サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

ポニョは入道雲だ

2015-10-08 00:00:10 | 日記
髪の毛、爪の切りかす、埃、くもの糸、タバコの煙、そして壁の落書きのあるところに幽霊は来やすいのだ。
神はきれいなところに来るのだ。
~暗闇の帳りが降りる前に、家に明かりを灯さねば幽霊が入ってくる。P270ANDI

ポニョ:この前はどんな事があっても、その人の中に神の意志を見なさいという話やったな。

ヨシオ:でもポニョは、不良のたまり場の喫茶店でタバコを勧められた時に断れば、バッチキをかませられるって言ってたけれど、実はこの世は、正しい事をすればその正しい行為が人を守るように、神さんによってそういう法則が作ってあるんや。だからポニョがその悪ガキにタバコを断って諭せば、そういう正しい行為がポニョを守ってくれるので、ポニョが決してバッチキをかませられるような事は無いんや。もちろんそこにカルマ性のものが入っていたら話は別やけどな。

ポニョ:「ダルマはダルマを守護する者を守る」という標語がアシュラムに飾ってあったぜよ。その事やろ?あんたが言いたいのは。

ヨシオ:その通りや。だから人生において常に正しい事をすれば、常に神様が面倒見て下さるんや。ところで人は自分の親しい人や愛する人を亡くした時に悲しむやろ。ババはそれは執着心やとおっしゃっているけれど、それじゃ亡くなった人の何に執着してしているのかポニョは考えた事があるか?

ポニョ:うーん、そうやな、その亡くなった人が料理を作るのが上手かったら、その料理を食べれなくなるのが悲しかったり、そのレシピーをその人が亡くなるまでに聞きそびれたから、同じ料理をもう作れない悲しさだったりする事やろ。

ヨシオ:あのな、ポニョが悲しい事って食べる事に関するものばっかりやないか。亡くなった人が暴力を振るって家族を悩ましていたら、残された家族はその暴力が無くなってホッとするやろ。また亡くなった人がギャンブル狂で家の金をいつも何処からか見つけて使い込んでいたら、その人が亡くなったらやっぱりホッとするやろ。逆に今ポニョが言ったように、亡くなった人が料理が上手かったり、優しい愛に満ち溢れた人やったり、いつも笑顔を浮かべている人やったら、その笑顔や優しさを失って悲しいやろ。つまり俺たちが亡くなった人に対して執着するものは、亡くなった人の悪い行為ではなく、その亡くなった人が持っていた愛なんや。その愛を失ったのでそれを懐かしく思うんや。

ポニョ:それはそうやろな。だって亡くなった人がギャンブル狂や女狂いや、アル中なんかやったら、誰もそれを懐かしく思って泣かないもんな。

ヨシオ:昨日も言ったけれど、実は人は愛の化身なんやけれど、その愛がギャンブル狂や酒飲みや、家庭内暴力や女狂いなどのネガティヴな行為によって、その人から愛が現れにくくなってしまっているんや。まるで雲が太陽を隠しているように。でも時々雲の切れ間から太陽がフッと顔を出すように、どんなギャンブル狂で女狂いのおっさんでも、神の愛がそのおっさんから現れる事があるんや。

ポニョ:だから葬式の時に家族の人が、「うちの主人は女好きで酒飲みで博打打ちやったけれど、心は暖かくて良い人やった」と言って泣くんやな。

ヨシオ:神様の愛は、全ての人の中に同じような明るさで輝いているんやけれど、一人ひとりが持っている欲望やエゴによってその輝き具合が違うんや。

ポニョ:さっきの例で言えば、太陽を隠す雲が雨雲のように黒くて厚かったら、なかなか太陽が顔を覗かす事が難しいけれど、筋雲や羊雲やったらしょっちゅう太陽が顔を出せるもんな。おいらはどっちかと言うと入道雲みたいな感じやろな。

ヨシオ:ポニョの何処が入道雲やねん?

ポニョ:だって、お腹が空いている時は入道雲のように勢いよく、もくもくと雲が湧いて来て空を覆うように不機嫌になるけれど、一旦飯を食ってお腹がいっぱいになって満足したら、雨がザーッと降った後の晴れ間みたいに空がすかーっと晴れ渡って太陽の光がそこら中に差し込むやろ。お腹がいっぱいで満足している時が、一番おいらが輝く時なんやぜよ。お腹がいっぱいやったら、おいらは優しさの化身になるんだってばよ。

ヨシオ:どこが優しさの化身や。胃袋の化身やないか。でも今のはポニョらしい説明で良く分かるよな。確かにポニョがお腹が空いている時は、悪魔の化身みたいに機嫌が悪くなるけどな。ところでこのブログで何度か亡くなった人が幽霊になって出てくる話をしたよな。

自殺をした人、事故等で早死にした人達の魂は、亡霊となって彷徨っている。悪霊は精神的に強い人の近くに寄りつくことも出来ないが、逆に、弱い人の近くに行き,その人をからかったりするのだ。
時には妻を亡くし再婚した元夫のところへ行き、自らの果たせなかった欲望を満たす為に、後妻の心を乗っ取って悪さをするのだ。
またある場合は、人が沢山の財産をもっている場合、その財産の後継者が早くその財産を手に入れるために魔術師を雇って、その財産家の気を狂わすケースもある。OTYRTNp41

ポニョ:幽霊の話は面白かったな。特にヴェンタカタギリの王様のお母さんが、ババに呼ばれて壁から出現された話は面白かったぜよ。「このババさんはクリシュナ神のように人を試されるから注意しなさい。」と王様である息子さんにアドバイスされていたよな。またアメリカから来た母親思いの息子が、お母さんが医者の治療を拒否して、あんたが手から出したリンガムの水だけしか飲まなかったから、ガンが治らずに早く死んだんや。責任とって謝れ!と言ってわざわざアメリカからやって来たけれど、ババはお母さんを霊界から呼び出されて息子に私はサイババと一緒やから邪魔しないでねと言われた話が面白かったよな。また同じような話で最近も政治家の奥さんを霊界から呼ばれたし、親友が亡くなって寂しがっていた友達に、その親友を呼ばれた話もあったよな。怖い話では、奇跡の人サイババという本を書かれたマーフェットさんがババと一緒にウーティの洋館に滞在した時に、ババが二階で寝ておられるのに幽霊がやって来てマーフェットさんの首を夜中に来て締めようとした話もあったよな。また色んな霊が人に憑依して、ババが除霊をする話もあったよな。それで、ある幽霊なんかはとても熱心なナラシンハ神の信者で、憑依した人は神の帰依者でも何でもないのに、毎日その人を使ってナラシンハ神に御祈りをさせていた話が面白かったぜよ。

ヨシオ:さっきから亡くなった人の話ばかりしているけれど、全ての人は、愛そのものが光を放って輝いているアートマを、自分の肉体の中にある霊体の中に持っているんや。生きている時は、肉体が持っている欲望やエゴが太陽を隠す雲のようにアートマが光を放つのを邪魔をして、なかなかその愛の光が見えて来ないけれど、人が死ぬと肉体を離れて、アートマの光がより明るく輝き始めるんや。でも霊体を形作っているものの内、低いレベルの霊体は五大元素の波動が荒い成分で作られているので、それが時間が経って消えてしまうまで、この地上にいて悪さが出来るんや。それを俺たちは幽霊と呼んでいるんや。でもその波動の低い霊体も、時間が来れば消えてしまうので、幽霊たちはこの地上から消えていなくなってしまうんや。注意しなければいけない事は、そのレベルの低い霊でさえも、人間より一段高い霊的なレベルにいるので、俺たちに対して悪さをしたり、逆に神のように振舞ったり出来るので、そういう霊を操れば人を騙してお金を集める事が出来るんや。

神というのは徳性の化身であるから、そういう低いレベルのところに下りてきて話したりする事は決してない。
人間は7段階、神より低いレベルのところにいる。
悪霊と呼ばれているものたちは、6段階神より低いレベルのところにいる。
神のオーラはそのすべてのレベルに降り注いでいる。
それゆえ悪霊たちは人間より少しばかり多くの力を持っている。
それらの力を用いて、彼らは自らを神のような力があると見せかけて、振舞っているだけなのだ。p 294 ANDI

ポニョ:そしてもっと波動が細やかな霊体の中にカルマの因子を持ちながら、自分の霊体と同じ波動を持つ霊界に赴いて、そこで真の自分である愛そのものであるアートマと対面するんやったな。そこでカルマが無く、ピュアな魂はそのままアートマと融合出来るけれど、そうではなく自らの霊体にカルマの因子を持っている魂は、またカルマを支払いにこの世に戻って来るんや。霊界に滞在出来る期間は、五大元素から出来ている波動の細かい霊体が消えるまでで、消えてしまうとカルマの因子を携えて、また地上に生まれ変わって来るんやったな。でも、霊体も波動のレベルが違う五大元素から出来ているって面白いよな。

ヨシオ:だから食べ物には注意しなくてはいけないんや。全ての食べ物には霊体が入っているんやけれど、動物の肉には荒い獣的な波動の霊体が入っているから、肉を食べてその荒い波動の霊体を自分の霊体の中に取り込むと、その食べた人も獣的な性質を身に付けてしまって、直ぐに激したり、怒ったり、悲しんだりして感情の起伏が激しくなるんや。また自分がやっている事の結果にこだわったり、人を恨んだり傷つけたりして、新しいカルマを作ってしまうんや。

ポニョ:昔あんたも直ぐに喧嘩してたから、肉をいっぱい食べていたんやろ。

ヨシオ:昔の話は思い出したくないな。人が死ねば霊界に行くなんて言ってたけれど、実際は霊界に行ったり帰って来たりするように見えるだけで、本当は全部まやかしなんや。だって肉体や物資、そして霊体を作っている五大元素やその霊体も、実はアートマそのものなんや。だから俺たちが見てるものや、肉眼では見えない魑魅魍魎の霊の世界でさえ全てはアートマなんや。

ポニョ:この続きは今度に回そうか。長くなりそうやぜよ。

人の誕生と死、ある界から別の界へ移動すると考えること、それらはすべて真ではありません。
そのように見えるだけなのです。UVc5