サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

イエスについてサイババに伺いました

2018-12-25 04:00:20 | 日記
人間を向上させるため、人間の意識を高めるためには、神は人間として生まれなければなりません。
神は人間に、人間のやり方で、人間の言葉で語りかけなければなりません。
神は人間に、人間が採用して実践することができる方法を教えなければなりません。
鳥や獣は神の化身に導いてもらう必要はありません。
なぜなら、鳥や獣には自分のダルマから外れる傾向はないからです。
生きる目的を忘れたり無視したりするのは人間だけです。
1978/12/25

ポニョ:トランプは、フロリダの自分のゴルフコースにあるリゾート施設で家族と過ごさず、ホワイトハウスでまだ仕事をしているようですね。たった年間1ドルの給料で、72才にもなって大変なのに頑張っていますね。1日に四時間くらいしか寝ていないそうですね。
ホワイトハウスのスタッフは皆、クリスマスでいなくなったのに、自分一人で仕事をしているとツイートしていましたね。
これから起こる大きな出来事に対して万全に抜かりのないように、準備しているのでしょうか。頭が下がります。

それにひきかえマクロンは、人々がデモをしている間、執務室から一歩も出ず、大統領の顧問以外とも会わず、アフリカに行ったなどと情報を流して将軍達によるクーデターに怯えながら、一日中執務室に閉じこもっていたようですね。
そして、トランプがシリアから軍を撤退する報道を受け、フランス軍は、シリアに留まると宣言しました。アホですね。完全に支配層の道具です。
その間、治安警察はなんとピストルを抜いて人々を脅したようですね。

しかしその反面、マクロン政権が治安警察に対して残業費を支払わないので、治安警察が黄色いベスト運動をボイコットし、一部の治安警察はデモに参加するようです。
https://stillnessinthestorm.com/2018/12/game-changer-french-police-to-join-yellow-vests-after-finding-out-govt-is-ripping-them-off-too/
という事で、Qは、今のところ投稿していませんので、以前、サイババさんが西洋人の帰依者達に話された事を、クリスマス特集として、このブログでお送りします。今日は、神界で再降臨の準備をされてお忙しいサイババさんを直接訪ねて、クリスマスの意義についてお伺いしたいと思います。
サイババさん、どうもお忙しいところを、突然お邪魔してすみません。

サイ:いえいえ大丈夫ですよ。私がこの世に降臨したのはあなた方の為ですから。

ポニョ:そのように言って頂けたら有り難いです。でも、早く再降臨してくれませんかね。相棒がもう半分死にかけなんですが。

サイ:彼の事は心配しなくてもよろしい。私が再降臨するまで生かすつもりですから。

ポニョ:そうだと有り難いのですが。それでは早速ですが、今日はクリスマスなので、イエスキリストについてお伺いしたいと思います。
一般的にはイエスは今日、十二月二十五日に生まれたと信じられていますが、それは本当ですか?

サイ:いや、そうではなく、彼は12月28日午前3時15分(早朝)に生まれました。

ポニョ:えゝ!?じゃあ今日は、イエスさんの誕生日じゃなかったんですね。そうだったんですか。さすがよく知っておられますね。でもイエスが降誕された時に、明るい星が出現したと聖書に書いてありましたが。

サイ:イエスの出生時に出現した「明るい星」についてさまざまな説がありますが、その星は800年に一度現れる星でした。その日曜日に現れた星は、800年に一度しか出現せず、それはイエスの誕生とは関係ありませんでした。神のエネルギーや神の化身が地上に降りると、星が現れるのですが、イエス自身が無限の価値の無限の「星」であり、無限の次元の輝きを広げました。

ポニョ:それでは三人の王が、ベツレヘムに産まれたイエスさんを訪ねたというお話がありますが、それは本当ですか?

サイ:イエスが生まれたとき、明るい星によって3人の王がイエスの出生地に導かれたと言われていますね。でも実際は、彼らは王ではなく3人の羊飼いでした。
一人の羊飼いは、赤ん坊を見て、「その子供は神を愛する人になるでしょう。」と言いました。
もう1人は、「いいえ、そうではなく神が彼を愛するでしょう」と言いました。
3人目の羊飼いは、「彼自身が神様そのものです」と言いました。

ポニョ:ふーん。そうやったんや。訪ねたのは王さんじゃなかったんや。ちょっと幻滅。ところで人は彼の事をイエスと呼んでいますが、本当の名前は何だったんですか?

サイ:イエスが大衆から「キリスト」(救い主)として崇められているのは、イエスの思考と言葉と行いの中にわずかなエゴも見当たらなかったからです。イエスには妬みも憎しみもなく、愛と慈善の心、謙虚さと同情心でいっぱいでした。
イエスの元々の名前はIssaイサでした。イサという名前を繰り返し言うとSaiサイになります。イサとサイはどちらも、Ishvaraイーシュワラ(神)、永遠なる絶対者、サット チット アーナンダ(実在・意識・至福)を意味します。
イエスはチベットの僧院で何年間か過ごしましたが、その僧院にある手書きの文書に書いてある彼の名前は「全ての生きとし生けるものの主」という意味であるIssaだと記してありますよ。

ポニョ:その事は、以前このブログで記事にしたことがあるんですよ。ところで、イエスが誕生して二千年以上経った現代で、エルサレムを巡って混乱が続いていますが、エルサレムはユダヤ教徒の聖地だったんですか?

サイ:二千年前といえば、パレスチナにあるエルサレムはローマ帝国に支配されていました。ユダヤ教は一神教で、ヤハウェという神を信じていて、その神が救い主を送って来ると信じられていました。エルサレムはローマ帝国の時代においても、ユダヤ教の聖地でしたよ。

ポニョ:一つの聖地をユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三つの宗教が聖地としていますが、独り占めせずに、もっとみなさん仲良くして欲しいですよね。
イエスは、エルサレムにあるゴルゴダの丘で十字架に架けられましたが、確か彼が子供の頃に、ユダヤ教徒だった両親に連れられてエルサレムに巡礼の旅に行ったことがあるんですよね。

サイ:そうです。イエスは幼い時から、真実、親切、思いやり、正義などの良い性質を人々に教えていました。彼が十二才の時に、イエスとその両親はエルサレムに巡礼の旅に行きました。
エルサレムに着き、たくさんの群衆の中で両親はイエスを見失い、彼をあちこちと探し歩きました。母親のマリアは、イエスがどこにも見つからず、捜すのを諦めて木の下に座り、神に助けて下さいと祈っていました。
でもイエスは近くの寺院にいて、その寺院の隅に座って司祭の言葉を聞いていました。
イエスは司祭の話を聞いてから、母親の元に戻りマリアにこうに言いました。
「お母さん!一体あなたは何を恐れていたのですか?この物質世界を信じて、この世界に頼る者は恐れを持ちますが、そうではなく、神を信じる者はこの世界で恐れる事など何も無いのです。
お母さんは神がすべてであると教えてくれましたでしょう。僕はずっと父なる神と一緒だったのですよ。」と言いました。
イエスは小さい時から母から教訓を学び、その霊的信仰を発達させました。

ポニョ:イエスってガキの頃からよく出来た子供だったんですね。十二才で普通そんな事を言えないですよね。ところでイエスは、お父さんの仕事を手伝っていたんですよね。

サイ:イエスはエルサレムから帰った後、両親が自分を育てて面倒を見てくれたので、両親への恩返しをし、両親への奉仕が一番の義務であると感じました。それで彼の父親ジョセフの本業である大工仕事を手伝っていたのです。
ジェセフが亡くなったとき、彼は母親に、貧しい人に対する奉仕に自分自身を捧げたいので、その許可を求めたのです。

ポニョ:大工の息子が突然悟りを得て、人々に教えを説くなんて出来ないでしょう。イエスはその後、どんな修行をして悟りを開いたのですか。

サイ:最初、家に帰ってからヨハネによってバプテスマを受けました。その後、彼は四十日間に渡って断食をしたのです。当初、彼は自分自身を「神の使い」(メッセンジャー)と見做していました。
大抵の求道者と同じく、イエスはまず物質界の中に神を探しました。しかし、イエスはまもなく、世界は自分の想像が作り出す千変万化の心象であるということに気づき、自分の内にいる神を探そうとしました。
ヒマラヤでカシミールの僧院のいくつかに滞在し、それから、他の東洋の苦行や哲学の探求の為に庵のいくつかに滞在したことは、イエスにさらに大きな気づきをもたらしました。
その時、イエスは「神の使い」(メッセンジャー)という姿勢を脱して、自分を「神の息子」と呼べるようになりました。神との関係の絆が強まったのです。「私」は、もはや離れたところにある光や存在ではなくなりました。
光は「私」の一部となりました。肉体意識が支配的だった時、イエスは神の使いでした。ハートの意識が優位になると、イエスはさらなる近さと親しみを感じるようになり、そのため、その段階では「父と息子」という絆がふさわしいと思えたのです。
その後、アートマの意識が確立すると、イエスは「私と私の神は一つである」と断言することができました。
以上の三つの段階は、「私は光の中にいる」、「光は私の中にある」、「私は光である」という言葉で表現することができるでしょう。
そしてこれは、ヴェーダの哲学でいう「二元論」(ドワイタ)、「条件付不二一元論」(ヴィシシタ アドワイタ)、「不二一元論」(アドワイタ)という各段階になぞらえることができるでしょう。この最後の段階は、一切の二元性を脱した段階です。これはあらゆる宗教の規律と教えの神髄なのです。

ポニョ:若いのに偉いですよね。そんな不二一元の教えを悟ることが出来るなんて。その後、イエスはエルサレムに戻り、自分が悟った教えを説き始めたんですよね。

サイ:当初、イエスは彼の最初の弟子として漁師達に向かって宣教を始めました。彼は漁師達に最初に「天国」を求めるべきだと彼らに教えました。その王国に入るためには、全てを愛する心を育てなければいけない。そうすれば、彼らの心自体が天国になるでしょう、と説きました。

ポニョ:先ず、漁師から教えを説いたって面白いですよね。確か、全然、魚が漁れないので、湖のどこそこに行けば魚が漁れるよとアドバイスをしたんでしたよね。
その後、イエスはエルサレムにある寺院の中で、人々が鳩を売ったり、神のお住まいに相応しくないような行為をしているのを正そうと思ったんでしょう?

サイ:その頃のエルサレムは大変腐敗していました。イエスは、さまざまな神殿を巡った結果、神殿がバザールに成り下がっていて、そこでは恩寵が安売りされ、金儲けの手段になっていることを知りました。そのような慣習を黙認したり奨励したりしている司祭たちをイエスは非難しました。そのせいで、イエスは神殿や僧院の長たちの怒りを招きました。彼らはイエスの弟子の一人を銀貨三十枚で誘惑し、イエスを裏切って自分たちの手下になるように仕向けました。
ローマ人の支配者たちは、イエスは自分は王だと主張している、だから反逆罪で罰することができると聞かされました。彼らの主張によって、総督はイエスを十字架に磔にするよう命じました。

ポニョ:酷いじゃないですか。当時のエルサレムの腐敗度は、現代の日本の政治、社会と変わりませんよね。本当に腐っていますね。
その後イエスは弟子達を集めて最後の晩餐会をするんですよね。

サイ:イエスは、「最後の晩餐」で食されたパンはイエスの肉であり、飲まれた葡萄酒はイエスの血であると言いました。これは、肉と血を有して生きているすべての生き物をイエスとして扱うべきであり、友や敵、自分たちや彼らといった一切の区別をすべきではない、ということをイエスは意味していたのです。
どの体もイエスの体であり、そのパンによって維持されています。どの生き物の血管を流れる血液も、一滴一滴すべてがイエスの血であり、その葡萄酒が与えてくれる活力によって動かされています。つまり、すべての人は神であり、神として尊ばれるべきなのです。

ポニョ:そしていよいよ十字架に架けられるのですが、その時にイエスは神からの御言葉を聞いていますね。

サイ:釘で十字架に打ちつけられていた時、イエスは、「すべての命は一つ、私の愛しい息子よ、すべての人に等しくあれ」という、父の声を聞きました。そして、「私を十字架に打ちつけている者たちが許されますように。彼らは自分が何をしているかわかっていないのです」と神に訴えました。イエスは人類のために自らを犠牲にしました。
イエスが自分自身の生命を犠牲にしてでも人々に伝えたかった事は、人は少なくとも一つの欲望を犠牲にして、その衝動を抑え、エゴを少なくしなければならないという事です。

ポニョ:以前、ヒスロップさんに十字架のペンダントを物質化されましたよね。あのペンダントのイエスはとても痩せていました。

サイ:そうですね。十字架に架けられる前に、イエスは長い間、断食をして何も食べていなかったのです。それにあの十字架のペンダントに使われた木は、二千年前の本物の十字架の木を使って作られた物なのですよ。だから物質化するのに、少し時間がかかりました。

ポニョ:サイババさんは時間を超越されることが出来ますから、二千年前の十字架に使われた木をタイムトラベルをして探して来られてペンダントを作られたんですね。すごいな。すごいな。
自分も一度、タイムトラベルがしたいな。ところでイエスは、そのあと復活して若い時に訪ねたカシミールの僧院へ再び旅していますよね。その事はこのブログで記事にしました。
カシミール地方のスリナガルのロザバル聖地に葬られているのは、イエスの肉体だとおっしゃっていましたよね。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/2b2b98bdcca95a1f4ce3369412bd35fd
サイ:そうですね。イエスはカルカッタやマレーシアまで行ったのですよ。

ポニョ: マレーシアまでって、結構遠くまで行かれたんですね。カシミールへはお母さんのマリアさんも一緒に行かれて、イエスと共に幸せな晩年を送られたんでしょう。良かったですね。
自分は、食欲を犠牲にするのはとても難しいですが、毎年、一つずつ好物を食べるのを止めて行こうかなと思っています。オクラの天ぷらが一番最後になると思いますが。
それでは今日は、お忙しいところお邪魔をして、貴重な時間を取って申し訳ありませんでした。
それでは一日も早く再降臨される事を願って地上界で首を長くして待っていますから、早く戻って来て下さいね。それでは今日は、これでおいとましたいと思います。サイババさん、本当に有難うございました。サイラムです。

あなたは神の使い、すなわち召し使いとして働きます。
後に、あなたは息子が父を崇拝するように神を崇拝するようになります。
そして最後に、あなたと神は一つであるという英知を獲得します。
これは霊的な旅であり、イエスは明確な言葉でその旅路を示しました。
イエスは人生のごく早い時期に、自分は霊性の道を照らすためにやって来たと言いました。つぼみの時でさえ、イエスはかぐわしい香りを放っていました。
イエスの内には光がありました。
そうでなければ、どうやって小さな蛍に明かりを灯すことができるでしょう?
1978-12-25

サイの会話の一部はsspjの翻訳を使わせて頂きました。有難うございます。