミニチュアで、月の成分から出来ている鏡だ。」と言われました。
でも、誰もその意味を測り知ることが出来なくて人々は競って質問を始めました。
ババは、「その円盤は表から見ると、月の地球から見た時の表面の地形の地図で、裏面はその反対側の地形を正確に表している地図になっており、天文学者がこれを拡大して見ると、すべての月の地形の特徴が、正確にこの円盤上にあるという事を理解出来るだろう」と言われました。しかも、光が当たるとそれは、鏡のように光を反射する代物ですが、ババは「この円盤の光を放っている物質は、月を構成している物質で作られているのだ。」と言われました。
この頃、車から運び出されていた朝食の準備が出来、女性たちが朝食の給餌を始めました。その時にその月の鏡は私の手の中にありましたので、それを胸ポケットに入れ、朝食を頂きました。朝食後、ババは私の胸ポケットから微笑みながら月の鏡を取り出して、再びそれを太陽にかざされました。すると、その鏡の半透明になった外縁から、黄金色の光が漏れてそれは、この世のものだとは思えぬほど美しい光景でした。ババはそれを、そこにいた人々に見せながら、月の夜明けだと言われました。
そして、ババは手のひらを閉じられて、開けるとそこには元の小さなリンゴがありました。
(Sanathana Sarathi、1974年5月より抄訳。 )
7月2日〔2004年〕はグルプルーニマーの神聖なお祭りです。この日、世界中の帰依者がグルに参拝し、永遠の平安への道へと導いてくださる世界教師であるバガヴァンに感謝の意を捧げます。もちろん、グルに対して感謝することは良いことですが、バガヴァン御自身は何を求めておられるのでしょう? 称賛はババにとって何の意味もなさないことを私たちは知っています。ババにとって本当に重要なのは、どれほど私たちがババによって示された道を歩んでいるかということです。そのことこそがババに捧げものをする最も素晴らしい方法であると、ババ御自身もおっしゃっています。画家や彫刻家がその作品によって知られるように、教師はその生徒によって知られます。グルはその弟子によって知られ、アヴァターはその帰依者によって知られるのです。主であるグルに全託し、その教えを実践する完璧な帰依者の中に、主の栄光は最も輝かしく映し出されます。このような帰依者は、神の愛としての変容をもたらす光の環に他の人たちを呼び戻す、要因、道具となります。グルに真に敬意を表するのはこのような帰依者であり、その一人がジョン・S・ヒスロップ博士なのです。
ジョン・S・ヒスロップ博士は、世界中にバガヴァンババのメッセージを広めるためにババによって用いられた、素晴らしい道具の一人でした。ヒスロップ博士は神智学と瞑想という道によってスワミのもとへ来ました。18歳の青年が太平洋のタヒチに冒険を求めて旅立った時にすべてが始まりました。タヒチで神智学について語る牧師に出会ったヒスロップ博士は、ロサンゼルスに戻るとすぐに、人類への奉仕を志して神智学協会に入会します。そして、彼はすぐに、神智学運動の柱であったアニー・ベサント博士によってカリフォルニア州オーハイに設立された協会に積極的に関わることになりました。
このオーハイで、ヒスロップ博士はインド出身のJ・クリシュナムルティに接触することになります。J・クリシュナムルティはアニー・ベサント博士によって「世界教師」の器として見定められていた人物です。この時の体験について、ヒスロップ博士はこう語っています。
「クリシュナムルティ氏とベサント博士は地平線を覆い尽くすような巨大な存在でした。私にとってこの二人は、いや、二人のみが、人生の真理を見出した存在であると思えました。私は、この至らない自分に対してベサント博士とクリシュナムルティ氏が大いなる忍耐と寛容さを示してくれたことに対して、感謝の念が尽きることはありません。しかし、クリシュナムルティ氏の学徒であったときの私には、英知は生まれてこなかったのです。」
その間、ヒスロップ博士は高等教育を受け、最終的にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の教育学部で博士号を取得しています。その後、しばらくの間、教壇に立っていましたが、後にビジネス界に身を転じ、そこで大成功を収めます。また彼は、哲学的悟りへの情熱を共に分かち合うことのできるヴィクトリアと結婚し、二人は連れ立ってグルを転々とした後、1950年代に、当時すでに西洋の新聞の見出しを飾っていたマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに行き着きます。しかし、その「何か」を求めて25年の歳月が過ぎましたが、その「何か」はまだ見つけられませんでした。
1958年、ヒスロップ博士は、マヘーシュ・ヨーギーがヒマラヤ山中に瞑想のための教育施設を設立するのを手伝うために、インドへとやって来ました。米国人であったために、ヒスロップ博士は、最初、CIA工作員(!)として疑われましたが、後に仕事をすることが許されました。その時点で、ヒスロップ博士は休暇を取ってビルマ(ミャンマー)へと向かい、仏教徒によって行われていたヴィパッサナー瞑想を学びました。ヒスロップ博士にはこの仏教形式の瞑想が魅力的で素晴らしいものとして感じられましたが、氏の言葉によれば、
「仏教徒の道は、知性とマインド〔心、思考〕の道でした。この修行法を見出したことへの感謝と喜びにもかかわらず、私のハートは干からびている、と私は感じていました。その西洋人のハートには、少しの愛しか残っていませんでした。私たち(ヒスロップ夫妻)は、ヴィパッサナー瞑想の規律は世俗の人間にとっては危険なものとなりかねず、この道を正統に歩むためには僧侶になるべきであるとも思い始めたのです。」
当時、ビルマは内向きの政策をとりはじめていて、外国人に対して門戸を閉ざしていました。ですから、ビルマに戻り僧侶となって滞在することは不可能であるように思えましたが、ヒスロップ博士はヴィパッサナー瞑想を固守していたため、他にとるべき道はありませんでした。その後数年が経ちました。
「妻と私は1968年に初めてババのことを聞きました。それは、インドを訪問したある女性から私の友人の一人に渡されたババに関する記述を通してでした。その女性は神聖灰(ヴィブーティ)と、ババの奇跡による彼女への美しい指輪の贈り物、そして興味深いたくさんの話を持ち帰っていました。ある特別な話が私の関心に火をつけました。その話とは、ババといる間、彼女は自身の人格に変化を感じ、その変化は自宅に戻ってからでさえも続いた、というものでした。この発言は私の心に強い印象を与えました。人のハートをも変えることができるような人物、大変微細でありながら大いなる影響力を備え、神秘的で、神聖な人が、今日、存在するというのでしょうか?
もし、そのような人が今日の世界に本当に生きているのなら、私の人生にとって、その人を探し出すことに勝る緊急の用件などあり得ませんでした。私はその御方の恩寵と慈悲を求め、その御方が私の乾いたハートに触れ、命溢れる活き活きとしたものとしてくださるよう祈りました。
妻と私は、とある月曜日にこうしたババの話を耳にしたのですが、同じ週に私たちはすでにインドへと向かう飛行機の中にいました。」
ヒスロップ博士の話は続きます。
「ババを見た瞬間に、私には何の疑いもなく、全知全能の真の源である存在がここにおわすと認識しました。ババとの最初の出会いの衝撃を言葉で言い表すことは難しく、ほとんど不可能に近いものがあります。私の存在そのものすべてが、深く影響を受けて変容しました。すぐに、ババは私の人生の中心となり、今日までずっとそうあり続けています。最初の出会いでのババの臨在の中で、世俗の世界は私から抜け落ち、私の全意識は内へと引き入れられ、気づきの最も微細なレベルにおいて、ババは私のハートに愛として現れました。愛は間違えようのないもので、ババがその愛であるということは、同様に間違えようのないものでした。私は、神のみが私のハートに愛として入り込むことができるのだと思えました。そして、それ以来、この神の臨在の感覚は決して変わることがありません。霊的な生活に対してはいつも理知的なアプローチをとっていた私でしたが、大変驚いたことに、ババに出会ってからは、瞬く間に信愛の道が私にとってきわめて自然なものとなったのでした。」
スワミはヒスロップ博士に数えきれないほどの体験を授け、神の顕現のあらゆる側面をヒスロップ博士が感じられるようにしました。ババはまた、ヒスロップ博士に数多くのインタビューを与え、博士の質問に詳細に答え、病気の際には救いに来られ、災難から守り、きわめて稀な物品を博士のために物質化し、クリシュナのヴィジョンという祝福すらも一度授けたことがありました。ここで、これらのうちの少しの例をヒスロップ博士自身の言葉でご紹介しましょう。ババによってヒスロップ博士に物質化された十字架についての有名なエピソードから始めたいと思います。興味深いことに、この十字架は1973年のマハーシヴァラートリの日に、森の奥深くで物質化されました!
この神聖な祭事は、通常であれば非常に多くの人々の前で行われるところを、その時、ババは少数のグループを連れ立ってほとんど私的な形で執り行いました。ヒスロップ博士がその時の記憶を呼び戻すのに耳を傾けましょう。
「十字架は、最も吉祥な日の一つであるマハーシヴァラートリの日に物質化されました。その前日の夕方、私たちは、翌朝早く旅立てるよう準備しておくように、そして、車に荷物が積まれ準備が整った段階で目的地を知ることになる、と言われました。スワミはほんの一握りのお供だけを連れていくと決められた、と。
私たちの目的地は、マイソール市から車で数時間離れたところにある、バンディプル森林公園内のバンディプル保護区域でした。私たちは午後の早い時間に森林公園内のレストハウスに到着しました。その後、野生の象の群れの一つに出くわすことを期待して、曲がりくねった様々な道を行きましたが、象たちは秘密の場所に隠れていて一頭も姿を現しませんでした。しかし、いくつもの丘を巡った車の旅には、もう一つのもっと重要な目的があったのです。
乾いた砂場となっている河原の上に架けられた橋を渡った時のことです。ババは、この場所であると指示なさいました。私たちは車を道路脇に停め、川の土手を下りて砂状の川底を目指しました。私はババのすぐ横にいました。茂みのそばを通った時に、スワミは2本の小枝を折り、それらを縦と横に交差させて、私に尋ねました。“ヒスロップ、これは何かね?”
“はて、スワミ、十字架です”と私は答えました。それからババは、指を曲げて小枝を載せた手のひらを閉じ、親指と人差し指の間から、握ったこぶしの中に、ややゆっくりめに息を3回吹きかけました。それから、ババは手を開いて十字架のキリストを見せ、それを私にくださいました。
ババはおっしゃいました。“これはキリストが肉体から離れた時の実際の姿を示しています。芸術家が想像した姿ではありません。お腹がへこみ、肋骨がすべて浮き出ています。彼は8日間何も食べていませんでした。”
私は十字架を見て絶句しました。ババは続けておっしゃいました。“この十字架は、実際にキリストが磔にされた木で作られています。2000年も経っていますから、その木を探すのに少々時間がかかりました! このキリストの像は彼が亡くなった後のものです。これは死に顔です。”
私は十字架に奇妙なものを見つけて尋ねました。“スワミ、十字架の上部にある穴は何でしょうか?”ババからの答えは、十字架は元々、支柱に掛けられていたのです、というものでした。」
十字架の物質化の後しばらくしてから、河原の砂地でシヴァラートリが執り行われました。帰依者たちがバジャンを歌い、ババは聖なる日の記念にリンガムを現出なさり、創造の重要性を示されました。通常執り行われるシヴァラートリとは大変な違いがありました。
二、三年経った後、アメリカ人帰依者数人が、ヒスロップ博士のために物資化された十字架についてスワミに尋ねたところ、ババは次のようにお答えになりました。
「ええ、それは彼のために物質化しました。私があの木〔実際に十字架として使われた木〕を探しに行くと、十字架の小片は自然分解して元素に戻っていました。私はそれらの元素に手を伸ばして、小さな十字架を作るのに十分な物質に復元しました。スワミが自然に介入するのはめったにないことですが、時たま、帰依者のためにそうすることもあるのです。」
十字架の物語は物質化だけに留まりませんでした。ヒスロップ博士は数か月後に奇妙な体験をします。物質化された十字架を友人数名に見せている時のことでした。ヒスロップ博士は次のように語っています。
「数週間も経たないうちに、私たちはメキシコの自宅に戻りました。そこでは間もなく、この十字架にまつわる驚くべき一連の出来事に遭遇することになったのです。(ある日の)午後5時近くのことでした。その日の午後は、メキシコ湾沿岸一帯の空は晴れていて穏やかでした。ところが、突然、何の前触れもなく雷が轟いたのです。窓の外に目を向けると、ほんの少し前までは晴れ渡っていた空に暗雲が立ち込め、稲妻が走りました。激しい風が家の中を吹き抜け、その猛烈な力で窓やドアがバタンバタンと開いたり閉じたりして、ガラスが割れそうなほどでした。カーテンは四方八方に吹き飛ばされました。私たちはこの突然の天候の変化に大変驚きましたが、妻がはっとして言いました。“今は午後5時、キリストが十字架で亡くなられた時間だわ。今、ここで起きていることは聖書に書かれていることよ。” しばらくしてから妻が聖書を持ってきて、私たちは関連する箇所が見つかるまでページをめくり続けました。そこには、キリストが命を手放した時、稲妻と雷を伴う激しい嵐が起こり、強風が神殿の垂れ幕(カーテン)を引き裂いた、と書かれていました。私たちは、今、目にしたものは自分たちの想像を遥かに超えた不思議な出来事だと結論付けました。目の前で繰り広げられた光景は、まさに十字架での磔にまつわる出来事の再現だったのです。翌日のサンディエゴの新聞には、エンセナーダ市近郊のメキシコ湾沿岸に起こった突然の奇妙な嵐についての短い報道が載っていました。一年ほど経って、その時の出来事をエルチ・B・ファニブンダ医師に、彼の執筆中の書籍『ヴィジョン・オブ・ザ・ディヴァイン』の資料として送りました。博士は私からのメモをババに見せ、ババはそのメモを読むと、その出来事は書かれている通りに起こった、その出来事の意味も書かれている通りで正しい、とおっしゃいました。」続く
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:2004年ラジオ サイ ジャーナル Vol.2 Issue13
*この十字架については、サティヤ サイ メール マガジン2012年1月号にも記事が掲載されています。 http://www.sathyasai.or.jp/mmg_cnt/201201/topic2.html
あなたは自分が人間であって、神のもとに行くのだと考えてはいけません。
それよりもあなたはもともと神で、人間になったと考えるほうが良いのです。
そのように考えることにより、神のさまざまな属性があなたを通じて現れてくることでしょう。
神であったあなたは人として下界し、そしてまた、最終的にもと来たところに戻っていくのだということを覚えておきなさい。MBAIp94