サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

マシュマロ テスト

2018-12-02 04:00:45 | 日記
「人間の束縛と解放をもたらす原因は心です」。
心が揺れ動くのは、あなたが欲望を抱えているからです。
ですからあなたは、欲望を手放したときに、初めて平安を手に入れることができるのです。ただ単に慈善行為をするだけでは、崇高な人物になることはできません。
一心に帰依をして、自らを神に捧げなさい。
そうして初めて、平安と幸福を手に入れることができます。
あなたの欲望をコントロールしなさい。
あなたの思いをコントロールしなさい。
そうすれば、すべてをコントロールできるようになります。23/11/05

ポニョ:以前の記事であんたは、心は識別心でコントロール出来るし、その心は以前から言っているように、感覚器官をコントロール出来るし、その感覚器官は身体をコントロール出来るから、常に何が正しい行動かどうか、何が間違った行為かを識別しながら生きていけば、人生を道を外さず生きていく事ができるって言ってたけれど、人は誰でも欲望を持っているやろ?その欲望の強さに応じてそういう事ができるかどうかが、決まってくるような気がするぜよ。だって、ある人はオクラの天ぷらが美味しいと言ってもああそうですか?と言って全然反応しないし、おいらみたいにオクラの天ぷらと聞いただけで、ヨダレがタラタラと流れてくる人もいるやろ。

ヨシオ:つまりポニョが言いたい事は、欲望が強ければ感覚器官をコントロールするのが難しいって言いたいんか?

ポニョ:そうと思えへんか?欲望が強ければ感覚器官なんてコントロール出来るわけがないじゃんか。

ヨシオ:何がないじゃんかや?ポニョはマシュマロテストって聞いた事がないか?

ポニョ:マシュマロテスト?マシュマロってあのフワフワしたゴーストバスターズに出て来たマシュマロマンの事か?

ヨシオ:マシュマロって聞いてすぐに映画が浮かぶってポニョはやっぱり映画の見過ぎや。俺は昔、心理学をちょいとかじった事があるんや。その中で行動科学という科目があって、マシュマロを使った実験をするんや。

ポニョ:マシュマロって美味しそうやもんな、フワフワして。子供の頃に食べ過ぎて、息が出来ずに窒息してしまった事があったぜよ。

ヨシオ:あのね…。窒息するぐらい一度に口に頬張るなよ。それで、テストというのは、保育園児たち約五百五十人を対象に行ったんやけれど、保育園児の目の前に、マシュマロを一個だけ置くんや。そして食べるのを少し我慢すれば二個あげるよと言って、その子が一定の時間食べるのを我慢出来るかどうかを見るんや。

ポニョ:それって犬にお預けと言って餌を食べさすのを我慢さすのと似てるよな。おいらはそういうテストは大嫌いやぜよ。ヨダレがタラタラ出てくるやろな。

ヨシオ:それでその後の保育園児たちの追跡調査を行って、その園児たちがどんな人生を歩んだかを調査したんや。すると、とても面白い結果が出て来たんや。園児の時にマシュマロを食べるのを我慢出来、自制心が強い子は大きくなって学校の成績も良く、肥満度も低く、対人関係においても適応性が高かったんや。また中年期になった時に脳の調査をすると、自制心が強かった子供は脳の理性的な活動に使われる領域の活動が盛んで、逆に子供の頃に自制出来なかった人の脳を調べると、欲情や快楽、中毒といった領域の活動が盛んになっていたんや。

ポニョ:それは面白い調査やぜよ。それをマシュマロテストっていうんか?ふーん。知らなかったぜよ。おいらは、絶対我慢できずに食べてしまうから、欲情や快楽や中毒といった脳の領域が盛んなんやろうか?

ヨシオ:ポニョの場合は、オクラ中毒やろな。このようにポニョが最初に提起したように感覚器官をコントロール出来るかどうかは、子供の頃から人によって違うんや。

人々は、欲望を満たすことによって幸福が得られるという誤った認識に陥っています。
実際は、幸福は欲望が満たされたときではなく、それがコントロールされたときにもたらされるのです。
人は欲望をコントロールすることによって至福の状態を味わうことができます。
自分の欲望を満たしたいと強く願う人は、いつも落ち着きがありません。
欲望は外側に向かう道(プラヴリッティ)に対応していますが、そこにはひとかけらの幸福も存在しません。
皆さんは、世の中に幸福があると考えて迷妄に陥っていますが、そうすることによって、内に向かう道(ニヴリッティ)からますます離れていくのです。5/7/01

ポニョ:ほら見なさい。欲望をコントロール出来るかどうかは、人によって違うって言ったやろ。当たってるやないか。

ヨシオ:当たってないって言ってないやろ。つまり欲望をコントロール出来るかどうかは、前世から持ちこしているその人のカルマによって変わって来るんや。その人がどれくらい物に対する執着心を持っているか?想いを持っているか?によって変わって来るんや。

ポニョ:という事は、マシュマロを食べないぞ、我慢すれば後でまた一個もらえるぞ。という強い意志の力は、その園児の前世から培った想いから来るってことになるんやな。

意思の力は想いから生じます。
意思の力は知的な力、識別の能力等々のいくつかの力の源です。
意思の力を培うためには、女神様を崇めなければなりません。
その為には、無執着の精神を培うことが必要です。
例えば、幾種類もの飲み物を飲みたいという欲望が浮かんだとします。
その時最初にその幾種類の飲み物の内の一つを選んで、それに対する欲望を捨てます。
そうすることによって意思の力を増し、他の沢山の種類の飲み物も飲みたい、という欲望をコントロールする事が容易に出来るようになります。
ヴェーダンダの用語では、それをヴァイラギア(一切の執着を捨て去る。)と称します。
ヴァイラギアは家庭を捨て、森へ入ることを意味することではありません。
それは神さながらの思いをつちかい、世俗の感情を捨てるという意味です。
中庸な生活をうまく保って実践するならば、自然力をコントロールする事が出来ます。
自然力をコントロールすれば,人の心の力は強化されます。4/10/92

ヨシオ:そういう事になるよな。

ポニョ:という事は、大人達がマシュマロテストを園児達にして、誰が食べるのを我慢出来るか、誰が出来ないかを実験によって知る事ができるけれど。それってその実験によって、その園児がどれくらいの前世からの欲望やカルマを持っているか知ることができるぜよ。それって面白いぜよ。おいらが聞いた話は、チャイタニアさんがグルから氷飴を舌の上に乗せられて、グルが散歩から帰って来るまで、氷飴を溶かさずに舌の上に乗せて置くように言われて、グルが帰って来てもまだ、氷飴がそのままやったのでグルが驚いて、感覚器官をコントロール出来るあなたが私のグルになって下さいと頼んだエピソードは有名やぜよ。という事は三つ子の魂、百までって事なんかな?

ヨシオ:全ての人は、みんな霊的に違ったレベルを持っていて、それぞれ違う傾向や嗜好やカルマを持ってこの世界に生まれ変わっているんや。でもその全ての人たちは、一つの神様という山を目指して登っているんや。そして、一回一回生まれ変わる度に、人はこの世の物事に対して欲望を満たしたりしても、本当に心から満足出来なくて、この世の無常さを悟っていくんや。そしてこの世の物事に少しずつ囚われなくなり、だんだんあ欲望も無くなってきて、そのうちに感覚器官もコントロール出来るようになっていくんや。そして、最後には神さんだけを求めるようになるんや。

ポニョ:以前、そういう事を記事にしたよな。でも、神さんだけを求めるって言っても、神の名前を使って金を集めたりしている輩も増えて来たぜよ。

ヨシオ:そういう神の名前を利用して金を集めるという、誰かの欲望と結びついた行為は、神とは何の関係も無いんや。欲望でも、神さんへの欲望だけが神さんと関係があるんや。

今日行われていることは神の御名を呼びつつも実際には悪魔を拝めているのです。
一切の世俗の欲望は悪魔と関係があり神とは関係がありません。
欲望をコントロールするにつれて人は至福に満ちるのです。22/10/95

ポニョ:ふーん。今日は面白い話を聞いたぜよ。そうか。マシュマロテストか。今度、誰かの子供を捕まえてテストしてみようかな?子供がヨダレをタラタラ流すのを見るのが楽しみやぜよ。

ヨシオ:そのテストに落第している者が試験官になれるわけがないやろ。

もし、もう一度皆さん全員が子どもになることができれば私はとても幸せです。
子どもは怒り、情欲、嫉妬、うぬ ぼれ、そしてエゴという悪い性質をもつことは決してありません。
イエス キリストはいつも子どもたちの無垢な性質を喜んでいました。
ある時、イエスは群集の中にいた一人の母親のひざから小さなこどもを抱き上げて言いました。
「私はこの小さな子どもが大好きです。彼女は神のすべての資質をもっています。純粋でエゴもなく、完全な至福の中にいます」
子どもは本質的に神です。
大きくなるにつれ、子どもは過度の欲望、執着、怒り、嫉妬などといった悪い性質を育ててしまいます。年令を重ねるとともに、悲しみと困難もまた増します。
ですから、人は自分の欲望をコントロールできるよう努力すべきなのです。
それは欲望に上限を設けること(節制)です。
もし、このコントロールを身につけることができれば、あなたは神の力の影響下にあります。
さもなければ、あなたは欲望の力に惑わされ、決して出ることができない渦巻きにはまってしまうことでしょう。
単純で純粋無垢な子どもは、神への道です。
私はあなた方に、少なくとも一日に一分間、子どもになってほしいと思います。
皆さんは子どもの特徴である気高い性質を見習うべきです。
たとえば、あなたが欲望に悩まされているとすれば、欲望はあなたの気高い性質にふさわしくないとみなして追い払いなさい。
そうして初めて、あなたは胸を張って歩けるのです。 28/8/04