ポニョ:ゴーピーたちの話が良かったズラ。クリシュナを思う一途な心がとても純粋で、そういう純粋さを神様はお喜びになるんやなって思ったな。
ヨシオ:俺のインド人の友達は、クリシュナはプレイボーイで人の許嫁を横恋慕して盗んだり、牧女たちが水浴している時に、衣服をどこかに持って行って隠し、牧女たちが裸で困っているのを見て喜んだり、王になってからも一万六千人の若い女性と結婚したんやて。というのもクリシュナがラーマとして降臨した時には、シータという絶世の美女の嫁さんがいたから多くの女性達がラーマと結婚したいと思ったけれど諦めたんや。だからそういう女性がラーマがクリシュナとして生まれ変わるのを待って一緒の時代に生まれ変わり、結婚したんやて。だからクリシュナは色気違いのめちゃ悪ガキ神さんやなんて言ってたけどな。でもそれって大きな誤解なんや。
ポニョ:一万六千人の若い女性と結婚して毎日ムーチョムーチョするって、酒池肉林の世界やぜよ。それってザッと計算したら、毎日とっかえひっかえムーチョムーチョしても五十年はかかるぜよ。その間に新婦はシワシワ婆ちゃんになってしまって、「あの~クリシュナさん。今晩は私の番なんですが、初夜を長く待ち過ぎてこんなシワシワ婆ちゃんになりましたが宜しく…」なんて言って、ベッドにヨタヨタ入って来られたら気持ち悪いやろな。
ヨシオ:あのな、何を想像してるんや。だから大きな誤解やって言ってるやろ。だいたい水浴の時に牧女達の衣服を隠した時も、クリシュナはまだ幼い子供やったんやで。思春期の盛りがついている若者じゃないんや。ポニョは年がら年中盛りがついているけどな。
ポニョ:ついてませんよ。とっくに枯れてますが…。というわけで、今日はクリシュナの結婚話です。
クリシュナは生きている間、多くの邪悪な人々の攻撃と非難の標的となっていました。けれども、神に好き嫌いはありません。邪悪な人は当然の報いによって自分の行為の結果 に苦しみます。
人が人生で得るものの幾分かは、自らの行為によって得たものに従って決まります。これはパラーラブダム(運命)と呼ばれています。パラーラブダムは本質的に一時のものです。過去の行為の結果 として得たものは長くは続きません。この事実を忘れ、かつ自分のスワバーヴァム(真の性質)をも忘れ、人は一時的なものに心を奪われて、ふと心に浮かんだ考えに従って行動しています。
役者は劇中の特定の役を割り当てられると脚本を最初から最後まで読みはしますが、自分の役を演じているときには脚本通 りに一幕ごとの自分の役だけを演じなければなりません。自分が知っている全部の役を演じるわけにはいかないのです。役者はドラマの各シーンで自分の役に要求される行動に自分の行動を合わせなければなりません。それと同じように、神は、宇宙に繰り広げられているドラマの中で一つの役を引き受けたなら、その役にふさわしい行動とそのゲームのルールに従って一幕一幕を演じなければなりません。
月日は過ぎ、クリシュナが結婚する時がやって来ました。ヴィダルバの王女ルクミニーはクリシュナを愛しており、彼との結婚を望んでいました。しかし、兄のルクミーは、彼女を友人のシスパラに嫁がせることを望み、その準備を進めていました。クリシュナはこのすべての状況をよく理解していました。彼には、自分自身の計画がありました。デーヴァキーとヴァスデーヴァは牢獄から解放され、ナンダとヤショーダーの家に滞在していました。一方、ルクミニーはあるバラモン僧を通 じてクリシュナに手紙を送りました。そこには、こう書かれていました。「クリシュナさま、私は、もはやあなたと離れている苦痛に耐えることができません。父は、私の願いを退けて、シスパラとの婚姻を進めようとしております。結婚式は明日執り行われる予定です。もしも、あなたがそれまでにここに来て私を連れ去ってくださらないのなら、私は自分でこの命を絶ちます」。
ルクミニーの願いにより、クリシュナは、彼女を家に連れて来る計画を立てました。当時、花嫁には、結婚式に先立って、村の女神に特別な礼拝を捧げる習慣がありました。その伝統にのっとり、ルクミニーは特別な祈りを捧げるために寺院へと向かっていました。ルクミニーの邪悪な兄、ルクミーはクリシュナからの襲撃を恐れて防衛の手段を講じ、クリシュナに敵意をもつシスパラ、ダンタヴァクラと手を結んでいました。
ルクミニーは、寺院に向かってゆっくりと歩いていました。彼女は、クリシュナが救いに来てはくれなかったことを思い、深い悲しみに沈んでいました。ルクミニーは、クリシュナが本当に彼女を救いに来ていること、そして誰にも気づかれずに寺院の門で彼女を待ち受けていることを知りませんでした。彼女が門に到着すると、クリシュナは彼女をさっと自分の馬車に押し込んで走り去りました。クリシュナとルクミー一派の間で壮絶な戦いが始まりました。クリシュナは、彼らをすべて打ち負かしました。クリシュナはルクミニーを連れ帰り、彼女と結婚しました。クリシュナは、邪悪な者を罰し、敬虔な者を守護するために化身したのです。シスパラは、自分が結婚するつもりでいたルクミニーをクリシュナが連れ去ってしまったため、彼を心の底から憎みました。
これは単に通常の結婚の話なのではありません。この結婚はプルシャ〔全能の神、原人、男性原理〕とプラクリティ〔自然界、現象界、原質〕の結合です。ブラフミン〔バラモン、僧侶階級〕の仲介はヴェーダの権威の象徴であり、それを通してのみ二者の融合が知られるのです。ルクミニーはジーヴァ(個我)であり、クリシュナはパラマートマ(至高我、大我)です。ルクミニーはプラクリティから課せられた規則と制限に苦しんでいます。アハンカーラ(エゴイズム、自我意識)がルクミニーの兄です。俗心がルクミニーの父親です。しかし、自らの善行(サダーチャーラ)のおかげで、ルクミニーの心(マインド)は神の上で落ち着いて動かなくなりました。そのため、ルクミニーは神にたどり着く方法を講じることができたのです。
ルクミニーの祈り、悔い改め、切望、不動心は報われました。ルクミニーは結婚の儀式の前にガウリー プージャー(宇宙の母なる女神への礼拝供養)をしに出かけて行きましたが、この古くからある善い行動規定を守ったために、ルクミニーは最終的に救われたのです。ルクミニーはその寺院で神への礼拝に集中し、そのおかげで、横になって待っていた神の手で束縛を解かれたのです! 両親も兄も、そして親戚全員が異議を唱えましたが、人は自分の運命を切り開くために生まれるのであり、他人の劇で役を演じるために生まれるのではありません。人は自分の刑を全うするために生まれます。刑を果たし終えれば、人は自由になります。あなたはずっと監獄に入っているわけではなく、親しくなった囚人仲間がまだ中にいるからと言っても、そうはいきません! ルクミニーはそれ以前にクリシュナに会ったことはなかったという事実を考えてみなさい。前もって求婚されていたということもありませんでした。魂が切望し、魂が勝ち得たのです。二人が会っていたのは精神の領域においてでした。
これは通常の結婚ではありません。けれども、この結婚について書いたり、講談(ハリカタ)をしたりする人々は、これを片意地な娘と気楽で無鉄砲な若者のロマンティックな冒険活劇として物語ります! しかし、この結婚はタットとトワム(「あれ」と「これ」)の融合です。同じ物でも、近くにあると「これ」と呼ばれ、遠くにあると「あれ」と呼ばれます。「これ」は「そこ」です(「あれ」が「ここ」でなくて「そこ」にある場合)。タット〔「あれ」〕はトワム〔「これ」〕と同じもので、ただ遠くにあるだけです。なぜ遠くにあるのでしょうか? なぜなら、それは理智にも、五感にも、言葉にも手が届かないところにあるからです。
クリシュナは、その人生のすべてを通じ、多くの敵や困難に遭遇せねばなりませんでした。それゆえ、人々は彼の誕生日であるアシュタミーを、困難をもたらす日として捉えるのです。生まれた直後から、クリシュナはカンサの手により困難に直面 しました。彼が幼少の頃、他の村の人々もまた、カンサにより苦しみを味わわなければなりませんでした。クリシュナは、シスパラやダンタヴァクラのような邪悪な人々によって引き起こされる難問に立ち向かわなければなりませんでした。ルクミニーとの結婚すら戦いにつながりました。しかし、クリシュナはすべての敵を征伐し、勝利をおさめました。
クリシュナは、シスパラの敵意にもかかわらず、長きにわたり彼の命を奪おうとはしませんでした。ダルマラジャが帝王の供犠を執り行ったとき、ダルマラジャは最初の供え物をクリシュナに捧げました。これを見たシスパラは、激怒し、クリシュナに罵声を浴びせました。シスパラは、クリシュナを単なる牛飼いの少年だと見なし、供儀を受ける名誉に値しないと言いました。
「ビシュマのような年長者がこの儀式に参列しているというのに、いったいなぜ、あなたは単なる牛飼いの少年を大いなる名誉の受け手に選べるというのだ?」と、シスパラはダルマラジャに問いかけました。シスパラは、クリシュナと闘うつもりでいました。シスパラはクリシュナにこう言いました。
ゴピカ(牧女)たちが沐浴しているとき そのサリーを盗んだから
自分がこの名誉に値すると思うのか?
それとも 持てる時間を すべて牧童たちと過ごしたから
この名誉に値すると思うのか?
その人目はばからぬ権力の増長をやめて 口をつぐめ!
(テルグ語の詩)
クリシュナがシスパラを殺したのは、このときでした。クリシュナは、彼の神の武器スダルシャナ チャクラ(円盤)を用いてシスパラの首をはねた、と多くの人が誤って認識しています。実際は、クリシュナは、シスパラからの最初の捧げ物を受けたその皿を投げつけたのです。このカリユガ(註:正法がすたれ悪徳がはびこる)の時代において、人々はヴィシュヌ チャクラやスダルシャナ チャクラをクリシュナの武器として語ります。しかし、クリシュナが用いるものは何であれ、「彼」の神の意志と共に円盤としての働きをしたのです。