死ぬための準備ができていない者は不幸な運命に遭遇します。
人生の最後の時を迎えたときにオウムのマントラを唱えることができるように熱心に修行しなさい。
誰であれ死に際してプラナヴァ(オウム)を唱えるものは私に達するとクリシュナは言いました。
息を引き取る時にオウムを繰り返して唱えなさい。
至高の神を常に思い起こすことは、あなたの今生と来世での幸福を至高の神に委ねる力を持つのです。SIP4ー5
ポニョ:ログハウスの会社を視察しに、ニュージーランドのクライストチャーチまで行ったっていう話をするって言ってたよな。
ヨシオ:その会社はとても大きな工場を持っていて、中を見学させてもらったんや。一つ一つの壁材を寸法通りに切り、一枚の壁を床に並べて組み上げていたので、広大な敷地が必要なんや。それに、三枚の板を接着剤でくっ付けてログを作っているので、曲がったりしないんや。
ポニョ:それがログハウスの一番の欠点やもんな。長年使っている内に、家じゅうの壁が隙間だらけになってしまうんや。
ヨシオ:そういうことや。また、クライストチャーチやその周辺にある、今までその会社が建てたログハウスの見学にも行ったな。二十五年前の話やけどな。それで、この記事を書くために、少しその会社の事を調べたんやけれど、俺が昔取引した会社となんか違う会社みたいになってたな。昔は、もっとたくさん違う種類のログハウスを売ってたんや。
ポニョ:多分、経営者が変わったんやろ。二十五年前ってひと昔やもんな。
ヨシオ:二十五年前、クライストチャーチに行った時に、その会社の経営者と会っていろいろと交渉してたんや。その交渉の過程で、俺は、その経営者の頭の中は金儲けの事しか無いって気付いたんや。でもその経営者は、交渉が終わってから最後にこう言ったんや。「実は、私は最近、医者から癌と診断されたんです。もうどれくらい生きれるか分からないんです」と。その経営者が俺にこういう話をするって何の偶然でもなく、彼の守護霊が、俺に霊的な話をその人にするように言っているような気がしたので、早速、その経営者に向かって、次のような霊的な話をしたんや。「誰でもこの世に生きている人は、毎日、一歩ずつ墓場に向かって歩んでいる。そこに到着するのが早いか遅いかは問題じゃない。それより、どれだけ心をきれいにしてそこにたどり着けるのかが大切だ。君も、商売ばかりして金をより沢山得ようと競っている世界に生きているけれど、もっと自分の持っている財産や特技などを、社会や困っている人々に還元する事を考えた方が良い。人は、自分が死に直面した時に初めて、人生の意味を考え始めるけれど、君は早くからそういう事をしっかり考える機会を持てたのでラッキーじゃないか。人は、どこから来て、どこへ行くのか?生きている間に一体何をしなくてはいけないのか?人生の目的って何だろうか?そういう人が生きて行く上での、根本的な基本的な問いに向かい合う良い機会を持ったんだ。少しビジネスをスローダウンして、自分自身の事をしっかりと考える時期に来ていると思うよ。いくらお金を持っていても、そのうちのたった一セントだって、君はあの世に持っていけないだろう。」と言ったんや。俺が突然こんな話をしたもんだから、その人は目をパチクリして、驚いた様子で聞いていたな。
ポニョ:人って本当に、自分に死が訪れないとでも思っているように、毎日を生きているもんな。全然死に対する準備なんて普段から何もしないもんな。
もし、スワミが望むなら、全宇宙を変容する力がスワミにはあります。
なのに、なぜスワミがこうした一切を行っているかというと、それはあなた方全員に、人生を有意義なものにするチャンスを与えるためです。
世界に裕福な人は大勢いますが、犠牲を払うという考えや発想はその全員が得られるわけではありません。
それが得られないのは、過去何生にもわたって蓄積された不幸です。
死ぬ時には一握りの土さえ持って行くことはできないのなら、どれほどの財産があっても何の役に立つでしょう!
精を出して財を蓄え、そのすべてを銀行に預け、その上、不正所得までため込んでいても、神聖な目的のために私財を犠牲にしようという思いに駆り立てられる人は一人もいません。
隠し財産は汚物同然です。そんな財産は必要ありません。
ハートは純粋で神聖であるべきです。
そうなるためには、あなたの犠牲は神への犠牲であるべきです。24/11/2000
ヨシオ:でも最近では、「死への準備パック」何てものが有って、遺書を書いたり、自分の葬式の準備をしたり、遺産相続なども生前に全て手続きをしてしまう書類作成のセットが、無料で手に入るようやな。
ポニョ:突然、人って往ってしまうから、生前にそういう準備をしておいた方が良い事は良いやろな。おいらも遺書を書いてみようかな。
ポニョの遺書
私、ポニョは、この地球に産まれ落ちて以来、全ての創造主である、本当の実の親であるあなたの事を思わずに、あなたに全然感謝の気持ちも持たずに一生を過ごして来ました事を、先ず、この場を借りましてお詫び申し上げたいと思います。もちろん、苦しい時には、少しだけあなたの名前を呼び続けたことはありますが、でも、一旦嵐が過ぎ去れば、すっかりあなたの事を忘れてしまって、この世の物事の享楽に我が身を弄んで、浮き沈みの世の中を楽しんで参りました。でも、今こうして、遺書を書くに当たり、私、ポニョが歩んで来た人生を鑑みるに当たって、とても後悔しております。もっと、もっとあなた様の事を思って人生を生きて行けば良かったな、水に浮かび、すぐに消え去る泡のような運命の肉体に執着して、あゝ、やれシワが増えたとか、やれ物覚えが悪くなったとか言って嘆きながら、ほんの小一時間でもあなた様の事を思う何てしませんでした。そして、この一瞬一瞬滅びゆく肉体を、人様の為に使おうとはしませんでした。今、そうした生き方を後悔しております私は、宮沢賢治の童話に出て来るサソリになったような気分でございます。そのサソリは、狐に追いかけられ、捕まって食べられまいと飛び込んだ井戸で溺れて死んだ、あのサソリの事です。その時そのサソリは、狭い井戸の底からきれいな星々を見上げながらこう呟きました。嗚呼、僕はなんて不幸なんだろうか!こんなところで、溺れて無駄死にするんだったら、一層の事、あのお腹が空いていた狐にこの体を食わせてあげれば良かった。私もそのサソリのように、自分の事ばっかり考えて生きてきました。でも、そのサソリが自分の体を狐に食わしてあげれば良かったと後悔した途端、神様がそのサソリの思いに心を動かされて、サソリを天に持ち上げ、空に浮かぶサソリ座にして下さいました。私も、そこまで立派な星座は求めませんが、美人の乙女座の横に、ちょこんと並べていただいたら嬉しいんですが…。そして後世の人たちから、あの星座が、死ぬ前に神様の事だけを思って亡くなって星になったポニョさんの星座だよ。って言われたいなぁ。名前もポニョ座なんて、粋じゃないですか。一つ奮発してくれませんか?お願い致します。ポニョの遺書でした。
ヨシオ:あのな、誰が遺書に神さんに星座にして欲しいって頼む人なんているんや。変なおっさんやなぁポニョは。でも面白かった。
ポニョ:死に行く為の公文書セットって日本でもよく似たものが有るぜよ。でも金が絡んでいるけどな。本当に日本って、墓地代や管理費が、目ん玉が飛び出るくらい高いから簡単に死ねないぜよ。あんたのお袋さんのように、お袋さんの遺灰を思い出の場所に撒いたら終わりっていう訳にはいかんぜよ。
ヨシオ:そうなんか。公共の場所やったら、こちらでは、遺灰をどこに撒いてもええんやけどな。
ポニョ:何れにしても、自分が死んだ時の事を想定して、財産分配やお墓などの準備も大切かもしれないけれど、もっと精神的な準備、つまり残りの人生を、神様の事だけを考えて生きて行く人っていないよな。
ヨシオ:ババが著された本はたくさんあるけれど、俺がその中でもとても気に入っているのが,バガヴァットバヒニなんや。
ポニョ:知っているぜよ。王様が毒蛇に咬まれたんやけど、自分が死んで行く前に、一体どうすれば良いのかをスッカという聖者に聞く話やろ。バンガロールにアガスティアの葉じゃないけれど、スッカナーディというのがあって、アガスティアと同じように古いヤシの葉に書かれた個人の記録や未来の事を探し出して、教えてくれるんやけれど、そのスッカさんが書かれたんやろうか?
ヨシオ:そうやろな。スッカさんは、聖者ヴィヤーサの息子さんなんや。
ポニョ:ヴィヤーサって、マハバラータを書かれたり、いろんなヴェーダを編纂されたりしたので、ヴェーダヴィヤーサと呼ばれている有名な聖者やぜよ。スッカナーディも予約をしないと一元では見てくれないぜよ。時には何ヶ月も待たなくてはいけないんや。
ヨシオ:でも星やんが行ったムンバイのブリグは、予約をして直ぐに見てもらったと言ってたな。しかも、見終えてからそこを出て、タクシーに乗って帰る途中、一つ大事な事を聞き忘れたので、車をUターンさせて事務所に戻ったら、まだ、読み手の人が事務所の外の道の真ん中で待っていてくれていたんやって言ってたな。
ポニョ:そうそう。星やんの事が書いてあるヤシの葉っぱによると、星やんは、その日再び戻って来るって書いてあったんや。だから外で待っていたんやて。それってすごいぜよ。なんで、古代の聖者はそれだけたくさんの人たちの未来の情報を知ることが出来たんやろな。
ヨシオ:アカシックレコードに自由にアクセス出来る能力を持っておられたんやろうな。
ポニョ:それってすごい能力やぜよ。
ヨシオ:そのスッカさんの話が出て来るこの本を初めて読んだ時に、俺は全身全霊、神様の事だけを思って生きて行く事がどれだけ大切かってよく分かったな。全てを神と見て、神様の事だけを思って生きて行くって、俺たち皆しなければいけない事なんや。この本は、俺のババの本の中でも、トップスリーに入っているんや。王様も、聖者スッカの話を聞いていたら、死ぬ準備がスッカり出来ていたな。
ポニョ:久々の親父ダジャレやな。ダジャレの数は、最近はおいらの方が多いけど。その王様ってアルジュナの孫さんのパクリシット王の事やろ。
ヨシオ:あのね、勝手に名前を変えんといてくれますか?パクリシットではなく、パリクシット王なんやけど。それに、パリクシットという名は、生まれた時からこの子は、クリシュナ神を探していたから、神様を探すという、とても深い意味があるんや。というのもお母さんのお腹の中にいる時に、戦場から飛んで来た矢をクリシュナが破壊して、お腹の中の子供を救ったんや。それをお腹の中から、赤ちゃんが心眼で見ていたので、自分を救ってくれた人、つまりクリシュナを探していたんや。
ポニョ:ああそうやったな。思い出したぜよ。確かパリクシットのお父さんは、ドローナの策にはめられて迷路陣の中で殺されたんやったな。
ヨシオ:そう、その迷路陣への入り方は知っていたんやけれど、どうして出るか知らなかったんや。
ポニョ:それって、クリシュナがわざとそうさせたんやろ。だって、その子がお腹の中にいる時に、アルジュナが奥さんに迷路陣へ入り方を話していたんや。そして、その出方を話そうとしたら、クリシュナが部屋に入って来て、妊娠中の奥さんにそんな武闘の話をすると、お腹の子供まで聞いて影響を受けるからやめておきなさい、と言われたんやったな。だから出る方法を知らなかったんやぜよ。
ヨシオ:そうやったな。俺たちは、神の手のひらの上で展開される神が創られた劇の中で泣き笑いしてるっていう証拠やな。でも、その殺されたパリクシットのお父さんであるアビマンニュが、直ぐに自分の子供となって生まれ変わったんやで。
ポニョ:そうやったんか。それって面白いよな。霊の世界って、本当に魑魅魍魎の世界やぜよ。おいらも、この本のページをめくる毎に、涙が出て来て止まらなかったぜよ。横にいた嫁さんに、一体何の本を読んでいるのかと、不思議そうに顔を覗き込まれたぜよ。
ヨシオ:悲劇的な小説でも読んでいるって思われたんやろな。継母に食べ物を食わしてもらえない可哀想な子供の話とか、食べ物が絡んでいる話しかポニョの心を打つことが無いもんな。
ポニョ:そんな事ありませんよ~だ。でもマジに、ババの話を読んであれだけ泣いたのは、あの本が初めてやぜよ。また、もう一度読んでみたくなったな。ところでニュージーランドの話に戻るけれど、おいらも若い頃、バックパックを背負って、あちらこちらの国立公園にあるトレッキングを楽しんだ事があるんや。北はベイオブアイランズから始まって、トンガリロの火山にも登ったな。火山の火口のヘリに座って弁当を食べていたら、お尻が熱くなってきて飛び上がった思い出があるぜよ。また、頂上の火山湖が沸いていて、水蒸気がもうもうと上がっていたな。実は、おいら達がそこに行って数日後に大きな噴火があったんや。
ヨシオ:それって危機一髪やないか。それは危険が危ない。
ポニョ:無視しようっと。今、日本でも箱根やあちこちの火山も尋常でない地震や火山活動があるし、今年から来年にかけて、経済も落ちそうやし、アメリカでも、いろんな不穏な動きがあるし、箱根と富士山は地下で繋がっているので、箱根が噴火すれば、富士山も噴火するかもしれんし。こう見てくると、そろそろババの出番が近づいているって分かるよな。
ヨシオ:これらは全て、ネガティブなニュースのように見えるけれど、神の化身がもう一度この世に現れるための準備段階で、全てが想定通りなんや。だから、何も心配する必要は無いんや。全ては起こるべくして起こるんや。
ポニョ:あんたと話していたら、危機感が全然無くなるから、のれんに腕押し、馬の耳に念仏やな。
ヨシオ:俺は、限りなく聖者スッカに近いんや。
ポニョ:なんでやねん。
ヨシオ:何があっても受け入れるから、スカみたいやろ。
ポニョ:あのね、スッカさんが聞いたら怒りはるぜよ。名前で遊ぶのはやめなさい。
ヨシオ:それじゃ、そうスッカ。
如何なる人も、いつか必ず死にます。
その瞬間が苦悩に満ちたものであってはなりません。
優雅に微笑みを浮かべて軽く会釈をして世を去りましょう。
そうすることが出来る為には、大変な準備をしなくてはなりません。
長い一生の間蓄積してきたものを、後に残して死ぬのは大変なのです。
たった今から、一つまた一つと執着心を捨て、死ぬ日に備えて準備を始めましょう。
あなたは夢の中で様々なものを手に入れます。
権力、金、地位、名声等を。
夢を見ている間はそれ等は現実であり、あなたに満足と喜びを与えてくれました。
目が覚めて、それが実は夢だったとわかっても、あなたはそれらを失ったっことを、嘆きません。
「なんだ、夢だったのか。」と一人つぶやくだけです。
人生を歩んでいる間に集めた物を、夢と同じように無造作に扱えないのは何故でしょうか。
無執着という性質を培えば、この夢の国という舞台に幕が降ろされる時、あなたは、微笑みを浮かべて去ることが出来るのです。SSSVol1chp
人生の最後の時を迎えたときにオウムのマントラを唱えることができるように熱心に修行しなさい。
誰であれ死に際してプラナヴァ(オウム)を唱えるものは私に達するとクリシュナは言いました。
息を引き取る時にオウムを繰り返して唱えなさい。
至高の神を常に思い起こすことは、あなたの今生と来世での幸福を至高の神に委ねる力を持つのです。SIP4ー5
ポニョ:ログハウスの会社を視察しに、ニュージーランドのクライストチャーチまで行ったっていう話をするって言ってたよな。
ヨシオ:その会社はとても大きな工場を持っていて、中を見学させてもらったんや。一つ一つの壁材を寸法通りに切り、一枚の壁を床に並べて組み上げていたので、広大な敷地が必要なんや。それに、三枚の板を接着剤でくっ付けてログを作っているので、曲がったりしないんや。
ポニョ:それがログハウスの一番の欠点やもんな。長年使っている内に、家じゅうの壁が隙間だらけになってしまうんや。
ヨシオ:そういうことや。また、クライストチャーチやその周辺にある、今までその会社が建てたログハウスの見学にも行ったな。二十五年前の話やけどな。それで、この記事を書くために、少しその会社の事を調べたんやけれど、俺が昔取引した会社となんか違う会社みたいになってたな。昔は、もっとたくさん違う種類のログハウスを売ってたんや。
ポニョ:多分、経営者が変わったんやろ。二十五年前ってひと昔やもんな。
ヨシオ:二十五年前、クライストチャーチに行った時に、その会社の経営者と会っていろいろと交渉してたんや。その交渉の過程で、俺は、その経営者の頭の中は金儲けの事しか無いって気付いたんや。でもその経営者は、交渉が終わってから最後にこう言ったんや。「実は、私は最近、医者から癌と診断されたんです。もうどれくらい生きれるか分からないんです」と。その経営者が俺にこういう話をするって何の偶然でもなく、彼の守護霊が、俺に霊的な話をその人にするように言っているような気がしたので、早速、その経営者に向かって、次のような霊的な話をしたんや。「誰でもこの世に生きている人は、毎日、一歩ずつ墓場に向かって歩んでいる。そこに到着するのが早いか遅いかは問題じゃない。それより、どれだけ心をきれいにしてそこにたどり着けるのかが大切だ。君も、商売ばかりして金をより沢山得ようと競っている世界に生きているけれど、もっと自分の持っている財産や特技などを、社会や困っている人々に還元する事を考えた方が良い。人は、自分が死に直面した時に初めて、人生の意味を考え始めるけれど、君は早くからそういう事をしっかり考える機会を持てたのでラッキーじゃないか。人は、どこから来て、どこへ行くのか?生きている間に一体何をしなくてはいけないのか?人生の目的って何だろうか?そういう人が生きて行く上での、根本的な基本的な問いに向かい合う良い機会を持ったんだ。少しビジネスをスローダウンして、自分自身の事をしっかりと考える時期に来ていると思うよ。いくらお金を持っていても、そのうちのたった一セントだって、君はあの世に持っていけないだろう。」と言ったんや。俺が突然こんな話をしたもんだから、その人は目をパチクリして、驚いた様子で聞いていたな。
ポニョ:人って本当に、自分に死が訪れないとでも思っているように、毎日を生きているもんな。全然死に対する準備なんて普段から何もしないもんな。
もし、スワミが望むなら、全宇宙を変容する力がスワミにはあります。
なのに、なぜスワミがこうした一切を行っているかというと、それはあなた方全員に、人生を有意義なものにするチャンスを与えるためです。
世界に裕福な人は大勢いますが、犠牲を払うという考えや発想はその全員が得られるわけではありません。
それが得られないのは、過去何生にもわたって蓄積された不幸です。
死ぬ時には一握りの土さえ持って行くことはできないのなら、どれほどの財産があっても何の役に立つでしょう!
精を出して財を蓄え、そのすべてを銀行に預け、その上、不正所得までため込んでいても、神聖な目的のために私財を犠牲にしようという思いに駆り立てられる人は一人もいません。
隠し財産は汚物同然です。そんな財産は必要ありません。
ハートは純粋で神聖であるべきです。
そうなるためには、あなたの犠牲は神への犠牲であるべきです。24/11/2000
ヨシオ:でも最近では、「死への準備パック」何てものが有って、遺書を書いたり、自分の葬式の準備をしたり、遺産相続なども生前に全て手続きをしてしまう書類作成のセットが、無料で手に入るようやな。
ポニョ:突然、人って往ってしまうから、生前にそういう準備をしておいた方が良い事は良いやろな。おいらも遺書を書いてみようかな。
ポニョの遺書
私、ポニョは、この地球に産まれ落ちて以来、全ての創造主である、本当の実の親であるあなたの事を思わずに、あなたに全然感謝の気持ちも持たずに一生を過ごして来ました事を、先ず、この場を借りましてお詫び申し上げたいと思います。もちろん、苦しい時には、少しだけあなたの名前を呼び続けたことはありますが、でも、一旦嵐が過ぎ去れば、すっかりあなたの事を忘れてしまって、この世の物事の享楽に我が身を弄んで、浮き沈みの世の中を楽しんで参りました。でも、今こうして、遺書を書くに当たり、私、ポニョが歩んで来た人生を鑑みるに当たって、とても後悔しております。もっと、もっとあなた様の事を思って人生を生きて行けば良かったな、水に浮かび、すぐに消え去る泡のような運命の肉体に執着して、あゝ、やれシワが増えたとか、やれ物覚えが悪くなったとか言って嘆きながら、ほんの小一時間でもあなた様の事を思う何てしませんでした。そして、この一瞬一瞬滅びゆく肉体を、人様の為に使おうとはしませんでした。今、そうした生き方を後悔しております私は、宮沢賢治の童話に出て来るサソリになったような気分でございます。そのサソリは、狐に追いかけられ、捕まって食べられまいと飛び込んだ井戸で溺れて死んだ、あのサソリの事です。その時そのサソリは、狭い井戸の底からきれいな星々を見上げながらこう呟きました。嗚呼、僕はなんて不幸なんだろうか!こんなところで、溺れて無駄死にするんだったら、一層の事、あのお腹が空いていた狐にこの体を食わせてあげれば良かった。私もそのサソリのように、自分の事ばっかり考えて生きてきました。でも、そのサソリが自分の体を狐に食わしてあげれば良かったと後悔した途端、神様がそのサソリの思いに心を動かされて、サソリを天に持ち上げ、空に浮かぶサソリ座にして下さいました。私も、そこまで立派な星座は求めませんが、美人の乙女座の横に、ちょこんと並べていただいたら嬉しいんですが…。そして後世の人たちから、あの星座が、死ぬ前に神様の事だけを思って亡くなって星になったポニョさんの星座だよ。って言われたいなぁ。名前もポニョ座なんて、粋じゃないですか。一つ奮発してくれませんか?お願い致します。ポニョの遺書でした。
ヨシオ:あのな、誰が遺書に神さんに星座にして欲しいって頼む人なんているんや。変なおっさんやなぁポニョは。でも面白かった。
ポニョ:死に行く為の公文書セットって日本でもよく似たものが有るぜよ。でも金が絡んでいるけどな。本当に日本って、墓地代や管理費が、目ん玉が飛び出るくらい高いから簡単に死ねないぜよ。あんたのお袋さんのように、お袋さんの遺灰を思い出の場所に撒いたら終わりっていう訳にはいかんぜよ。
ヨシオ:そうなんか。公共の場所やったら、こちらでは、遺灰をどこに撒いてもええんやけどな。
ポニョ:何れにしても、自分が死んだ時の事を想定して、財産分配やお墓などの準備も大切かもしれないけれど、もっと精神的な準備、つまり残りの人生を、神様の事だけを考えて生きて行く人っていないよな。
ヨシオ:ババが著された本はたくさんあるけれど、俺がその中でもとても気に入っているのが,バガヴァットバヒニなんや。
ポニョ:知っているぜよ。王様が毒蛇に咬まれたんやけど、自分が死んで行く前に、一体どうすれば良いのかをスッカという聖者に聞く話やろ。バンガロールにアガスティアの葉じゃないけれど、スッカナーディというのがあって、アガスティアと同じように古いヤシの葉に書かれた個人の記録や未来の事を探し出して、教えてくれるんやけれど、そのスッカさんが書かれたんやろうか?
ヨシオ:そうやろな。スッカさんは、聖者ヴィヤーサの息子さんなんや。
ポニョ:ヴィヤーサって、マハバラータを書かれたり、いろんなヴェーダを編纂されたりしたので、ヴェーダヴィヤーサと呼ばれている有名な聖者やぜよ。スッカナーディも予約をしないと一元では見てくれないぜよ。時には何ヶ月も待たなくてはいけないんや。
ヨシオ:でも星やんが行ったムンバイのブリグは、予約をして直ぐに見てもらったと言ってたな。しかも、見終えてからそこを出て、タクシーに乗って帰る途中、一つ大事な事を聞き忘れたので、車をUターンさせて事務所に戻ったら、まだ、読み手の人が事務所の外の道の真ん中で待っていてくれていたんやって言ってたな。
ポニョ:そうそう。星やんの事が書いてあるヤシの葉っぱによると、星やんは、その日再び戻って来るって書いてあったんや。だから外で待っていたんやて。それってすごいぜよ。なんで、古代の聖者はそれだけたくさんの人たちの未来の情報を知ることが出来たんやろな。
ヨシオ:アカシックレコードに自由にアクセス出来る能力を持っておられたんやろうな。
ポニョ:それってすごい能力やぜよ。
ヨシオ:そのスッカさんの話が出て来るこの本を初めて読んだ時に、俺は全身全霊、神様の事だけを思って生きて行く事がどれだけ大切かってよく分かったな。全てを神と見て、神様の事だけを思って生きて行くって、俺たち皆しなければいけない事なんや。この本は、俺のババの本の中でも、トップスリーに入っているんや。王様も、聖者スッカの話を聞いていたら、死ぬ準備がスッカり出来ていたな。
ポニョ:久々の親父ダジャレやな。ダジャレの数は、最近はおいらの方が多いけど。その王様ってアルジュナの孫さんのパクリシット王の事やろ。
ヨシオ:あのね、勝手に名前を変えんといてくれますか?パクリシットではなく、パリクシット王なんやけど。それに、パリクシットという名は、生まれた時からこの子は、クリシュナ神を探していたから、神様を探すという、とても深い意味があるんや。というのもお母さんのお腹の中にいる時に、戦場から飛んで来た矢をクリシュナが破壊して、お腹の中の子供を救ったんや。それをお腹の中から、赤ちゃんが心眼で見ていたので、自分を救ってくれた人、つまりクリシュナを探していたんや。
ポニョ:ああそうやったな。思い出したぜよ。確かパリクシットのお父さんは、ドローナの策にはめられて迷路陣の中で殺されたんやったな。
ヨシオ:そう、その迷路陣への入り方は知っていたんやけれど、どうして出るか知らなかったんや。
ポニョ:それって、クリシュナがわざとそうさせたんやろ。だって、その子がお腹の中にいる時に、アルジュナが奥さんに迷路陣へ入り方を話していたんや。そして、その出方を話そうとしたら、クリシュナが部屋に入って来て、妊娠中の奥さんにそんな武闘の話をすると、お腹の子供まで聞いて影響を受けるからやめておきなさい、と言われたんやったな。だから出る方法を知らなかったんやぜよ。
ヨシオ:そうやったな。俺たちは、神の手のひらの上で展開される神が創られた劇の中で泣き笑いしてるっていう証拠やな。でも、その殺されたパリクシットのお父さんであるアビマンニュが、直ぐに自分の子供となって生まれ変わったんやで。
ポニョ:そうやったんか。それって面白いよな。霊の世界って、本当に魑魅魍魎の世界やぜよ。おいらも、この本のページをめくる毎に、涙が出て来て止まらなかったぜよ。横にいた嫁さんに、一体何の本を読んでいるのかと、不思議そうに顔を覗き込まれたぜよ。
ヨシオ:悲劇的な小説でも読んでいるって思われたんやろな。継母に食べ物を食わしてもらえない可哀想な子供の話とか、食べ物が絡んでいる話しかポニョの心を打つことが無いもんな。
ポニョ:そんな事ありませんよ~だ。でもマジに、ババの話を読んであれだけ泣いたのは、あの本が初めてやぜよ。また、もう一度読んでみたくなったな。ところでニュージーランドの話に戻るけれど、おいらも若い頃、バックパックを背負って、あちらこちらの国立公園にあるトレッキングを楽しんだ事があるんや。北はベイオブアイランズから始まって、トンガリロの火山にも登ったな。火山の火口のヘリに座って弁当を食べていたら、お尻が熱くなってきて飛び上がった思い出があるぜよ。また、頂上の火山湖が沸いていて、水蒸気がもうもうと上がっていたな。実は、おいら達がそこに行って数日後に大きな噴火があったんや。
ヨシオ:それって危機一髪やないか。それは危険が危ない。
ポニョ:無視しようっと。今、日本でも箱根やあちこちの火山も尋常でない地震や火山活動があるし、今年から来年にかけて、経済も落ちそうやし、アメリカでも、いろんな不穏な動きがあるし、箱根と富士山は地下で繋がっているので、箱根が噴火すれば、富士山も噴火するかもしれんし。こう見てくると、そろそろババの出番が近づいているって分かるよな。
ヨシオ:これらは全て、ネガティブなニュースのように見えるけれど、神の化身がもう一度この世に現れるための準備段階で、全てが想定通りなんや。だから、何も心配する必要は無いんや。全ては起こるべくして起こるんや。
ポニョ:あんたと話していたら、危機感が全然無くなるから、のれんに腕押し、馬の耳に念仏やな。
ヨシオ:俺は、限りなく聖者スッカに近いんや。
ポニョ:なんでやねん。
ヨシオ:何があっても受け入れるから、スカみたいやろ。
ポニョ:あのね、スッカさんが聞いたら怒りはるぜよ。名前で遊ぶのはやめなさい。
ヨシオ:それじゃ、そうスッカ。
如何なる人も、いつか必ず死にます。
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そうすることが出来る為には、大変な準備をしなくてはなりません。
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夢を見ている間はそれ等は現実であり、あなたに満足と喜びを与えてくれました。
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無執着という性質を培えば、この夢の国という舞台に幕が降ろされる時、あなたは、微笑みを浮かべて去ることが出来るのです。SSSVol1chp