サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

無言のルッドラム

2018-12-31 04:00:23 | 日記

ポニョ:もうこのブログも終わりに近づいているけれど、身体の具合はどうですか?

ヨシオ:毎日、ルッドラムを唱えたいけれど、もう、声を出して唱えるパワーが無くなって来たので、心の中だけで唱えているんや。心の中で唱えると、息継ぎをしなくても良いので、あっという間に終わるから、一日に何十回も唱えられて嬉しいな。

ポニョ:心の中で唱えるって、声を出さないんやろ。それって、心があちこちに彷徨うと出来ないのでは?

ヨシオ:舌や唇も動かさないな。ポニョのように、心をコントロール出来ない人は難しいやろな。俺の場合は、ルッドラムが霊体に刻まれているから、通りを歩いていても、人に話しかけられても、車を運転していても、と言っても今はもう運転は出来ないけれど、いつでもナマカムとチャマカムぐらいは、最後まで心の中でキチンと唱える事が出来るな。

ポニョ:と言うことは、自分はまだマインドをコントロール出来ていない証拠やぜよ。

ヨシオ:そうやろな。テレビの見過ぎや。今、この物質世界では、ルッドラムを唱えると肉体と霊体と一緒になって唱えられるけれど、一旦、肉体を離れて霊界に行くと、そこは心の世界やから、肉声は出せないやろ。だから心でしっかりとルッドラムを唱えられない人は、霊界でもルッドラムを唱えられないんや。だから今の間にしっかりと練習しておいて下さい。

ポニョ:出来るかな?心をコントロールするなんてめちゃ難しそうやぜよ。

ヨシオ:実は石も含めてこの世にあるものは、全て心を持っているんや。だって神さんの心から創造された物やから。だから、ババが意思されただけで、何でも物質化することが出来るって今まで何度も言ったよな。

ポニョ:でも、人は自然を心の無い物として扱っているから、自然も聞く耳を持たない人間に対して呆れてしまっているんやろな。

ヨシオ:リグヴェーダに、母なる自然を自分の実の母親とみなして面倒見てあげなさいと書いてある。

ポニョ:自分の母親として扱うどころか、金をそこから稼いだ後、使い捨てのボロ雑巾のようにしてして扱っているぜよ。

ヨシオ:人は鉱山など物質的に地球の貴重な資源を収奪しているばかりではなく、その想念の力によっても自然を破壊してるんや。ババは人の悪い想念も自然を破壊する。とおっしゃっている。元々人も自然も神さんも一つのところから来てるんや。だから自然を破壊するって事は自分自身を傷つけているのと同じ事なんや。

ポニョ:そう言えばババがある学生に、もし君が森の中を歩いていて棘を踏んだらどうするって聞かれたことがあったな。それで学生が手で抜きますと言ったんや。するとババが足が棘を踏んだら手がそれを助ける。目も痛みを感じて涙を出す。このように人の身体にはいろんな器官があるけれど、身体全体が社会としたら、それぞれの器官は人間で、それぞれ痛みを分かち合って助け合いをしなくてはいけないと言われたんや。そして、社会の上に位置している自然や神も繋がっていると言われたんや。

ヨシオ:個人、社会、自然、神やな。神さんの次が自然なんや。

ポニョ:だから昔の人はそのことを知っていて、自然の中の神様である八百万の神を礼拝してたんやな。

人類は私のサンカルパ シャクティ(神の力、宇宙エネルギー)のシェアホルダー(分かち持っている者、株主)です。私は人類を通して働き、人類に宿る神を目覚めさせ、人類が自然の法則と力を支配することができるよう徐々に人類をより高次の実体へと進化させなければなりません。
もし、私が何でも即座に治して人々を今のレベルに留まらせていれば、人々はすぐに、すべてをめちゃくちゃにし、また互いにいがみ合い、その結果、世界は前と同じ混沌とした状態になってしまうでしょう。
苦難も困難も、宇宙のドラマの避けることのできない一幕です。
そうした災害は、神が定めたものではなく、人間が自らの悪業(あくごう)の報いとして招いたものです。
それは人間を矯正するための罰です。
そうした罰は、人間が「サット・チット・アーナンダ」(絶対実在・純粋意識・至福)、すなわち英知と至福を有する神に近い状態を体験できるよう、人々に悪の道を歩むのをやめさせ、正しい道へと連れ戻します。
これらはすべて、大いなる統合の一部であり、そこではネガティブなもの(負・陰)はポジティブなもの(正・陽)の栄光に服従します。
そのようにして、死は不死を称え、無知は英知を称え、苦は至福を称え、夜は夜明けを称えます。
ですから、結論として、もし、あなたが言ったように、即時の終焉をもたらすためにアヴァターが災難を引き起こすとしたら――私にはそれができますし、どうしても必要とあらばそれを行いますが――カルマの法則にのっとった、創造のドラマ全体が崩壊してしまうでしょう。
そうした災難は、神が人間にもたらしたものではなく、まさしく人間が人間にもたらしたものであるということを覚えておきなさい。
ですから、人間は、カルマ的なものを超越して指揮権を持つことができるよう、エゴを滅ぼし、代わりに超越的な意識を持つことによって、自らを壊して作り変えなければなりません。MBAIp95-p96

ヨシオ:日本だけではなく、世界中で人々は自然を敬って崇拝し、神として拝んで来たんや。オーストラリアではアボリジニによって、インドでも蛇神様や、蟻塚神様まであるんや。ババはその自然を創られた神さんやから、自然を全てコントロールすることが出来るんや。昔、まだアシュラムに人が少なかった頃、ババがブリンダヴアンに来られて散歩をされていた時、マンゴーの木の上に猿の集団がいたんや。ババは近くにいた人にラジュマタさんの家に行ってピーナッツをもらって来なさい。と言われたんや。そして、それを片手いっぱいに掴むとおもむろに手のひらを開けて、木の上にいる一匹の猿に見せながら目配せして降りて取りにこいと合図されたんや。するとその猿はスルスルっと木から降りて来て、ババの手のひらの上に乗っていたピーナッツを取って行ったんや。それを見ていた他の猿たちも一斉に木から降りてきたんや。

ポニョ:そんな事をしたらパニックになるで。おいらも経験あるけど、インドの猿ってとても人馴れしてるから、平気でカバンの中やらポケットの中まで手を突っ込んで食べ物を取りにきよるんや。攻撃的やしな。

ヨシオ:と、普通やったら思うやろ。ところがなんと、全ての猿がババの前に行儀良く一列に並んで、一匹ずつババからピーナッツをもらってたんや。そして全部の猿に行き渡った途端、また全部の猿が木の上に登って行ったんや。

ポニョ:信じられないぜよ。野生の猿が行儀良く一列に並んでピーナッツをもらうって。

ヨシオ:それを見ていた一人の帰依者は、ババのことを長年知っているけれど、これほど凄いとは思わなかったので、改めて心底からババのことを神様だと実感したと言ってたな。

ポニョ:そら、誰でも野生の猿までそんな風にコントロール出来るシーンを見たらそんな気になるよな。

ヨシオ:今社会が病んでいる一つの原因は、人々の強欲にあるってババは言っておられる。欲望を節制した生活を送らないと、欲望ってキリが無いからどこまで行っても終わりが無いやろ。

ポニョ:会社の儲けも、その会社がどれくらい社会に貢献したかによって利益を得る仕組みにならないといけないのに、反対に利益だけを追求して社会のことなんて二の三の次になってるよな。特にグローバル企業が全然なっていないな。利益の追求だけやもんな。役員は、桁が四桁ぐらい違うめちゃ大きい額の給料を取ってるしな。

ヨシオ:お金も神さんやから金持ちがどんどん金持ちになり、貧しい人はますます貧しくなって行く今の社会のあり方を根本から変えていかなあかんやろな。プラトンは人の理想的な社会では貧しい人の給料と金持ちの収入の差が四倍を超えてはならないと言ってたけど、今では四倍どころか四千倍ぐらいになっているんと違うか?ひどい世界や。

金持ちといわれている国の人々に精神的な平安はありますか?
彼らは恐れ、緊張、心配事、不満足というものをその国から追い出しましたか?
そうではないでしょう?金持ちというのは、これらのことに関して気にとめないのです。SSSvol6p125
裕福な人に、幸せですかと尋ねると、どんな答えが返ってくるでしょうか?
おそらくその人は、次のように答えることでしょう。
「私にはお金がたくさんあって、子どもたちも安定した生活を送っています。私の家にはさまざまな家具や、便利で快適な設備が整っています。生活に必要なものは何でもそろっていますが、心の平安だけはありません」。
どうすれば心の平安が得られるのでしょう?
自分の神性に気づいたときに、初めて心の平安が得られるのです。
私たちはどうして平安を体験することができないのでしょう?
どこが間違っているのでしょう?
私たちは、いつも他者に向かって「あなたは誰ですか?」と尋ねますが、「私は誰だろう?」と、自らに問いかける努力をしていません。
そこが間違っているのです。
いったん私たちが本当の自分に気がつけば、苦しみや困難から永久に解放されます。
ですから、何よりも先に、私たちは本当の自分を知るための努力をすべきです。
本当の自分を知らないままに、それ以外のすべてのことを知っても、それがいったい何の役に立つでしょうか?23/11/05

ポニョ:そういう意味で、ババがコダイカナルで孤児のために学生たちに麦わら帽子を買って、経済的に支援するようにと言われた話は良かったな。

ヨシオ:実は、麦わら帽子だけの話だけではなく、ババはいろんな困った人たちを助けておられるんや。ある日コダイカナルでババは学生たちに綿菓子をプレゼントされたんや。ババの座っておられる椅子の横の箱の中を見るとなんと百本近くの綿菓子が入っていたんや。それでその綿菓子をどうしたのか聞くと、孤児の男の子がいて、昼間に学校に通い、夜になると綿菓子を売って学費を稼いでいるんやて。ババは、その子の売っている綿菓子を全部売値の倍の値段で買ってあげたんや。そして、その子にしっかり勉強して立派な人になるんだよって祝福されたんや。

ポニョ:綿菓子って子供が喜んで買って食べるやつやろ。それをもらった学生たちも子供の心になって食べたんやろな。

ヨシオ:またある時も、学生たちに500ルピー札を渡して、ある露店で買い物をするように言われたんや。その露天商はチベットに残してきた子供達や家族を養うためにわざわざコダイカナルまでやって来てるんや。ババはその露天商を支援したいので、このお金を他の店で使わないようにと言われたんや。

ポニョ:その露天商がチベットからわざわざ来て、子供達を養うために働いているのを知っておられるのはババだけやもんな。本当においらの神さんは愛の化身やな。

ヨシオ:このように、ババは人々にお金をどのようにして使えば良いのかを教えておられるんや。お金だけではなくて、時間の使い方や、エネルギーを無駄にしないような生き方を学生たちに自分が手本を示して教えておられるんや。ある時ブリンダヴアンでコーヒーが入った魔法瓶を持って階段を降りて行く人がいて、ババが階上からちょっとこっちに来てくれますか?とその人を部屋から呼ばれたんや。その人は下にある台所のテーブルの上に魔法瓶を置いてから行こうと思って、まず下まで降りてからまた、階上へ行きババの部屋に入って行くと、ババはどうして一分前に来なかったの?もう用は済んだから戻ってもいいよ。と言われたんや。

ポニョ:たった一分違いでもババにとったら、大きな事なんやろな。

ヨシオ:ババは神さんやから、言われたり、命令されたりした時は何をしてても直ぐに従わなければならないんや。俺も、プライベートインタビュールームにジャパン入りなさい、と言われた時に俺はオーストラリアから来てるしなと一瞬躊躇したら、私の時間を無駄にしないで下さいね。と叱られたことがある。

ポニョ:でも、さっきの魔法瓶の件やけど、本当はコーヒーを飲みたかっただけやったのと違うんか?

ヨシオ:あのねそれやったら、魔法瓶を持って来てって言われるやろ。また、ババはインタビュールームに入られたらいつもご自分で、扇風機や証明のスイッチを点けられるんやけど、いつも器用に二つのスイッチを一緒に点けられるんや。ババはどうしてこんなふうに一緒にスイッチを点けるか分かりますかと聞かれて、最初に一つのスイッチをつけてから、三秒後にまた違うスイッチを入れると三秒間エネルギーを無駄に使ってしまう事になるから、同時にスイッチを入れると言われたんや。というのも、このエネルギーはあなた方が作ったものでは無いので、それを少しでも無駄に使うと罪を作ることになると言われたんや。

ポニョ:あのね、大企業のオフィイスを見てみ。残業のためとはいえ、大きい部屋に一人しか残っていなくても全てのビルの電気が煌々とついたままやで。どれだけエネルギーを無駄にしてるか分かれへんな。三秒間だけ無駄に使っただけで罪を作るやて。神さんから見たら人類は罪作り生物やな。

ヨシオ:俺はババの代わりにスイッチを入れようとしたら、ババが肩を叩いていいよいいよ、私がするんや。と言われたけど、本当は自分のやり方でスイッチを入れたかったんかもしれんな。それに、インタビューが終われば直ぐに全ての電気を消されるしな。

ポニョ:まあ言ってみれば、ババは京都や名古屋人向きやな。

ヨシオ:なんでやねん。

ポニョ:めちゃケチやんか。あっそんな悪い冗談言ったら怒られるな。取り消し取り消し。

ヨシオ:残念でした。もうアカシックレコードに記録されましたよ~。

 あなたがたは、意味のないものを追い求めることによって多くの時間を浪費しています。
時間の浪費は人生の浪費です。
私たちの祖先は、ただの一分さえも、決して時間を無駄にしませんでした。
彼らは、神を時間の化身であると見なし、次のように称えました。
「時の化身にひれ伏します。時を制するものに、時を越えるものに、時を定めるものに、ひれ伏します」
あなたがたは、なぜ、時間がまさに神であるという真理を忘れてしまったのですか? 
皆さんは、日曜日を、リラックスして楽しむことができると思いつつ待ちわびます。
実際のところ、日曜日に何の仕事もしないことによって時間を無駄にしていることを悲しむべきなのです。
皆さんは、自分の時間を適切な方法で活用すべきです。
仕事が何もないときは、社会奉仕を引き受けなさい。
仲間を助けなさい。
母国のためにいかなる犠牲をも払う覚悟でいなさい。19/11/02