世俗的な生活の中で、愛は、母と息子の間の愛、夫婦間の愛、肉親同士の愛など、さまざまな形で現れています。
これらの愛は、利己的な動機や私利から生じる身体的な関係を基盤としています。
けれども、神の愛には私利私欲の片鱗(へんりん)さえありません。
それは愛のためのみの愛です。これはバクティ(信愛)と呼ばれます。
この愛の第一の特徴は、与えて受け取らないことです。
第二に、恐れを知らないことです。
第三に、利己的な動機のためにではなく、信愛のためにのみ愛するということです。
これら三つの愛のアングルがすべて合わさるとプラパッティ(全託)を意味するものとなります。
このプラパッティをおおいに楽しむとき、人は神の至福を体験します。1994/1/1

ポニョ:フランスだけではなく世界中で、反グローバリズムの動きが活発になっていますね。ポーランドでも、多くの人々がフランスのムーブメントに連帯してデモをしました。
すごい数の人ですね。
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=SKAKVsSqtQM#fauxfullscreen
ロンドンでも、今週の日曜日に大規模な黄色いベストデモが予定されているそうですね。日本は、いつになれば目覚めるのでしょうか?
ヨシオ:という事で昨日まで三回に分けてギータさんのお話を紹介して来ましたが、今日も、ギータさんのエピソードです。今日はちょっと怖いお話です。
サイの降誕祭の一日前に、ギータさんが降誕祭の為にお供え物やらお花を買いに街に出かけたんや。現金が要るので車に乗ったまま現金が引き出せるATMに行き,現金を引き出して財布に入れた途端、後ろのドアを開けて男がギータさんの車に乗り込んで来たんや。
ポニョ:アメリカはこれやから危険が危ないんや。ややこしい連中が多すぎる。あっちの暴走族はハーレーダビッドソンに乗っているんやけれど、なんとオートバイにライフルを取り付けられるんで。
ヨシオ:オーストラリアも昔は誰でもライフルやらピストルを持つことが出来たけれど、タスマニアのポートアーサーという観光地でライフル乱射事件が起こって以来、政府が国民から銃を取り上げたんや。今ではその事件は政府によるでっち上げと言われているんや。しかも、政府が銃を国民から取り上げて以来、不法に銃を所持している者による、銃を使った事件が以前よりも増えているんやで。
ポニョ:そうなんや。アメリカも国民を奴隷化しようとしているから、オーストラリアのように銃を取り上げようとしているんや。だからマスコミを使って銃による犯罪キャンペーンをやっているんや。銃を使って自己防衛をしなくても平和に生きれる社会が来ないかな。ところでギータさんはどうなったんや?

ヨシオ:その男は幸運な事に、銃を持っていなかったんや。でも刃渡二十センチ以上もある大きなナイフを持っていて、ギータさんがその男に髪の毛を引っ張られ頭を後ろに逸らされ、首にナイフを当てられ、すぐに車を出せと言われたんや。でも、ギータさんは背が低くて窓からだけではATMに手が届かないので、ドアを開け、足を一歩出して現金を引き出していたので、車をすぐに出せなかったんや。車のダッシュボードにはサイババさんの写真が貼ってあり、そこになんとか手が届いたので、サイババさんの写真に触れる事は出来たんや。
バックミラーを見ると茶色い髪の毛の男が写っていたので、バックミラーに写っている男に「あなたがお金が欲しいのならすぐにあげるわ。すぐに車を出せと言っても足を外に出しているし、ドアも開いているのですぐに車を出せる訳がないよ」と言うと男は掴んでいた髪の毛を緩め、「それじゃドアを閉めて車をすぐに出せ」と言ったんや。
男は、ギータさんが一言も悲鳴をあげたり、騒いだりせず落ち着いて話しているのに気付いて、「お前は俺が怖くないのか?どうしてそんなに落ち着いているんだ?」と聞いて来たんや。それでギータさんは「私には双子の息子たちがいるけれど、もう大学生だし二人共しっかりしているから、私はいつ死んでも平気なの。もうこの世での私の義務は終わったのと一緒だから。肉体って古い上着みたいなものでいつかは脱ぎ捨てるものだからね。それが今日であっても全然平気だわ。」と言ったんや。男が驚きのあまり何も言えずにギータさんを見ていると、後ろに並んでいた車の運転手が、ギータさんの車に男が乗り込んだのを目撃し、すぐに携帯で警察に連絡したので二分半で警察の車両が到着したんや。
そして警察の車両はギータさんの車の前に回り込んで停車してギータさんの車が発進するのを防ぎ、その他にも何台ものパトカーが周りを取り囲んだんや。その間、男はギータさんの首を強く押さえていたんやけれど、ギータさんは心の中で、『あゝ、私はこんな状況になって、一回もサイババさんの事を考えなかったわ。なんて事でしょう。サイラムも一度だって唱えなかったし、今まで四十年間して来た霊性修行は全て無駄だったじゃないの。こういう時こそサイババさんの名前を唱えなければいけないのに。』と一人言を言ってたんや。そして男に「あなた、これだけ警察車両に取り囲まれているわよ。ほら、どんどん応援の車両も到着しているじゃないの。たとえ私を人質にして逃げようとしたって無理だわ。これだけの警察が来たんじゃだめだよ。もう諦めなさいよ。その方があなたの為だわ。ナイフを捨てて表に出なさいよ。」と言ったら男はギータさんの言葉に素直に従い、ドアを開けて表に出たんや。
そしてギータさんの車の横を歩いて警察車両に近づいた途端、車の横に隠れていた六人の武装警官によって、襲われて道路に叩きつけられ、上に飛び乗られ殴られながら鎖で身体をがんじがらめにされたんや。ギータさんは、自分のアドバイスに素直に従った結果、男がこんな酷い目に遭うとは思っていなかったし、自分の目の前で映画の一場面のような警察による捕り物を見たのでとても驚いて、『いくら暴漢でもあの男をそんなふうに扱うなんて酷いわ』と思ったんや。警察官がすぐにギータさんの車に乗り込んで来て、ギータさんが怪我をしていないか聞いて来たんや。
ギータさんが無傷だった事を確認すると、巨大な黒人警官が小柄なギータさんを子供のように高く抱えて、周りの警官や人々に見せ、彼女は無事だったと伝えたんや。ギータさんはまるで自分は見世物みたいだなと思ったんや。そして取り調べに来た警官に、「あんなふうにもう諦めて外に出た犯罪者を、暴力で押さえつけるのは良くない。彼はすぐに弁護士を呼ぶべきだと思うわ」と言ったので、警官は、「あなたは自分がどれだけ危険な状況にあったのか分かっているのか?なのにあの犯罪者の弁護士の心配をするなんて。」と呆れた顔をして見られたんや。
そして車の中で犯罪者とどのような会話を交わしたのかを聞いた後「あんたは本当にラッキーだよ。奴は凶暴な犯罪者で刑務所で服役していたんだけれど、今日脱走し、街の警察が全力で探し求めていた男なんだぞ。奴はお金なんて興味が無いんだ。人を殺すことも平気なんだ。そんな男に気を使うなんて頭がどうかしているよ。後で詳しい調書を取るので警察に来て欲しい」と頼んで来たけれどギータさんは断ったんや。

ポニョ:そんなパニクル状況でもめちゃクールな女性やな。男でもそんな大きなナイフを首に当てられたら怖くて震え上がってしまうぜよ。おいらは髪の毛が少ないので頭は引っ張られないけれど。
ヨシオ:でもそんな過酷な条件のもとでサイババさんの事を思うことが出来なかった、と後悔するところがすごいよな。それに命をいつでも捨てる用意がある人って少ないやろな。翌日、プッタパルティでは降誕祭が行われていて、サイババさんが何十万人も集まった帰依者たちの前を歩かれていたんや。そしてギータさんのお母さんもその中にいて、サイババさんがお母さんの前で立ち止まると、お母さんに「ギータは大丈夫だったかい?」と聞かれたんや。
それでお母さんは事件の事は何も知らなかったので「はい。大丈夫だと思いますが」とだけ答えたんや。その後、サイババさんの言葉が気になり、ギータさんに電話を掛けて事の一部始終を知り、電話の向こうで心配のあまり大声で泣かれたんや。ギータさんはお母さんに「私は傷一つしてないのにそんなに泣かないで」と言ったんやけれど、お母さんは泣き続けられたんや。
その後、ホワイトフィールドのサイカレッジのキャンパスで、学生たちと一緒に座っていたお父さんに、サイババさんが、「学生たちに娘さんが遭遇した事件の話を紹介してあげなさい」と言われたんや。お父さんは物静かな性格であまり人と話さないけれど、学生たちに「実はアメリカで娘が暴漢に襲われたけれど、サイババさんの恩寵で無事でした。」とだけ言ったので、サイババさんは「なんと短い紹介なんや。たった一行やないか。それって事件が起こった時間より短いやないか」といって大笑いされたんや。その後、サイババさんは、学生たちにギータさんが体験した恐怖の事件の顛末を詳しく紹介されたんや。その中にはギータさんが両親に話していない事も含まれていたんや。また、ギータさんが男にナイフを首に突きつけられていた間、心でこんな時こそサイババさんの名前を唱えなければいけないのに一度も唱えていなかったので後悔した事や、暴漢者に付ける弁護士の心配までした事を面白おかしく紹介されたんや。
七カ月後、ギータさんがアシュラムにやって来ると、サイババさんは早速ギータさんをインタビューに呼ばれ、暴漢がかなりの力でギータさんの首を押したので、まだ声が上手く出せずにバジャンが歌えないギータさんを気遣って、「あの男はそんなに強く首を押したんだね。七カ月も経ったのにまだバジャンも歌えないのか。可哀想に。それは痛かったろう。大変だったね」と言いながらギータさんの首に優しく両手を当てて癒されたんや。
恐怖に克つというのを、ただ恐れを知らない事と思ってはいけません。
この二つは違ったものです。
恐怖の状態も、恐怖を知らないだけの状態も自分は肉体だ、という意識と繋がっています。
そういう恐怖が無い状態は、例えば自分の身体が傷つけられそうな状況下であっても、ただ単に不注意でそれに気が付かなかったと言う状況もあるでしょう。
それに対して恐怖に克つというのは、自分は肉体だという意識を超えた状態です。
ただ一つの神がすべての人の心の中に至福に満ちておられるという真理を悟るとき、はじめて恐怖に克つことが出来ます。SGc28
これらの愛は、利己的な動機や私利から生じる身体的な関係を基盤としています。
けれども、神の愛には私利私欲の片鱗(へんりん)さえありません。
それは愛のためのみの愛です。これはバクティ(信愛)と呼ばれます。
この愛の第一の特徴は、与えて受け取らないことです。
第二に、恐れを知らないことです。
第三に、利己的な動機のためにではなく、信愛のためにのみ愛するということです。
これら三つの愛のアングルがすべて合わさるとプラパッティ(全託)を意味するものとなります。
このプラパッティをおおいに楽しむとき、人は神の至福を体験します。1994/1/1

ポニョ:フランスだけではなく世界中で、反グローバリズムの動きが活発になっていますね。ポーランドでも、多くの人々がフランスのムーブメントに連帯してデモをしました。
すごい数の人ですね。
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=SKAKVsSqtQM#fauxfullscreen
ロンドンでも、今週の日曜日に大規模な黄色いベストデモが予定されているそうですね。日本は、いつになれば目覚めるのでしょうか?
ヨシオ:という事で昨日まで三回に分けてギータさんのお話を紹介して来ましたが、今日も、ギータさんのエピソードです。今日はちょっと怖いお話です。
サイの降誕祭の一日前に、ギータさんが降誕祭の為にお供え物やらお花を買いに街に出かけたんや。現金が要るので車に乗ったまま現金が引き出せるATMに行き,現金を引き出して財布に入れた途端、後ろのドアを開けて男がギータさんの車に乗り込んで来たんや。
ポニョ:アメリカはこれやから危険が危ないんや。ややこしい連中が多すぎる。あっちの暴走族はハーレーダビッドソンに乗っているんやけれど、なんとオートバイにライフルを取り付けられるんで。
ヨシオ:オーストラリアも昔は誰でもライフルやらピストルを持つことが出来たけれど、タスマニアのポートアーサーという観光地でライフル乱射事件が起こって以来、政府が国民から銃を取り上げたんや。今ではその事件は政府によるでっち上げと言われているんや。しかも、政府が銃を国民から取り上げて以来、不法に銃を所持している者による、銃を使った事件が以前よりも増えているんやで。
ポニョ:そうなんや。アメリカも国民を奴隷化しようとしているから、オーストラリアのように銃を取り上げようとしているんや。だからマスコミを使って銃による犯罪キャンペーンをやっているんや。銃を使って自己防衛をしなくても平和に生きれる社会が来ないかな。ところでギータさんはどうなったんや?

ヨシオ:その男は幸運な事に、銃を持っていなかったんや。でも刃渡二十センチ以上もある大きなナイフを持っていて、ギータさんがその男に髪の毛を引っ張られ頭を後ろに逸らされ、首にナイフを当てられ、すぐに車を出せと言われたんや。でも、ギータさんは背が低くて窓からだけではATMに手が届かないので、ドアを開け、足を一歩出して現金を引き出していたので、車をすぐに出せなかったんや。車のダッシュボードにはサイババさんの写真が貼ってあり、そこになんとか手が届いたので、サイババさんの写真に触れる事は出来たんや。
バックミラーを見ると茶色い髪の毛の男が写っていたので、バックミラーに写っている男に「あなたがお金が欲しいのならすぐにあげるわ。すぐに車を出せと言っても足を外に出しているし、ドアも開いているのですぐに車を出せる訳がないよ」と言うと男は掴んでいた髪の毛を緩め、「それじゃドアを閉めて車をすぐに出せ」と言ったんや。
男は、ギータさんが一言も悲鳴をあげたり、騒いだりせず落ち着いて話しているのに気付いて、「お前は俺が怖くないのか?どうしてそんなに落ち着いているんだ?」と聞いて来たんや。それでギータさんは「私には双子の息子たちがいるけれど、もう大学生だし二人共しっかりしているから、私はいつ死んでも平気なの。もうこの世での私の義務は終わったのと一緒だから。肉体って古い上着みたいなものでいつかは脱ぎ捨てるものだからね。それが今日であっても全然平気だわ。」と言ったんや。男が驚きのあまり何も言えずにギータさんを見ていると、後ろに並んでいた車の運転手が、ギータさんの車に男が乗り込んだのを目撃し、すぐに携帯で警察に連絡したので二分半で警察の車両が到着したんや。
そして警察の車両はギータさんの車の前に回り込んで停車してギータさんの車が発進するのを防ぎ、その他にも何台ものパトカーが周りを取り囲んだんや。その間、男はギータさんの首を強く押さえていたんやけれど、ギータさんは心の中で、『あゝ、私はこんな状況になって、一回もサイババさんの事を考えなかったわ。なんて事でしょう。サイラムも一度だって唱えなかったし、今まで四十年間して来た霊性修行は全て無駄だったじゃないの。こういう時こそサイババさんの名前を唱えなければいけないのに。』と一人言を言ってたんや。そして男に「あなた、これだけ警察車両に取り囲まれているわよ。ほら、どんどん応援の車両も到着しているじゃないの。たとえ私を人質にして逃げようとしたって無理だわ。これだけの警察が来たんじゃだめだよ。もう諦めなさいよ。その方があなたの為だわ。ナイフを捨てて表に出なさいよ。」と言ったら男はギータさんの言葉に素直に従い、ドアを開けて表に出たんや。
そしてギータさんの車の横を歩いて警察車両に近づいた途端、車の横に隠れていた六人の武装警官によって、襲われて道路に叩きつけられ、上に飛び乗られ殴られながら鎖で身体をがんじがらめにされたんや。ギータさんは、自分のアドバイスに素直に従った結果、男がこんな酷い目に遭うとは思っていなかったし、自分の目の前で映画の一場面のような警察による捕り物を見たのでとても驚いて、『いくら暴漢でもあの男をそんなふうに扱うなんて酷いわ』と思ったんや。警察官がすぐにギータさんの車に乗り込んで来て、ギータさんが怪我をしていないか聞いて来たんや。
ギータさんが無傷だった事を確認すると、巨大な黒人警官が小柄なギータさんを子供のように高く抱えて、周りの警官や人々に見せ、彼女は無事だったと伝えたんや。ギータさんはまるで自分は見世物みたいだなと思ったんや。そして取り調べに来た警官に、「あんなふうにもう諦めて外に出た犯罪者を、暴力で押さえつけるのは良くない。彼はすぐに弁護士を呼ぶべきだと思うわ」と言ったので、警官は、「あなたは自分がどれだけ危険な状況にあったのか分かっているのか?なのにあの犯罪者の弁護士の心配をするなんて。」と呆れた顔をして見られたんや。
そして車の中で犯罪者とどのような会話を交わしたのかを聞いた後「あんたは本当にラッキーだよ。奴は凶暴な犯罪者で刑務所で服役していたんだけれど、今日脱走し、街の警察が全力で探し求めていた男なんだぞ。奴はお金なんて興味が無いんだ。人を殺すことも平気なんだ。そんな男に気を使うなんて頭がどうかしているよ。後で詳しい調書を取るので警察に来て欲しい」と頼んで来たけれどギータさんは断ったんや。

ポニョ:そんなパニクル状況でもめちゃクールな女性やな。男でもそんな大きなナイフを首に当てられたら怖くて震え上がってしまうぜよ。おいらは髪の毛が少ないので頭は引っ張られないけれど。
ヨシオ:でもそんな過酷な条件のもとでサイババさんの事を思うことが出来なかった、と後悔するところがすごいよな。それに命をいつでも捨てる用意がある人って少ないやろな。翌日、プッタパルティでは降誕祭が行われていて、サイババさんが何十万人も集まった帰依者たちの前を歩かれていたんや。そしてギータさんのお母さんもその中にいて、サイババさんがお母さんの前で立ち止まると、お母さんに「ギータは大丈夫だったかい?」と聞かれたんや。
それでお母さんは事件の事は何も知らなかったので「はい。大丈夫だと思いますが」とだけ答えたんや。その後、サイババさんの言葉が気になり、ギータさんに電話を掛けて事の一部始終を知り、電話の向こうで心配のあまり大声で泣かれたんや。ギータさんはお母さんに「私は傷一つしてないのにそんなに泣かないで」と言ったんやけれど、お母さんは泣き続けられたんや。
その後、ホワイトフィールドのサイカレッジのキャンパスで、学生たちと一緒に座っていたお父さんに、サイババさんが、「学生たちに娘さんが遭遇した事件の話を紹介してあげなさい」と言われたんや。お父さんは物静かな性格であまり人と話さないけれど、学生たちに「実はアメリカで娘が暴漢に襲われたけれど、サイババさんの恩寵で無事でした。」とだけ言ったので、サイババさんは「なんと短い紹介なんや。たった一行やないか。それって事件が起こった時間より短いやないか」といって大笑いされたんや。その後、サイババさんは、学生たちにギータさんが体験した恐怖の事件の顛末を詳しく紹介されたんや。その中にはギータさんが両親に話していない事も含まれていたんや。また、ギータさんが男にナイフを首に突きつけられていた間、心でこんな時こそサイババさんの名前を唱えなければいけないのに一度も唱えていなかったので後悔した事や、暴漢者に付ける弁護士の心配までした事を面白おかしく紹介されたんや。
七カ月後、ギータさんがアシュラムにやって来ると、サイババさんは早速ギータさんをインタビューに呼ばれ、暴漢がかなりの力でギータさんの首を押したので、まだ声が上手く出せずにバジャンが歌えないギータさんを気遣って、「あの男はそんなに強く首を押したんだね。七カ月も経ったのにまだバジャンも歌えないのか。可哀想に。それは痛かったろう。大変だったね」と言いながらギータさんの首に優しく両手を当てて癒されたんや。
恐怖に克つというのを、ただ恐れを知らない事と思ってはいけません。
この二つは違ったものです。
恐怖の状態も、恐怖を知らないだけの状態も自分は肉体だ、という意識と繋がっています。
そういう恐怖が無い状態は、例えば自分の身体が傷つけられそうな状況下であっても、ただ単に不注意でそれに気が付かなかったと言う状況もあるでしょう。
それに対して恐怖に克つというのは、自分は肉体だという意識を超えた状態です。
ただ一つの神がすべての人の心の中に至福に満ちておられるという真理を悟るとき、はじめて恐怖に克つことが出来ます。SGc28
