蓮華座を組んで座り、ムーラーダーラー・チャクラにあるクンダリーニーシャクティを呼び覚まし、、それを大泉門にあるサハスラーラーチャクラに導こうとすることは、真の瞑想ではありません。真の瞑想とは、あらゆる場所{や人}の中に神の存在を認め、その意識を、私たちの行う小さな一つ一つの仕事の中にまで、表現することです。PN
ポニョ:ヨーガ教室で、呼吸の仕方も習ったぜよ。息を吸って止めて、その息を出すんやけれど、それぞれの三つの段階で何秒か決まった時間をかけてやるんや。でも、肺機能に障害が出るので、インストラクターがいないところでは絶対にやったらダメだと言っていたな。
吸気と排気と息を止めるのは同じ長さの時間でなければなりません。
これを行う過程においては、すべてが無理なく自然に行われなければなりません。
~肺と脳がダメージを受けないようにしなければなりません。SSIB1993p, 92
ヨシオ:今の世界はグルと呼ばれている人が多過ぎて、それぞれいろんなアドバイスを好き勝手にやっているから、先ず正しい霊的な導きをしてくれるグルを見つけるのが大変やもんな。
ポニョ:間違ったグルに付いて間違った瞑想法をして、廃人になってしまった人もいるぜよ。
すべてのグルと呼ばれている人を誠実という試金石で試しなさい。
単に言葉の上だけではなく、実際の行動上で各々がどれくらい煩悩を捨てているか御覧なさい。試した上で、彼らの忠告を受け入れ、それをあなたの日々の行為に取り入れなさい。
重要なことは、実践であって学識ではありません。真善美pt2p115
ヨシオ:ババもそういうことを言っておられたな。一番霊的に高いところから降りて来られたババに師事出来て俺たちはラッキーやな。
ポニョ:ババは、神さんがグルの中のグルやから、神さんに直接師事すれば全ての面倒を見てくれるって言っておられる。特に呼吸の制御の修行は、自分勝手にやると危険が危ないと言っておられるぜよ。
呼吸の制御の修行はグルの管理と指導のもとに、正確で完全な方法で執り行わなければなりません。
この修行には、三つの段階があります。
一つ目は、吸息です。
二つ目は息を止める保息。
三つ目は呼息です。
これら三つの段階に費やす時間は同じでなければなりません。
人体の脊柱上には、シャド・チャクラと呼ばれる生命を維持する六つのポイントがあります。
一番低いところに位置するのはムーラーダーラー・チャクラと呼ばれる、生命を維持する根本的、根源的なポイントです。
プラーナーヤーマでは、二番目の段階である保息をしている間に、シャドチャクラを通過する空気の供給が欠乏するために、クンダリーニーが目覚め動き出して上昇し始めます。
最上部には、サハスラーラチャクラすなわち「大泉門」があります。
そこには花びらに囲まれた神聖な光りが存在しています。STPSp213
ヨシオ:それに、ババのところに来る人はいろんなレベルの霊性修行者がやって来るから、その人のレベルに応じてババはアドバイスされるんや。だからある人に言っておられる事を、違う人には別の事を言われる場合だってあるんや。例えば、息を吸って止めて出すプラナーヤーマという修行も、普通の人へのアドバイスと、もう長年呼吸をコントロールする修行をやって来た苦行者へのアドバイスは違うんや。
多くのプラナーヤーマがありますが現代ではその多くは実践することができません。
プラナーヤーマには二種類あり一つはマントラを唱え、もう一つは唱えません。
マントラを唱えない方はせいぜい、健康を改善するだけです。
一方唱えつつするほうは、心をも変えることができるのです。
その方法は、2秒で息を吸い、8秒間息を止め、4秒間で吐きます。
これを3ヶ月間注意深く繰り返します。
その後、それらの持続時間を倍にします。それを6ヶ月続ければ、感覚の動きは落ち着いてきます。
信念を持って行わなければ、単なる体の健康が改善されるだけです。SIP5-9
ポニョ:マントラを唱えながらプラナーヤーマをするってどうするんやろか?
ヨシオ:ババはソーハムマントラを勧めておられるな。息を吸う時にソーと言って息を止め、出す時にハームと唱えるんや。
ポニョ:ソーハムって何処かのハムの会社が新発売したベジハムの事か?なんでベジハムがマントラやねん。
ヨシオ:そんな訳が無いやろ。すぐに何でも食べ物と結び付けるからな。でも、そんな名前のベジハムっていいよな。実は、ソーハムという直訳の意味は、彼(ソー)は私(ハム)なんや。つまり、私は神なりと言っているんやけれど、そのマントラを何度も繰り返して唱えるとやがて自然にオームマントラになって行くんや。もちろん、サイラムマントラでも良い。サーイと唱えながら息を吸って止め、ラームと唱えながら息を吐くんや。
ポニョ:今度、トライしてみよかな。でも、ババが一体どのレベルの人に、どういう状況で言われたということを考慮した上で、ババの講話や帰依者に言われた事を聞くことが大切やもんな。
ヨシオ:でないと、ババが言われた言葉を使ってお互いを非難したりするような状況が生まれたりすることがあるんや。例えば俺がシヴァ神は浄性で、ヴィシュヌ神は激性で、ブラフマ神は鈍性だって言うと、いやババは講話でそうは言っていないと言って、ババの講話の中からその部分を探しだしたりする人がいるけれど、でも、さっきも言ったようにババはレベルの違う人には違うアドバイスをされるので、実際はいろんなバージョンがあって俺はその中でババが、人々はビシュヌ神が浄性だと言っているが本当はシヴァ神が浄性なのだ、と言っておられるのを採用しているんや。実際よく考えたらそうやから。
ポニョ:ババの言葉であっても、自分の頭で検証して受け入れなさいと言われているもんな。何でも盲目は良くないぜよ。形而上的に受け入れると逆に危険やぜよ。呼吸法の話に戻るけれど、息を吸う時に片方の鼻の穴から吸って、出す時にもう片方の穴から出す呼吸法もヨーガ教室で教えてもらったな。
ヨシオ:その方法は、ババも言っておられたな。確かにそうすると呼吸に集中しなくてはいけないから、心が一点に集中する事が出来るからな。でも、それは瞑想に入る前に心を集中さす為のもので、車で言えばエンジンのウオームアップのようなものなんや。
呼吸が鼻孔に入ったり出たりする過程に注意を向ける仏陀の方法は、初歩的なものにすぎず、瞑想を始める前の何分間か行うだけのものです。CWSSBp103
ポニョ:おいらが最初にその話を聞いた時に、どのようにして一方の鼻の穴からだけ息を吸って、もう一つの穴からだけ息を出せるのか不思議やったぜよ。おいらが知らなかっただけで、全ての人間には鼻の奥に弁でも付いているのかなって思ったぜよ。
ヨシオ:アホか、ポニョは。そんなのが付いている訳が無いやろ。
ポニョ:それで、インストラクターの人がデモンストレーションをしてくれた時に初めて、手を鼻の前に持ってきて鼻を片方づつ摘まんで息を吸ったり吐いたりするんだって分かって安心した。それまで、人には付いているのに、自分の鼻の穴の中にだけ弁が付いていなかったらどうしようって心配になったぜよ。
ヨシオ:でも、鼻の中に弁が付いていたら便利かもしれんな。水に潜った時に、水が鼻に入って来ないやろ。
ポニョ:そうやな。それに、誰かがオナラをしても鼻をつままなくてもええもんな。
ヨシオ:…ポニョは、ほんまに実用主義者やな。
ポニョ:でも、どうして呼吸のコントロールの修行がそれほど危険なんやろか?
ヨシオ:以前も記事にしたように、このプラナーヤーマという修行はクンダリーニのパワーを目覚めさせる修行と結びついているんや。つまり徐々に呼吸のスピードを遅くして血液中の酸素の量を少なくして行くと、脳の中の酸素も当然減って行くやろ。すると頭がボーっとなって来て肉体から、霊力が分離しやすくなり、霊的な力を呼び起こすことが出来るんや。そして、背柱の中にある六つのチャクラの中をクンダリーニのパワーが目覚めて昇り始めるんや。その時に、脳内酸素の量が減り過ぎて脳細胞が修復されないレベルまでに破壊されると、その人は廃人になってしまうんや。
ポニョ:それは、危険が危ないな。そう言えば、ヒマラヤのような空気の薄いところを登山している人が、登山中に頭がボーッとなった時に神聖体験をしたっていう手記を読んだ事があるな。
すべての条件が厳密に整っていなければ、プラナヤーマを実践する事は危険です。プラナヤーマを行う必要性もありませんし、スワミはそれを行わないことを勧めます。第九番目から十二番目の椎骨までの間の領域は特に敏感です。そこを損傷すると、全身が麻痺してしまう可能性があります。CWSSBJp252
ヨシオ:だから、この修行は高度の修行を積んだグルの指導の下でやらなければダメなんや。しかも、その修行ができる資格がある修行者は一定の霊的レベルに達している者に限られるんや。というのも、さっきも言ったように、この修行をやり続けて行くとクンダリーニのパワーをコントロール出来るようになるので、この世にまだ欲望や執着がある者が、そのクンダリーニのパワーを得るようなことになると、そのパワーを間違った方向に使ってしまい、本人にとっても有害であるばかりではなく、そのような人は社会にとっても有害な存在になってしまうんや。だから、この宇宙は全ては神さんだと悟っている霊的レベルの高い者しかこの修行をしてはならないんや。
プラーナーヤーマとは、通常、吸う息と吐く息をコントロールし、規則的に呼吸することを意味します。このプラーナーヤーマは、この全宇宙を「実在しないもの」であると見なす者のみに可能なことなのです。PVp114
ポニョ:そうなんや。クンダリーニのパワーか...。一体どんなパワーなんやろか?
ヨシオ:以前も言ったけれど、背骨を蛇のようにクルクルと回ってクンダリーニのパワーは上ってきて最後に頭頂にある大泉門にあるサハスラーラーチャクラに達するけれど、そのサハスラーラーチャクラは、千枚の花弁がついた蓮華の花のようなもので、人が鬼のような性質を持つと、それらの花びらが中央の神聖な光りに触れ、逆に人が神の性質を持ち始めると、神聖な光りの方から花びらに触れ始めるんや。だから、悪人であろうが、聖者であろうが、苦行を積めばこのパワーを得ることが出来るんやけれど、そのパワー欲しさに瞑想をしたり、苦行をしたりするのは邪道中の邪道なんや。そんなのを決して霊性修行って言わないんや。
ポニョ:洞窟にこもって瞑想をし、超人的なパワーを身につけるのが、ヨギ(霊性修行者)だってイメージがあるもんな。それじゃ本当のヨギ、最高のヨギってどんな人の事なんやろか?
「自分が万人の内にあるという意識を育て、万人が自分の内にあるという一体感を培うのだ。そうすれば、お前は全てのヨーガに取り組んで、成功を収めることができるだろう。その時お前は、私と他人、アートマと神我などのようなあらゆる区別からも開放される。そうなれば、他者の喜びや悲しみが自分のものとして感じられるようになり、決して他者を傷つけることが出来なくなる。その時、あらゆるものは神である、という自覚の上に立つことが出来、全てのものを愛することが出来るのだ。」クリシュナ神は、このようなビジョンを得ることが出来た者こそは、最高のヨーギであると宣言しました。11章ギータバヒニ
ポニョ:ヨーガ教室で、呼吸の仕方も習ったぜよ。息を吸って止めて、その息を出すんやけれど、それぞれの三つの段階で何秒か決まった時間をかけてやるんや。でも、肺機能に障害が出るので、インストラクターがいないところでは絶対にやったらダメだと言っていたな。
吸気と排気と息を止めるのは同じ長さの時間でなければなりません。
これを行う過程においては、すべてが無理なく自然に行われなければなりません。
~肺と脳がダメージを受けないようにしなければなりません。SSIB1993p, 92
ヨシオ:今の世界はグルと呼ばれている人が多過ぎて、それぞれいろんなアドバイスを好き勝手にやっているから、先ず正しい霊的な導きをしてくれるグルを見つけるのが大変やもんな。
ポニョ:間違ったグルに付いて間違った瞑想法をして、廃人になってしまった人もいるぜよ。
すべてのグルと呼ばれている人を誠実という試金石で試しなさい。
単に言葉の上だけではなく、実際の行動上で各々がどれくらい煩悩を捨てているか御覧なさい。試した上で、彼らの忠告を受け入れ、それをあなたの日々の行為に取り入れなさい。
重要なことは、実践であって学識ではありません。真善美pt2p115
ヨシオ:ババもそういうことを言っておられたな。一番霊的に高いところから降りて来られたババに師事出来て俺たちはラッキーやな。
ポニョ:ババは、神さんがグルの中のグルやから、神さんに直接師事すれば全ての面倒を見てくれるって言っておられる。特に呼吸の制御の修行は、自分勝手にやると危険が危ないと言っておられるぜよ。
呼吸の制御の修行はグルの管理と指導のもとに、正確で完全な方法で執り行わなければなりません。
この修行には、三つの段階があります。
一つ目は、吸息です。
二つ目は息を止める保息。
三つ目は呼息です。
これら三つの段階に費やす時間は同じでなければなりません。
人体の脊柱上には、シャド・チャクラと呼ばれる生命を維持する六つのポイントがあります。
一番低いところに位置するのはムーラーダーラー・チャクラと呼ばれる、生命を維持する根本的、根源的なポイントです。
プラーナーヤーマでは、二番目の段階である保息をしている間に、シャドチャクラを通過する空気の供給が欠乏するために、クンダリーニーが目覚め動き出して上昇し始めます。
最上部には、サハスラーラチャクラすなわち「大泉門」があります。
そこには花びらに囲まれた神聖な光りが存在しています。STPSp213
ヨシオ:それに、ババのところに来る人はいろんなレベルの霊性修行者がやって来るから、その人のレベルに応じてババはアドバイスされるんや。だからある人に言っておられる事を、違う人には別の事を言われる場合だってあるんや。例えば、息を吸って止めて出すプラナーヤーマという修行も、普通の人へのアドバイスと、もう長年呼吸をコントロールする修行をやって来た苦行者へのアドバイスは違うんや。
多くのプラナーヤーマがありますが現代ではその多くは実践することができません。
プラナーヤーマには二種類あり一つはマントラを唱え、もう一つは唱えません。
マントラを唱えない方はせいぜい、健康を改善するだけです。
一方唱えつつするほうは、心をも変えることができるのです。
その方法は、2秒で息を吸い、8秒間息を止め、4秒間で吐きます。
これを3ヶ月間注意深く繰り返します。
その後、それらの持続時間を倍にします。それを6ヶ月続ければ、感覚の動きは落ち着いてきます。
信念を持って行わなければ、単なる体の健康が改善されるだけです。SIP5-9
ポニョ:マントラを唱えながらプラナーヤーマをするってどうするんやろか?
ヨシオ:ババはソーハムマントラを勧めておられるな。息を吸う時にソーと言って息を止め、出す時にハームと唱えるんや。
ポニョ:ソーハムって何処かのハムの会社が新発売したベジハムの事か?なんでベジハムがマントラやねん。
ヨシオ:そんな訳が無いやろ。すぐに何でも食べ物と結び付けるからな。でも、そんな名前のベジハムっていいよな。実は、ソーハムという直訳の意味は、彼(ソー)は私(ハム)なんや。つまり、私は神なりと言っているんやけれど、そのマントラを何度も繰り返して唱えるとやがて自然にオームマントラになって行くんや。もちろん、サイラムマントラでも良い。サーイと唱えながら息を吸って止め、ラームと唱えながら息を吐くんや。
ポニョ:今度、トライしてみよかな。でも、ババが一体どのレベルの人に、どういう状況で言われたということを考慮した上で、ババの講話や帰依者に言われた事を聞くことが大切やもんな。
ヨシオ:でないと、ババが言われた言葉を使ってお互いを非難したりするような状況が生まれたりすることがあるんや。例えば俺がシヴァ神は浄性で、ヴィシュヌ神は激性で、ブラフマ神は鈍性だって言うと、いやババは講話でそうは言っていないと言って、ババの講話の中からその部分を探しだしたりする人がいるけれど、でも、さっきも言ったようにババはレベルの違う人には違うアドバイスをされるので、実際はいろんなバージョンがあって俺はその中でババが、人々はビシュヌ神が浄性だと言っているが本当はシヴァ神が浄性なのだ、と言っておられるのを採用しているんや。実際よく考えたらそうやから。
ポニョ:ババの言葉であっても、自分の頭で検証して受け入れなさいと言われているもんな。何でも盲目は良くないぜよ。形而上的に受け入れると逆に危険やぜよ。呼吸法の話に戻るけれど、息を吸う時に片方の鼻の穴から吸って、出す時にもう片方の穴から出す呼吸法もヨーガ教室で教えてもらったな。
ヨシオ:その方法は、ババも言っておられたな。確かにそうすると呼吸に集中しなくてはいけないから、心が一点に集中する事が出来るからな。でも、それは瞑想に入る前に心を集中さす為のもので、車で言えばエンジンのウオームアップのようなものなんや。
呼吸が鼻孔に入ったり出たりする過程に注意を向ける仏陀の方法は、初歩的なものにすぎず、瞑想を始める前の何分間か行うだけのものです。CWSSBp103
ポニョ:おいらが最初にその話を聞いた時に、どのようにして一方の鼻の穴からだけ息を吸って、もう一つの穴からだけ息を出せるのか不思議やったぜよ。おいらが知らなかっただけで、全ての人間には鼻の奥に弁でも付いているのかなって思ったぜよ。
ヨシオ:アホか、ポニョは。そんなのが付いている訳が無いやろ。
ポニョ:それで、インストラクターの人がデモンストレーションをしてくれた時に初めて、手を鼻の前に持ってきて鼻を片方づつ摘まんで息を吸ったり吐いたりするんだって分かって安心した。それまで、人には付いているのに、自分の鼻の穴の中にだけ弁が付いていなかったらどうしようって心配になったぜよ。
ヨシオ:でも、鼻の中に弁が付いていたら便利かもしれんな。水に潜った時に、水が鼻に入って来ないやろ。
ポニョ:そうやな。それに、誰かがオナラをしても鼻をつままなくてもええもんな。
ヨシオ:…ポニョは、ほんまに実用主義者やな。
ポニョ:でも、どうして呼吸のコントロールの修行がそれほど危険なんやろか?
ヨシオ:以前も記事にしたように、このプラナーヤーマという修行はクンダリーニのパワーを目覚めさせる修行と結びついているんや。つまり徐々に呼吸のスピードを遅くして血液中の酸素の量を少なくして行くと、脳の中の酸素も当然減って行くやろ。すると頭がボーっとなって来て肉体から、霊力が分離しやすくなり、霊的な力を呼び起こすことが出来るんや。そして、背柱の中にある六つのチャクラの中をクンダリーニのパワーが目覚めて昇り始めるんや。その時に、脳内酸素の量が減り過ぎて脳細胞が修復されないレベルまでに破壊されると、その人は廃人になってしまうんや。
ポニョ:それは、危険が危ないな。そう言えば、ヒマラヤのような空気の薄いところを登山している人が、登山中に頭がボーッとなった時に神聖体験をしたっていう手記を読んだ事があるな。
すべての条件が厳密に整っていなければ、プラナヤーマを実践する事は危険です。プラナヤーマを行う必要性もありませんし、スワミはそれを行わないことを勧めます。第九番目から十二番目の椎骨までの間の領域は特に敏感です。そこを損傷すると、全身が麻痺してしまう可能性があります。CWSSBJp252
ヨシオ:だから、この修行は高度の修行を積んだグルの指導の下でやらなければダメなんや。しかも、その修行ができる資格がある修行者は一定の霊的レベルに達している者に限られるんや。というのも、さっきも言ったように、この修行をやり続けて行くとクンダリーニのパワーをコントロール出来るようになるので、この世にまだ欲望や執着がある者が、そのクンダリーニのパワーを得るようなことになると、そのパワーを間違った方向に使ってしまい、本人にとっても有害であるばかりではなく、そのような人は社会にとっても有害な存在になってしまうんや。だから、この宇宙は全ては神さんだと悟っている霊的レベルの高い者しかこの修行をしてはならないんや。
プラーナーヤーマとは、通常、吸う息と吐く息をコントロールし、規則的に呼吸することを意味します。このプラーナーヤーマは、この全宇宙を「実在しないもの」であると見なす者のみに可能なことなのです。PVp114
ポニョ:そうなんや。クンダリーニのパワーか...。一体どんなパワーなんやろか?
ヨシオ:以前も言ったけれど、背骨を蛇のようにクルクルと回ってクンダリーニのパワーは上ってきて最後に頭頂にある大泉門にあるサハスラーラーチャクラに達するけれど、そのサハスラーラーチャクラは、千枚の花弁がついた蓮華の花のようなもので、人が鬼のような性質を持つと、それらの花びらが中央の神聖な光りに触れ、逆に人が神の性質を持ち始めると、神聖な光りの方から花びらに触れ始めるんや。だから、悪人であろうが、聖者であろうが、苦行を積めばこのパワーを得ることが出来るんやけれど、そのパワー欲しさに瞑想をしたり、苦行をしたりするのは邪道中の邪道なんや。そんなのを決して霊性修行って言わないんや。
ポニョ:洞窟にこもって瞑想をし、超人的なパワーを身につけるのが、ヨギ(霊性修行者)だってイメージがあるもんな。それじゃ本当のヨギ、最高のヨギってどんな人の事なんやろか?
「自分が万人の内にあるという意識を育て、万人が自分の内にあるという一体感を培うのだ。そうすれば、お前は全てのヨーガに取り組んで、成功を収めることができるだろう。その時お前は、私と他人、アートマと神我などのようなあらゆる区別からも開放される。そうなれば、他者の喜びや悲しみが自分のものとして感じられるようになり、決して他者を傷つけることが出来なくなる。その時、あらゆるものは神である、という自覚の上に立つことが出来、全てのものを愛することが出来るのだ。」クリシュナ神は、このようなビジョンを得ることが出来た者こそは、最高のヨーギであると宣言しました。11章ギータバヒニ