サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

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クリシュナ物語(18)

2016-06-30 00:00:45 | 日記

ポニョ:ゴーピーたちの話が良かったズラ。クリシュナを思う一途な心がとても純粋で、そういう純粋さを神様はお喜びになるんやなって思ったな。

ヨシオ:俺のインド人の友達は、クリシュナはプレイボーイで人の許嫁を横恋慕して盗んだり、牧女たちが水浴している時に、衣服をどこかに持って行って隠し、牧女たちが裸で困っているのを見て喜んだり、王になってからも一万六千人の若い女性と結婚したんやて。というのもクリシュナがラーマとして降臨した時には、シータという絶世の美女の嫁さんがいたから多くの女性達がラーマと結婚したいと思ったけれど諦めたんや。だからそういう女性がラーマがクリシュナとして生まれ変わるのを待って一緒の時代に生まれ変わり、結婚したんやて。だからクリシュナは色気違いのめちゃ悪ガキ神さんやなんて言ってたけどな。でもそれって大きな誤解なんや。

ポニョ:一万六千人の若い女性と結婚して毎日ムーチョムーチョするって、酒池肉林の世界やぜよ。それってザッと計算したら、毎日とっかえひっかえムーチョムーチョしても五十年はかかるぜよ。その間に新婦はシワシワ婆ちゃんになってしまって、「あの~クリシュナさん。今晩は私の番なんですが、初夜を長く待ち過ぎてこんなシワシワ婆ちゃんになりましたが宜しく…」なんて言って、ベッドにヨタヨタ入って来られたら気持ち悪いやろな。
ヨシオ:あのな、何を想像してるんや。だから大きな誤解やって言ってるやろ。だいたい水浴の時に牧女達の衣服を隠した時も、クリシュナはまだ幼い子供やったんやで。思春期の盛りがついている若者じゃないんや。ポニョは年がら年中盛りがついているけどな。

ポニョ:ついてませんよ。とっくに枯れてますが…。というわけで、今日はクリシュナの結婚話です。

クリシュナは生きている間、多くの邪悪な人々の攻撃と非難の標的となっていました。けれども、神に好き嫌いはありません。邪悪な人は当然の報いによって自分の行為の結果 に苦しみます。
 人が人生で得るものの幾分かは、自らの行為によって得たものに従って決まります。これはパラーラブダム(運命)と呼ばれています。パラーラブダムは本質的に一時のものです。過去の行為の結果 として得たものは長くは続きません。この事実を忘れ、かつ自分のスワバーヴァム(真の性質)をも忘れ、人は一時的なものに心を奪われて、ふと心に浮かんだ考えに従って行動しています。
 役者は劇中の特定の役を割り当てられると脚本を最初から最後まで読みはしますが、自分の役を演じているときには脚本通 りに一幕ごとの自分の役だけを演じなければなりません。自分が知っている全部の役を演じるわけにはいかないのです。役者はドラマの各シーンで自分の役に要求される行動に自分の行動を合わせなければなりません。それと同じように、神は、宇宙に繰り広げられているドラマの中で一つの役を引き受けたなら、その役にふさわしい行動とそのゲームのルールに従って一幕一幕を演じなければなりません。

月日は過ぎ、クリシュナが結婚する時がやって来ました。ヴィダルバの王女ルクミニーはクリシュナを愛しており、彼との結婚を望んでいました。しかし、兄のルクミーは、彼女を友人のシスパラに嫁がせることを望み、その準備を進めていました。クリシュナはこのすべての状況をよく理解していました。彼には、自分自身の計画がありました。デーヴァキーとヴァスデーヴァは牢獄から解放され、ナンダとヤショーダーの家に滞在していました。一方、ルクミニーはあるバラモン僧を通 じてクリシュナに手紙を送りました。そこには、こう書かれていました。「クリシュナさま、私は、もはやあなたと離れている苦痛に耐えることができません。父は、私の願いを退けて、シスパラとの婚姻を進めようとしております。結婚式は明日執り行われる予定です。もしも、あなたがそれまでにここに来て私を連れ去ってくださらないのなら、私は自分でこの命を絶ちます」。
 ルクミニーの願いにより、クリシュナは、彼女を家に連れて来る計画を立てました。当時、花嫁には、結婚式に先立って、村の女神に特別な礼拝を捧げる習慣がありました。その伝統にのっとり、ルクミニーは特別な祈りを捧げるために寺院へと向かっていました。ルクミニーの邪悪な兄、ルクミーはクリシュナからの襲撃を恐れて防衛の手段を講じ、クリシュナに敵意をもつシスパラ、ダンタヴァクラと手を結んでいました。

ルクミニーは、寺院に向かってゆっくりと歩いていました。彼女は、クリシュナが救いに来てはくれなかったことを思い、深い悲しみに沈んでいました。ルクミニーは、クリシュナが本当に彼女を救いに来ていること、そして誰にも気づかれずに寺院の門で彼女を待ち受けていることを知りませんでした。彼女が門に到着すると、クリシュナは彼女をさっと自分の馬車に押し込んで走り去りました。クリシュナとルクミー一派の間で壮絶な戦いが始まりました。クリシュナは、彼らをすべて打ち負かしました。クリシュナはルクミニーを連れ帰り、彼女と結婚しました。クリシュナは、邪悪な者を罰し、敬虔な者を守護するために化身したのです。シスパラは、自分が結婚するつもりでいたルクミニーをクリシュナが連れ去ってしまったため、彼を心の底から憎みました。
これは単に通常の結婚の話なのではありません。この結婚はプルシャ〔全能の神、原人、男性原理〕とプラクリティ〔自然界、現象界、原質〕の結合です。ブラフミン〔バラモン、僧侶階級〕の仲介はヴェーダの権威の象徴であり、それを通してのみ二者の融合が知られるのです。ルクミニーはジーヴァ(個我)であり、クリシュナはパラマートマ(至高我、大我)です。ルクミニーはプラクリティから課せられた規則と制限に苦しんでいます。アハンカーラ(エゴイズム、自我意識)がルクミニーの兄です。俗心がルクミニーの父親です。しかし、自らの善行(サダーチャーラ)のおかげで、ルクミニーの心(マインド)は神の上で落ち着いて動かなくなりました。そのため、ルクミニーは神にたどり着く方法を講じることができたのです。

ルクミニーの祈り、悔い改め、切望、不動心は報われました。ルクミニーは結婚の儀式の前にガウリー プージャー(宇宙の母なる女神への礼拝供養)をしに出かけて行きましたが、この古くからある善い行動規定を守ったために、ルクミニーは最終的に救われたのです。ルクミニーはその寺院で神への礼拝に集中し、そのおかげで、横になって待っていた神の手で束縛を解かれたのです! 両親も兄も、そして親戚全員が異議を唱えましたが、人は自分の運命を切り開くために生まれるのであり、他人の劇で役を演じるために生まれるのではありません。人は自分の刑を全うするために生まれます。刑を果たし終えれば、人は自由になります。あなたはずっと監獄に入っているわけではなく、親しくなった囚人仲間がまだ中にいるからと言っても、そうはいきません! ルクミニーはそれ以前にクリシュナに会ったことはなかったという事実を考えてみなさい。前もって求婚されていたということもありませんでした。魂が切望し、魂が勝ち得たのです。二人が会っていたのは精神の領域においてでした。

これは通常の結婚ではありません。けれども、この結婚について書いたり、講談(ハリカタ)をしたりする人々は、これを片意地な娘と気楽で無鉄砲な若者のロマンティックな冒険活劇として物語ります! しかし、この結婚はタットとトワム(「あれ」と「これ」)の融合です。同じ物でも、近くにあると「これ」と呼ばれ、遠くにあると「あれ」と呼ばれます。「これ」は「そこ」です(「あれ」が「ここ」でなくて「そこ」にある場合)。タット〔「あれ」〕はトワム〔「これ」〕と同じもので、ただ遠くにあるだけです。なぜ遠くにあるのでしょうか? なぜなら、それは理智にも、五感にも、言葉にも手が届かないところにあるからです。

クリシュナは、その人生のすべてを通じ、多くの敵や困難に遭遇せねばなりませんでした。それゆえ、人々は彼の誕生日であるアシュタミーを、困難をもたらす日として捉えるのです。生まれた直後から、クリシュナはカンサの手により困難に直面 しました。彼が幼少の頃、他の村の人々もまた、カンサにより苦しみを味わわなければなりませんでした。クリシュナは、シスパラやダンタヴァクラのような邪悪な人々によって引き起こされる難問に立ち向かわなければなりませんでした。ルクミニーとの結婚すら戦いにつながりました。しかし、クリシュナはすべての敵を征伐し、勝利をおさめました。

クリシュナは、シスパラの敵意にもかかわらず、長きにわたり彼の命を奪おうとはしませんでした。ダルマラジャが帝王の供犠を執り行ったとき、ダルマラジャは最初の供え物をクリシュナに捧げました。これを見たシスパラは、激怒し、クリシュナに罵声を浴びせました。シスパラは、クリシュナを単なる牛飼いの少年だと見なし、供儀を受ける名誉に値しないと言いました。

「ビシュマのような年長者がこの儀式に参列しているというのに、いったいなぜ、あなたは単なる牛飼いの少年を大いなる名誉の受け手に選べるというのだ?」と、シスパラはダルマラジャに問いかけました。シスパラは、クリシュナと闘うつもりでいました。シスパラはクリシュナにこう言いました。

ゴピカ(牧女)たちが沐浴しているとき そのサリーを盗んだから
自分がこの名誉に値すると思うのか?
それとも 持てる時間を すべて牧童たちと過ごしたから
この名誉に値すると思うのか?
その人目はばからぬ権力の増長をやめて 口をつぐめ!

(テルグ語の詩)

クリシュナがシスパラを殺したのは、このときでした。クリシュナは、彼の神の武器スダルシャナ チャクラ(円盤)を用いてシスパラの首をはねた、と多くの人が誤って認識しています。実際は、クリシュナは、シスパラからの最初の捧げ物を受けたその皿を投げつけたのです。このカリユガ(註:正法がすたれ悪徳がはびこる)の時代において、人々はヴィシュヌ チャクラやスダルシャナ チャクラをクリシュナの武器として語ります。しかし、クリシュナが用いるものは何であれ、「彼」の神の意志と共に円盤としての働きをしたのです。



タラビッチ予言と太陽エネルギー

2016-06-29 00:00:01 | 日記
太陽の発するエネルギーのうち、私達は3000分の2しか使っていません。
まだ使われていない太陽エネルギーの量は膨大です。
太陽エネルギーのごく微量を用いて機械を運転するならば人類は巨大な仕事を成就することが出来ます。
そして全太陽エネルギーを人類の福祉の為に使うならば、人類の為に計り知れぬことを成就できるはずです。21/5/91

ポニョ:見たーるタラビッチの予言の話が面白かったぜよ。でも北方から小さい男がやって来るって言ってたけれど、それって東方の間違いじゃないのかな。

北方の国の国民で、愛と慈悲を人々に説いてまわる小男が現れる。
しかし、彼の周囲には多くの偽善者がいる。
こうした偽善者は誰も人間の真の偉大さとはなにかを知ろうとはしない。だが、この北方の小男の書いた文章と話した言葉は残るので、人々は自分たちがいかに自己欺瞞に陥っていたのか気づくようになる。


ポニョ:ババは小柄で155cmしか身長がないやろ。だってもしその小さい男がババやったら、インドはセルビアの東方に位置しているから北方ではなくて東方やぜよ。それにババは膨大な御講話を残しておられるし。

ヨシオ:でもその前に、

東洋に賢者が現れる。
この人物の偉大な教えは海を越え、国境を越えて世界に広がる。しかし、人々はこの真実の教えを虚偽と決めてしまい、長い間信じることはない。


というのがババじゃないかと言ってたやろ。なんでババがセルビアの北方に、また出て来るんや。多分別の人やろ。

ポニョ:そうなんやろか。という事は…あゝ!小さい男って言ってるけれど、それって子供の事じゃないかな。ほら、メジェゴビエかなんか変わった名前の地名の村で、三人やったか四人やったか忘れたけれど、村の子供が空中に現れた聖母マリア様から、この世の終末や世界大戦、ユーゴスラビア分断についてのメッセージをもらった話を聞いた事があるぜよ。そしてそのメッセージを読んだ当時のローマ法王が、この世の終末を予言したメッセージが余りにも強烈だったので気を失って倒れたんや。それでそのメッセージの一番重要な部分をバチカンの奥深くに封印してしまったんや。でもそのマリア様のメッセージの大部分は、愛と慈悲を説かれていて、多くの人達がそれを読んでいるんや。そうや!絶対そのメジェゴリヤの子供達の事やぜよ。

ヨシオ:俺もメジェゴリヤに現れた聖母マリアについて、昔、読んだり聞いたりした事があるな。聖母マリアのメッセージっていう本もあるやろ。メッセージを受けたのは男の子だけではなく、確か女の子もいたで。それで俺の友達で、家族付き合いしている人がサラエボから来たんや。その人は昔、まだユーゴスラビアが平和な時にサラエボ大学で哲学の教授をしていたんやけれど、難民としてオーストラリアに移住してからはスーパーマーケットでレジの仕事をしているんや。その人の話によると、メジェゴリヤはサラエボの西の方の海岸に近いところにあって、セルビアはボスニアの東側にあるから、その予言者の住んでいるセルビアの村から見たら、メジェゴリヤは北方ではなくて西方って事になるで。

ポニョ:そうなんや。でも哲学の教授がスーパーのレジの仕事って大きなギャップがあるよな。

ヨシオ:その人はどうしてチトー大統領が統治していた平和だったユーゴスラビアが、こんなに分断されて争い合うようになったのか説明してくれたんやけれど、ポニョの友達のグローバルエリートが裏で暗躍してるって言ってたな。

ポニョ:友達じゃないって言ってるでしょう。ロシアを封じ込める為にユーゴスラビアを分断したんやぜよ。分断統治は奴らの常套手段やぜよ。ところでおいらはユーゴスラビアの土地勘が無いから、どこがどうなっているのかサッパリ分からないけれど。そうなんや。メジェゴリヤって西方やったんや。残念。うーん。タラビッチさんのコンパスが潰れていたか、住んでいるところが磁気異常なんかもしれないぜよ。多分そうや。磁気異常やぜよ。だから西方が北方になったんや。それに決めた。

ヨシオ:一人で決めてどうするんや。

ポニョ:うーんちょっと待てよ。北方の国民で愛と慈悲を説く小さい男って…そうや。ポーランドってセルビアの北にあるやろ。だからひょっとしたら多分ポーランド出身者かもしれん。

ヨシオ:ポニョはポーランドに知り合いでもいるんか?

ポニョ:いないけれど、ひょっとしたらローマ法王のジョンさんっていたやろ。ヨボヨボでいつも死にかけていたあのローマ法王は、確かポーランド出身やぜよ。そのローマ法王やったらピッタシカンカンやぜよ。だってジョンさんはバチカンの改革を熱心に推し進めていたし、世界中で人気があって今も慕われているんや。しかもジョンさんの周りにはイエズス会の会員で、神の信者の振りをしている偽善者がわんさかいるぜよ。それにセルビア人ってカソリック教徒が多いから、ローマ法王の事やぜよ。これで決まりや。

ヨシオ:そうなんかな。ところでそのローマ法王のジョンさんは小さい男やったんか。

ポニョ:知らんぜよ。いつも死にかけていて、椅子に座って手を振っているところしか見た事がないから。小さい男にしておこうぜ。これで解決したぜよ。昨日はその事を考え過ぎて寝れなかったんや。これでやっとゆっくり寝れるぜよ。良かった良かった。

ヨシオ:勝手に決め付けて自分で納得するなっちゅうに。でも予言に、

本物のエネルギー源は地中ではなく自らの周囲にあるのだ。そのエネルギー源は人間に話しかけてくれるわけではないので、人間がこのエネルギー源の存在を思い出し、地中に多くの穴を開けたことがいかに馬鹿げていたのか後悔するようになるまでには大変な時間がかかる。
そして実はこのエネルギー源は人間の中にも存在しているのだ。
しかし、人間がそれを発見し取り出す術を獲得するには長い歳月がかかる。なので人間は自分自身の本来の姿を知ることなく長い年月を生きることになる。


ってあるけれど、今の石油文明が終わりを告げるって事なんやろな。

ポニョ:今までもニコラテスラのようなたくさんの科学者達が、もっと地球環境に優しいテクノロジーを使ってエネルギーを取り出そうとしてたんやけれど、悪意を持った者達によってそのテクノロジーは闇に葬らせれて来たんやぜよ。

ヨシオ:この部分もババがいつも言われている事と同じやもんな。そのエネルギーは自分たちの中にもあるんや。

ポニョ:でも石油文明に代わるエネルギーって何やろか?

ヨシオ:エドガーケイシーは、昔は巨大なクリスタルによって太陽エネルギーを集め、それを電線を使わずに運ぶ事が出来たって言ってたな。ババも将来、サイババカレッジで太陽エネルギー使った発明がなされて人類に貢献するって言われたし、太陽エネルギーの事やろな。また人が持っている力もそれと同じって事は、人も昔はマントラによって空を自由に飛んでいたって以前記事にしたよな。だからマントラのよって人の精神エネルギーを集中させて自然に作用させたり、クリスタルで集めた太陽エネルギーを、精神エネルギーでコントロールして人が使えるようにするんやろな。

サンパット教授は、エレクトロニクスを専攻しさらに、太陽エネルギーを用いて動力とする事に興味を持っています。
バラタの国民は太陽を崇めます。
太陽は、水素とヘリウムよりなる巨大な球です。
太陽から地球に来る太陽エネルギーの一部を動力に用いる機会は豊富にあります。
私は、わがサンパットがここに留まり彼の知識を用いて太陽エネルギーを利用してもらいたいのです。
太陽は光輝の具現です。
太陽の光は何処からどのようにしてくるのでしょう?
太陽光線が我々にどのように到来するかを発見した学者は一人もいません。
それは神の力から来るのです。
神は光輝にあふれています。
神は幾十億の太陽を併せたほどの光輝を発します。
今日人々は、一個の太陽エネルギーすら利用することが出来ません。
そのような人間に、どうして幾十億の太陽の光輝を持つ唯一者の力を押し測る事が出来るでしょうか?
神の光輝に比べれば、太陽はろうそくの光のようなものです。
太陽の源が神であることを実感認識し、太陽のエネルギーを動力に用いる為、サイ大学においてはエレクトロニクスと太陽エネルギーの研究を発展させて、特別の努力をしなくてはなりません。
教授の持つ全ての知識をサイ大学の学生に与え、それによってプラシャンティニラヤムのサイ大学から新しい発見が生まれて国家に寄与することでしょう。5/93


クリシュナ物語(17)

2016-06-28 00:00:19 | 日記

ポニョ:ゴーピーの話の中で、とても有名な話を載せるのを忘れていたぜよ。

ヨシオ:有名な話やったらみんな知っているから載せなくてもええやろ。

ポニョ:あのね、時々思うけれど、あんたは性格が歪んでいると思いますよ。いつもちょっとひねったところからものを考える癖があるぜよ。

ヨシオ:そうかな。俺はめちゃ真っ直ぐな性格やと思ってるんやけどな。

ポニョ:あのね、あんたが真っ直ぐな性格やったら、他の人全員が歪んでいるって事やないの。もうこれ以上言わないけれど、今日はその記事に載せ忘れたエピソードを『バーガヴァタ・プラーナ』からざっとご紹介しますね。

カールティカー月(10~11月)になり、長い雨季も終わって空は澄む。満月の美しさを見てクリシュナは、秋になったら一緒に踊ろうとゴーピーたちに約束したことを思い出した。彼が笛を吹きつつヴリンダーヴァンの森に向かうと、その音を聞いたヴラジの村の牛飼いの妻や娘(牧女=ゴーピー)たちはみな上の空となり、家族も仕事も忘れて家を抜け出て彼のもとに行く。森の奥の原で蒼い肌に月光を浴びて笛を吹くクリシュナの姿に牧女らは息をのみ、しばし見とれてしまう。クリシュナは彼女らをヤムナ川の岸にいざなう。

彼が最愛の牧女(ラーダー)と踊り始めると、二人を囲んだ牧女たちは愛と情熱に身を任せて、慎みを忘れて歌い踊る。踊りの輪の素晴らしさは月よりも輝き、あたりにはかぐわしい空気が漂う。踊りがクライマックスに達すると、クリシュナは同時にたくさんの姿を現して牧女たちの一人ひとりが自分と踊っているように信じさせる。
こうして長い夜を歌い踊り続け、恍惚のなかに過ごしていると、神々さえもこの有様を見ようと天空に出現した。太陽神、月神、インドラ、ブラフマー、シヴァなどが天空の乗物から踊りの輪に花の雨を降らす……。

ヨシオ:ええ話やな。クリシュナがたくさんいるゴーピー達一人ひとりとダンスされたんやな。

ポニョ:多重影分身の術やぜよ。

ヨシオ:この逸話は本当に有名な話やな。この逸話を読んだり聞いたりした後世の聖者や霊性修行者は、ゴーピーのようにクリシュナと一緒に踊り、至福を味わいたいとずっと願って来たんや。それで、クリシュナの生まれ変わりであるサイババさんがまだ若い時に、そういう願いに応えて、前世が聖者やクリシュナの帰依者だった霊性修行者達の生まれ変わりをサイババさんのアシュラムに呼び寄せて、多重影分身の術を使ってたくさんのサイババさんを創り出して、彼ら一人ひとりと踊ったんや。

ポニョ:その話を以前記事にしたぜよ。その部分だけでも、もう一度読みたくなってきたぜよ。というわけでその感激的なエピソードを再掲しますね。

また、ある帰依者がトゥルシの葉っぱで花輪を作っていると、ババはその人たちの間に座り、皆と一緒になって花輪を作り始められたのです。
そして、「誰でも、一番大きな花輪を作った人は僕の足を二回触れてもいいよ。」と言われたので、皆は競争して花輪を作り始めました。
その間、ババは何時ものように冗談を連発されていました。
でも、突然姿がみえなくなってしまったのでした。
それで、皆は花輪作り競争は、ただのババのお遊びだったと気付きました。
人々は、花輪作りをやめてババを探し始めましたが、どこを探しても見つけることが出来ませんでしたが、突然いたずらっ子のようにどこからともなく現れました。
そして、人を驚かすために顔や体にいろいろと塗りたくって、首にはご自分で作られた花輪を巻いておられたのです。

ババは全ての花輪を集めてぐるぐる巻にして、ボールのようにされました。
そして、男ばかりを一列に並べ、女ばかりをその反対側に並べて、ご自分はそれらの真ん中に立って、先ほど花輪で作った幾つかのボールをババの方に向かって投げるように言いました。
そして、みんなは争ってボールをいろんな方角からババに投げつけましたが、ババはそれらを一つも落とすことなく見事に受け取られたのです。
やがて、花のボールはあちらこちらへと飛び回ったので、人の列は自然に丸い円になりました。
そして、そのまま人々はクルクルとバジャンを歌いながら回り始めて、ババも一緒になって踊り始められたのです。
やがて、みんなは踊り疲れて、礼拝堂に戻って行きましたが、みんな、変な酔っ払ったように目眩がして頭がクラクラとしていました。
ある人は、ババと二人で踊ったよ。とか、いや、私がババと二人だけで踊ったんだとか言ってもめ始めたんですが、ババは「これは、普通の目眩じゃなんかないんだよ。だって、僕は全ての人と一晩中踊ったんだから。」と言われました。

そして、こうも言われました。
「クリシュナは、ゴーピー(牧女)たち大勢と、体を沢山作り出して、一人ひとりのゴピーとダンスをして遊び、クリシュナは宇宙の創造主自身だということを証明しました。
それと同じことを、今、今日ここで君たちが体験したんだ。この体験は、非常に稀な体験なんだよ。あなたが喜びを感じたことは、最高の祝福だったんだ。だから、空中を浮いているような、そんな気分になったんだよ。甘美な思いは君たちを熱狂的で幸せな気持ちにさせたんだ。
君たちは、本当に幸運だったんだよ。
だって、このような体験をしたいって、君たちは何世代にも渡り、多くの転生を重ねながら神に願って来たことなんだ。
でも、今日のこのような経験は、神の持っている祝福の一つに過ぎないことなんだ。」

この夜、人々が体験した不思議で神聖な気分はその後、長く人々の身体から消えることは無かったのでした。

ポニョ:以上再掲した記事でした。おいらもこんな風に神様と一緒に踊りたいな。

ヨシオ:これらの奇跡は、近い将来、サイババさんが再び姿を現されてされる奇跡に比べたら大した事はないんや。サイババさんはクリシュナの時は、何十にも分かれてゴーピー達、一人ひとりと踊られ、サイババさんの時も二、三十人ぐらいかな?多くて。そしてハンピにあるハヌマン寺院では二人に分かれて外と中におられたやろ。ところが近い将来、俺たちはババが何千にも分身されて世界中に現れられるんや。そして、神を求める全ての帰依者と一緒にダンスをしたり、インタビューを与えたりされるんや。

ポニョ:今からダンス教室に通っておこうかな。本当はおいらはダンスなんて出来ないんや。ダンスの最中にサイババさんの足を踏むかもしれんぜよ。ああ心配になってきた。

ヨシオ:何を今から心配してるんや。

ポニョ:ババは、肉体ではなく微細体で来られて時々、肉体の姿を皆に見れるように現されるんやろな。今みたいに、ババは微細体で来られていますよ。私には見えますがあなたに見えますか?見えないのですか?修行が足りませんね。なんてケチなことをされないんやろな。全ての人が見れるように姿が見えない微細体から一瞬のうちに姿現されるんやろな。嬉しカルカル。

ヨシオ:でも、実はポニョが願えばいつでもサイババさんと踊れるんや。毎日の生活でどんな悲しい事や苦しいことがあってもそれらは、神様が下さったプレゼントだと思い、幸せな気分で受け入れたら平安な人生を歩むことが出来て、そういう帰依者のところに来られるんや。神様はいつも幸せで心が平安な人のところにいつも現れられるんや。

ポニョ:という事はゴーピー達は、何のトラブルも無く、いつも幸せで平安な人生を歩んでいたんやろな。

ヨシオ:あのね、全然人の言うことを聞いていないやろ。どんな苦しい事や悲しいことがあっても、それらを受け入れたら幸せで平安な人生を歩めるってさっきから言ってるんや。ゴーピー達はトラブルがあってもそれらを乗り越えた生活をしてたんや。というわけで、以上が、牧女(ゴーピー)の物語です。どの牧女(ゴーピー)の物語も皆、それ相当に興味をそそられる話ですね。というのも、どの牧女(ゴーピー)も皆、自らが抱いていた神への信愛(バクティ)によって、神のようになっていったからです。牧女(ゴーピー)たちは、『バクティ・スートラ』【信愛の箴言(しんげん)】において、ナーラダをして「バクタの中で最も偉大なバクタである」と言わしめました。
そのゴーピーの中でも最高のゴーピーであったラーダーは、他のいっさいのものに心をかき乱されることはありませんでした。そして、実はラーダーというのは、クリシュナ、イエス、サイババら、どんな神にも宿るアートマを崇める純粋な心、魂そのものであり、ラーダーは、実は私たち全ての人の内にいるのです。

私は本を読みません。
でも私はすべての宇宙の歴史を知っています。
私は過去、現代、未来を見ることが出来ます。
私は、時空を超えた存在です。
あなたは私を同時に二つの違った場所で見て驚きましたが、将来、二つどころか何千もの身体を取って、同時にあらゆる場所に出現することでしょう。P, 66 ANDI

見たーるタラビッチの予言(下)

2016-06-27 00:00:27 | 日記
近い将来、サイの栄光は世界中に広まるでしょう。
それは千倍にもなって大きくなるでしょう。
その理由はサイの使命が本質的に善に基づいているからです。
どのような汚らわしさもありません。
すべての行為は純粋な動機から出ています。
サイのすべては真理にもとづいています。
サイのすべての活動は誰か他の者に頼らず執り行われています。
それでいて、すべては何の問題も無く、粛々と進められています。
収穫が終わると籾取りが始まります。
風は籾殻を吹き飛ばし、籾のみを残します。
この例えのように残った籾とは真の信者のことなのです。
そして信仰心の定まらぬ者は籾殻となって吹き飛んでいくのです。
これが真の信者かどうか選り分ける過程なのです。SS12/93p333

ポニョ:昨日はセルビア人の予言者の予言を見たーるタラビッチしました。

ヨシオ:俺のコピーをするな。しかし、昨日の予言の中でガン治療について言ってたのが面白かったな。「知識のあると言う者たちが『私には高い知識があるのでこの治療法は分かっている』と言い張るが、実は誰も何も知らない。人々はいくら考えても正しい治療法を見つけることはできない。だが、治療のカギとなるものは人間自身の中や周辺にあるのである。」って、これって今の医療体制の矛盾を鋭く突いているよな。

ポニョ:このブログでずっと以前に紹介した船瀬俊介さんは今ではとても有名になっているけれど、ガン治療の根本は静養して何もしない事や。自分の中にある自然治癒力で癒しなさいって主張されているけれど、それって当たってるぜよ。

ヨシオ:そうやな。自然治癒力が一番や。ババはガンの主な原因は白砂糖を摂るからやと言っておられるけどな。

ポニョ:例の月に着陸したアポロに乗っていたアームストロングさんが言われた言葉を、予言で当てられていたな。「みなさんは神の存在を疑っているだろうが、私の行ってきた星に行ってごらんなさい。誰しもそこに神の意志と力を見ることになる」って。これって面白いよな。このアームストロングさんはインドのアシュラムへ行って、ババにお礼をされた話をしたよな。

ヨシオ:そうやったな。なんでも月着陸船から、再び地球帰還船を発射しようとしたらエンジンがかからずにうんともすんとも言わなかったので、これで万事休すやと諦めて外を見たら、宇宙服も付けずにババが道具箱を手に持って月面をフワフワと歩いていたんや。そのまま月着陸船の下部に行ったので視界から消えてしまい、しばらく経ったらエンジンが突然火を噴いたんやったな。それでそのオレンジローブを着ているアフロのおじさんを探していたら、偶然ババを見つけたのでインドまでお礼に来られたんやったな。

ポニョ:それは面白い話やったよな。ババはアシュラムにやって来たアームストロングさんを学生たちに紹介されていたぜよ。愉快、愉快、本当に愉快。それではこの辺で後半の部分を紹介しますね。

北方の国の国民で、愛と慈悲を人々に説いてまわる小男が現れる。
しかし、彼の周囲には多くの偽善者がいる。

こうした偽善者は誰も人間の真の偉大さとはなにかを知ろうとはしない。だが、この北方の小男の書いた文章と話した言葉は残るので、人々は自分たちがいかに自己欺瞞に陥っていたのか気づくようになる。

その時代には、多くの数字が書かれた本を読んだり、あるいは書いたりする者たちが、もっともよく物事を知っていると考えられる。これらの教育のある者たちは、自分の人生を計算に基づいて送ろうとし、数値の命ずるままに行動する。

こうした人々の中にも悪人と善人が存在する。

悪人は悪行を平気で行う。たとえば、空気や水、そして河川や土地を汚染し、このため人々はさまざまな病気で死ぬようになる。

善人で賢いものたちは、数字から導かれた努力にはなんの価値もなく、それはただ世界を破壊するだけであることを悟るようになり、数字に答えを見いだすのではなく、瞑想を通して真実を発見しようとする。

人は瞑想すると神の知恵に近付いていく。

しかし、時はすでに遅い。悪意をもつものたちが全世界を荒らし回っており、巨大な数の人々が死に始めるからである。

人々は都市から逃げ出し、田舎に避難する。

人々は十字が三つ並んだ山を探す。

その中では人々は生きていくことができる。
その中に逃げ込んだものたちは、自分も家族も救うことができる。

しかし、それも長くは続かない。

なぜなら、次にものすごい飢饉が世界を襲うからだ。

この飢饉は通常の飢饉ではない。
町や村には十分に食べ物がある、だが、それらは汚染されている。
飢えた人々はそれを食べるが、食べると死んでしまう。

怒りくるったものたちによる攻撃が始まる。
戦争が始まるのだ。

この戦争を戦う者たちは、科学者に命じて奇妙な大砲の弾を作らせる。それが爆発すると、人を殺すのではなく、まるで人間や動物に呪いをかけるようになる。その呪いで人々は戦うかわりに眠りに眠りこむ。

世界の果てにあり、大海原に囲まれてヨーロッパほどの大きさの国だけが何の問題もなく平和に生き残るとができるだろう。この国では大砲の弾はひとつも爆発しない。

三つの十字のある山に逃げ込んだ者たちだけが避難場所を見つけ、愛と幸福に満たされ、豊かに暮らすことができる。

そして、その後はもう戦争は起こらない。


タラビッチの家です。
(訳者注) ここまでですが、上の中で、特に私が印象深かったのが、

> その頃の人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。

など、他にもありますが、上のような「 20世紀以降の現代の私たちの生活が幻想であり、真実からは遠い」ということを100年以上前のセルビア人は知っていたようです。

私たちは今そのことをようやく気づきつつあるのかもしれません。

でも、やはり「少し遅かったかもしれない」という思いも相変わらず強いです。
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以上 http://oka-jp.seesaa.net/article/351478731.htmlより

ヨシオ:本当に結構当たっているよな。

ポニョ:この予言によれば、オーストラリアは結構安全な場所なんや。だって世界の果てにあって、ヨーロッパぐらいの大きさで海に囲まれているところってオーストラリアしかないぜよ。

ヨシオ:でもババは第三次世界大戦は起こらないと言われたから、世界大戦は起こらないんや。ババは過去の予言を私は次々とキャンセルしていると言われたやろ。

大災害は避けられるであろう。
新しいゴールデンエイジの時代がやってくるのです。
私はそのことに失敗しない。
神の化身は失敗したりしないのだ。TEOLp225

ポニョ:そういやプーチンを使って、グローバルエリート達、いわゆる戦争屋が起こそうとしている戦争の芽を摘み取っているもんな。エドガーケイシーも世界の希望はロシアからやって来るって言ってたし。そうか、第三次世界大戦は無いんや。

ヨシオ:でも飢饉が起こるって言ってたよな。これは多分放射能汚染やろ。「この飢饉は通常の飢饉ではない。町や村には十分に食べ物がある、だが、それらは汚染されている。
飢えた人々はそれを食べるが、食べると死んでしまう。」

ポニョ:内部被曝をして、その取り込んだ放射性物質が前脳で破裂するとショックでどこでも寝込んでしまうんやぜよ。内部被曝は本当に危ない。だからおいら達はアクアポニックスを勧めているんやぜよ。この農法は閉鎖式循環農法やから、放射能汚染から影響を受けないんや。

ヨシオ:俺もポニョに教えてもらったおかげで、安全で美味しい野菜を毎日食べる事が出来るから喜んでいるんや。俺のような都会育ちの人間が、自分のところで新鮮な野菜をこんなに簡単に栽培出来るとは夢にも思わなかったな。

ポニョ:まあ、そんなに感謝しなくても良いってことよ。あと、フリーエネルギーの事も予言してたぜよ。もっとすごいのが「東洋に賢者が現れる。この人物の偉大な教えは海を越え、国境を越えて世界に広がる。しかし、人々はこの真実の教えを虚偽と決めてしまい、長い間信じることはない。」という予言や。これってババの事やぜよ。

ヨシオ:そうやろな。ババが教えを説かれて、もうかれこれ七十年にもなるのに、まだ世界中の人に受け入れられたわけでは無いもんな。特に俺達がブログでメインテーマにしている「不二一元」の教えは本当はとてもシンプルなんやけれど、その奥義を理解するのは難しいよな。

ポニョ:そうやぜよ。特にあんたが説明すると。あんたは簡単な事をわざと難しく説明する天才やぜよ。でも将来、たくさんの人々がこういうババの教えに目覚めるんやろな。とは言ってもババが肉体を去られたので、バイバーイという人も少なくないぜよ。今は、誰かにババが取り憑いてメッセージを下さると信じている人たちも含めて、すべての帰依者にとって試練の時やぜよ。しかし、もうちょっとの我慢やぜよ。そうか。全ての人たちが目覚める時がすぐ近くまでやって来たんや。セルビアのミタール タラビッチさんの予言を、見たーるタラビッチして良かったな。ババの再降臨も近いし、なんか嬉しカルカル気分になって来たぜよ。

あなたはいつの日か、チトラヴァティの川床のみが、世界中からここへ来た人々の座れる場所で、空のみが、彼らが座っている場所の天井となりえるのを見ることでしょう。
多くの人々は、彼らの人生が好転し、幸せで喜びに満ちたゴールデンエイジがやってくることを信じるのを躊躇しています。
私はこのサイババが口先だけで言っているのではないと保証します。
この人類に降りかかるであろう危機を回避することに私は成功することでしょう。P303 chap48 SSS Vol 4




クリシュナ物語(16)

2016-06-26 00:00:48 | 日記

ポニョ:今日もゴピー達のお話です。

ヨシオ:ゴピー達の話をし始めると本当にキリがないよな。帰依者の鑑のような人ばかりやもんな。

ポニョ:ゴピーは、プレマヨーガつまり、神様を信愛する事によって、神様と融合するヨーガの理想的な話の主人公やぜよ。プレマヨーガでは、別にヴェーダの事や、あんたが得意な難しい不二一元の話やら知らなくても神様に達することが出来るんや。

ヨシオ:一番易しいけれど、心が純粋でなかったらいけないんや。そういや、このプレマヨーガはポニョにぴったりやないか。頭を使わなくてもええから。

ポニョ:あのね、あんたの言葉は、いつも褒めてくれてんのか、けなしてるのか分からんぜよ。

二人のゴーピーが、ヤムナー川の岸辺を歩いていました。クリシュナのことを語りながら、二人はクリシュ ナの御業、クリシュナの栄華にすっかり酔いしれました。ふいに二人のうち、ニーラジャの心に突然疑問が湧きおこりました。難問中の難問です。「もしもクリシュナ様とひとつになりたいと想いつづけて私もクリシュ ナ様だと気づいたときには、クリシュナ様と共にいる歓びも、語りあう歓びも、甘い声を聴く歓びも失うことになるのかしら。ならば私はクリシュナ様にならずに、神の愛と栄華を味わっていたいわ」すると一緒にい たサララなだめるように言いました。「いいえ、その不安は根拠のないものよ。だってクリシュナ様もあな たのこと、純粋なあなたのことを想ってくださるのですから。もしもひとつであると想うサーダナでクリシュナ様になったときには、クリシュナ様もあなたを強く想う余りにあなたになるでしょう。怖がる必要も心配 する必要もまったくないわ」
プラクリティとはダーラー(この世、創造物)です。つねにそれを想いなさい。強く求めなさい。ダーラー ダーラーダーラーと切望するうちに、いつの間にかラーダーラーダーと唱えていることに気づくでしょう。そ うです、ラーダーとは「なること」であり、クリシュナが「在ること」なのです。「在るもの」がなろうと欲 し、「なったもの」が在ろうと欲する―――それがラーダーとクリシュナの関係です。予言者や詩人たちが歌 いあげ、無知な者たちが中傷、風刺し、探求者たちが賛美し学び、誠実に霊性の知識を学ぶ学者たちが研究し 認識してきたことです。

ある日ラーダーが近づいてきたとき、クリシュナは無造作に笛をわきに置いたままぐっすり眠っているふ りをしました。ラーダーは悲痛な面持ちで笛に語りかけました。「ああ、なんて幸せなムラーリ(笛)でし ょう! どうしてそんなにも幸運なのか教えてちょうだい。あなたが守った誓いって何だったの? どんな断食をしたの? それとも何かの巡礼かしら? マントラは何を唱えたの? どの聖像を礼拝したの?」笛は神 の慈悲で言葉を得、ラーダーにこう答えました。「私は五感の欲望、嫉妬、貪欲さ、エゴ、すべてを捨てました。ただそれだけです。神が私を通して生きとし生ける為にプレマを注ぐとき、私にはその流れをさえぎる エゴがまったくありません」

ヤムナー川のほとり―――静けさ、美、神秘、情熱。涼しい風がクリシュナの笛の奏でる優しく甘い神の旋 律を耳に運びます。ラーダーが大きなツボを腰で支え、川に向かって小高い丘を下りてきます。ふと、土手の 中頃で立ちどまりました。かつてクリシュナが立っていたあたりから、「ラーダー、ラーダー」と呼ぶ声が風 にのって聞こえてきたからです。ラーダーは驚いて四方を見回しました。どこにも誰の姿も見あたりません。 辺りには家さえありません。クリシュナはいつもこうなのです。
ラーダーは気を失い、ツボを抱えたまま倒れこんでしまいました。そして突然真理に目覚めたのです。「あ なたのいない場所などどこにもありません」ラーダーは心の中でクリシュナに語りはじめました。「あの声は 確かにあなたです。あれほど優しく甘く純粋で、愛に満ちた声は他にありません。けれどひとつだけ願いをきいてください。あなたはすべてなのに役割をお与えになりました。私たちはできるかぎり上手に その役を演じました。私たちを笑わせ泣かせ、あなたが満足するように演じました。でも、私はもうたくさんです。私を元いた場所に帰してください。欲望、失望、怒り、期待、不安や野望を味わいました。美しい旋律を耳に、 柔らかな風を肌に、おいしいものを舌に、うっとりするような景色を目に、かぐわしい香りを鼻孔に与え、 五感を愉しませました。足首に幻想という足飾りをうち鳴らし、世の賞賛や世のあざけりを受けました。 歌を歌えば幻が拍子を刻み、タマス(鈍性)とラジャス(激性)が旋律となり、私に踊りを踊らせました。今の私の手足はぬけ落ちました。すべてにうんざりしています。もうこの劇を終わりにしてください。どうかお願いです。私の願いをきいてください」
しかしクリシュナはこたえません。少しずつ少しずつラーダーの心を占めてきたのです。神は純粋な心をくっきり映す曇りのない鏡です。ラーダーはクリシュナの肖像、神の愉悦の化身です。クリシュナのアフラディーニ・シャクティ(歓びの源)そのものであり、分かつことや離すことさえできないのです。ラーダーがヤムナー川のほとりに姿を見せたとき、クリシュナが「ラーダー、ラーダー」と呼んだのはそういうことだったのです。
ラーダーは続けました。「今がまさに献身という宝石をあなたの御足に捧げるときです。ああ、でもまだ磨かれずに鈍く光っているだけです。私は長いことこの世が甘いだけだと信じこんでおりました。苦いものでもあったのです。もう十分味わいました。そう、私はプラクリティ・ダーラー(この世のたゆまぬ流れ)、ラー ダーという名で呼ばれています。だから私には3つのグナ(性質)、サトワ(浄性)・ラジャス(激性)・タ マス(鈍性)があるのです。プラクリティ(この世)は女性性であり、私もやはり女性なのです」

ラーダーは神への純粋な炎、魂の満開の花であり、人々の内にいます。ラーダー がクリシュナであり、クリシュナがラーダーです。別の見方をすれば、ラーダーは万物(人類)に顕れた神性のきらめきであり、神に「なるもの」を体現し、クリシュナが神で「在るもの」とも言えます。なろうとするものが「在るもの=アートマ」に帰り溶けこもうと強く望むとラーダーになります。「在るもの」がなりたいと思えばクリシュナになります。
五感と心と知性をそなえた人の肉体はクリシュナの笛です。それが空(から)になりエゴや悪の 資質がすっかり消えさったとき、神なるアートマはその笛で神なる資質と神なる行いを演奏し、人を神へと変えていくでしょう。